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     人事編【け】   大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人事編〕  大田南畝関係
  【芸者・芸妓】(げいしゃ)
地名・芸名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
中洲
「秋夜、妓を見る 携来繍袱舞衣裳 斂笑含嬌倚靚粧 明月自随歌扇影 還憐秋夜為君長」
〈この妓は中洲の芸者か〉
南畝集3
漢詩番号0493
③170安永5年
1776/08/
中洲
「江に泛ぶ。女楽の諸舫に在りて戯れに艶曲を為す有り。支韻を得たり
 江天張楽日 恰是放船時 趙舞翻紅袖 燕歌動翠眉 随風聞笑語 乗月願追随 故使傍人悩 琴心度曲遅」
〈江は中洲(三又)女楽を女芸者と解した〉
南畝集4
漢詩番号0698
③241安永8年
1779/09/
芸妓「十三夜、酔月楼にて二人の白拍子の三すぢのいとひきけるをきゝてよめる。そのふたりの名は千代・とせとなんいひける 十日あまりみすぢの糸も長月のけふの月見は千代にやちとせ」
〈酔月楼は勘定組頭・土山宗次郎邸。天明二年九月十三夜の宴〉
万載狂歌集①10天明2年
1782/09/13
薬研堀「藝子行(ゲイシコウ)  半亭子(ハンテイシ)
 薬研堀の下(シタ)陽春の水  立花町の辺繁華の子  三絃(サミセン)会合(クハイガウ)す稽古の外
 参詣繁盛す不動の裏(ウチ)  銀棟(ギンムネ)瑇瑁(タイマイ)玉を者と為す  風俗吾妻錦を雅とす
 憐れむべし柳橋舟を繋ぐ涯(キシ) 憐れむべし草履糸を纏(マト)ふ花  此日中洲(ナカズ)生簀(イケス)に遊び
 此時洲崎升家(マスヤ)に入る  升家の美酒鶴歩(ツルノアユミ)香ばし  飲み去り飲み来たる銚子の傍(カタハラ)
 歴々たる武左(ブザ)寄り合ひ集まり  婆々たる年増も紅粉粧(ヨソホ)ふ  葛西徘徊す武蔵屋
 羅漢顧歩(コホ)す栄螺堂(サザヰドウ) 首を傾(カタブ)け心を傾く平相国 春と為り秋と為る仏妓王
 古来酒宴皆用ゆる所 況や復(マタ)明日芝居を見るをや 願はくは鵝絨(ビラウド)と作(ナ)つて細腰を結ばん
 願はくは猫の皮と為(ナ)つて撥面に中(アタ)らん  君と相(アイ)拳(ケン)転(ウタ)た相親しみ
 君と双(ナラ)び棲んで両親を養はん  願はくは櫓牡(ロマラ)と作つて年々転ばん
 誰か論ぜん楫枕一度の新たなることを  百人同じく憶ふ色男の気  一徳一損紙屑の塵」
〈芸者を詠じたもの。『唐詩選』所収、劉廷子の「公子行」のパロディ〉
通詩選①435天明4年刊
1784
芸妓「五日、妓を観る
 灔灔蘭湯出浴新 当筵歌舞動梁塵 黄金不惜纒頭費 緑綺兼逢続命辰 袖払薫風軽自挙 眉如初月笑相親
 独醒縦有三閭子 満坐皆為一酔人」
南畝集6
漢詩番号1205
③415天明4年
1784/05/05
芸妓「歌妓に贈る 唇帯花間露 眉含柳外煙 生憎歌未闋 断絶第三絃
 又 斂笑伝歌唱 凝眸坐綺筵 勧君傾一盞 不必弄繁絃」
南畝集6
漢詩番号1238-9
杏園詩集続
③426
⑥81
天明5年
1785/02/
お久米「歌妓のお久米来りて三絃あり 脛よりも何かしろきをみな人の通をうしなふ久米の仙人」細推物理⑧352享和3年
1803ウ01/25
お益「夏晩、十千亭と同じく酒楼に飲す 手携歌妓逐涼風 散歩長橋二水東 従少慣看煙火戯 等閑蹝履避人叢」
「其の二 小楼高処挿青旗 肴満円方酒満巵 艶曲新歌五大力 更疑菩薩蛮中詞」
「其の三 黄菊楼頭倒王缾 緑楊橋外伴娉婷 銀河倒潟涼棚上 指点牽牛織女星」
「廿二日、十千亭とともに、暮がたより両国に涼とらんと出ゆく(中略、料亭菊屋の物干しにて納涼)三すぢの糸心ゆくばかり酒くみかはし、あまのかはの流ちかき七夕の星のきらめくを指さし、をしへなどし、夜ふかしてかへりれり」
〈菩薩蛮は宮廷歌謡の替え歌(填詞)という。芸妓お益の三味線で聞く艶曲「五大力」を擬えたもの。娉婷は美女、芸者のお益〉
南畝集13
漢詩番号2501-3
細推物理
④266
⑧375
享和3年
1803/06/22
山の手「山手藝者 山の手の藝者まがひは引ずりの下駄もはきあへず昼ぞころべる」をみなへし②37文化5年
1808/11/
お雪
柳橋
「柳橋にすめる雪といへる娘によみてつかはしける
 花ならばはつ桜月十三夜雪ならばげに柳ばしかな   しら雪のいとのねじめに盃もみつよついつゝ又六の花」
をみなへし②48文化6年
1809/08/
おのぶ「おのぶといへる藝者によみてつかはしける 三味線の糸長々とひきつれて千歳のよはいおのぶとぞ聞く」あやめ草②66文化7年
1810/03/
おすみ
おきよ
「(蚕庵の宴席)すみといふうたひめによみてつかはしける
 かくれなき江戸のすみからすみまでもすみよし町のすみが住みかは」
「かいこ庵にて、すみがかへらんとするに、きよといへるうたひめの来りければ
 はや一座すみてかへれば生酔におきよとつぐる三線の音」
あやめ草②72文化7年
1810/05/
芸妓「女藝者 さかもりのしやくとり女やね船にかゞみて入るはのびんためなり」放歌集②189文化9年
1812/05/
お勝 お勝 (駿河町) (別資料)
亀文字「勝と亀文字といへるうたひめとゝに、永代橋のもとに舟をとゞめて酒くむ
 酒かめも(亀文字)しばし舟とめかつ(勝)酌ん夏の日ざしの永き代のはし」
放歌集②196文化9年
1812/05/
のぶ・せい
瀬戸物町
「瀬戸物町の妓王妓女には【おのぶ・おせい】しばしばまみえしが、駿河町の姉おかつ・妹はおふさとはたまさか舟を同じうして
 今の世の仏御前とするが町かつは大通智勝仏かも」
放歌集②196文化9年
1812/05/
豊仲「うたひめ豊仲が扇に 三味線のね心もよき世ならばとよももゝ夜も座敷重ねん
 同おれんが扇に さみせんにうき世の塵をあらひ髪心の角もおれんとぞきく」
放歌集②201文化9年
1812/08/
おせん
小網町
「小網町おせんといへるいらつめによみて贈る 三味せんの引手あまたの小あみ町けふを出舟のひきぞめにせん」放歌集②202文化9年
1812/08/
三田「三田元札の辻といふ所にすむ嘉山のもとに、近きわたりのうたひめ来れり
 めづらしく芸者をけふはみた/\とみつけん番の元札の辻」
放歌集②202文化9年
1812/09/
お梅
 (芸者)
「上元前、雪中に書堂に飲す。歌児阿梅の至るを喜ぶ
 満庭風雪好飛盃 昏飲豪談酔一回 咿◎籃輿春信早 階前忽報阿梅来」
「其の二 一枝春色上元前 疑是羅浮月底眠 燈下暗香生促坐 曲中流雪灑繁絃」
〈お梅を羅浮仙(梅の精)に見立てた〉
南畝集19
漢詩番号3949
3950
⑤335文化12年
1815/01/14
おみよ
雑司ヶ谷
「雑司ケ谷茗荷やにておみよといへるうたひめに 二百年太平の代のしるしとはざうしがやなる藝者みよ/\」六々集②238文化12年
1815/04/
おふき「ふきといへるうたひめによみてをくる
 ふきといふ草の名なればことぶきのふき自在なる身こそやすけれ
 遠州はま松ひろいやうでもせまい、そこでもつて車が二丁たゝぬ、といふうたうたふをきゝて
 三味線の糸にひかるる盃の底でもつてや長くなるらん」
七々集②250文化12年
1815/08/
芸者「会日、歌妓の至るを喜ぶ 張李求書往復回 一揮千紙自成堆 倦来擲筆頻呼酒 恰有歌鬟打坐来」南畝集19
漢詩番号4095
⑤373文化12年
1815/10/14?
お喜尾「四日市魚会所にて、歌妓お喜尾の来りければ あたらしき魚の数々品川のおきをのりこむ押おくり舟」七々集②272文化12年
1815/10/
おのぶ
瀬戸物町
「栄之のゑに瀬戸物町おのぶと駿河町おかつをかける われものの瀬戸物町もさだ過ぬ嶋田も丸くするが町より」七々集②275文化12年
1815/11/
市松(大坂)「三日、高田 与清 松屋の擁書楼の集ひ。浪華の歌妓市松酒を佐く
 千古蘭亭欠管絃 唯余墨本慕群賢 不如咫尺斜橋外 酔擁蔵書与妓眠」
南畝集19
漢詩番号4152
⑤389文化13年
1816/03/03
芸者「三絃子を聴く 双鈎玉字玉娥児 一曲三絃欲払時 宛転歌喉眛子瞭 繊々素手撹相思」南畝集19
漢詩番号4179
⑤396文化13年
1816/06/
おしげ 福原「福原おしげといへるうたひめによみてつかはしける
 春風のふく原ならむ松のはのおしげりなさる人おほからん」
蜀山集⑥100文政6年
1823/01/