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日本編 | 大田南畝が見た書画 〔日本編〕 | 大田南畝関係 |
読み・名前 | 分類 | 記事・画賛等 | 形態 | 年月日 | 場所 | 出典 | 巻・頁 |
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いしざき ゆうし 石崎 融思 | 画・山水 | 「石崎融思が山水を画けるに題す (南畝詩) 風帆帰去入冥々 廻合江天列水屏 樹背寒鴉千万点 波心落日一孤亭」 〈石崎融思は唐絵目利。南畝は入手した馬渡高雲の「達磨図」を鑑定してもらったり、清の惲寿平のことや、入荷した仇英画が偽物であることなどを聞いている。(『瓊浦雑綴』文化2年5月23日⑧585)(『瓊浦又綴』文化2年6月27日 ⑧608)長崎後も年始状を交わすなどの交流は続いている〉 | 不明 | 文化2年 1805/06/ | 長崎 〈南畝実見〉 | 南畝集15 漢詩番号2730 | ④400 |
画・梅 | 「崎陽の石崎融思の画梅を贈るに酬ゆ (南畝詩) 三元風色絶紛華 日観峰西隠士家 未折一枝労駅使 揮毫扇地梅画」 〈扇面に梅の絵が長崎から贈られてきたのである〉 | 扇面 | 文化15年 1818/04/ | 江戸 〈南畝入手〉 | 南畝集20 漢詩番号4364 | ④451 | |
いじんず 夷人図 画家名不明 | 画 夷人図 | 「曲靖府属夷人図一帖 図アリ、乙巳閏八月十九日、自会所購得、蔵于家 按、文献通考曰、自曲州靖州西南、昆州・曲軛・晋寧・喩献・安寧、隔竜和城、謂之東爨烏蛮土。多駿馬犀象明珠云々【淵鑑類函二百三十二苗ノ次ニアリ】」 | 折本 | 文化2年 1805閏08/ | 長崎 〈南畝入手〉 | 瓊浦雑綴 | ⑧642 |
いけの たいが 池 大雅 | 不明 | (旧杉本茂十郎宅を修復した料理茶屋「恵比寿庵」の所蔵品) 「七福神の間 西湖図に楼門、恵比須庵殿額有。恵比須、大雅堂大掛物」 | 掛幅 | 文政2年 1819/10/ | 恵比須庵 | 半日閑話 次5 | ⑱204 |
いしかわ じょうざん 石川 丈山 | 石川丈山 (別資料) | ||||||
いっきゅう そうじゅん 一休 宗純 | 一休宗純 (別資料) | ||||||
いっけい 一渓 | 書 一行物 | (「五松館筆語抄」より) 「十月十二日 二条御城番杉浦出雲守殿へ御茶宗悦一人被召候。 江戸表より御数奇や巧者のよし 一渓一行物 万年松」 〈記事の配列から寛保3年と思われるが判然としない。久田宗悦を召し、二条城で茶会。床の間の一行物、この一渓は室町時代の大徳寺僧・一渓宗統か〉 | 不明 | 寛保3年? 1743/10/12? | 不明 | 一話一言 補遺参考編1 | ⑯14 |
書 | 「青楼江戸町二丁目名主西村佐兵衛所蔵 三月十二日一見 初祖菩提達磨大師 一休書 印二ツアリ 一幅」 | 掛幅 | 文化14年 1817/03/12 | 西村佐兵衛蔵 〈南畝実見〉 | 丁丑掌記 | 別57 | |
いっちょう はなぶさ 英 一蝶 | 画 釣瓶に燕 | 「掛物 壱幅 釣瓶に燕の画 一蝶筆」 〈南畝の実見ではなく、将軍御成のため事前見分を行った報告の写し〉 | 掛幅 | 寛政5年 1793/03/19 | 尾州外山屋敷 和田戸明神神主宅 | 半日閑話 巻3 | ⑪104 |
画・朝顔 | 「(深川四軒町寺町鯉屋所蔵書画)立軸 紙地 一蝶画 翁賛 朝顔にわれは食くふおとこ哉 はせを」 | 掛幅 | 文化9年 1812/11/16 | 深川 鯉屋 杉風の子孫 〈南畝実見〉 | 一話一言 補遺参考篇1 | ⑯84 | |
画 飛獅子 | (旧杉本茂十郎宅を修復した料理茶屋「恵比須庵」所蔵) 「松竹梅の間 十畳 床掛幅、一蝶、飛獅子」 | 掛幅 | 文政2年 1819/10/ | 恵比須庵 | 半日閑話 次5 | ⑱204 | |
いとう じんさい 伊藤 仁斎 | 書 | 「論堯舜既没邪説暴行又作 戊辰仲秋十五日伊藤維楨謹識 伊藤仁斎手書稿本 己巳閏正月驚蟄前一日」 〈戊辰は元禄元年(1688)、己巳閏正月は元禄二年〉 | 稿本 | 文化9年 1812/ | 不明 | 一話一言 巻37 | ⑭438 |
書・和歌 | 「丁丑正月十二日、高田藩 榊原侯 久城与左衛門より曾祖父所持の遺物、 伊藤仁斎先生の短冊二葉の内一葉を贈らる 冬月 霜氷る袖の月影さ夜更てねらねぬ床をはらふ松かせ 維禎 家にのこせし一葉は 豊田氏のあるし秋の頃東の方へ下られ侍しに霜月の頃は かなず帰らんといひ侍しに 秋風に宮古を出て帰るさは雪に鳴海のうらや越らぬ 維禎先生、今一葉此歌候へとも、是は名前有之、景阜君御秘蔵故残置候 右、久城より申来、景阜君は仁斎の門人のよし」 | 短冊 | 文化14年 1817/01/12 | 久城氏蔵 〈南畝収得〉 | 丁丑掌記 | 別8 | |
いとう とうがい 伊藤 東涯 | 書・孟子 | 「義 亜聖公曰、人皆有所不為、達之於其所為義也 又曰、羞悪之心、 義之端也、此義字之正訓也、学者得佩服焉 享保十八年秋日 東涯生書 右者道牙人携来」 〈亜聖公は孟子。道牙人は仲買人。南畝は購入していないようだ〉 | 不明 | 文化2年 1805/06/ | 長崎 〈南畝実見〉 | 瓊浦又綴 | ⑧600 |
いわくら ともかず 岩倉 具選 | 書・題字 | 「(大坂、大応寺の「棲巌山」「大応寺」)山号寺号この二ツの額は、岩倉具選卿書にして(云々)」 | 扁額 | 享和1年 1801/04/17 | 大坂 大応寺 〈南畝実見〉 | 蘆の若葉 | ⑧186 |
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