60年安保・その激動の軌跡(4)
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1960.6.15
新安保条約批准阻止第二波実力闘争。
   
《私鉄・・・全国90組合が始発から6,7時までの時限スト。41組合が時間内職場大会。
    《国鉄・・・国労は12カ所の拠点で夜明けから7時まで、動力車は15機関区で6時から8時まで時間内職場大会。
    《都市交通・6大都市で1時間の職場大会。東京交通労組は7時から2時間の職場大会。
    《民間・・・炭労、全鉱、全金属、全印総連、全国一般、全日自労が24時間スト。合化、化学同盟、紙パ、全港湾が半日スト。
    《官公労・・全逓が全職場で25分間職場大会。全電通が3割休暇。日教組1時間授業カット。その他は1−2時間の職場大会。


宇都宮駅で労組員900人が車体検査詰め所を占拠。公安職員約80人ともみ合い、組合員20数人、公安職員18人が負傷。

浜松駅で組合員1200人と応援労組員約1000人が線路上に座りこみ。公安職員約100人が実力でごぼう抜きに出たため衝突。組合員10数人と公安職員16人が負傷。

鹿児島駅では三池労組、九学連などの応援を含む約1500人が運転室、信号所を占拠。大牟田駅でも三池労組員約2000人と国鉄労働者約2400人が信号所などにピケ。

(朝日ジャ−ナル 1960.7.3)
安保阻止国民会議6.15闘争。
主要単産111組合、581万人が参加。私鉄早朝スト、国鉄ダイヤ一部乱れる。国家、地方公務員労組の職場大会。》

《国会は正門中央だけを閉め、両側通用門は開けっ放し、その他の通用門は全部開けたまま。いつものバリケ−ド車10数台は官邸へ抜ける道路脇で待機。》

《正午・・日比谷公園から都労連1万2000人が道路いっぱいの36列に広がり、腕も組まず、気勢もあげず、ただ静かに国会裏からアメリカ大使館へフランス式デモ。アベックが「岸さんやめて」と書いた小さなプラカ−ドを二人で持ってデモ。》
《衆議院議員面会所(国会裏)に設けられた請願所前、幼児を連れた母親、子どもを肩車した父親の姿も。にわか露店では「アンポハンタイ・アイスクリ−ム」赤坂山王祭の花火がたまにポンポンとはじける。




教育大、法政大などで13日の警官隊の学内不法捜査に対する学内抗議集会。

〔警察メモ〕
13:57・・慶応・立正・お茶の水・東京女子美大等、国会正門前に集合し始める。その後、中大・信大・東大C・明大・日大・東大工学部参加。

14時00分・・全学連主流派学生、国会正門前に集まり始める。地方代表団、日比谷野外音楽堂を出発。

〔警察メモ〕
14:24・・首相官邸突入に備え、通用門二機二中隊、正門に。
《14:25・・衆議院各門に一個分隊増員。


14時30分・・国会正門に13台のバリケ−ド車。全学連学生約4000人。

〔警察メモ〕
14:50・・(国会?)正門前の学生「今日は小道具を持ってきている」と学生はいっている。
《14:53・・「今日は目のさめるようなことをやってみせる」と学生はいっている。
《15:06・・正門通用門に大森部隊。
《15:23・・正門前、輸送車のナットをはずそうとした。
《15:30・・北小路が宣伝カ−上より指示。


15時35分・・雨降り出す。学生たちはこうもり傘を開いたり、埼玉県農業組合のムシロ旗に拍手したりして平静。

15時50分・・雨やむ。警視庁に「主流派が正門横の土手から国会に乱入する」との情報。正門一帯に私服警官 と報道陣が増える。

警視庁はこの日1万9132人の警官隊を動員。

16時00分・・主流派約7500人は一部を正門前に残してジグザグデモ開始。参院裏から南通用門へ。東大・ 明大・法政・学芸大・中大・埼玉大・東京女子大・国際キリスト教大・多摩美大・群馬大・電通 大・武蔵大・岐阜大などの自治会旗。

安保批判の会に属する安保改訂阻止新劇人会議、新安保批准反対キリスト者会議、日本児童文学 者協会、日本子供を守る会、世田谷・目黒安保批判の会、草の実会など演劇、映画、文学、宗教、 建築、写真、教育、ジャ−ナリズム、舞踊、音楽、芸術等の関係者は日比谷新野外音楽堂に集ま る。当初は清水谷公園の予定だったが、警視庁警備第三係りが同公園は工事中とのことで許可せ ず、やむを得ずの集合であった。

〔警察メモ〕
《16:04・・学生、正門は固いから、横から入るという。
《16:20・・学生デモの先頭、南通用門前に到着、激しく渦巻き行進。門を揺さぶる。明大生一人がズ ボンの右ポケットからペンチを取り出し、門補強の針金を切る。
《16:28・・一周して正門。


16時30分・・「新安保反対キリスト者会議」の300人が、お祈りのあと日比谷野外音楽堂を出発。
《賛美歌を 歌い、その前を行く「安保改定阻止新劇人会議」は幸せの歌を歌っている。新劇人会議には一般 自由参加者約300人が続いていた。隊列は新劇A・B・キリスト・世田谷目黒・一般・宣伝カ −・新劇C・D・文学・写真等・高校生・芸術の順。
「我々は婦人・子供を含む平和なデモ隊ですから、整然と行進してください。蛇行デモ、ジ グザグ行進は絶対にしないでください。右翼の挑発にのらぬように注意してください。」
     《総指揮者・・山内達一(映画ジャ−ナリスト)
     《副指揮者・・大塚欣一(安保批判の会事務局)佐藤忠良(画家)
      《指揮班・・倉林誠一郎(俳優座)朝倉 摂(画家)
《コ−スは国会正門より衆参議員面会所、首相官邸を経て午後6時新橋で解散予定。劇団旗が林立 するなかで、新制作座の6人持ちの大行燈が人目をひく。先頭には中島健蔵(安保批判の会代表 世話人)、千田是也、岸恵子、二列目に三島雅夫、少し遅れて真山美保(新制作座)、山本安英 (ぶどうの会)、 青野季吉(評論家)、下村正夫(演出家)、八田元夫(演出家)、木下順二 (作家)、林光(音楽家)、野宮初枝(キリスト者会議代表)、堀豊彦(前東大教授)、赤岩栄 (上原教会牧師)など各界を代表する人たちがいた。


《新劇人会議は「起ちあがるときだ、たいせつなのは今、こどもたちの未来のために」と合唱しな がら、車道の左側をすすんだ。宣伝カ−は「ご通行のみなさん、私たちのデモに参加して下さい。たとえ10メ−トルでも一緒 に歩きましょう。この自動車の前のクリスチャンの方々のうしろにお入り下さい」と呼びかけた。


「テレビで見る以外デモというものを知らなかった私は・・楽しそうでなごやかな一団・・三 歳の女の子を背負っていました。・・前の新劇の会の方たちの美しいコ−ラスに合わせて、 楽しい運動会の行進のようでした。」(35歳・主婦・朝日新聞「ひととき」欄投》
書)


《「・・子供を背負ったお母さん、またはつれて歩くお母さん、それに病気中だがどうにもじっ としていられず、せめて国会まで行きたいと青い顔をした女子大生も手をたずさえて歩いて いました。」(荒川区・主婦・産経新聞「声」欄投書)


《先頭が国会正門前に到着した頃には、自由参加者約250人、列は国会正門より外務省の角を曲 がって少し余る長さで、数は約2000人になっていた。

《正門前では全学連が蛇行デモを行っており、地方代表団体がまだ止まっていた。全学連と地方団 体を先行させるため、いったん停止し、しばらくして地方代表のあとに続いて動き出した。

《「途中何度か全学連に先行されたり、一緒に行進した。雨上がりのせいで学生のほとんどは 重そうな鞄のほかにレインコ−トや傘を持っていた。女子高校生は全員スニ−カ−姿だった。 学生たちは私たちに拍手を送ったりニコニコ手を振ったりした。私たちも同じようにした。」(俳優座  ・杉山徳子)

《新劇人会議の宣伝カ−が参院第一通用門を過ぎるころ、三宅坂の方から10人ぐらいの学生風の男 がデモ隊に近づき、奇声を発したり、「安保賛成!」と叫んでデモの隊列に加わろうとした。整理 班がすぐ隊列の整理をはかり、紛争は起こらずにすんだ。

《第一通用門付近で行進はしばらく停止。この間、学徒援護会労組12,3人、立川バス労組39人 が加わる。ここから第二通用門までは停まったり、進んだりの状態、このためデモ隊の間隔は詰め られていった。

デモ隊の先頭が伊藤博文の銅像を右にみながら、坂をやや左に折れるころ、全学連主流派の早稲田 大学第一法学部、第一商学部、群馬大学の学生たちが早い速度で右側を駆け抜けていった。国会を 二週する全学連主流派の後尾である。

国会各門を閉ざす。警官隊は柵の内側を固め始める。

神宮外苑に集まった全学連反主流派学生約7000人も平河町を経て参院裏に到着。国会一周デモ 開始。

この頃国会周辺にいたデモ隊。
  
《都労連・・・・・・・・・・・・・・・・1万
   《婦人・民間団体・全商連など・・・・・・2万
   《地方代表・・・・・・・・・・・・・・・1万
   《民間労組・・・・・・・・・・・・・3万5000
   《公企体関係・・・・・・・・・・・・・・1万
   《安保批判の会・大学研究グル−プ・・・・5000
   《全学連主流派・・・・・・・・・・・1万5000
   《全学連反主流派・・・・・・・・・・・・7000
《総計で11万を超え(国民会議推計)次々と流れ解散に移っていた。


全学連主流派、南通用門から正門方向に向かい停止。
《停止した際の最前列の隊形は通用門から東大 本郷、明大、中大の順。
《指揮者から「国会構内に入って大抗議集会を開こう。我々はダテにスクラ ムを組んでいるのではない。行動隊は要所要所をしっかり守ってほしい」と演説。学生たちから激 しい拍手と「オウッ」という声。


《「16時30分から約1時間、構内の入り方を相談した。ロ−プを出せと叫んだ者がいたが、 中央執行委員が忘れたといった。100人の工作隊をつくるという話があったが、事実かと聞 いた」(東大法学部自治会議長》

〔警察メモ〕
16:38・・投石始まる。》

16時40分・・維新行動隊のノボリを掲げた右翼120人が旧自民党本部(平河町)近くにバスで集結。
《維新行動隊という名ははじめて登場したもので、指揮者は石井一昌護国団塾頭、団員は12 人程度。この日の行動隊は寄せ集めであった。大型トラック1台、小型宣伝カ−1台。大型 トラックには「護国青年隊」と書かれ、車台ナンバ−は取り外されていた。
彼らは前日、金物屋から買い集めた長さ90センチ、先が四角になっている樫の棒約100 本とヘルメット約30個を用意、棒にはベニヤ板でプラカ−ドを打ちつけていた。》
   《この維新行動隊には私服警官4名が乗用車で付き、麹町署の交通巡査が前に1名、第二通用門付 近に2名。


安保批判の会の隊列は参院第二通用門に達する。清水谷公園から平河町を経てきた東京神学大、 中大、YMCA、日蓮宗、音
楽家、美術家ら40人ほどが加わる。

〔警察メモ〕
16:42・・正門前、時々投石。》

丸の内警察交通係の白パトカ−1台と巡査1人が右翼を監視。
《私服警官4人がこれ以上進まない ように説得。右翼は「歩いて行くならデモ隊と同じだ」と前進。三叉路の近くまで進む。右翼と 法政大学の学生がヤジの応酬。》
   《行動隊・・「学生は帰れ」》
   《学生・・・「右翼は通さないぞ」》
《学生の指揮者は「挑発に乗るな」と叫ぶ。》


安保批判の会の隊列は、神奈川県代表に続いて参院議員面会所手前に。隣には大学生協組合連合 会労組300人、前方には全学蓮反主流派に属する法政大学第一悌団約1000人、駒沢大学1 0人、中央大学約100人の部隊が道路いっぱいを占めていた。さらに、第二通用門前の十字路 に法政大学の第二悌団約750人と学生たちの小グル−プが進みつつある。

〔警察メモ〕
《16:57・・前回と同様激しく体当たり、前と同じくペンチ使用。
《17:00・・体当たりを行った。


17時00分・・気温22.6度 湿度74%

〔警察メモ〕
《17:05・・反主流派、国会裏でプラカ−ドを投げつける。》

17時07分・・維新行動隊、徒歩で第二通用門前の十字路に到着。早稲田大学第一法学部、第一商学部と接触ヤ ジと少量の投石。
《村上隆参院議員が学生に「挑発に乗るな」と注意。》

行動隊の普通トラックが学生たちに突っ込もうとしたが、交通巡査に制される。
《学生たちが去り、第二通用門前は人影がまばらとなった。そこに、新劇人会議を先頭とする安保 批判の会の隊列が静かに入ってくる。


17時10分・・突如、右翼の2,3人が棒を振りかざして、新劇人会議Bブロック後半の新制作座に殴り込んだ。 たちまち6人持ちの大行燈がなぎ倒され、数人が殴られ傷ついた。うち1人は続くキリスト者会 議、一般市民グル−プ、自由参加者に殴り込み、さらに3人の男が並行していた大学生協労組に飛びかかり、参院面会所入り口より裏へ踏み込んだ。



《「黒っぽい服を着た背の高い面長の青年が、棒を大きく振り回しているのが目に入った。瞬間、めまいがして、半分気が遠くなりかけた。あたりが少し余裕を持ってきたように思え、 ほっとして振り返ると、左首すじのあたりにドス黒い血がべっとりと流れた若い男の人が見 えた。また顔中はねあがった血だらけの若い女の人、右肩をたたかれうずくまっている女の 人も見えた。」 (主婦・藤田俊子)

「女の人の甲高い声と異様な空気が伝わってきたと同時に、棒の打ち合う音を聞いた。なに かわからぬが皆がどっと逃げてくる。後ろを振り返ると1メ−トルぐらいの棒をめったやた らに振り回し仲間に襲いかかっている男が2,3人見えた。こん棒に、羊のように無防備の 私たちが追われている。考えられないことを目前にみて涙が出てきた。」(劇団青芸・為本 蕾)

《逃げ散ったデモ隊のうち、女性は柵を超えて国会構内に入ろうとして有刺鉄線でケガ。構内に待 機していた警官は表に出ろといった。》

社会党秘書団は警官隊に救援に出ろといったが、動かない。右翼2人は引き返した早稲田大学の 学生、地方代表労組員、社会党秘書団が捕まえ、こん棒を取り上げて警官に引き渡す。

デモ隊のスピ−カ−は「隊列を整えて下さい。子供さんは抱いて、早く進んで下さい」と放送。

この殴り込みで新制作座の女優・園圭子が右肩を殴られて負傷するなど新制作座3人(うち女性 2人)、大学生協労組2人が全治5日ないし2週間の重軽傷を負った。(学生の負傷者は不明)

行進を止めていた法政大学第二悌団は歌を歌いながら十字路を渡り始めたが、潜んでいた男5人 が襲いかかり、算を乱して隊列を崩した。逃げ遅れたものは殴り倒され、負傷した。

17時15分・・行動隊では顔に傷のある男が演説を行い、男たちは一斉にプラカ−ドを手や足ではずした。こん棒には釘がむき出しになる。この騒ぎで人が少なくなっていた三叉路に石井隊長の「かかれ!」 の号令とともに、右翼の大型トラック(斉藤庄一(21)運転)が集結地点から突っ込んだ。 「天皇陛下万歳」と書いた横幕を張ったトラックは一直線にデモ隊に突入(早さはフルスピ−ド ではない)

《「トラックはアッという間に私の3,4人横を40キロくらいの早さで通り過ぎた。」(俳優座・楠田薫)

「たくさんの見物人があわてて逃げたので、私も先を走っている人が転倒し、わたしもその上に重なって倒れ、さらに私のうえに幾人かが倒れました。一番上に倒れた人がこん棒で殴られている鈍い音が゛ボトボト゛と聞こえました。あとでみると服には返り血が点々と付いていました。」(通行中の市民・小林一博)

この時、第一議員会館前では国民会議の集会が開かれていた。玄関前の空き地にはムシロ旗を掲げた東富士米軍演習場返還闘争を続けている山梨県忍野村の人々や地方代表団がぎっしり埋まり、車道には全学連反主流派の法政大学第一悌団、その隣には全学連主流派の早稲田大学が埋め尽くしていた。
水口国民会議事務局長、田中社会党議員が演説を行い、共産党の岩間議員がマイクを握ったときにトラックは突っ込んだ。岩間議員が大声で叫び、人々は大きく左右に割れた。

白帽をかぶった警官が1人トラックに飛び乗り、暴徒を制止しようとしているが、4,5人の右翼が左右のデモ隊を棒で殴りつける。
トラックは約100メ−トル突っ走り、デモ隊に止められて転覆。これに続いた小型宣伝カ−(護国塾石井一昌(33)運転)はジグザグに走り、参院常任委員会庁舎の歩道の並木にぶつかって転覆。学生たちと渡り合って石井は鼻血をだして転倒した。
同時に維新行動隊の主力が、プラカ−ドの柄をふるってトラックとは別方向へ向かい、「殺してやる」「たたき殺せ」と叫びながら新劇人会議などのデモに襲いかかる。女優さんたちは血まみれになって逃げまどった。人々は議員面会所方向に逃げたり、第二通用門脇から国会内に逃げ込んだが、50人近くが包囲され袋叩きにあった。婦人、子供を含む無抵抗の人々は国会の鉄柵や鉄条網に押しつけられて野原の草を払うようになぎ倒された。また、別の行動隊は新制作座の宣伝カ−のガラス窓をたたき割り、新劇人会議のC・Dブロックの大半約200人を包囲、若い男性たちは旗竿やプラカ−ドで防戦したが、たちまち崩れて、雪崩を打って後退し折り重なって倒れた。こん棒は容赦なく振り下ろされ、ジュ−ス屋の屋台から奪われたビンがふりかかった。



「前に逃げるとデモ隊の人波につかえ、横に逃げると歩道に店を開いていたジュ−ス屋さんにつかえた。右往左往し、足をとられて転び、後頭部を激しくたたかれた。頭からも胸からも血がしたたりおちて白いブラウスを赤く染めた。」稲の会の横沢章は右翼に左目を殴られて転倒、国会の柵にはいあがって中に落ち込み、意識を失った。キリスト者会議の世田谷区告白教会の渡辺信夫(37)は頬に裂傷を負った。
「暴力団の襲撃の前で、キリスト者の団結は一たまりもなく崩れた。キリストを告白するためにデモにいった以上、殴り殺されても後に退いてはならぬはずだったのに、みんな我勝ちに逃げた。人をかばって自分が傷を受けるという道を選んだ人はごくわずかであった。
私の足元に学生が2人倒れていた。私は知らずにこの人たちを踏んだに違いない。なかなか起きあがらなかった。さらに暴漢が飛び込んできてたたき始めた。打たれた回数は右1回、左3回。私は無抵抗でそれに耐えた。警察力が何のためにあり、何のためにないのかを私たちは直感的に感じてしまった。」》





《「突然、前の方にものすごい悲鳴を聞いた。同時にこちらに向かってフルスピ−ドで走ってくるトラックが見えた。止まったトラックの荷台の上にヘルメットをかぶった数人の暴徒が、折り重なって倒れた人たちに向かって、こん棒、青竹などで真っ向から殴りつけていた。逃げ遅れた人たちは、まるでスイカでも割るように殴りつけられた。みるみる血だらけの顔が増えた。みんなは一斉に警官隊の出動を要請した。しかし、驚くべきことに、警官たちは冷笑をもってそれを黙殺した。」(俳優座養成所・原田清人)

「白い角材と真っ赤に燃え狂った男の顔が、ものすごい大きさで私にのしかかってきた。この野郎!という怒声と同時に後頭部にぐらぐらとする衝撃を受けて、思わずしゃがみ込んだ私の背と腕にバシッという何ともいえない音がなった。・・殺される、ただそれだけだった。」(劇団泉座・木村夫伎子)



《日本キリスト教婦人矯風会平和部副部長・野宮初枝は逃げまどう人波のため国会の柵に押しつけられて胃を打ち、ハンドバックは飛び、時計を失い、靴は片方脱げたまま行方不明(翌日、全学連主流派に属する早大生が時計を丸の内警察署に届ける)。》

《ラジオ東京カメラマンは警官から「写すな、帰れ」と怒鳴られ、アナウンサ−はマイクを奪われ、報道員2人が警棒で殴られ負傷、1人は4針縫うケガをした。

学生や労組員が反転、5,6人を取り押さえる。負傷者は3台の救急車で病院へ運ばれた。

17時19分・・11日ごろから右翼が騒ぐとの情報に基づいて丸の内署に待機していた83人の警官隊がトラックで現場へ到着。
《行動隊をなだめ、集結場所に連れ戻して、デモ隊との間にピケラインをつくる。しかし、また2,3人が飛び出してデモ隊に打ってかかり、社会党秘書団に取り押さえられ警官に引き渡される。》
《「現行犯だから手錠をかけろ」「なぜ逮捕しない」と怒った学生たちがどっと警官隊に詰め寄った。回りを取りまいていた市民からも非難が浴びせられる
。》

《「命令がなければ、あなた達はなんにもしないで立っていなくてはならないのか・・何度も訴えた」(東京演劇ゼミナ−ル・遠藤暁子)》

《「ふと、我に返った時はもう遅く、こん棒で背中を殴られ、逃げようとしたとき、また顔を殴られてしまい、呆然としてその場に立ちすくんでしまいました。目が霞始めたのに気がつき、思わず指を顔にあててみると、その手を伝わり流れ上着の袖ににじむほどの血。額から左頬にかけて4針も縫う裂傷、左目全体が内出血。」(劇団ひまわり研究生・小林健策)


国会図書館や自民党本部方面へ逃げた右翼を警官は追わない。連行途中でも買い物を許し公衆電話の使用を2回許し、警察電話の使用を1回許した。

麹町署への連行は丸の内署の83人、国会内から出てきた愛宕署の25人、第四機動隊の100人があたり、90人を連行。うち東洋大生が39人。いずれも日の丸と星条旗をあしらったバッチを胸につけ「天皇陛下万歳」「アイク歓迎」と書いた柄の太いプラカ−ドを持っていた。プラカ−ドは足で2,3回蹴れば、むき出しのクギがでるものだった。
連行されたもののうち39人は午後11時釈放(学生37人、2人はヤジ馬)、翌朝24人を釈放、7人を現行犯逮捕、19人を緊急逮捕とし、石井一昌ら27人を送検。

          新劇人会議傷害対策委員会調べ(19日現在)。
              
一週間以上の負傷者・・・・・62人

〔警察メモ〕
《17:25・・反主流派、官邸から特許庁へ。

17時25分・・全学連主流派、衆院南通用門前に続々集結。
《参院第二通用門前での右翼の殴り込み情報が入り興奮が増す。構内突入を制止しようとした社会党議員に右翼殴り込みをとらえて、食ってかる。》

17時30分・・全学連リ−ダ−、東大本郷・明大・中大を主力とする行動隊に攻撃開始を合図。
《デモ隊は前進したあと90度回転して南通用門にとりつき門扉を引っ張り始める。門にむかって右側門柱付近の指揮車にいた北小路中央執行委員。》
《「いま、参院側で右翼が挑発している。警官は放任している。我々は国会構内で抗議集会を開こう。」「学友諸君!我々は国会の回りを歩くだけではダメだ。我々は国会構内で集会を開く権利がある。国会構内で集会を開こう!」》
《「我々はだてにスクラムを組んでいるんじゃないんだ。スクラムを崩さず前進しよう!」 》            (「安保闘争」P181)


門は三本の角材をカンヌキにし、太い針金で縛り付けてあり、ペンチを持った男2人がこれを切る。数人は手で解く。

〔警察メモ〕17:31・・明大が一団となって南通用門に殺到し、門の格子に手をかけて激しく揺さぶり、針金をペンチで切断。





17時35分・・門内の警官隊が一斉に警棒を抜く。
南通用門にはカンヌキをかけたうえ角材数本を針金でくくりつけ、その内側にトラック6台と広 報車2台をびっしり配置していた。その背後に第二、四機動隊など約1000人と公安私服刑事 約100人が集結。(「安保闘争」P181)

〔警察メモ〕
《17:36・・通用門は外側に約15度開かれ、鉄棒が曲がり始めた。

17時38分・・門は半開きとなり、鉄棒ははずれる。

17時40分・・門は左右に大きく開け放たれた。学生たちは門柱のチョウツガイから扉をはずし、道路に押し倒 す。

〔警察メモ〕》
《17:40・・通用門は全開、学生は阻止線の警察用トラックのボンネットにのぼり破壊を始める。
《 四機、正門から転進、南通用門へ。》
       
          《門を開いたのは全学連によると45分、警視庁警備情報では55分。


17時45分・・安保批判の会の隊列は再び行進を始める。
《怒りに燃えたデモ隊は国会請願を切り替えて、虎ノ門 を右折、警視庁へデモ。面会拒否の警視庁を押し切って、国会議員3人と弁護士3人、デモ隊代 表7人を中に入れ、警官隊の傍観に激しく抗議。この間、デモ隊は警官隊で厚く固められた正門 前で座り込んだが、「全学連が大挙して押し掛ける」との情報で退去。日比谷公園旧音楽堂に移 動。

〔警察メモ〕
《17:45・・四機、3台で阻止。警官と学生の間3メ−トルある。
《17:54・・学生、トラックの先端に綱をつけ引っ張り始める。


《南通用門の内側を固めた前線の2台の警官輸送車のうち西側の1台に背広服の男(所属不明、1 6日朝日新聞に明瞭に写っている)が飛び乗り、3人がロ−プをかける。1人は学生風、1人は 鳶職風。一番前にいた東大生「ロ−プは、車に向かって左側にかけろ。そうすれば車は引き出し やすい。」ロ−プはバンバ−の中央に結びつけられたため、輸送車の角が西側の門柱に引っかか る。ロ−プは直径約3センチ、あらかじめ用意とたものか、輸送車に積んであったものか不明。 ロ−プとともにチェ−ンが使われたという説もあるが不明。ロ−プには多くの学生がとりつく。


〔警察メモ〕
《17:55・・車50センチ引き出す。門は完全に壊れた。投石次第に激しくなる。
《18:00・・車1メ−トル引き出す。
《18:01・・ボンネットに学生4人、ガラス破る。
《18:02・・警察、車をロ−プでつなぐ。


警官隊は車にロ−プをつけ、構内の立木に結び付けた。このため輸送車は動かない。

〔警察メモ〕
《18:05・・車2メ−トル出る。
《18:10・・活動的なものは一部。あとはアジ演説を聞いている。


輸送車のドアが開いて、火のついた紙つぶてが投げ込まれた。
《誰が投げたか不明。学生ではない という説もある。また2,3人で2,3発投げたという記者と、学生が雑誌で放火したとの記者 がいる。車は燃えず、白煙が出た。

18時10分・・2台の輸送車の斜め後方に待機していた放水車が前進、放水。これまでに麹町署長名でスピ−カ −を通し「これ以上騒ぐと放水します」と3回警告。

〔警察メモ〕
《18:12・・これ以上無視すれば放水すると麹町警察署長警告。
《18:16・・白色トラックの運転台に放火したが放水車により消火。続いて左側より2本目の門柱に縄を かけた。
《18:18・・放水始める。投石激しい。




《放水は一本のホ−スから短時間、弱い水圧で行われた。しかし、放水は学生たちを刺激した。 (記者談)。学生たちから石やプラカ−ドが激しく投げられた。《

〔警察メモ〕
18:23・・ボンネットにまた乗る。投石やや下回る。防石ネット準備。
《18:26・・ネット張る。


《ものすごい投石のため、阻止用の輸送車の上に防石ネットが張られた。警官や私服が石を拾って 投げ返し、このため学生が憤激した。


〔警察メモ〕
18:34・・ネットとられる。
《18:36・・放水中。投石激しい。
《18:37・・石大きい。1人検挙。
《18:38・・投石激しい。


18時40分・・輸送車が門外に引きずり出された。
《その隙間から、放水をくぐって学生がバラバラと入ってくる。 (どっと、というより警戒しながら車の間を濾過してきたように)。》

〔警察メモ〕
《18:40・・後退余儀ない。石は門内50メ−トルまで入る。部隊後退。石大きくなる。
《18:45・・車の阻止線、置き去りにされた形


構内に入った学生たちは10メ−トルほどのところで足踏みをしながら立ち止まる。
《リ−ダ−が 警官に向かったまま、隊列を整えるよう指揮。学生は次第に数を増し、8から10メ−トルで警 官隊と対峙している。社会党の石野、井岡代議士らが警官と私服に取り囲まれ「売国奴」とのの しられ、蹴られた。投石が激しくなった。

〔警察メモ〕
《18:48・・五本部長名で放水中止。学生、車を正門方向へ運ぶ。
《18:50・・3人、車の上で角棒を使いホロを殴る。
《18:52・・2,30人乱入した。放水再開。久松、神田署転進。負傷多数。
《18:55・・国会内25メ−トル。2,30人以上入る。
《18:56・・一方警転進。2,30人土手から入る。


南通用門の西側鉄条網が破られた。
《2,3人が西側土手にあがる。1人は丸刈りの高校生風、1 人は軽便ノコで鉄条網の柱を切る。(朝日TVニュ−スに撮影)10メ−トルほどの突破口があ き、バラバラとデモ隊が構内に入る。旧議員面会所のかげに30人ほど。門の東側からも20人 ほどが入り込む。》

18時59分・・2台目の車を引きだそうとする。

19時00分・・南通用門西側には、東大本郷の学生がスクラムを組み、先頭から10数列目に薄クリ−ム色のカ −ディガンに紺のスラックスの樺美智子(22)がいた。



日比谷公園にいた安保批判の会のデモ隊は提起された解散の方針を翻し、千田是也らを新たに指 揮班に組み入れ、再び警視庁へ抗議デモ。千田ら代表を中に送り込み、警視庁前でシュプレヒコ −ルを繰り返した。

〔警察メモ〕
18:59・・阻止車をさらに引き出そうとする。
《19:02・・投石再開。門の左右から徐々に入る。


19時03分・・2台目の阻止車、門外に引き出される。後方にあった車2台も後ろへ押しやられ、学生がどんど ん入る。放水効果なし。

官邸より第二機動隊二中隊が国会構内に入る。

東大本郷のデモ隊の中から「女性は危険だから後ろにさがるように」と2,3人が叫んだが、樺 はこれを拒否し、みんなと行動を伴にする。

〔警察メモ〕
19:03・・阻止車1台、正門へ引っ張られる。

19時04分・・構内に入った学生約700。樺の姿は前から10数列目にいる。
この時、学生の正面にいた警官隊が後方へ引きさがって、袋状の隊形となる。学生との間は2, 30メ−トルの広い空間ができる。

〔警察メモ〕
《19:04・・警官、袋のように後退する。
《19:05・・学生、どんどん入る。100人ぐらい。放水効果なし。


          《
「引きさがった」状態についての説明。   
            ・・「逃げるように」「しかたなく」
            ・・「サッと」「整然と」






19時05分・・西側の第四機動隊の後方で白い警棒が振り上げられ「かかれ」。警官隊はワッと喚声をあげて、 警棒を振り上げて旧議員面会所方面に殺到。
《学生は算を乱して逃げたが、一部は旧議員面会所のガラス戸を外して投げつけたり、プラカ−ド の柄を振りかざして打ち合った。警棒が学生の頭や肩を打ちのめす音が不気味に聞こえ、最前列 の学生は両手で頭を抱えながら倒れた。倒れた学生は警官に殴られながら、後方へごぼう抜きに 送り込まれ、私服の猛烈に一撃で叩き臥せられた。私服は男女を問わず負傷学生の髪の毛をつか んだり、足を持ったりして新議員面会所に引っ立てていった。

〔警察メモ〕
19:06・・旧議員面会所まで乱入。規制中。投石激しい。強力に圧出中。
《19:09・・旧議面のガラス割って投げる。
《19:10・・警官相当負傷。学生、旧議面と旧警官詰め所近くに分断されている。100人抵抗者検挙中。
《19:11・・南通から正門の土手にずらり見物中。
《19:14・・部隊後退。阻止車また引き出される。強力に排除中。
《19:16・・放水中止。学生突入。強力に圧出中。
《19:18・・門まで圧出したがまた入る。投石。




学生は負傷者をつれて、首相官邸などで通行の乗用車に向かって「負傷者を病院に運んで下さ い」と叫び、協力する乗用車が多かった。

19時20分・・学生は門外に押し出された。「誰か死んだのではないか」との噂。

19時30分・・女子学生の死が伝わり始める。
樺の死体搬出に関して
《南通用門からデモ隊救護班が運び出し、官邸付近からきた救急車に収容、19時30分頃 (警察病院調べ)警察病院に運び込んだ。

            
死因について
《司法解剖に立ち会った坂本・中田医師は「窒息死でありやく死の疑いが濃い」東京地検は 「窒息死か内蔵出血」

     樺美智子(22) 武蔵野市吉祥寺72石井方
                     東大文学部4年
                     樺俊雄中大教授長女(3人兄弟の末っ子)

樺俊雄
《「私も社会学者研究会の同僚と一緒に国会に行っていた。その帰りラジオで女子学生がデ モで死んだとニュ−スを聞いた。まさかとは思ったが何か気になって国会に戻り、聞いてまわる とどうも美智子らしいとわかり病院に駆けつけた。美智子はかって羽田デモで検挙された時父親 として注意したがその時は全学連の戦術の誤りしとて話をした。しかし、今度の場合は違う。全学連だけの問題ではない。国民全体が政府に対して心からの願いを訴えようとしているのだ。そ の意味で私は美智子が国民の犠牲になったものだと考える。しかし、親としては悲しい。美智子 はここ1週間ばかり徹夜で日本史の勉強を続けており、世の中が正しくあることを常に念願していた。親の目からみると3人の子供の中で一番かわいく勉強もよくしたし、家事の手伝いもよ くした。学校では積極的で、正義感にかられると情熱的な行動をする性格であったらしく、羽田 への参加も責任感といったようなものが働いたのだろう。」

女子学生の死が伝わると、門外の学生は異常に興奮し、再び「構内に入れ」というアジ演説は全 員を動かした。死亡は警官側にも伝わり、明らかに警官側にひるみが見えた。

〔警察メモ〕
《19:35・・学生「中央広場で抗議集会を開こう」「警官殺せ」などシュプレヒコール。》

学生や市民が柵内に黙々と待機中の警官に「人殺し」の罵声を浴びせる。

〔警察メモ〕
19:40・・再び5メ−トル入る。リ−ダ−、車の上で気勢を上げる。
《19:50・・阻止線まで50メ−トル入る。
《19:55・・官邸前で「警官が学生を殺した」と女子学生が叫んでいる。



社会党議員数人と学生が「殺すとはなにごとか」と警官隊に詰め寄る。警官隊は無言。

〔警察メモ〕
《19:57・・四号入り口付近まで入る。

学生はジリジリと門内に入り、その数は約4000人に達した。

20時00分・・加藤全学連委員長代理、指揮車から抗議集会を呼びかける。門内はびっしりと学生で埋まった。

〔警察メモ〕
20:07・・門内に学生の宣伝カ−入る。内外に学生4000。
《20:14・・五本部長、社会党加藤に説得申し入れ。
《20:15・・門内で学生集会中。
《20:19・・議員面会所前で警官暴行された。
《20:20・・門内に学生4000。
《20:30・・輸送車4台引き出された。
《20:33・・車合計7台壊された。
《20:35・・包囲した学生を社会党議員連れ出す。城東、深川、向島、本所署員南通用門へ。


21時00分・・気温21.0度  湿度86%
国会構内集会「殺された学友の冥福を祈って黙祷」とリ−ダ−が呼びかけ、1分間の黙祷。静ま り返った構内、雨がひときわ強く降り出し、山王祭の花火が夜空にあがった。負傷学生の重傷者 は新議員面会所の地下面会所に投げ出されていた。入り口には警官隊がピケを張り、報道陣も国 会議員も駆けつけた大学医学関係の看護班も立ち入りを禁じられた。

種々交渉の結果やっ入る ことができた大学・研究グル−プの人たちの話。
「部屋は血と汗と消毒液とほこりの異臭が立ちこめ、数十人の重傷者がいた。この部屋には私 服がいて、名前を聞き回っていた。」

《学生は警官に向かって「人殺し!」「鉄かぶとをとって黙祷しろ!」と叫び、「とれ!とれ!」とシュプレヒコ−ルを何十回も続けた。(「安保闘争」P184)》

《この部屋の重患は22時近くから救急車に収容され出したが、大部分は16日0時まで放置され ていた。社会党の多賀谷、小柳、滝井議員は警視庁で石岡公安部長と会い、「事態収拾のために、 全学連は1時間の集会の後構外へ退去、警官隊は実力行使を慎重にするよう現場の第五方面本部 に指示する」との斡旋を取り付けた。社会党某(八百板?)議員は全学連加藤委員長代理に「22時まで待て、正面へ君らが移れるよ う斡旋中だ」


〔警察メモ〕
《21:45・・社会党議員八百板代議士、学生に外に出るよう説得するという。》

八百板、学生と交渉。
 
《学生群の後方から「殺されたんだぞ、進め、進め」「警官隊は崩れた」との声があがった。再び 雨が降り始め、数人の社会党議員は「しょうがないな」と院内に引き揚げる。学生リ−ダ−「た だいまより正面玄関へ向かう。諸君、スクラムを組んで着実に進もう」》

〔警察メモ〕
《22:00・・南通用門の学生2200正門に向かう。三機国会へ。》



ラジオ関東の神岡報道部員は東側警官隊の前面にいる。
「警官隊の指揮者が、代議士さまもご覧になっていることなんだ、といって激励しているの を聞いてヤナ気持ちがした。」

22時05分・・動き出した学生の後方で「後方があぶない」との声。同時に後方の第四機動隊が警棒をふるって 殴りかかる。警官の指揮者は「警棒を収めろ」と命令し、伝令は「慎重にという本部指示です」 と叫んで回ったが、前線の警官はこの指示に従おうとしない状態になる。



〔警察メモ〕
《22:07・・規制。負傷者多し。
《22:10・・投石激しい。
《22:15・・学生負傷者正面玄関に2人。投石激しい。


警棒はうなり、学生は雪崩をうって南通用門の外へ逃げ、そのあとに混乱を物語るおびただしい 靴が散らばった。
神岡記者と北村部員も警官に襲われ警棒で殴られる。
「なにをする、報道員だ、といったが、こいつもかと数回殴られた。国会記者章が見えぬのか、 責任者を出せ、と怒鳴ったが無駄だった。警官隊は指揮車の上に学生救護班まで追い上げて 打った。女子看護班の悲鳴が聞こえた(朝日TVニュ−ス沖カメラマン談)》
《学生は逃げ、手当たり次第にタタミ石を砕いて警官隊に投げた(東大法学部自治会、内藤談)。》
《逃げながら学生の1人が藤棚の近くから容器に入れた油に発火させて投げた。炎は投げ手の手に かかり近くの学生の頭や肩に点々と降りかかった。火が地上をチラチラと走った。先端の警官は オッと叫んだ(朝日ソノラマ、藤巻記者)。》
《学生たちは道路上に転びながら逃げた。「チャペルセンタ−へ集まれ」と隊を組んで参院方面へ 移動した。


〔警察メモ〕
22:20・・三機、第二通用門から入る。
《22:30・・正門前、車倒そうとしている。


22時30分・・正門と南通用門との中間で南通用門から引き出された警官輸送車5台が炎上。ツメエリの服を着 た男たちは顔を手ぬぐいで隠していた。しかし、放火をやっている者は少数(20から30人) だった。(藤巻記者談)

〔警察メモ〕
《22:50・・輸送車燃えている。
《22:56・・放水。
《23:00・・隊伍を組み通用門から参院方面に2500。


学生は大部分がチャペルセンタ−の前に集まり、3,400人ぐらいが恩給局の曲がり角、10 0人近くが正門の土手近くにいる。

〔警察メモ〕
22:23・・正門前投石。
《23:41・・正門前で車に火をつける。
《23:42・・全部燃える恐れあり。
《25:50・・法大生700人「見るに忍びない。帰ろう」と呼びかけている。
《23:57・・正門前2台目炎上。3台目も燃える。




藤巻記者談
《「正門前に並んだ警官輸送車が引き出されていくのを見た。すでに2,3台がダラダラ坂を中 央に引き出されて燃えていた。放火を行っている者の数はやはりここでも少数だった。火は手 順よくつけられた。まず、2,3人が運転台に飛び乗る。運転台のシ−トをあげて、重油タン クを金具でコンコンとたたく音が聞こえた。(重油が出る)次にボッと火が出た。放火者は飛び降り、加勢を得て車を中央に押しおろし、ワッショイと横転する。火は激しく燃え上がって あたりを照らし出した。手際が実に鮮やかだった。暗闇でお互いに名前を呼び合っていたので、 よく知っている仲間だなと感じた。」

チャペルセンタ−前の学生は輸送車が燃えるごとに歓声をあげる。
《リ−ダ−は「我々は明日の1 1時までここに座り込もう。11時には国民会議の労組員が応援に来る。われわれはこれに合流す る。」

警官は正門の中から3台の放水車を使って消火しようとするが効果なし。

〔警察メモ〕
《00:00・・五機、米国大使館より転進。
《00:07・・気勢あがる。ガス弾を使わなければいけない。
《00:10・・配慮されたい。


チャペルセンタ−前の学生リ−ダ−
「正門前でトラックを燃やしているが、こういうやり方には 賛成できない。正門前には右翼や警官が集結している。これ以上ケガをするのは無意味だ。トラ ックの周辺にいる学生を呼び戻そう。」

》学生たちは学校ごとに点検を行い、数人が正門前にいた学生を連れ戻す。(東大課長談)

東大理学部・伴野助教授、茅総長に電話で事情説明。
茅総長国会に到着、議面に入る。
大浜早大総長もKRテレビから国会へ。

〔警察メモ〕
《00:14・・教授団、茅学長がスピ−カ−で抗議を訴える。
《00:15・・四機、正門前到着。
《00:16・・正門前学生、チャペルセンタ−へ移動し抗議集会を開くという。
《00:21・・燃えた車は10台、正門の阻止車両をさらに引き離している。
《00:22・・チャペル前に移動。隊列を整えている。


茅・大浜両総長は大学・研究者グル−プと協議したうえ警視庁へ行き、警視総監に「学生に対す る警官の暴行に抗議し、これ以上ケガ人を出さないよう」に申し入れ。警視総監は「もうデモ隊 は解散したから安心して下さい」と述べる。
 
茅学長
《我々は説得以外なんの力も持っていない。これまでにもいろいろと手を打ってきたが現実はや はりこうした騒ぎになってしまう。最近は学生を刺激するような材料が多く、学生の心にある 不安と不満を取り除かない限り我々の説得が有効かどうかきわめて疑わしい。(読売)

〔警察メモ〕
《00:45・・正門前の4台目に火をつける。
《00:53・・阻止車両はあと8台だけとなる。
《00:55・・正門前、警官二機は一機と交替した。
《01:00・・車13台目を転がそうとしている。
《01:04・・14台目にかかる。残りは4台。


01時10分・・燃え残りのトラックは2台しかない。(藤巻記者)
            警視庁発表  全焼16 半焼2

そのとき、突然パンパンと2発の炸裂音。(藤巻記者)つぎの瞬間「麹町警察署長です。学生諸 君が立ち退かぬので催涙弾を使用します」という拡声器による警告を聞き、数十発の催涙弾が発射され爆発した。

〔警察メモ〕
《01:14・・E型ガスを使用するという。
《01:15・・E型ガス32個使う。




藤巻記者は目をやられて、朝日新聞のラジオカ−に逃げ込んだ。前の2発は無警告だと思った。》

《チャペルセンタ−の向かい側にいた東大の内藤は・・燃えているトラックのタイヤの破裂音と催涙弾の発射音が似ていて、警告の有無を確認できない。警視庁は照明弾だという。》

《東大の学生は左頬に催涙弾の直撃を受け、左耳の鼓膜が破れ顔面、肩、胸部に火傷を負って入院。》

〔警察メモ〕
《01:18・・一、三、五機で実力行使中。
《01:20・・地下鉄入口(南通用門付近)の教授団、学生500人排除中。




催涙弾発射と同時に警官は警棒を振りかざし、喚声をあげて学生に躍りかかった。

藤巻記者
《恩給局の塀寄りのドブに落ちてはいあがろうとする学生が殴られるのを見た。ラジオカ−の内部も苦しくなったので、平河町方面に向けて移動しようとした時、毎日新聞のカメラマンが「KRが2人負傷した。救急車を呼んでくれ」と車の戸を開けて叫んだ。》

《警官は電車通りを越えて学生を追った。(東大・内藤)》

《電車通りを越えて学生を堀端近くまで追う。(負傷した清水東大助手)


催涙弾の音を聞いて国会記者会館を出て南通用門を下がり議員会館へ折れる三叉路の近くまで来たとき、道路いっぱいに広がったトキの声をあげながら真っ黒になって、すごい速度で駆け上がってきた。その前を学生が逃げまどい、転倒した学生に警棒が鳴った。私たちは驚いて逃げ出したが、逃げながら、警官隊の指揮者が「事態は騒擾である。全員手錠をかけて逮捕せよ」というのをはっきりと聞いた。(朝日新聞・一柳、大西記者)

南通用門向かい側道路にいた約300人(確認できない)の大学・研究所グル−プが警官隊におそわれる。
《この有り様を見た報道陣はごく少数であるので、学者グル−プの先頭にいた「大学・研究所・研究団体集会」実行委員の話と6月20日同集会が明大教授・篠崎武、東大助手・五十嵐の責任において公表した真相報告、及び当夜居合わせた教授・研究者の体験を基盤としてのレポ−ト。》
《「警官隊が追い上げて来た時、大学・研究者グル−プは南通用門の向かい側、やや地下鉄駅よりに三々五々と集まっていた。同グル−プは、19時に起こった乱闘で多数の学生が負傷したことを知り、その救援策や警察への抗議のため院内に赴いた代表の報告を待っていた。代表は、この乱闘による次のような悲惨な学生の負傷状況の報告を受けていた。》

《第一次衝突の負傷者が19時をだいぶ過ぎたころから官邸前の救急車に運ばれ始めた。新議員面会所ではある者は手錠をかけられ、その負傷者を私服刑事が救急車につれて乗り込もうとして、憤激したデモ隊に殴られた。(消防庁の三井警防第二係長はこの状況を見て、責任者らしい警部に゛手錠はやめてください゛と申し入れた)。》


大学関係者らの要請で国立東京第一病院、代々木診療所、順天堂などの診療班が続々着いた。東大診療班は正門前で多数(100人前後)の学生その他を治療したが、催涙弾投下後の大部分のキズは後頭部や背中の裂傷、打撲でひどく裂けていた。これは後ろから警棒が振り下ろされたことを示している・・とそのときの医師や看護婦は異口同音に語っている。ある医師は学生の知らせで0時頃、参院第二通用門付近に放置されていたまま瀕死の重傷者1人を救った。

01時20分・・ 「右翼がきたぞ、危ない、スクラムを組め」とだれかが叫んだ。皆がスクラムを組みはじめた。 グル−プの先頭には大学研究者たることを明らかにしたチョウチンを掲げ、旗もたてていた。
そのとき、数十人の学生がバラバラと駆け抜けていった。その後を警官隊が喚声をあげながら ヘルメットを光らせ、黒い一丸となって殺到した。「大学・研究所のものです」「我々が集会 の責任者だから警官の指揮者と話そう」と口々に叫んだ。責任者は15センチ幅の白木綿に 「大学・研究者集会」と墨で書いていた。警官隊は一瞬立ち止まったが、すぐ後ろから「やれっ」という叫びがあがった。警官は警棒を 振り上げて打ってきた。「あなた方がどけというなら、私たちは去ります」と叫んだ教授もい た。ここでも警官隊は一瞬ためらったようだが、後ろから「やれっ」という声がかかって警棒 がうなった。もはや、警官隊は容赦なく打ちかかってきた。》

《ただ通行人として首相官邸から南通用門の方へ向かって1人で歩いていた。地下鉄入口付近で 前方から学生が逃げてきた。「こわい」という女子学生の声を聞いた。そのとたん肩を警棒で 殴られた。「騒擾罪だ。全員逮捕だ。」というかけ声を聞いた。着ていたジャンパ−には返り 血がついた。(評論家・篠原正瑛)》

教授団はバラバラと逃げ散った。多くは首相官邸の前の総理府を南に折れて走った。一部は総理 府のガレ−ジに飛び込んで木の柵を越えようとあがいた。そこを警官隊は襲って殴った。頭を守 ろうと手で覆った者は、手の甲に打撲傷を受け、倒れて四つん這いになった者は蹴られ、踏みつ けられた。警官に腕をつかまれて円陣の中に投げ込まれ、蹴飛ばされた。警官は「貴様たちが扇 動しやがったんだな」「殺せ、殺せ」「一人も逃がすな」と怒鳴っていた。教授グル−プは特許 庁の角を左に折れて、虎ノ門近くに集まった。数は150人ぐらいだった。襲われてからこれま で約5分ほど。18の大学・研究所から27人重傷、115人軽傷。(大・研・研6.20現在)

01時25分・・ラジオ関東の窪田アナはFMカ−を首相官邸と国会記者会館の中間に置いて、教授団が警棒で打 たれる状況を島アナが実況中継していた。
《数人の警官が両アナに襲いかかった。「何をしてるんだっ」「ラジオ関東だ。実況放送中だ」と 両アナは叫んだ。学生や教授団を追い散らした警官隊は官邸前の広場で陣容を整えて去った。こ の後窪田アナは奇妙なことにぶつかった。2人の私服刑事が数人の男に追いまくられて通用門に とりつき、内側の警官に「刑事だ、開けてくれ」と叫んでいた。私服はどうにか逃げたが窪田アナがその男たちに「あんた方は学生か」と聞いた。すると、入れ墨をしたものもまじえた男たち は「俺たちはオデン屋組合の被用人だ。120人で来た。警官なんかやっつけちまえ。弱虫の学 生とは違うんだ」といいながら消え去った。

〔警察メモ〕
01:30・・正門前、一団となり警視庁へ向かう。
《01:32・・警視庁ボイラ−室から庁内に乱入、ガス使用40個。
《01:34・・デモ隊、グランドホテルまで圧出。
《01:35・・学生は尾崎記念館に300、日比谷500、リンカンセンタ−50。
《01:38・・人事院に200、牛込部隊と対峙中。
《01:40・・総監公舎付近に30。
《01:44・・学生、麹町署を占拠するという。

01時30分・・緊急臨時閣議声明。
《このたびの全学連の暴挙は暴力革命によって民主的な議会政治を破壊し、現在の社会秩序をく つがえさんとする国際共産主義の企図に踊らされつつある計画的行動に他ならないのであって、 もとより国民大多数の到底容認し得ざるところである。我々は自由と民主主義の基盤の上に初 めて真の平和と繁栄が築かれることを確信しているがゆえに、これらを破壊せんとするいかな る暴力にも屈することなく完全にこれを排撃し、もって民生の安定を守りぬかんとするもので ある。計画的破壊活動に対して治安
当局のとれる措置は当然のところである。国民諸君におい ても今回の不祥事件の背後にひそむ本質を見極め一層の理解と協力あらんことを要望してやま ない。


01時45分・・チャペルセンタ−前の学生たちは数グル−プに分かれ有楽町方面に向かう。約200人が有楽町 交番を襲い、窓ガラスを壊す。三宅坂、半蔵門の交番などもガラスなど壊される。

〔警察メモ〕
01:45・・有楽町交番包囲さる。
《01:47・・有楽町交番勤務員逃げる。交番破壊。
《01:49・・総監公舎、麹町署無事。
《01:52・・一機、正門交差点から人事院方向に野次馬排除。
《01:58・・米国大使館と満鐵ビルの間に学生300人、米国大使館に突進しようという。

02時00分・・逃げ延びた教授グル−プは特許庁前で解散。

この日は49台の救急車で162回のピストン輸送を行い、479人を病院へ運んだ。うち、重 傷は36人、現場手当110人(22日現在・消防庁)

新劇人その他自由参加者で2週間以上の負傷者62人(19日正午・新劇人会議資料)

警官負傷714人、うち2週間以上36人、入院11人(23日現在・警視庁資料)

報道関係者も10人が負傷。

逮捕者174人

負傷して救急車以外の車で病院に運ばれたり、そのまま帰宅した者も多く、正確にはつかみがたい。

04時35分・・全学連の主力は有楽町で解散。

〔警察メモ〕
04:35・・学生、有楽町で解散。

全学連は全国大学自治会に授業放棄を指令、国会正門前と警視庁に無期限の座りこみを行うことを決定。18日か らは首相公邸に座りこみ岸首相を缶詰にしてアイク出迎えを阻止することを確認。
《学生側は整然としたデモを行っていたが参議院通用門付近では警官側が板切れを投げつけ革靴で蹴飛ばすなど の暴行をしたうえ、放水するという暴挙をおこなった。そこへ右翼の宣伝カ−が約60キロのスピ−ドで突っ 込み多くのけが人を出したが警官は手を込まぬいて見ているだけだった。一切の責任は新安保条約を批准しよ うとする政府、警察、自民党のやり方を容認する人たちにある。

総評声明。
《新安保阻止、岸内閣退陣、国会解散、アイク訪日中止を要求する第18次統一行動は580万人の参加を得て 整然と行われた。この行動の一環として行われた国会請願に対し午後6時頃突如右翼団体によって暴力が再三 にわたって加えられ、数十人の新劇人、学生、労働者が負傷した。この右翼の暴力に対し警官は終始傍観の態 度をとっていた。この態度に抗議した全学連に対し警官は警棒をもって襲いかかり、死者数人を含め数百人の 負傷者を出した。このような右翼暴力団と警察官がグルになって整然と行われている請願行動を暴圧しようと する態度は、ますます広がる新安保反対、岸内閣退陣、国会解散を要求する国民各階層の前に孤立した岸内閣 がファッショ的弾圧をもって運動を阻止しようとしたあらわれである。我々はこのような岸内閣の暴挙に強く 抗議するとともに即時国会を解散するとともにアイクの訪日を中止するよう要求する。と同時にこのような殺人を犯した警察責任者の処罰を要求する。

安保改定阻止国民会議声明。
我々は15日岸内閣に対する国民の怒りを結集して政府、自民党、アメリカ大使館に対し18万6000人の大衆抗議行動と全職場のストライキを行った。岸内閣と自民党はこの大衆行動に対し右翼暴力団を使いトラッ クを大衆のなかに突入させ、こん棒を振り回すなど乱暴のかぎりをつくし38人の重軽傷者を出した。この暴力団が自民党本部に集結し白バイに守られて往復していた事実を我々は断じて許せない。特に警官隊の暴力は 学生1人を撲殺し、数百人の重軽傷者を出した。我々は16日以降岸内閣と警視庁に対し断固たる抗議行動を 展開し、岸内閣の引責辞任と国会解散、新安保の批准中止を要求する。またアイク来日には強く抗議する。》

東京都公安委員会、アイク訪日について都民の協力を求める声明発表。
《今回のアイゼンハワ−大統領の来日に際し東京都公安委員会は大統領が滞在期間を通じ、終始平穏快適に過ごされることを全ての都民諸君とともに念願してやまない。この友邦の元首を迎えるにあたり、その安全を妨げ または不快を与えるような行動は近代国家の国民として真に恥ずべき行為であるばかりでなく、わが国の国際 的地位に及ぼす影響の計り知れないものがあることを思い、都民諸君の良識ある行動を期待するものである。 本委員会は、大統領の滞在期間中、宿舎、沿道及びその周辺のデモ等はこれを認めない方針であり、また不法 行為発生の予防及び取り締まりにつき強い決意を有するものであることを表明する。都民諸君の理解あるご協 力を切望する次第である。》

東京教育大は警視庁に「13日夜の武装警官隊の大学乱入は不法であり、学生と警官の仲介に入った教官に乱暴を 働いた」と抗議するとともに、全国の学者、研究者、学生に対し「ともに抗議に立ち上がってほしい」と訴える。

素粒子論グル−プ、原子核研究者202人の署名を集め教育大朝永学長に「学問の自由と大学の自治を守ろうとす る立場を全面的に支持する」と激励。

1960.6.16
全国各大学で一斉に抗議行動
《東大・・・午後から全学緊急教授会を開いて負傷学生の対策を協議。午後1時から教授会、学生が安田講堂で 合同の抗議集会を開き抗議声明を発表。
《明大・・・午前9時から授業を中止して教職員研修会。デモ参加の教職員から真相を聞き抗議。  
《法政・・・自然休講。学部別教授会。午後から真相発表抗議集会。
《北海道学連・18日まで連続スト指令。300人を東京に送る。午前10時約600人が自民党北海道連合へ デモ。北大では全学集会を行ったあと他大学と合流して激しいデモ。
《九州学連・九大教養学部2000人が朝から学内集会を開き2日間のストを決議。九大1000人、西南大1 200人、福岡学芸800人が授業放棄して学内集会のあと福岡県警へデモ。
《宮崎大、大分大、佐賀大、熊本大、鹿児島大も授業放棄。
《大阪府学連・市大、学芸大、阪大、外大、女子大などが抗議集会。
《その他・・横浜学大は17,18授業放棄、19日は羽田へデモ。東京農工大、東京経済大、一橋大は授業放 棄、富山、岩手、広島、山口、静岡、秋田、金沢、岡山大などが無期限スト決定。静岡、山梨では 各200人が上京。
《兵庫県学連は17日から授業放棄。名古屋、岐阜、京都、同志社大などは抗議 集会のあと府県警本部へデモ。



慶応大学法医学教室で樺美智子司法解剖。
《中館教授》
《精密検査が済んでいないので詳しいことは言えないが、致命傷は圧迫による内蔵器出血、外傷はあまり大き なものはないが下肢の方に細かな外傷がかなりある。また傷のてんからみて仰向けに倒され腹部にかなりの外力が加わったことは間違いない。警棒で殴られた形跡は認められない。内蔵出血が相当広範囲にわたって いたため即死に近い急性死だった。》

樺教授側見解。
《内蔵出血は膵臓からであり、また喉に絞められたようなうっ血が認められた。腹部には靴のような大きなも のによる圧迫があるうえ、右前額部に傷がある。》

東大文学部国史科の学生、教職員が「樺美智子東大慰霊祭準備会」結成。

《「私たちの子供はついに殺されてしまった。大人たちがだらしないために、一人の娘が殺されてしまった。 ゛子供たちにすまない゛この思いで私たちは泣いた。(「5月19日」ある母p105)》

総評弁護団、警官隊の行きすぎた警棒使用に職権乱用の疑いが濃いと東京地検に申し入れ。

午後4時5分、臨時閣議。アイゼンハワ−米大統領の来日延期を決定、直ちにアメリカ側に伝達。

新聞社共同宣言「暴力を排し議会主義を守れ」
《6月15日夜の国会内外における流血事件は、その事の依ってきたる所以を別として、議会主義を危機に陥れ る痛恨事であった。われわれは、日本の将来に対して、今日ほど、深い憂慮をもつことはない。民主主義は言 論をもって争われるべきものである。その理由のいかんを問わず、またいかなる政治的難局に立とうと、暴力 を用いて事を運ばんとすることは、断じてゆるされるべきではない。一たび暴力を是認するが如き社会的風潮 が一般化すれば、民主主義は死滅し、日本の国家的存立を危うくする重大事態になるものと信じる。よって何 よりも当面の重大責任をもつ政府が、早急に全力を傾けて事態収拾の実をあげるべきことは言うをまたない。 政府はこの点で国民の良識に応える決意を表明すべきである。同時にまた目下の混乱せる事態の一半の原因が 国会機能の停止にもあることに思いを致し、社会、民社の両党においても、この際、これまでの争点を暫く投 げ捨て、率先して国会に帰り、その正常化による事態の収拾に協力することは、国民の望むところと信ずる。ここにわれわれは、政府与党と野党が、国民の熱望に応え、議会主義を守るという一点に一致し今日国民が抱 く常ならざる憂慮を除き去ることを心から訴えるものである。》
             朝日新聞  毎日新聞  読売新聞

近代文学同人6人が警官の行動は取り締まりの限界を超えたものだとの抗議文発表。

安保批判の会声明。
《6.15の国会付近における混乱は一切現政府の責任である。政府がア大統領の訪日延期を要請するに至ったこ とは当然であり、むしろ遅きに失したものと考える。しかし、我々国民の中心的な目的は安保条約批准を阻止す ることである。この目的達成まで我々の行動は続けられる。条約のごとき重大問題を機械的に自然成立させるこ とによって一層重大な事態に立ち至ることを我々は恐れる。我々はここに改めて岸内閣の即時退陣と国会の解散 を要求する。》

立教大学、学習院大学教授団が警官の暴力に対し抗議声明

東京女子大全学生、教職員集会、岸内閣退陣、安保改定、暴力反対を決議。

民主主義を守る横浜大学人の会世話人、事務局会議、警察側責任者の厳罰を要求するとともに、各大学に対して学 生とともに立ち上がることを要請。

東大学生、大学院生、教授団、職員組合などで全学集会、茅学長以下約1500人が参加。全学休校に入ることを 決議。

千葉大「学生虐殺抗議大集会」、無期限スト突入

埼玉大、2日間のスト突入

東京芸術大学美術学部教授、学生合同集会、安保批准阻止と逮捕学生釈放まで無期限ストに突入



茅東大学長声明
《この事件で警官の行き過ぎは明らかであり、学生を預かる者として抗議する。学生の行動は切迫した危機感に よるもので、この行動をとらせたのは新安保強行採決で議会主義を危機に追い込み、国会と国民を遊離させた にもかかわらず、政治責任者が国会の機能を回復させる適切な手段を何もとらなかったことにある。例えば解 散などが行われておれば学生は平穏な方法で意思を表明する機会を与えられ、15日のような行動はしなかっ ただろう。ところが何の措置もとられず、その上アイクを招こうとしたため、学生に民主主義回復の努力が無 力だという絶望感を与えもので学生だけを責めることはできない。このような事態では大学は学生教育の任務 を果たすことができないばかりでなく、説得などで学生に平穏な行動を求めても効果ない。この趣旨に基づいて政治責任者が民主主義的責任政治を回復すること以外に解決はなく、その努力をすることを強く要望する。》

日本母親大会連絡会と人権を守る婦人協議会は共同で岸首相と小倉警視総監に抗議文

安保改定阻止新劇人会議、社会事業会館で警官隊の暴行に対し抗議集会。

全学連特別声明
《政府がアイク訪日延期を決定したことは我々の勝利であることを高らかに宣言する。しかし、樺美智子さんの死をムダにせず、あくまでも岸内閣の退陣と暴力警官の追放を目標に闘いを進める。》

激しい雨の中、国会南通用門前で学生300人が日本山妙法寺の僧侶の読教に合わせて冥福を祈る

午後2時、全学連約8000人が国会正門前に集結。抗議集会。午後4時40分、アイク訪日延期の情報が首相官邸前と国会正門前の学生に伝えられ歓声があがる。その後労組員も含めた約2万人が「岸を倒せ」のシュプレヒコ−ルから「岸を殺せ」と激しく切り替えて国会正門前で激しいデモ。5時半すぎから二手に分かれ警視庁に殺到。主流、反主流ごっちゃになった約2万人が警視庁正面玄関をはさんで桜田門から最高裁前の通用門まで道いっぱいにジグザグデモ。学生たちはほとんど傘なしで降りしきる雨の中でずぶぬれ。口々に「樺さんを返せ」「殺しやの小倉を殺せ」「殺人警官を殺せ」と叫び何十回と往復デモ。武装警官は目をひきつらせて玄関前を固め一触即発となったため国民会議の労組員30人が午後7時デモ隊と警官隊の間に割って入り、デモ隊は午後8時過ぎ京橋方向に流れて解散。

「友よ!雨の中に 
      くずおれた赤い花のように 
         倒れて動かなかった友よ全てをすてて 
               自由と平和を守ろうとした友よ!

   私たちは忘れない 
      この混迷のなかで 
         生命をかけて 闘った君の姿を
   
   私たちは忘れない 
      君をたおした 黒い手の人々を
   
   友よ!みていたまえ 
      私たちは闘うだろう
   友よ!みていたまえ
                1960年6月」(「安保闘争」p194)




1960.6.17
午後3時、全学連約7500人(警視庁調べ)国会正門前に集結。4時から正門前をぎっしり埋めて抗議集会。
《この日は香川、岐阜、静岡など地方学連も参加。学生専用救護車3台を用意、社会党も「不当弾圧監視団」を数班つくって学生とともに巡回。集会のあと学生たちは国会周辺を激しくデモ。

全学連反主流派約6000人は日比谷公園に結集、国会周辺をデモ。

新橋駅付近に暴力団約1000人が集まっているとの情報。(未確認)

安保阻止国民会議約3万人は引き続き国会請願デモ。

午後6時5分、衆院議員面会所正面玄関前で請願を受け付けていた河上丈太郎(71)社会党顧問、潤(とま)真三郎(20)に襲われ、左肩胛骨部刺傷で2週間の負傷。

国立大学協会第20回総会声明発表。
《現下の政治的混迷と社会的不安は大学にも反映して深刻な問題が大学の内外に続発していることは深慮に耐えない。最近の一部の学生運動をみるにその心情と動機は理解できるが、その方法と行為は大学本来の使命の遂行を難しくするばかりでなく、かえって大学の自治を危うくする。ことに学外の社会的秩序を無視した行動は最高学府に学ぶ者として、また民主主義国家の市民として遺憾である。我々も責務の重大なるを感じ、教員、学生ともに大学の使命と秩序を確立し、このようなことを繰り返さぬよう一層の努力を尽くしたい。なお、全ての人々の理解と協力により、速やかにわが国の政治が正常に復し、民主主義社会の基本が失われることがないよう切望する。

埼玉大学生自治会、教職員組合合同で6.15事件真相究明抗議集会。

東大教育学部教授、学生が抗議集会。


宇都宮大教授会、18日までの休講を決定。

警視庁公安一課、6.15で逮捕した175人を送検。送検されたものの中に近代文学同人・吉本隆明(35)も含まれている。

東京株式市場ダウ1000円の大台を割り込む。


1960.6.18
社会党中央執行委員会、自民党の参院安保強行議決を衆参両院議員で阻止することを確認。

参院自民党は数回に渡り参院安保特別委員会を強行開催しようと試みたが委員会前の社会党議員に阻止される。

安保改定阻止国民会議第三波実力闘争。
  《
全電通が2時間の時間内職場大会、全逓は1時間の職場大会、官公労も職場大会など単産組合が時限スト。》

全国の大学はほとんどがスト、休講に入り、抗議集会、デモに参加。

午前11時、日比谷野外音楽堂で全学連の「樺美智子慰霊祭」。約5000人が会場を埋める。

午後零時、東大本郷法文経25番教室で「樺美智子合同慰霊祭」

全国72国立大学長会議で松田文相あいさつ。
《アイク訪日延期が羽田事件や国会内外の乱闘事件などにあることは許されるべき事ではない。この事態に対し各大学関係者の中には学生の行き過ぎ行為に対する原因と責任を他に求め、大学自体の立場と反省に欠ける態度が見えることは了解に苦しむ。学生の身分で学外で激しい実力行動にでることはその動機、理由を問わず許されない。また最近一部に見られる大学教官の言動には多大の疑問を感じる。速やかに大学の使命と重責を果たすよう各位の自省と努力を切望する。

労組員、学生、文化人、婦人団体、地方共闘会議など約33万人(国民会議調べ)が国会周辺を埋め尽くす。
  総評系労組員・・・・・・16万5000
      中立系労組員・・・・・・ 2万5000
      学生・・・・・・・・・・ 7万
      地方代表・・・・・・・・ 4万
      学者・文化人等・・・・・ 3万

陸上自衛隊第一管区隊、首都防衛大隊、近県各部隊に外出禁止令。

この日のデモはかつてない大規模なものであると同時に全学連や一部労組は激しいジグザグデモに終始し国会一帯は異常な興奮に包まれた。

社会党、全学連に対し勧告書を手渡す。
わが党はかねて学生諸君の純真な愛国的行動に強く敬意を表するものであるが、本日の大抗議行動にさいしては安保改定阻止国民会議の方針に従い勇気と良識をもって協力されるよう期待する。断じて敵の挑発に乗って国会構内突入などの混乱におちいることのないよう念願してやまない。

社会党、国民警備隊を組織、ヘルメット部隊を登場させる。

午後3時、国立劇場建設予定地で安保阻止国民会議主催「岸内閣打倒、国会即時解散、安保批准阻止、不当弾圧抗議国民大会」。
約25万人が会場からあふれだし国会付近までをぎっしりと埋め尽くす。浅沼社会党委員長、野坂共産党議長らに続き樺美智子の両親が警官の不当さを訴える。4時すぎから2方向に分かれて津波のように国会へ向かう。

安保批判の会など約4万人は警視庁に弾圧抗議と逮捕学生の即時釈放を求めてデモ。

地方代表は首相官邸、アメリカ大使館を包囲、先頭が首相公邸前徹夜座りこみを宣言し座り込んだため後続が立ち往生、渋谷周辺の交通はマヒ。公邸では北海道教組を先頭に約2万人の地方代表に続き都内の労組員約2万人が押し掛けた。デモ隊は4メ−トルの公邸前をいっぱいに広がって駆け足でデモ。特に国労は正門前に猛烈なアタックをかけ、2人が隊列からはじきとばされて負傷。

7時から国立劇場予定地で再び都内共闘、新劇人会議、民間労組ら約3万人が集会。

東大で樺美智子全学葬。
《茅学長は、参加した学生4000人のデモ出発に際し東大正門前で宣伝カ−のマイクを通じ「私の声明に対し学生たちの暴走に油を注ぐようなものだという批判もあるが、私の趣旨はそうではない。学生諸君が私を支持してくれるなら今日の行動で身を持って示してほしい。正々堂々と秩序ある行動をとってほしい」と呼びかける。

全学連主流派3万人は午後4時半から国会正門前で集会。
《8時宣伝カ−が「これからデモに移る」と号令すると回りを通る労組のデモ隊や警官隊が一斉に色めき立つ。しかし、宣伝カ−からの指示は「徹夜でデモをやりながら座り込む。だが門を壊したり火を付けたりすることは絶対にしないでもらいたい。もしハネあがるものがあれば敵の挑発スパイとみなし、すぐ隊列から離れてもらう」と激しい口調で繰り返す。

反主流派2万人は各所でジグザグデモを繰り返し、反主流派は警視庁前いっぱいに座りこみ。警視庁の玄関トビラや門灯をこわ
し弾圧反対を叫ぶ。警視庁では乱入した場合は再び催涙弾を使用する方針を固め緊張した事態が続く。

夜に入り全学連4万、労組員4万が徹夜の座りこみに入り赤旗と白シャツでうめつくされる。その後も一時解散した人々が続々と国会周辺にもどり始める。
《これほどおびただしい数にのぼる大衆行動がかって一度でもあっただろうか。約2キロ、国会議事堂を三角形に包む道路は文字どおり人の波で埋まった。ジグザグデモの「岸を倒せ」のシュプレヒコ−ルはそれこそ夜空を揺るがしたし、その大きなかたまりの中からは汗の臭いがむんむん立ち上っていた。それと対照的だったのは明かりを消した国会構内で鉄カブトを鈍く光らせながらひっそりと待機する警官隊であった。(読売)》

1960.6.19
午前零時、憲法第61条の規定により日米安全保障条約は国会で自然承認。
  
日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約
日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定
条約第6条の実施に関する交換文書
吉田・アチソン交換公文等に関する交換公文
相互防衛援助協定に関する交換公文
安全保障協議委員会に関する往復書簡
日米相互協力及び安全保障条約についての合意された議事録
協定第12条6項(d)に関する交換公文
日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約第6条における合衆国軍隊の地位に関する協定についての合意された議事録

自民党声明。
《新安保条約はついに憲法第61条の定めるところにより自然承認を見る結果となった。わが党は国民とともに社会党の反議会的、暴力主義的態度をはなはだ遺憾と思うとともに、ここにしん日米安全保障条約の国会承認が成立したことを心より喜びとするものである。そもそも新安全保障条約は従来社会党その他の熱心に主張して来たところをことごとく取り上げ日米両国が自主対等の立場にたって現行条約の不備、欠陥を改め合理的なものとたものである。しかるに最近にいたって社会党その他一部の反対勢力はにわかに外国の反民主主義勢力と呼応して新条約の内容とは全く相反する逆宣伝につとめ、総評、全学連などの院外勢力の突き上げによって改定阻止の態度に出てきたことは奇怪至極である。しかも国会が審議中は何等建設的な論議を行わず最終段階において院外反民主勢力と一体となって、もっぱら議会政治を破壊する態度に出たことは誠に遺憾に耐えない。我々は真に日米安保条約によって友邦とますます提携を緊密にするとともに、あくまでも戦争の防止と世界平和の保持につとめ、国内においても平和の保持と民主政治擁護のため決意を新たにして諸般施策の回復向上と民族の繁栄、福祉の増進に最善の努力を払うことを厳粛に誓うものである。

社会党緊急中央執行委員会「新安保条約不承認」宣言発表。

午前5時半、国会周辺を埋め尽くしていたデモ隊は朝靄のなかで立ち上がり激しいデモを再開。だがデモも約30分で終え、学生たちは疲労した青い顔に怒りのまなざしを込めたまま警視庁、日比谷、有楽町にむかって流れ解散していった。あとには国会周辺に散らばる紙屑の山。残留部隊の有志たちがクズをたんねんに集めて燃やしていた。

安保阻止国民会議声明。
19日午前零時、岸内閣は新安保条約の自然成立を宣言した。全国民の名においてこの売国条約の成立を絶対に認めることは出来ない。政府、自民党は警察官と暴力団の助けを借りペテン師のごとき卑劣な手段に訴えて単独採決を強行した。我々はその時以来この採決とその後の国会を否認し続けてきた。民主主義と議会主義を完全に踏みにじったこの暴挙に憤激した国民世論と大抗議運動の前に立たされた彼らはアイク訪日にその活路を見いだそうとしたが、ついにこれを中止せざるを得なくなり参議院の審議も議決放棄して自然成立に逃げ込まざるを得なくなった。昨日岸内閣退陣と国会解散を要求し国会に向かって行動を起こした30数万人の怒りと決意は国を憂える全ての国民が政府、自民党のこの暴挙に憤激し新安保条約自然成立を否認していることを明らかにしている。我々は昨日に倍する強力な闘いを展開することによってこれに応ずるであろう。来る22日には6.4、6.15をはるかに上回る労働者のストライキを中心に最大の闘いを決行することに決定した。
19日は安保条約成立成立の日ではなく、まさに安保条約にとどめを刺す国民総決起の記念すべき日となるとともに主権者である国民の意思に挑戦した岸内閣が自らの墓穴を掘る自滅の日となるであろう。我々はここに新安保条約の否認を宣言し新たなる決意で断固たる闘いに立ち上がることを声明する。》

1960.6.20
参院自民党は単独で抜き打ち的に新安保条約関係法令整理法案を議決。

安保阻止国民会議、第19次統一行動に入る。
安保阻止国民会議1万人、全学連主流派2万人が国会包囲デモ。

琉球大学で樺美智子追悼集会。

安保阻止国民会議幹事会。
《1.21日午後6時から約10万人を動員して地区抗議集会、その中から3万人を国電各駅に徹夜で張り込ませスト支援を行う。これには全学連、学者、文化人の参加も求める。
《2.22日のスト後、2回にわたって首相官邸、国会にデモをかける。このデモには約20万人の参加が見込まれる。


十河国鉄総裁「国鉄職員諸君に告ぐ」、全国に電報。
《いやしくも日本国民たるもの深刻な悩みを感じない者はいない。この危機を克服せんと焦心することは理解できるが、生活の必需である交通の混乱はとるべき手段ではない。

国鉄各電車区で乗務員の獲得が始まる。

全国高校長協会声明。
《政治の混迷に伴う社会的動揺は高校にまで波及し、一部高校生までがこれに巻き込まれている。世界どこの国でも未成年者の政治活動は認められない。最近高校生の政治活動に対し外部から働きかけのあるのは遺憾だ。純真な高校生が今後一切の政治活動に巻き込まれないよう努力するが父母や国民各層の理解と協力を切に願う。

安保阻止高校生会議、高校長協会の声明に反論。
「高校生の安保反対デモは高校生の権利であり義務である。」

日本学術会議有志声明。
《日本学術会議はその発足の当初、戦争中に学者のとってきた態度を強く反省し学問、思想の自由を守る声明を行い、その精神を貫くために努力を続けてきた。しかるに社会状態はいよいよ憂うべき兆候を呈し、ついには東大学長が告示によって強い決意を表明せざるを得ない事態にまで立ち至った。我々はその声明の趣旨を支持し憂いを同じくする学者、研究者と手をたずさえ今後とも学問、思想の自由を守り、民主主義を確立するために努力を続けることを誓うものである。》

一橋大学体育会(1200人)、全国国公立大学体育大会の全種目ボイコットを発表。

宇都宮大学学友会、無期限スト突入。

1960.6.21
午後10時、東京駅に全学連、労組員など2500人が徹夜体制。品川駅にも労組員2120人と全学連2000人が集結。国労組合員に拍手で迎えられる。

長岡駅では朝から闘争体制に入り、照明塔に「第19次統一行動、岸内閣打倒、国会解散」の垂れ幕、国労旗をたて組合員4,5人が上って気勢。

東大教授団有志声明。
《多勢の学生が参加した18日から19日にかけての国会デモのさい東大教官有志は現場に行き学生を説得、騒ぎを起こさなかった。これは我々の力ではなく学生自身の認識と理性的判断によるものだ。学生は(茅学長の声明を)扇動的な言葉とは受け取らずむしろ政府与党が積み重ねた弾圧に運動が刺激されたものだ。我々は茅声明を全面的に支持する。松田文相は大学教官が使命を忘れ政治介入しているというが、そのようなことは決してない。大学が使命に忠実でなかったらば、再び我が国が破滅的な道をたどり、無数の有為の青年の生命を国策の赴くままに委ねる事態を招来するだろう。》

信州大学文理学部教授会、茅声明支持、官憲暴力反対、大学自治不法侵入反対の声明発表。

慶応大学日吉自治委員会学生大会、授業放棄を決定。

千葉大学生自治会連合、全学スト決定。

埼玉大学生自治会25日までの連続スト決定。

坂本社会党参院議員、中田代々木病院副委員長、樺美智子解剖立ち会いの結果を記者会見。
1.持病など自然の原因は全く認められない。
《2.致命傷となる外傷は体の表面にない。
《3.目の出血、心外膜の出血など窒息死の所見が明らかである。その原因として前頚部の左右両側の内部組織に出血があり、特に右側から右手で圧迫したやく死が最も考えられる。
《4.外傷による膵臓出血があるが、その他の腹部内臓器に全く損傷がないことから、面積の狭い、堅い鈍器が強力に作用したと推定される。しかし、出血は50ないし60CCで、破れて外に出血はしていないので死因とは考えにくい。

午後10時から持ち回り閣議で新安保条約の批准を決定、天皇の認証を得る。

1960.6.22
安保条約批准阻止第4次実力闘争。全国で空前のスト突入。
《国鉄・・国労が全国13地本53カ所で組合員1万9210人、応援労組4万6300人を動員して2−3時間の強力な時間内職場大会。動力車が2地本3カ所で組合員1330人を動員して2−3時間の時間内職場大会。
《北海道・岩見沢駅、五稜郭駅で部内3000人、部外6300人で午前5時闘争突入。
《東北・・秋田機関区で部内外4000人が午前零時、仙台では3300人が午前零時闘争突入。
《関東・・新潟、長岡操車場で3000人が午前零時から座りこみ、両国、千葉車掌区津田沼派出所では900人が午前4時、東京では15車掌区など37カ所で2万5000人が午前4時から闘争突入。東京機関区では動力車200人。
《中部・・沼津機関区で1800人が午前零時から突入、ここには高崎、水戸、千葉、静岡、名古屋から600人が応援。静岡機関区では330人が午前4時から突入、ここには《長野、金沢、大阪、天王寺から300人が応援。金沢駅では6000人が午前零時から突入。
《関西・・大阪宮原操車場で5000人が午前5時から発車線上に座りこみ、第一信号所 を包囲する。ここへは四国から150人が応援。米子駅では2500人が午前時から闘争突入。
《九州・・小倉駅で2000人、鹿児島駅で3100人が午前6時から信号所包囲。
《私鉄・・京阪神、阪神、京阪が始発から午前6時半まで、東武、京成、西鉄が午前6時までの時限スト。京浜、京王帝都、南海は2時間の時限スト。名鉄は10時から正午まで2割指名スト。
《その他全国で私鉄、バスの60社が早朝の時限スト。
《民間・・炭労、合化、全鉱、全国金属、全日自労の24時間ストをはじめ各単産でスト。
《官公労・日教組の授業カット、全逓の2時間時間内職場大会など各組合で時間内職場大会。   
   
  
大日本愛国党、社会党本部に投石。

1960.6.23
午前10時10分、日米新安保条約批准書交換。

同、臨時閣議、政府与党首脳会議で岸首相引退を表明。

日比谷公会堂で樺美智子全学連慰霊祭、約3000人が参加。南通用門へ喪章デモ。

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