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日本編 | 大田南畝が見た書画 〔日本編〕 | 大田南畝関係 |
読み・名前 | 分類 | 記事・画賛等 | 形態 | 年月日 | 場所 | 出典 | 巻・頁 |
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こうぎょうだいし 興教大師 (覚鑁) | 画 観音像 | 「(鎌田村、地蔵寺吉祥院什宝)七観音絵像 興教大師御筆」 | 掛幅? | 文化6年 1809/03/04 | 鎌田村 吉祥院 〈南畝実見〉 | 調布日記 | ⑨225 |
画 不動明王 | 「辛未七月廿六日 湯島万昌山円満寺什物 興教大師御筆 不動明王御影 一幅」 | 木像 掛幅 | 文化8年 1811/07/26 | 湯島 円満寺所蔵 〈南畝実見〉 | 一話一言 巻49 | ⑮322 | |
こうげつ そうがん 江月 宗玩 | 書 七言絶句 | 「護国寺什宝 江月和尚 松花堂昭乗 両筆 呈後醍醐天皇廟 霊地留蹤太上皇 結縁仏法没商量 暗中明也正灯焔 三百年来仰徳光 十二世孫僧宗玩拝 奉和 身にかへて民をめぐみしことのはの露にぞ残る玉の光は 昭乗」 〈古筆了延の鑑定書つき〉 | 不明 | 文化8年? 1811/? | 護国寺所蔵 〈南畝実見〉 | 一話一言 巻49 | ⑮329 |
こう げんたい 高 玄岱 (深見玄岱) | 高玄岱 (別資料) | ||||||
こうこくぜんじ 香国禅師 | 書・縁起 | 「武州荏原郡六郷領羽田村玉川金生山要島弁財天祠記 (本文省略) 正徳三年歳次癸巳夏四月、住武之品川瑞龍禅師第一代嗣祖沙門香国叟書于誦帚山房授〔道蓮之印〕〔香国〕 香国禅師の書ことにうるはしく覚え侍り」 | 巻物 | 文化6年 1809/03/08 | 羽田 龍王院所蔵 〈南畝実見〉 | 調布日記 | ⑨237 |
こうさんこく 黄山谷 | 書 | 「朝に鎌倉の舎利をみし日、夕つかた薬研堀の辺よしの屋にて、山谷の墨跡一巻をみたり。うたひめお勝黒き繻子の帯して来りければ かまくらの舎利と山谷の墨跡としめておかつが黒繻子の帯」 | 巻物 | 文化12年 1815/10/03 | 薬研堀 よしの屋 | 七々集 | ②262 |
こうし 孔子像 画家不明 | 聖像 | 「聖像【四弟子侍立階下為麟】絹地にて画人の落款なし 一幅 (中略)邨上如登携来、一時収得、値価亦廉(後略)」 〈孔子と四大弟子を画いた掛幅。持参した邨上如登は長崎会所の役人。「一時収得」の意味がよく分からない〉 | 掛幅 | 文化2年 1805/03/14 | 長崎 〈南畝実見〉 | 瓊浦雑綴 | ⑧549 |
こうじゅんほうしんのう 公遵法親王 | 書・額字 | 「(府中、善明寺)内陣の額は毗尼蔵とありて准后公遵書とみゆ」 | 扁額 | 文化6年 1809/01/16 | 府中 善明寺 〈南畝実見〉 | 調布日記 | ⑨221 |
こうだいじ 皓台寺 (長崎) | 画・豹図 | 「(長崎皓台寺)客殿の書院に豹の画あり。筆勢妙なり。画人の落款なし。西鎮台にある所の牧渓の画虎に敵すべし」 〈西鎮台とは長崎奉行の西役所。そこの牧渓画の虎に匹敵するという南畝の鑑定。画家を特定できないのは残念だが、所蔵する寺の名で収録することにした〉 | 掛幅? | 文化2年 1805/03/15 | 長崎 〈南畝実見〉 | 瓊浦雑綴 | ⑧549 |
こうねん 浩然 | 書・額字 | 「(高幡不動)別当の門の額の高幡山の字は僧浩然とあり」 | 掛幅 | 文化6年 1809/02/17 | 高幡山金剛寺 〈南畝実見〉 | 調布日記 | ⑨187 |
こうぼうだいし 弘法大師 | 弘法大師 (別資料) | ||||||
こうみょうこうごう 光明皇后 | 書 金光明経 | 「辛未六月十四日虫干 護持院什宝 目録 光明皇后筆 紺紙金泥 金光明経 一巻」 | 巻物 | 文化8年 1811/06/14 | 護持院所蔵 〈南畝実見〉 | 一話一言 巻49 | ⑮317 |
こかんしれん 虎関師錬 | 書 元亨釈書 | (東福寺全山開帳) 「虎関禅師の元亨釈書は、草本のまゝにて点などを加へたり。進学解も同じ筆也」 | 草稿 | 享和2年 1802/03/22 | 東福寺 (京都) 〈南畝実見〉 | 壬戌紀行 | ⑨266 |
こけい 古渓 | 画・賛 契沖像 | (契沖の大坂円珠庵にて) 「契沖阿闍梨の像を掛物にして、前に机をすえたり。像の賛にいわく、(賛は省略。署名「花園末枝桂林古渓題」)」 | 掛幅 | 享和1年 1801/03/29 | 大坂 円珠庵 〈南畝実見〉 | 蘆の若葉 | ⑧160 |
ごこうごんいん 後光厳院 | 書・和歌 | 「(鵜の木村光明寺什宝)後光厳院宸筆 和歌」 | 不明 | 文化6年 1809/01/15 | 鵜の木村、光明寺 〈南畝実見〉 | 調布日記 | ⑨139 |
こせ の かなおか 巨勢 金岡 | 画・仏像 | 「辛未六月十四日虫干 護持院什宝 目録 巨勢金岡筆 絹地 薬師十二神 日光月光二菩薩 立 一幅」 | 掛幅 | 文化8年 1811/06/14 | 護持院所蔵 〈南畝実見〉 | 一話一言 巻49 | ⑮316 |
画・仏像 | 「辛未七月廿六日 湯島万昌山円満寺什物 金岡筆 十六善神 一幅」 | 木像 掛幅 | 文化8年 1811/07/26 | 湯島 円満寺所蔵 〈南畝実見〉 | 一話一言 巻49 | ⑮322 | |
ごこまついん 後小松院 | 書・和歌 | (大坂、今宮夷社、神主・津の江越後宅にて) 「後小松院宸翰百首和歌題一帖」 | 折本 | 享和1年 1801/09/15 | 大坂 今宮夷社 〈南畝実見〉 | 蘆の若葉 | ⑧244 |
ごならいん 後奈良院 | 書・額字 | 「(海中の大鳥居)表の額は厳島大明神、後奈良院の宸筆、裏の額は伊都岐島大明神、同じ筆なるべし」 | 扁額 | 文化2年 1805/10/22 | 安芸・厳島神社 〈南畝実見〉 | 小春紀行 | ⑨42 |
このえ のぶただ 近衛 信尹 | 画 天神像 | 「辛未七月廿六日 湯島万昌山円満寺什物 近衛殿御筆 渡唐天神影 一幅 近衛殿御筆 天神御影【上ニ御歌アレドモワカラズ】 一幅」 | 掛幅 | 文化8年 1811/07/26 | 湯島 円満寺所蔵 〈南畝実見〉 | 一話一言 巻49 | ⑮323 |
このえ りゅうざん 近衛 龍山(前久) | 書・和歌 | 「(青木氏所蔵書画目) 近衛殿 横幅 中タケヤマチ 龍山 元日 民の戸もゆたかなるべき秋ぞとや けふたつ春の雨のうるほひ けふに明ていそぐや花の春の雨 三日 たが春といはねのつらゝけさの雪 七日 けぬかうへに深雪ふるのゝをち近や もとめかねぬるわかななるらし きくまつめ雪のふる葉のはつわかな | 掛幅 | 文化5年 1808/05/07 | 小石川 両御番 青木久右衛門 〈南畝実見〉 | 一話一言 巻29 | ⑭134 |
ごみずのおてんのう 後水尾天皇 | 書・賛 | 「根津社三福対 中 神農 御水尾院勅賛 有真人者、従挈天地、把握陰陽、呼吸精気、独立守神、肌肉若一 (他に大明院宮の「岐伯」賛、崇保院の「黄帝」賛) 右憲廟御座之間ノ御掛幅也。今在根津権現社別当」 | 掛幅 | 寛政10年頃 1798/? | 根津神社所蔵 | 一話一言 巻22 | ⑬333 |
書・和歌 | (青木氏所蔵書画目)「三和歌一幅」 春をへて花をしみればと計のうきなくさめの身そふりにける 鑒定家云後水尾院歟 天漢うきつの濤に牽牛のつまむかへふねいまや待らし 東福門院歟 右 紀貫之 桜ちるこのしたかぜはさむからで空にしれぬ雪ぞ降ける 後光明院歟 | 掛幅 | 文化5年 1808/05/07 | 小石川 両御番 青木久右衛門 〈南畝実見〉 | 一話一言 巻29 | ⑭131 | |
書・和歌 | 「辛未六月十四日虫干 護持院什宝 目録 後水尾院菊御歌 横 一幅 ちりうせぬ此ことの葉の種となる花もいく世の秋のしらぎく」 | 掛幅 | 文化8年 1811/06/14 | 護持院所蔵 〈南畝実見〉 | 一話一言 巻49 | ⑮315 | |
こぼり えんしゅう 小堀 遠州 | 書・書状 | 「(瀬田村名主四郎衛門 長崎氏 所蔵書目) 小堀遠州書状 横軸」 返々明晩之儀不及御断候。入御念預示忝存候。已上 (本文省略。卯月十三日付、中市正様宛) | 掛幅 | 文化6年 1809/03/21 | 瀬田村名主 長崎四郎衛門 〈南畝実見〉 | 向岡閑話 | ⑨496 |
書・外題 | 「護国寺什宝 夕ぎり 本阿弥光悦筆 小堀遠州外題」 | 不明 | 文化8年? 1811/? | 護国寺所蔵 〈南畝実見〉 | 一話一言 巻49 | ⑮329 | |
ごりゅう 有山 五琉 | 画 | 「(関戸村)名主源左衛門、絵をかきて法眼五琉【欄外、源休郭号良岡斎】といふ。六十三歳筆といへる掛物の絵、屛風の画など見し也【当巳年六十四歳也】」 | 掛幅 屛風 | 文化6年 1809/01/06 | 関戸村名主 有山源左衛門 | 玉川披砂 | ⑨411 |
画 玉川勝景 | 「題玉水勝蹟図首 文化戊辰冬、官命治敢闘諸水(中略)関戸里正有山五琉者故関吏之孫也、善画、乃使絵玉川勝蹟図、以蔵于家、而覃所経歴者、羽村以下而未窮其源也、姑按図記、以寓遙想之意、云爾、文化七年庚午上巳後二日 南畝太(ママ)田覃」 | 不明 | 文化6年 1809/03/05 | 南畝家蔵 | 調布日記 | ⑨270 | |
記 | 「小山田の関の記 (中略)法眼五琉子はやくよりうつしゑをたくみにして、みやこに上り、大江戸にもゆきかよひて、こゝらの人のしれるものから、此あたりの床にかけものとし【はたふすま地の引手あまたもとめこふ人多かり。ことし】玉川の堤のそこなはれたるをすりくはふべき仰ごとうけ給はりて、此川のほとりにさまよふものから、玉川のほとり末遠きながめをうつし絵にものして家づとゝなさばやと思ひ、五琉子にこひしかば、とみに筆を染て一巻となしておくれり。その絵のたくみなるはさらにもいはじ。その心のまめやかなるをよろこぶあまりに、小山田の関んお記つりりて、これにむくふ事しかり むさし野のひろきめぐみに民草の戸ざしわすれし小山田の関」 | 不明 | 文化6年 1809/03/05 | 南畝家蔵 | 調布日記 | ⑨274 |
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