Top浮世絵文献資料館日本編
日本編 【い】大田南畝が見た書画 〔日本編〕大田南畝関係
【石川 丈山】(いしかわ じょうざん)※◯は欠字、◎は表示不能文字
分類記事・画賛等形態年月日場所出典巻・頁
書・和歌(青木氏所蔵書画目)
「石川丈山和歌「加茂河をかぎりて都のかたへいづまじきとてよみ侍りける

 わたらじな瀬見の小河の浅くとも老の波そふ影もはづかし
 藪里痩男〔「六六山洞凹凸窩夫」印〕」
横幅文化5年
1808/05/07
小石川 両御番
青木久右衛門

〈南畝実見〉
一話一言 巻29⑭127
(青木氏所蔵書画目)
「敬 一身之主宰万事之根本也 敬之敬之日監在茲 凹道人〔「頑仙子」「詩仙堂」印〕」
横幅⑭128
書・書巻(青木氏所蔵書画目)
「て道具はぐそく かぶと馬にて御座候 乍得示教 仍其内之武具の見付候御かぶと(後略)」
不明⑭128
(青木氏所蔵書画目)
「元人画巻 丈山書
 三画 山水 武塘盛懋写【覃按、書画人名録云 元盛懋字子昭嘉興花卉翎毛】
 伯牙鞁琴 文 岳陽楼 少陵詩 登華山 揚廉夫詩
 右三件六々山人書」
画巻⑭136
青木家が石川丈山の書を多く所蔵するのは、寛文年間、先祖の青木遠江守が京都の禁裏附勤務のとき、深い交わりを結んだためとされる
〈『一話一言』巻28・⑭58・文化5年(1808/05/07)記事〉
Top日本編日本編 【い】大田南畝関係