Top      浮世絵文献資料館 人物編Ⅰ
 
   人物編Ⅰ 【せ】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔人物編Ⅰ〕大田南畝関係
  【瀬川 菊之丞 三代目(瀬川路考)】(せがわ きくのじょう)◯は欠字、◎は表示不能文字
詞書・漢詩・狂歌出典巻・頁年月日
「お玉が池の沢辺沢瀉のもとにて初めて瀬川路考にあひて
 露むすぶお玉が池であふ人は外にたぐひもなつ菊の花」
巴人集②401天明3年
1783/04/14
「瀬川菊之丞をまがきのき瀬綿と名づけるとて
 ぬれ事の露のまがきのざれごともきくてふ人や御ひいきせわた」
巴人集②412天明3年
1783/07/
「夏菊
 芳沢の清流岩井の涯(キシ) 菖蒲の杜若共に姿に羞づ 誰か知らん五月下旬の比 已に瀬川白菊の枝有り
壇那山人藝舎集①468天明4年刊
1784/03/
「戯れに戯子正旦路考の図に題す
 宛然姑射一神人 綽約氷肌舞態新 多少勾欄看戯客 誰知弄仮更為真」
南畝集6
漢詩番号1257
③432天明5年
1785/03/
「瀬川路考、相生獅子名残英と申候名題にて、石橋大あたりに候。私此度之行を賀して内々菓子など贈り、右の祝詞申くれ候様ひたすら頼候に付、内々申遣候。他見は知己斗牡丹は花の贔屓なるものなり 菊は花の秀逸なるものなり 深見草さかりときくの英は春と秋との相生の獅子」書簡 50
馬蘭亭宛
⑲83文化1年
1804/09/11
「瀬川仙女一周忌 ぶんまわし年ひとめぐりめぐれどもいかにせん女の顔も見せざる」放歌集
千紅万紫
②173
①256
文化8年
1811/12/