60年安保・その激動の軌跡(2)

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1960.1.5
共産主義者同盟戦術委員会。
    《1.警視庁警備担当者と接触して警備状況を探る。
    《2.第一京浜国道から空港に通じる2本の道路に寝そべって座りこみ全権団の自動車を止める。
    《3.逮捕者が出るおそれが十分あるので全学連第二執行部をつくる。
    《4.羽田へは学生とわからない服装で参加する。
    《5.戦術会議ではあとに証拠となるようなメモは一切残さない。

1960.1.6
藤山・マック会談。日米安保改定交渉妥結

全学連中央執行委員会、岸渡米阻止闘争を決定。
    《1.14日に各地方学連ごとに学生集会や羽田参加者の決起大会を開き、夜行列車で上京させる。
    《2.動員数は都学連2000、北海道100、九州30、大阪50、京都60、広島30、関東700、北陸50、東海350。
    《3.沿道でシュプレヒコ−ルをやって気勢をあげる。
    《4.闘争拠点は稲荷橋、弁天橋の2カ所で、ここで路上に寝て車を止める。
    《5.具体的戦術は現地で円陣作戦で指令する。

1960.1.7
安保条約改定阻止国民会議幹事会
    《14日から16日までを渡米調印反対第11次安保改定阻止統一行動とし、全国各地で抗議集会を開く。》

1960.1.8
中大生2人が羽田空港付近の見取り図を作るため写真撮影しているのを蒲田署員が確認。

安保改定阻止国民会議幹事会(連続3日間−10日まで
    《1.1月14日から16日を「渡米調印反対第11次統一行動」とし各地で大衆的抗議の集会を行う。
    《2.14日「抗議団結成大会」を行い抗議行動を行う。
    《3.渡米当日は都内3,4カ所から日比谷へ求心デモを行う。
    《4.これらの行動に各県代表の参加を要請する。

1960.1.10
中大自治会幹部3人が「羽田での実力阻止」のビラ張りで神田署に連行される

1960.1.11
安保批判の会第2回総会が国鉄労働会館で開かれ、青野季吉、石川達三、千田是也氏らの文化人、映画、演劇、美術など文化団体関係者約500人が集まる
   《北林谷栄が宣言文を朗読》
    今度はいくどでも必要な行動をとり、あくまでも安保改定を阻止しよう。
    大会後文学部を先頭に新橋から銀座にデモ。全員喪章を胸に、宣伝カ−もスピ−カ−もないデモはかえって人目をひいた。

1960.1.12
警視庁三井公安第一課長が全学連書記局に警告署を届ける
    《全権団の出発を実力で阻止することは違法だ。すみやかに方針を改め、法秩序を乱すことのないよう警告する。》

石岡警視庁公安部長談
《学生諸君の良識が阻止行動のブレ−キになってくれればと思っている。全学連が強行すれば当然相当の摩擦は避けられないと思う。違法行為は厳重に罰する。》

文部省大学学術局長、各大学に「学生の説得活動をすすめ事前に事件を防止するよう」注意

1960.1.13
安保改定阻止法律家会議は「安保条約は違憲であり、政府は直ちに改定を中止すべきだ」との意見書を政府に提出。

平和と民主主義を守る東京共闘会議(岡本互太郎議長)は萩中グラウンドでの16日の集会を中止することを決定。組織としての羽田行動はやめたが個人行動の
自由は認める。


1960.1.14
安保改定阻止国民会議は14日から3日間を安保阻止第11次統一行動日として渡米反対の抗議行動を行う。
《中央では14日文京公会堂に3000人が集まり「渡米調印反対、抗議団結成大会」を開き約100人の抗議団を  結成、14.15日抗議決議を全権団、政府自民党、アメリカ大使館に申し入れる。16日は約3万人が上野公  園、新宿大久保公園、文京竹早公園、渋谷公園に分散集合。各集会地から日比谷野外音楽堂まで求心デモを行い渡米調印反対全国集会を開催する。また総評傘下革労組は時間外の抗議職場大会を行う。》
  
右翼9団体約2000人は全学連、東京地評の実力阻止行動に発煙筒などで対決ことを明らかにしている。

安保改定促進協議会は各団体が独自で行動することを申し合わせ。

警視庁は警備、公安合同会議
3000人の機動隊、方面隊を動員するほか所轄署1000人の計4000人を羽田空港に配置。玉村警備部長を警備総本部長に警備陣を羽田空港、弁天・稲荷橋、沿道、岸首相私邸の4ブロックに分け、各ブロックに前線移動警備本部を置く。また海上パトロ−ル隊を新たに編成する。

石原国家公安委員長、閣議で報告
警視庁は出発阻止は道路交通取締法に対する明らかな違反行為なので徹底的に排除する方針である。大した支障もなく全権団が出発できるとの見通しを持っている。

安保改定阻止国民会議は午後1時から文京公会堂で約2000人を集め「岸全権団渡米調印反対抗議団結成大会」。
《全学連唐牛委員長ら約20人が「羽田デモ決行の緊急動議を提出、発言を求め一時騒然となる。福岡、広島、大阪、愛知の各県からも同様の動議が出され、動議を取り上げようとしない幹事会側と対立、怒号が飛び交うなど混乱となる。大会後の幹事会は「羽田へはいかない」ことを再確認。岸全権団渡米調印反対抗議団129人は首相公邸、米大使館、自民党に抗議文手交。》

岸首相は佐藤蔵相、福田農相、川島幹事長ら12,3人と築地料亭で会合のあと午後9時40分私邸に帰る。
    《15日は1日自宅で休養。荷物もこれからまとめてもらうがゴルフ道具は今度は留守番だ。》

中央大学で都学連代表者会議
    《出発時刻が不明のため15日夜から羽田に徹夜で座り込む。》

全学連の京都大17人、金沢大30人、北海道大30人が上京。

1960.1.15
岸渡米阻止抗議団約70人が首相公邸にバスで押し掛け、押し問答の後公邸前でデモ。

全学連書記局に護国団員12.3人が乱入。
《イスを投げ、入り口のガラスを壊した2人を本富士署員が連行。同書記局には13日に2人、14日に4人の右翼の波状デモが続いており、私服警官3人が書記局内で警戒にあたっていた。》

午前10時、全権団の出発は16日午前8時と発表。

全学連書記局は、公安当局が「夜の出発では警備体制がとりにくい」と不満をもらしているとの情報をキャッチ、16日午前中の出発と断定し体制立て直しをはかる。

小笠官房副長官記者会見。
    《午前7時に公邸出発。空港までの経路は警察にまかせ、先導車を中心に適宜の処置をとる。》

全学連は緊急動員。午後9時空港行きバスで約500人が空港内ロビ−に入る。
《午後8時、唐牛全学連委員長記者会見》
《一行がわれわれ反対勢力の前からこそこそ逃げ出すような態度は許せない。全学連は全組織を上げて戦い、羽田から一歩も出さないつもりだ。今夜はロビ−に1000人が座りこみ、16日は早朝から第二隊1000人が押し掛けてくることになっている。》

全権団の乗る日航特別機DC7は警官1個分隊が守る。機長には小田切春雄氏、乗務員全員は乗務員詰め所に缶詰。

8時10分、甲州街道で護国青年隊の小型貨物自動車を検挙。中から日本刀2本、木刀45本、石灰袋22個、アンモニアビン10本、発煙筒13本を押収。

警視庁では午後7時から全機動隊1500人を含む3000人を非常呼集、他に応援部隊1000人を待機させる。

11時、全学連第2陣が弁天橋で警官隊ともみ合った末警戒線を突破した約200人が空港ロビ−の部隊と合流。

1960.1.16

午前1時、全学連は空港ロビ−中央で抗議集会を開いたあとジグザクデモで気勢をあげ空港食堂のドアをけやぶって中に入り、通路にイスや机でバリケ−ドを築き立てこもる

午前1時、全学連は空港ロビ−中央で抗議集会を開いたあとジグザクデモで気勢をあげ空港食堂のドアをけやぶって中に入り、通路にイスや机でバリケ−ドを築
き立てこもる。


2時50分、警官隊は学生たちに退去勧告

時、青カブトの警官隊約2000人が空港ビル包囲、うち1000人がバリケ−ドを崩して食堂内に突入。スクラムを組みインタ−を高唱する学生たちを一人一人ゴボウ抜き、学生の腕をとって引っ張る警官、スクラムで引き抜かれまいとする学生との激しいもみ合いが約1時間半続く。「イヌども」と警官にカミつく学生、有無をいわせずスクラムからひっこぬく警官隊。この間唐牛健太郎全学連委員長ら抵抗する学生78人が不退去罪、空港管理規則違反、公務執行妨害罪などで検挙される。検挙者は管下17署に分散留置された。また右翼6人も公務執行妨害で検挙された。

        

学生たちは大鳥居交差点に追い出され、大阪などからかけつけた600人と合流、再結集。警官隊約1000人が弁天橋、稲荷橋を封鎖。右翼義人党など約600人も詰めかける。

全学連の参加大学は全国17大学に及ぶ。(文部省調べ)

時、岸首相は白バイ10台、警官隊260人を満載したトラック4台、100台近い報道陣とともに公邸出発。環状線から目黒署前、国電五反田駅から右折して第二京浜国道、多摩川大橋の土手づたい、京浜線踏切、大師橋そして空港まで35分で突っ走る。

午前8時、岸首相を主席とする日米新安保条約調印全権団12人は警官隊3800人に守られて羽田出発。

岸首相ステ−トメント
私は、日米両国間の相互協力と安全保障に関する条約などの署名のため、ただいまからワシントンに向かいます。日米両国間の新条約は、ホワイトハウスにおいて、19日署名されます。また同日行われるアイゼンハワ−大統領並びにハ−タ−国務長官との会談において、当面の一般国際情勢の動向及び日米関係について隔意なき意見の交換を行いたいと考えております。今回署名される新条約は、昭和32年私とアイゼンハワ−大統領との会談の結果明らかにされた共通の利益と協力の原則の上に立脚する日米新時代の精神を具現するものであります。私は、この精神に基づく日米両国の親善友好関係をますます緊密化するとともに、国連憲章の精神にのっとって世界平和の増進に寄与したい考えであります

9時、国電蒲田駅ホ−ムで全学連20人と右翼50人が乱闘。警官3人が右翼から袋叩きにあい、2人が負傷。応援の警官隊により治安確立同士会長(51)、ブリキ職同会員(51)が公務執行妨害で逮捕される。

羽田空港での外国人の声
《6000人もの警官を出動させてなんで簡単に学生たちにロビ−を占領されてしまったのか。警官は一挙にたくさんの学生を捕らえるため故意に入らせたと勘ぐりた
くなる。(シカゴディリ−ニュ−ズカイズ・ビ−チ記者)》
《きれいなロビ−にこんなにたくさんの武装警官が待機しているのはフルシチョフ首相でもやってくるのですか。(アメリカの貿易商)》
《アメリカはたくさんの条約があるから、この条約にはとくに関心をはらっていない。(ニュ−ズウィ−ク東京支局長レイ・スタインバ−グ)》

全学連は臨時執行部を決め、声明を発表。
    委員長代理 北小路敏京都府学連委員長(24)
    書記長代理 恩田徳生北海道学連委員長(22)
      1.16日午後、300人を動員して警視庁へ抗議デモ
      2.全権団が帰国する24日にまた羽田へデモをかける
      3.国会再開日の28日全国学生ゼネストを行う
《我々は全国民の岸渡米反対の総意を代表して輝かしい成果を納めたことを誇りに思う。首相はパトカ−と武装警官に守られ多摩川の土手ぶちのきたない道路を通っていかざるをえなかった。警視庁は委員長初め70余人の大量逮捕を行ったばかりか空港ロビ−のガラスは学生を引き出すため警官が破ったのに学生が破ったとデマ宣伝をしている。我々はこれらの大弾圧に対しひるまず戦うであろう。》

文部省は全国の国公私立大学長に対し次官通達。
《事件に参加したものに反省を求めるとともに、全学連の悪質な指導的学生は学園から排除するなど各大学独自の立場からこの種の事件の再発防止の措置をとるよう要望する。》

松田文部大臣の話
《こんどの事件をみるともはや暴徒と同じだ。このまま放置すれば右翼を刺激するなど動乱の端緒ともなりかねない。これは文部省としても無視するわけにもいかず、このような悪質な学生は学園から排除するよう通達した。》

大浜信泉早大総長の話
《通達という形で文部省が大学に働きかけることは余り感心できない。文部省が示すまでもなく当然大学として考えてやるべきことだ。安保反対運動で学内の秩序を乱した学生はこれまでも処分してきた。学外のことでも学生の本分にはずれたものは処分の対象になるから、羽田の阻止行動については今調査している。私としてはデモに参加したりハメをはずしたからといって直ちに厳罰で臨むことは考えものだと思っている。》

武田孟明大学長の話
《学生の指導は文部省からいまさらいわれるまでもなく学生部長、教授会が常に労を尽くしている。大学には立場や事情があるから処罰一本で臨むことはできない。処分を重くすれば問題が解決すると思うのは誤りで、むしろ逆の結果を生む。》

日比谷野外音楽堂で予定されていた安保改定阻止第11次統一行動の中央集会は中止。約1万5000人が5方面から日比谷に向けて求心デモ。

早大、法大など全学連約300人が求心デモ参加後警視庁に抗議デモ。桜田門、法務省前で機動隊約800人に押し返され、午後5時半解散。

警視庁公安一課は午後10時全学連書記局と共産主義者同盟書記局を住居侵入と暴力行為の疑いで家宅捜索。

1960.1.18
全学連唐牛委員長ら76人が東京地検に送検。
《東大23,早稲田6,中央3,日本医大3,明大2,その他の大学39人。76人が拘置請求を受けたのはメ−デ−事件以来のこと。》

1960.1.19
東大定例学部長会議、「文部省次官通達には動かされず大学独自の立場で事実調査などを行う」ことを決定
《茅東大学長の話》
《次官送達は参考だけにとどめる。文部省であれ、学生であれよい意見なら参考として聞く。羽田での学生の行動が学外のものかそれとも大学の名前を背負った学内的にものかを調査する。》

渋谷区労協主催の安保調印反対集会が午後6時から大向小学校で開かれ、約200人が集会後首相公邸の回りをチョウチンデモ。「岸、日本に帰ってくるな」と気勢をあげる。

全学連は午後1時から神田橋公園で「学生総決起大会」、約600人が新橋駅までデモ。午後5時北小路委員長代理ら代表3人が警視庁三井公安一課長に抗議文を渡す。

兵庫県で県評婦人部が調印抗議集会、市役所へデモ

佐賀県下8カ所で調印反対チョウチンデモ、大分県民会議では弔旗を掲げる。

1960.1.20
安保改定阻止法律家会議(約1500人)世話人会、条約の調印と全学連など3団体に対する破防法の事前調査決定に反対声明発表。

研究者懇談会(助教授クラス200人)、新安保条約調印に反対声明発表。

東京地裁刑事14部は全学連の逮捕学生76人に対し10日間の拘置決定。

警視庁公安一課は早大自治会員奥田正一(第二文学部4年)の自宅など6カ所を暴力行為処罰に関する法律違反で家宅捜索。

1960.1.21
警視庁公安一課、東大自治会中央委員会事務所を暴力行為等処罰に関する法律違反で家宅捜索。

警視庁公安一課、宮崎県警約40人の応援を得て宮崎大学芸学部学生自治会を家宅捜索。

警視庁公安一課、九州地方学生自治会連合会書記局を家宅捜索。

警視庁公安一課、唐牛全学連委員長の自宅ほか9カ所を家宅捜索。

社会党在京幹部会、新安保阻止闘争方針を決定。

《1.国会審議までの期間の運動方針は゛無関心層 ゛への啓発をすすめながら、より強力な抗議闘争を組むことにおき、国民諸階層が新安保に反対して立ち上がる態勢をつくり、政府への協力な抗議を展開する。
《2.二月−三月の二ヶ月間に全国のあらゆる町村から批准国会へむけての「新安保阻止国民大行進」を組織する。
《3.この期間に批准反対の署名運動を展開する。
《4.国民諸階層代表する団体の結集した集会をおこなう。

1960.1.22
東京地検公安部は羽田事件の逮捕学生取り調べにメ−デ−事件以来の検事31人を動員。

警視庁公安一課、東京薬科大(22)を逮捕。

1960.1.23
総評評議会、本部闘争方針案を決定。
《1.強力な反対世論をつくりあげるため家族ぐるみの「安保反対一家」「知人に手紙を出す運動」「安保改訂阻止の1000万人署名運動」などを行う。
《2.2月25日を第12次統一行動日とし全単産が時間外職場集会を行う。
《3.3月20日ごろ賃金闘争と関連して第13次統一行動を組織する。
《4.4月中と予想される安保批准段階には第14次統一行動を組織し波状的に大衆行動で国会に対する動員を行う。また国内世論の盛り上がりと関連して社会党と協力、国会解散をもとめる。

警視庁公安一課、社学同書記長(東大)の自宅など7カ所を家宅捜索。

1960.1.24
岸首相ら新安保条約調印全権団帰国。

自民党員約1万3000人、護国団、愛国党、治安確立同志会ら1500人が歓迎準備。全学連は各大学自治会代表50人が抗議文の手渡しを求める予定で、警視庁は機動隊5個中隊約300人、周辺各署から約200人の警官隊を動員して警戒にあたる。

東京では安保阻止国民会議が宣伝カ−14台で批准阻止パレ−ド。

安保条約改定阻止国民会議は今後の運動計画を発表
《1.2月以降全国各地から批准国会へむけて「安保改定阻止、生活と権利を守る大行進」を開始、条約審議の冒頭にあたる3月中旬、大行進を集約して中央      大集会を行う。
《2.この行進を軸として改定阻止、批准反対の請願署名運動を展開、また個別訪問、手紙によって友人、親類への改定反対を訴える。

1960.1.25
東福岡署、九学連委員長(九大法3年)(21)を羽田事件で逮捕。

九学連学生約100人が福岡県警本部前で即時釈放を求めて集会。

警視庁公安一課、東大経友会委員の自宅など3カ所を家宅捜索。

1960.1.26
警視庁、羽田空港食堂の損害証明書を発行。損害額は税務当局が査定。

1960.1.28
全学連、新安保条約批准反対第1次統一行動。北大、北海道学芸大、札幌医大、東大、九大などが全日ストや授業放棄、全国50カ所で数万人が参加して集
会、デモ。

《東京では東大理学部学生約50人が朝から新宿、池袋駅でカンパ活動、午後1時から清水谷公園で約1000人を集めて集会後、日比谷公園までデモ。

警視庁公安一課、社学同中央書記局委員(中央文)(22)を羽田事件で逮捕

安保改定阻止国民会議第4回全国代表者会議。
《「羽田抗議デモ決行をブロック会議で決め、決意を固めて上京したのに、何故指導部は地方の盛り上がった力を発揮させなかったのか。今後指導部には各単産代表まで参加させよ。(広島県)「闘いは下から積み上げなければだめだ。」(群馬県)
《「指導部は下部の力を信頼しエネルギ−を吸い上げよ。」(長野県)
   《批准段階での闘争計画》
《1.2−3月に全国あらゆる地域で批准国会へ向けて「安保改定阻止、生活と権利を守る大行進」を組織する。
《2.行進を軸として安保改定阻止、批准反対の請願署名運動を3月中旬を目標に展開する。
《3.3月中旬、通常国会の冒頭に全国の大行進を集約し、各都道府県が参加、中央で大規模な集会を行い、全国的に大集会、労組の実力行使を中心とした統一行動を行う。
《4.4月中旬の衆院の最終段階で労働組合の大規模ストライキを中核とし、国民諸階層の総決起体制を確率する。

1960.2.3
全電通第22回中央委員会、安保批准の時期を春闘最大のヤマとする方針を決定。

1960.2.5
政府、衆院に新安保条約及び新行政協定提出。

社会党安保問題特別委員会、警職法反対闘争を上回る反対勢力の結集を確認。
《社会党が中心になり安保改定阻止国民会議に結集している総評、護憲連合、学者・文化人グル−プや友好団体などとの幅広い共闘体制を再編成し、院内外を結びつけた阻止体制を固める。》

1960.2.6
京地検公安部は唐牛全学連委員長ら21人を住居侵入、威力業務妨害罪で身柄拘束のまま起訴、残り55を処分保留のまま釈放
《野村東京地検検事正の話》
《処分を受けた学生は警視庁の再三にわたる退去要求ゃ警告を無視しあくまで暴力によってその主張を貫こうとしたものと断じざるをえない。しかし、その処分については世人も注目しているところなので、起訴範囲は相当に絞ったつもりだ。釈放した大部分の学生は誤った指導に従っただけなので今後の状況をみたうえで本人の将来を見た上処分を決定したい。》

全学連、東大正門前のレストラン白十字で釈放者激励会。清水書記長が声明発表。
    《1.唐牛委員長以下21人の大量起訴に大きな憤りを表明する。しかし、55人の釈放によって執行部は強化された。
    《2.25日、3月19日の統一行動日には試験、春休みを返上、4月には全国大学スト体制に入り、連日国会を包囲する。





1960.2.7
阿部知二、石川達三、家永三郎、亀井勝一郎、清水幾太郎、中野好夫、務台理作、「諸組織への要請」を発表。
《(前略)率直にいつて現在最も憂慮に耐えないのは、この広汎かつ強烈なエネルギ−を有効に組織する政治的指導性が欠けているように見える点であります。「
国民の間に浸透した」結果であるエネルギ−を政党や組合をはじめとする諸組織が高い地点において生かし切っていないところに今日の深刻な問題があると思わ
れます。エネルギ−と指導性の不幸なギャップは「国会乱入」事件に対して諸組織がしめした低い評価及び収拾の方法において明らかであり、とりわけ1月16日
の羽田への全国的大衆行動の抑圧において明らかであります。有力な諸組織の指導部は増大する全国民的エネルギ−に向かって「・・をするな」と説くことのみ多
く、エネルギ−に適合した方法で「・・をしよう」と呼びかけていないようです。そして、そこから生じた爆発的結果については、大切な味方である勢力に非難を浴び
せるのみであって、かえって広汎な戦線に分裂を招いているように思われます。このような状態が続いて行けば、新安保条約反対の全国民的エネルギ−は批准
阻止に成功するどころか、空しく四散してしまうでありましょう。(清水幾太郎起草「安保闘争P74)》

1960.2.8
衆院予算委員会。
    《横路(社)・・極東の範囲を明確にせよ。
    《藤山外相・・・フィリッピン以北、日本の周辺だ。
    《横路・・・・・沿海州その他は含まれるか。
    《藤山・・・・・特定に指示することはしない。
    《横路・・・・・(地図を持ち出し明示せよと迫るが小川委員長が許さず紛糾)
     休憩後、政府統一見解で答弁。
    《岸首相・・・・中国大陸や沿海州は含まれない。
    《横路・・・・・昨年11月10日の答弁と違う。訂正せよ。
    《藤山・・・・・日本周辺の海域と申した。海域は陸につながっているから、それは沿岸である。
    《横路・・・・・日本周辺の中にはハボマイ、シコタンは入るか。クナシリ、エトロフはどうか。千島列島全体はどうか。
    《岸・・・・・・今指摘の島は日本に接近した海域として入る。
    《横路・・・・・千島列島全体を含むなら、沿海州はどうか。
    《岸・・・・・・沿海州と中国大陸は含まない。

1960.2.9
衆院本会議で藤山外相、新安保条約の趣旨説明。
《黒田(社)質問演説》
《我々は時間を惜しまず徹底的にあらゆる角度から検討し、軽々に審議権を放棄しない。しかし、政府が疑惑を残しながら審 議打ち切りを策するなら、我々はあらゆ
る方法で抵抗権を行使する。》

東京地検、社学同中央書記局員を起訴。

日本原水協全国総会
《3月1日に「新安保批准阻止、軍備全廃、核実験禁止協定締結を要求する国民大会」を開く。また今年の原水爆禁止世界大会は東京で開く。》

社学同(日本社会主義学生同盟)の第5回全国大会。全国の大学支部から約250人が集まり、37人の全国執行委員、25人の全国委員を選出。
    全国執行委員長  篠原浩一郎(九大経)(21)
    同  副委員長  米田浩平(東大教養)(20)
    同   書記長  藤原慶久(中大文) (23)
      《闘争宣言》
        《1.3月から連日国会デモを敢行する。
        《2.第12次、13次統一行動日には実力闘争に労働者を起たせる。
        《3.4月20日前後には労働者、学生のゼネストを決行する。

1960.2.10
衆院予算委員会。
    《渋谷悠蔵(社)・・北千島は入るか。
    《岸首相・・・・・・含ませて考えていない。
    《横路・・・・・・・8日には含むと言った。
    《岸・・・・・・・・明瞭にする。北千島は含まない。
    《渋谷・・・・・・・樺太はどうか。
    《岸・・・・・・・・含めない。
    《渋谷・・・・・・・金門・馬祖はどうか。
    《岸・・・・・・・・周辺地域が海域を含んでいるから入っている。
    《渋谷・・・・・・・中国・沿海州は入らない、金門・馬祖は入るという根拠はなにか。
    《岸・・・・・・・・あの地域までは海域として入る。

自治労第17回中央委員会、3月25日に春闘要求で全国大都市で5割、中小都市で3割の一斉休暇闘争を行うことを決定。

鉄鋼労連政策委員会、春闘要求で4月12日第1波実力行使を決定。

1960.2.11
全電通労組、会社側に2時間の労働時間短縮を中心とする要求書を提出。

1960.2.14
日教組中央委員会、勤評闘争では政府交渉に重点を置き、教育課程改定闘争ではピケ戦術をとらないとの戦術転換を決定。

1960.2.15
炭労第20回臨時大会、代議員220人、傍聴者約1000人を集めて開催。
《古賀事務局長の経過報告》
《1.炭労は現在127支部17万3000人、合理化が人員整理という形で現れている。
《1.人員整理を中心とする合理化攻勢は昨年はじめの三井、住友、古河、雄別の第1次合理化案に基づき三池、二瀬の指 名解雇となって現れてきた。三池争議では会社側が一方的に早期解決を目指して攻撃的にロックアウトをかけてきた。
《1.新安保反対闘争では今後さらに全労働者の統一行動をもって闘う。

北大、安保改定阻止ストの責任者として譴責処分した4学生につき学生の抗議を入れて処分を取り消し。

警視庁公安部、国会デモ事件で赤松勇社会党代議士、岩井章総評事務局長、岡本互太郎東京地評議長ら25人を  都公安条例違反、建造物不法侵入の疑いで一括書類送検。

1960.2.18
炭労臨時大会終了。傍聴者1000人は福岡市内をデモ。

全学連唐牛委員長ら22人保釈。出迎えた学生約30人とともに池袋駅まで駆け足デモ、駅出札ホ−ルで渦巻デ  モを行って気勢を上げる。
    《唐牛委員長談》
     《明日から安保反対の闘争体制にはいる。再び国会を包囲するのを楽しみにして出てきた。

1960.2.19
衆院第三委員室で安保特別委員会審議開始。国会の条約修正権をめぐって紛糾

1960.2.25
安保改定阻止国民会議第12次統一行動。全国184カ所で集会、11万400人が参加(警視庁調べ)
《国公、地公共闘会議を中心に春闘の第1波実力行使。
《日教組、日高教・・六大都市と福岡、札幌で午後から5割休暇。全国一斉に午後3時授業打ち切り。全組合員が地区ごとの総決起大会に参加。
《自治労、全水連、国家公務員労組・・東京、京都は組合員の5割が正午早退。大阪、名古屋、神戸、横浜、札幌、川崎は3割が午後3時早退し決起大会とデモに参加。
《都市交通・・東京、横浜は2割、京都、大阪、名古屋、札幌は1.5割の減車闘争。非乗務員3−5割が正午早退。
《全国旅客自動車労連・・全国一斉に始業時から2時間の時限スト。都内では約5000台のタクシ−、ハイヤ−が止まる。
     
《東京では大蔵省前に全国税、国労、車労、全電通をはじめ国公労組が民間労組員の応援も含め約3000人を動員したが、大蔵省ビルがすでに1000人近い警
官隊に取り巻かれていたたため旧防衛庁玄関前に集結、午前8時50分から総決起大会に切り替えた。大会決議後9時半からデモ行進を開始したが警官隊に阻
まれ、農林省前大通りでうずまきデモ。旧防衛庁わきで一時は激しいもみ合いとなり交通がマヒした。》     

《農林省正門前では約300人が8時過ぎからピケ。9時20分北口のピケ隊約30人に警官隊約60人が実力行使に移り小競り合い、警官3人と組合員数人がケガをした。》
《人事院ビル前の全建設、全自労約1000人は職場大会後9時半からデモに移り農林省前の組合員と合流、ときどきうずまきデモで気勢をあげ警官隊ともみ合いになったが10時半頃にはそれぞれ日比谷公園へデモ行進して流れ解散をした。》
《文部省前でも9時50分から約300人が30分の職場大会。》
《この日霞ヶ関官庁街はピケを張る労組員、ぶちまくる宣伝カー、うずまく赤旗、これを包囲する警官隊の人垣でごったがえした。》
     
《午後1時から都労連が芝公園、上野不忍池、大久保公園、宮下公園、小石川竹早公園に約1万人が集まり「賃上げ、権利奪還、安保阻止」の決起大会。午後3時半から日比谷野外音楽堂の中央集会へ求心デモ。 4時半から「安保批准反対、軍事予算粉砕総決起大会」を開き、「ゼネストをふくむ国民総抵抗運動にむかって戦いを強化する」との大会宣言を決議。6時から旧防衛庁−虎ノ門−田村町−新橋までチョウチンデモを行なったが、デモの先頭が旧防衛庁前にさしかかったさい、大日本愛国党20数人が鉄カブト姿で2台のトラックに分乗してデモ隊に突入、安保賛成のビラをまき、竹竿などをふるったため混乱。デモ隊も投石などで対抗したため朝日新聞社伊藤邦男記者が負傷、警戒にあたった警官7人もケガをした。丸の内署員が右翼14人を公務執行妨害などで検挙。デモ隊は7時過ぎ解散した。》

《2時20分、全学連約220人が国会傍聴のため衆議院議員面会所に入ろうとして機動隊と衝突したが応援の麹町署員らによって退去させられる。》

1960.2.26
炭労中央闘争委員会
    《1.三池の全面無期限ストの長期体制を強める。
    《2.三鉱連と日鉄二瀬は3月下旬から実力行使を行う。
    《3.炭労は4月上旬から全山統一ストに突入する。
    《4.合理化反対、賃上げ、保安確保、新安保批准反対を四つの柱とする。

1960.2.28
全学連第22回中央委員会、赤坂公会堂に傍聴も含め約300人を集めて開催。
《共産主義者同盟系の提出し「国会、羽田での闘争は日本の支配階級に大打撃を与えた点でまったくただしかった」との総括を賛成72、反対39で可決。日共代々木系と革命的共産主義者同盟系の提出した提案は激論の末否決。討論の最中、東大教養学部自治会副委員長(主流派)が同自治会員(代々木系)を靴で殴り負傷するなど、主流反主流が激しく対立。》



関東地方共闘連絡会議と総評主催の春闘討論集会。3月下旬から4月の中旬をヤマに強力な共同闘争を繰り広げることを確認。

鉄鋼労連臨時大会、安保批准反対スト権確立の投票を行うことを決定。

鈴木社会党委員長、神奈川県連の演説会で演説。
《新安保条約第3条には防衛力増強が義務づけられているため防衛費は昭和40年度には2900億円に達し、このため財政面で国民生活にしわ寄せがくる。》

1960.2.29
全学連中央委員会は「新安保条約批准予定日以前に闘争の頂点を置く」との主流派の提案を激論の末賛成61、反対38で可決。主流派は革共同中執8人を東大など5大学の共同提案として動議、大混乱のうち賛成61、反対派はボイコットで可決。30人の中執は全て共産同系で独占した。

1960.3.1
原水協など平和四団体は「3.1ビキニ被災記念集会」。大日本愛国党員15人が文京公会堂に押し掛け5人が  道路交通法違反で逮捕される。

安保批判の会、安保問題研究会、衆院安保特別委員会傍聴。(以降数回にわたる)

1960.3.2
国公、地公共闘会議戦術会議、25日に全国一斉に午後4時で業務を打ち切り全国で約200万人を動員してデ  モを行うことを決定。

社会党中央執行委員会。
《1.安保阻止国民運動は6日午後1時から日比谷公園で行われる総決起大会を皮切りに3月19日第13次、4月1日第14次、4月8日から25日までの第15次闘争を中心に春闘と結びつけ強力に盛り上げる。
《2.最近の右翼の革新勢力に対する暴力行為に対し徹底的に闘う。

日教組全国代表者会議
    《10日前後の総評の新安保及びデモ規制法阻止の統一行動に参加する。
    《19日の統一行動にはデモや抗議集会に参加する。

1960.3.3
総評幹事会
《1.10日デモ規制法、勤評反対統一行動として3万人を動員、国会に陳情する。
《2.19日安保改定阻止第13次統一行動、各単産は時間内職場大会、東京では安保批准阻止、岸内閣打倒の国民大会とデモを行う。
《3.4月5日ごろ第14次統一行動、官公労は1時間の時間内職場大会、民間単産は時限スト。
《4.4月15日から20日にかけ第15次統一行動、官公労は2時間の時間内職場大会、民間は24時間ストを最低とする実力行使を実施し、安保批准阻止と大幅賃上げを結びつけて闘う。

1990.3.5
総評第5回評議員会、幹事会の決定を了承。総評としては初めて「安保闘争で国会の解散に追い込む」ことを決定。

1960.3.6
社会党、日比谷野外音楽堂で「安保批准反対、岸内閣打倒、国会解散要求総決起大会」。
《社会党、総評、文化、婦人団体ら約2500人が参加。主催者の婦人同伴の呼びかけに応えて、家族連れやアベックなどなごやかな雰囲気につつまれた。参加者は風船などを手に東京駅八重洲口までデモ。》
《大会決議》
《最終段階を迎えた安保阻止闘争は院内外一体の形で国民的憤激を゛戦うエネルギ−゛に組織し、まれにみる迫力をもって岸内閣、独占資本に迫っている。安保批准を前にこの情勢は政府、与党内閣にも深刻な動揺を与え岸内閣を国会解散に追い込む公算はきわめて濃厚になってきている。社会党は本大会を契機に全党員の意志を統一して戦う配置につき、不退転の決意を国民の前に明らかにし全民主勢力の政治的指導勢力として重責を果たそうとするものである。》

札幌中央署は警官150人を動員、学生たちのスクラムを破って北海道学芸大函館分校本館内に入り、2教官を不法監禁した疑いで逮捕請求していた学生を逮捕。

1960.3.7
安保改定阻止国民会議全国都道府県安保阻止共闘事務局長会議、全国1200共闘会議で大行進と1000万人署名運動を行うことを決定。
《1.3月19日の第13次統一行動では選挙区別に自民党議員1人あたり2,3人の陳情団を組織し国会陳情、午後から5,6万人を動員して中央集会を開く。また請願隊100人を組織し国会陳情を行う。
《2.4月1日から7日を第14次統一行動とし、労働組合の実力行使に重点を置く。中央では4,5日に「安保改定阻止、基地撤去要求全国集会」を開く。
《3.4月15日から21日までを第15次統一行動とし労働組合は最大限の実力行使を行い、中央では国会に対し集団陳情を行う。

千葉県などで安保改定阻止県民共闘会議主催の大行進がスタ−ト。千葉県では約150人が館山を出発。

1960.3.10
総評の「デモ規制法反対、勤評反対、民主教育を守れ」全国統一行動、全国で国家、地方公務員の1時間時間内職場大会、日教組の抗議集会などが行われる。
《東京では午後5時からチャペルセンタ−前で約3000人が集会後、チョウチンなどをもって国会に請願行動。警視庁では警官約1200人を動員、「この集会は違法だから解散するよう」警告、ジグザグ行進をしようとする請願隊と一時もみあったが総評指導部は「整然としたデモ」を呼びかけ、たいした混乱もなく人事院ビル前で流れ解散。集会に参加した全学連約120人は「総評の指示に従う」との了承を無視して人事院脇交差点で渦巻デモ。》

大日本愛国党10数人が総評の集会場横で嫌がらせを行い10人が道路交通法違反で検挙される。

1960.3.15
三井三池炭鉱労組緊急中央委員会、スト批判派が提案の採決をめぐって退場、「三池労組刷新同盟」を結成し分裂。
《批判グル−プの要求による緊急中央委員会は福岡県大牟田市延命公園体育館に253人(批判は69人)の中央委員を集めて午後2時半から開催。批判派は傍聴者として約4000人を会場前に動員、これに対し総評は傘下組合に対し第1次動員指令を出し九州炭労1000人、福岡、佐賀、熊本地評から1000人をピケ要員として動員するなど緊迫した雰囲気の中での大会となった。
大会は批判派を代表して菊川委員が「マルクス的闘争至上主義ばかりでなく民主的経済闘争を目指せ。石炭産業が熱エネルギ−革命の前に立たされているという観点から情勢判断すべきだ。このままでは失意と失業のどん底に陥らねばならぬ。企業内闘争の限界を知れ」として
《1.事態収拾のため直ちにストを中止し会社と交渉を再開する。
《2.解雇拒否者に対しては就職の斡旋を会社に働きかける。
《3.解雇者にたいする組合の生活資金貸し付け分は会社に負担させる。
《4.現場退職に応じない解雇者は法定闘争に持ち込み、生活費、闘争費は組織で守る。
《5.この提案の賛否は組合員全員の無記名投票で決める。



との戦術転換の提案をおこなった。
これに対し原炭労委員長は「炭労の歴史は妥協の連続であり闘争至上主義ではない。現段階における首切りは労働者に死ねということだ。労働組合たるゆえんはお互いの首を守ることにあり、首切り撤回闘争のみにわれわれ労働者の前進がある」と回答、宮川組合長らが答弁を続け。午後7時5分採決に入ろうとしたが、批判派が組合員全員による無記名投票をなぜやらないのかと一斉に立ち上がりそのまま退場。会場前にいた4000人の批判派組合員と隊列を組み、会社支持の大牟田再建市民運動本部のメンバ−が手渡した日の丸を手に、それまで巻いていた「三池労組」の鉢巻きをかなぐりすてて約2キロ離れた大牟田市民会館までデモ。8時過ぎから「三池労組刷新同盟」結成大会に移った。》

安保批判の会、安保問題研究会メンバ−18人、安保特別委を傍聴。

1960.3.16
衆院安保特別委員会。
《竹谷(民)・・米国が沖縄を中心に第三国と戦争をしたとき、施政権を返還すれば日本を戦争に引き込める。これでは新条約は軍事同盟と同じ結果になる。
《岸首相・・・・日本は沖縄の施政権返還を求めている。戦争中でも施政権返還を拒むことはない。

目黒公会堂で全学連第15回臨時大会開催、各大学自治会代表約400人が参加。
《反主流派の代議員資格をめぐって主流派と約200人の反主流派が会場前で衝突。午後2時半から主流派が260人の代議員(代議員定数480人)と評議員、傍聴者など約400人で大会を成立させると、反主流派の代々木系と革共同系約400人は東京学芸大世田谷分校講堂で代議員、評議員大会を開く。》

1960.3.17
全学連大会2日目は会場を成子会館に移して共産同単独で開会、3日の予定を切り上げて行動方針を決定して閉会。
    《1.4月15日新学期第1波闘争として約1000人を動員、国会請願デモを行う。
    《2.26日ゼネストを決行、国会包囲デモを行う。
《反主流派約400人は教育大付属小講堂で代議員、評議員大会、「臨時大会は認めない」との決議を行う。》

太田総評議長、岩井総評事務局長、原炭労委員長、畠山三鉱連委員長が会談、三井三池闘争で声明発表。
《1.三井資本が第二組合結成に踏み切ったことは資本のあせりを表すもので、恐らく官憲の動員の中で就労を強行するであろう。第二組合の就労強行は実力で阻止する。
《2.われわれはこのような挑発に目を奪われることなく直ちに大動員体制をとり不当弾圧を未然に防ぐ準備をはかり、とくに社会党国会議員団の動員を要請する。
《3.われわれはあくまでも既定方針通り全労働者の生産ストップで対決する。春闘を強め三鉱連、炭労の全面ストを中心にこれと呼応した全労働者の石炭補給ストップによる共闘で三池闘争を勝利させる。
《4.第二組合を結成した首謀者は会社と結託したものでその責任を追及する。

三池炭鉱労組戦術委員会、第二組合をつくった前執行部13人を懲罰委員会に提訴することを決定。

三社連(三井鉱山労働組合4200人)臨時大会、炭労脱退を決定。

1960.3.18
三井三池労組第一組合を支援する総評のオルグ団約1250人が大牟田入り。「共闘行動隊」の黄色い鉢巻きをしめニュ−スカ−10台を動員して情宣活動に入
る。第二組合は三井生命ビルで新事務所開き。


炭労中央闘争委員会、安保阻止、首切り合理化撤回、賃上げ獲得、保安確保りための闘争を全国各支部に指令。
    《1.4月1日一番方から三鉱連24時間スト。
    《2.4月4日三鉱連各番方昇降時1時間50分の時限スト。
    《3.4月5日中小を除く全支部24時間スト。
    《4.4月7日中小を除く全支部48時間スト。
   《5.4月11日中小を除く全支部は一番方から一斉に無期限スト。

総評九州拠点地区共闘会議主要単産代表者会議、
《1.三池の新組合が生産再開で就労した場合は実力で阻止する。このため21日ごろまでに九州各県から約200 0人を動員、警察権介入の事態が予想されれば動員数を4000人に増やす。
《2.4月5日大牟田で7万人を動員して総決起大会を開く。

安保改定阻止国民会議第5回全国代表者会議、国民大行進参加者は1000万人に上ったと発表。

1960.3.19
安保改定阻止国民会議第13次統一行動。全国600カ所で500万人が集会やデモ(主催者調べ)
《午前9時半、日比谷公園に地方代表約600人が集まり各選挙区ごとに国会に陳情。安保批准反対の第一次分100万人陳情書を提出。
午後2時から芝公園で初めて組織的に参加して地方代表団約3000人を含め約4万5000人が「安保批准阻止、国会解散、岸内閣打倒中央国民大会」を開きデモ。途中田村町2丁目、数寄屋橋交差点などで激しいジグザグ行進を行い警官隊ともみ合い、都心の交通は一時混乱。東京電波労組員1人が公務執行妨害で逮捕され、NHK運転手1人が刑事と間違えられてデモ隊に乱暴され負傷。デモ隊は東京駅八重洲口までデモ、6時過ぎ平静にもどる。》

1960.3.20
三井三池炭鉱労組宮の浦支部員約2000人が団結決起集会のあと新組合宮の浦支部へジグザク波状デモ。応援にかけつけた新組合青年行動隊とつかみ合いの小競り合いとなり、三池労組本部臨時カメラマンが新組合員に殴られケガ。港務所支部では新組合のニュ−スカ−が三池労組の団結集会に突っ込み小学生ら2人が負傷。

1960.3.21
三井三池四ツ山炭住で火事見舞いとして新組合員約80人が宣伝カ−やハイヤ−10台と白ヘルメット、皮ジャンパ−姿の再建派自警パトロ−ル・オ−トバイ隊数台に守られて炭住街に乗り入れようとして、約1000人の三池労組員らとにらみ合い。炭住街入り口で激しくヤジり合い、つかみ合い寸前の険悪な空気となったが大牟田署員の仲介で2台だけが見舞いを済ませ引き揚げる。

三池炭鉱新労組員4人はニュ−スカ−で若菜町を情宣中、三池労組若菜分会組合員約100人に取り囲まれ石で窓ガラスを破られ負傷。

1960.3.22
メ−デ−実行委員会、中心スロ−ガンを決定。
    《1.安保条約批准反対、軍縮と日中国交回復の促進、国会即時解散。
    《2.社会保障制度の拡充、重税と物価値上げ反対、労働基本権の確立。
    《3.大幅賃上げ、完全なる最低賃金制の確立、時間短縮と週休2日制の促進。

1960.3.23
三井三池炭鉱四ツ山炭住七夕幼稚園前で三池労組員約100人が新組合のニュ−スカ−1台と組合員15人を取り囲み「裏切り者帰れ」など罵声をあびせながら洗濯デモ。新組合員4人が足などに負傷。

四ツ山炭住で三池労組員約400人と新組合員100人が空き家の奪い合いから衝突、約1時間にわたって入り乱れての乱闘が行われ三池労組員9人が負傷(三池労組調べ)。

1960.3.24
三井鉱山重役会議、28日に三井鉱業所の生産再開を決定。三池新労組は全労に対し支援要請。

日教組全国教組代表者会議、4月の戦術を決定。
    《1.4月5日の第14次統一行動には二つ以上の学校で合同職場集会を開き、街頭でビラ撒き。
    《2.15日ごろ中学単位の合同職場集会のあと地区集会に参加。
    《3.26日ごろ新安保反対統一行動には午後3時から行動開始、地区集会。
    《4.5月10日前後に全国集会を開く。

1960.3.25
国公・地公共闘会議第2波全国統一行動、全国200カ所で職場大会。
《農林省前では朝9時から正門前で約1000人がピケ、9時15分丸の内署員、第三機動隊約200人が北門ピケ隊約30人を排除。人事院ビル前から約200人が応援に駆けつけ一時警官隊と小競り合い。大蔵省、文部省、人事院でもそれぞれ500人前後が職場大会を行う。自治省前では全司法、全国税、全建労などが10時過ぎまで気勢を上げ、霞ヶ関交差点でジグザグデモ。》
《午後5時半から日比谷野外音楽堂で約1万人が中央大会。安保批准阻止などを決議したあとチョウチンをもって新橋までデモ。》

衆院安保特別委員会。
  《岸首相・・・極東の範囲についていちいち具体的に答弁することは適当ではない。
  《横路(社)・なぜ適当でないのか。金門・馬祖が紛争の渦中だからか。金門・馬祖は入るのかないのかどっちなんだ。
   《岸・・・・・そういうことを議論するのは適当ではない。
     (議場騒然、社会・民社委員は総退場)
         自民党は単独審議を続ける。

三井三池労組は委員254人と傍聴者約1500人を集めて中央委員会。新組合の強行就労を実力で阻止することを決定。

社会党臨時大会。社会党、浅沼委員長、江田書記長体制での初中央執行委員会。安保阻止闘争に全力を尽くすことを決定。

1960.3.26
三井三池労組戦術委員会
    《1.26日から会社側に積極的に抗議行動をかけ炭住街、事業所のピケ体制を強化する。
    《2.現在2300人の総評オルグ団をさらに3000人増員する。
    《3.今後どんな事態になっても首切りは絶対認めない。

《三井三池労組は約3000人を動員、ニュ−スカ−を先頭に三井三池鉱業所に押し掛け、青年行動隊約100人が裏門を打ち破って鉱業所内に乱入。他の組合員もヘイを乗り越えてなだれ込み、正門玄関の窓ガラスを破ったり、水をぶっかけるなどして気勢。さらに新組合事務所に押し掛け座りこみ、労働歌を高唱したりしたが交渉はできず引き上げ。このデモで会社側総務課員ら数人が負傷。》

安保批判の会は中島健蔵、千田是也、松山善三、松岡洋子、三宅艶子、朝倉摂らが記者会見。「行動開始宣言」を発表。
《われわれはこれまで、はたしてわれわれの分析が正しいかどうかずっと研究してきた。その勉強も一段落してはっきり安保は悪いという確信を持つに至った。このごろの政界における成りゆきは見るに忍びない。われわれは批判する態度ではなく、批判以上に強く動かなければならないと感じている。この改定が日本の将来に大きな関係がある重大問題だということを認識したうえで、志を同じくする諸団体、それに安保について疑惑と不安をもっているたくさんの国民といっしょに阻止のため攻撃的態度にでる。手段は暴力ではなく言論その他あらゆる方法を通し、おのおのの力で各層へ強く訴えたい。これまでは文化界の人間であるためどぎついことをいわなかったが、政府の答弁を聞いてこのままでは済まぬと思った。
  《1.4月2日有楽町駅でビラ配り。
  《2.4月4日日比谷公会堂で「安保批准反対請願大会」
   
全労会議執行委員会、三井三池炭鉱新労組を全面的に支援することを決定。
《1.新労組の基礎を確立することに支援の重点を置く。
《2.操業再開の場合は全繊同盟、全海員、全労連など単産と九州各県と山口県から1000人程度の全労系組合員を動員し全面的に援助する。このほか全国的に全労オルグを動員して三井に集中する。
《3.現地に三池新労組支援対策委員会を設ける。
《4.資金は必要なだけ融資する。

福岡、熊本県警は三池争議の衝突を予想して3000人の警官隊を動員することを決定。

三池労組は炭住街、事務所のピケラインを強化、バリケ−ドの準備を整える。

三池新労組員37人がピケのすきをつき三川抗構内に潜り込み。

1960.3.27
三井三池鉱業所若林所長名声明。
《会社は企業再建のため三池炭鉱職組、新労組と協議のうえ28日より生産の再開を行う事を決意した。職員組合といい新労組といい正常な軌道を逸脱した階級闘争主義を排し、組合員の経済生活と人権を守る真に民主的にして建設的な労働運動を推進するとともに、産業の発展による生活の向上を共通の目的として立ち上がったものである。会社としては感激を新たに今後いかなる事態に直面してもこれを克服し、総力を挙げて会社再建に邁進する。》

会社側は新組合員4800人にたいする「就業命令書」を大牟田、荒尾郵便局を通じて配達。ヘリコプタ−2機とセスナ機をチャ−タ−して炭住街に大量のビラ撒き
  《就労人員は新組合員4000人、社員組合員831人、当面の日産2000トン。》

三池新労組第1回総会。約4500人が集まり和田全労書記長、石橋三社連会長らの挨拶を受け「組合員の生活を守るため旧労のあらゆる妨害を排除して就労する。」との決議を満場一致で採択。
  
会場周辺でビラ配りをしていた三池主婦会(旧労系)が右翼の妨害を受け、三池労組教宣部員がチェ−ンで顔などを殴られ負傷。
《四ツ山社宅で右翼「灯をともす会」10数人が丸太やハシゴを並べて阻止した三池組合員約100人に取り囲まれ激しくもみ合い。》

三池労組は福岡地裁に新労組就労についての仮処分申請。

炭労は流血を未然の防止するため中労委にあっせんを申請。

午後10時新組合第1陣250人が暴力団山本組を先頭にトラックで三池労組ピケ隊を突破、第二人工島から四つツ山抗に入りバリケ−ドを築く。三池労組はこれを追って投石、双方に数人の負傷者がでる。

1960.3.28
午前6時新組合員約1500人が諏訪神社横十字路に結集、第一隊は赤、第二隊は白、第三隊は青の鉢巻きを巻いて6時半三川抗東門に殺到、ヘルメットをかぶった行動隊37人を先頭に約1200人のピケ隊に突っ込み乱闘となった。
《乱闘は幅18メ−トルの道路いっぱいに繰り広げられ、小石が飛び、目つぶしのトウガラシが投げられ、ピケ隊もこれに応戦して丸太を振りかざすなどのものすごさ。顔を血だらけにしたもの、手をだらりと下げたままのもの、失神して担ぎ出されるもの、道路に倒れるものが続出し、ピケ隊の前面にいた松岡県議も頭に石を投げつけられ顔は血塗れとなった。ピケ隊は構内にいた職員からも炭ガラ、木片を投げつけられ、前後からのすさまじい攻撃で服もずたずた。この時新労組員がヘイを乗り越えたり通用門を破って構内になだれ込んだ。ヘイをよじ登る新労組員に石や丸太で三池労組員が攻撃をかける。遠巻きにしていた主婦たちも顔色を失い、悲鳴をあげて逃げ出すものや卒倒するものが出る。ピケラインを突破して三川構内に入った300人の新組合員と10数人の職員は入抗口横のくりこみ場に集まったが三池労組員約400人がこれを追い、鉱長室、職組三川支部事務所をメチャメチャにたたき壊し、続いて入った50人の労組員がくりこみ場の新組合員にガラ  ス、イス、木片、スパナなどで殴りかかり新組合員は鮮血に染まって倒れるものが続出。総評オルグや指揮者のなかには「負傷者は運び出せ」と叫びながら肩に負傷者をかついで運び出すものもあったが、こうした負傷者に襲いかかる血に狂った地獄絵図が展開された。日本労働運動史上まれにみる流血の大惨事となった。一方笹森公園に集まった新組合員約740人は全労オルグと看護隊の女子10人とともに500人が宮ノ浦抗、残りが本所支部の160人とともに表門に押し寄せ三池労組員2000人とにらみ合い、三池労組側はヘルメット姿の行動隊を全面におしだしたが乱闘にはいたらなかった。》
    《正午現在三池労組重傷5、軽傷72。新労組重傷30、軽傷90。職組重傷3、軽傷16。(各労組調べ)》


   
就労者は前日分も含め2200人になったと三池鉱業所が発表。

大牟田署は福岡県機動隊など応援も含めた約1500人の武装警官隊を出動させる。

三池労組戦術委員会、三鉱連の支援がなくとも戦い抜くとの決意を決定。

総評の現地闘争本部は「29日からオルグを7000人に増やし、スト破りの生産再開は絶対に阻止することを言明。オルグは国鉄、日教組、全逓、全電通、合化労連など19単産、福岡、熊本県共闘会議から動員、三池労組本部や市内旅館、炭住街に分散して常駐。

新労組執行委員会、就労妨害は実力で排除することを決定。

三井鉱山、中労委のあっせん案拒否を回答。

福岡地裁は三井三池鉱業所がだした三池労組の鉱業所立入禁止と新組合の就労妨害排除の仮処分を認める。

1960.3.29
福岡地裁の執行吏は「就労妨害排除と立ち入り禁止」の仮処分を実施。
《公示札をめぐって総評弁護団が「この公示書を廃棄または無効にしたときは刑事罰に処せられる」との取り消しを要求、執行吏はこれに同意、第一組合員約500人、家族ら約2000人が見守るなかで執行。》

午前6時半、笹林公園に新労組員約740人が待機したが第一組合がピケを強化したために就労を中止。

民社党委員長局長会議、三池争議で見解発表
《1.三井三池争議は炭労の盲信的な闘争至上主義によるもので、同時に日本労働運動の転機をもたらすものである。
《2.新労組は組合員の自由な意志のうえにたつ民主的労組で、鉄の規律と組織の名による強制を敢然排除して立ち上がった新組合の団結こそヒュ−マニズムの叫びであり、生まれるべくして生まれたものである。

午後2時40分、右翼「灯をともす会」13人がニュ−スカ−で四ツ山社宅に押し掛け、ナタ5本を持って第一組合員と乱闘。第一組合員約300人はこん棒や竹ヤリで対抗し、「灯をともす会」6人が負傷、とめにはいった警官10人も負傷。
《午後5時、三井三池炭鉱四ツ山正門前で約250人の第一組合ピケ隊に新労組支持の右翼、山城組暴力団、土建業者ら約230人がパトカ−を先導にトラック2台、乗用車12台、バス2台などで乗り着け、幹部がトラックの上から「暴力を排除するため山城組が立ち上がった」と放送、日本刀、アイクチ、ピストルなどでなぐり込み乱闘となる。これと呼応して構内から新組合員がツルハシの柄、石などを投げつけ、ピケ隊もコン棒や青竹で暴力団6人を正門前の丘に追い上げた他、ハイヤ−4台をめちゃめちゃにたたき壊す。暴力団の最後部についていたバスに乗っていた警官隊約50人が止めに入ったが制止できず、増援の警官隊が到着するまで30分にわたり乱闘が続いた。
この乱闘で第一組合員久保清(32)がアイクチで心臓を刺され即死、第一組合員に重傷7人、軽傷13人(第一組合調べ)を出す。暴力団約200人は熊本県警のバスで荒尾署に運ばれ取り調べをうけたが10時全員を帰宅させる。》



《その後正門前には第一組合の応援部隊や解放同盟など約300人が結集し総評の宣伝カ−や正門のライトに照らされるなか、直径5センチに余る丸太を手にした第一組合員が20人ほどの集団でパトロ−ルするなど騒然とした空気に包まれる。》
   (大牟田の暴力団は山代、寺内、山本、黒肥組がある)

大牟田署の特別警備本部は「管内のテキ屋、興業師の動向を十分注意されたし」との手配を行い、全警官2200人を動員し、全市の警戒にあたる。

荒尾署調べでは第一組合に死者1、重軽傷250、警察重傷2,暴力団重傷2。

三池炭鉱労組声明。
《会社側は約200人の暴力団を使って四ツ山抗を襲撃させ久保君ほか数十人の犠牲者が出た。現場にいた警察官はピケ隊が彼らの凶器取り上げを要請したにもかかわらず暴力団を制止せず、傍観的態度をとった。首切りと組合破壊のためには手段を選ばぬ三井鉱山の暴力に対して憤りを新たにするとともに、争議の平和的解決のため会社は直ちに生産再開を中止すること、直ちに指名解雇を撤回することを要求する。》

解放同盟、バス1台で応援にかけつける。
    《むこうが争議に人夫を使うなら、我々は福岡県下の各支部にゲキを飛ばし松本組の全勢力を結集する。》

三井鉱山会社声明。
《三池労組員が土建業者山城組に刺殺されたという知らせを受けた。まことに遺憾である。第一組合は本事件があたかも会社と関係があるように宣伝しているようだが、これは全くウソだ。もってのほかの宣伝で、争議を有利に導く具に供している。このような事件は全く迷惑で、現地では不測の事態が発生しないよう心配している。

社会党江田書記長談話
《会社側が中労委の斡旋案を拒否し、このような事態を生んだことはきわめて遺憾であり、すみやかに中労委斡旋に応じて事態の平和的解決を図るべきである。》

社会党、総評、炭労は「このまま放置すれば暴動状態になる」として松野労相に三池争議の1日休戦を申し入れ。
    《1.とりあえず30日は会社側は強行就労を見合わせ組合側はピケを解いて平穏を回復させる。
    《2.労使しも第三者の介入を防ぐ。

岩井総評事務局長談
《こんな状況が続くなら組合側としては争議よりも生命を守るため防衛手段をとらなければならない。現地では証拠品として日本刀一ふりをとっており、警察には犯人を厳重に捜査し、暴力団の挑発行為を取り締まるよう申し入れた。総評としてもこのような暴力団の行動に対しては重大な決意をせざるを得ない。》

柏村警察庁長官、九州管区警察局に対し「会社側、両組合に厳重に警告せよ」と指示。
《現地から詳しい報告がこないのでただちに中央から警備指示を出すわけにはいかない。このうえは検問所などをさらに強化し外部からの暴力を徹底的に排除させるとともに、当事者の両労組に対して早く冷静を取り戻すよう重ねて指示した。》

第一組合し会社側が団交、会社側は「山代、寺内組は会社とは関係ない。生産再開は中止出来ない」と回答し物別れ。

1960.3.30
三井三池会社側、30日の生産再開中止を三池労組に連絡。
《現地では第一組合側が興奮状態。組合旗には弔旗が掲げられ、ヘルメット、登山靴、ウインドラックの特別行動隊が巡回し、炭住街でもトラブルが頻発。第2組合本部は朝からごった返していた。四ツ山社宅に住む30歳前後の主婦が真っ青になって飛び込んできた。「こわい、こわい、なんとかして」とふるえながら「一晩中雨戸をたたかれて一睡もできなかった。私はどうなってもよいが、子供が・・」。続いて電話。「南社宅で30人が暴れ出した。警察か行動隊をよこせ」。報告を受ける山下副組合長も真っ青。「暴徒だ。警察では間にあわん。青行隊を出せ」。直ちに鉄製のヘルメットをかぶり真新しい木刀を手にした青行隊50人が待機する。出動してきた警察のパトカ−の 説得に「本当に警察に任せて大丈夫なのか」との怒鳴り声があがる。》

炭労徹夜の戦術委員会、4月1日からの生産再開実力阻止を確認。
《原炭労委員長談》
《現地にきてみて組合員が予想以上に激高しているのがわかった。現在の状態で事態を収拾すれば暴力に屈したこととなり、負けられない戦いだ。炭労としては゛三池独走体制゛を全体で包んでいく基本方針に変更はない。》

総評「三池争議弾圧中央抗議集会」、約1000人が喪章を付けた組合旗を持ち三井本社にデモ。代表が抗議文を手交。

藤林中労委会長、三井鉱山本社に「事態は重大なので斡旋に入りたい」と申し入れ。栗木社長は「今夜から三鉱連と団交を開き、自主的に解決したい」と拒否。

新組合支部長会議、1日の就労見送りを会社側に通告。

代、寺内組が第2組合支援組織を解散すると大牟田署に通告。


1960.3.31

小雨の中、久保清仮組合葬が四山講堂でおこなわれる。

三池労組戦術委員会、「殺人に対する組合員の憤激を組織的に結集し生産再開をあくまでも阻止する。」との方針を確認。

三池炭鉱新労組支部長会議、1日の就労方針を決定。
    《宮ノ浦抗・・午前8時笹林公園に637人全員が集合、正門から入門し構内ろう城組と合流する。
    《三河抗・・・午前8時諏訪神社に500人を集め裏門から入抗、ろう城組と合流する。
    《四ツ山抗・・治安が悪化しているので支部に一任する。



会社側は大牟田、荒尾両署に1日の警官隊の出動を要請。

和田警備部長見解
    《1.ピケは妨害排除の仮処分に違反している。
    《2.ピケ隊がこん棒、竹竿などを持って就労を妨害すれば業務妨害容疑として刑事事件になる。
    《3.就労妨害からピケ隊が構内に入った場合は封印破棄、建造物進入罪に該当する。

現地オルグは第一組合約4000人、新労組約1000人。警察隊も3300人が集結。

熊本県警捜査二課、山代組、寺内組員48人に逮捕状をとり制私服警官100人を動員して検挙開始。夜までに寺内忠雄組長ら14人を逮捕。

午後3時40分から常盤公園で東京地評主催の三池スト支援、暴力団の不当介入に抗議する中央集会。約2000人が参加、三井本社へジグザグデモ。



午後6時から日比谷野外音楽堂で東京青年学生共闘会議主催「安保批准阻止、デモ禁止粉砕、岸内閣打倒青年学生中央総決起大会」。
《約1万人(主催者)が参加、三池闘争支援などを決議しデモ。数寄屋橋交差点では全員がジグザグデモを行い交通が混乱。》

1960.4.1
午前3時30分、三井三池会社側と新労組は1日の就労中止を発表。

午前4時55分、三池炭鉱電車ガ−ド付近で第一組合員2人が5人組の男に襲われ、1人が鉄棒で乱打され重傷。

午前10時、宮ノ浦の新労組社宅に第一組合員約200人がデモ。新労組と乱闘となり新労組員4人が負傷。

九州拠点闘争本部七者共闘会議(炭労、国労、日通、全港湾、私鉄、動力車、合化)、生産再開阻止の方針を確認。オルグを4400人増員することを決定。

九州管区警察局、1000人の警官増強を指令。

衆議院安保特別委員会、午前11時20分再開。
《岸首相 前回の答弁は国会審議が不適当だと述べたものではなく、政府の見解として金門、馬祖が極東の範囲に入るか入らないかを端的に表明するのは適当でないとしたのである。
《横路節雄(社) 金門、馬祖が入るか入らないかには応えていない。
《岸   そのようなことを具体的、端的に述べるのは適当でない。
《横路  3月1日の衆議院予算委員会で首相は「金門、馬祖を極東の範囲から除くのは適当でない」としているがそれでよいのか。
《岸   2月26日の統一見解は従来の政府答弁を統合したものである。
《横路  3月19日の予算委で「金門、馬祖は含まれる」という答弁は統一見解でも変わらぬか。
《岸   変更ない。
《横路  統一見解によれば金門、馬祖に武力攻撃が行われたら、相手側の根拠地に対して在日米軍は行動できることになるが、どうか。
《岸   米軍の行動は国連憲章の制約を受ける以外制約はない。
《横路  すると米軍は行動できるわけだ。
《岸   その時の事態から国連憲章の精神によって決められる。
《横路  国連憲章51条によれば武力攻撃に対して直ちに行動できる。
《岸   在日米軍については事前協議が適用されるから国連憲章だけでは決められぬ。
《横路  馬祖に武力攻撃があったらどうするか。
《岸   過去にこの島が危険になった時も在日米軍は出動しなかった。当時の程度では日本の安全に直結しないので事前協議でノ−という。
《横路  政府の統一見解によれば極東の範囲は自由主義国の支配する地域を主としている。そういう意味からすればハボマイなどの諸島は入れるべきではない。
《岸   これらの島々は日本固有の領土であり、極東の範囲から除くのは適当でない。
《横路  極東の安全がその周辺地域に起こった事態で脅かされる場合日米で協議するとあるが、その周辺域とはどこを指すのか。
《岸   ばく然と極東に入らぬ周辺をいう。
《横路  脅威されるような場合とはいかなる場合か。
《岸   米軍の行動は武力攻撃が行われた時であり、脅威を与えたから直ちに武力行動に出ることはない。
《横路  国連憲章や新安保条約では端的に「武力攻撃が発生した場合」と規定しているのに、統一見解では「安全が脅威されるような場合」も含めている。これは国連憲章違反だ。
《岸   この統一解釈でいっているのは米軍がこれらに対処するためにとることのある行動の範囲であり、武力行動だけではない。従って米軍が実際に行動するさいには国連憲章51条に従うものと思う。
《横路  納得できない。脅威されるとは武力攻撃と違うか。
《岸   周辺に起こった武力的な紛争によってこちら側に武力攻撃が行われる可能性がある事態をいう。
《横路  武力攻撃が加えられる恐れがあるという場合より広範な事態を意味するのか。
《岸   「武力攻撃の恐れのある」という場合より観念的に広げてさらに他の脅威を含めていっているのではない。
《戸叶里子(社) 極東安全のために米軍が出動する地域はどこか。
《藤山外相 在日米軍の行動範囲は本来漠然たるものである。
《戸叶  では在日米軍はどこにいってもよいのか。
《藤山  事前協議と国連憲章によってしばる。

1960.4.2
三井三池鉱業所、2日、3日の強行就労中止を決定。

第一組合三川鉱ピケ交代要員約1000人と宮ノ浦鉱ピケ交代要員約700人が大牟田署にデモ。組合員の釈放を要求。

藤林中労委会長、三井三池争議収拾の斡旋再開を発表
《斡旋者の立場としては斡旋中に現地で紛争を起こされることは一番困る。強行就労をやめろという権限はないが、賛成できない。》

総評幹事会、8日に久保清合同慰霊祭を東京で行うことを決定。

1960.4.3
熊本県評約1000人が荒尾署に暴力団刺殺事件で抗議デモ。

「三池争議真相発表大牟田市民代表団」(新労組、会社側市民)104人が上京。

三井三池鉱業所幹部会、4日からの本格的生産再開を決定。
  《1.炭住街の空気が平静に戻った。
  《2.警察の警備体制が充実した。

新労組拡大執行委員会、就労方法を検討。

1960.4.4
三井三池鉱山、新労組に対し午前8時集合を指示。
《第一組合は非常召集をかけ約1万5000人のピケ隊を動員、「警官がピケ排除の実力行使に出た場合は衝突も辞さず」との方針を確認。》

午前3時半、会社側と新労組との徹夜の話し合いで4日の就労中止を決定。
  《1.第一組合のピケが意外に強化され、就労を強行すれば再び流血の惨事が起こる可能性がある。
  《2.もし就労に成功しても炭住街の不安が残る。
  《 3.中労委斡旋など中央の動き見守る。

「三池争議真相発表上京団」、松野労相らと会見。
    《第一組合はまるでハシカイヌ(狂犬)と同じだ。》

午後10時、新労組員約150人バス2台で大牟田市の港に集結、船で第二人口島から入抗し、ろう城していた104人が交代で脱出

安保批判の会、安保問題研究会、日比谷公会堂で約2000人を集め「安保批准反対請願大会」。約1000人が請願書をもって虎ノ門までデモ。
《「北は北海道、南は九州から、手に一枚の請願書を携えた日本人の群が国会議事堂を取りまいたら、その行列が尽きることを知らなかったら、そこに何ものも抗しえない政治的実力が生まれてくる」(清水幾太郎「安保闘争」P75)》

大日本愛国党9人が鉄カブト姿で押し掛け、参会者の入場を妨害、全員が検挙される

1960.4.5
安保改定阻止国民会議第14次統一行動。
《公労協・・電通が義務規制闘争、全逓、林野、印刷、アル専、造幣が30分から1時間、国労、動力車は時間外職場大会。
《地方公務員・日教組は地域ごとに合同職場大会。自治労、都市交、全水連などが勤務時間に少し食い込む職場大会。都労連は勤務時間1−2時間の職場大会。
《民間・・・合化労連の30組合が24時間ストまたは半日スト。鉄鋼、私鉄、日通、全鉱、炭労が30分から1時間の職場大会。
《東京では都内3カ所で6000人が決起集会やデモ。約1600人が三井本社前へデモ。約20分間ジグザグデモをおこなって気勢をあげる。》

三池新組合拡大執行委員会、5日の就労中止と久保清合同葬時に黙祷することを決定。

三池労組、久保清合同葬。

総評九州拠点大牟田地区総決起大会、約2万5000人が参加。三池を守る支援体制の強化などを決議。

社会党中央執行委員会。
《1.16日から19日まで地方県連、県議、市町村議らを全面的に動員して演説会、反対署名、パレ−ド等により安保阻止の世論を全国的に盛り上げる。
《2.20日から26日までを「安保批准阻止国民総決起週間」として、この期間に国会に対して大衆的請願運動を展開する。特に26日を最大のヤマとし党執行部に特別対策委を設け、中央では関東近県の社会党及び諸団体を動員して大衆行動を展開する。
《3.27日から5月1日のメ−デ−にかけて安保阻止闘争を最高度に盛り上げる。

総評緊急評議会、三池に対して炭労を軸に支援共闘体制を強化することを決定。また安保改定阻止統一行動について決定。
《1.15日の第15次統一行動では民間単産の春闘のヤマとあわせ公務員及び公労協は1−2時間の時間内職場大会から最高半日の実力行使を行う。
《2.26日ごろの第16次統一行動では安保審議のヤマに合わせ、時限ストを最低とする実力行使を行い10万人を動員して国会に対する大衆陳情を組織する。

衆議院安保特別委員会で自民党は日曜を除く連日審議と22日採決を提案。

1960.4.6
三井三池鉱業所は新労組の就労を行うことを決定。
《約500人が笹林公園の集まり、午前9時半宮ノ浦鉱正門に押し掛けたが警官隊がピケ隊との間に割って入りマイク合戦。ピケ隊約800人は久保清の大きな写真を正面に掲げ、有刺鉄線のバリケ−ドを二重に構え、中央合唱団のアコ−デオンで労働歌を歌いながら人海戦術。》
《10時10分、全労の宣伝カ−2台が到着、黄色のヘルメットに黒いアノラック姿の行動隊約30人を先頭に新労組員が到着し、警官隊をはさんで対峙、回りの丘に市民ら約1500人が詰めかけたが、新労組側は引き揚げる。》
《諏訪神社に集まった約2500人の新労組員は諏訪橋上で第一組合員ピケ隊とにらみ合ったが警官隊約350人が間に入り引き揚げる》
《労組側は約1万5000人のピケ隊を動員。必死の構えでピケを強化。》
警察当局も武装警官約3500人を動員

三井三池鉱業所と新労組は7日、8日の就労を中止。

中労委斡旋案提示。会社側は受諾、第一組合は拒否を決定。

灰原第一組合書記長談
《これで行司のいない土俵で戦うことになった。斡旋案がでたことで少しは下部に動揺もあろうが、首切りを認めるような斡旋案がでたことでかえって意識の高まりと戦おうとの決意が高まっている。》

宮川第二組合組合長
    《この斡旋案でわれわれの主張が勝っていることがはっきりした。》

衆議院安保特別委員会。
    《堤ツルヨ(民社) アメリカは戦争最中に沖縄を返還し自衛隊の出動を招くようにするだろう。
    《岸        沖縄を防衛する義務は米軍であり、放棄することはありえない。

湯川秀樹、朝永振一郎ら物理学者約200人が懇談会を開き、新安保条約に反対声明を発表。    
  《こんごの戦争は全人類を破滅に導くものだが、新安保は軍事同盟の性格を持ち科学者として深く憂慮する。》

1960.4.7
午前4時55分、福岡県警特捜班は制私服警官1354人を動員、三井三池の第一組合本部、第二組合本部他各支部を急襲、第一組合員2人と新労組員2人を逮捕、そのほかに34人の逮捕状を用意し強制捜査。
《第一組合三川鉱支部では組合員の逮捕をめぐって組合員約300人がバトカ−ほ取り巻き一時警官隊ともみ合いとなる。》
《四ツ山支部では警官約90人に守られて捜査班7人が捜査、第一組合ではマイクで付近の住民に知らせたが組合員が集まったときは捜査はほとんど終わっていた。》
《三川支部では警官隊約700人が周辺を閉鎖、急を聞いて駆けつけた第一組合員ともみ合いとなり、1人が警官にこん棒でなぐられ重傷、一時殺気だった空気に包まれた。》



総評は三池争議への警察権力の介入に対して抗議声明。

栗木三井鉱山社長記者会見。労組側が斡旋案を受諾しても三池のロックアウトは解かない。

三池新労組員172人が船で第二人口島に上陸、就労組と合流。

三池労組の久保清の遺族(妻・博子31、長男・啓二9、長女・由美5、母マキ59)が上京。

社会党河上派の「統一会」議員総会で自民党が安保を単独審議などで強行突破をはかる場合は社会党議員は全員総辞職して安保を阻止すべきだとの提案を了承。

1960.4.8
衆議院安保特別委員会。
《穂積七郎(社)アメリカの極東戦略はハワイの太平洋軍司令官のもとに米韓、米比、米華、SEATO、日米安保を軸として展開しょうとしているのは明らかではないか。
《赤城防衛長官 アメリカの安全を軸として新条約ができているのではない。
《穂積     軍事同盟の定義について政府の統一見解を聞きたい。
《岸首相    安保条約は軍事同盟ではないから統一見解を示す必要はない。(野党騒然)
《穂積     あなたも今軍事同盟という言葉を使っているではないか。
《高橋条約局長 現在では国連憲章で武力行使を禁じており、武力行使は集団的、個別的自衛権の範囲内でしか許されない。軍事同盟はこういった制限のなかった時代のものである。
《穂積     国連憲章を尊重すると書いてあればなんでも軍事同盟でないというのか。国連に加盟していない国の場合はどうするのか。
《条約局長   (質問にたいしては具体的には答えず)
  
社会党田中国民運動委員長名で「再び安保国会から国民に訴える」とのアピ−ルを発表。
《1.政府・自民党は慎重審議を切実に求める国民の訴えを無視し「単独審議、単独採決も辞さない」という川島幹事長談話や、22日採決強行のスケジュ−ル提案などの野望をしめしている。
2.これまでの国会審議をみても明らかなように「条約修正権」「極東の範囲」など満足な答弁も行えず、統一見解もあいまいなもので国民世論は安保反対《が日増しに強まっている。
《3.安保体制打破の戦いは最大のヤマにさしかかっている今こそ国民総がんばりの時期である。緊急事態に入ったもので、この1カ月を突破出来れば安保阻止は必ず達成される。
《4.安保だけでなく駐留協定はじめ交換公文、合意議事録、往復書簡など付属文書に至っては全く審議されていないのに国会強行突破をはかろうとする政府与党の野望に対し、我が党は委員長を先頭に全力を挙げて戦い、国民は少しでも疑問を持つ場合、請願権を最大限に行使してほしい。

三池第一組合員、失業反対市民協議会88人が上京。東京駅で大日本愛国党右約20人が「赤色政治スト反対」のノボリを持って売国奴などと殺到し、出迎えの労組員約200人ともみ合い、ホ−ム上は一時混乱

午後5時から九段会館で「久保清中央合同慰霊祭」、労組員、学生ら約1600人が参加。三池第一組合員約90がヘルメットのままデモの先頭に立ち、三井本社前で怒りをぶつけるように激しいジグザグデモやうずまきデモを展開

1960.4.9
三井三池争議の中労委斡旋案を審議する炭労第25回臨時大会開会。直前まで斡旋案にたいする態度が決まらず、大勢は受諾に傾く。

三池第一組合員約400人が福岡県警本部にデモ。デモに参加していた1人が逮捕状が出ているとして逮捕される

河上丈太郎社会党顧問記者会見。
《長野県出身議員から提案された社会党議員総辞職による解散、安保阻止の考え方に賛成だ。解散によってたとえ社会党が選挙に敗れることがあっても、安保阻止に全力をあげて戦うべきだ。

1960.4.10
安保国会をめぐっての新聞の解説
《衆院安保特別委は今週4日間開くがその後の日程は決まっていない。自民党は日曜を除く連日国会と22日採決を提案したが、今週は4日間と削減されその意図するスケジュ−ルは乱れた。しかし、論議の過半は出尽くしたとしており、遅くとも26日ごろまでには衆院を通そうとする作戦を変えていない。野党側は実質審議は始まったばかりで、いままで内容的にはほとんど解明されていないとして、1週間4日開会、土日は資料研究という意向。社会党は20日から連日1000人から5000人を動員して国会請願運動を展開し、また河上派は決め手の1つとして議員総辞職論をうちだした。民社党も修正案を準備しているが、修正案の提出が国会解散のきっかけにならぬ限り意味がない。いずれにしても政府与党のねらう今月末の衆院通過はきわめて困難で、早くとも5月の連休明けという見方さえ強くなっている。ここから会期の大幅延長が浮上してくる。自民党の石井派などは6月16日日まで延長を行い、米大統領の6月20日来日までにケリをつけておくとの意見もある。政府首脳としては、当面は野党への刺激を避け、安保の衆院通過後に参院での自然成立に必要な期間の延長を議決させようとの方針。》

《政府与党が国会に提出した議案は118件、うち成立したものは46件(10日現在)、ことに予算を伴う案件はすでに予算が成立しているのに提出77件のうち39件が未成立という変則ぶり。》

三池新労組267人海上から第二人口島に上陸、篭城組と合流し就労。

1960.4.11
衆議院安保特別委員会。
    《戸叶里子(社) 第五条にいう日米両国の共同行動は自国の憲法上の規定によるとあり、日本の場合は自衛隊法の規定によるとの答弁はおかしくないか。
    《林法制局長官 国内法である自衛隊法の規定を排除するものではない。
    《戸叶       国内法と条約はどちらが優先するのか。
    《法制局長官   条約はそれ以前に制定された国内法より優先する。
    《戸叶       条約が優先するなら第五条に基づいて共同行動が行われたあとで自衛隊法によって「国会が不承認しても」その効力は認められなくなる。
    《岸首相      憲法9条の規定は自衛隊法の規定を排除していないから心配ない。
    《戸叶       それでは5条の規定は実行できなくなるではないか。
    《岸         国会が不承認なら憲法の手続きに従って出動を取りやめることになり、5条に違反しない。
    《法制局長官   5条の共同行動は両締約国であり政府だけでなく国会を含めた全体の行動である。
    《戸叶       納得できない。
    《岡田春夫(社) 国会が不承認なら共通の危険に対処しないことを宣言したといいかえられる。(自民騒然)
    《岸        その場合は政府と国会の認識が違うということだ。現実と法律論は違う。
    《飛鳥田一雄(社)国会が自衛隊法を改正し、出動をもっと困難にしたら条約違反にならないか。
    《法制局長官   第五条と全然反する改正だったら条約違反になる。

公労協戦術委員会、15日の安保阻止統一行動の戦術を決定。
《国労  運転部門を中心に東京4カ所、各地本ごと3カ所計90カ所で2時間の職場大会。
《動力車 乗務員2時間の職場大会。
《全逓  中郵、統轄局など全国82カ所で2時間の職場大会。
《全電通 全国一斉に3時間の職場大会。
《全専売 全国9拠点で2時間の職場大会、その他は1時間の職場大会。
《全林野 全国335カ所で1時間の職場大会。
《全造幣 全国一斉に1時間の職場大会。
《全印刷 全国一斉に2時間の職場大会。
《アル専 一割休暇。

三井三池鉱業所は福岡地裁に三川鉱ホッパ−及びこれに付随するベルトコンベア−中央制御装置、三池港務所のホッパ−、スタッカ−(石炭搬入機)、ジグロ−ダ−(同搬出機)、三池鉱業所専用鉄道と運行設備などの妨害排除を申請。

1960.4.12
炭労臨時大会3日ぶりに再開。斡旋案受諾を骨子とする中央闘争委員会の原案をめぐって激論

安保反対国会デモ参加学生の処分に抗議して女子美術大学学友会約10人と全学連約50人が高円寺駅までデモ。

1960.4.13
日米両国政府、アイゼンハワ−米大統領の6月19日訪日を発表

社会党両院議員総会。
    《1.15日から衆院の各常任委員会には社会党議員はこぞって参加し、委員会のない場合は安保特別委員会の責任傍聴にあたる。
    《2.18日以降は衆院常任委員会の開会にあたって委員会の定数確保を要求する。
    《3.社会党議員は18日から全員国会に禁足し、連日の登院について点呼をとる。
    《4.院外でも15日から連日労組員など1000ないし5000人を動員して大衆請願運動を展開する。

安保反対連絡会議(民社党系)発足

1960.4.14
炭労臨時大会4日目、斡旋案拒否を主張する大手13組合、中小組合と受諾収拾を主張する三鉱連五山とが論戦を続行。

全学連、第15次統一行動の闘争体制を発表。
《1.15日は都内学生2000人以上を動員して議員面会所へ請願。
《2.20日は医科系学生を中心として500人が国会請願デモ。
《3.26日は全国ゼネスト。東大、早大、法大、明大、北大、東北大、京大、九大、岐阜大、東京女子大などが参加。東京では3万人が国会へ、全国各地で20万人が集会、デモを行う。

自民党「安保承認特別対策委員会」結成。
《会長南条徳男、委員約40人。安保特攻隊の役割を果たす。》

1960.4.15
衆院安保特別委理事会、自民党22,23日参考人意見聴取を提案。

安保改定阻止国民会議第15次全国統一行動。
《公労協の賃上げに対する公労委調停が出されたため公労協は時間内職場大会を中止、1時間の時間外職場大会。
《午後2時、全学連約1000人が地下鉄国会議事堂駅構内に集結、機動隊1000人とにらみ合い、社会党栗原議員らの斡旋で50人づつが衆参両院で静かに請願することで合意。しかし第一陣の東大教養学部約40人が衆院議員面会所前で後続を待って立ち止まったため機動隊と衝突。特許庁までの約300メ−トルの道路上で激しいもみ合いとなる。この衝突で警官3人が投石などで負傷、学生側にも数名の負傷者が出、社学同書記長(中大)(22)ら2人が無届けデモなどの容疑で逮捕される。》

アジア・アフリカ諸国民連帯会議、日米新安保条約は日本軍閥の復活をはかり、日本に核兵器基地を置こうとするものだとの非難決議を採択。

1960.4.16
日比谷野外音楽堂で人権を守る婦人協議会主催「安保批准阻止全国婦人会」
《全国の婦人団体、労働組合から約2000人が参加。「全ての婦人が手をつないで戦い抜こう」との大会決議を行い、国労会館までデモ。会場とデモの途中に愛国党の宣伝カ−が押し掛けたが警官隊に阻止される。》

総評弁護団「羽田事件弁護団」は全学連の羽田事件弁護を拒否することを決定して解散。
《1.弁護団が羽田事件に批判的見解を持っているのに、弁護を引き受けたのは全学連が安保反対国民会議参加団体を中傷しないという条件を認めたからである。しかるに、全学連側はこれを裏切り機関紙で総評を中傷したのをはじめ、弁護団の真意を誤解させるような背信行為を重ねた。
《2.弁護団との打ち合わせ会にも全学連川はほとんど姿を見せず反省と誠意を少しも見せなかった。
《3.このまま弁護を続ければ安保阻止の民主的勢力を混乱させ統一行動を弱めることになる。

全学連は抗議声明発表。
《弁護団は全学連が羽田闘争を過ちとして自己批判せず誠意ある態度を示さないから弁護を拒むといっているが、我々は正しかった。あの当時もそして今も安保改定を阻止しようとする人たちは全て羽田闘争を評価している。社会党はじめ民主団体の多くはその評価の仕方が違っても、全学連に対する弾圧は民主陣営に対する弾圧と考え、ともに戦う決意を表明している。しかし、共産党は一貫して全学連を誹謗し救援活動に立ち上がった文化人、労組に圧力をかけてきた。自称前衛政党が羽田事件被告を敵呼ばわりする現状こそ、こんどの弁護団解散の真意である。我々はいささかも謝罪する必要を認めないし、羽田事件を傷つける人々に対しては最後まで戦う。》

1960.4.17
炭労第25回臨時大会、「三池争議に対する中労委斡旋案を拒否して今後の戦いを推進する。」との小委員会報告を承認。
《大会宣言(要旨)》
《炭労大会は藤林斡旋案を拒否し、三池を包む全炭鉱労働者の戦いとして困難な闘争に立ち向かうことを決定した。この大会ほど全労働者、国民の期待と注目を集めた大会はなかった。またこれほど苦悩を重ねた大会はなかった。その理由は斡旋案に対する炭労の去就が炭鉱労働運動のみならず、日本の労働運動に深刻な影響を与えるからである。炭労は結成以来はじめて階級敵責任を果たす第一歩を踏み出した。今後三池に対する敵の弾圧はさらに狂暴化し、炭労各支部にも攻撃と分裂支配が強まるだろう。我々は誓う。組織のある限り労働運動の働き手を敵の手に渡さない。》

宮川三池労組組合長談
     《大会が斡旋案を拒否して三池支援をきめてくれたことを感謝している。我々は大会の決定に従ってあくまでも戦う。》

《ニュ−スは直ちに現地三池のすみずみまで深刻な波紋を広げ、休戦状態を続けていたヤマ元は再び緊迫の空気がみなぎった。この夜、最後の決戦に備え総評のオルグ団はぞくぞくとピケ隊に増強され、第一組合の決起デモが炭住街を行進して長期抗戦の気勢をあげると、第二労組は深夜まで就労の秘策を練った。そして警備当局は3000人の機動隊を総動員、厳戒体制にはいるなど、三池争議は激突の暗雲をはらんでいよいよ悲劇的な様相を深めた。》

午後10時半、執行吏2人に率いられた三池新労組員153人が諏訪神社、笹林公園、大牟田駅に集合、熊本産交バス3台に分乗して強行就労を開始。

西尾民社党委員長記者会見
《自民党は25日に新安保条約単独採決を強行するといっているが、おそらく採決は延期されるだろう。民社党は社会党と共同体制をとって批准をくい止める決意だが、実力行使は絶対に避け、改定の争点を国民に知らせたうえで解散に追い込みたい。》

1960.4.18
午前2時45分、三池就労隊はいったん柳川市に出たうえ大牟田市に逆進入、途中福岡県警警備本部機動隊約1500人と合流、三川鉱正門に向かう。同時に警官隊は諏訪神社前、福岡銀行三川支店前、第一組合三川支部の三点で逆ピケ。第一組合は直ちにのろしを打ち上げ各所ピケ隊に応援を求めたが三川診療所通用門ではスクラムを組んだ第一組合員30人を警官隊が排除し就労隊を無血入抗させた。
《第一組合ピケ隊はその後寝ていたものをたたき起こしたりして続々と増強され三川鉱正門前には約2000人が結集、午前4時20分、警官の不当介入を叫んだピケ隊と武装警官隊が衝突した。その後社会党議員団と警備当局の話し合いで「前日の状態にもどる」ことで解散しようとしたが、興奮したピケ隊が警官1個中隊をバリケ−ドで押し込め、約20人の警官隊が将棋倒しとなったところへピケ隊が のしかかり、土足で踏みつけ、ケリ上げて攻撃したため再び両者が衝突。機動隊副隊長がピケ隊に巻き込まれるなどの乱闘となった。警官隊はこん棒を使用してピケ隊を押し戻し午前6時30分ようやく事態は平静に戻った。この衝突で第一組合員63人、警官84人、カメラマン1人が負傷。  第一組合員3人が逮捕された。》

第一組合員約800人が福岡県警警備本部へ抗議デモ。警官隊の不当介入に抗議して座りこみ

灰原第一組合書記長談
《天下の公道に警官がピケを張り、正当な争議行為にかけつけた第一組合員を阻止したことは、労働争議にいまだかつてない不当行為である。しかもわずか10人のピケ隊を軟禁状態にして第二組合に道をあけているがどういう根拠に基ずくものか納得がいかない。みずから法を踏みにじった職権乱用である。ピケはこれを契機に幅広いものにし、スト破り就労はあくまでも実力で阻止する。》

菊川第二組合長談
    《幸い警官隊の協力で短時間のうちに入講できた。今後は人口島からの入抗は取りやめ正々堂々と正面から入講する。》

午前9時半、馬渡社宅で第二組合青行隊と全労オルグ約70人と第一組合700人が衝突。第二組合員4人が負傷。

1960.4.19
衆院安保特別委員会。
    《横路(社)・・・第七艦隊が核装備しているかどうかはどこで査察するのか。
    《赤城防衛長官・・条約の趣旨にそって信義誠実の原則に従う。
    《横路・・・・・・核装備しているがどうかとの通知があるのか。
    《赤城・・・・・・していなければ通知の必要はない。核装備していれば事前協議をしたいがどうかとなる。


民社党議員総会。
    《自民党が4月いっぱいで衆院通過といった強引な態度にでれば審議放棄を辞さない。》

石原国家公安委員長は閣議で三池配置の警官隊4000人にさらに1000人増強することを報告。

全学連緊急中央執行委員会、26日の行動について声明発表。
《26日の国民会議の整然しとたデモでは安保批准は阻止出来ない。当日は正午過ぎに国会前に都内、近県の学生3万人を動員、警官隊との正面衝突も辞さない。全国各地で約80校、1015自治会、25万人がゼネストを行う。また高校生にもデモ参加を呼びかけ、内部機構として高校生対策部を設ける。韓国の学生暴動に対しても支援を行う。》

大木総評青年対策部長らが全学連書記局を訪れ、強硬方針に反省を求める

1960.4.20
午前7時三池新労組員約700人が笹林公園に集合。うち300人が宣伝カ−を先頭に三川鉱に向かい諏訪神社脇で警官隊ともみ合いの陽動作戦を展開。残りの400人がバスに分乗して宮浦鉱の正門と裏門にに向かう。
裏門組150人が警官600人に守られて第一組合ピケ隊500人と対峙。このすきに正門組250人が、事前にピケ隊を封鎖していた警官900人に誘導され正門北側通用門から入講に成功。
その後第一組合ピケ隊約1000人が警官隊に突入、乱闘となり警官60人が構内に取り残された。この乱闘で警官63人、第一組合81人の負傷者が出、オルグら10人が逮捕された。


安保改定阻止国民会議幹事会、26日に13団体7,8万人を動員して衆参両院に請願行動を行うことを決定。労働旗などは持たず、20人に1人の責任者を設け整然と請願する方針を確認。
《国民一人一人が高度の政治的自覚をもち、秩序ある請願行動をとることこそもっとも効果的政治行動である。 全学連指導部の反省を求めるとともに全国の学生が国民会議の請願行動に参加するよう要請する。》

東大教養学部自治会など9大学学生自治会が全学連の26日国会デモに反対の声明
    《統一行動を乱すのは安保批准阻止行動を内部から破壊するものであり、全学連中執に単独行動を避けるよう呼びかける。》

警視庁公安部、15日の無届け集会に関して全学連書記局を家宅捜索。清水書記長を逮捕
 
社会党議員団が銀座で安保反対のチラシ配り

医科系学生連合会約300人が白衣を着て国会前でデモ。代表10人が請願

東京大学教授ら有志353人(辻清明、渡辺一夫、日高六郎ら40人が発起人)が「国民の基本的自由が制約されることも予想される」と新安保批准に反対声明発表。

午後6時10分、衆院安保特別委員会休憩。直ちに理事会を開き自民党が「22日の参考人召集」を提案、野党が激しく反発。党に持ち帰って態度を協議することで理事会休憩

午後7時40分、理事会再開したが話し合いがつかず再び休憩。野党側は三党国会対策委員会を提案したが与党は拒否。
午後10時過ぎ再開された特別委員会で混乱のうちに自民党は参考人招致を強行採決

    《速記録・・午後10時33分、
    《小沢委員長・・・(発言するもの離籍するもの多く、議場騒然、聴取不能)   
    《小沢委員長・・・椎熊三郎君・・・(発言するもの離籍するもの多く、議場騒然、聴取不能)
    《小沢委員長・・・(聴取不能)賛成の諸君の起立を求めます・・・(同前)
    《小沢委員長・・・静粛に願います。(同前)
    《小沢委員長・・・起立多数・・・(聴取不能)これにて・・・(同前)
    《小沢委員長・・・(聴取不能)終了いたしました。暫時休憩いたします。午後10時36分休憩。

1960.4.21
社会、民社両党は国会対策委員会、代議士会などを開き安保特別委員会での参考人招致の強行採決は無効であるとして、国会が正常化するまでは衆院各常任委員会の審議を一切拒否することを決定。

衆院安保特別委員会理事会、参考人招致採決をめぐって与野党が激しく対立。自民党は議決の有効、無効かについての採決を提案。
《午後4時過ぎ理事会決裂。
《4時32分、小沢安保特別委員長が委員会の開会を宣言、与党質問を強行しようとしたため、野党質問の続行を主張する野党議員が議長席に殺到、混乱のうちに
《4時47分休憩。
《5時40分、小沢委員長が再び入室、野党委員は委員長席を取り囲み怒鳴り合いの混乱、5時53分再び休憩。
《8時40分、小沢委員長再び入室、社会党議員が委員長席を占拠、委員長の着席を阻止したため流会。
《9時半、川島自民党幹事長、福永国会対策委員長、小沢安保特別委委員長が記者会見。
    《1.安保特別委を開こうと努力したが野党側の妨害にぶつかって委員長が着席できず、これ以上の混乱を避けるため今夜はやめることとした。
    《2.22日は正々堂々と委員会を開いて参考人の意見聴取と質疑を行う。
    《3.25.6日までに衆院通過を基本線とする。
    《4.野党が審議妨害一方でくれば基本線で強行する。

警視庁公安部は全学連の26日の国会デモに対し三井公安一課長、中島警備課長連名で厳重警告書を郵送。全学連は開封せずに突き返す。

三池新労組就労隊179人が海路第二人口島から上陸。篭城組約200人と交替

1960.4.22
午前9時、自民党代議士会、「22中に参考人の意見聴取を強行、25,6日ごろ委員会の採決を行うこと」を確認。

社会、民社両党は「特別委の開会を強行する場合は歩調を合わせて全力で阻止する」ことを確認。

午前10時45分、衆院安保特別委をめぐる与野党折衝開始
《野党は小沢  委員長席を占拠。
《11時、秘密理事会。社会、民社は参考人招致採決以前の状態に戻すことを主張したが自民党が拒否し決裂。
《11時25分、衛視20人が小沢委員長をかつぎ上げて突進したため、与野党議員が入り乱れて混乱。このころから自民党の院外団、野党秘書団の入室がはじまり険悪に雰囲気に包まれる。
  《にらみ合いは午後も続けられ、結局6時過ぎに安保特別委員会の開会断念を決定。》

社会党非常事態宣言
《岸内閣並びに自民党はついに新安保条約批准を暴力的に強行突破しようとしてきた。わが社会党議員の真剣な質問に対し、政府はなんら納得のできる答弁もせず、なお山積している重要疑点にもその究明の時間を許そうともしない。国会の周辺に長蛇の列をなす国民の深い憂い、激しい怒りにも岸内閣は耳を傾ける良心さえないような非民主的態度をとっている。新安保条約はまぎけもなく軍事同盟である。日本国民が15年前敗戦という厳しい経験の中から死をもってあがないとった平和への念願はいまや抹殺されようとしている。文化的にして健康な社会の建設は原子兵器と窮乏によってかえられようとしている。世界の人々と、平和的共存を願っている日本国民もじゅうりんされようとしているのである。事態はまさに急であり重大である。わが社会党は日本の全国民が安保改定阻止のために今こそたちあがられんことを希望する。あしを踏み、鼓をならして岸政府並びに自民党にその企てを直ちに取りやめるよう、我々とともに戦われんことを切望する。ここに社会党は非常事態を宣言し国民諸君にその協力を訴える。》

川島自民党幹事長記者会見。
    《参考人には6時に引き取ってもらった。あらためて参考人を招致することはない》。
  
午後7時40分、政府与党首脳が協議、「23日の衆院本会議で国会法第56条に基づき中間報告動議提出する」ことを決定

石原国家公安委員長、閣議で全学連デモについて発言。
《26日は全学連を中心に相当大規模な国会請願デモが予想される。とくに全学連は総評その他の指揮下に入らず独自の行動をとることとしており、昨年の国会構内乱入事件を上回る混乱も予想されるので厳重な警備体制をとる。》

社会党、全学連に対し申し入れ。
《全学連の行動は統一行動を阻害するばかりでなく、政府自民党に逆攻撃の口実を与え、国民の整然たる統一行動を破壊する。党はこのような全学連の方針を排して、学生大衆が安保阻止国民会議の決定に従って統一行動に参加することを訴える。》

総評、中立労連、東京地評主催の「三池闘争勝利と安保改定阻止総決起集会」、日比谷野外音楽堂に約5000人が参加。チョウチンデモを行い三井本社前ではジグザグデモで気勢。

三池三川鉱正門前で警備の交替の警官隊150人と第一組合ピケ隊が対立、第一組合デモ隊約300人も加わってにらみ合い。ピケ隊の責任者と警官隊の責任者が交替であることを了解しあって対峙を解く。

1960.4.23
全学連、徹夜で緊急中央執行委員会。23日都内の学生5000人を緊急動員し安保採決の場合は国会構内になだれ込んで座り込む方針を決定。

午前8時半、自民党三木・松村派は野党を不必要に刺激する中間報告要求は避け、幹事長・書記長会談で事態を収拾するよう申し入れる事を決定。9時、自民党河野派、強攻策は避け慎重審議を行うよう意見を一致。社会党両院議員総会「重大決意で臨む」との方針を確認。民社党も強行方針阻止を決定。

9時半、自民党参院議員総会、10時代議士会をひらき「中間報告要求動議」を了承。

社会党は全力を上げて阻止することを確認。

中村衆院副議長は清瀬議長に中間報告は民主的国会運営ではないと進言。

衆参両院議長から国会警備に5000人の警官隊派遣要請

10時、警視庁警備公安緊急会議。警視庁内に警備本部を設け全機動隊8000人、方面警察隊3200人を動員「国会内には絶対に入れない」との方針のもとに厳戒体制。

午後、民社党から妥協案。
    《中間報告は撤回し、5月10日から15日の間にかけて審議を尽くす。会期延長は実力で阻止しない。自民党は妥協案に対し譲歩してもよいとの姿勢を示す。》



午後1時、国会正門前旧チャぺルセンタ−前に東大、早大、中大、明大、千葉大、教育大、女子美大など全学連約1000人が集結。正門前の機動隊装甲車8台の強行突破を試みたが失敗し4時20分車道に座りこみ。警官隊はしきりなしに解散警告をかぶせ、午後7時最後通告とともに学生たちをごぼう抜き、学生達はほとんど無抵抗で放り出されたが、そこでまたスクラムを組むなどいたちごっこを繰り返す。7時45分、全学連応援部隊350人が到着。議事堂電停前で機動隊ともみ合い再び全員が座りこみ。

8時45分警官隊は第二次実力行使に入り、双法殴り合いの乱闘状態となったが、1時間後、ほとんどの学生が  有楽町駅近くまで引き立てられ、10時過ぎ解散。この衝突で学生2人が逮捕され、学生2人が負傷、警官4人が軽傷を負った。また地下鉄国会議事堂前駅が警察の要請のため1時20分から5時35分まで閉鎖された。

全学連は非常闘争体制に入ることを宣言。

午後7時半、妥協案をめぐる社会・民社会談物別れ。

1960.4.24
清瀬衆院議長、事態打開のために斡旋に乗り出す意向を表明

三木・松村派は中間報告を強行する場合は本会議出席をボイコットすることを決定。

社会・民社両党は衆院議長斡旋案拒否を決定

清瀬議長第二次斡旋案
    《1.衆院安保特別委においては審議のスケジュ−ルを作成すること。
    《2.各党は今後国会の威信を傷つけ、議院の秩序を乱すが如き行動は厳にこれを慎むこと。
    《3.なお審議を尽くすため5月初旬の休日の一部もこれにあてること。
    《4.中間報告を求める動議は取り下げること。

自民、社会、民社は第二次斡旋案受諾を決定

警視庁、26日の統一行動で警備総本部の設置を決定。機動隊、方面警察隊6000人を動員、一斉検挙に備えて私服警官も総動員することを決定

1960.4.25
警視庁公安一課は共産主義者同盟書記局、全学連書記局、社会主義学生同盟書記局を公安条例違反、道交法違反で家宅捜索。全学連書記局では唐牛委員長、清水書記長らが刑事と取っ組み合い、書記局のガラスが割られ、唐牛委員長の背広のソデが引きちぎられるなど双方が激しく対立

全学連清水書記長記者会見
《26日は午後1時に旧チャペルセンタ−前に都内近県の学生2万人、労働者3000人、国民会議の地方代表3000人を動員、警官隊と正面から衝突、翌27日朝まで座り込むなど全学連の全生命をかけて国会デモを行う。大量の逮捕者をだしても第二執行部をつくり闘争体制は崩さない。》

東大教養学部で学生大会。1760対1366で26日の授業放棄を承認。

日本学生会議(日大、専修大など15大学自治会)声明
《全学連は安保批准阻止のため社会党、共産党、総評そのほか一部の極左団体との統一行動によりゼネストを強行しようとしている。全学連が過去にあった行為をもってゼネストを強行するならば、われわれは学問の自由と学生自治を守るため、実力をもって阻止する。》

総評青年対策部、社会党青年部、共産党青年学生対策部、全日農青年部、日本民主青年同盟声明
    《1.4.26統一行動について全学連指導部が国民会議の決定に従うよう再度要請する。
    《2.全学連が国民会議の決定に反する単独行動をとった場合の混乱と責任は上げ全学連指導部が負わねばならない。
    《3.あくまで単独行動をとったとき、われわれ五団体は当面の青年運動、平和と民主主義の運動において全学連指導部との共闘はできない。

警視庁は26日の全学連の動員を国会前4500人、清水谷公園1500人と予想

1960.4.26
衆議院安保特別委員会再開

安保改定阻止国民会議第15次統一行動最終日「4,26国会請願行動」
《午前7時、名古屋、鹿児島、三重の白タク共済会のタクシ−120台が国会正門前から請願所まで車ほ駐車。退去を求める警察側と「了解済みを」主張する組合側が応酬。》
《午前9時、地方代表が「安保批准反対」のタスキをかけて日比谷野外音楽堂に到着、10時から請願開始。動員数は約6万5000人(国民会議発表)に上る。》
  《この日だけで請願署名者は133万人に上る(国民会議調べ)》。

全学連反主流派の教育大など約1万1000人が清水谷公園から国会へ請願

全学連全国で約90校、20数万人がストや自主的な授業放棄で参加。
《東大教養学部では8時から約300人がピケ。》
《11時50分、東大医学部、農学部約250人が旧チャペルセンタ−前に到着、国会正門に向かおうとして警官隊約300人ともみ合い。》
《正午、東大緑会葉山岳夫前委員長を先頭に第一陣約300人、続いて東大教養学部1500人が到着。学生が歩道を埋める。》
《4時頃までに東工大、お茶の水大、教育大、学芸大、横浜国大、早大、明大、中大、慶応大、日本医大、女子美大、社会事業短大、千葉大及び高校生約200人なとが集結。》



《午後4時15分、旧チャベルセンタ−前で集会を開いていた全学連約7000人(警視庁調べ)が「国会正面に行こう」を合図に前面を阻んでいた警視庁装甲車8台や輸送トラック30数台の3列のバリケ−ドに殺到、強行突破開始。第1列の車と2列目の車の間に待機していた警官隊が先発隊にとびかかり、殴る蹴るの激しい乱闘を演じてる間に、後続部隊が3列目の車を乗り越えて突進。国会乱入事件や羽田空港事件よりも一段とすごい学生の突進に、警官隊は車のバリケ−ドを放棄して後退。同時に旧チャペルセンタ−内部を抜けた約400人と尾崎記念館内を通った約200人の学生が一挙に国会正面になだれ込もうとした時、警官隊は警棒を抜いて学生に襲いかかる。この際逮捕された篠原社学同委員長や志水全学連国際部長も顔面血だらけ。警官隊は国会正門前に機動隊の車で第二障害を


急増、約2000人の第一障害突破の学生もこの障害は突破できず人事院ビル脇に座りこみ。
5時20分、唐牛全学連委員長逮捕。社会党代議士が解散を説得したが学生達は聞き入れず、6時25分警官隊実力行使開始。けちらしながらスクラムからはずれたものを列外へ引きずり出すというすさまじいもので、鼻血をだしてうずくまる学生、コンクリ−トに顔をぶっつけのうしんとうをおこす女子学生など、まるで警官隊のなぐり込み。》
《一方、バリケ−ドを突破できなかった約3000人の学生は装甲車や輸送トラックのガラスを破り、ホロをひきはがし、綱をつけてひっぱり出す。》
《7時大日本愛国党がトラックで乱入、ヘルメット姿の党員がこん棒でなぐり込む。》
《6時過ぎ全学連書記局は「後退」の緊急指令。ちりじりになっ学生は警視庁前に約4000人が再結集。日比谷交差点などで無届けのジグザグデモを行い東京駅まで激しいデモを繰り広げ9時に解散。このデモで学生、警官約100人が重軽傷。学生17人検挙。また赤尾敏大日本愛国党総裁ら5人の右翼を逮捕。》

全学連は次の行動を5月10日に行うことを声明

6時半、日比谷野外音楽堂で「安保批准阻止請願国民大会」。
《席上、安保改定阻止国民会議は5月10日以降に第16次統一行動を行うことを表明。》

警視庁調べ。
    《請願は国民会議2万7490、全学連反主流派9000。全国で集会228カ所、21万4250人。デモ189カ所、18万5300人。》

社会党声明。
《本日の安保批准阻止の請願の参加者は実に12万人に達し、これで署名者数は約2百数十万人にのぼった。 これは岸内閣が企図している軍事同盟に対する国民の怒りを表したものである。わが党は、憲法に基づいて正当に行使されたこの国民の請願を空文化することなく、安保条約の徹底審議を通じてあくまでその批准を阻止し、岸内閣打、国会解散の決意をここに新たにするものである。》

1960.4.27
警視庁公安一課、全学連書記局、共産主義者同盟書記局、社会主義学生同盟書記局を都公安条例違反、道交法違反で家宅捜索

社会党は26日の全学連国会デモについて、警官隊が学生に乱暴を働いた疑いがあるとして調査することを決定。

社会政策学会(大河内一男東大教授、北沢新次郎東京経済大学学長ら)は21回大会で「安保体制は社会政策の健全な発達を妨げる」として反対声明を発表

1960.4.28
社会党、安保反対の国会請願は500万人に達したと発表

社会党中央執行委員会、安保改定阻止第16次統一行動について方針を決定
《9日から15日までと20日から25日の期間はいずれも連日5000人の国会請願を行い、安保批准阻止と国会解散及び岸内閣退陣の要求を結び付けた大規 模な請願行動を行う。》

全自労緊急中央委員会、5月10日に全国一斉に職場大会とデモを行うことを決定

第31回メ−デ−中央実行委員会は全学連をオブザ−バ−団体から除名

1960.4.29
全学連第23回拡大中央委員会、今後の安保闘争方針を決定
《5月13日に全国の大学でゼネストに入り国会前に集結、警官隊に阻止されても国民の当然の権利として国会構内に乗り込み抗議集会を行う。その後 は17日をヤマとして波状攻撃をかける。》
  《清水全学連委員長と読売新聞記者との対談》
    《記者・・・26日のデモで反主流派に数で負けたのか。
    《清水・・・警視庁の作り話だ。数では五分五分だ。
    《記者・・・今日の中央委員会には反主流派はほとんどきていないが
    《清水・・・自分たちの主張がないから来てもしょうがない。彼らは頭はいいが元気がない。
    《記者・・・装甲車は乗り越えるべしということか。
    《清水・・・あれは失敗だった。
    《記者・・・乗り越えないほうがよかったとか・・。
    《清水・・・乗り越えたのは2500人ぐらいだったが、下部の者が震えて大衆を止めた。止めなければ1万 3000人が乗り越えていた。
    《記者・・・共産党はだめか。
    《清水・・・日共は運動を壊すことばかりやっている。
    《記者・・・フルシチョフはどうか。
    《清水・・・話にならない。平和共存で現状を維持しようとしている者が共産主義者といえるか。
    《記者・・・5月13日はどうするのか。
    《清水・・・国会構内に入って安保大抗議集会をやる。
    《記者・・・入れるか。
    《清水・・・警官隊もこの前より多いだろうし、バラ線を張って電気を流すぐらいのことをするかも知れない が我々も研究する。
    《記者・・・技術とは暴力のことか。
    《清水・・・暴力には暴力で対抗する。三池争議で残念なのは第一組合が暴力だ対抗しなかったことだ。韓国 でも共産主義革命にもっていくべきだった。
    《記者・・・一番困っていることは・・。
    《清水・・・財政面が致命的だ。しかし、金持ちで支持してくれる人もいる。
    《記者・・・儲け仕事もたくらんだらどうか。
    《清水・・・営業とか事業はどんどんやるべきだ。学生運動はへただけど儲け仕事はうまいというのが早稲田 あたりにいる。

1960.4.30
文部省は全国の国、公、私立大学長に対し、「過激分子の学園追放と今後も予想される学生の組織的非合法活動 の抑制」を次官通達。

北大教養学部教官会議は唐牛全学連委員長の除籍処分を決定

総評評議会、第16次統一行動の方針を決定。
《1.「安保批准阻止、国会解散要求」の2000万請願運動のため7,8両日衆議院選挙区単位の中心都市 に請願受け付け所を設け、国会議員と協力して選挙民に呼びかける。労組は家族を動員し請願署名を隣 近所から集める。
《2.第16次統一行動のうち特に審議打ち切りの危険性のある9日から15日まで、会期延長が出される2 0日から26日までを「高原闘争」とし市民、主婦の参加も呼びかけて連日5000人以上の請願行動 を行う。
《3.13,14,15日は地方代表を含め3日間連続して1万人を動員、請願行動を行う。
《4.11日ごろ一斉に時限スト、時間内職場大会を実施する。
《5.請願活動には主婦を参加させるため各単産はバス、宣伝カ−を配車する。
《6.5月下旬安保批准阻止、会期延長反対、国会解散要求、三池闘争支援、ILO批准の目標を結合させ全 国統一行動を行う。

第31回メ−デ−実行委員会、全学連の参加を正式に認める決定。

1960.5.1
第31回メ−デ−、全国567カ所で600万人(実行委調べ)(警視庁調べ164万人)が参加。安保批准阻 止一色に染まる。

1960.5.2
安保改定阻止国民会議幹事会、連日5000人から1万人の国会請願を確認。

全学連中央執行委員会、国会構内抗議集会を国会前抗議集会に切り替える。

1960.5.4
自民党川島幹事長ら党首脳が党内説得、河野一郎は「世論の動向からみても単独審議による新条約の強行突破策 には全面的には同調しがたい」との心境をつたえる。

青年学生共闘会議幹事会、全学連は「各団体に対して全学連の戦術に賛成するよう呼びかけるが、反対された場合は独自の行動をとる」との主張を変えず、共闘会議は全学連に離脱を勧告、事実上除名

安保改定阻止国民会議幹事会、第16次統一行動方針を決定。
《1.8日からは東京はじめ地方の主要都市に請願署名受付所を設け、国会解散要求を新たに加えた請願署名運動を起こす。従来の安保反対署名は国民会議の集計によると4月末で650万人に達しているが、これをさらに1000万人の目標を達成するように努力する。このため戸別訪問署名街頭署名、有名人に対する郵便署名などを行う。
《2.9日から26日までを第16次統一行動とし、9日から15日までを前期高原闘争期間、20日前後を後期高原闘争とする。前期高原闘争中は連日5000人を動員して国会請願を行う。とくに14日は地方代表1万人、一般市民3万人を含めて10万人を動員して国会請願を行い、請願後「安保批准阻止、国会解散要求国民大会」を開きチョウチンデモを行う。12日には総評系労組が全国一斉に時限スト、時間内職場大会などの実力行使を行い、13日には国民会議幹事団がアメリカ大使館に抗議する。
《3.労組の請願はとくに後期では単に一人一人の請願のみでなく、集団としての迫力を作り上げる。

1960.5.5
フルシチョフソ連首相、「5月1日、領空侵犯の米機(U2)を撃墜した」と発表。

1960.5.6
自民党相談役会。河野、松村、三木、石橋、大久保ら反主流派は欠席。

総評単産書記長会議、第16次統一行動方針を決定。
《1.12日に予定していた時間内食い込み職場大会を時間外に切り替え、九州地区だけ時間内職場大会あるいは時限ストを行う。
《2.国会請願は12日は三多摩地方と東京都西、北代表、13日は東、中、南部代表を動員して行い、14日は6万人を動員して国会に請願する。
《3.20日は各労組の時間内職場大会と最大限の国会請願行動、21日は関東及び周辺地区代表3万人を動員して国会請願を行う。
《4.三池闘争についてはホッパ−仮処分後の事態に備え各単産が現地と連絡をとり動員を強化する。

全学連、今後の安保阻止闘争方針発表
《13日旧チャペルセンタ−前に1万人を集めて総決起大会を開き街頭デモを行う。安保審議の最後のヤマとみられる19日には全国大学でゼネストを行い、地方代表2000人を含め2万人が国会に押し掛ける。国会構内に突入するかどうかはその時の情勢によるが、全学連はじまって以来の大デモにする方針で、もちろん警官隊との衝突も辞さない。以後状況次第で連日国会にデモをかける。》

1960.5.7
衆院安保特別委員会、石橋政嗣(社)が「朝鮮動乱当時にCIAの要求で旧日本海軍の中尉が責任者として私設日本海軍を編成、それに武器弾薬を与えて中国側船舶の航行阻止をはかり中国警備艇と交戦」したと追及し議場は騒然

1960.5.9
衆院安保特別委員会、飛鳥田一雄(社)がソ連に撃墜された米軍U2機問題で政府を追及

1960.5.10
全労常任執行委員会、総評からの共闘要請を拒否

東京都教組定期大会、当面の闘争方針を決定
《1.12日の第16次統一行動には各分会一斉に職場大会、14日午後の国会請願には全組合員の3割にあたる1万人を動員する。
《2.下旬には各学校ごとに授業時間内職場大会や早退して国会請願に参加するなど4.26統一行動以上の盛り上がりをはかる。

1960.5.11
衆院安保特別委員会
    《藤山外相・・領空侵犯への報復としてソ連が日本基地を攻撃すれば、新条約を発動する。》

衆院安保特別委員会理事会で小沢委員長は「安保請願の審査を採決前に行う」と言明。

青年学生共闘会議幹事会、全学連が共闘会議が求めた
    《1.国民会議の統一戦術に従うこと
    《2.単独行動の場合にも共闘会議に相談すること
    《3.4.26乱闘事件を自己批判すること
のうち1.2を受け入れたため全学連の離脱勧告の保留を決定。》

1960.5.12
安保改定阻止第16次統一行動。
《群馬県民主商工会加盟の商店700業者が「新安保批准阻止の統一行動参加のため閉店します」とのビラを掲げて1ないし24時間のスト。》



総評は宣伝カ−11台を連ねて安保批准反対のパレ−ド

新潟大学理学部全教授38人と助教授ら20人が安保批准反対の署名

埼玉大学学生自治会臨時全学生大会
    《1.14日午前10時から授業放棄、国民会議の国会請願に参加する。
    《2.19日は全日ストを行い全学連の国会動員座りこみに参加する。

自民党学生部主催「安保批准促進学生のつどい」、砂防会館に約1600人(警察調べ)参加。日比谷野外音楽堂までチョウチンデモ

1960.5.13
衆議院安保特別委員会中央公聴会、大井篤(元海軍大佐、軍事評論家)、大内兵衛(東大名誉教授)福島慎太郎 (ジャパンタイムズ社長)、松岡洋子(評論家)が出席。



全学連約4000人が午後1時から旧チャペルセンタ−前で「安保改定阻止総決起大会」
《警視庁では警官隊2500人を動員、非常事態用のピアノ線を準備して装甲車、輸送トラックなどでバリケ−ドを設け警戒にあたったが、一部小競り合いだけで学生達は都心デモ。》
《午後7時夜学連約800人と昼間の学生約1200人が日比谷野外音楽堂で「安保阻止全都夜間部学生総決起大会」、「昼夜学生が手をつなぎ、きたる19日には全校がゼネストで参加、国会前で座りこみ4,26にまさる行動をとろう」と決議、東京駅八重洲口までデモ。途中田村町付近で警官隊約1000人と小競り合い。》

安保改定阻止国民会議の代表団が米大使館に抗議文を手渡し、東京中、南、東部の代表約750人が国会請願。

大日本愛国党員が国会請願を終えた労組員を殴り逮捕される

1960.5.14
朝から小雨の中で安保条約批准阻止第16次統一行動前期高原闘争国会請願行動。
《正午日比谷野外音楽堂に都内の大学教授団、文化人、政党関係者ら約5000人が集まり国会請願をおこなったのをはじめ地方代表約1万3000人、労組員約6万人、婦人団体約5000人、全学連・青年団体約1万2000人が日比谷野外音楽堂、千鳥ヶ淵公園、清水谷公園に集まり国会請願。警視庁は約4000人の警察官を動員して警戒に当たったが、全学連も国民会議の統制に従って行動。》

午後6時半、共済講堂で「安保批准阻止、国会解散要求、岸内閣打倒国民大会」、各団体代表約1000人が参加。非常事態宣言発表。
《日本の平和と独立、民主主義を重大な危機に陥れ、国民生活に計り知れない悪影響を及ぼす新安保条約に対し、我々は今日まで16次にもわたる統一行動を闘い抜いてきた。我々はここに自らの権利と生活、否生命を守り抜くためには、安保批准を阻止し、岸内閣を打倒する以外にその途がないと断言する。全国の平和を愛する国民のみなさん、安保批准阻止、岸内閣打倒、国会解散の要求を国会に集中しよう。全労働者のみなさん、労働運動の権利と労働者階級の生活を守るためにストライキで抗議しよう。我々は安保改定阻止国民会議に結集した700万人の大衆の名において、全国民の奮起を訴える。我々は、これらの目的のため断固として闘い抜くであろう。》

午後7時、日比谷野外音楽堂で全学連約1100人と夜学連約900人が学生集会。8時から無届けデモで三井本社に押し掛ける

社会党声明。
《本日の安保批准反対請願の第16次統一行動は雨天にもかかわらず10万人の参加を得、その署名者数は実に700万人を突破した。先日26日以来の請願署名者は1350万人に達し有権者総数の2割6分である。》

1960.5.15
社会党全国都道府県連合会書記長・選挙対策委員長合同会議
《最終段階の安保改定阻止闘争方針》
《1.闘争の基本目標
闘争の中心目標を「国会解散要求」におき総選挙で安保の是非を民意に問う。
《2.国民運動方針
院内において会期延長、条約強行採決に対して強力な阻止運動など、あらゆる戦術がとられるのに対応し、院外においては全国から連日大量の動員を国会に向けて行い、大衆的に審議を監視する。採決の非常動員の場合は10万人以上の規模とする。さらに労組に対して実力行使を要請し、労働者、農魚民、市民、青年、婦人、文化人、学者の国民諸階層の総決起を呼びかける。
《3.党の独自活動
全党員に非常配置につくことを指示し、全国より選抜の1500人の党行動隊を組織し、街頭に進出して市民の決起を呼びかける。

《衆院を即時解散し、岸内閣の退陣を要求する決議》
《1.最終段階における我々の基本態度は、衆院を即時解散させ、岸内閣の退陣を迫ることである。現在の国会は新安保条約に関して、なんら国民の意志を代表していないし、国民の名において新条約を批准する資格がないから、国会は直ちに解散して民意に問うべきである。岸内閣と自民党は一昨年の警職法や、さきの「中間報告」のときのように、国会の中だけの形式的多数を理由に再び、三度国民の意志と国会を蹂躙する陰謀を着々と進めていることは疑う余地がない。もしこの暴挙を許すなら、そこには李承晩国会と同じく国会はあっても、民主主義はない。
《2.もはやこの段階においては、問題は国会審議の形をどう整えるかということではなく、解散、総選挙によって直接国民の意志を聞くことだけが残された問題である。
《3.我々は国民の意志の反して新安保の成立をはかる会期延長には絶対反対する。そして国会解散、岸内閣打倒の大運動を発展させるために全力を上げて戦い、決戦の時には、院内外において先頭にたって文字どおり最大限の闘争を展開する。

総評評議会、「20日以降は自民党による安保の採決強行を予想し各単産の役員は社会党と連絡、できるだけ院内にはいり、また在京本部役員は常時動員待機体制をとって緊急事態に備える」ことを決定。
《太田議長答弁》
《安保反対の勢力が警職法以上に拡大しているのにこれを結集出来ないのは指導上の欠陥として検討したい。しかし、国会請願や統一行動は安保関係を実力で阻止するのが目的ではなく、抗議の意志を表明し民主勢力を激励するねらいである。》

全学連緊急中央委員会、「19日の予定を変更し、20日全国の主要大学でゼネストを行い午後徹底した国会包囲デモを行う」ことを決定。

1960.5.16
衆院安保特別委員会大阪、仙台、福岡で地方公聴会

1960.5.17
清瀬衆院議長と中村衆院副議長が党籍離脱。》
    《議長の職責を果たすには一党一派に偏した疑いを絶対に避けねばならない。

清瀬衆院議長、岸、浅沼、西尾の三党首を別々に招いて勧告
《1.衆院は近く国家の将来のため重大な議案を審議するが秩序を重んじ冷静に審議をつくし、国会の品位を保持せねばならない。
《2.国会内部の秩序保持は国会自身で行うべきで警察力に頼るようなことは国会の威信のために避けねばならない。
《3.従来両院で経験したような議事妨害の行為を避け、質問や討論は十分尽くし、各党の意見には敬意を表すべきである。

安保批判の会、社会事業会館で「安保廃棄、岸内閣退陣要求国民集会」、約700人が参加。風船をかざして国会請願デモ

1960.5.19
午前8時、埼玉大学学生自治会、安保反対の全学ストにはいる。約200人が11時半から浦和市内をデモ。

午前9時、自民党執行部打ち合わせ
    《1.50日会の会期延長先議。
    《2.本日中に安保特別委で質疑打ち切りを行うが強行はしない。

同時刻、社会党国会対策委員会、続いて代議士会、質疑打ち切りは実力で阻止することを確認。

民社党も全議院の院内待機を指示

10時、自民党秘密代議士会。川島幹事長報告を了承
《去る17日の両院議員総会の申し合わせの趣旨にそって各種情勢を勘案した結果、会期延長を先議することが適当と認めた。延長の幅は50日間としたい。なお小沢安保特別委員長とも協議の結果、同委員会における質疑打ち切りは今明日中に行いたいが、その取り扱いについては小沢委員長に一任する。》

10時40分、自民党は福永自民党国会対策委員長を通じ「7月15日までの50日間の会期延長」を清瀬衆院議長に申し入れ

衆院安保特別委員会開会。社会党の横路委員が前日に引き続いて質問

11時、清瀬議長、常任委員長会議招集



午後零時、衆院議院運営委員会理事会、会期延長をめぐって紛糾。

午後零時30分、衆院安保特別委員会暫時休憩。与野党委員は着席したままで待機

1時20分、議運委理事会休憩。

午後1時、安保阻止国民会議緊急動員
《「職場が終わり次第、国会へ」、初めての電話指令が職場に飛んだ。近県の共闘会議へも電話がかけられ全国へ電報が打たれた。(安保闘争P139)》

午後1時半、衆院事務局、安保特別委員会の再開を放送。

午後1時40分、衆院安保特別委理事会が社会党の要求で開かれ社会党の松本理事が「会期延長という新しい事態が生じたので議院運営委の結論を待つべきだ」と主張するが結論得ず、一時休憩

2時半、衆院安保特別委理事会再開、自民党は19日中の質疑打ち切りを提案。社会党松本七郎が30分にわたる反対演説。
《安保審議はまだ尽くされていない。新協定、国内関係法案はまだ全く審議されず疑点は山積している。委員長が約束した請願審査も放置されたままだ。数百万の国民の請願を見捨てるのか。しかも、安保そのものに対する疑惑と反対は日々に高まっている。いまや安保委は民主政治の基本原則の立場から新条約に反対すべきだ。民族の運命を決する条約である以上誰にも文句や心残りのない方法、すなわち解散により審査を受けるべきだ。それが一番スッキリした方法ではないか。理事はそろって岸首相の解散を要求しよう。解散こそ唯一の解決策だ。(安保闘争P123)》

同時刻、神奈川県大和市で「黒いジェット機即時撤去、安保批准阻止を要求する決起大会」。神奈川県下の労組から約500人が参加。厚木基地へデモ。

3時、社会党安保阻止特別行動隊約1000人が国会到着

3時25分、安保特別委理事会決裂。小沢安保特別委委員長が委員長席に着くが与野党委員に取り巻かれて休憩状態。

4時、自民党は議院運営委員会の開会を強行、荒船委員長は50日間会期延長の本会議上程を強行採決。議事録には「これより開会いたします」とあるだけ。大混乱のうちに4時28分散会

野党側は激高し議員、秘書団約300人が議長室前に殺到、本会議開会の実力阻止に入る

衆参両院議長は国会法114条、115条に基づき内閣に対し国会への警察官派遣要請。政府は4000人の警察官派遣を指示

4時43分、荒船議運委委員長、議長に「会期延長を要す。その期間は50日間とす」と答申

5時、国民会議緊急動員指令で衆院第一議院会館前に国労、全逓、電通、動力車など公労協を主力とする労組員と全学連などが結集をはじめ集会


5時10分、デモ隊は雨の中、参院面会所から首相官邸までを含んだ国会周辺を渦巻デモゃジグザグデモで気勢

6時、民社党の春日国対委員長らが清瀬議長に議運委採決の白紙撤回を申し入れ。議長は拒否。

6時半、院外のデモ隊は3万人にふくれあがり、国会を包囲。全学連約2000人は徹夜の体制を整える。
《雨が激しく降り続いた。デモの隊列は国会のまわりを何回もまわった。衆院第一議員会館前で何回か院内の情勢が報告された。「右翼暴力団が入り込んでいる。」「警官はすでに地下道で待機中だ」。暗い不安がデモ隊の頭上を走った。そのころ警官は国会構内に3500人が入り、路上には警官隊のトラックがビッシリ並び、その中に黒カッパの警官が詰め込まれていた。この数は構内外合わせて6200人にもなっていた。(「安保闘争」P140)》

8時、清瀬衆院議長は議長室からマイクで「院の秩序を平静に戻すよう」呼びかけ

9時31分、清瀬議長、内閣に警官隊500人の院内導入要請

9時40分、第一議員会館で安保阻止国民会議戦術委員会
    《1.徹夜体制で院内の審議を見守る。
    《2.国会包囲デモを続ける。
    《3.一周ごとに社会党の情勢報告を聞く。
    《4.社会党がデモ隊院内導入を要請したとのデマがあるから統制をとって行動する。

10時、清瀬議長、再びマイクを通じて「警察官の導入による本会議開会もやむを得ない」と通告。

10時25分、小沢委員長は突如委員会を再開。与野党議員入り乱れての乱闘の中で審議打ち切りと採決を強行
《議事録》
《午後10時25分・・小沢委員長−休憩前に・・(発言する者、離籍する者多く議場騒然聴取能)・午後10時27分
《10時25分、衆院本会議予鈴。
《10時35分、衆院本会議本鈴。
《10時40分、警官隊院内到着。
《10時50分、清瀬議長、三度マイクで「道を開けて下さい。開けなければ5分後に警察力を使います」と通告。
《11時5分、 警官隊約500人導入。議長室前を占拠した社会党議員、秘書団をゴボウ抜きにし乱闘となる。
《腕をこじあげ、足を引っ張り頭を抱えてもぎはなす。ボタンが飛ぶ。ワイシャツが裂ける。警官に襲われた同僚の体に必至でしがみつく年輩の闘士。
《老人と若者の悲惨な激闘が続く。民族独立行動隊の歌は、ごうごうと廊下に響きわたった。(安保闘争P133)

《国会内に警官隊が導入されたのは29年6月3日教育二法をめぐって会期が延長された時と、31年6月2日参院本会議における警職法改正審議の時についで3度目。》

《社会党に6人、警官隊に44人の負傷者を出す。》
《足鹿覚(一時人事不省)、下平正一(腹部内出血)、阿部五郎(胸部強打)、大倉精一(右眼出血)、粕正男(左眼出血)》

11時20分、警官隊、議長次室のドアを確保。ドアを蹴り破り通路を開く。

11時49分、衆院本会議開会。清瀬議長、左膝に打撲傷。自民党単独で会期延長を議決。自民党反主流派は欠席。傍聴席には右翼、自民党秘書団が占拠。
《「週間朝日」・・自民党幹部が自民党全議院に兵隊1人ずつを供出するよう命じ、゛俺は殺しを頼まれたことなんか何度もある。務所入りぐらい朝飯前だ゛とドスのきいた声が衆院議長室前の自民党院外団からとんだ。》

1960.5.20
午前零時6分、衆院本会議再開。新安保条約、駐留協定及び関係法案を議決、直ちに参院に送付
《宣伝カ−が集結を呼びかけた。国会裏の道路を埋めたデモ隊に社会党議員が報告した。会期延長が伝わるとデモの隊列がどよめいた。だが新安保条約が強行採決されたことは何故かまだ報告されなかった。「安保も通っちゃったんだぞ!本当のことを言え!」と声が飛んだ。(「安保闘争」P141)》

鈴木衆院事務総長辞表提出

零時半、安保阻止国民会議、各単産代表も含めて戦術会議。解散と座りこみで激論
    《1.原則として午前3時まで座り込む。
    《2.座り込まず帰る組合は各単産の責任で統制をとる。

零時40分、警察庁は警視庁に岸首相の私邸、自民党幹部宅などの厳重警戒を指示

午前3時半、国会包囲のデモ隊約5000人が解散
《デモ隊はやっと立ち上がった。ひときわ激しく「安保粉砕」を叫びながらデモが行く。4列に並ぶとわずか数メ−トルの小集団もいた。しかしデモとデモがすれ違うとき、集団と集団のまなざしはガッチリ結びあい解け合った。(「安保闘争」P143)》

社会党声明
《血迷った自民党岸内閣並びに清瀬衆院議長は、なお会期を1週間余すにもかかわらず警察官を動員して衆院安保特別委員会の質疑打ち切り、50日の大幅会期延長、さらに安保条約の単独採決  を強行した。19日朝来の多数暴力団の計画的配置といい、いまや戦犯岸内閣の権力政治は公然化し、国会の権威は根本から蹂躙された。我々は彼らの一切の取り決めを否認する。彼らの独裁政治に反対し、岸内閣を打倒する。国会の即時解散を要求し、その実現のために戦う。日米安保条約の成立を承認せず、永久にこれを拒否する。我々は平和を求め、議会政治を擁護しようと祈願している全国民とともに最後の勝利まで断固として戦うものである。》

民社党声明。
《わが党は安保問題をめぐり強引に成立を企図する政府自民党と実力阻止をとる社会党の態度から本日の不祥事の起こることを恐れ、先月末再三議長を通じ自社両党の反省を求めてきたが、ついにこのような事態となってことは遺憾だ。さらに議長は自省を失い数百人の警官隊を院内に導入し、強引に会期の延長を強行、一方では安保審議の打ち切りをも強行するという暴挙をあえてした。議会主義は警官隊と多数の暴力によって全く蹂躙された。新安保には反対しながら議会主義を守るため努力してきたわが党もこのような無法な運営には絶対に協力できない。わが党は衆院を解散し総選挙によって新安保に対する国民の意思を問い、政局の一新をはかることを強くうったえる。》

自民党声明
《新安保条約が20日衆院を通過したことはわが国の安全と将来の繁栄を確立する意味で慶賀にたえない。この通過にあたっては社会党は議長を軟禁し空前の暴行をほしいままにし、ついには警察官の派遣を要請するのやむなきに至ったのである。しかし、安保特別委員会並びに本会議はすべて正規の手続きを経たもので有効に成立したことは一点の疑いもない。》

安保阻止国民会議声明。
《岸内閣は野党はもちろん与党内部の反対を無視して新安保条約を承認したが、これは韓国の李承晩と同じ正体を暴露したものである。我々は不法な会期延長は認めないし、民主政治をふみにじった岸内閣の総辞職と国会解散を要求する。このため国民会議は統一行動を強化、労働者のスト、国会に対する大衆動員を組織することを決定した。全国民の共闘を要請する。》

石原国家公安委員長は閣議に9000人の警察官を動員することを報告

安保阻止国民会議は新安保条約単独採決に全国一斉に抗議行動
《国、地方公務員労組の時間内職場大会、民間労組の30分時限ストを指令。》

群馬県で商店約1000件が抗議スト

午前10時、組織されない抗議の人並が国会にデモを始める

正午、総評緊急委員長、書記長会議
    《1.26日に時限スト、時間内30分の職場大会を実施する。
    《2.26日全国の地評、地区労を中心に大集合、抗議デモを行う。
    《3.三池闘争とあわせ全国的に活発なオルグを行う。
    《4.全国の職場で安保批准阻止、内閣総辞職、国会解散の請願署名運動を行い、2000万人の署名を集め国会解散をかちとる。



午後1時半、社会党中央執行委員会
    《1.今後衆参両院を通じ一切の審議を拒否する。
    《2.21日、清瀬議長の辞職勧告を行う。
    《3.新安保条約の議決は無効であることを確認する。
    《4.国会解散、岸内閣打倒、安保体制打破のため院外勢力と呼応して全力をあげる。

午後2時、清瀬議長談。
  《1.警官導入は世論の強い批判を覚悟していたが、正当だと思っている。
  《2.国会が30日くらい空白になっても重要法案を通過させたので政府、自民党は困るまい。
  《3.党首会談を斡旋することは無意味である。

午後3時、労組員約40人が小沢衆院安保特別委員長宅に押し掛けるが夫人に面会を拒否される

自民党三木・松村派総会。河野派総会。安保の強行採決に批判

警視庁、バリケ−ド装甲車を国会前に配置。

安保阻止国民会議のデモ隊約2万8000人が国会デモ。日比谷野外音楽堂で国会解散の国民大会

全学連清水書記長は国会正門前の全学連集会で「首相官邸、自民党本部突入」を指示。
《午後6時20分、国会正門から参院、衆院議員面会所までデモをしてきた全学連約1万人は先頭宣伝カ−の合図とともに首相官邸に殺到。スクラムごと通用門の扉に体当たりし、旗ざお、プラカ−ド、石、木片などを警官隊に投げつける。鉄問上の学生の指揮で突入を図る学生と激しく衝突。6時半、通用門左側の学生が高さ3メ−トルの石塀を乗り越え庭内に乱入。内部の警官隊は警棒を奮って襲いかかり、血みどろになった学生が次々と記者会館方面  から運び出される。学生の後方からはこぶし大の石や旗竿が警官隊にむかって投げられ、警官もこれを投げ返す。
警官隊は正門を開け喚声を上げて打って出るが、学生はスクラムを組んでぶつかる激しい攻防が約15分続き、態勢を立て直した警官隊が学生を挟み撃ちにし、怒号、ガラスの割れる音、喚声の中で救急車のサイレンがけたたましく鳴る。激闘約20分、官邸突入をあきらめた学生達の一部は自民党本部へ。鉄のシャッタ−が堅く閉ざされた正門前で「岸内閣は必ず倒す」とのシュプレヒコ−ルのあと有楽町へ向かう。別の部隊は警視庁玄関前で気勢を上げたのち、数寄屋橋から道路いっぱいに広がって行進。学生達は午後9時過ぎ解散した。》
《このデモで警察側重傷13人、軽傷136人、学生側重傷5人軽傷21人、現場治療多数を出し学生8人が逮捕される。》

午後6時から日比谷野外音楽堂で国民会議主催の国民大会、入場しきれず7時から2回目の大会
《デモ参加者は10万人全学連は2万人が参加。(国民会議調べ)》

新安保反対関西各界上京代表団(小畑忠良団長、関西の文化人ら60人)、藤山外相に国会解散要求書を手渡す

安保問題研究会(全国の学者2000人)声明。
《警官隊の力によって強行採決された新安保は正当に議決されたものとは絶対に認められない。岸政府は国民世論を無視し、民主政治を破壊し、国会の尊厳を踏みにじった責任をとってすぐ辞職すべきである。》

文芸家協会言論表現委員会声明。
《安保新条約が自民党だけの手で衆院を強行通過したことは、同条約が言論表現の自由を侵すものという疑いをますます強くした。(「5月19日」P77)》

岸首相はいったん応じた記者会見を拒否、内閣記者会は「国民に対し所信を明らかにする義務を怠るものである。」との抗議声明


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