Be日記(1997年4月〜6月)


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Index

  • メール送信(4/4)
  • ファン交換(5/11)
  • データベース復旧できず(5/23)
  • データベース復旧できず:顛末記(5/24)
  • 続ファン交換(5/25)
  • AAPRが来た(5/30)
  • AAPRをインストールした(6/1)
  • AAPRでppp(6/3)
  • 続AAPRでppp(6/11)

  • 1997年4月4日(金)
    なかなかメールの送信が出来なかったのだが、やっとできるようになった。
    Networkでhostnameを設定していなかったため、SMTPで送ることができなかった
    ためのようだ。(RFC821参照)
    そう言えば以前いい加減なhostnameを付けていた時にはエラーメールに
    なっていたっけ。
    現在はDNSサーバと同じasahi-net.or.jpを使っている。PPPのログを見ると、
    SMTPサーバ側で
    PPPxxx.asahi-net.or.jp
    に置き換えられているようだ。
    蜜蜂と蝶々を使い始める。Be-Projectの方々に感謝。


    1997年5月11日(日)
    以前から音が大きくて気になっていた吸気用ファンを交換した。
    購入時に付いていたのはDC12V 0.2Aの60mm角の物だったが、これをDC12V 0.08Aの物に変更した。
    吸気用のファンの音は小さくなったのだが、今度は電源のファンが気になってきた。とはいえ、これより静かなのを探すのは大変そうなのであきらめる。
    風量が弱くなったので真夏が心配ではあるが、66MHz機にはヒートシンクがなかったそうなのでなんとかなるだろう。もともと直接風が当たっていた訳でもないし。
    後日談:実はこのファンは伊達や酔狂で付いていた訳ではなくしっかり役にたっていたのである。
    それをはずしたので データベースを破壊してしまった。


    1997年5月23日(金)
    システムのデータベース上のデータに問題があるのか、起動しなくなってしまった。データベースのReindexingにハングアップしてしまうのだ。
    起動時にデータを消去させれば起動できると思うのだが、3000通近いメールも消えてしまうとなると簡単には消せない。まあほとんどはバックアップがあるからいいのだが。
    データベースのバックアップ手段がないと聞いてから暇をみてBDatabaseクラスの使い方を調べていたところだっただけに、まさにマーフィーの法則。
    ファンのグレードダウンもこの原因の一つだと思う。真夏を待たずにコケてしまったのは意外だった。
    AAPRではデータベースは廃止になるそうなので、失われつつある手段にしがみつくべきではないのかもしれない。


    1997年5月24日(土)
    結局どうしたのか、であるが、潔くデータベースを消去してしまった。
    バックアップをとっていなかったメールもあり、残念ではあるが、無理に復旧させようとすればもっとはまるだろうし、時間も惜しかったからだ。

    おかげで起動が早くなった。
    クラッシュ直前では起動に3分くらいかかるのは当たり前だったし、メールの検索も該当する物が多ければ多いほど時間がかかった。
    現在では1分くらいで済むのだ。メールのバックアップツールを早いとこ作ってどんどん削除するようにしよう。

    3000件程度のデータでレスポンスに大きな違いがでるようなデータベースならいらない。Beのよいところの1つはレスポンスの早さなのだから。


    1997年5月25日(日)
    IC FANのDC12V 0.2Aの60mm角の物に交換した。BeBoxに付けていない時は最初の物より若干静かだったが、つけるとやっぱりうるさい。
    いったんはずして、今度はスペーサを付けないで固定してみた。
    なんと驚くほど静かになったではないか!
    感覚的には電源のファンと同じくらいの音である。

    どうやら長いISAやPCIのカードを差す時の支えになる桁がファンの直後にあり、それの風切り音が大きかったらしい。
    しかし、今どき全長40cm程のカードなんてお目にかかるのも難しい。さらに、PCIの延長上にはヒートシンクの載ったPowerPC603e 133MHzが2つ鎮座しているのである。
    こんなもん、まったくいらないぞと思い、どうやって切り取るかを画策中である。


    1997年5月30日(金)
    メーリングリストなどで聞いていたADVANCED ACCESSがついに来てしまった。正確にはCode Warrior for BeOS DR3と一緒に来たのである。
    さっそくインストール、といきたかったが、DR8を消去しないで、となるとハードディスクの空がない。明日にでも買ってこよう。


    1997年6月1日(日)
    昨日買ってきたハードディスクを取付けインストールを行った。
    Macでも使えるようにフォーマットされているようだったが、そんなことお構いなしに初期化してDOS互換(? 表記はIntel)のパーティショニングをした。2Gを半々にして片方にインストールする。
    インタフェースではDOCが姿を消して代わりにTrackBarが現れた。Windowsのタスクバーと似た機能を持っているが、一つのアプリケーションが一つのボタンとなる部分が違う。ウィンドウの選択はそのボタンから出てくるメニューを使用する。
    他にもレスポンスがあがっているらしい。


    1997年6月3日(火)
    AAPRにネットワークの設定をする。
    まず、アップデートを施す。PPPとNetPositiveのアップデートがされるそうだ。
    DR8ベースの設定ファイルを見ながら、と思ったが見ることができない。しかたがないのでDR8.2でフロッピーをフォーマットし、設定ファイルをコピーする。そのフロッピーをAAPRでマウントして読んでみようというのである。これはうまくいった。
    /boot/system/setting/networkにDR8の物を上書きしてみたが、うまくいかない。
    restoreボタンがあるので押してみるがわからない。設定ファイルの名前を変えていじってみたら、restoreに項目があらわれた。
    どうやらバックアップするときには、ファイル名は
      network.[backup name]
    となるらしい。
    さて、PPP。実はできなかった。ダイアルコマンドがトーンになってしまい、どうしても変更ができなかった。どこにあるのだろう。


    1997年6月11日(水)
    メーリング・リストでパルス発信する方法を質問してみたら、電話番号の前にPをつけるとできると教えてもらった。
    試してみたところ、パルス発信できるようになった。しかしつながったとたん、回線が切れてしまう。
    ネットークの再起動をかけてみてもう一度と思ったが、PPPダイアログが表示されない。あきらめてリブート。
    ブート後、pingコマンドでPPPダイアログを表示させ、ダイアル開始。接続に成功、と思いきや、パソコン通信の画面が表示されてしまった。
    PPPログイン設定をManualからStandardPPPに変更して、再度挑戦。
    回線がつながり、ユーザ認証ダイアログが表示される。OKボタンを押すとPPP接続ができた。NetPositiveで一時間ばかし遊んでしまった。
    PPPはDR8.2のときよりも楽ちんだった。今度はモデムの設定ファイルを変更してちゃんとパルス発信させようと思う。


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