| 浮世絵文献資料館 | |
| 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 |
瀬川路考、相生獅子名残英と申候名題にて、石橋大あたりに候。私此度之行を賀して内々菓子など贈り、右の祝詞申くれ候様ひたすら頼候に付、内々申遣候。他見は知己斗牡丹は花の贔屓なるものなり 菊は花の秀逸なるものなり | 書簡 50 馬蘭亭宛 | ⑲83 | 文化元年 1804/09/11 |
御贔屓の深見草とて石橋の 獅子奮迅の大あたり也 瀬川路考が浅間ヶ嶽の狂言を奥州やといふ茶屋にて 同じく石橋の狂言 | 放歌集 | ②184 | 文化九年 1812/03/ |
「瀬川多門、名を菊之丞と改しを祝して 【このたびよしつねのおもひもの卿の君のわざをぎなれば也】」 | 七々集 | ②278 | 文化12年 1815/11/ |
「沢村源之助に | 紅梅集 | ②325 | 文化15年 1818/02/08 |
「瀬川路考・岩井粂三郎がわざおぎをたヽへて 「同ぬれ髪のおせき | あやめ草 | ②99 | 文政5年 1822閏01/ |
「瀬川路考葛の葉の役 | をみなへし | ②50 | 文政5年 1822/09/ |