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   人物編Ⅰ  大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人物編Ⅰ〕   大田南畝関係
  (浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物)
  【ま】※浮世絵師は名前別。◯は欠字、◎は表示不能文字
人名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
まがき の きせわた
籬 着瀬綿
「瀬川菊之丞をまがきのき瀬綿と名づけるとて
 ぬれ事の露のまがきのざれごともきくてふ人や御ひいきせわた」
巴人集②412天明3年
1783/07/
ます
益 (芸者)
 お益 (別資料)
ますみ かとう
十寸見 河東 六代
「何がしの大守のもとにて江戸大夫河東が扇に書きてつかはしける。その扇のゑ、竹に雀になんありける
 くみかはす銚子のさヽにからまりて酔をすヽめの時を江戸節」
「扇の画に狂歌かきて河東におくれる中に、竹に雀の画に
 くみかわはす銚子のさゝにからまりて酔をさゝめの時を江戸節」
徳和歌後万載
巴人集
①35
②415
天明3年
1783/08/
まつい げんすい
松井 源水
「松井源水は江戸浅草田原町にありて歯磨をひさぐ。天気よき日は観音閣の西、垣間見坂のわたりに幕をうち、莚をしきて独楽を弄し人をあつめ、歯磨をひさげり」
(源水独楽廻しの図に台詞と口上あり)
「はみがきはこのあいだに御もとめ候へ」
「我わざはおほけなくも享保の比、上つかたもみそなはし給ひて候」
〈鍬形蕙斎画・四方赤良詞。後序「文化ときこゆる年のはじめやよひの比、杏花園書」とある〉
職人尽絵詞②531文化1年
1804/03/
まつざきかんかい
松崎 観海
「観海集を読みて観海先生に奉贈す
 何啻文章奪化工 清高兼仰古人風 徽音自和亀山操 芝草曾攀甪里公
 万頃波爛廻筆底 千秋日月掲寰中 只今誰掣鯨魚者 一片扶桑碧海東」
南畝集2
漢詩番号0232
③80安永2年
1773/08/
「観海先生を哭す。二首【安永四年乙未閏十一月二十三日下世】
 亀山秀色旧鍾神 君自丹陽一俊人 少子才名称潁悟 由来経術正紛綸
 空余淵客盤中涙 忽失侯門席上珍 慟哭応傾天下士 何唯吾輩苦沾巾

 其の二
 十載曾窺数仭牆 追随門下未升堂 後生謬比通家愛 函丈時陪隠几傍
 一夕風飆飄白日 千秋奎壁失精光 只今已絶微言緒 徒抱遺文仰彼蒼」
南畝集3
漢詩番号0446-7
杏園詩集一
③155
⑥43
安永4年
1775/12/
「早春、観海松崎先生の墓に謁す 佇立墓門前 音容恍不隔 聊折一枝春 空供泉下客」南畝集4
漢詩番号0757
③263安永9年
1778/01/
まつだいらさだのぶ
松平 定信
「白川(ママ)少将五十の御賀に【今年丙子、五十九歳にて五十の御賀なり】
 いそぢより末ぞたのしき久かたの天が下なる人にをくれて」
七々集②296文化13年
1816/02/
まつばらあん 
せいふ
松原庵 星布
「松原庵星布をとふ【横山宿にすむ老尼なり。俳諧点をなす】
 玉川のながれに近く庵しめてわが手づくりの庭の松原
「おなじ庭によしのゝ桜をうつせり うつし植しよしのゝ桜さく頃は心してふけ庭の松風」
玉川余波②131文化6年
1809/02/16
まつもとこうしろう
松本 幸四郎 四代
「松本幸四郎たはれうたの名をこひ侍りければ、高麗洒連人と名づけ侍るとて
 しやれ人のしやれをきくから高麗や又ざれ歌のざれを松本」
巴人集②413天明3年
1783/07/
まつもとこうしろう
松本 幸四郎 五代
 松本幸四郎5 (別資料)
まつら せいざん
松浦 静山
「松浦静山老侯より二画賛をこはる。旧作を小補してとみの責をふたぐ
 月下子規 林高夏月明 露滴郷心切 莫使子規啼 々時山竹裂
 葦間翡翠 ざれ歌の口ばしなれば難波江のよしやあしともまゝのかわせみ」
あやめ草②88文政4年
1821/07/
「平戸の老侯静山公のもとめによりて、翁の画に
 なるは滝の水のながれの音たへずとうとうたらりたらり長いき」
あやめ草②95文政5年
1822/01/
「松浦静山老侯のもとより、大神楽の獅子にむかひて犬の吠る画に賛せよと宣ひければ
 から国のおそろ獅子もやいかならん淮南王の犬にむかはヾ」
あやめ草②100文政5年
1822/03/
まゆずみ (遊女)「京町大文字屋に生立侍りしおさんといへるが、きさらぎ初午よりまゆずみと名を改めて、つき出しの君とめで侍りしかば
 青柳のそのまゆ墨にこもれるはおぼろげならぬ春のつき出し」
巴人集②393天明3年
1783/02/09