

わたしの仕事は老人ホームの介護職である。
老人ホームといってもマンションである。したがって健常者(ほんとに変な言い方だ)が多い。かれらは、人との接点を求めている。いや、渇望している。
うつぼとは、部屋の中でヘルパーの来訪や、隣近所の人間が通りかかるのを待ち構えているといったイメージなのだ。さてさて、それは真実かどうか――。
|日記1(勤務以前から丁稚あけまで 2003.March--June)|
|日記2(初夜勤・退職者続出の謎 2003.July--Sept)|
|日記3(夜勤痛と最悪のクリスマスイブ夜勤 2003.Oct--Dec)|
日記4
3月19日 おまけ
離職票が1週間以上たっても届かない。保険証の切り替えもできないし----。
やっぱ、組織じゃないんだねぇ。つくづく。
3月8日「うつぼ最終回」
最終日
ここ1年近くの勤務先だった老人ホームの最終日は、美しい幕切れとはいかなかった。
朝6時半からの勤務だったのだが、いつもより少し早めに出勤した。仲良しだった(と、僕は思っている)宿直のS氏と「最後の」与太話をしているところへ、入居者のAさんが来られた。まだ、6時ちょっとすぎだというのに。バリバリ臨戦態勢だ(笑)。
Aさんは健常者(つまりは、僕が勤務していた介護課の対象外)のかただ。Aさんは「あなたがお辞めになる高橋さん? 今度、施設をやるんだって?」という。
ビックリした。なんで、そんなことまで知っているんだろう? 思わずS氏と顔を見合わせ苦笑い。怖いーぃ。
僕が作ろうとしているのは入居施設じゃないと説明すると、とても残念そう。「だれか、入居施設に詳しい方はいない?」というので、この日夜勤で夕方からでてくるBさんを勝手にしかも何の根拠もなく指名してしまった(ごめんなさいBさん)。
Yさんが言うには「ヘルパーがボロボロ辞めるは、新しい入居者がはいる気配はないは、ここは終の棲家として、はなはだ心配だから、よそに移りたいのだという」。
ご心配はごもっともだが、同僚のBさんを高く売りつけて、お引き取りいただいた。やれやれ。
朝食の配膳時だった。最初は、2回のCさんに泣かれた。次は3階のエレベータを降りるとDさんがいらっしゃた。ちょっと気難しい大学教授だ。僕の顔を見てにやっとされた気がしたが、おはようございますと挨拶してすりぬけた。3階配膳を終えて廊下に出たらDさんがニコニコしながら駆け寄ってくる。ヤバッ!!
「ついにキレて辞めるんだって?」
どうしてそうなるんだか、まったくトホホである。からだを半身に構え逃げの態勢でお話を聞く。そこへ、援軍の? Eさんまで登場して「働き者(=僕のことらしい)なのに、辞めたら困る」などとおっしゃる。もともとホームに対して「敵対的な」Dさん(理由は不明だがホームと戦うために弁護団を結成しているという)の話は、正直、わけわからないでの困るのだが、一つだけドキッとしたのは「辞めていくヘルパーさんが口々に入居者がかわいそうだ、心配だっていうけど、そんなの余計なお世話。ヘルパーの思い上がりよ」ということば。ごもっとも。さすが、教授は言うことが違うと思いながらも、逃げる様にして階段を駆け下る。
午前中は機械を使った入浴介助。体調不良者や入院者がいて、二人だけだったので、楽なもんだった。昼過ぎに事務所に集まった職員を前に、花束を貰って、そそくさとお別れのご挨拶をすませ、午後は舞台を一般浴室に移しての入浴介助。こちらも何滞りなくすんだ。
一段落して、介護室に行くと、ここ2週間余り熱が出たり引いたりして体調の優れなかった入居者のFさんの具合が悪そう。血中酸素濃度が下がって酸素を吸ったという。ベッドの背を急角度に上げられている(あとでわかったのだが嘔吐したため)が、ずり下がってしまう。そばにいた上司が「左手が利かないんだよ。変だよね。でも、様子見の指示だからさ」という。手を握ると確かに握り返してこない。いつもだったら、視野が狭くて怖がりのFさんは握り返すか振りほどくかするのに……。すこし胸のぜい鳴も聞こえる。それに、日頃は物静かなFさんがしきりと何か訴えている。だが、いつもと同じで言葉になっていないので、理解できない。「変だ」と思いながらも、おそらくは併設診療所の指示だろう「様子見」を信じて仕事に戻った。
3時半になって仕事はおしまい。入居者への退職の挨拶なんて、Dさんじゃないけど、迷惑なものだろうと思っていたのでしないことにしていた。自分たちのことほったらかにして「もっと良いところ」に行くと思っているわけだから。
それでも、日中声をかけてくださった方や最後に顔を見ておきたい人、同僚に「その方独自のメニュー」の引き継ぎを頼んだ入居者の部屋だけは訪ねた。
Gさんのように、僕が行くまで辞めるということを知らず、パニックになりかけた人(この人が同僚に2ヶ月に1回のポット洗いと点眼カレンダーづくりを引き継いだ人。次の人を指名したことは本人に言ってったので、てっきり知っているものだと思った)もいたけど、おおむねさらりとお別れしました。
ロッカーの名札をはがして帰宅。若い同期の二人から贈り物をいただいたんだけど、てっきりチョコだと思ってあけたら、ブランド品の名刺入れでビックリするやらガッカリするやら(疲れたので甘いものが欲しかったんだ!!)。
夕食を食べ終えた頃、携帯にメールが入った。
「本日、18時過ぎにF様、●○中央病院にて、急逝されました」
という、業務連絡だった。げぇっ!! 「死因は?」と打ち返したがわからないとのこと。なんてこと!!
診療所の医師は普段から「様子見ましょ」が口癖なのだが、このときばかりは呪った。同時に「病院へ!!」と強く言えなかった自分の不覚をひどく悔いた。とんでもない、最後の日だった。
追記 Fさんの死因は「ショック性の誤嚥による肺炎」だとか。WEBで検索してもそんな用語はヒットしないぞ!! わけのわからん死因だ。たくもぉー。
3月1日
お願いだから、退職理由を聞いてくれ!!
日勤での最後の巡回勤務の際、一人の利用者から「あんた、よすんだって」と言われた。「よす」というのが年齢を感じさせる言葉だったけど、「そうなんだよぉ。一緒に辞める●●さんとの不倫がばれてさ」と言ったものの、年寄りときたら、人の話を聞かない!! 全然「ノッテ」こないので、面白くないことこの上ない。
●●さんとの間で――せっかく同じ日に辞めるんだから「不倫の清算」でということにしようよ。掲示板に退職の報告が出たら、宿直の○○さんに「寿」って書きこんでもらおう!!――と、盛り上がっていたのに。
2月25日
吉野屋の牛丼とヘルパーという職業
吉野屋に入って、新メニューのマーボー丼を食べた。期待したほど旨くなかった。
やっぱ、吉野屋は牛丼だなどと断言するつもりはない。だが、吉野屋にとって牛丼は粒だったキャラクターだ。客もそれを求めてくる。
介護職も同じではないか? 資格を取れば皆ヘルパーだが、それぞれがキャラクターを持っている。誰でも良いというわけではないだろう。キャリアがあればOKなのか? そういうわけでもないだろう。
組織として、チームとして、どういう介護を目指すのか、それがしっかりした上で、必要なキャラクターを集めなければ意味がない。目指すものがなければ、人も育たない。
上に立つものは、キャラクターを適所に配置できる演出家でなければならない。自戒も含めておもう、今日のマーボー丼だった。
さぁ、今日は最後の夜勤!!
2月19日
退職届以後
引き止められることもなく、なにもなく----。ヘルパーなどいくらでも代わりがいるからね。でも、僕はこの世で一人。
仕事の引き継ぎも自分で引き継いでくれる人を見つけないと駄目なんて----。
ヘルパーは辞めてもすぐに代わりが見つかるけど、看護師はねぇ。いまは、一人しかいない。その人も退職を控えて半ばやる気がない、どのような事情があるにせよ、「プロ意識」に欠ける人だ。サボタージュによって「意趣返し」するなんて、情けない人だと思う。
ヘルパーは大変だ。指示を出してくる人がいないんだから。
2月10日
出しちゃった----その後
同じ日に他に2人も!! まさに同時多発テロ!! 崩壊しなければ良いのだが。
2月9日
出しちゃった
退職願
2月7日
書いちゃった
退職願。
辞表というのは、役員級が書くものだと、ネットの「退職願の書き方」にあった。一身上の都合の場合も、届けじゃなくて、「願い」にするのが、「ビジネスマナー」とのことだったので、職場で用意されている「願い」のほかに、直属上司宛てに「退職願受理の届け」を出した。
どーでもいいことですけど、、、。
とりあえず、同期の人間にはあらかじめ報告することにする。ごめんなさい、先に行きます!!
2月4日
呼び出し
上司に呼び出された。
うわー、辞めるとか言っていることがついにばれたか?
――と思ったら、昨年の晩秋に某入居者に「おまえに身体介助を一切受けない。その分、他のスタッフにフォローしてくれる様に頼んでいるから云々」(11月17日 脅しというか、ほぼ恫喝 参照)という件だった。
ようするに、今にいたっては、ほかの職員に知れ渡ることとなり、職場のみんなが協力してフォローしてくれると言うことになったということだ。同僚たちも了解してくれているとのこと。
上司は主任を交えた会議を持ち、当事者の入居者へも説明に出向いたとのこと。そのこと自体には心底感謝するし、ありがたいと思う。
でも、日中はいい。代わりにできることをぼくがやれば良いのだから。でも、1月31日の「あーあ、辞める理由はこれか!?」に書いた状況は変わらず、夜勤者への負担は大きい。
上司は「あなたにもプライドが云々」というが、プライドなどとはちょっと違うように思っている。それとも、つまらない意地なのだろうか?
2月1日
禁断の抽斗を----
ついに開けてしまった「退職届け」用紙の入っている抽斗を!! 1年近くたっても汚いコピーのママだ。自分の終わりにはふさわしくないぞォ〜。
1月31日
あーあ、辞める理由はこれか!?
ここ最近、体調を崩しているWさんは、僕が体に触れることを忌み嫌う。それは本人の都合だから良いが、夜勤仮眠中の同僚に「起こしてもいいかい?」と聞くのはなんとかならないものか。仮眠は権利というか、Wさんのためにあるのではなく、他の利用者に対して満足の行くサービスを提供するために必須の時間なのだ。
いくら、本人が良いですよといったところで、許されることではない。ならば、家政婦を雇えば良いのである。
僕と夜勤をやる人は、みんな仮眠を潰されることになるなんて、そんな負い目には耐えられない。
辞める理由として充分ですよね?
1月26日
介護福祉士試験
職場からも数人が受験した。手応えのほどを聞くと「鉛筆の転がりが悪かっただの」「奇跡を信じるだの」、照れもあるんだろうが、否定的な見解ばかり。ヤレヤレと思っていると、一人だけ「受かっていてもおかしくないかなァ」という人物が!! 偉い!!
1月25日
むむむむ?
リハビリの先生がくる日に急遽担当になった。来た人の記録をつけたりお茶を出したりするだけなのだが、ついでに先生に「ペットボトルなどの身近なものを使ってできるリハビリメニューて考えていただけません?」と頼んだ。(当然だが)他意はない。だって、数万円もの日当を払っているんだから、ちっとは知恵を出してもらっても「ばち」は当たるまいと考えただけ。レクで使えるし。
その日は他の仕事もあって、最後まで付き合えなかったら、リハビリの先生から「次回までに考えてきます」というメモが上司に回った。
これがお気に召さなかった。「どういう意図なの?」ときた。この場合、意図という言葉はどちらかというと「魂胆」もしくは「なにを企んでいるのか」にちかいニュアンスだった。かくかくしかじかと説明すると、「あらかじめ話しておいて欲しいなァ」とのこと。
なんでだろう? なんでなのかなぁ? 僕はなにか勇み足なことをしたんだろうか?
1月22日
誕生日会
あー疲れた。何がって、風船を膨らませるのに疲れた。同じレク掛かりの同僚と70個近い風船を肺活量に任せて膨らませたのは良いけど、、、。
でも、なかなか派手で賑やかな飾り付けができた。
1月20日
甘い水その後再び----うつぼからの脱出するぞ
最終的にというか、とにかく「地元で開業」を第一条件に「何をやっても良い(もちろんビジネスの範疇で)」との条件の再確認をした。さらに、準備金なども多少(数万)なら出せるという。雇用関係や人事についてもほぼフリーハンドを手にすることができる。もちろん当然のことながら、それについての責任は私が負うのだが。
ということで、まずは、物件もしくは土地探しに着手することになった。
1月13日
甘い水その後----うつぼからの脱出は可能か!?
デイサービス立ち上げの話があるということは前にも書いた。話は一進一退だ。先方が僕を初めとする人たちに求めるのが「労働力」なのか、プランナーとしての役割なのか不明なのである。先方は「ビジネス」なのだから当然だろうが、声を複数にかけている気配もある。
そう言う状況で、僕らが「プラン付き」で、突っ込んでいくことに、心配がある。「いいとこどり」されかねない。
さりとて声をかけて集まってくれた仲間の熱意を無駄にするのも消耗する。やはり当初の目論見通り自前で起業するべきではないかという思いが頭をもたげている。
流行り? の1円起業も良いのだが「企業組合」というのも面白そうだ。ワーカーズコレクティブってやつ。
4人集まればOK。煩瑣な設立事務は株式とたいして変わらない。メンバー構成により多様な事業展開を可能にするので、融通無碍な組織を作れそう。出資金の多寡に関わらず一人一票の議決権を平等に持つというところもなかなかによろしい。
1月11日
ごみ
昨年末に亡くなられた入居者のかたの部屋のゴミが裏庭に置かれていた。油絵を描かれる人だった。上手ではないが室内にもトランクルームにもびっしりと油絵がしまわれていた。
あるとき、季節の花の絵----たしか紫陽花だったと記憶している----の絵を一緒に探して欲しいといわれ、トランクルームの中を探したがついに見つからなかった。
そのかたは物静かに寂しがられていた。
時折、おはなしすると、話が通じるベテランヘルパーが次々と辞めていくことを嘆いておられた。新人の僕には最後まであけられない扉を残したまま逝ってしまわれた。
1月8日
へ?
レク係の仕事の一つとして、カレンダー作成がある。明るい配色で必要最低限のイベントだけを記載している。
前任者から引き継いだ時に、「前月最後の夜勤の時に作るといいよ」といわれていたので、夜勤帯に時間を見つけて作っていた。
ところが、前回(一月分作成時)の原稿をカラーコピーに残したままだったらしい。それを、施設長が見つけて「勝手に使うな」と介護課長を叱り、ぼくは課長からおコゴトを戴いた。
たしかにカラーコピー機は施設長の席の隣にある。でも私物だとは聞いたことがなかったので「へ?」だ。私用で使ったわけでもなくますます「へ?」だ。
わけのわからない仕事場だ。
1月5日
御札の効果か?
初夜勤に、大宰府天満宮の厄除けの御札を持参した。「事件屋」の異名の挽回の「秘策」だ!!
夜勤の相方はクリスチャン!! 菅原道真様とイエス様のご加護のおかげでなにごともなく、順調に朝を迎えることができた。
万歳!!
1月4日
初仕事
あけましておめでとうございます。
新年三が日は「盛装」で出勤勤務ということだった。上はブレザーで、中に三つ揃いのベストとパンツで出かけた。シフトは介護室だ。この姿でのオムツ交換は正直かなり苦しいものがある。
三が日は特別行事食が二食なので勤務内容もなんだか微妙に違う。初めてのことなので戸惑う。
お年玉が三千円支給された。嬉しいようなそうでもないような、微妙な金額(笑)。
今夜は初夜勤だ。昨年最後の夜勤も火災警報機が鳴り響くなど「事件」が起こり、「事件屋」の異名を戴いてしまった私としては、汚名挽回と行きたいのだが、さてさてどうなることやら。
今年の抱負などはとくにないが、「雨宿り」プロジェクトを思索の段階から行動のフェーズへと移行させようと思っている。移行にともないこの日記のタイトル「うつぼなヒトビト」も改名する予定です。
|日記1(勤務以前から丁稚あけまで 2003.March--June)|
|日記2(初夜勤・退職者続出の謎 2003.July--Sept)|
|日記3(夜勤痛と最悪のクリスマスイブ夜勤 2003.Oct--Dec)|
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