60年安保・その激動の軌跡(3)

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1960.5.21

午前8時、山梨大学自治会は授業をボイコットして「安保反対学生集会」開催

午前8時半、自民党石橋派、岸首相の即時退陣、内閣総辞職を要求することを決定

11時、社会党両院議員総会、岸内閣に対し直ちに総辞職を要求することを決議

11時半、社会党代議士の先発隊が首相公邸着、首相秘書は面会を拒否。

11時45分、社会党衆参議員約150人がバス3台で公邸到着、秘書官ともみ合い構内になだれ込む

午後零時半、椎名官房長官、「首相は社会党議員団代表12人と会見」と伝え、社会党議員団は引き揚げる
  《社会党の総辞職要求書》
     《貴殿は議会制度を破壊した責任を負って、このさい直ちに総辞職すべきである。》
     《右要求する。》
              《社会党両院議員総会》
岸首相
《警官の院内導入は非常に遺憾ではあるが議会政治を守るため、あの状況ではやむを得なかった。また安保審議も十分審議を尽くしたつもりで、あれ以上審議しても仕方がない。野党からの総辞職申し入れは一応承っておくが、現在の事態については首相として自分が収拾に努力する。したがって今後どうするかは私自身が決めることだ。ラジオなどに現れている最近の世論は必ずしも国民全体の意向を代表しているとは思わない。選挙にも自民党が勝っており、新聞などもよく考えるべきだと思う。》



午後1時、社会党山本国会対策委員長らが清瀬議長に引責辞任要求

午後2時、首相官邸前に社会党の地方党員約300人が座りこみ。警官隊はタテを取り付けたトラックをバリケ−ド代わりにし対峙、続いた長野、愛媛などの代表団約1000人のデモ隊は喚声を上げて旗竿で殴りかかり、石を投げ通用門の鉄サクによじ登り突入、一部は塀を乗り越えて邸内に突入したが後続が警官隊の壁に阻まれ、結局4人が逮捕される。

4時、安保阻止国民会議地方代表約2万人(主催者調べ)が清水谷公園に集結、赤坂見付け、道玄坂などでジグザグデモを繰り返しながら首相公邸へデモ。警官隊約1000人は各路地にトラックなどでバリケ−ドを築いたためもみ合いとなる。デモ隊はトラックを揺すぶるなどして突破を試みたが、警官隊指揮者との話し合いで「平穏に通過する」ことに同意、全学連約200人が座り込んだため一部混乱したが7時半ごろ学生達の座りこみ解除でデモ隊は平穏に通過。国民会議のデモが通過したあと全学連200人と遅れてきた全逓中野支部組合員約100人が公邸前の警官隊約1 00人に突っ込み、投石、旗竿などでもみ合い、応援の警官隊の実力行使で退去させられる。

5時、国民会議静岡県代表団約1500人が公邸前でジグザグデモ、警官隊約500人と衝突。周辺の家の塀が壊れるなど一時騒然となる。

  
《この日のデモで警官13人が負傷と警視庁発表。》

午後5時50分、社会党全国党員総決起大会代表団20人官邸にはいり面会をもとめたが話し合いがつかず、スクラムを組んで2階の官房長官室に殺到、私服警官を突き飛ばし座り込みをしたが椎名官房長官が面会し岸首相の退陣要求書を手交。

8時半、日比谷野外音楽堂で「安保改定阻止、岸内閣打倒、国会解散要求大会」、約3000人が参加。

岸首相、夜9時過ぎまで官邸内に缶詰。

全学連、今後の闘争方針を発表。
   《
1.23日1万人を動員して首相官邸へデモ。》
    《2.26日全国大学ゼネスト、2万人を動員して国会デモを行い、情勢によっては国会内に入る。


新安保批准反対キリスト者会議臨時緊急会議、岸内閣総辞職、国会解散要求の声明発表。

岐阜大教授団(120人)声明発表。
政府、自民党は会期の大幅延長、新安保条約の単独採決を強行したが、我々はこのような暴挙に対し抗議するとともに国会を解散して信を国民に問うことを要求する。》

全労会議加盟組合政治部長会議、安保反対闘争を開始することを決定。

1960.5.22
午前10時、国民会議大阪、京都、兵庫などの代表団約400人が首相公邸前に座りこみ

警視庁では第二方面隊約200人を南平台に徹夜で配備、300人を常時待機させることを決定

竹内好東京都立大教授、社会党衆参両院議員総会に出席し辞表提出を発表
《安保改定国会に現れた政府の非民主的政治のもとにあっては公務員たる大学教授として在職するにしのびない。去る27年都立大学教授に就任した際、「公務員として憲法を擁護し尊重する」ことを誓約したが、当の政府は憲法を蹂躙し続けている。こうしたもとでは教育者としてその職を続けることはできないので辞任を申し出た。》

清瀬衆院議長の症状を慈恵医大大井教授が発表。
    《1.病名は左足ヒザ関節捻挫でスネの下に水、又は血がたまっている。》
    《2.正常に座れるまでには2,3年かかるが、2週間後徒歩可能、1週間後には松葉ヅエで短時間の歩行可能。》

警官不足で大相撲夏場所優勝若三杉の優勝パレ−ド中止。

1960.5.23
自民党国会対策委、参議院本会議強行を決定。

社会党、参院本会議の実力阻止を確認。民社党も参院審議拒否を決定。

午前10時、安保阻止国民会議関西ブロック共闘会議代表15人が首相官邸で面会を要求

首相官邸は高さ2メ−トルの鉄条網で取り囲まれる。南平台に特別警備本部設置。

周辺ではジュ−スやアイスクリ−ム売りが開店

午前11時50分、岸首相、自民党五者会談(大野副総裁、川島幹事長、石井総務会長、船田政調会長)で「安保批准まで総辞職、解散はしない」との決意表明

午後2時全学連約500人が旧自民党本部前に結集。参院第二通用門前で猛烈な渦巻デモを展開、警官隊と衝突し、投石などの乱闘となる。
《首相官邸前に直接集まっていた全学連別働隊が応援に駆けつけ乱闘は数分間続く。警視庁は警官隊4000人を動員、装甲車などでデモ排除を試みる。学生たちは第一議員会館前で抗議集会を開き、3時過ぎから首相官邸に向かおうとしたが衆院通用門前で再び警官隊と衝突、警官隊と右翼に包囲された学生たちはチャペルセンタ−方向へのデモに移ったが警官隊に阻まれたため、これの突破をはかり第二、第三議員会館への道へ押し戻された。乱闘10数分の後、隊列を整えたデモ隊は外務省方向へ行進開始、人事院ビル、警視庁方面の都電通りをデモ。警視庁交差点で激しいジグザグデモを行い、私服警官を巻き込んだため、助けようとする警官隊が突入し衝突。道いっぱいにひろがっての乱闘が繰り広げられた。学生達は解散予定地の有楽町ガ−ド下から東京駅八重洲前まで走り抜け6時半解散。解散地でも私服警官が労組員1人を検挙したため阻止しようとした学生と警官隊がもみ合う。》
  《このデモで警官77人(重傷13人)が負傷、学生側にも負傷者多数を出し、学生13人が逮捕される。》

田中社会党代議士らが全学連の国会デモに対してとった警官隊の処置はきわめて暴力的であり、右翼団体に対する取り締まりが不徹底であると警視庁に抗議。

安保改定阻止国民会議幹事会
《5月26日に労働者のストライキを中核として全国民的規模の大統一行動を行う。26日には総評系労働者のストライキを中心に中央、地方で大規模の抗議集会、デモを行う。東京では青年、学生団体、労組、文化人、一般市民、地方代表15万人を動員して終日国会へ「岸内閣退陣、国会解散」要求の請願と抗議をする。このデモの行動はその時の情勢に応じて幹事会が指示する。》

総評幹事会。
《1.26日は民間は1時間の時限スト、または時間内の職場大会、公労協は30分から1時間の時間内職場大会、公務員共闘は早朝1時間の職場大会を実施、各職場で岸首相、清瀬議長に対する抗議文を決議、送付する。》
《2.6月4日全国的に大規模なストライキ、時間内職場大会を行う。時間は特に規制しないが、各労組が最高の実力行使を行う。実力行使の犠牲者は総評、国民会議で救済対策を建てる。》  
《3.実力行使と合わせて国会請願には国民会議の計画に従って連日動員を行う。また2600万人署名簿獲得のため組合員1人5票獲得運動を提唱し6月10日署名簿ほ集める。》
《4.アイゼンハワ−大統領の訪日はアジアの軍事体制を強化し国際緊張をたかめるだけだから訪日に反対する。このため各単産、地評から大統領に訪日中止の要請文を送りアメリカ大使館にも同様要請する。訪日が決まった場合は抗議集会を行う。》

社会党中央執行委員会決定。
    《1.24,25両日都内3カ所で演説会を開く。
    《2.24日大学教授400人が街頭デモを行い岸首相に面会を求める。
    《3.25日は浅沼委員長ら党幹部が岸首相に面会を求め、文書で退陣を迫る。
    《4.26日と6月4日の実力闘争に全面的に協力する。

全労執行委員会決定
    《1.24.25街頭署名運動。
    《2.25日全国一斉に職場大会を開き岸内閣退陣、国会解散を決議する。
    《3.27日地方代表を交え中央集会を開く。
    《4.28日政府、各党へ抗議と請願。
    《5.30日全国一斉に地方集会。

1960.5.24
浅沼社会党委員長記者会見で所信表明。
《1.19日以来政治情勢は一変した。民主主義、議会政治は生死の関頭に立っている。その責任者は岸総理である。太平洋戦争の責任者である岸首相は、かって警職法改悪法案を突如提案し国民の大反撃で退却した。そのとき国会の民主的運営を誓ったが、再び新安保条約で十分審議を尽くさず警官隊を導入して採決を強行した。》
《2.現在の衆院は新安保条約を掲げて戦われた選挙の結果できたものではない。岸総理は新条約は日本の運命にかかわるものと強調しているが、それほど重要問題なら議会政治のル−ルに従ってなぜ衆院を解散し、国民の信を問わないのか。》
《3.今や新条約の強行採決によって国民の憤激はその極に達し岸退陣要求のデモは連日全国にほうはいとして渦巻きおこって社会不安が起こる一歩前まできている。》
《4.この危機を打開し、政局転換を図る唯一の道は岸内閣の総辞職と6月18日までに国会を解散し、新条約の可否を国民に問うことである。もしこれが実行されないならば、国民は民主主義と議会政治に絶望し、日本の前途は再び暗黒のならくに突き落とされるであろう。》
《5.岸総理は批准が終わるまで辞職も解散もしないと語っているが、かかる暴言は国会に警官隊を導入する政治家にふさわしい。我々はそのような政治家にはそれなりの態度で臨む。我々は院内では審議拒否を貫き、院外においては大衆運動をもりあげ退陣を余儀なくさせる。岸退陣、国会解散は民主主義、議会政治を守るための最低の要求である。安保阻止と平和、民主主義憲法擁護の戦いは一つとなった。日本の将来を憂えるすべての人たちがこの要求で立ち上がり、戦列に加わることを切望してやま
ない。》

岸首相、三木武夫、河野一郎ら自民党反主流派首脳と会談。
《河野は「安保成立まで総辞職、解散はしないとの方針を押し通していく限り変則国会、デモの激発という事態は避けられない。すみやかに世論の動向を察して国民多数の納得、支持する施策をとるべきだ」と申し入れ。》

ハガチ−米大統領新聞係秘書談
《私が承知している限りでは、大統領は来月日本および韓国を訪問する計画を変えていない。しかし、両国の訪問日程はいままで発表されている6月19日から23日までから若干変更になることはありうる。また日本、韓国以外の極東諸国訪問を日程に追加する可能性も考えられる。》

マッカ−サ−駐日米大使声明。
《浅沼氏が、日本政府から米大統領に発した招待を事実上取り消すよう要請するために、日本政府でなく、直接米大使を通じてするという異例の措置をとったことに大使は驚きの意を表した。しかし、浅沼氏は、最近アイゼンハワ−大統領の招待を取り消したフルシチョフ氏の例にならっただけのように見えるから、案外浅沼氏のこの前例のない行動は驚くに当たらないのかも知れない。大使は浅沼氏に対してアメリカと「アメリカ帝国主義」は日本の敵だといった氏の言葉を取り消す気持ちになってもらえることを希望すると述べた。浅沼氏は取り消さない気持ちをのべ、日本の敵はアメリカ国民ではなく、「アメリカ帝国主義だ」とつけ加えた。しかし、大使から、アメリカとアメリカ国民が日本の敵であるということと「アメリカ帝国邸主義」が日本の敵であるということとどのように違うか明らかにするように求められたとき、浅沼氏は何等明白な区別をつけることができなかった。大使は、浅沼氏が会談の席上、もし大統領が日本を訪問したならば、滞在中大きな混乱と騒動が起きるであろうと予言したことに言及し、浅沼氏自身従来しばしば議会だけでなく米大使館に対しても暴力の行使を伴ったデモを奨励してきたのだから、同氏は単に予言するだけでなく、そうしようと思うならば恐らく混乱を故意に引き起こすこともできる立場にあるだろうと述べた。》

神田教育会館で安保問題研究会と安保批判の会共催の「岸内閣総辞職、新安保不承認学者・文化人抗議集会」
《東大約250人をはじめ全国20大学、中国研究所、原子核研究所、思想の科学研究会など10研究団体、芸術家、宗教家、弁護士、日本子供を守る会など約2500人が国会請願、夕刻代表約50人が首相官邸で岸首相に面会を求めたが断られたため応接室で座りこみ。》
  《丸山真男》
《全ての事態はあの真夜中の出来事を境として一変したということから、私たちの考え方と行動を出発させるべきではないか。いまや問題は著しく単純化された。権力が万能であることを認めながら、同時に民主主義を認めることは出来ない。岸政府は一挙に欲するものを得たかも知れない。しかし、同時に民主主義のあらゆる理念と規範を脱ぎ捨て、単純な裸の権力として私たちの前に立っている。私たちがあの夜起こったことを否認する道は岸政府によって脱ぎ捨てられた理念的なもの、規範的なものをことごとく私たちの側に引き寄せて、これにふさわしい現実を私たちの力で作り出して行くことである。(「5月19日」P94)》

全学連反主流派、労組員など約1000人が官邸前道路いっぱいに座り込む。

午後9時、代表団が官邸前に出て「岸を辞めさせる方法をこれから考えよう」と訴え、10時、学生、労組員らは解散。
  
国民会議城西地区労組代表約250人が首相公邸にデモ。面会を求めたが拒否され7時すぎまで公邸前で座りこみ。
  
共産党約2000人が7時ごろからアメリカ大使館へデモ。そのあと首相公邸にデモをかけ9時過ぎ解散

午前零時、学者、文化人集会代表座りこみを解く。
《我々代表団はあらゆる手段を尽くして首相に面会を求めたず、首相は事務手続きを口実に面会を拒んだ。このような首相の態度は民主主義政治家としての資格に欠けていることを暴露するものだ。我々は岸内閣打倒、国会解散、安保批准阻止のために、さらに努力を尽くすことを重ねて声明する。》

総評緊急評議会、6.4ストを正式に決定

1960.5.25
岸首相を暗殺しようと上京した高校生が渋谷署に逮捕される。

午後3時20分、岸総理と民社党水谷国会議員団長、曽根書記長と会談
  《岸・・一部の特定団体のデモが退陣、解散を要求しているからといって応ずることは絶対できない。
  《民社・国民の非難は厳しい。全学連に対して同情的な気持ちがあるという世論の変化を見るべきだ。
  《岸・・新聞記事は必ずしも公正とはいえない。
  《民社・議長が警察権の発動を求めたのは法律論一点張りりまずいやり方だ。
  《岸・・必ずしも私たちと議長の考えは同じではなかった。
  《民社・会期延長をやりながら安保審議を打ち切ったのはやりすぎではないか。
  《岸・・あらかじめ計画してやったものではない。
  《民社・岸内閣の退陣、国会解散以外に正常化する道はない。
  《岸・・事態収拾に手を込まぬいているわけではない。デモの圧力に屈することはないが、正常化の話合いの場をつくるよう真剣に 努力する。
  《民社・米大統領の日本招待を延期すべきだ。
  《岸・・まじめに考えてみる。

午後3時40分、岸総理と浅沼社会党委員長、江田書記長と会談。
  《社会・解散の条件は整っている。我々は27日以降国会に出てこない。さらに議員総辞職問題も出ている。
  《岸・・院外運動に屈服することは議会制度の危機を招く。
  《社会・新安保の自然承認を期待するのか。
  《岸・・参院は自主性のもとでやるだろう。
  《社会・どうしても解散しないのか。
  《岸・・新聞だけが世論の現れではないし、デモも一部の国民だ。平静になってから解散は考える。
  《社会・国会の空白をどうするのか。
  《岸・・野党と十分話したい。
  《社会・反省はないのか。
  《岸・・会期延長は議長の意思でやったことだ。
  《社会・アメリカ大使館に訪日延期を申し入れたが政府も慎重に行動してほしい。
  《岸・・政府を通じないで申し入れを行ったことは残念だ。
  《社会・総辞職、解散という基本的問題が解決しなければ今後話し合いに応じられない。

午後5時、岸総理と野坂共産党議長、岩間議員と会談
  《共産・国会の即時解散と新安保批准拒否を申し入れる。
  《岸・・所信が違うし、今政局に変動を与えることはしない。

5時40分、岸首相、内閣記者会代表と会見。会見拒否を謝罪、首相側から会見を申し入れ。

午後6時、自民党6派の会合開く
《河野、三木、松村、石橋派・・国会の変則状態及び院外デモの激化傾向は、岸首相が退陣を前提として安保を批准するとの態度をとらぬ限り打開出来ない。
《大野、池田、石井派・・・・・まず岸首相はじめ執行部の事態収拾についての考えを聞くべきだ。

社会党河上派10数人が議員辞職届けを浅沼委員長に提出。

午後6時、人権を守る婦人協議会(婦人民主クラブなど44団体)約1000人が芝公園で「国会解散、岸内閣退陣要求婦人大会」。紅白のチョウチンをかざして衆議院へ請願デモ。全電通女子組合員約100人が千人針2000枚を持って南平台へ押し掛ける。

6時、宮下公園で青年学生共闘会議主催「安保阻止、岸内閣打倒、国会解散要求青年総決起大会」。約3000人が首相公邸へデモ。公邸前で激しいジグザグデモ。

埼玉大学学生自治会学生大会、26日の全学ストを決議

群馬大学学芸学部学生大会、26日の授業放棄を賛成460、反対93、棄権11で決議。同医学部学友会も授業放棄を決議。

1960.5.26
安保改定阻止国民会議第16次統一行動最終日
    《炭労・・各番方1時間50分スト。
    《合化・・1時間スト又は30分時間内職場大会。
    《私鉄・全鉱・・30分から1時間の時間内職場大会。
    《紙パ・全港湾・全国金属・化学同盟・全印総連・・1時間スト又は時間内職場大会。
    《国労・動力車・全専売・全林野・全造幣・アルコ−ル・・30分時間内職場大会。
    《日教祖・・3時授業打ち切り、中学区ごとに抗議集会。
    《国家公務員・・30分時間内職場大会。
    《自治労・・1時間時間内職場大会。
    《全逓・・全国200拠点で30分、その他は10分の時間内職場大会。
    《全電通・全印刷・日通・電機労連・・休憩時間職場大会。

午前8時50分から農林省前で全農林約1500人が参加して職場大会。
  
井上全農林委員長が非常事態宣言。
  《人事院ビル前では経企庁労組約150人が集会。》

衆参両院議長から警視庁に警官5000人の派遣要請。

警視庁では制服警官7000人、私服警察官500人を動員。

午前10時、社会党中央執行委員会、アイク訪日中止要求の運動を起こすことを決定。

正午、赤坂プリンスホテルで自民党顧問、相談役会。
《岸首相発言》
《国を憂い民主主義の将来を思う諸君の烈々たる意見の開陳を聞き感激に耐えない。時局の収拾は総理総裁たる私の全責任である。どんなことがあっても新安保条約は国会を通さなくてはならない。そのためには総辞職も解散もせず、結束して批准達成まで努力する決意だ。私は政権の維持など考えていない。一切の責任は自分にあるが、自分自身の無力を思い、結束の力なくしては時局は乗り切れないと痛感している。日本の国会が院外勢力の暴力に動かされることのないよう今後とも鞭撻をお願いする。》

午後零時41分、自民党と同志会の出席で参議院本会議開会。50日間の会期延長を議決。

午後1時から日比谷野外音楽堂全学連反主流派の教育大、慶大、お茶の水大などの学生と地方代表、国家、地方公務員、国鉄、全逓、電通など公労協組合らが続々と国会に向かう。
全学連約1万人は独自に抗議集会。
《次から次ぎと津波のように押し寄せる労働者、学生、婦人団体などのデモ隊は国会を取り巻き、日比谷、霞ヶ関一帯にあふれ出た。》

午後2時、国会に戻った岸首相は院内大臣室に缶詰状態。

2時50分、衆院面会所前で治安確立同志会3人がアンモニアビンを投げつけNHKカメラマンら数人が負傷。右翼少年3人を逮捕。

午後4時、デモ隊は衆院面会所で請願を済ませ参院、正門前へと国会を取り巻く。全学連は激しい渦巻デモをはじめる。
  
午後5時、全学連反主流派約1万5000人は国会包囲のジグザクデモのあと旧チャペルセンタ−前に座りこみ。
  《東経済大、立教、慶応、外語大、千葉大、横浜市大など各大学の教授団や文化人グル−プ続く。》

午後7時、全学連、正門の警備トラックに突進、プラカ−ドなどを警官隊に投げつける。
《デモ動員は17万5000人、全国で約200万人、請願署名は1700万通(国民会議調べ)に及び深夜までアメリカ大使館、首相公邸、官邸に押し掛ける。》

午後11時、警視庁に押し掛けた全学連デモ隊が玄関に掲げられていた「関東管区警察局」「東京都公安委員会」の看板を取り
外し、私服警官が公安委の看板を格闘のうちに取り戻す。

《この夜デモは初めて銀座へ流れ出した。高速道路の上からは紙吹雪が舞落ちた。通行人から拍手が起きた。警官は停車させられたタクシ−に警笛を鳴らすよう求めたが、クラクションはほとんど鳴らなかった。(「安保闘争」P153)》

富山大生約50人が自民党富山県連事務所へデモ。内部に入り岸首相の額を引きずりおろし壁などに落書き

熱海市民民主団体協議会のデモ隊が岸首相の別荘へデモ。

安保廃棄要求神奈川県民会議のデモ隊約1万人が藤山外相私邸にデモ。

安保阻止石川県民会議約8000人が金沢市でデモ。学生1人が逮捕されたが学生の抗議で2時間後に釈放。ジグザグデモで1人が負傷。

府中市の日本製鋼武蔵製作所(アメリカ軍の自動車特需工場で建物と敷地は米軍に接収されている。)労組の安保批准阻止大会が米軍から拒否される。山花社会党代議士も入り口でMPに入場を阻止される

青年法律家会議声明。
《安保採決は国会法などに違反し法律上無効だ。岸内閣は議会主義を破壊したものであり、直ちに総辞職し国会を解散したうえ新国会で安保審議をやり直せ。》

1960.5.27
石原国家公安委員長、26日の統一行動について閣議で報告。
《国民会議4万、学生2万、その他1万が動員された。このうち全学連主流派7000人、反主流派1万3000人である。警備陣は約9000人の警官を配置した。地方では国民会議は200万人が動員されたとしているが治安当局は32万人とみている。デモの盛り上がりは低調であった。》

岸首相、政府首脳(益谷副総理、藤山外相、佐藤蔵相、池田通産相)と会合、アイク訪日招待は予定通り行うとの  方針を確認。

清瀬衆院議長、私邸に前、元議長らを招き変則国会の収拾策を協議。

自民党都道府県連幹事長会議、岸首相所信を表明。
《1.安保体制は絶対必要だ。会期延長と安保採決の強行は野党の暴力によってやむを得ずとった。  
《2.この事実を全組織を通じて国民に訴え、いたずらに動揺を起こさせないようにしなければならない。
《3.国会請願デモは新聞で誇大に伝えられている。政府の調査では26日の統一行動に参加したのは労組員4万人、全学連2万人に過ぎない。市民は参加していない。心配なのはデモが誰によって動かされ、だれが主体となっているかだ。
《4.容共勢力のデモ、暴力に屈して総辞職、解散をしたら憲政史上ゆゆしき不祥事を招く。

社会党中央執行委員会。
《26日の行動は15万人を超える大動員を行い、しかも整然たる請願デモを行ったことは大成功であった。27日以降の院外闘争を通じ6月4日のゼネスト的大衆統一行動に集約、安保阻止、国会解散に追い込む戦いを強力に推進する。》

午後6時、自民党実力者会議。反主流派と佐藤、池田との間で激論

安保阻止国民会議約900人(都教祖、都労連)首相官邸前でデモ。

舞台芸術学院生30人が首相官邸へデモ

1960.5.28
午前9時、岸首相、内閣記者会と会見。
《記者・・政局混迷にたいする責任はどうか。
《岸・・・私が全責任をもつことは当然だ。
《記者・・責任を痛感しているのか。
《岸・・・痛感という言葉は微妙だ。なにか政治行動が生まれるという意味ではない。
《記者・・混乱の一切は警官導入であり安保を一挙に採決したことにある。責任をとり事態を収拾すべきだ。
《岸・・・警官導入は社会党の議員諸君や秘書団の座りこみで議長が軟禁されたからだ。議長は36回も警官導入を放送している。そのような状況のなかではやむを得なかったと思われる。
《記者・・当時会期は1週間残っていた。我慢できなかったのか。
《岸・・・議長は会期延長だけを円満にやろう。安保は延ばそうとの申し入れをしたが野党は拒否した。あとから批判することはできるが当時の状態ではそうともいえない。
《記者・・政局収拾の具体策はどうか。
《岸・・・政局に変化を及ぼすような責任はとるべきではない。三党の間で正しく話し合って処置すべきだ。
《記者・・事態収拾のメドはあるのか。
《岸・・・お互い冷静に話し合えば道は開ける。
《記者・・政府与党の一連の態度は世論の激しい非難を受けているが。
《岸・・・議長及び党執行部の態度は正しかったと信じている。安保についても委員会で可決された案件は速やかに本会議で採決するとの議会政治の原則を踏んだまでのことだ。
《記者・・政局に変動を起こして収拾するのもひとつの考えだ。自民党内にも総理交代の声があるが。
《岸・・・党内に退陣の声があることは事実だ。だから執行部が努力している。現在のデモは特定の組織力により作られたデモである。暴力に屈することは民主主義を否定することであり、民主主義を擁護することが私の責任だ。
《記者・・作られたデモというが全学連に対してすら批判の声が出ていない点、首相は反省すべきだ。
《岸・・・私は一身を投げ出しても暴力で危機にさらされている民主主義を守り抜く考えだ。私は現在のデモは声ある声だが、むしろ声なき声に耳を傾けたい。
《記者・・安保を通したら身をひくという考えが自民党内にもあるが。
《岸・・・そんな無責任なことはいうべきではない。
《記者・・首相の方で態度を明らかにしなければ話合いに入れないではないか。
《岸・・・もちろん寛容、謙虚な心にたって話し合うのは当然だ。
《記者・・野党との話し合いがつくまで変則でいくのか。
《岸・・・27日の事態は緊急な津波対策を審議するためのものだ。
《記者・・声なき声を聞くといっても水かけ論だ。メンツでなく解散して民意に聞くべきだ。
《岸・・・どういう機会に解散するかよく考える必要がある。いまの状態では解散できない。
《記者・・批准後にやっても意味がないではないか。
《岸・・・いまやるとマイナスの面が多い。
《記者・・新聞、ラジオは民意を伝えるため努力している。
《岸・・・最近の新聞は客観性を欠いている。20日未明の社会党のとった態度などは批判の外になっている。
《記者・・声なき声を確認する方法があるのか。
《岸・・・いろいろな決議や手紙などが私のところに来ている。
《記者・・新聞を目の敵にしているのは論調が総辞職、解散を主張しているからか。
《岸・・・感情的意味でいっているのではない。
《記者・・27日の自民党九者会談による収拾の話し合いについてどう思うか。
《岸・・・重要問題は執行機関の決定によるべきだ。

埼玉大学で教授団85人、職員125人、付属学校教職員36人が衆院即時解散要求に署名。

ソ連のフルシチョフ首相は、「アメリカがソ連領を侵犯して軍事偵察を行った場合、アメリカと軍事同盟を結んでいる第三国の領内にある軍事基地にロケット攻撃を加える」と発言。

1960.5.30
草葉参院安保特別委員長と自民委員20人は安保特別委員会の早急な開会を決定。

「若い日本の会」(石原慎太郎、大江健三郎ら)が集会。八千草薫、寺本圭一ら約400人が集まり自民党、国会に陳情
    《1.19日から20日にかけて強行された衆院の議決を無効とせよ。
    《2.岸内閣、清瀬衆院議長は辞職せよ。
    《3.国会を解散し総選挙によって民意に問え。

兵庫県商工団体連合会、4日に1時間以上の商店ストをおこなうことを決定

合化労連戦術会議、6月4日は43組合が1時間、その他の組合が時間内の職場大会で安保強行採決に抗議することを決定。

化学産業労働組合同盟定期大会、4日の半日ストを決定し闘争指令を出す

鶴見俊輔東工大助教授、「みずから民主主義のル−ルを破る政府のもとで国立大学の教職にとどまることは出来ない。」と辞表提出。

国民会議労組、民間団体約6000人が国会、首相官邸にデモ。

警視庁は首相官邸前のデモ避けバリケ−ドを撤去

1960.5.31
国労、社会党に要望書提出。
《自民党は議会主義蹂躙の暴挙をしながら全く反省の色なく、ますます岸内閣と自民党のファッショ的政治体制を確立しようとしている。我々は国労のもつ最大限の力量を発揮し、国民の先頭に立って抵抗権の発動による一大抗議行動を展開する決意にたち至った。社会党としてはあらゆる障害を克服し、賢明な活動の強化を切望する。》

参院同志会議員総会。
    《政府与党に国会の不正常な事態収拾のため今国会の延長会期中10日間の休会決議を行うよう申し入れる。》

安保改定阻止第17次統一行動開始。
《国労、全電通など16労組約2000人が第一議員会館前に結集。首相官邸へジグザグデモをかけ首相に面会を求めたが拒否され、アメリカ大使館にマンモスデモ(足を強く踏み鳴らす)。大使館には警官約300人が配置についていたが混乱はなかった。》

総評幹事会、単産書記長会議。東京、大阪に6.4ストライキ委員会を設置
《国鉄・・国労は東京を中心に札幌、秋田、名古屋、岡山、広島の6地本運転部門で始発から2時間の勤務時間内職場集会を指令。客車区、電車区、車掌区など運転部門を重点に3日夜から総評系労組員の応援を得て乗務員を獲得する。
《動力車労組は関東地区に全力を集中し指定機関区で3時間の勤務時間内職場大会
《両組合の共同声明「戦後最強の実力行使」
《私鉄・・私鉄総連は全組合が始発から午前7時までの全面時限ストか午前10時から5分間の全面中間ストをおこなうことを指令。
《関東地区・・全私鉄、バスが午前6時半、茨城、鹿島、常総、川崎、鶴見は始発から午前7時までの全面時限スト。その他は10時から5分間のスト。
《北陸地区・・全私鉄、バスが始発から全面1時間スト。
《北海道地区・全私鉄、バスが始発から全面1時間スト。
《関西地区・・近鉄を除く大手4組合が始発から午前6時までの全面時限スト。
《中国地区・・7組合が午前10時から5分間スト。
《四国地区・・全私鉄、バスが始発から1時間の時限スト。
《九州地区・・全私鉄、バスが始発から午前6時までの全面時限スト。
《中部地区・・名鉄が午前10時から5分間スト。
《東北地区・・未定
《旅客自動車・・全国旅客自動車労働組合(2万4000人)が全国各支部で全面時限スト。
《都市交通・・日本都市交通労組連合会(5万2000人)が全国6大都市で午前7時まで職場大会。とくに東京、大阪は重点地区に指定し戦術を強化する。
《民間労組・・炭労−6時間スト。全鉱、全化同盟、全印総連、紙パ労連、全自運、全港湾、全国一般、全金同盟、合化労連−半日スト。鉄鋼労連−1時間職場大会。日自労−半日から24時間スト。国際電電−東京、大阪を中心に時限スト。全造船−1時間スト。日放労−1から半日スト。全国ガス、土建総連、地銀連−職場大会。
《公労協・・・全逓−全国49カ所で2時間の職場大会。全電通−1時間職場大会。全専売、全印刷、アルコ−ル専売、全造幣、全林野−2時間職場大会。
《地方公務員・日教組、自治労、全水連−始業時から1時間職場大会。
《国家公務員・早朝から1時間の勤務時間内職場大会。3日から行動を起こし国会請願を行う。
《総評労組の国鉄主要駅動員計画・・大宮500、東十條1000、田端1200、上野500、東京600、品川2000、新宿600、池袋1300、中野1000、三鷹1000、小金井1000、蒲田1000、川崎500、東神奈川1000。

全学連6.4ストにたいするスケジュ−ル発表。
《3日午後衆院第一議員会館前に2万人を動員、国会周辺デモのあと午後9時から日比谷公園で集会、主要駅に分散して泊まり込む。》

全学連反主流派。
《3日午後2時から2万人が集会、4時頃から国会周辺デモのあと5000人が各大学寮に泊まり4日朝から主要駅で乗客にスト協力を呼びかける。》

警視庁公安部は清水全学連書記長を公安条例違反、公務執行妨害、傷害容疑で逮捕。

人権を守る婦人協議会緊急実行委員会、一般市民への呼びかけを開始。
《こんどのストライキは賃上げや期末手当要求とは違う。国を愛し子供の幸福を願う母親や国民の代表してストに取り組む労働者たちを、みんなで支持し守りましょう。》

1960.6.1
総評6.4スト闘争委員会、前日、当日の行動計画を決定。  
《1.タ−ミナル駅や始発駅など13カ所に中央オルグか中央執行委員を配置し、本部と常に連絡をとりながら突発事故の発生に備える。
《2.動員部隊4万人は3日午後に決起大会、デモのあと終電で配置に着く。
《3.乗客の誘導、説得を行い駅頭で安保阻止、岸内閣打倒、国会解散の乗客大会を開く。
《4.全学連に線路上座りこみなどの情報があるため動員参加を断る。
《5.全逓ピケに中郵2000人、京橋1000人を動員、闘争後首相官邸、国会に抗議デモを行う。

国家、地方公務員労組代表2000人が第一議員会館前に集結、首相官邸にデモをかけ面会を求めたが拒否されたためアメリカ大使館へデモ。

1960.6.2
国鉄、本社内に「6.4スト臨時対策本部」設置。

午前6時半、東鉄対策本部は非組合員3000人、公安職員450人を動員、15電車区に分散派遣して4日朝から勤務となる運転士に対する説得工作開始。組合側との争奪戦が始まる。

政府、治安閣僚懇談会。「スト参加者は厳重処分せよ」と通達、政府声明発表
《一部の労働組合は6月4日、安保改定阻止統一行動と称し、内閣総辞職、衆議院解散をとなえてストライキを行おうとしているが、かかる政治ストは明らかに憲法に保障する団体行動権の範囲を逸脱するものである。いわんや、国民全体の奉仕者である公務員や公共企業体の職員が、この種の政治ストに参加することはもとより許されない。今回の政治ストは国民経済、国民生活に多大の損害を及ぼす違法な集団行動である。かかる行為は国の政治に不当な圧力を加えようとするものであって、法秩序と社会
平和を破壊し、民主主義と議会主義を自ら否認するものである。こに政府の所信を表明し、広く国民諸君の良識に訴えるとともに、関係者の深い自重を切望してやまない次第である。》

総評「国民のみなさんに訴える」
《私たち労働者が日本国民として、日本の政治に対し意志を表すことに遠慮はいらないと考えています。議会が独裁化しようとした時に、これに抗議したり注文をつけることは、私たち国民をおいて他にありません。私たちは6月4日、既定方針通り抗議運動を行うことを、ここに明らかにいたします。これによって通勤その他の方々に迷惑がかかると存じますが、今日本の政治情勢と私たちの行動の意味を十分ご賢察下さって、私たちを支持して下さるよう特にお願い申します。》

十河国鉄総裁名で「職員諸君に告ぐ」(鉄道公報号外)。
《最近国鉄への国民の評価が非常に好転したにもかかわらず、4日に実力行使を企図しているようだが、これは国鉄労使間ではいかんともしがたい問題で、国民は足を奪われ、国鉄に対する世論は逆転し、国民大衆を激怒させ、国民と国鉄とを不幸に陥れる結果となる。かかる行為に対しては断固たる態度で臨む。職員諸君は良識をもって行動し、悔いを後日に残さないよう念願してやまない。》

警視庁は3日の全学連国会デモに5000人の警官動員を決定、3日夜からは管内全署の全警官に待機命令

安保批判の会・安保問題研究会共同声明
《ストその他の国民各層の統一行動による新安保批准阻止の要求は、憲法と民主主義を守るために正当な意志表示の手段である。我々は4日とその後の統一行動に積極的に参加し、総力をあげてこれを支援協力する。組織のない人もスト、デモ、集会などあらゆる形の抗議運動に参加し、支持することを強く訴える。》

安保改定阻止法律家会議(末川立命館大学長代表、1500人)6.4ストに対する法律的見解を発表。
《民主主義が破滅にひんしているとき守るべく非常手段としてとられる一定時間限られたデモまたは抗議のための職場大会は、例え一時的に業務に打撃を与えてるも全く合法とされることは多くの学説によって認められている。法律家は国民の行動を全面的に支持する。》

民主主義を守る全国学者・研究者の会発足。
《我々は自己の義務に忠実な市民として、日本国憲法の基本原理が冒されたことを黙視することは出来ない。また我々は知性の権威を確信する学問研究者として、あらゆる異論の存在を無視することによって理性的討議そのものを根底から否認した暴力を承認しえない。(「5月19日P91)》

文京公会堂で「民主主義を守る都民の集い」。全労会議も出席。

国立東京農工大井上学長以下教授、助教授、講師、助手104人が安保反対署名を行い声明発表。
《国会の即時解散と民主主義ル−ルを守り、世論を尊重する新しい内閣の成立を念願すると同時に安保改定については新しい国会で十分に審議を尽くされることを望む。》

神奈川大、横浜国大経済、学芸学部教授、講師らが新安保改定反対、国会解散の決議

立命館大、同志社大で全学教授会。4日の闘争参加を決議

社会党両院議員総会、スト支援のため全国会議員と青年行動隊300人を3日夜から闘争拠点に配置することを決定。

安保問題中小企業懇談会(全国商工団体連合会、日本中小企業家同友会ら6団体)、6.4スト参加を決定。
《6.4闘争を強力に支持し4日朝から全国で約2万店の商店が1時間から全日の閉店ストを行い東京では夕刻から約1000人が首相官邸と米大使館へ抗議デモを行う。》

1960.6.3
国労、動力車労組は全国一斉に6.4闘争準備行動開始

午前8時26分、品川駅で乗務員争奪で国労中闘が公安職員にホ−ムから突き落とされ負傷。

8時40分、大宮駅で運転士12人が組合員の説得で連れ去られる。


9時、松戸電車区で組合側が運転士6人の説得に成功。争奪で組合員、公安官約30がホ−ムから線路に雪崩落ち2人が負傷


武蔵中原駅に川崎労組協議会などの組合員約400人が押し掛け乗務員34人を確保。


大船駅構内で鎌倉地区労約100人が運転士24人を確保


津田沼電車区で国労組合員60人と公安官50人がもみ合い


東鉄、東京、神奈川、埼玉の各県教育委員会に4日の電車利用による登校は見合わせてほしいとの緊急手配を要望。

松田文相、閣議発言。
《ストに対し授業時間を繰り下げるというのは違法行為を認める形となり適当ではない。とくに小中学生には乗車利用者はいない建て前だから問題はない。影響があるのは私立だが、学校と父母とで適当に処置すべき問題だ。》

警視庁、「事故防止に注意してほしい」と都民に要望

安保批判の会(5000人)と安保阻止新劇人会議は有楽町駅で6.4スト支援のビラ撒き

「民主主義を守る全国学者・研究者の会」結成。約2000人が参加し、デモ。
《矢内原前東大学長》
《学者は太平洋戦争中なにもしなかったことを強く反省、いまこそ立ち上がらなければならない。岸内閣は国会を解散して民意に問うべきである。岸首相はその時期ではないというが、理由は自民党の勢力争いにあるなら問題外である。またアイク訪日にあるなら日本政府は国民にではなくアメリカだけに向いていることになる。》

千葉大文理学部教授団(40人)は国会解散の要求書を清瀬衆院議長に郵送

午後零時50分、東十條駅ホ−ムで組合員と公安職員が衝突、組合員1人が負傷。

午後2時、全学連約3600人(警視庁調べ)国会第一議員会館前路上に集結。4時すぎから高姿勢の激しいデモ活動。
《参院第二通用門、正門前の警官隊に投石したりプラカ−ドを投げつける。その後衆院通用門側を激しいジグザグデモで駆け上がり首相官邸に殺到。明大部隊を先頭に官邸正門脇のりっしょう交番をめちゃくちゃに破壊。用意していた太いロ−プを官邸正門の鉄策に結びつけてもんをこじ開け、バリケ−ド用警察隊輸送トラック5台に飛び乗り、エンジンをかけて次々に門外に運び出す。学生約200人が邸内に乱入、この間レンガや交番の木片や丸太を警官隊に投げつけ、警官隊は警棒を使用して対抗、乱闘は約30分続いた。邸外に退いた学生は引きずり出したトラックに「アンポ粉砕」「岸打倒」と書き官邸前で座りこみ。》
《午後6時5分、全学連は官邸東側通用門から再び邸内乱入を企て、大学旗を振り回して武装警官に殴りかかった。ガラス、小石が飛び、旗竿、プラカ−ドをふりかざして真っ黒となって鉄かぶとにおどりかかる。リ−ダ−がマイクを片手に大手を振って突入を指示する。学生服もズタズタとなった学生たちの激しさはこれまで繰り返されてきた国会突入事件では見られなかった衝突だった。》
《6時45分、学生たちは官邸への突入をあきらめジグザグ行進しながら人事院、警視庁前を通って日比谷公園へ。夜学連の学生と合流し6.4スト支援のため電車、機関区に向かう。》
《この衝突で警官隊83人、学生多数が負傷。学生13人が逮捕される。》

全学連反主流派約8000人(高校生900人)、清水谷公園で集会後八重洲までデモ。
《全都の学友諸君!安保改定の闘いは、勝利の展望をますます大きく切り開きながら、日毎に発展を続けている。5月19日深更の政府・自民党の暴挙を糾弾し、内閣総辞職、国会解散を求める闘いは、怒涛の如く国中を圧している。石も叫ばんとするいま、労働者は、ストライキをもって統一戦線の中核となり、光栄ある任務に応えようとしているのだ。一年有余にわたる闘いの成果を実らせ、日本の民主主義擁護の闘いの歴史に新たな一段階を画すか否かは、明日のストライキにかかっている。我々学生の任務
は明白である。学生運動の厚い壁をもってストライキをつつめ!
統一戦線の巨大な力でストライキを防衛せよ!
岸内閣打倒! 国会解散! 安保粉砕の日までスクラムをゆるめず、統一戦線の最良の息子として、闘いを続けよう!》

夕刻から国電各駅整理部隊約1万5000人(警視庁調べ)が都内26カ所に集合。徹夜の体制で各タ−ミナル駅に向かう。

午後4時現在乗務員確保は会社側245人、組合側557人(国鉄調べ)

東京駅に着く列車には「岸内閣打倒」「国会解散」などの文字が書かれる


《「立ち上がる時だ 大切な時は今
子供たちの未来のために 憎しみの火
燃え上がらないうちに  ひとあし早く
たやしてしまうのだ  立て  立て
立ち上がれ  立ち上がれ」》



午後5時3分、東神奈川電車区で組合員と公安職員が衝突、公安職員2人が負傷。

午後5時30分、松戸駅前で地区労など200人が公安職員の暴力に抗議集会。

午後7時、品川機関区で動力車労組約500人が第一回の職場大会。

東大の教授、助教授、講師ら約700人が声明発表
《5月19日政府与党の一部は理性的な討論の機会を自ら閉ざして強権的な手段に訴え、突然衆院において新安保条約の単独採決を強行した。その結果、国会は本来の機能を失い決定的に国民から遊離してしまった。わが国のよりよき明日のため、我々は深く議会主義の原則に立ち返って即時国会を解散するとともに、新安保条約の単独採決を白紙に戻し民主政治への信頼を回復することを強く要望する。》

立教大学松下総長以下120人の教授団が声明発表。
    《政府の国会会期延長、新安保批准の単独採決は議会主義の否定である。国会を即時解散し総選挙を行え。》

名古屋大学教授団35人、山形大文理学部教授団50人、富山大文理、教育、経済、薬学、工学各部教授団101人、宇都宮大農、学芸学部教授団131人、群馬大医学部教授団44人がそれぞれ国会解散要求の声明発表。

湯川秀樹博士が国会解散などを求める個人声明を発表

1960.6.4
総評、中立労連系組合は「岸内閣打倒、国会解散、新安保条約批准阻止」全国一斉実力行使

国鉄では東京の国電、長距離列車が始発から午前7時まで全面ストップ、東京、大阪の都、市電バス、私鉄も午前6時半まで一台も動かない空前のスト。乗客とのいさかいもなく整然と終わる。

 

私鉄各駅と国電が接続するタ−ミナル駅では労組員、学生など2万人が泊まり込んで整理、誘導

国労ストで運休電車655本、運休旅客列車64本、貨物列車40本、遅延旅客列車101本、遅延貨物列車66本で延べ165時間(国鉄本社調べ)。



スト参加者は総評傘下57単産360万人、中立労連傘下19単産100万人、学生、民主団体、中小企業など100万人(6.4闘争委員会調べ)

東京駅では国労組合員60人が前夜から中央線ホ−ムに座りこみ、午前4時45分の始発電車から完全にストップ。支援労組員、全学連約1200人が丸の内南、中央、北の乗降口にピケ。午前7時に南口で乗客大会。



上野駅でも全学連反主流派約300人他のピケ隊が労働歌などで気勢。新宿駅でも7時半から約800人が乗客大会。

品川駅では表口に全金属、新聞労連、全学連反主流派約1500人が座りこみ、午前4時半、応援部隊500人も合流。女子労組員がリ−ドして「カラスの赤ちゃん何故泣くの」と童謡などを歌ってなごやかなピケ。

下十條電車区では国労組合員600人が電車の出発を完全にストップさせる。

池袋駅に午前6時赤尾敏ら右翼30人が押し掛け労組員の旗を奪おうとしたが警官隊に排除される。この際新聞記者1人がケガ。

新前橋駅で国労組合員約100人と支援労組員、群馬大生約350人が信号所を占拠、警官隊と衝突し公安職員2人が負傷。

津田沼駅で国労組合員250人と支援労組員600人が終電電車占拠、警官隊ともみ合う。

横浜駅でも労組員と公安職員が一時もみ合い。

国労、動力車労組は共同声明発表。
《6.4統一行動には全労働者、市民、学者、文化人をはじめおおくの国民の協力により整然と行われ格別の混乱もなく収拾できたことを深く感謝する。これは岸内閣にたいする国民の声が圧倒的に総辞職、国会解散を要求している証拠である。岸首相、自民党が世論の動向を正しく受けとめてすみやかに総辞職と国会正常化の具体策をとるよう要望する》。

安保阻止国民会議声明。
《私たちの請願や抗議を無視し、世論を踏みにじる岸首相に、重大な反省を求め、「岸内閣総辞職、国会解散、安保批准阻止」の国民の声を聞き入れさせるため、本日決然としてストライキを実行した。この行動は警察官、自民党、右翼団体の挑発を排除し、全国的に整然と行われ大きな成果を収めた。この行動は全国民の圧倒的な支持を得て、岸首相に決定的な警告となったと確信する。私たちはこの成果に立ってさらに次の闘いを予定し、それぞれの職場に戻った。この経験は、日本の民主主義と平和を守る国民の力が健在であることを教えた。私たちは本日の統一行動で、日本の民主主義と平和を守る闘いは大きく前進したと確信する。国民の皆さん、私たちは今後岸内閣退陣、国会解散、安保批准阻止の目的を貫き、不当弾圧が加えられるならばこれを跳ね返すまで皆さんと共に戦い抜くことを宣言する。

安保阻止国民会議約3万人と全学連約2500人が国会周辺デモ。
《早朝のストに続いて文化人、一般労組などが国会包囲デモを行ったが労組もデパ−トなど中立系が多かったため大きな混乱はなく、全学連も徹夜の座りこみの疲れか警官隊との衝突はなかった。

警察庁も最大の盛り上がりをみせた統一行動であったことを認める。

総評幹事会。
   
《1.6.4行動に対する弾圧には直ちに全国行動を起こして反撃する。
    《2.11日、学者、文化人を中心にメ−デ−規模の集会、行進を全国的に行う。
    《3.東京の集会に参加する関東及び周辺地代表は6日ごろ行進を始める。
    《4.18日、全国統一行動。
   《 5.アイク訪日に反対し、10日ハガチ−大統領秘書に電報を打つ。
   《 6.10、11日ハガチ−氏に国民の意向を伝える行動を行う。
    《7.19日のアイク訪日当日は労働者が黒いリボンをつけ抗議集会、デモを行う。


大浜早大総長ら早大教授団286人が「早大民主主義を守る会」を結成、声明を発表。
《国会の会期延長、新安保条約の強行採決は国会運営の慣習と民主主義の原則を無視したものだ。岸内閣の総辞職と国会の即時解散を要求する。》

フランス文学会約400人が慶応大学で総会、国会即時解散の声明発表。

長野県の中央総決起大会にロケ中の木下恵介監督、高峯秀子、田村高広ら俳優が参加。

尼崎で1万2000人が参加したデモに右翼護国団関西本部のジ−プが突入、団員30人がこん棒などでなぐり込み乱闘。労組員
16人が負傷、右翼26人が逮捕される。

「声なき声の会」は東京だけでいくつかできた。そのなかの一つは28歳の女教師と30歳の映画助監督の発案で生まれた。彼らは6月4日「誰でも入れる声なき声の会」のノボリを持って日比谷から歩き出した。「ここから後は一般市民の方の行進です。一緒に歩きましょう。とよびかけると歩道からすまして何気なく入ってくる人、怒ったような顔で入る人、笑顔で加わる人、そしてその人たちも暫く黙って歩くと、やがて歩道の人に手をあげて呼びかけた。傘を持ったサラリ−マン、若い女性、主婦、高校生、青年の行
進・・新橋で解散する頃には約300人位になった。」(「5月19日」P81)


《片隅の幸福に安んじるごく平凡な市民までが動き出し、映画やナイタ−見物の「政治的無関心層」とデモに参加する「急進分子」というような紋切り型の分類法が破綻したことが運動の特徴だった。(「5月19日」P85日高六郎)》

1960.6.5
安保阻止国民会議幹事会
《1.10日、ハガチ−米大統領新聞係秘書が訪日するので、中央では各団体個人ごとに面会をもとめる。アイク訪日の中止を求める一方、米大使館にデモをかける。地方では地区共闘ごとにアイク訪日中止を要望する電報をハカチ−氏に送る。
《2.11日、労組、各民主団体、学者、文化人を結集したメ−デ−規模の集会を全国的に行う。中央では20万人を動員し、安保阻止、国会解散、岸退陣、民主主義擁護、アイク訪日反対の5項目を要求して国会請願行動を起こす。引き続き請願者および市民を広く動員して抗議集会を開いたあと米大使館にデモを行う。また全国主要都市でもメ−デ−規模の抗議集会を開く。
《3.12日−14日、安保阻止、国会解散、岸退陣を要求する2700万人の署名を目標に第二次署名運動を行う。
《4.15日−17日、全国的に労組を中心とした統一実力行使を行うが、特に17日には総評と足並みをそろえ「6.4闘争」と同じ規模・内容の実力行使を行う。
《5.19日、アイク訪日当日は大規模な抗議集会、デモを行う。

警視庁公安一課は「6.3首相官邸乱入事件」で共産主義者同盟書記局、全学連書記局を家宅捜索。

1960.6.6
社会党第18回臨時大会、岸内閣退陣、国会解散、新安保批准阻止の挙党体制確立と衆院議員の総辞職戦術を決定。
《11日の第二メ−デ−と続く第18次統一行動の先頭に立って一大国民運動を盛り上げる積極的な政治活動に入る。これによって政局の混乱を与野党の話し合いで収拾する道は全く閉ざされた。》
《大会宣言》
《我が党は臨時大会の名において国民諸君に心から訴えたい。本大会が議員総辞職を決定し、岸内閣退陣、国会解散、安保批准阻止に関する重要な方針を採択したのも現在の決定段階で「この日本をどうすればよいのか」という最大問題を我々と国民の前に提起しともに考え、ともに解決したいためである。我々は歴史的転換期に立っている。去る20日岸内閣と自民党によって民主主義と議会政治を破壊され、日本の政治情勢は一変した。国民の利益を裏切り、民族を破壊させる危険な戦争への道を歩む岸内閣は幾百万の血であがなった民主主義を否定し、再び日本をファシズムの黒い影でおおおうとしている。現在怒涛のような国民運動の発展は新安保阻止の運動が国民主権と民主主義擁護の運動と相擁して全ての階層を包み、大きな流れとなったからである。国民に支持された6.4闘争の成功に心からお祝いを送る。我々に課せられた最高の任務はこの道を一歩一歩国民と踏みしめて行くことである。国民諸君、今や岸内閣は国民から孤立、新条約は全国民の総抵抗を受けている。しかし、ファシスト独裁者が自らすすんで権力の座から離れないことは歴史の示すところである。延命のためアイク訪日をも利用せんとする岸内閣、すでにファシスト化した岸内閣は最後の最後までの抵抗なしには自ら退陣しない。議員総辞職を決定した我が党はここに試みうる一切のことを試みみる。そして内閣打倒、国会解散、平和と民主主義議会政治の再建を要求する国民運動の先頭に立つ。我々の勝利は手の届くところまできている。もう一押しで国会を解散させ新安保を阻止することができ、新しい明日の歴史をつくる大事業にも着手し、進もうではないか。》

社会党国会議員団、代議員、秘書団約1000人が首相官邸、アメリカ大使館へデモ。首相官邸前で激しくジグザグデモを行い、
アメリカ大使館前では無届けデモだと阻止する警官隊ともみ合い


自民党の河野、三木・松村、石橋、中間の各派世話人会。17,78日に岸退陣を要求する大集会を開くことを決定。

自民党石井総務会長、岸首相にアイク訪日は難しいとの意向を伝える

中央大学教授団194人が声明発表
《5月19日の自民党による会期延長、単独採決は議会主義のル−ルを無視したもので、かかる全体主義的な暴虐はとうてい黙視できないところである。われわれは民主主義擁護のため衆議院の解散を要求する。》

1960.6.7
ホワイトハウス、「19日から22日まで予定されている日本訪問計画に変更がない」との声明発表

社会党両院議員総会、第二メ−デ−の方針を決定
《民主主義擁護勢力は、さる4日の統一行動以来全国的に大きく盛り上がりをみせているが、これをさらに拡大、組織するため11日の第二メ−デ−は家庭婦人まで含めた場の広い「民主的な政治要求のつどい」とし安保阻止国民会議以外のYMCA、若い日本の会、学者グル−プなど国民各層の結集を図る。そしてこれをアイク訪日中止、新安保阻止につながる闘争へ進めるよう全力をあげ、その後はさらに日米安保体制打破の長期闘争の方向に発展させていく。》

民社党幹部会
    《1.岸内閣打倒のためリコ−ル的規模の署名運動を展開する。
    《2.10日全労が全国一斉に職場大会。
    《3.14日、全国的に抗議集会、中央では日比谷野外音楽堂に集結しチョウチン行列を行う。

戦後元首相の東久迩利彦、片山哲、石橋湛山が会合、メッセ−ジ発表。
《現在の重大な政情を憂慮し、かって国政を担当したものの立場から慎重な検討を続けてきた。わが国の民主政治の危機を憂える国民の声はかってないものがある。それにもかかわらず、事態は深刻化の一途をたどっている。この根源は国政担当者が大局的見地からの解決をはかっていない点にある。すなわち岸首相退陣がすべてに先行しなくてはならないとの結論に達した。我々の立場として軽々に発言すべきでないと考えてきたが、事態は急を要するので、あえて岸首相に勧告することを決定したのである。国民諸氏も一層賢明な努力を払われるよう期待してやまない。》

岸首相、藤山外相、池田通産、佐藤蔵相、福田農相と会談、アイク招待を予定通り行うことで一致

岸首相、正力読売新聞社主、水野産経新聞社長、前田NHK専務理事、本田毎日新聞会長、福田東京新聞社長を個別に招きアイク訪日に対して協力を要請。

自民党のアイク歓迎計画実行委員会、全国都道府県知事会、市町村長会、商工、中小企業など各種団体が歓迎計画打ち合わせ。
《1.当日は羽田から皇居までの間に60万人の一般歓迎者を動員、実行委員会から1万人の整理員を出す。
《2.実行委員会、運営委員会合わせて80万本の手旗を作成配布する。
《3.東京商店街連合と共同でポスタ−1万本を配布する。

経済同友会首脳会議、アイク訪日のため政治休戦が不可欠との意向を固める

警視庁、アイク訪日警備計画を指示
《1.アイクのパレ−ドの阻止などについてはきわめて強い態度で臨む。米大使館など一定の場所では、あきらかに都公安条例違反などと認められる場合には警職法第5条を適用し事前に排除する。
《2.訪日当日の空港及び沿道の警備に約9000人の警官を動員するが、場合によっては神奈川、千葉、埼玉、茨城の各県から約8000人の応援部隊を動員する。
《3.オ−プンカ−を箱形防弾ガラスつきのベンツに変えるよう提案する。

全学連臨時中央執行委員会
    《1.11日午後1時から2万人で国会、自民党本部デモ。
    《2.15日午後1時5万人で国会、官邸デモ。

一橋大教授団88人、内閣総辞職と国会解散を要求する声明発表

慶応安保体制研究会45人声明発表。
《労働者、農民、文化人、学生の闘争を支持し戦列に参加する。》

名古屋工大教授団89人が岸内閣総辞職と国会解散要求の声明発表

安保阻止岐阜県青年学生共闘会議の「安保阻止、岸内閣打倒、国会解散要求抗議集会」に岐阜市内7高校から高校生約100人が参加。

1960.6.8
参院自民党重宗議員会長らが同志会、無クに安保委出席を要請したが断られる。

社会党江田書記長らが椎名官房長官なアイク訪日延期を重ねて申し入れ

岸首相、岩本共同通信社専務理事、金森中部日本新聞東京支社長、福田西日本新聞東京支社長、桜井北海道新聞社編集局長を首相官邸に呼び、アイク訪日について報道機関の協力を依頼。

総評第14回臨時大会が大牟田市で開催。
アイク訪日反対決議が緊急提案され可決。
《私たちは東西首脳会議が失敗に終わった今日、ア大統領が日本に来ることは日米軍事同盟を強化し、安保体制を完成するとともに新安保条約と議会否定の手段で強行成立を図り全国民の非難を受けて崩壊にひんしている岸内閣を救うことに通じると考え反対せざるを得ない。私たちは全世界の国民と平和友好関係を得たいと思っているが、私たちの期待に反してア大統領があくまで訪日することになれば平和と民主主義を望む全日本国民の大きな不満と怒りに燃えた抵抗にあい、将来の日米両国民の正しい平和友好関係に重大な支障となるだろう。したがって私たちは日本国民が国民自身の手により日本の現在の政局を処理するまではア大統領が日本訪問を中止されるよう強く要望する。私たちはこの意見を明確にア大統領に伝えるため、学者、芸術家、宗教家、農民その他国民各層の協力を得て大統領が訪日を中止するよう要請する国民的使節団をさっそく組織しアメリカに派遣する。》

総評緊急単産代表者会議。
  《
1.17日に行う統一行動は15日に繰り上げる。
  《2.統一行動の内容は全体的に6.4ストを上回るストライキを行う。
  《3.19日のアイク訪日反対行動は最大限の力量を奮って抗議する。




全学連反主流派、ハガチ−来日抗議デモ呼びかけ。
《「アイク来日を中止させる闘いは南朝鮮、トルコの労学が闘ったような米帝国主義のアジア戦略体制をゆるがす闘いと結合し、同時に支配階級に対する一大政治的打撃たり得るであろう。秘書をして忠実な秘書の役を果さしめ、アイク来日を思いとどませる必要があろう。この闘いは決して単なる反米闘争ではない。日米帝国主義者の緊密な共同作戦に有効な反撃を組織しよう。》

警視庁部長会議。
    
《1.アイク訪日時の警官の動員は1万5000人とする。
    《2.羽田−米大使館の間を5ブロックに分け約6000人を割り当てる。
    《3.機動予備部隊6000人を編成する。
    《4.関東ブロックから3000人の応援を求める。
    《5.全学連などのデモ、座りこみは事前に排除する。
《玉村警視庁警備部長談。》
    《第1案は5000人程度の警備予定だったが、情勢が変わり練り直した。延べにすると6万人以上が動員されることになる。


日本こどもを守る会、「相当な混乱が起こり、不穏の事態も予想されるので学童、生徒動員計画を中止せよ」と教育庁に申し入れ。

山梨学院第教授会181人、安保反対、国会即時解散要求の声明発表。

東京教育大文学部教授団58人、新安保強行可決反対、アイク訪日反対の声明発表。

世界平和七人委員会の植村環日本YMCA会長、上代たの日本女子大学長、「アイク訪日は時期的に好ましくない」との声明発表。

朝永振一郎東京教育大学長ら素粒子論研究者48人が国会解散要求の声明発表。

日本ペンクラブ(川端康成会長、596人)、新安保承認白紙化、衆院解散要求の声明発表。

静岡中央署、5.20デモで静岡大学生を逮捕。静岡大自治会約100人と文理学部長、学生部長が警備本部に押し掛け、機動隊約60人ともみ合い。

1960.6.9
自民党は参院安保特別委員会を単独で開会。

社会党、松野参院議長に安保単独審議を中止するよう申し入れ。

自民党反主流派世話人会、参院安保特別委員会の単独審議開会に反発。反岸大集会を14日に繰り上げて開催することを決定。

参院自民党の大谷蛍潤議員が離党届け。
《平和と民主主義を守る仏徒としてアメリカ側に片寄り戦争に巻き込まれる恐れのある安保条約そのものに反対である。まして与党だけが変則国会の混乱のまま強引に承認への道を進んでいることは耐えられず、これ以上自民党にとどまることは良心が許さない。

社会党中央執行委員会
  
《1.江田書記長が先頭にたって政府、自民党に対し、連続的に反省を求め、単独審議を中止させる。
  《2.自民党以外の民社、無ク、同志会に対し立場はちがっても同調を求め、四派連合の形で阻止行動を起こす。
  《3.反省がない場合、実力行使を含む重大な決意で臨む。

東大で安保強行採決をめぐって教授、学生、職員の全学研究集会。

民主主義を守る全国学者研究者の会拡大事務局会議。
   
 《1.民主主義を守れ、岸内閣総辞職、国会解散、安保条約を白紙に戻せ。
    《2.12日、自動車13台で都内パレ−ド。盛り場で約150人が呼びかけを行う。
    《3.東大社会研究室、明大政治学研究室などが各地農村で世論調査を行う。
    《4.農村向けポスタ−30万枚を農協などに配る。

運輸省と羽田空港当局は19日のアイク訪日時に羽田を一時全面閉鎖することを決定。

全学連臨時中央執行委員会。
《1.11日、国会正門前に2万人を動員、自民党本部、首相官邸、国会周辺デモを行い、この間岸、ハガチ−会談を行わせないため岸首相の居場所を包囲する。このあと警視庁に逮捕者釈放要求のデモをかける。
《2.15日、国会正門前に3万人以上を動員、自民党議員、岸首相、松野議長の登院を阻止するため議員会館、首相官邸、国会を包囲する。14日夜にも動員できる体制をとる。

1940年代アメリカ留学学者グル−プ12人がアイク訪日延期要求の声明発表。

日本音楽家クラブ、音楽ペンクラブなど5団体が民主主義を守る音楽家の会を結成。新安保強行可決の白紙化と国会解散、岸内閣総辞職要求の声明発表。


1960.6.10
午前11時半、愛国党、護国団、防共挺身隊など約100人とハガチ−歓迎団約500人がが羽田フィンガ−を占拠。

正午、全学連反主流派約1300人が萩中公園に集結開始。

国民会議デモ隊約1000人が国際線ロビ−で労働歌などを歌って気勢。警視庁は警官隊約1400人を羽田空港に動員。

午後1時、送迎デッキで労組員と右翼がもみ合いとなる。

午後1時半、アメリカ大使館に労組員約3000人、全学連反主流派約1500人がデモ。正門前の自民党青年部約60人を追い落とし、ジグザグデモなどでハガチ−を待ち受ける。

午後2時、全学連反主流派や労組員が弁天橋に座りこみ。大鳥居駅前から稲荷橋までの道路に総評系労組員約1万5000人が喪章付赤旗とプラカ−ドをもって埋め尽くす。
《労組員らはアイク訪日反対の黒枠つき小旗を通行人に配り、修学旅行の小学生がこの旗を打ち振ったり、通行する一般車両もこの小旗を立てているありさま。

午後3時37分、ハガチ−米大統領新聞係秘書、特別機で沖縄から羽田へ到着。タラップの下で近藤外務省情報文化局長、有田アメリカ局北米課長の出迎えを受ける。

午後3時42分、ヘリコプタ−で迎えたマッカ−サ−大使とともに、米大使館差し回しの乗用車で米大使館へ向け出発。
《いきなりフルスピ−ドで弁天橋手前のガ−ド下をくぐり抜ける。橋の50メ−トル前でデモ隊約200人が乗用車を取り囲みも先頭の私服パトカ−との間を遮断。数分後には全学連反主流派の学生も含め約600人が包囲。キャデラックは見る間に左右に揺すられ、前部のボンネットに飛び乗る者、後部のトランクに折り重なる者、プラカ−ドでガラスをたたき、足で車体を蹴るなど混乱。





午後3時45分、社会党議員団、国民会議リ−ダ−が駆けつけ、「スクラムを組んで整然と面会を要求しよう」と呼びかけ、約3000人(全学連反主流派700人)にふくれあがったデモ隊は車の回りに座り込む。上空には米海兵隊の緑色のヘリコプタ−が救出のため旋回、着陸を強行しようとするが、デモ隊は投石などで抵抗。警官隊約150人が空港側から駆けつけたがデモ隊に圧倒され、さらに約600人を増員、デモ隊に突入するが容易に車に近づけない。

午後4時40分、警官隊、キャデラック周辺に到着。現場で会議を開くありさま。

午後4時47分、米軍ヘリコプタ−はつりハシゴをさげ超低空で警官隊の中へ強行着陸。ただちに30メ−トル東側道路からサクを乗り越えてハガチ−とマッカ−サ−米大使、スチ−ブンソンの3人をはしごでつり上げ脱出。





午後4時58分、麻布竜士町の米軍ヘリポ−トに着陸。

東京消防庁では警官4人とデモ隊4人を病院に収容。警視庁では警官29人が負傷と発表。

午後5時8分、包囲しているデモ隊の裏をかいて、車で裏口から米大使館に入る。

午後5時40分、デモ隊約8000人が空港近くの萩中公園で「アイク訪日阻止、安保反対総決起大会」。田中国民会議議長が「これでマッカ−サ−大使は情勢判断の誤りを思い知っただろう。この力を19日には10倍に増強してアイクを押し返し、岸内閣を打倒しよう」と挨拶。全学連反主流派約1000人はただちにアメリカ大使館に向かう。

午後7時、警視庁警備、公安幹部会議、「不祥事は警備陣の情勢判断の甘さのせい」との見解。全学連反主流派、神奈川地評に対し捜査開始。

午後8時、夜学連や労組員がアメリカ大使館に続々と押し掛ける。

ハガチ−秘書声明。
《デモが専門的な組織者たちによって綿密に計画されたことは明らかだ。我々が乗っていた大使の自動車に石を投げつけ、窓をぶちこわし、タイヤを切ったり、そして転覆をしようとしながらインタ−ナショナルを歌っていたことから察すれば、この人たちは、日本に対する忠誠心さえ持たない人たちであると思われる。私たちはデモは決して日本国民の大半の心持ちと態度を反映するものでないと信じる。》

ホワイトハウス声明。
《事件は大統領に電報で伝えられた。日本の左翼分子がハガチ−氏一行に反対デモを計画していたのはすでに周知のことだが、ハガチ−氏にけががないことを知った。大統領の予定には今持って変更がなく、計画通り訪日することになろう。

椎名官房長官談話。
《日米修好百年祭に際し両国親善のための訪日を前に非礼きわまる醜態をさらし誠に遺憾である。この暴挙は極めて一部の分子の仕業であり、国民は憤激しているものと思う。日本国民の名誉にかけてこの不届き者を厳重に処罰する。》

全学連臨時執行部指令。
   
 《1.参院を開かせないため13日から国会周辺で泊まり込みを行い自民党議員の登院を阻止する。
    《2.そのため関東の大学自治会、その他全国の地学連から最低5万人を動員する。

日本YMCA全国主事会、民主主義と議会政治の危機を救うため岸内閣の総辞職と国会解散を要求する声明を発表。

拓殖大学教授ら22人が声明発表。
    
《各党派の深い反省を促すとともに直ちに国会を解散して民意を問うことを要望する。》

青山学院大、青山学院女子短大教授団62人、岸内閣の総辞職と国会解散要求の声明発表。

東京労働法研究会36人声明発表。
《民主主義を守るためには国会を即時解散する以外にない。このような事態のもとで国会解散を要求する労働者のストライキは民主主義、したがって現憲法を守るためのもので、原則として適法な団体行動であるといわざるを得ない。かかるストをいちがいに違法と断定する政府声明は、現憲法体制下において十分な法的根拠をかくものと考える。

東北大前期2年教養部大川内分校、東分校教授団122人、国会を政府与党の責任において正常化してほしいとの声明発表。

岩手大教授団137人、国会即時解散と新国会での安保条約審議と直しを要求する声明を発表。

明治学院大教授団124人、岸内閣の総辞職と国会即時解散を要求する声明発表。

東京ユネスコ学生連盟(300人)、安保反対、岸内閣退陣、国会即時解散要求の声明発表。

文芸家協会(青野李吉会長、633人)声明発表。
《言論表現の自由の土台である民主主義の危機を解消するために岸首相退陣と国会解散を要求、このような時期のアイク訪日は現在の社会不安を一層激化するおそれがあり、かえって日米親善の実をそこなうものと考えるので延期されることを切望する。

岸首相の郷里山口県で「岸内閣支持町民総決起大会」3000人と「岸内閣退陣県民総決起大会」2500人が岸首相邸前で衝突。労組側の激しい波状デモに対し、支持派が投石などで対抗、警官隊や双方の参加者に10数人の負傷者が出る。

経団連、日経連、東京商工会議所、経済同友会がアイク訪日歓迎を決定。


1960.6.11
政府自民党は局面打開のため党首会談を提唱。社会党は拒否。

社会党中央執行委員会、15日の統一行動までに参院における新安保単独承認とアイク訪日阻止を目標として短期決戦に全力を上げる方針を確認。

社会党、ハガチ−秘書にア大統領訪日延期要請の面会を求めるが回答がないため断念。
《佐藤国際局長書簡》
《党は現在の諸情勢はア大統領の訪日に最も不適当と考え、日本政府に延期の手続きをとるよう要求しているが、貴政府も訪日の時期に関して再考されることを強く要請する。日本世論の過半数は新安保条約に反対し、民主主義を当面の危機から救うことに結束しこの実現のために岸内閣の退陣、国会解散を要求し、これに関連してア大統領の訪日をその時期でないと断定している実状を、ありのままに率直に認識されることを望む。
党は貴国と永続的な真の友好関係を念願しているが、東西いずれの陣営にも属さず、全ての国と友好関係をもつことではじめて世界平和に貢献できることができ、これによって日本の独立と安全は完全に確保されるからである。一方の陣営への軍事的依存では不可能である。貴国との安保条約は隣国の中ソ両国を現実に刺激し、日本の国際的地位、国内政治に少なからず制約を加え、日本民主主義の発達を妨げるゆえに反対してきた。調印された1月と大きな違いがあることを認識されたい。衆院の特別委で審議を終えていないばかりか、行政協定も全然質疑も行われないまま自民党は討議を打ち切って、条約は可決されたと強弁している。参院でも自民党のみで審議している。安保反対と民主主義擁護はすでに同一である。この情勢下の訪日は事実上日本への貴国の介入の結果となる。

ハガチ−秘書、予定を突然変更して立川基地からアラスカに出発。

政府治安閣僚関係懇談会。
《全般的に警察側の判断が甘かった。とくに10日の羽田事件は共産党が指導したもので、社会党は共産党のペ−スに巻き込まれている。従来の社会党デモが実力行使をしないとの見解が有力であったため、虚を突かれた感じがする。(石原公安委員長)

安保阻止国民会議、第18次統一行動に入る。全国363カ所、350万人が参加(国民会議調べ)

午前8時、山梨、神奈川、群馬、茨城、千葉からの「安保阻止国民大行進」が東西南北コ−スから一斉に東京都内入り。
《朝10時半から夜9時過ぎまで11時間以上にわたって国会周辺は人波に埋まる。》
《午前中は約2500人がアメリカ大使館へデモ。》

慶応大学で「民主主義を守る教職員、学生のつどい」、約1200人が参加、新安保採決の無効、岸内閣総辞職、国会解散を決議。

弘前大で一斉に授業放棄、約1000人が市内をデモ。

昼過ぎから日比谷公園に集まった地方代表、官公労、民間組合、民主・婦人団体、文化人、大学教授団、全学連、一般市民は続々と国会周辺に詰めかけ正門付近から座りこみに入ったが、あまりの数に国民会議は5時過ぎからデモ隊を流し、アメリカ大使館、首相官邸方面も人波で埋まる。2時間も出発を待たされた民間労組のデモ隊は国会正門前で鬱憤をはらすかのように激しくデモり、味の素、ソニ−、コロムビア、明電舎、積水化学などがそれぞれ500人から1000人の大群となって押し掛け、まるで株式相場を見ているよう。

午後2時半、各地方代表がアメリカ大使館から特許庁までの約250メ−トルの道路を埋めてジグザグデモ。

午後3時、太い樫の棒を手にした右翼がデモ隊に突入、投石などでデモ隊8人が負傷。

午後5時過ぎ、ハガチ−を羽田で襲った神奈川県の労組員がアメリカ大使館前で激しく渦巻きデモ。警官3人が旗竿で突かれ負傷。

全学連反主流派約1万人は5時過ぎから国会、首相官邸、アメリカ大使館へ、高校生約650人が最後尾で参加。

全学連約3500人、高校生約400人は、午後1時過ぎ国会正門前に集結、2時過ぎ通りかかった自民党宣伝カ−に襲いかかり警官隊を巻き込んでもみ合い。3時50分、ジグザグデモで首相官邸、自民党本部、首相公、私邸に押し掛け、5時50分公、私邸前いっぱいに座りこみ。「戦犯出てこい」などど叫びながら明大など一部が表札をはぎ取ったり、新聞紙に火をつけて投げ込んだり、街灯をぶちこわすなどして一時緊迫。数人は塀の上の瓦をつつき落とし、「岸打倒」とペンキで書き殴った。

この日の国会包囲デモは国民会議発表で約23万5000人、警視庁調べで約10万人に上る。
《市民的エネルギ−は尽きることなく噴出した。「起ち上がった市民」の特徴は無党派であること、政治的野心をもっていないこと、それぞれが職業を持つ生活人であること、組織の指令によってではなく自発的に参加していることなどである。(「5月19日」P97)





大阪では約3万人が扇町公園へ3カ所から求心でも、午後5時半から約4万人が総決起大会。

名古屋では愛知県学連約1500人が自民党県連本部前に座りこみ。警官隊約500人が実力排除したため衝突。県学連委員長ら学生68人が逮捕され、警官隊40人(県警調べ)、学生5人が重傷、60人が軽傷(県学連調べ)、取材中の記者ら4人が警官に首を絞められるなどして負傷した。

社会党声明発表。
《本日の大集会は実に20万人を突破し、国会、首相官邸、アメリカ大使館は旗とプラカ−ドの波に埋め尽くされた。今日の特色は北海道から九州までのあらゆる市民階層が参加した全国民的大集会であったことと、アイク訪日阻止の叫びが急速度に高まりつつあることである。岸内閣がなお居座り、アイク訪日を実現させ新安保の強行突破を行うならば、今後起こりうる事態についての一切の責任は岸内閣が負うべきであると警告する。事態収拾の道は岸内閣退陣、国会解散、新安保阻止、そして19日はアイク訪日を中止する以外にないことを重ねてここに声明する。

午後11時、松田文相「全学連諸君へ」との呼びかけ発表。
《来日したハガチ−氏に対し多数の学生諸君が労組員とともにその自動車を取り巻き、妨害、暴行の行為に出たことは誠に遺憾だ。引き続き19日にはア大統領が国賓として来日するが、この際国際礼儀上はもとより、長く深い日米親善関係から国を上げて心から歓迎すべきだ。国民の気持ちも同様だと思う。全学連に属する一部の諸君が各種の非礼行為でこれを阻害しようとしていることは言語道断だ。民主主義下で暴力により自己の主張を達成しようとすることは目的、動機のいかんにかかわらず許せないことだ。ことに国賓としての友邦の元首に対し非礼を働くようなことがあれば、わが国に対する世界の信頼を破壊し、国家の品位を傷つける国民の一大恥辱だ。学生諸君が深く反省し、民族の歴史に汚点を残すことのないように切望する。》

1960.6.12
アイゼンハワ−米大統領極東へ向け出発。全行程36800キロ。

午前10時、石川県代表約150人が上野での汽車の待ち時間を利用して首相公邸前に座りこみ。日曜日のためこの日はデモも
休み。



1960.6.13
午前11時50分、岸首相、西尾民社党委員長会談。西尾委員長「アイク訪日は原則として延期すべきだが、決定ずみならば歓迎する。社会党にも協力を呼びかけよ」と提案。

岸首相、石原国家公安委員長、小倉警視総監らに警備報告を求める。
    《
1.警官の動員について東京近県だけでなく関西、東北などからも応援出動をもとめるなど最大限の動員を行う。
    《2.羽田警備については事前に規制する。
    《3.羽田からの沿道警備については座りこみ、デモなどの妨害計画に応じて重点的に警備体制をしく。

警視庁警備本部設置、柏村警察庁長官「光栄ある使命に徹し奮起せよ」と全警察官に訓辞。

総評幹事会、アイク訪日阻止沿道闘争をめぐって激論。15日の統一行動に対する世論の動きや国会の審議状況をみて結論を出すことで収拾。

午後10時、警視庁公安部はハガチ−羽田事件に関して神奈川県警と同機動隊を動員、日本鋼管川崎製鉄所労組事務所を家宅捜索、労組員5人を逮捕。
  
11時、安保改定阻止東京都学生自治会連絡会議事務局のある教育大学学生自治会、法政大学自治会を家宅捜索。
《法政大学・・14日午前零時、機動隊100人、私服刑事30人が到着。守衛立ち会いに新館の第一社会学部自治会室、第一文学部自治会室、全学自治会協議会室を捜索。学生約50人を排除したが投石などで警官11人が負傷。

  「歴史への証言」・6.15のドキュメント
法政大学
《午前零時:警視庁武装警官隊約100人と私服警官約40人が7台のトラックと2台のジ−プで法政大学正門前に到着。守衛岩瀬定勝に警察手帳を示し「公安一課の者だが社会学部自治会室、文学部自治会室を捜索する」》
         《岩瀬「上司に連絡するまで待ってもらいたい」
         《岩瀬、守衛所の電話で辻管理課長に連絡。
        《私服警官は岩瀬の電話を取り上げ、辻に「今から捜索を行う」と通告。
        《《辻は責任者に連絡するまで待つように再三申し入れ、警官は「急ぐから待てない」として電話を切る。
        《巡回中の守衛斉藤久介が合流。
        《警官は斉藤に新館への同行を求める。
        《武装警官隊は新館周辺を包囲。
《零時14分:私服警官多数が社会学部自治会室に進入。
《室内にいた学生数名は自治会責任者の立ち会いを求めたが有無を言わさず引きずり出される。
《零時20分:学内にいた教職員と佐藤康二第二学生課主任、古川哲経済学部助教授が駆けつけ、もみあっていた学生と警官隊の間に入って警官隊責任者との面会を求める。
《零時40分:古川、佐藤が社会学部自治会室に到達、捜索隊責任者に身分を明らかにするよう要求。一人は警察手帳を提示し一人は上着のネ−ムを示す。
《大学側の抗議を無視して捜索は続けられ、私服警官は文学部自治会室に窓から進入、捜索を開始。この頃から急を聞いた教職員、学生らが集まり始める。
《1時15分:捜索終了。押収品の取り返しを叫ぶ学生を強制排除して警官隊は退去。
《1時30分:警官隊完全撤退。

鋼管川崎
《11時10分、捜査員11人が急襲。組織対策部、労務対策部、教宣部、総務部などを捜索。一時は怒号が乱れる混乱となったが各机ごとに組合員6人が立ち会い11時40分引き揚げる。

教育大学
《11時15分、全学連反主流派の記者会見中に武装警官50人と私服刑事10数人が突入。学生約30人が旗竿などで抵抗したが押し切られ、捜索開始。
《11時半、成田文学部長らが6教授が駆けつけたが11時頃事前通告したということで成りゆきに任せる。学生たちは階段でスクラムを組みインタ−を歌ったて警官隊とにらみ合い。
      「歴史への証言」
《10時30分:大塚署員3名が下村学生部長宅に捜索のため同行を求める。
《10時55分:下村、学長に連絡するとともに大塚署長の乗用車に同乗。竹早公園に警官隊集結。
《11時10分:石教育学部長、成田文学部長が学生部長室に入る。
《11時15分:私服警官と武装警官隊が東京教育大学構内にはいる。
《11時18分:私服警官2名と下村が学生部長室に入る。警察側は礼状を見せ、立ち会いを求める。
《11時25分:警官隊はE館の鍵をこわして学生自治会室に乱入開始。
12時50分:警官隊、室外退去開始。出口付近で警官隊ともみあい倒れた学生を助けようとした穂積助教授は私服警官に胸ぐらを捕まれ「公務執行妨害で逮捕する」とこずきまわされ、武装警官数名に引きずり回される。

1960.6.14
法政大学で学生約1000人が捜索に抗議して集会、警視庁にデモ。

教育大学で学生約2000人が捜索に抗議して集会、警視庁にデモ。

法政、教育両大学はそれぞれ学長名で抗議声明発表。

橋本登美三郎アイク歓迎全国団体執行委総務班長、全閣僚懇談会で自民党のアイク歓迎体制を報告。
    《
一般歓迎者・・80万人、組織歓迎者・・30万人、
    《警備補助員・・3万5000人を動員する。


都労連、傘下組合に3割休暇、3万人を動員し15日に国会へ行くよう指令。

日比谷野外音楽堂で全労会議主催「岸内閣退陣、国会解散要求国民大集会」。約1万5000人が参加。有楽町の高速道路をチョウチンデモ。

民主主義を守る全国学者・研究者の会、民主主義をまもる現代音楽家の会、草の実会、声なき声の会、若い日本の会、東京YMCA、仏教者平和協議会、日本こどもを守る会など共催で「民主主義を守る全国民の集い」。

北鎌倉友の会、アイク訪日の前に政務担当者を変え、最悪の事態を回避するよう呼びかける500人の署名を清瀬衆院議長に提出。

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