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   寺社編  大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔寺社編〕    大田南畝関係
  【こ】
寺社名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
こうあんじ
高安寺 (府中)
「高安禅寺に過ぎる。寺に観音堂及び弥勒仏有り
 禅扉一委劫灰塵 旧府春光日日新 米汁可憐弥弥勒 人間偶現宰官身」
玉川余波②117文化6年
1809/01/05
こうがんじ
仰願寺 (山谷)
「普栗釣方、歌相撲をくはだてしが、七会にみてし比身まかりければ
 歌ずまふ夢のうちわをあぐるまに西の方やへ入にける哉
 そのおきつき所、さんやぼり光岸寺ときけば
 蝋燭の名にたてるその光岸寺ながれてはやき月と火の影」
〈仏前に灯す小形の蝋燭を仰願寺蝋燭と呼んだ〉
巴人集②416天明3年
1783/09/
こうきょうじ
広教寺 (大坂)
「歳暮、馬国瑞・順宜師と同じく広教寺に遊ぶ
 梵宮高侍薩溝西 長者黄金布地斉 九仞山成基古塁 一枝春早占新題 人随世諦有真俗 坐照摩尼無町畦
 啜茗銜杯皆得意 不同塵事日栖々
 【庭に阿波の古累有り】」
〈『蘆の若葉』は「梵宮」が「祝松」とあり〉
「同前。法昌尊者の韻を次ぐ 歳晩同尋白社来 燈前許禁且伝杯 茶煙颺処清風起 心地都無一点埃」
南畝集12
漢詩番号2074・5
蘆の若葉
④193
⑧257
享和1年
1801/12/23
こうしょうじ
光照寺 (牛込)
「夏日、大樹王山に登りる。同じく賦して凄字を得たり
 祠壇尺夏雲斉 大樹蒼々望不迷 山勢遥迎東海出 天門高拱北辰低
 香煙繞戸清風動 嵐翠沾衣白日凄 二十一宮台嶽祀 飛来近在鳳城西」
南畝集1
漢詩番号0060
③22明和9年
1772/05/
「好花坊糸桜歌三十首 廿四番 牛込 光照寺
 花の色に月のひかりの照そひてよるもさくらの風はたちにき」
花見の日記⑧50寛政4年
1792/03/
こうしょうじ
興正寺(大坂天満)
「十五夜、興正寺に過りて月を看る
 一片金輪上鉄蕉 寺門深鎖夜蕭々 人煙咫尺天三五 幾処楼台吹玉簫」
南畝集12
漢詩番号2049
蘆の若葉
④186
⑧234
享和1年
1801/08/15
ごうはいてい
鰲輩亭 (浅草)
「冬日、曽我伊州・松平作州二騎将に陪して海禅寺の鰲輩亭に集ふ
 海禅蘭若出塵埃 自有元戎小隊来 咿軋肩輿迎我去 似乗鰲背入蓬莱」
南畝集18
漢詩番号3841
⑤300文化10年
1813ウ11/
こうふくじ
興福寺 (長崎)
「正月初四、僚友と同じく鎮治の東山に浮游し、聊か見る所を記す 興福寺
 伊良林下寺 曾屈大明僧 芟草称初地 開山紀中興 境閑堂闃寂 磴古石崚嶒
 今日看遺像 料知彼道弘
【堂に隠元禅師の像有り】」
南畝集15
漢詩番号2619
④366文化2年
1805/01/04
こうみょうじ
光明寺(鵜の木村)
「玉川のほとり光明寺に、古きしるしの石のくだけて年も名もさだかにみえわかぬを、ひとつ塚にうづむとて
 しまつ鳥うの森しげみとしどしの春の草おふおきつき所
 しるしある石もくだけていづれの代いづれのとしをふるつかのもと
 恋しきやなぞとゞまらぬ玉川のむかしの人の水ぐきの跡
 山松の千とせの後に何かあるうづもれぬ名もうづもるゝ名も」

「終南山光明寺
 終南山上古祇林 開士名流託跡深 玉水流通金界裏 白川関入碧雲吟
 荒碑断碣帰冥漢 浄瑜伽変古今 更見鸕鷀見時曬翅 滄池漭沆接庭陰」

 「鵜木村光明寺に断碑数十片有り。皆古人の墓なり。聚めて之を埋む
 断碑与残碣 片々砕為塵 聊反虆梩土 長埋寂寞浜 文化六年己巳暮春南畝」
玉川余波
調布日記
②146
⑨250
文化6年
1809/03/19
こうやじ
高野寺 (江戸)
「初冬、高野寺の集ひ。戒厳上人の瑶韻を和し奉る
 南山補処古祇林 晴日肩輿此一臨 三密境無塵俗気 二株檟引海潮音 伊蒲素饌如餐玉 落葉黄花似散金
 自笑衰年過八々 猶貪羶臭未抽簪」

「同前。長島老侯の瑶韻を和し奉る
 節去秋冬不読書 塵紛酒困意難舒 乗晴偶入蓮華社 詩到無声与世疎」
南畝集15
漢詩番号3694-5
⑤260文化9年
1812/10/
こうらくじ
興楽寺
「好花坊糸桜歌三十首 三十番 田畑 興楽寺
 かけてますほとけの御手の糸桜みだれぬほどに風もこそふけ」
花見の日記⑧50寛政4年
1792/03/
こうりんじ
光林寺
「好花坊糸桜歌三十首 三十三番 広尾 光林寺
 いと桜かげもひろ尾に咲花のところせきまで匂ふはる風」
花見の日記⑧50寛政4年
1792/03/
こうりんじ
高林寺 (白山)
「九日郊行。六首 其の二 歩入高林古法台 一枝金粟見如来 秋香満院吾無隠 山谷晦堂安在哉」南畝集18
漢詩番号3674
⑤254文化9年
1812/09/09
こうりんじ
香林寺 (広尾)
「玄対翁、歳々に広尾の香林寺に会して書画を展観すること、此に五十年なり。云ふ、是れ先人の遺志なりと。此を賦して贈と為す
 赤水長流遶広原 幽期随例会香園 展観書画思遺愛 五十年来手沢存」
南畝集19
漢詩番号4199
⑤401文化13年
1816/08/
こかいごんげん
蚕養権現
(筑波山)
「はつき四日、本所廻向院に筑波山蚕養権現の開帳にまかりしに、きのふ三日に事おはれりときくもほいなし」〈『武江年表』文化十年六月二日より開帳とあり〉万紫千紅①273文化10年
1813/08/04
こくぶんじ
国分寺 (府中)
「玉川に遊ぶの記 府中金光明寺
 尚有招提境 武皇安在哉 草従原上満 門対府中開 古瓦留遺構 深山弁劫灰
 粛々松栢裡 懐旧一徘徊」
三餐余興⑧9明和4年
1767/閏09/04
ごこくいん
護国院 (上野)
「好花坊糸桜歌三十首 廿一番 東叡山 護国院
 はかなしとをしゆる法の庭桜さても花にはそめるこゝろを」
花見の日記⑧49寛政4年
1792/03/
「(むつき三日、上野)護国院にて 大黒の宝の山に入りながらむなしくかへる湯ものまずして」をみなへし②19文化4年?
1807/01/03
「九日、東山の護国院に過る 清水西門緑篠池 東山子院古松枝 菊花村老茱萸女 尽是登高礼大師」南畝集20
漢詩番号4311
⑤435文化14年
1817/09/09
「護国院にて よろづ代の国を護るは暁のかねにも千々のこがねをぞしく」紅梅集②312文化14年
1817/09/
ごこくじ
護国寺 (音羽)
 護国寺(別資料)
ごじいん
護持院 (大塚)
「好花坊糸桜歌三十首 四番 大塚 護持院
 春ごとの花をまもりてたもつなるてらのさくらはいとも頼もし」
花見の日記⑧47寛政4年
1792/03/
「夏日、護持院の遺址に過る 城門官寺委荊榛 元禄洪基一劫塵 借問瑜伽持秘呪 何如林樾蔭行人」
〈什宝の虫干し。南畝一見(『一話一言』巻49 ⑮315〉
南畝集18
漢詩番号3525
⑤211文化8年
1811/06/14
ごずてんのう
牛頭天王(伝馬町)
「牛頭天王、神会を迎ふ 燕都悪少酔如狂 牛首迎神伝馬坊 擡出遊衣小宮殿 横斜揺動且低昂」
「其の二 満街花綵蔭猜燈 舞木機関学戯棚 新様羅紋似磚瓦 踏歌連袂髪鬅鬙」
南畝集19
漢詩番号4057-8
⑤363文化12年
1815/06/05
ごちどう
五智堂 (早稲田)
「好花坊糸桜歌三十首 十番 早稲田 五智堂
 咲そめし春やいくよの昔しにてしらさぬさくらの名ににほふらん」
花見の日記⑧47寛政4年
1792/03/
ことのままはちまん
事任八幡宮(遠江)
「ことのまゝのみやしろとおぼしき前をすぐとて
 花鳥にあかぬ旅路はわが思ふことのまゝなる神もみそなへ」
改元紀行附録⑧136享和1年
1801/03/03
ことひらぐう
金刀比羅宮
「讃岐象頭山奉納の額に 玉藻よきさぬきの国の名に高ききさの頭の山にます神」紅梅集②339文化15年
1818/04/
ごひゃくらかん
五百羅漢寺(深川)
「五百羅漢の開帳にゆかんとするに雨あり風はげし
 雨風のさはり三百ふり来り五百羅漢へゆくもゆかれず
 けふの雨風をいとひて、あすはかならず開帳みにゆかんと、ある人のもとにいひやりけるに、道成寺の狂言にゆきしときゝて てらてらと日のさし出るをしたふなりけふ道成寺あすはらかん寺」
放歌集②182文化9年
1812/03/07
「此比よし原に桜を植るを、五百羅漢寺開帳の庭にも植しときゝて
 南北に植し桜の花ざかり五百の羅かん三千の妓女」
「南北に植し桜の花合五百羅漢三千の妓女」
放歌集
一簾春雨
②183
⑩505
文化9年
1812/03/
こまごめしんめい
駒込神明宮
「駒郊太神宮に花を看る (詩なし)」南畝集13
漢詩番号2249
④252享和3年
1803/02/21
「花時、遍く諸園に游ぶ 其の四 高花孤照太神宮 片々閑飛不待風 如是一株誰不賞 更無人入棘荊叢」
「太神宮のまへなる大木の桜をみる(中略)まことに江戸第一の大木なるべし。されどかゝる辺境なれば見る人もなし」
南畝集16
漢詩番号3147
一話一言28
⑤92
⑭54
文化5年
1808/03/16
「駒籠太神宮に一桜樹有り。孤根地に蟠まり、繁枝空を蔽ふ。敷芳の候、都下比無し
 太神宮傍小芙蓉 一樹高花白雪重 二十年来々独見 更無人解入蒙茸」
南畝集17
漢詩番号3491
⑤198文化8年
1808/閏02/
「神明社頭の桜、一本は別当大泉院の先住千寿院といへる隠居九歳のときうへし木にして、九十六歳にて遷化せられしは四十年前の事なり 植置も花に心をそみかくだつたえて千々の寿やへん」放歌集
壬申掌記
②182
⑨526
文化9年
1812/03/06
「九日郊行。六首 其の三 尋芳幾入太神宮 一樹幽花笑晩風 空谷足音春尚少 況逢秋後草蒙籠」南畝集18
漢詩番号3675
⑤254文化9年
1812/09/09
こんごうあん
金剛庵
 金剛庵(別資料)
こんごうじ
金剛寺 (小日向)
「慧日山【慧日、旧芳林院と名づく。相伝ふ、李太白の書を蔵せしも、永禄十二年、武田信玄此の寺を焚き、李の書を奪ひて去ると】 聞説水西寺 曾伝李白詩 千秋懸慧日 長照芳林枝」南畝集14
漢詩番号2455
④317文化1年
1804/05/
「柴門 誰道柴門絶賓客 詩朋酒伴任推敲 赤城霞落孤松下 慧日山寒十月交」南畝集17
漢詩番号3273
⑤134文化6年
1809/10/
こんこうみょうじ
金光明寺 (府中)
「府中金光明寺
 尚有招提境 武皇安在哉 草従原上満 門対府中開 古瓦留遺構 深山弁劫灰
 粛々松栢裡 懐旧一徘徊」
三餐余興
遊玉川記
⑧8明和4年
1767閏09/04
こんのうはちまん
金王八幡宮
「春日、徐徳卿・井子卿・鈴一貫と同じく西郊に遊。五首
 金王祠廟鉢山束 深巷疎籬路自通 烈士美名千歳後 荒村渋谷七郷中 丹青剥落鴬鳴樹 彩翠霏微蝶帯風
 此地春光猶未遍 重来更入百花叢」
【右、金王廟】
南畝集8
漢詩番号1586
④33寛政2年
1790/02/