一 野口整体とは 《二 野口整体の行法》 三 「風邪の効用」という思想 四 野口整体の目的

  

禅文化としての野口整体 V24
― 気の思想 ―  

        

二 野口整体の行法 ― その起源 ―

  

 近代化が進んだ明治末から大正・昭和の初めにかけて、各種の健康法や代替療法の実践者たち ―― 岡田虎二郎(1872年生)の「静坐法」、藤田霊斎(1868年生)の「調和道」(当時は息心調和法)や「森田療法」の森田正馬(1874年生)など ―― が現われました。
 「気」については、松本道別
(1872生)や、彼を師とする師野口晴哉(1911年生)が代表的な人物として挙げられます。
 これらは、「近代化」に伴う「生活の激変」により、日本人の伝統的な身体が破壊されていくことを看過できない人々によってなされた「日本の身体文化」復興運動というもので、その基本には「坐」と「呼吸」がありました。
 近代医学が物質中心であることや近代社会の競争原理などが、様々な意味で日本人の精神性や伝統との調和を回復しようとする試みを促し、近代生活に伝統を織り込む形の「修養」的健康法として社会現象となったのです。
 野口整体はこのような伝統智の復活という時代背景に生まれましたが、師の行法は他の追随を許さない思想性の深さに裏打ちされていました。これが、今日において多くの人々に求められるようになってきた所以です。

  

正しく座すべし 

野口晴哉 

1931年(昭和6年)

正座は日本固有の美風なり。

正座すれば心気自づから丹田に凝り、我、神と偕(とも)に在るの念起る。

正座は正心の現はれなり。

正座とは下半身に力を集め、腹腰の力、中心に一致するを云ふ。

下半身屈する時は上半身は伸ぶ。

上半身柔らげば五臓六腑は正しく働くなり。

正座せば頭寒にして足熱なり。

正座する時は腰強く、腹太くなるなり。(中略)

  

正座は正心正体を作る、正しく座すべし。

中心力自づから充実し、健康現はれ、全生の道開かる。

日本人にして正座を忘るゝもの頗(すこぶ)る多し。思想の日に日に浅薄(せんぱく)軽佻(けいちょう)となり行くは、腹腰に力入らざるが故なり。(中略)

  

腹、力充実せず、頭脳のみ発達するも如何(いかが)すべき。

理屈を云ひつゝ罹病(りびょう)して苦悩せるもの頗(すこぶ)る多し。

智に捉(とら)はれ情正しからず、意弱くして、専(もっぱ)ら名奔利走(めいほんりそう)せるものの如何(いか)に多きぞ。

先進文明国の糟粕(そうはく)を嘗(な)め、余毒(よどく)を啜(すす)りて、知らず識らず亡国の域に近づきつゝあるを悟らざるか。

(あやう)い哉(かな)、今や日本の危機なり。

  

 これは、いわゆる「肚」の文化が失われつつあることへの危機感を表現したものです。
 「正しく坐すべし」の中で、師が「
今や日本の危機なり」と西洋化による「心身の問題」点を提起されたのは1931年(二十歳頃)のことですが、この時代は、洋の東西において近代の代替智が模索された時代でもありました。
 師は禅に学び、古神道に伝わる霊動法を、生理学的に解釈することによって神秘性を排し、「動く禅」として「活元運動」を提唱しました。そしてフロイト
(1856生)の精神分析学も応用して、愉気法を中心とした「野口法」という身体智の体系を完成させたのです。
 そして1943年12月、大正から昭和初期にかけて隆盛となったさまざまな手技療法
(カイロプラクティック、オステオパシーなどの西洋の代替療法や、指圧など古来の日本的な民間療法など)の大家が集まり、それらを統合した新しい手技療術の体系を創ろうと、整体操法制定委員会が設立されました。
 その委員長となって体系をまとめた
(1944年7月)のが、当時三十二才の師野口晴哉です。「野口整体」の技術の中心となる整体操法は、この運動の中で生まれたのです。
 整体操法とは、「
生命の要求に基づいて行なわれ、自然治癒力を促進せしむる手指の技術であり、その対象は生きて動いて絶えず変化する身体そのものである」とされました。
 このような体系化されたものとしての「整体」という名称は、師野口晴哉が初めて用いたものです。また師は、1956年旧文部省より認可を受け「社団法人・整体協会」を設立しました。この師の野口法は、他の整体と区別する上で、「野口整体」と呼ばれるようになりました。
  
 このようにして、日本の民間伝承療法
(手当てなど)、西洋の代替療法、近代医学的知識も加え、豊富な臨床経験を元にして深層心理学的発展を遂げた「野口整体」は、実は西洋文明との融合、東西思想統合への展望を図ったものでもあります。今で言う「ニューパラダイム」をすでに作り上げていたと言うことができます。
 とりわけ、冒頭で紹介した『風邪の効用』の思想は革新的のみならず、古くは『易経』の説く処に通ずるものです。師の生涯は「近代知」以前、また「近代知」以外にこのような「智」があったこと、またあることを世に知らしめる活動であったと言えます。
 日本が近代化を一通り為し得た20世紀初頭
(明治40年代〜)にあった、このような現象の中で生まれた「野口整体」の初期の思想を考えることは、21世紀、現代の「霊性と癒し」を考える上で、意味があるものと考えます。

   

『野口晴哉著作全集 一』
全生論
全生について 二

 意識は総てではない。従つて意識を基礎とした現代の体育的運動は、悉くその出発点に於て誤ってゐる。意識を基礎としてゐる結果、随意筋、不随意筋の区別を生じ、総ての体育的運動は皆随意筋の運動にのみ片寄って終つた。而して随意筋は発達したが、之を養ふの力に乏しいといふ結果を齎(もたら)した。又意識に捉はれた結果は、生の要求する運動の適度を無視して、万人に同一の形式を強ひ、又人体の中心を忘れて胸に重きを置き、腹を忘れ、胸を主体とせる形式にのみ走ってゐる。之が為、その目的に背馳(はいち)して却つて害を心身に与ふるの悲しむべき滑稽を演じつゝある。
  
 意識を基礎としての運動は、動物性神経を過敏ならしめ、植物性神経を弛緩もしくは過敏に導くの結果、意識のみ過敏に働き、感情は麻痺して活動鈍く、一般に思想が唯物的に傾き、延いては国家国民の行詰りを招来するに至る。自分自らが努力して自分を狭い意識の世界に追込み、徒に苦悩に呻吟してゐるが如き状態にある。思想善導の声高しと雖も、心の働く道は神経系なれば、神経能力を正しくせねば、心が正しく働く道理なし。思想の悪化も心身の衰弱も、故なきに非ずである、予は声を大にして、体育改造を高唱し、世人の覚醒を促さんとするものである。
  
 予の主張する体育は、人体放射能を基礎として行ふ運動によるもので、各自に適応するだけの運動を為し、呼吸と心の調和を図り、腹腰の力の一致せるところに人体の中心を認める。而して完全なる心身を得んとする。随意筋、不随意筋の区別もなければ、神経系の発達に違和不調を来すことなく、真の彊心健体を獲得し、自然健康を完全に保持して、茲
(ここ)に全生の実をあげることが出来るのである。

   

 師の目指したものは、病気治療や健康法という範囲に止まらず、総合的な「人間形成の理論と方法」を提示することにあり、これが「全生」思想でした。江戸時代の『養生訓』がそうであったように、古く遡れば、医学と宗教(生き方)は一つのものであり、これは、洋の東西において共通することでした。
 科学万能主義の時代を経て、西洋医学一辺倒の時代がようやく変わりつつあります。伝統医療や代替医療など、近代知を相対化するような諸実践に、国際的な関心が注がれ出している現在、師野口晴哉の「生の様式の新たな実現」を目指す思想を正しく伝えて行きたいものです。

  

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