活元運動が出るまでーー永く長い道のり

八木達也(東京都在住 40歳男性)

 2004年1月末、個人指導後に金井先生より「本やその他何かで野口整体を知り、活元指導の会に参加される方が、活元運動が思うように出ず、だんだん興味が薄れ、来なくなる人が多くいる。その方たちの為に八木君のこれまでの歩みは大変貴重だから、体験談を書いて欲しい」と言われました。それで、とても恐縮なんですが、私の体験談が一人でも多くの方の参考になることを願いペンをとることにしました。
私の活元運動が大きく出た(本物らしくなった)のはここ1〜2ヶ月位のことです。だけど、ここに到達するまでには永く長い道のりがありました。

 私が野口整体を知ったのは、今から16年をさかのぼる程昔(24歳、1988年)で、『超能力健康法』(川津佑介著 当時のベストセラー)という本を読んだのが出会いです。元々東洋医学とか民間療法に興味をもったり、スピリチュアルなものを求めたりしていたので出会ったのでしょう。その本に紹介されている整体協会というものに底知れぬ興味をいだきました。その時代は今のように野口先生の本は書店になく、「整体」という言葉も世の中に浸透していなかった。周りの人に聞いても知らない人ばかりで、まずは整体協会本部に問い合わせ、野口先生の本を数冊取り寄せ、むさぼるように読んだ。書いてある内容の衝撃は私の常識を覆すものでした。

 独学でやってみたりしましたが、活元運動らしきものは出ませんでした。それから程なく近くの整体道場(当時は兵庫県の実家に住んでいた)の活元会に行ってみました。女性ばかり30名位の参加で、ツツミ先生だったかどうか確かな記憶ではないのですが、その先生の指導で会が行われました。活元運動の説明と三つの準備運動をやり運動に入る。女性達はバタバタと動いていましたが、私は全然動きません。先生に誘導もされましたがダメでした。全然ついていけなく活元会はこれ一回で行かなくなりました。
 それからずっと独学で活元運動をやっていましたがうまくいきませんでした。何年か後に東京で暮らす(28歳、1992年4月から)ようになるのだが、もう暫くは活元運動のことを忘れていました。
今の会社には、1996年(32歳)の7月に入社。1998年9月には一度役職に任じられました(2000年5月には役職を下ろされることになるのですが…)。

 仕事の責任の重さにストレスを感じたり、又長時間労働で健康を損なうことに不安を感じたり。そのような理由で、野口整体を思い出し、実家にある野口先生の本を配送してもらった。上京してからこの時まで野口整体のことはすっかり忘れていました。また本を読み返し、もう一度独りで活元運動をやったりしたが、やっぱりうまくくいきませんでした。
 風邪をひいたり、体の調子が悪い時や、仕事上で辛いことや人間関係で嫌なことがあるたびに、野口先生の本を読み返しては、この教えをマスターしたい、ぜひ活元運動が出るようになりたいなと思っていました。
ふとある時「ここは東京なのだから整体協会の本部が近くにあるじゃない!」と思いタウンページを見てみると、協会本部で活元会が開催されていることが載っていた。すぐ行く事にしました(35歳、1999年7月)。

 本部の活元会は、行かれた経験のある方はご存知だと思いますが、初心の方からベテランの方まで百名をくだらない人たちが参加される。野口裕介先生が指導されるのですが、特徴としてベテランの方4名がモデルとなって三つの準備運動をやり活元運動を披露する。かなりダイナミックな動きである。皆さんに注目されているにもかかわらず、さすがはベテランの方だ。この後休憩をはさみ、全員で準備運動をやり運動にはいる。場内にはクラッシック音楽がながされ、皆さんかなり激しくバタバタ動きが出る。私は動きが出ず薄目で周りの様子を常に見ておりました。誘導されたりもしましたが、動きは出ません。相互運動もいろんなバリエーション(二人とも立った状態)でやったりと。2ヶ月に一度のペースで2年半程行ってみました。愉気の会というのもあり、行ったりしていました。だけど、愉気というのも良くわからないし、相変わらず運動は出ない。運動が出ないものだから出ているふりをしていました。わざと体を動かしていました。また本部だけでなく、近所の整体指導室の活元会にも出ていました。ここでも何も出ず結局行かなくなってしまった(2002年2月)。

 野口整体をあきらめ、活元運動に見切りをつけ、自分には合わないと離れていった半年程経った8月のことです。私は趣味でスキューバダイビングをやっておりまして、その時まで60回以上潜った経験があるのですが、今まで何もなかったのに、潜った直後のお風呂で首から下全身が痺れて立てなくなった。風呂場から脱衣所まで這って行き、なんとか下着だけは力をふりしぼって着たが、脱衣所で倒れこんだままいました。暫くして発見者が騒ぎだし、いつの間にか救急隊が来ていて、救急車で病院に担ぎこまれました。病院についた頃には、痺れはひいていましたが…。無理な潜水はしていないし、安全な計画で潜っていたのに原因は良くわからない。その後二つの大学病院に行き、MRIという神経まで写すレントゲンをとり、あわせて四人の先生(脳外科、脊髄科)に診て貰いました。その内三人の先生は「大丈夫ダイビングをやってもOK」と、「たしかに頚椎5〜7番に若干の変形が診られるが、年齢(38歳)的にみて百人いたら半数以上はこうなってくるごくごく平均的なものだ」と。あとの一人の先生は「ダイビングはやめたほうがいい、変形がどんどん進み、普段でも痺れが出て、手術をしないといけなくなる。半年後に又検診に来なさい」とのこと。だけど今はあれから一年半になるが痺れは全然無い。さすがにダイビングは怖くて潜っていないのですが。

 話を元にもどして、イマイチしっくりいかない病院の見解だったので、又久しぶり(2002年12月)に整体協会の活元会に出てこの事を質問してみた。すると「両手を見せてみなさい」と、「薬指と頚椎5〜7番は関係があるのだが、見た所、問題ない。ダイビングやってもいいよ。だけど心臓が不調になったりしないよね、なるようならやめたほうが良い」と。さらに「頭の第三が心臓に関係がある」とお話しされましたが…。やはりこの時も活元運動は出ませんでした。
 結局ダイビングもやらなくなり、野口整体も興味がわかなくなり、「自分には活元運動は合わないんだ」と判断し、野口先生の本も処分しようかなと思っていた頃(2003年1月)。ふとなんとなくインターネットで整体とか活元運動とか検索してみると出るわ出るわホームページがさくさくと。そしてこの会、「野口整体 気・自然健康保持会」にひっかかった。なかでも「活元運動が出るまで」という体験談(この文章のタイトルと同じ!)がよかった。やはりそう簡単には出来ないものだとわかった。メールを入れて予約し、この会の活元会に出ることにした。それが丁度今から一年前(2003年2月9日)のことです。

 今回参加する時に思ったことは、「決して動かないぞ、協会本部の時みたいにわざと動かないぞ」と。思い返せば、「自分だけ運動が出ない」というのは、置いてきぼりをくったような、そして「動いているふり」をしていたのは惨めだったからです。協会の時と同じく準備運動がはじまったが、協会やその他今までの活元会と違って懇切丁寧である。準備運動もピンポイントで詳しく教えてくれる。今迄の私のやってきたことがいかに横着だったかがわかった。協会本部は人数が多いので十羽一絡げで教えざるをえない。その他の活元会は初心の人を無視しているようだ。今思ったことだが…。整体協会という所は原則として会員になるには紹介者が必要で、その紹介者が初心の人の世話役みたいなもので、内容を十分に理解し受け入れられた人のみが入会できるというスタンスできている。まだまだオープンな感じが見受けられない。
しかしこちらの会は違っていました。初心者にも手を差し伸べてくれる。活元運動がはじまったが、し〜んとしている。「なんと静かな活元会だな〜」。
 暫くして頭に愉気をされ誘導される。「動くものか動いてなるものか〜」。
だがしかし頭に愉気されたとき、お酒に酔ったような感覚にとらわれる。そして背中に愉気されたときに、一瞬意識から外れた動きが出た。
 「何じゃこりゃ?」数十秒間間違いなく動いた。「これが世に言う活元運動か?!」。本当に満足でした。「今までと違って愉気の深さが違うのかな?」、また「準備運動の一つ一つをキチッと教わることで出やすくなったのか」と思った。

 それからまた行くことにしましたが、今度は初回の時みたいにはうまくいかない。
 「なぜなんだ!?」
 徳田さんから「頭がぽかんとしていない」と言われた。
三回目、四回目と参加してみたのですが、やはり初回の時みたいには動きがおきませんでした。
それは今思うと仕事上のストレスがたまるようになったからだと思う。初回の後あたりから、会社では久々に役職を任されるようになり、責任が重くなっていたのです。思うようにいかないことが多く、苦労をしていました。その結果、頭がぽかんとしないーーと後にわかるのですが…。
 そこで、この際ここまで来たのだからなんでもやろうと思い、熱海の金井先生の個人指導を受けるようになった。今から十ヶ月くらい前(2003年4月14日)のことです。

 金井先生より「頭がガチガチだ。八木君これじゃ運動でないよ〜」と言われた。また、「子供の頃の親の育てかたが背骨に表れている。今の職場での人間関係のこととか」、私の体癖に対し「八木君は、きっちりしたことが嫌いだとか、嫌なことを嫌だと言えない状態が背骨に表れている」と。
私の両親は教育熱心で、顔を合わせるたびに「勉強しろ勉強しろ」と押しつけたり、好きなスポーツをしたいと言うと、「それは危険だ」とさせてくれなかったり、マンガや音楽にも全く理解がありませんでした(少年時代の私の興味ーーマンガ、少年野球、空手、音楽)。
 ダイビングのとき痺れたことの原因を聞いたら、「嫌なこと腹の立つことをずっとずっと体に貯め、発散せずに我慢していた。そのエネルギーが何かの拍子で爆発したのでは」とのこと。「日常生活での嫌なことが体に表れている。ここに張りがあり思うようにいかないことがあったな」と一つ一つ体をメンテナンスしてもらった。確かに私は、思うようにいかない緊張感があったときに、お酒をグビグビ飲んでは、そのままバタンと寝る、という生活が永く続いていたのです。このことは指導の二回目だったか、私の方からお酒の話をしたわけではないのですが、先生が体をご覧になり、酒の悪い飲み方として指摘を受けました。この時以来お酒の飲み方を大きく改めました。

 個人指導の回数を重ねていくと体が敏感になっていく。私は肩こり腰痛、頭痛をいっさい感じない人でしたが、だんだん感じるようになり、不安があると背中に張りを感じる、嫌なことがあると肩がこる、気になることがあると頭痛がする、焦ると腰が痛くなる。そんなふうに敏感になる中で、去年の10月ぐらいから体が動きたがっているのを感じていました。反面、まだ活元運動は思うように出ないものの、身体の弛みがだいぶ良くなってきていました。

 そして去年の暮れ、運命の日(12月27日)が来ました。その年最後の活元会の時、なぜか気持ちが落ち着いていた。誘導された時にパアンとはじけた!畳四畳くらいの広さを時計と反対周りに回った。動いちゃった。そしてその次に参加した、年明けの活元会(1月31日)の時はさらに輪をかけた様に運動が出ました。その時は捻る準備運動の時には、もう出そうな感じがして…。誘導されると「ありゃりゃりゃ〜」。周りの人にぶつかったら「御免なさい、騒がしいでしょう、でも動いちゃうんですよ〜」。
やりました。ついに動いた。

 動いた理由の一つ、頭をぽかんとするコツをつかんだような。ぽかんとは何ぞやーーこれが以前からのテーマでありました。「何も考えないこと」とよく言われるが、それが少しわかったような…。
 近所の指導室に行ったときのこと、その先生のお話で、昔ある方が野口先生に「整体協会はなぜ圧倒的に女性が多いのでしょう?」と質問されたとのこと。その時、野口先生は「それは私が男だからだよ」とおっしゃったそうだが、さらにその先生は加えて「活元運動は女性の方が受け入れやすい。男性は理屈っぽいから素直でない」と私におっしゃっていたのを思い出し、その辺にヒントが隠されているような気がした。男性は常に冷静沈着でないといけない。感情をあらわにできない。冷た目で物事をみる。だから女性は感情的?と、とられちゃいそうでなんか叱られそうですが、もっと掘り下げると子供がそうである。子供は嫌なことがあると泣きわめき、ストレスを貯めない。いつも楽しい状態でいるわけです。私が頭に愉気され、お酒に酔った感じになる時ってなぜか顔がニヤケている。頭が弛むのは脳が楽しい状態の時である。ストレスを貯めているとぽかんとしません。脳が楽しくないのです。苦しい時に飲む酒は、まずく悪酔いをするが、嬉しい時に飲む酒は少量でも心地よい酔いだ。そうだぽかんは、「喜び」そのものなのか?あるいは「希望」?子供は、いつもはしゃいでいる。今度お父さんと遊園地へ行くんだと希望をもっている。いつも愉快なのです。これが「天心」なのか?しかし大人ははしゃげない。いつも論理的、こいつをすてればよいのでしょう。う〜んなんと私は理屈っぽいのだろうか!

 今年2月の活元会の時に、以前から私を知る人から「八木さんは前と全然感じがちがうんですよ。なんか肩の力が抜けて明るい感じになった。前は背中がまるまっていたみたい」、また別の人からも「男の顔になっている、男らしくなっている」と言われた。私は、べつに変り映えがないけど、毎日鏡を見ているから変化に気づかない。妻も職場の人も毎日見ているから気が付かない。そういわれるとまてよ、毎日がなんか楽しい。気持ちが落ち着いている。気持ちが下に下にくるような、重心が下りて腰の存在がズッシリと感じられる。以前は、仕事や物事に取り組む時、いつも一杯一杯でマンションの十階に住んでてベランダから下を覗くような、ビクビクオドオドした感じだった。今だと三階四階に住んでるような。物のたとえですけど。あとそういった気持ちのせいか、以前のようにお酒をグビグビ飲まなくなった。とにかく腰が決まって落ち着いてきたかな、という今日この頃です。

 活元運動はどなたでもいずれは出ます。だけど現代人は体が脳がストレスで固まっている。緊張状態になっているので、なかなか運動が出ないものです。個人差はありますが、そういう方は金井先生の個人指導を受けられることをお薦めいたします。その方がより活元運動が出やすくなります。諦めないで続けて欲しい。この会は、情熱をもてば必ずやそれに答えてくれます。私はかなり遠回りしましたが、初心者でもちゃんと導いてくれます。どうか諦めないで続けてみてください。
合掌。

(2004年2月28日)