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   画賛編 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔画賛編〕   大田南畝関係
  【い】※実際に揮毫したかは問わない。◯は欠字、◎は表示不能文字
画題画賛出典巻・頁年月日
いけばな
挿花図
「早春、草堂の小集。挿花の図に題す 採之三径下 挿向一瓶中 為揀俏枝久 経営枉費工」蜀山集⑥105寛政6年
1794/03/
いご
宮女囲碁図
「官女碁を囲むの図
 昼漏沈々報玉墀 風荷露滴子声遅 承恩不買千金賦 失寵誰輸一碁」
南畝集17
漢詩番号3431
④14文化7年
1810/11/
いざり
躄り
「いざりの車に乗たるを童のひく画賛に
 小栗かと見れば照手の姫もなくおとしもすこしふけし腰ぬけ」
巴人集拾遺②475未詳
いしゃ
医者
「いしやの跡より侍のゆくゑに
 さぶらひのむかふ通るはいしやなれど薬箱もたぬたいこもちかも」
巴人集 甲辰②431天明4年
1784/閏01/
いせい
夷斉(伯夷・叔斉)
「夷斉薇を采るの図
 夷斉共采首陽薇 々尽西山掛落暉 百世清風須立志 莫疑天道是耶非」
南畝集14
漢詩番号2448
④314文化1年
1804/05/
いち
市 (升屋)
「如仰升美眼中爽利、百川にも百倍歟。昨日美人の図賛に
 此やふな娘は江戸に百川のおそよ升屋のおいちなるべし と書捨候」
〈竹垣柳塘宛、三月十一日付書簡〉
書簡136⑲200文化4年
1807/03/11
いちかわえびじゅうろう
市川 蝦十郎
「市川蝦十郎、加藤正清のわざおぎのゑに
 朝鮮で鬼とよばれし神の名を名のれや蝦の髭に及ばず」
〈市川市蔵参照〉
七々集②263文化12年
1815/10/
いちかわ えびぞう
市川 海老蔵
「栢筵が外郎売の図に題す
 天下市川海老蔵 三升紋所衣裳に耀く
 今に至て弁舌流水の如し 学び得たり外郎透頂(トウチン)香」
壇那山人
藝舎集
①466天明4年刊
1784/03/
いちかわ
だんじゅうろう
市川 団十郎 五代
 市川団十郎5 (別資料)
いちかわ
だんじゅうろう
市川 団十郎 七代
「市川三升暫の図に題す 暫暫三升柿素袍 諷聞切幕舞台囂 紛紛張子頸如雨 一抜市川大太刀
 又 海老流風士世孫 浩然正気塞乾坤 斯須忽見廻瀾勢 一洗囂塵活水源
巴人集拾遺②492文化12年?
1815/?
いつくしま
厳島 (安芸)
「厳島の絵に みやじまをみせん(弥山)といへる人あらば見よ三景のいちきしま姫」万紫千紅①268文化年間
いなほ
稲穂
「十二月の画賛 八月 稲穂に雀
 むらむらと雀のさがすたなつもの落穂ひろふにあまの八束穂」
七々集②264文化12年
1815/10/
「日の出に稲の穂の画 日のいづる本つ国とは臼と杵つくともつきじ稲の八束穂」あやめ草②90文政4年
1821/08/
いぬ
  (別資料)
いのしし
「ゐのししのかたへに、しゝのこのうづくまり居るかたかきたるに
 いもとわれふすゐの床の山ひとつふたつにわつたうりばうが顔」
巴人集②404天明3年
1783/05/
「ゐのしゝの子をつれてかけゆく絵に
 いきほひをかるもの露にうり坊も臥猪の床やかけ出ぬらん」
万紫千紅
七々集
①298
②296
文化13年
1816/02/
「ゐのしゝの、子をつれてかけゆく絵に
 いきほひをかるもの露にうり坊も臥猪の床やかけ出ぬらん」
七々集②296文化13年
1816/01/
いばらきどうじ
茨木童子
「白壁の画に題す
 渡辺の源五功名有り 片腕誰か憑(タノ)まん茨木の情
 鬼の目にも亦応に涙の雨を含むべし 羅城門外黒雲生ず

  右茨木童子の腕を失て涕泣する図」
〈草摺引と芳町少年の図とともに三幅対か〉
壇那山人藝舎集①464天明4年刊
1784/03/
いも
「芋のゑに 畑中にかぶりふれども皆人のほりするものはいもが面影」七々集②287文化12年
1815/12/