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交遊編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔交遊編〕大田南畝関係
(大田南畝、あるいは大田直次郎として交遊のあった人)
【う】※◯は欠字、◎は表示不能文字
交遊詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
うあんし
雨安之
「七夕、公修・叔成・周夫・温之・井伯秀・雨安之と同じく竜隠庵に集ふ。声字を得たり
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集2
漢詩番号0211
③74安永2年
1773/07/07
うえき
植木
「聞九月九日、浪華の植木氏、馬青洋と同じく高きに登ると聞く【青洋の竹杖に題す
 策杖登何処 河陽飯顆山 黄花与香蕈 盈把果然還」
南畝集14
漢詩番号2544
④341文化1年
1804/10/
うえき ぎょくがい
植木 玉厓
「植木生の科に登るを賀す 崑山片玉佳林枝 正見春闈放榜時 除却浮名兼傲気 潜心万巻有余師」
〈半可山人・通称八三郎・別号鑾峰〉
南畝集16
漢詩番号2913
⑤24文化3年
1806/07/
「初夏、久志本 定(二字欠)・鈴木 恭 白藤・山内 誼 子直・小野(三字欠)・植木(三字欠)・雪仙師と同じく鱸 文 猶人の椿亭に集ふ
 百花時節等閑過 又見薫風首夏和 紅意委塵漂潦水 緑情含雨暗庭柯 牛門一社猶無恙 驥志千秋豈有佗
 是籃輿扶酔去 激談将尽酒如河」
〈玉厓とみた〉
南畝集19
漢詩番号4267
⑤420文化14年
1817/04/
「秋日、鈴 恭 白藤・鱸 文 猶人・野(三字欠)・植(三字欠)と同じく山 正誼 に集ふ。青字を得たり
 城西何処去敲扃 先見松門入眼青 勧酔少年芙我老 知音旧侶許誰聴 将開野菊霜侵径 半落山茶雪満庭
 今日本期文字飲 豈図酒乱見娉婷」
〈娉婷とは美人のこと〉
南畝集20
漢詩番号4314
⑤437文化14年
1817/09/
「至後二日、諸子と同じく植木(三字欠)の碧梧書屋に集ふ
 日喧霜薄似春初 曳杖遥尋騎士閭 至後風煙添二線 忙中閑暇卜三余 豪談有客非因酒 彦会無人不解書 簷外梧桐懸短景 留連垂晩未回車」
南畝集20
漢詩番号4319
⑤438文化14年
1817/11/17
「夏日、鈴 恭 白藤・植 巽 玉厓・鈴 文 椿亭・山 正誼 松門・雪山師過りて、酒を携へて顧みらる
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」
南畝集20
漢詩番号4468
⑤482文政2年
1819閏4/01
うえき
植木
「己巳中秋、大草 公弼 篤夫・花禅翁 万彦・鈴木 恭 士敬・犬冢 遜 印南・井上 玖 子瓊・鈴木 文 猶人・中邨 亮 子寅・植木(三字欠)諸子と同じく建部君の朝白園に集ふ (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)」〈玉厓か〉南畝集17
漢詩番号3257
⑤129文化6年
1809/08/15
うえき こうび
植木 公微
「植木 彖 公微の寄せらるるに和答す
 倣吏何曾一事宜 寸衷無復半人知 十年不調超遷後 千里当期少壮時 君輩雄飛豈雌伏 吾生歴落笑嶔崎
 偶逢琴瑟更張世 流徴欲雑下指遅」
南畝集16
漢詩番号2967
⑤41文化3年
1806/10/
うえだ しょうぞう
上田 正蔵(周防)
「周防大道の里正上田氏の娘、金風、書画を善くすと聞き、贈るに一絶を以てす
 周南女史字金風 書画芳名自不空 左嶺巌淵皆秀淑 鍾神彤管彩雲中」
南畝集18
漢詩番号3522
⑤210
文化8年
1811/06/
うえだ あきなり
上田 秋成
 上田秋成 (別資料)
うかく
羽客道人
「春雪。羽客道人至つて元旦の詩を示す。其の韻を和す 雪裏飄々羽客来 翩如孤鶴掠寒梅 吾家自有治聾酒 将代屠蘇勧一盃 【道人、耳聾す。故に云ふ】」南畝集19
漢詩番号4247
⑤414文化14年
1817/01/
うせき
烏石山人
「余、烏石山人の名を聞くこと久し。耆山師及び河子昌・竹岡子を見るに及んで、益々山人の山人為るに熟して、其の瀟灑抜俗の標を想見す。今歳、山人甫めて八十。四方の士、皆賀す。余も亦耆山師に因つて一詩を致し、以て華封の祝ひに代へ、且つ敬慕の意を寓すと云ふ
 烏石山人鳥角巾 隠嚢匡坐絶風塵 胸中磊落都無俗 筆底縦横自有神 曳杖時看鳩嶺色 臨池日対鴨河浜
 寿筵分得金茎露 洛下声名遍縉紳」
〈鳩嶺は石清水八幡〉
「駿州鞠子の亭長横田氏の為に、河益之の三物を画けるに賛す (「寿星」「松」「竹」)(「杏園集」同詩)
南畝集4
漢詩番号0752
杏園集
③258
⑥177
安永8年
1779/10/
うちだ 内田「春日、内田氏の園亭に過る【練馬村に在り】
 風暖天晴白日長 青郊緩歩入幽荘 山中宰相同弘景 野外園林偶辟彊 松古閑庭含積翠 花残啼鳥弄余芳
 主人何処乗春去 稚子慇勤勧酒觴」
南畝集6
漢詩番号1093
③377天明2年
1782/03/24
うちだ 内田「春雨、内田氏の酒楼に宴す
 昌平橋北一旗亭 春雨如糸柳色青 江漢滔々南国紀 尽為樽酒満門庭」
〈神田昌平橋外の内田屋清左衛門の店か〉
南畝集18
漢詩番号3763
⑤279文化10年
1813/03/
うちだ りんろく
内田 林麓
 内田林麓 (別資料) (渡辺玄対)(辺玄対)
うちやま がてい
内山 賀邸
 内山賀邸 (別資料) (滕文卿)(勝賞楼)
うぶかた のぶひこ
生形 信彦
「生形信彦を哭す 三十年来二老翁 瓊山為客寓墻東 涙痕乍湿双行袖 不分芙蓉木末紅」南畝集15
漢詩番号2726
④398文化2年
1805ウ08/
うぶかわ ししゅん
生川 子俊
「勢州の生川子俊の「元日」の韻を和す
 神宮曙色与心清 天窟祥雲映日晴 縦有満山霊薬在 煙霞病疾奈吾生」
南畝集8
漢詩番号1629
④47寛政2年
1790/03/
うまだ しょうちょう
馬田 唱調
 馬田唱調 (別資料) (国瑞)
うらがみ ぎょくどう
浦上 玉堂
「(夏日、諸子と同じく聖福禅寺に過る)席上、玉堂翁の琴を弾ずるを聞く
 高山与流水 此地足清音 況復招提境 玉堂弾綺琴」
南畝集15
漢詩番号2688
瓊浦雑綴
④386
⑧586
文化2年
1805/05/27
うんしつ
雲室道人
「雲室道人の六十を寿す 雲室道人游戯余 曾称老画度居諸 解衣盤礴呵々笑 上寿応期覧揆初」南畝集18
漢詩番号3759
⑤278文化10年
1813/03/
「夏日、桐隠君・雲室上人と同じく舟を泛べて、松沢氏の荘を過る
 城東万戸隔三叉 一水分流戞浅沙 稚子候門芦荻裏 岸頭初見紫陽花」
南畝集18
漢詩番号3794
⑤288文化10年
1813/06/
うんたん
雲潭(鏑木?浅野)
「天民・五山・西湖・雲潭諸子、熊谷に遊び、墨渓酔態有りと聞き、戯れに一絶を賦す
 邾子怒他夷射姑 墨淡余水灑西湖 燈前滴々輪廻酒 也汚羅裙血色無」
〈邾荘公、夷射姑の小便に怒りのあまりベットから炭火に落ちて死ぬ挿話は『春秋左氏伝』定公三年〉
南畝集18
漢詩番号3929
⑤325文化11年
1814/10/
うんらくさい
雲楽斎 妹
「雲楽齋いもうとのいたみて
 いもうとをなくしたがへのつまならば人のむすばん事もいとはじ
 おもそうなしるしの石をみるにつけ力落しのお身ぞかなしき」

「雲落斎いもうと身まかりけるときゝて はかなしや十万おくさまにならんとてしもおこそ入とは」
巴人集甲辰
徳和歌後万載集
②434
①29
天明4年
1784/02/
うんりんあん
雲林庵
「雲林庵【白金の紫雲山瑞祥寺、慈光院の後に在り】
 投老紛々簿領間 逃塵半日入禅関 吏情不識雲林事 又有人生若此閑」
南畝集18
漢詩番号3754
⑤276文化10年
1813/02/
「春日、臥雲師の雲林庵に過る 其の二
 登廬許禁此遅回 香積兼貪美酒盃 怪底維摩方丈室 一双天女散花来」
【玉梅女史は画を善くし、文鳳女史は詩及び書を善くす】
南畝集18
漢詩番号3879
3880
⑤310文化11年
1814/03/
「雲林庵に玉梅文鳳二女史を見る。玉梅画を善し、文鳳詩及び書を善す【三月初吉】
 文鳳如舟月 玉梅似玉山 昨夜十軒店 見此二人顔
 〔欄外。白金瑞祥寺内に雲林庵有り、臥雲禅師の営む所なり〕」
巴人集拾遺
万紫千紅
②492
①268
Top浮世絵師総覧交遊編大田南畝関係