詞書・詩歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 |
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「中秋の前夜、児玉・篠本子廉と同じく堀口幽谷の待清居に集ふ 明宵縦有中秋宴 如此同盟不可尋」 | 南畝集9 漢詩番号1866 | ④131 | 寛政5年 1793/08/14 |
「同前(七月既望)。空々子・竹堂主人舟を泛ぶと聞く。因りて此の寄せ有り 「今年享和二年壬戊にあたれり。予、井上子瓊、鈴木 文 猶人、書肆楽地堂、男 俶 子載とゝもに柳堤より舟を泛て墨田川にいたりて詩を賦せり。児玉 慎 空々、篠本 廉 竹堂も又諸子を携へて舟出せしが、三又のほとりに逍遥せしゆへ、南北のたがひにて逢はざりき。竹堂「三又に遊ぶの記」三編をつくりてくはしく事景を記せり。山上、桐原学士、鈴木 恭 白藤もをくれて至りて、予が舟に加はゝれり。十月の望にも必と約せしが、予風病にて約に違へり。篠本竹堂、鈴木白藤、鈴木猶人、山本文智、吉見 義方 伯教が輩は舟をうかべて聯句せしとぞ」 | 南畝集12 漢詩番号2157-9 杏園間筆二 | ④224 ⑩218 | 享和2年 1802/07/16 |
「竹堂手記抄録一 壬戌七月既望舟遊一行名字 篠本久次郎 廉 字子温 号竹堂」 | 零砕随筆三 続日本随筆四巻 | ④212 | |
「十四夜、空々子 児玉慎・篠 廉 竹堂を邀へて宴集す。鈴白藤・井子瓊・鱸猶人・山徳甫・吉伯教と同じく賦して揚字を得たり | 南畝集13 漢詩番号2167 | ④227 | 享和2年 1802/08/14 |
「雨夜、篠 廉 竹堂・鱸 文 猶人・山 隣 徳甫・中村 亮 文智と同じく鈴 恭 白藤の宅に集ふ。蕭韻を得たり | 南畝集13 漢詩番号2175 | ④230 | 享和2年 1802/09/ |
「十二月十九夜、篠 廉 竹堂・鈴 恭 白藤・井 玖 子瓊・鱸 文 猶人・山 隣 徳甫・村 亮 文智及び楽地生と同じく舟を墨水に泛べて月を看る。是れ蘇東坡の生日にして、三たび赤壁に遊びし時なり | 南畝集13 漢詩番号2200-02 | ④237 | 享和2年 1802/12/19 |
「太田垣氏の園に花を看る。空々子・篠廉竹堂と同じく賦す。竹堂の韻を次ぐ | 南畝集13 漢詩番号2251 | ④253 | 享和3年 1803/02/22 |
「九月十三夜、井子瓊・鱸猶人・山徳甫・五島氏及び俶子と同じく高田に遊ぶ。篠竹堂を遅(ま)つに至らず | 南畝集13 漢詩番号2341 | ④277 | 享和3年 1803/09/13 |
「同前(十月望夜)兼ねて篠 廉 竹堂に呈す 残夢一為孤鶴去 鳴過天外竹間堂」 | 南畝集14 漢詩番号2566 | ④347 | 文化1年 1804/10/15 |
「春日、篠本 廉 竹堂・鈴木 恭 白藤諸子と同じく徐 懿 徳卿の芙蓉館に集ふ。寒韻を得たり | 南畝集16 漢詩番号3026 | ⑤59 | 文化4年 1807/02/ |
「長周山栄林寺に篠 廉 竹堂先生の墓に謁す | 南畝集17 漢詩番号3280 | ⑤137 | 文化6年 1809/11/ |