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   人物編Ⅰ 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人物編Ⅰ〕   大田南畝関係
 (浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物)
  【せ】※浮世絵師は名前別。◯は欠字、◎は表示不能文字
人名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
せい (芸者)「(西来庵にて)せいといへるうたひめにおくる【瀬戸物町おのぶが妹なり】
 何にせいかにせいとては酒をのむ寿命をのぶりいもととは猶」
放歌集
書簡187
②181
⑲249
文化9年
1812/03/04
せがわ
瀬川 (遊女)
「天明二年寅四月朔日、つき出し瀬川いできたり
 竹村ガ蒸籠自分明ウ 松葉屋ノ中第一ノ名 撿挍昔時金已ニ没シ 瀬川今日水猶ヲ清シ
 松ばやのちりうせぬ名をつき出しや瀬川に水にせいろうの山

 となん口ずさみ侍りし。同三卯年秋、瀬川を後藤手代のものうけ出せしよし、千五百両をもて購しといふ」
俗耳鼓吹⑩21天明4年
1784/04/01
せがわきくのじょう
瀬川 菊之丞 三世
 瀬川菊之丞 (別資料)
せがわきくのじょう
瀬川 菊之丞 四世
「瀬川路考が浅間ヶ嶽の狂言を奥州やといふ茶屋にて
 奥州やから奥州がたち姿見にこそ来つれ大入の客」
「同じく石橋の狂言 御贔屓の深見草とて石橋の獅子奮迅の大あたり哉」
「同じく三月廿日なれば 石橋のあたるやよひの廿日草花のかさりにくるふ菊蝶」
〈瀬川仙女(三代目菊之丞)一周忌追善「其俤浅間嶽」市村座〉
放歌集②184文化9年
1812/03/20
「二優を悼む【路考、仲冬念九を以て死し、訥子、臘八を以て亡す】
 看殺末兼旦 今時両玉人 十年小天地 打破一微塵」
南畝集18
漢詩番号3718
⑤266文化9年
1812/11/29
「瀬川路考をいたむ ゆく路を考へみれば浜村の浜の真砂の名残つきせじ」千紅万紫①251
「ことしいかなるとしにや。瀬川路考霜月の末の露ときえ、沢村訥子おことおさめのをはりをとりぬ。鳥がなく吾妻に今を日の出のわざおぎ人、春狂言の花をもまたで、よもつ国の旅芝居におもむきし事、思へばことしいかなるとしにや
 とし若の浦とたのみし紀のくにやかくてはいかゞせんかた男波
 今さらに悔みていふてもいはいでもはれやくたいもなくばかり也」

 「四代目沢村宗十郎 四代目瀬川路考」(死絵) 国丸画
  (早稲田大学「演劇博物館浮世絵閲覧システム」)
「壬申歳暮 梨園連壁九重泉 柳巷層楼一炬煙 索莫江都殺風景 唯論折閲送残年」
〈起句は沢村宗十郎と瀬川菊之丞の死を承句は吉原の消失を詠む〉
南畝集18
漢詩番号3723
⑤268文化9年
1812/12/
せがわきくのじょう
瀬川 菊之丞 五世
 瀬川菊之丞 (別資料)(瀬川多門)
せがわ はまじろう
瀬川 浜次郎
「(柳屋長二郎と土佐座にて操芝居を見物)帰るさに、中戸屋にて酒のむ。瀬川浜次郎という少年来て舞ふ。きる所の羽おりぬぎて、歌かきてよといふに
 君が名は千代に八千代にいく瀬川はまの真さごのかずもつきせじ」
細推物理⑧341享和3年
1803/01/06
「春雨、城東の酒楼に集飲す
 城東酒館号東林 一夕歓呼会賞心 藍水溝辺春雨細 白銀坊底暮煙深
 妖童妙舞翻斉扇 少婦繁絃搊阮琴 大嚼屠門人尽酔 不知風雪促寒陰」

「筆島といふをとめが、紙治とかいへる浄るり語るほどに、瀬川浜次郎まいりければ(略)」
〈妖童が瀬川浜次郎・少婦が筆島〉
南畝集13
漢詩番号2227
細推物理
④246
⑧347
享和3年
1803/01/29
せきえん
石燕
「雨中、石燕丈人の梧柳庵に過る
 碧柳千条梧十尋 池亭更入芰荷深 自逢風雨多幽興 石舞零陵古洞陰」
南畝集4
漢詩番号0553
③195安永7年
1778/06/
せき さんじゅろう
関 三十郎 
「楽屋新道丸七のもとにて関三十郎によみて贈る
 あふ坂と鈴鹿と不破のいにしへにまされるものは今関三」
放歌集
書簡187
②202
⑲249
文化9年
1812/09/
ぜにや の きんらち
銭屋 金埒
「銭屋金埒のもとより ふたつもじ牛の角文字ふたつもじゆがみ文字にてのむべかりける
 返し すぐな文字帯ふすび文字お客文字はよめずとものむべかりける」
をみなへし
千紅万紫
②21
①254
文化4年?
1807/02/?
せん
仙(茶屋娘)
「美人の天井より落て茶屋の中に坐するを見る。年十六七ばかり。髪は紵糸(シユス)の如く、顔は瓜犀(ウリザネ)の如し。翠の黛(マユ)朱(アカ)き唇、長き櫛低き屐(ゲタ)、雅素(スガホ)の色 紅粉(ベニヲシロヒ)に汚(ケガ)さるゝを嫌ひ、美目(メモト)の艶(シホ)往来を流眄(ナガシメ)にす。将に去らんとして去り難し。閑かに托子(チヤダイ)の茶を供(ハコ)び、解けんとして解けず、寛(ユル)く博多帯を結ぶ。腰の細きや楚王の宮様(ゴテンフウ)を圧(マカ)し、衣の著(キコナシ)や小町が立姿かと疑ふ。十目の視る所十手の指さす所、一たび顧れば人の足を駐(トド)め、再び顧れば人の腰を閃(ヌカ)す。之を望むに儼然たり。硝子(ビイドロ)を倒懸(サカサニツル)が如し。実に神仙中の人なり」小説土平伝①377明和6年序
1769
せん 阿仙(芸者)「歌妓阿仙に贈る 楊柳橋辺二水涯 如雲名妓妬蛾眉 争伝一曲新歌譜 誦得唐詩知是誰」南畝集6
漢詩番号1080
杏園詩集二
③373
⑥66
天明2年
1782/03/03
「三月三日(昼、土山宗十郎宅に曲水の宴)夜、席を逃れて万年氏に至る。至れば則ち布施氏・青木氏・長滝氏・文竿子及び歌妓阿仙・阿兼、座に在り、樽を合はせ、坐を促し、半番狼藉たり」三春行楽記⑧42
せん(芸者)「小網町おせんといへるいらつめによみて贈る
 三味せんの引手あまたの小あみ町けふを出舟のひきぞめにせん」
放歌集②202文化9年
1812/08/