タイトル うつぼなヒトビト


わたしの仕事は老人ホームの介護職である。
 老人ホームといってもマンションである。したがって健常者(ほんとに変な言い方だ)が多い。かれらは、人との接点を求めている。いや、渇望している。
 うつぼとは、部屋の中でヘルパーの来訪や、隣近所の人間が通りかかるのを待ち構えているといったイメージなのだ。さてさて、それは真実かどうか――。
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日記4(最近の出来事 2004.Janu--)|
日記3(夜勤痛と最悪のクリスマスイブ夜勤 2003.Oct--Dec)|
日記1(勤務以前から丁稚あけまで 2003.March--June)|

日記2

9月30日
代理戦争?

わけのわからないままに、いつのまにか、抗争の真ん中に立っている。左右には軍勢がいて、ぼくの一挙手一投足を見つめている。どちらに動こうとも背を向けた陣営からまず真っ先に矢を射掛けられるのはぼくだ。
 夢の話じゃない。自分がケアプランを担当している利用者に提供するサービスプランが元で、抗争勃発というか、喧嘩の格好の種とされたみたいだ。
 ことは慎重に----、そして、どちらにつくのでもなく、自分の道を見つけなければならない。誰がぼくの味方でだれが敵になるかなんて問題じゃない。利用者のために----。

9月26日
1000分の1の未来

子どもにはたとえて言えば、1000の未来があって、そのうちの1つが死である。老人にとっては、未来は両手の指の数ほどもなく、その中の二つは、ぽっくり死ぬか病みついて死ぬかである。
 となると、毎日を楽しく過ごすしか手(救い)はない。
 計画なんて無用だ。毎日を行き当たりばったりで楽しく。
 そういう介護が、人への寄り添い方ができれば、この仕事も楽しくなるかな。

9月23日
閑話休題。

2年前に書いた本『王さまがいっぱい』がラジオで今日から1週間朗読される。嬉しい。
 全国紙に悪いことじゃなくて名前が載って(ラジオ欄)良かった。
 老人ホームにいる人たちの息子や娘さんのたちのように「偉い」人にはなれないが、ささやかな親孝行かな。
9月17日
あー疲れた

とにかく、走りまわった夜勤だった。いつもだったら、異変者続出の時間帯(夕方)が静かで、異変者たちが落ちつく時間帯(夜半前と明け方)が忙しかったからだ。それに、いつもの夜間巡回対象者ではない「とびこみ」のお客さんが多かったのがなによりの原因だ。
 一緒に夜勤をした先輩にずいぶんと仕事を「拾って」もらったのにもかかわらず、とにかく走った。死ぬんじゃないかと思うほど走った。仕事が終わる頃には、脳も思考停止。入居者に「早く帰って寝なさい」とまで言われる始末。
 にこにこ笑いながら「吐いた」と事務所にきた人。結局最後は、偽薬でお静かになった。おまけに朝食もしっかりと食べられ、その後ニコニコと診療所受診に向かわれた。
 いつもは夜中に心臓を止まらせるような緊急コール音を響かせる人は、低血糖でそれどころじゃなくて、良く寝てくれたのはいいけど、夜間の血糖検査やらなにやら仕事を増やしてくれた。まぁ、夕食前に100を切っていた血糖値が320台にまで回復したんだからいいけど。
 朝、ご指定の時間に五分遅れたからといって呼び出しコールをする人は「いつもより30分早く出かけるんだから気が気じゃないのよ」とぼくをなじる。だけどオバチャン!! 出かけるまであと3時間以上もあるんだよ。
 疲れた。鏡の中の自分の頬がそれとわかるほどげっそりしていた朝だった。

9月16日
敬老の日の椿事?

いつもの日曜にくらべて特段に客が多かったわけじゃないが、それでも、昼食会やら、落語会などがあって、賑やかな一日だった。
 ある女性入居者がフロントに電話してきて「だれか、部屋に頼んだ覚えのない品物を置いて行った」という。部屋に伺うと、バナナと巨峰とおはぎが置いてある。他の入居者が置いて行ったのか? ともかく一端荷物を引き取る。
 するとこんどは煙草の吸い殻があったと言ってきた。
 こうなるとミステリーだ。ほかの入居者のところへの客が間違って入るわけもないし、フロントに聞いてもこの人の親族がきたという記録はないという。誰が? と部屋の前にヘルパーが集合して推理大会だ!
 ま、でも、あっけなく謎は解けるものだ。事務所に戻ったときに看護士がおはぎをみて「これ誰の」というから、かくかくしかじかと話すと、「あ、ごめん、言うの忘れてた」という。目が点になっている(だろう)ぼくに向かって「弟さんが来てたのよ。言われてたんだわたし」。
 こんなもんだよな。

9月15日
まただ。

パートさんが2人、正規職員が1一人採用されてから2週間余り。入浴担当を終え、家に帰って、翌日のシフトを確認している時フト気がついた。そういえば、先輩についているはずの2人の新人さんの姿が見えなかったなぁ、と。翌日出勤して聞くと、2人ともそろいもそろって「身内の急病」で休んだとか。
 あーあ。
 案の定、さらに翌日の午後申し送りが終わった直後に1人がやって来た(らしい)。午後の仕事を終えて事務所に戻ると、シフト表に入っているその人名前には赤い二重の消し線が!!
 ひぇー。
 そしてさらにその翌日、朝礼前に電話があり、また1人。
 やっぱり。

去るものは追わずといいながらも、おかしいとなぜ気がつかないのか? 不思議な上司である。きっと自分責任じゃないと思っているんだろう。役職者にあるまじき自覚のなさである。
9月10日
はたときがついた

研修中の新人さん曰く「ここはヘルパーさんが看護婦さんみたいで、申し送りが怖い」とのこと。たしかに、薬の名前はバンバンでてくるし、「処置」に関する報告も多いし、体調変化の観察が仕事の大きなウェートを占めていることは事実だ。
「Aさんは本日こうでした」という報告ではなくて、「Aさんと本日こういうことをしました」という報告ができるような環境にするのが一番なのだろう。

9月9日
そして誰もいなくなる

またもや退職者!! これで、勤務開始後6月を皮きりに毎月退職者がでていることになる。
10月11月12月とすでに予約済みとのことで、記録更新なのだそうだ。後に続くか?

9月8日
6年7ヶ月勤務していた人が辞めた。この人は在職中約60人の人を見送ったそうだ。坊主および葬祭業者や医療関係者以外でこれほどの頻度で死に接するのはやはり施設介護従事者の特徴にちがいない。
 ちょっと皮肉なことにも気がついた。体調が急変して病院に入院した人がいるとする。家族が(様々な理由で)一刻も早く退院させようとする人、かたや、身内もうるさくなく(もしくは身内不在)、長期入院が可能な資産家の人の場合、後者の方が、予後が悪いことが多いということ。病院で寝かせ切りになってしまうのである。
 こうした現象も有料老人ホームならではのことなのかもしれない。どなたか、特養の事情に詳しいかたがいたら、ご教示いただきたいものである。

8月31日
きがつけば、この春から子どもたちの写真を一枚も撮影していないことに気がついた。
8月30日
43歳の誕生日の夜を夜勤で過ごした。
 日頃、功徳を積んでいるおかげというか、何ごともない一夜だった。
 仮眠時間も爆睡できたし、緊張感もなかったので、朝になったらしっかりとおなかが空いていた。
 誕生日が同じマイケル・ジャクソンさん、八代亜紀さんはどんな夜をすごしたんだろうか?
8月24日
冗談ではすまない。

Lさんの居室にうかがって水分を取っていただきながら話をしていたとき、「日照り続きで霞ヶ浦が干上がった」と、大嘘をコイタ。
 「そんなことはないだろう。あんな大きいところが干上がるわけがない」などと、疑っていたLさんだったが、そのうち突然涙声になり、
 「霞ヶ浦に●○ちゃんが爆弾背負って飛びこんだ」と言い出した。
 最初は、ぼくの冗談に冗談で返してきたかと思ったが、ちょっと様子がおかしい。
 「なに? どういうこと?」と問い糾していくと、
霞ヶ浦→土浦→予科練(海軍飛行予科練習生)→特攻
 ということらしい。
 ●○ちゃんはLさんの幼なじみで特攻で亡くなったとのこと。●○さんの出征のとき、なけなしの米を渡したときのことを思い出したようだ。
 罪な嘘をついてしまった。

8月22日
ブルータス!! おまえもかっ!!

9月にまた一人去る。10月にもさらに一人。9月には新しい人が3人はいるらしい。
 うーん。
 11月はぼく?
 冗談ではすまない、このごろである。

8月20日
こんなものが欲しい!!
皮膚に装着すると浸透圧を利用して夜間帯を通じて水分補給ができる装置

夜勤者の仕事の一つに、介護が必要な人への夜間の水分補給がある。
 だけど、とてもよく寝ている人を揺り起こしてまで水分を飲ませることには、心理的な抵抗がある。自分だったら、寝ているのを叩き起こされて水を飲めといわれたら怒りだす。
 医療的な観点からは、水分が必要なのは理解できる。だが----。
 ヘルパーが水分補給介助をしなければならない人たちの身体状況が「一晩くらい」といえないことは百も承知である。
 だからぼくも2、3度は声をかけ揺り起こす努力はする。それでも、すやすやと寝ている人を起こすのは気が引ける。オムツ交換にも覚醒しない人を起こすのは、腰も引ける。
 先輩は「そういうときは、ベッドのギャッジをあげるだけじゃなくて、ベッドに端座位にしてしかりと覚醒させるの」というのですが----。
 あなたは電話のコールを何回であきらめますか? ぼくは5回くらいです。諦めが早いのがいけないのだろうか。

8月15日
セクハラだァ!?

入浴の介助をする。この日も朝から全員女性だ。ぼくにとっては異性だ。
 一人が背中を洗ってくれという。タオルじゃなくて、掌に石鹸をつけて。「いつもそうしてもらっているんだよぅ」という。
 洗いながらぼくは思う。歳のわりには綺麗な背中だぁ。染みひとつない。だからといってそれだけ。
 その人が次に言う。「ここをこすってごらんよ。垢が出るから」と、小さな乳房を持ち上げてそういう。仕方なくこする。もちろんタオルで。垢などでやしない。
 この人は入浴時、基本的に見守り以外の必要はない人だ。なのに、この甘えはなんだ。歩く時も必要以上に(?)人の手を杖代わりにしようと握り締めてくる。
 セクハラとはいわないが「皮膚が触れ合う」ことを望んでいるんだなぁ、とおもう。

8月14日
むずかしい----。
 一人で頑張ってきた人たちが、介護が必要になった途端、いきなり小学校以来の団体行動を強いられる。介護が必要にならなくても、ホームの提供する時間に縛られるようになる。
 ぼくが経営者だったら、パートを多く雇って、週に1回、1日3時間でもいいから、一人の人に「貼り」つかせる。そして好きなことをやるようにする。
 ケアプランにしたがうんじゃなくて、「今日は何しましょうか?」からはじめる。外にでかけるのもいい。映画や美術館に行くのもいい。観劇もいいじゃないか。飲みに行ってもいい。いっしょに風呂屋に行くのもいい。なんでもいいと思う。

8月12日
逢魔が刻

夜勤に入って10時間。草木も眠る丑三つ刻。寝ていたはずの老人がパチリと目を覚まして「わけわからんちん」のことを繰り返して言うと、正直、切れそうになる。
 こういうとき、あぁ、自分はこの仕事に適性(むいて)いないのかもしれないとおもうのだ。
 こういう人に限って、朝飯を食った後に「爆睡」する。無心に眠る(アタリマエだよ寝ていないんだもの!!)。
 その顔をみて反省する。
 寝かさなくてもよかった。起こして真夜中の茶話会でも開けば良かったと。
 まだまだ修業が足りない。

8月10日
今朝(日曜日)の新聞折りこみ広告にホームの求人がデカデカとでていた。介護課だけじゃなくて、全てのセクションで募集をかけている。
 入居者だって見るだろうになぁ。
 どっちにしろ、早いところ人を入れてくれ。まだまだ辞めそうだぜ。

8月8日
要介護者のなかにお盆に「帰省」する人はいない。
 アタリマエなのだろうか? 身寄りがないわけじゃない。みんながみんな「訳あり」なんだろうか? 
 要介護者だけでなく、ホームの入居者全体を見てもこの時期に外泊する人は少ない。孫が泊まりに来る人も数えるほどだ。
 うーん。
 別に孫子に囲まれるのが幸せな老後だというわけじゃない。それにしても----と思う。

8月6日
昨夜は夜勤一人立ちだった。
 居室のドアチャイムを「ピンポン・ダッシュ」(子どもがよくやる押し逃げの悪戯)されたと訴える人を除けば、なにごともない、静かな一夜だった。
 嬉しかった。
 だけど、この人、15分間に2回も同じ訴えでコールしてきた。1度目は大音量のテレビ画面の番組の中でチャイムが鳴っていた(ご本人はこれではないとおっしゃるのだが)。でも、2回目は-----。
 さすがにぼくも、この夜はこの人の暮らす階が怖かった。
 白髪を振り乱しピンポンダッシュする老婆? 杖を突きながら階段を猛スピードで駆け下りる男?
8月4日
仕事に就いてはじめての3連休明けの今日は、恐る恐る出勤した。
 老人たちが構成する世界が変わっている? というよりも、今日も職員が辞めているんではないか? の恐怖だ。
 幸いにして辞めた職員はいなかった(ホッ!!)
 でも、8月の勤務表を見ていて、気になる人がいる。妙なリズムのシフトなのだ。
 あぁぁぁーーーー。
 キャリアや資格取得のチャンスのある人は良いよなァー、などと嘆いている場合ではない。

7月31日
あっれーぇ?

10日ほど前に採用されたパートさんが、今日行ったら、辞めていた。あっけない。
 私が夜勤明けだった一昨日、体調不良で休むということだったので、もしかしたらとは思ったけれど、図星!!
 50歳を越えた人で、ヘルパー2級を取り立てで、9時--6時のフルパートだというから、体力的にきついだろうなと思っていたけど、案の定ですな。それも、仕事の実習が曲者の多いフロアの担当から始まったのも影響したかもしれない。
 特養などとちがい有料老人ホームは、相手はお客様だから、腰も頭も低くしなければやっていけない。「介護してやっている」なんてそぶりは見せたら最後。そのぶん精神的にキツイ。介護者はサービス業とでも割り切らないとやってられない。介護の理想なんてものは家の下駄箱にしまってから出勤しないと一日体が持たない。
 それにしてもこの人的崩壊はいつまでつづくのだろう。

7月30日
構図

今日はリハビリ室の担当だった。その仕事内容はさておき、午後も終いの時間になって、一人の男性がやってきた。リハビリはやらないけど、君と話がしたかったとおっしゃる。歳はいくつだ? 前の職業は? 子どもは? と質問してくる。嘘をついても仕方ないので、正直にお答えする。
 男性は納得する。どうやら、食堂で一緒になるほかの男性入居者の間で私の出現が「話しの種」となっていたようなのだ。
 今日の夕食の時には「リストラ→介護職」という図式が流布されることだろう。べつにどうでもいいことだが。

7月25日
エレベータ内での先輩との会話

「エアコンのつけ方がわからない」という入居者からのコールに対応するため、エレベータに向かって歩いていると、来月、辞める先輩が待っている。ここぞとばかりにさりげなく足を速めて便乗する。
 ドアが閉まった途端に「●○さんも辞めるんですね」と切り出した。「ところで、つかぬことを伺いますが、ここでは、退職願は誰に出すんですか? 施設長ですか、それとも課長スか?」
 先輩は目を点にして、「課長だよ。届け出用紙があるんだよ。そんなこと聞くところみると、あなたも近いねぇー」と笑いながら降りて行った。
 事務所に戻ると、「教えてあげるよ、届け出用紙の場所」と言ってくれた。場所を確認したあと「ついでに教えてくださいよ。2ヶ月前に出さなきゃだめなんですか? ●○さんはいつだしたの?」と尋ねた。
 「マジで考えているねぇ」と笑いながらも、「私は1ヶ月チョイ前。お互いの了解があれば2ヶ月じゃなくてもダイジョーブ」と教えてくれる。
 「みんな辞めて、俺たちの時代が来るぜ!! なんて思っているんじゃない?」
 「冗談じゃないですよ、これからだれについていけばいいんですか?」
 「夜勤を連続2回一緒にやった人についていけば?」
 あー、そういうことになるんですか? いつのまにか、そういうことになっているんだろう? くだらん。
 それにしても、届け出用紙があるなんて、よほどやめる人が多くて、おまけに、この業界の人たちが、辞表の書き方も知らない人ばかりだということでしょう。情けない気もします。
 自分が辞めるときは、届け出のほかに手書きの辞表願いをつけて、美意識のない形式主義のひとたちに一矢報いたい(言葉の使い方が違っている!!)ものですが、感じないでしょうね。
 この先輩の最後の夜勤がぼくと一緒です。最初に飲み会に誘ってくれた先輩5人のうち、2人が辞めます。

7月23日
はー。
 昨日新人さんが2人入ってきた。
 休み明けの一昨日、同期で入った総務課の人が突然辞めたことを知った。さらに、介護課の先輩の二人も辞めることを知った。
 はぁー。
 ここはどういう職場なんだろう。
 などと考えながら、Xさんの入浴後の介助に入った。リウマチで痛む腕を思いきり引っ張って、泣かせた。さらにアメリカンチェリーみたいな外痔核をタオルで拭いて怒らせて「ひっぱたいてやりたいよ!!」と言わしめた。
 どうにでもなれ!! ですよ、ほんとにもぅ。
 Xさんには「あんたは世帯を支えなければならないんだから、鍛えてあげる」と意味不明のことを言われたが、お生憎様、世帯など支えるつもりはサラサラない。

7月19日
夜勤が入るようになって、1週間が短くなった。
 あっというまに巡ってきた、3回目の夜勤は巡回の実習だったが、平和・無事・静穏とは程遠いものとなった。
 ゼッタイ、ノロワレテイル!!
 まずは----、
 Pさんの「肩こり」で、救急病院へタクシーで搬送に随行。眠そうな目ででてきた外科医になんと説明していいかしどろもどろになりそうだったので「今にも死にそう」な、ご本人に「元気」に説明してもらった。
 次に----、
 朝だ!! もうすこしで帰れる!! というときに、Jさんが喘息の発作を起こして、ヤレ吸入だ、収まらないから、救急搬送だ!! 
 頼むから、1度でいいから、なにもない夜勤も経験させてくれ!!

7月12日
2回目の夜勤は、なかなかに騒々しいものだった。
 まずは21時半という微妙な時間に、頭が痛いから血圧を測ってくれというコールがあった。居室へ伺い血圧を測ると、高い!! 上が特に高い。こめかみから後頭部にかけてが痛いという。吐き気やめまいなどはなく、応答もしっかりしている。そうこうするうちに、事務所に連絡する前に、娘さんに電話したようで、すぐに娘さんがかけつけた。
 結局、娘さんと相談のうえで、救急要請となった。しかし、本人の掛かりつけの病院からは「拒否」にあい、別の病院へ。
 その間、自分は、巡回業務に出た。
 巡回が終わって、事務所に戻ると、救急車が到着時にすでに嘔吐が始まり、病院到着時には意識レベルが低下----。脳内出血ということだった。予断を許さない状況だという。老人の体調は、釣瓶落とし----である。
 次は、1時半ごろに、巡回途中で、携帯が震えた。
 あるお宅で虫が沸いたという。
 伺うと、羽蟻みたいなものが、照明の周囲を飛びまわっている。本人は、気持ち悪いの、引っ越すの、ぶつぶついっている。それでいて、ほらそこにもいる、ここにもいる、と指図して騒々しい。虫が沸いたくらいでなにをおおげさな----と思うものの、ティッシュで一匹ずつ退治。広い窓にカーテンもせずに煌煌と明かりをつけているから、そこは、暗い老人ホームという海を照らす灯台状態。虫が集まるのも無理はない。そいつらが、網戸の隙間から侵入を企てたというだけのこと。虫に罪はない。
 でも、自分の照明が虫を呼び寄せたということは認めたくないので、網戸やその網戸が装着されているホームに攻撃は向けられる。坊主にくけリャ----である。
 あー、くたびれた。それでなくても、緊張を強いられる先輩だったのに。

7月8日
なにがモンダイ?
 先日貰った正規職員採用の「辞令」に感じた違和感の続き。
 そこにあるのは「形式主義」だけで、「形式美」というものがかけらも存在しないこと。
 それがモンダイ。
7月7日
今日は超早番(6時半からのシフト)だった。夜勤明けの先輩は、次の夜勤の「指導教官殿」である。
 「なにもしないから。みているだけ。全部やってもらうから」
 そういうと思いました。分かってます。(心の内の声)

ま、そんなことはどうでもいいのだ。

ほかにも部下(私など)がいるのに、聞こえるのを承知の上なのか、わざと聞かせているのか、同僚の悪口(もどき)をお気に入りの部下に話している。こういう態度はあまりできの良い上司とは言えない。

いやはや、ふー(大きな鼻息)。

ある利用者さんに言われた「あんたは女に生まれればよかった」と。
 「わたしゃあなたのことを男としてみていない」とも。
 わたしも(理由はあるにせよ)下着もつけずに居室にいるあなたのことを女とはみてません。(心の内の声)

7月4日
初夜勤だった。16時から勤務が始まり、翌朝10時までの長丁場だった。「心優しい」先輩は「なにか問題が起こると良いね。平和だと勉強にならないから」などとノタマイつつ帰宅して行く。
 ふんっ!!
 日中からハイになっていた利用者がそのままの勢いで22時ごろまで「ひとりカーニバル状態」だったものの、そのほかは何事もなく朝を迎えることができた。
 真夜中の散歩者も、ミッドナイト歌手も、丑みつ時のオバケも、遭遇せずにすんだ。
 ヤレヤレである。
 それでも、やはり緊張していたのだろう、眠気はなかったが、明け方の仮眠のときは気がつくと「爆睡」していた(苦笑)。
 申し送りを終えた自分はいつもよりハイテンションだった。
 次回は「心優しい」先輩とのコンビだ。きっと「一人でやってね、勉強だから」といわれること必定。それを思うと武者震いじゃなくて、怖じ気が来る。

7月2日
正社員の辞令を1日遅れで貰った。
 遅れたのはイッピ(1日)が公休だったため。朝の「申し送り」の最中に、課長から「ほい」と渡された。コピー用紙にパソコン&プリンターで作成した辞令だ。飾りもなければ透かしもない。ほんとに形式だけのモノ。
 もうちょっと考えれば良いのに。ありがたみがない。
 横で見ていた先輩が「わたし貰ってません」というと、「私も」と課長。
 貰えるだけありがたいということか?

7月1日
煙草を止めて一年以上過ぎた。値上がりも他人事だ。
 いまの仕事に就いて3か月が過ぎた。今日から正職員だ。別に嬉しくはないのだが。
 今月から夜勤が入る。最初は明後日だ。夜のホームは、きっと夜の動物園みたいなものなんだろうな? と想像している。別な世界があるはずだ。

 
日記4(最近の出来事 2004.Janu--)|
日記3(夜勤痛と最悪のクリスマスイブ夜勤 2003.Oct--Dec)|
日記1(勤務以前から丁稚あけまで 2003.March--June)|

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