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詞書・詩歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 |
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「鴬谷の僑居 老年身惜窮陰節 閑坐心如太古民 来往時々憑檻望 茂林修竹隔城闉」 | 南畝集13 漢詩番号2395 | ④293 | 享和3年 1803/12/22 |
「鴛谷晴雪 | 南畝集13 漢詩番号2396 | ④293 | 享和3年 1803/12/ |
「晴雪、鴬谷の荘を過ぐ【正月六日】 跫然音絶逃空谷 翛爾(二字欠)憶剡渓 簷外疎枝封冷蕊 何時(一字欠)聴早鴬啼」 | 南畝集14 漢詩番号2408 | ④302 | 文化1年 1804/01/06 |
「鴬谷に初めて鴬を聴く | 南畝集14 漢詩番号2412 | ④303 | 文化1年 1804/01/06 |
「春日、居を鴬谷に移す 竹裏鐘鳴知午飯 門前市近少囂塵 正逢黄鳥遷喬木 幽谷風光事々新」 | 南畝集14 漢詩番号2425 | ④307 | 文化1年 1804/02/27 |
「文化甲子春日、居を鴬谷に移す。楼に名づけて遷喬と曰ひ」 | 南畝集14 | ④299 | 文化1年 1804/01/ |
「新居 | 南畝集14 漢詩番号2438 | ④310 | 文化1年 1804/03/ |
「鴬谷十詠 幷びに引 余の家、世々歩兵に籍あり。而して牛門歩兵巷に居る者幾んど百年。余の度支府の吏に遷る及んで、未だ賜地有らず、猶の歩兵巷に寓する者八年。文化紀元甲子の春、某氏の築くところの旧居を小陽村【小陽、此れ小日向を云ふ】に得たり。地、慧日山金剛寺の東に属す。前に金剛坂有り。後に鴬谷有り。西南懸敞、西のかた芙蓉峰を見る。秩父玉笥、連山波の如し。窓前に碧瓦の雲を凌ぐ者を、金剛寺と為す。南に城楼を揖め、皓壁迢逓たり。赤城右い在り、築士左に在り。煙樹人家、其の間に点綴す。北は一丘に倚り、竹樹朦籠たり。東は則ち鬨市。是れ其の大略なり。吏道局促、辰に出でて中に入る。一室に帰坐すれば、剥啄も亦稀なり。庭列松箔筠を列し、雑ふるに花草を以てす。或いは先に種うる所、或いは後に移す所。既にして夕陽林に入り、素月軒に臨むに至れば、則ち恍焉として復た知身の吏為ることを知らざるなり。人有つて余を嘲つて曰く、「子盍ぞ姑く賜地を待つて居を営なざる。否ざれば則ち士人の地を借りて営め。則ち他日賜地と相易ふべし。此の地寺に属して、相易ふべからざれば、則ち今の居る所の者も、亦安んずる所にあらざるなり」と。余笑つて曰く「人の世に居る、其れ猶ほ僑居のごときか。昔人嘗て謂ふ、工匠は宅を造るの人為り、子弟は宅を売るの人為り」と。吾人、吾且に五十六歳なり。此の地に居る者数年に過ぎざるののみ。天地は僑居なり。万物は瞥観なり。暇日も乃ち見る所の景物を取り、疏ちて十詠を為す。子弟と同じく之を賦し、以つて其の意を寓すと爾云ふ 遷喬楼 知止丘 杏花園 石楠斎 見山窓 竹深処 慧日山 【慧日、旧芳林院と名づく。相伝ふ、李太白の書を蔵せしも、永禄十二年、武田信玄此の寺を焚き、李の書を奪ひて去ると】 小陽溝 金剛坂 放烏橋 【元禄に令有つて殺生を禁ず。烏を聚めて之を豆州大島に放つ。是れ其の聚まる処、俗に御烏橋と名づく】 | 南畝集14 漢詩番号2449 2459 | ④314 | 文化1年 1804/05/ |
「五月廿八日、即事 | 南畝集14 漢詩番号2459 | ④318 | 文化1年 1804/05/28 |
「文かはるてふとしのはじめさつき十あまり九日遷喬楼の新居にしるす 蜀山人 うぐひす谷といふ処にやどりをもとめて 杏花園 | 巴人集 | ②439 ②441 | 文化1年 1804/06/18 |
「遷喬楼に花を賞す。江を得たり 枝留好鳥臨幽谷 影逐軽風散曲江 尽日南軒甘冗坐 傍人且莫笑吾惷」 | 南畝集16 漢詩番号3044 | ⑤64 | 文化4年 1807/03/ |
「早春、遷喬楼上の作 | 南畝集16 漢詩番号3119 | ⑤88 | 文化5年 1808/01/ |
「戯れに庭上の七樹を詠じて解学士の「七鳥虫詩」に傚ふ 霜葉風翻看錦砕 霊源犬吠識人来 欲逢壇上漁夫語 恰有江南駅使回」 「附録 解大紳「七鳥虫」 鵲蜂燕雁蝶鴬蝉 採蜜尋芳色更鮮 早出茂林声噪々 晩帰画閣舞翩々 喜伝蘇武胡中信 悶解荘周夢裏眠 緑楊枝上曾啼暁 一声鳴破暮秋天」 | 南畝集16 漢詩番号3113 | ⑤86 | 文化4年 1807/11/ |
「春日、遷喬楼の即事 一生好事雕虫篆 百世浮名覆鹿蕉 春浅詩腸枯未潤 書楼鼓吹待遷喬」 | 南畝集17 漢詩番号3475 | ⑤193 | 文化8年 1811/02/ |
「鴬谷の遷喬楼の壁に題す 「又 | 南畝集18 漢詩番号3652-3 | ⑤247 | 文化9年 1812/07/ |