60年安保・その激動の軌跡(1)


1958.5.23 山田外務次官、マッカ−サ−駐日大使に藤山外相訪米を申し入れ。
1958.7.3 
参院外務委員会、藤山外相「訪米の際、安保条約も話し合うが新しい軍事的義務は負わない」と答弁。
1958.7.9 藤山外相、マッカ−サ−駐日大使と会談、訪米決定。
1958.8.23 金門島に5万発の砲弾が中国大陸から撃ち込まれる。
1958.8.25 岸首相、藤山外相、マ大使会談。岸首相は「日本側は新条約方式でやりたい」と発言。
《事前に打ち合わせのなかった藤山外相はびっくりした。安保改定交渉の全過程を通じて流れていた「岸・藤山間の微妙な食い違 い」の発端をなすものである。》
1958.8.27 第2次岸内閣発足後初めての日米安保会議。
1958.9.3 藤山外相、訪米。
1958.9.7 ロングブリ−の学生射殺事件。
1958.9.11 藤山外相、ダレス米国務長官と会談。日米共同声明発表。
《藤山外相は、今や1957年6月22日の岸・アイク共同声明で確認された両国関係の新時代ということ に合致するよう、現在の安全保障取り決めを調整する目的でこれを再検討するのが得策であることを指摘した。》
1958.9.28 政府与党首脳会談、藤山外相の報告を了承。
1958.9.29 岸首相記者会見。
《完全な相互防衛は憲法上できないが、日本が自主的な防衛体制をとり、これを完全ならしめることにするのが改定の眼目である。
1958.10.4 第1回安保改定日米交渉。新条約方式を確認。
1958.10.8 警職法改正案衆議院上程。国会審議ストップ。
【警察官は生命身体、財産に危険が及ぶと認められる場合だけでなく、公共の秩序と安全を乱す恐れありと認定すれば、その行為を制止できる。(第5条)
1958.10.11 社会党政策審議会、国際局、国民運動委員会合同会議、安保改定は軍事同盟だとの見解をまとめる。
1958.10.13 警職法改悪反対国民会議結成。社会党、総評、全労、中立労連、新産別、全日農、護憲連合を母体に文化団体、 婦人団体など66団体。
1958.10.18 警職法改悪反対国民会議、約5000人が国会集団陳情。
1958.10.22 第2回安保改定日米交渉。米側「条約適用範囲を西太平洋とすることが望ましい」との意向。
1958.10.23 警職法反対文化人懇談会結成。全国に「それぞれの立場から反対の声をあげよう」とアピ−ル。
   《 代表世話人・中野好夫、中島健三、久野収。
1958.10.25 警職法改悪反対国民会議、全国30都道府県で約60万人が参加し集会、デモ。
1958.10.28 生活と権利を守る国民中央集会、約8万人が参加。
1958.11.1 警職法反対文化人懇談会、新橋ステ−ジで演説会。
1958.11.4 参院予算委員会、岸首相「西太平洋を防衛地域に入れることは考えない。沖縄、小笠原は慎重に決める。」と答弁。

警職法をめぐり政府自民党は会期30日延長を強行採決。
1958.11.5 警職法改悪反対国民会議全国統一行動。
《主要幹線で旅客37本、電車117本、貨物40本が運休。》
《炭労24時間スト、全逓、全電通、日教組、私鉄都市交通、機関車労組、合化、全鉱、全金属などが時限ス ト または職場大会 》
《全労傘下の海員組合2時間作業拒否。》
《全国で約400万人が参加。(国民会議調べ)

《全学連約4000人は早朝から各国鉄機関区、駅に座りこみ。東京駅では「特急こだま」の発車を阻止。》
《午後から全学連約2500人が国会デモ、夕刻から労組員約5000人が国会正門前で「不当国会会期延長 反対総決起大会」》
1958.11.7 警職法改悪反対国民会議に結集する165団体が会期延長無効声明発表。
1958.11.15 警職法改悪反対国民会議、全国主要都市で「民主主義を守る国民大集会」開催。警職法改悪粉砕、民主主義擁護、 国会解散を決議。
   《共闘組織は500に達し、反対の意志表示をした団体は529団体に及ぶ。》
1958.11.19 中国の陳毅外交部長、日米安保改定に警告。
1958.11.20 総評、警職法改悪反対のため、加盟全単産に一斉抗議行動準備指令。
1958.11.22 岸首相、鈴木社会党委員長会談、警職法審議未了、国会正常化で一致。
1958.11.25 三木国務相、閣議で発言。
《国民は疑惑の目で改定を見つめている。政府はこの疑惑を解くために改定が軍事的提携の強化をはかるものではないことや防 衛範囲を 拡大するものでないことを周知徹底すべきだ。》
1958.11.28 社会党、警職法改悪反対国民会議幹事会に「平和と民主主義を守る国民会議」への改組を提案。共産党の処遇をめぐって全労 、新産別は反対、中立労連は現状維持を主張。
1958.12.3 岸・藤山会談。
《沖縄・小笠原を条約区域に入れないかわりに、日本は在日米軍が攻撃を受けた場合は、これを自国への危険 と認め米国と共 同防衛措置をとることで一致。
1959.2.18 政府与党首脳会議、藤山外相「私案」を説明。
   1.沖縄・小笠原は条約区域に含めない。区域は日本政府の施政権の及ぶ範囲に限る。
   2.米軍の日本防衛義務を明確化する。そのかわり日本は在日米軍に対する武力攻撃には共同防衛の義務を負う。
   3. 在日米軍の使用、配備、装備などは日米間の協議事項とする。とくに在日米軍の国外使用の際は事前協議事項とする。
   4.期限は一応10年としたいがまだ合意していない。
   5.その他現行条約の不備不合理を是正する。(「安保闘争」P42)
1959.2.28 総評、原水協、護憲連合、日中国交回復国民会議、全国基地連主催「安保体制打破、日中国交回復国民大会」開催、約2万人 が参加。
   《この5団体は警職法反対国民会議とは別に安保阻止のカンパニア組織をつくることを決める。》
1959.3.23 安保改定に関する文化人懇談会初会合。
  《代表世話人・清水幾太郎、青野季吉、上原専禄、南博、務台理作、末川博、日高六郎、石母田正。》
1959.3.28 安保改定阻止国民会議結成。
【幹事団体】・社会党、総評、中立労連、護憲連合、全国基地連、原水協、日中国交回復国民会議、日中友好協会、平和委員会、 全日農、人権を守る婦人協議会、青年学生共闘会議、平和と民主主義を守る東京共闘会議。
      《結成当時の参加団体は134。》
      《事務局は参院議員面会所3階、電話2台、アルバイト2人。》
      《各地域共闘組織は34年6月79、34年10月616、34年12月908、35年3月1633、35年6月約2000。》
      《オブザ−バ−・共産党
1959.3.30 東京地裁、「米軍駐留は違憲」との伊達判決。
1959.4.13 藤山・マック会談。以後22回に及ぶ会談が行われる。
1959.4.16 安保改定阻止国民会議第1次統一行動。
    《東京で約100台のトラック、宣伝カ−がパレ−ド。》
    《日比谷で「砂川判決支持、安保体制打破中央集会」、約7000人が参加。》
    《全学連約400人が首相官邸前に座りこみ。》
1959.4.29 日比谷公園で「東京青年婦人学生総決起大会」、約3000人が参加、チョウチンデモ。
1959.5.8 藤山・マック会談。条約改正の問題点は大筋決まる。
1959.5.15 日比谷で「安保阻止学生総決起大会」、約6000人参加、新橋へデモ。
1959.5.16 安保改定阻止国民会議第2次統一行動。
1959.5.23 藤山・マック会談。行政協定改定交渉に入る。
1959.6.8 総評幹事会、「8月6日に実力行使」を行うことを決定。
1959.6.16 安保改定阻止国民会議第1回全国代表者会議、7月調印に対する運動を組むことを決定。
1959.6.17 藤山・マック会談。新条約草案がほぼできあがる。
1959.6.25 安保改定阻止国民会議第3次統一行動。
   《炭労の24時間ストを初め、総評、中立労連傘下組合が時間内職場大会や時限スト。》
   《約3万人が日比谷へ求心デモ。全学連1300人が集会・デモ。《
   《東大で破防法以来の全学学生集会。
1959.6.30 安保阻止国民会議の共闘組織は岩手、山形、徳島を除き全国の都道府県に及ぶ。
1959.7.6 全労、安保改定阻止国民会議に参加しないことを決定。
1959.7.20 芝公園で「安保改定に反対する母と娘の大行進」、約1000人が日比谷までチョウチンデモ。

安保問題文化人懇談会を中心に「安保問題研究会」結成。全国に遊説開始。
1959.7.25 安保改定阻止国民会議第4次統一行動。
    《「安保改定の意味を国民の中へ」。全国700カ所で集会。》

右翼団体、総評本部へ押し掛ける。
1959.8.6 安保改定阻止国民会議第5次統一行動。
    《総評・中立労連傘下組合50単産で時間内外職場大会。全国で約100万人が参加。》
    《小石川運動場で約4万人が集会・デモ。》
1959.8.21 安保改定阻止国民会議幹事会。
    《共闘組織の末端への拡大につとめ、秋の臨時国会に向け交渉打ち切りと国会解散の強力な闘争を組む。》
1959.9.8 安保改定阻止国民会議第6次統一行動。
    《総評傘下21単産で時限スト、職場大会。全国300カ所で約150万人が集会・デモ。》
    《砂川町で「伊達判決支持決起大会」、約5000人が参加。》
1959.9.16 安保改定阻止国民会議第2回全国代表者会議。
   
《1.9月までに全市町村単位に共闘組織を結成するため、県共闘が精力的オルグをする。》
    《2.10,
11月の統一行動を労働者の実力行使を核として前進させ、岸内閣に決定的打撃を与える。》
    《3.安保改定調印を絶対に許さない国民的総抵抗の統一戦線を強化する。》
1959.10.7 安保問題研究会、藤山外相に公開質問状提出。
1959.10.20 安保改定阻止国民会議第7次統一行動。
    《炭労24時間ストを初め総評傘下労組が勤務時間内外職場大会。》
1959.10.21 自民党両院議員総会、安保改定をめぐる党内調整終わる。
1959.10.26 四谷外濠公園で「安保改定阻止、炭労合理化反対、秋闘中央総決起大会」、約3万人が参加、国会周辺デモ。
1959.10.30 安保改定阻止全国学生統一行動。日比谷に約4200人が参加。浅沼社会党書記長、米原共産党中央委員、水口国民会議事務局長らが挨拶、夜にも約3000人が集会・デモ。
1959.11.9 安保批判の会創立総会。
    【常任世話人】石川達三、三宅艶子、亀井勝一郎、中島健三、松岡洋子、江藤淳、滝沢修、小林雄一、吉野源三郎。
1959.11.13 国会正門前で「安保改定交渉打ち切り要求集会」、約3000人が参加。
1959.11.16 参院予算委で藤山外相「日本の安全を守るために米軍としては中国、ソ連の奥地まで行動せざるを得ないと答弁。
1959.11.17 自民党、「極東の範囲」で統一見解。
《新条約の目的は日本の安全及び極東の平和および安全の維持に貢献することにあり、米軍の行動はかかる目的によって限定を受ける。米軍の行動範囲は直接地域的な面から制限されているわけではないが、条約の基本精神及び目的から限定されている。以上の点からして米軍の行動も自ずからおおむねこの極東の地域内でとられることになる。 》
1959.11.22 藤山・マック会談。1月調印決定。
1959.11.25 安保批判の会、自動車パレ−ド。
1959.11.27 自民党、暁の国会でベトナム賠償協定を強行議決。
《「ニワトリ三羽に200億円」》

「安保改定阻止第八次全国統一行動」
《労働組合の実力行使と各都道府県での大衆集会を二本の柱とし、全国的にデモを中心とする強力な大衆動員。》
《東京では午後2時から労組員、民主団体、全学連など8万人から11万人を動員して、一人一人が「安改定交渉即時打ち切り」を中心に「ベトナム賠償反対」「日中国交回復」「水害対策促進」などの諸要求を請願書として持ち寄り国会に請願する゛大衆陳情 ゛を行うのをはじめ、全国各所では、650の地区共闘会議を中心に各地方庁所在地で総決起大会、デモを行うことになっており、昨年の警職法反対闘争を上回る大規模な大衆動員が行われるとみられる。》
  
《各民間単産では炭労の24時間スト、全国金属、全日通、全印総連などの時限ストをはじめ、私鉄総連、鉄鋼労連などが時間内にくいこむ職場大会を行う。また官公労の全逓、国鉄なども時間内にくいこむ職場大会、日教組の午後3時授業打ち切りなど30単産が実力を行使する。》
《企業整備反対闘争中の炭労が大手14社(三井、三菱、北炭、住友、古河、雄別、明治、太平洋、日炭、日鉄、杵島、貝島、大正、宇部)で一斉に24時間スト。》
《全鉱、全国金属、全日通、全印総連が1−2時間の時限スト。》
《官公労の全逓、国鉄などが一部勤務時間内にくいこむ職場大会を行うなど約20単産で実力行使。》
《全逓東京地方本部では、玉川、豊島、羽田空港各郵便局と東京郵政局の4つの職場で勤務時間内に30分くいこむ職場大会。東京郵政局では午前8時半から正門前に組合員300人、東京地評労組合員100人計400人がピケを張り、出勤した250人の職員の入門を阻止。このため警視庁では丸の内署員、機動隊員計270人を出動させ、8時45分実力行使して、ピケ隊を排除、職員を入門させた。組合員は荘同郵政局長に対し、「非常勤職員の定員化」を求めて集団交渉を申し入れたが拒否されたため、正門前から国電ガ−ド下にかけてジグザグ・デモを行い、9時40分、近くの常盤公園で解散。》
《全逓信越地本は長野県評労組員と協力、朝8時から長野郵政局前でピケ、9時から総決起大会を開いたあと、局内で並木同局長に「全逓の団交再会」を求めて集団交渉を申し入れたが拒否され、局長室付近で局側職員ともみ合いとなり、高村技術課長ら4人が手、首などに軽傷、組合側も内田長野支部情宣部長が左手に2週間のケガをしたほか、ガラス十数枚が割れた。このため10時半すぎ150人の警官隊が出動、労組員は局外に退去して局前広場で気勢を上げ、11時すぎ解散した。》
《年間臨時給与の一括支給を要求してストライキ中の国際電電では、前夜から東京本社に泊まり込んでいた労組員など200人が朝9時ごろから本社ビル2階で労働歌を歌って気勢を上げた。このため公社側は10時10分警官隊の出動を要請、丸の内署員、警視庁第五機動隊など100人が同ビル1階に入って待機したところ、労組側は10時35分すわり込みを解いた。》
《九州地区では、三池など九炭労大手10社28支部(8万5000人)、東洋高圧、三池合成がそれぞれ24時間スト。国鉄など官公労が正午の休憩時間をはさみ30分から1時間の職場集会。全駐労、西鉄、全自労、八幡製鉄、合化労連、全港湾などもそれぞれ勤務時間内1時間の職場大会。》
《北海道では全道労加盟主要単産のスト、職場大会。》

《全学連では北大、岩手大、金沢大、富山大、群馬大、千葉大、静岡大、岐阜大、京大宇治分校、奈良女子大、大   阪府立大、広島大、九大、大分大、熊本大、東大(文、医、理学部スト、法、経、工学部は授業放棄)、都立大、お茶の水女子大、早大第二文学部などが学内ストや授業放棄。《
《九大では4学部の学生3000人が学内集会を開いたあと、警団公園で福岡市内3大学生デモ隊と合流、午後3時からの総評九州ブロック拠点闘争会議主催の総決起大会に参加。》

《全国39都道府県、約650ヶ所で約350万人(総評調べ)が大規模な総決起集会やデモに参加。》

東京では午後2時から労組員、全学連など8万人(国民会議発表)が「安保改定反対、ベトナム賠償反対」を国会に大衆陳情し、゛史上空前 ゛といわれる国会デモを行った。
《集団陳情隊は霞ヶ関チャペルセンター前、特許庁前、農林省前の三カ所に集合、浅沼社会党書記長が総指揮をとり、岩井総評事務局長が行動指揮をして3時半ごろから国会に向けて行動を起こした。
この国会陳情を阻止しようとした警視庁は庁内に「警戒本部」ほ設けるとともに、機動隊、管内全署から署員約6500人を動員し、国会正門前はチャペルセンター入り口、南通用門は人事院ビル横、首相官邸前道路はグランドホテル前にそれぞれ装甲車やトラックを並べて警戒線を設けた。
チャペルセンター前道路に勢揃いした東京都労連、全学連など約2万人は浅沼書記長、野坂共産党中央委議長らの「青年の血をアメリカに売り渡す安保条約を破棄せよ」「一人一人が請願書をもって岸に合おう」などの激励演説を受けた後、4時ごろから、全学連学生を先頭に「国会へ」を合い言葉に警戒線の突破が始まった。先頭には東大、早大などの全学連と全金属の青年労働者がいた。警官隊はスピーカーで「デモは許可されていないから解散してください」と呼びかけたが、陳情団は歩道にピケを張った警官隊のわずかなスキを押し破って警官隊を押し戻したため怒号と喚声の乱闘状態、双方とも次々と負傷者が出て待機中の救急車に運び込まれた。》

       


《4時すぎからトラックを乗り越え、各方面の警戒線を突破したデモ隊が続々と正門前に押し寄せ、約2万6000人(警視庁調べ)が国会をとりまき、約300人が正門を押し破って構内になだれ込んだ。残ったデモ隊はなお30分ほど労働歌を歌い赤旗やプラカードを打ち振って気勢をあげていたが、4時50分再び正門を破った都労連など約2万人が全学連を先頭に議事堂玄関をめがけてなだれ込み、ぴたりと閉ざされた玄関扉の前で激しい渦巻デモをおこなうすさまじさで、待機した警官隊もただ茫然として見守るばかり、玄関前一帯は赤旗とプラカードの波で埋められた。白亜の殿堂は赤旗に彩られた。怒号、絶叫、インターの歌声。玄関といわず、正面階段といわず、正門から前庭、ぐめり一帯を埋め尽くした陳情団のすさまじいどよめきは夕暮れの冷たい空気を圧し去った。白煙を吹き上げる映画班のフライヤーに照らし出されて、デモ隊の頭や赤旗の波が玄関の柱に大きく踊っている。》



《この゛東洋一゛の議事堂は一時、まるで革命前夜といった興奮に包まれた。しかし、構内をデモっていた陳情団は国会内にもなだれ込まんばかりの空気になったため、5時ごろ岩井事務局長、社会党の赤松勇氏、共産党の神山茂夫氏がマイクで「安保改定反対闘争は今後も一段と強めねばならないが、この事態を一応収拾するため防衛庁方面へ流れ解散する」と訴えたが、「このままさがれるか!」と激しいヤジが飛び、岩井事務局長の声も消されがち。東京地評議長岡本互太郎氏の音頭で万歳三唱すると、流れ解散反対の全学連の学生2,3人がつめより車の窓ガラスをたたき割った。「流れ解散」にあくまでも反対した全学連、全国金属、全農林など約5000人は引き続き議事堂正面玄関付近に居残り、十数回のジグザグ・デモを行い゛安保粉砕゛のシュプレヒコールを続けて気勢をあげた。このため5時40分浅沼書記長ら20人の社会党議員が全学連のマイクをかりて「院内には140人の議員が体をはって戦っている。今日のところは私達に任せて流れ解散に協力してくれ」と説得、学生達から一部反対の声もあったが結局これを入れて6時すぎようやく国会正門を出始めた。全学連の主力2500人はこのあと防衛庁までデモ行進し7時に夜学連の学生約1200人と合流、8時ごろ約1500人が再び国会めざしてデモ行進し、国会正門前付近で待機していた一部武装した機動隊員500人と小競り合いになったが、9時ごろまでに人事院ビルまで後退させられ、結局農林省わきから新橋駅までデモ行進して9時半ごろ解散した。》

《国会構内にデモ隊がなだれ込み、大量の赤旗で埋まったことは国会始まって以来のことである。また、警官隊と陳情団との間のもみ合いや小競り合いで、陳情団側に入院5人、軽傷200人(総評調べ)、警官側は入院7人、軽傷227人(警視庁調べ)を出し、学生1人が検挙された。》

《5時50分、加藤衆議院議長は荒船議運委員長と国会デモの収拾策について協議。》

《6時、議院運営委員会緊急理事会。加藤衆院議長、椎名官房長官、川島自民党幹事長、石井総務会長らも同席、加藤議長「有史以来の悲しむべきことであり、一身をとして民主主義を守る」。自、社ク両派から社会党国会議員の責任追及。》

7時、安保改定阻止国民会議闘争宣言
《「国会に対して正当な権利を行使したわれわれの闘いに対して、政府は警察力を総動員して弾圧を加え、多くの負傷者さえ出した。われわれの闘いに弾圧をもってこたえた政府、自民党に対して心からの憤りをもって、さらに力を強め闘いに立ち上がることを誓う。われわれは12月10日の第九次統一行動には交渉即時打ち切り、調印阻止をかちとるために全国のあらゆる町から村から国民総抵抗の闘争を進めることを宣言する。」》

8時、松野参議院議長声明
「議会政治、民主政治の破壊行為であり、このような不祥事を防止するため適切な措置をとるべきだ。」

9時20分、加藤衆院議長声明
《「わが議会史上いまだかってない反憲法的行動である。国民諸君も今時の事態をよく理解し、議会政治擁護と確立のため協力されんことを望む。」》

岩井総評事務局長談
《こんどの国会請願の騒ぎは、請願権という国民の権利を警察権力によって押さえつけようとしたところに根本的な問題がある。ことにいつもは厳重に警備している国会正門前の警備が手薄だったのは不思議だ。これは政府自民党に事件を契機に事を大きくしようとする意図があったのではないかと疑われる。われわれの側としても反省すべき点がある。挑発があったとしても、国会構内に入ったあとの行動について、主催団体の安保改定阻止国民会議が解散を決め、事態の収拾を計ろうとしているのに,一部とくに学生諸君がその統制に従わなかったのは、今後の大きな問題だと思う。右翼がデモ隊のなかに車を突っ込んできたことも問題だ。政府、自民党はかねてからねらっていたデモ禁止法などを出してくる可能性があるが、国民の権利をせばめるこのような措置には総評は全力をあげて戦う。》

《宮城県労評主催の安保改定反対第八次統一行動でチョウチンデモ隊約5000人が仙台駅前道路でジグザグデモを行ったさい、8時10分ごろ、最後部にいたデモ隊と仙台北署員約100人が衝突、宮城県民間労連書記、東北大教養学部2年の2人が公務執行妨害と暴行罪、労連山文支部員が公務執行妨害で逮捕された。》

《この日の統一行動は大阪で5コ−スに分かれ約4万人が求心デモ、京都円山公園で学者、映画演劇、宗教人まで含む約5000が集会・デモ、このほか関西地区の集会参加者は8万人、東海・北陸では67カ所8万6000人、中・四国1万4000人、東北5万4000人が集会・デモに参加した。また全学連は全国121自治会、18万人が参加したと発表した。(「安保闘争」P60)》
1959.11.28 警視庁公安一課は午前6時35分、東京都文京区金助町20の全学連書記局事務所と四幹部の自宅を急襲、都公安条例違反の疑いで家宅捜査し、秘密指令文書など証拠書類多数を押収、全学連副委員長(21)(早大政経3年)、都学連委員長(22)(東大法3年)、同書記長(29)(早大夜間文3年)の3人が逮捕された。
《K副委員長は友人2人と寝ていた。「なんども呼んだがなかなか起きてこなかったね」といわれ「疲れたからね」とボソリ。「机の中を調べたきゃ勝手に調べればいいさ」とふてくされていたが、やがて背広を着込み「今朝は何度だろう」「寒い、寒い」を連発しながらおとなしくひかれていった。全学連書記長(22(東大経4年)は不在のため、同課で捜査中。今後の捜査の進展によっては、建造物不法侵入罪、公務執行妨害罪、傷害罪などで書記局幹部ばかりでなく、各自治会にも摘発のメスが及ぶものとみられる。》

社会党は午前9時半から国会対策委員会。
《問題が今後の院外の大衆運動の進め方に重大な関係があり、国会内外にまたがる問題だとして、結論を出すことを避ける。》

自民党は午前11時から椎名官房長官を交え七役会議。
    《1.30日に衆議院本会議を開き、緊急質問を行う。》
    《2.国会乱入を先導した議員は懲罰委に付すべきものと認む。》
    《3.国会及び裁判所周辺のデモ取締法制定の必要を認む。》

社会クラブは午前の国会対策委員会で協議。
    《1.暴徒をひきいて国会に乱入した総指揮者の浅沼社会党書記長の責任を追求する。》
    《2.大衆運動を法によって規制することには原則として反対。》
    《3.今回の計画的デモに対し事前に適切な措置をとらなかった衆参両院議長は辞任すべきである。》

警視庁公安部は午後9時50分、総評本部、東京地評、全国金属労組本部を都公安条例違反の疑いで家宅捜査。
《総評本部が家宅捜索を受けたのは24年に総評が結成されて以来はじめてのことである。》

午後5時36分から衆議院議運委員会開催。
《山野警務部長・・集団陳情の場合は集団陳情取り締まり要領により、平穏な時は30人までの代表を構内に入れることになっているが、今回構内に入ったのは9000人(うち学生3000人)で2時間半にわたりあらゆる不規則行為を行った。衆院は午後4時すぎ、常時派遣52人のほか3000人の警官増員を要請した。》
《山村新治郎(自)・・デモ隊の先頭を切った国会議員はだれか。》
《山野部長・・・・私が確認していないので申し上げられない。》
《三和精一(自)・中央門の扉を開けたのはだれか。》
《山野部長・・・・若干の議員が衛視にあけろと命じ、その議員のあとに30人の陳情団がまず入った。その直後デモ隊が押し寄せて門を破壊して乱入したと報告を受けている。》
《(松沢雄蔵(自)から出席していた小林進(社)の退場提案があり、未結論のまま会議続行)》
《天野公議(自)・山野部長が十分な報告を行わないのは職務怠慢ではないか。》
《山野部長・・・・ニュ−スもテレビも見ていない。申し訳ない。》
《荒船委員長・・・私は社会党議員が赤だすきで正面玄関において指揮するのを見た。》
《山野部長・・・・私は見ていないし報告は受けていない。(自民側騒然)《
《(荒船委員長、現場にいた衛視の出席を要求)》
《山野部長・・・・外にいた衛視は全部それを見ていたそうである。》
《鍛冶良作(自)・部下の報告を信用しないのか。》
《山野部長・・・・信頼しているが議員の名前は慎重に扱いたい。しかし、報告は自分の責任において認めている。》
《下平正一(社)・国会議員が現実にデモ隊の指揮に当たったのは確認しているのか。》
《山野部長・・・・そういうことがあったように報告をうけている。》
《佐々木盛雄(自)・・議長、副議長はどういう措置をとったか。またどう考えるか。》
《加藤議長・・・・国会の権威を保つため万全の措置をとった。デモ隊を外に出すことについては一部議員が「責任をもって退散させる」との申し入れがあったので、これを認めた。流血の惨事をみなかったのはよかったと思う。》
《佐々木盛雄・・・一部議員とは誰か。》
《加藤議長・・・・いちいち覚えていないが、粕正男社会党議員らである。》
《池田禎治(社ク)・・議長自らデモ隊の退去を命ずべきでないか。正副議長は辞任して責任を問え。》
《加藤議長・・・・警察力を使うより、ああした方法をとった方が最善の策と思った。》
《池田禎治・・・・議長はデモ隊を導入した議員に職権をもって措置を講ずる決意があるか。》
《加藤議長・・・・正確な資料にもとづいて慎重にやりたい。》
《池田禎治・・・・先導した議員も全て国会から去らせるのが真の民主主義だ。》
《加藤議長・・・・議長職権で懲罰委にかけることもありうる。》
《佐々木盛雄・・・陳情代表との会見のいきさつはどのようであったか。》
《正木副議長・・・粕正男氏ほか1名がみえ「面会所に陳情団代表が来ている。会ってくれれば責任をもっデモ隊を退去させる」というので私が会いにいった。そして代表に「退去を約束するなら陳情を聞こう」と述べたところ、代表は「陳情の主旨を議長に伝達するなら」と了承したので陳情を聞いた。》
《佐々木盛雄・・・デモ隊が乱入しているときに周囲の威圧を受ける中で陳情を受けるがごときは言語道断、不見識である。》
《正木副議長・・・会った場所は議員の面会室であり、代表は静粛であり強要されたのではない。》
《佐々木盛雄・・・面会に正式な手続きを踏んできたのか。》
《荒船委員長・・・午後5時ごろデモ隊が乱入し、正副をもって退去させるべきだと思った。その際粕氏から提案があったので議長室での面会を避け、議長から副議長に対して面会依頼をした。陳情書を受け取ったことは軽率であった。》
《柳田秀一(社)・27日のデモは安保改定阻止国民会議が主体である。われわれは収拾に努力した。(自民騒然)》
《山村新治郎・・・その発言は憤慨に耐えない。社会党に全責任があることは周知の事実ではないか。会ってくれれば退去する、という社会党の提案はデモ隊のゆすり、たかりに等しい。副議長は議長から陳情書を受け取ってこいと頼まれたのか。》
《正木副議長・・・はっきりとは頼まれぬが、受け取ってさしつかないと認定した。
        (長谷川(自)からニュ−ス映画をとるべきだとの提案があり、7時35分秘密会に入る)》
   (7時42分秘密会を解く)
《山村新治郎・・・先導議員の懲罰を議長は必ずやるか。》
《加藤議長・・・・正確な資料にもとづき慎重に検討し、事実があれば善処する。》
        
《議運委は衆院本会議での緊急質問に社会党の質問を許さないことを多数決で決める。》

緑風会声明
《27日夕の不祥事はまことに言語道断である。とくに国会議員が先頭に立ち、陳情にせよデモ隊を導入した ことは国会議員の職責を逸脱した行為で責任重大である。両院共同の調査委員会を設け国会構内の警察問題、 国会周辺デモ禁止の有無、集団大衆行動と国会議員の民主主義秩序を破壊するあらゆる行動の取り扱い問題、 デモ隊を誘導した議員の責任問題などを徹底的に究明すべきである。》

川島自民党幹事長談
《デモ取締法については直ちに党で案文を作成し、できれば今国会に提出したい。最近各地方裁判所でデモ隊の圧力によって公正な裁判が出来ない事例があり、裁判所を禁止の対象に加えたが、これ以上範囲を拡大することは考えていない。》

安保改定阻止国民会議は、午前10時から参議院別館で幹事会。
《「弾圧対策小委員会」を設置し、今後の弾圧に対処する。》
《当日の指導体制に若干遺憾なてんがあったが、陳情の成果を確認し、国民総抵抗闘争宣言の線にそって第九次   統一行動を盛り上げる。》

社会党は、午前11時半から中央執行委員会。
   《1.院外の事態について浅沼書記長らを懲罰の対象としようとする自民党の動きは不当であり、党は全力をあげて戦う。》
   《2.自民党は安保改定反対運動を「破壊的行為」と宣伝し、デモ取締法制定のきっかけにしようとしているが、これには反対する。》
   《3.党は予定通り第九、十次統一行動及び安保改定のための岸首相の渡米反対運動を進める。》
   《4.運動は一部はねあがり分子を排除して行う。》

社会党は安保改定阻止国民会議に全学連排除の申入書を手交。
《われわれは事態を厳重に検討し、その反省のうえに立って安保改定阻止国民会議を一層強化する決意である。当面、国民会議主催の統一行動については統制を厳にし、幹事会の指示に従わなかった全学連の離脱を求める。今後、党は秩序ある学生運動の再組織に努力する。》
1959.11.29 午前零時10分、総評在京幹事団声明
《岸自民党政府は28日午後10時、違憲判決の公安条例をタテにわれわれの合法的国会請願に対し総評本部に家宅捜索の暴挙をあえてした。この暴挙は安保改定という軍事的コ−スを貫くためのファッショ的弾圧であることは明白だ。われわれはこの暴挙に対し、つぎのように態度を明らかにする。》
《1.岸自民党政府は戦後いくたの弾圧を職場の労働者、全国民に加えてきた。これらの弾圧は労働者階級の最高機関に対する不当弾圧となって現れた。これは安保改定に自信を失った彼らのあせりと動揺を示すものである。》
《2.われわれの紳士的で正々堂々とした応答に対し30数人の私服警官、40数人の制服警官は戦前の特高のような態度で押し入った。こんどの暴挙はそのまま安保改定の本質をむき出しにしたものだ。》
《3.またたんに証拠物件を捜索するのではなく、その背景には思想的、政治的攻撃がある。いかなる弾圧にも屈せず、日本の民主主義と平和を守るため全労働者階級は勇気と確信をもって戦う。


全学連は非常事態におかれているとの認識にたって、全国の中央執行委員を至急東京に呼び寄せる。
    
【スケジュ−ル】
     《29日.全国の各大学寮で寮生大会を開く。》
     《30日.警視庁へデモ。》
     《12月1日.東大、教育大、お茶の水大を中心に授業放棄などを行い国会、警視庁へデモ。》
     《10日.安保改定阻止第九次行動には組織をあげて労働者のストを支援する。


共産党、「全学連の極左冒険主義的なトロツキストはその挑発的行動で統一行動を乱した」と非難。
1959.11.30 早稲田大学構内で警官軟禁
《午前1時15分ごろ、戸塚署戸塚一丁目交番鈴木章介巡査(22)が早稲田大学10号館理工学部付近を警ら中、警察当局の手入れを警戒して構内をパトロ−ルしていた学生約50人に取り囲まれ、制服の片ソデをちぎられこずきまわされた末、警察手帳の提示を求めてつるし上げられた。知らせで浜田教務課長、村井理事、中島第一商学部長らが登校、4時本部会議室で学生代表4人と話し合いを始めたが、「学内の管理は大学側にある」とする村井   理事と「鈴木巡査の謝罪を要求する」学生側の意見が対立。5時半ごろ大学側はあらかじめ呼んでいた赤木戸塚署長ら署員4人を会議室にいれ鈴木巡査を救出しようとしたが、オブザ−バ−として会場に入っていた学生約100人ともみ合いとなった。戸塚署は事態を重視、署員50人と第三、第四機動隊二個中隊200人を正門前に動員、このため学生側が態度ほ硬化させ緊迫した様相となった。第二の早大事件の発生を恐れた大学側は、》
       《1.1日午前10時大学側と自治会の話し合いをする。》
       《2.学生から警察への要望があり学校側が適当と認めれば警察側へ連絡する。》
       《3.警察側も学校側の要望があればいつでも方針を明らかにする。》
と確約し、6時半、鈴木巡査は戸塚署へ還った。学生達は警官隊が去ったあと、正門前でスクラムを組み、インターなどを高唱して気勢をあげた。

赤木戸塚署長
   《鈴木巡査の軟禁については公務執行妨害について考える。》

鈴木巡査
《暗闇の中で懐中電灯で目だけ照らされてこずきまわされた。お互い興奮しそうな雰囲気だったのでなるべく黙って   いた。先生が見えるまではどうなることかと恐かった。》

椎名官房長官記者会見
《1万、2万といった大衆がデモをかけるという形の集団陳情は認めるべきではない。政府としては自民党から要望がありしだい国会および裁判所周辺のデモを規制するための立法措置に着手したい。》
東大、早大、教育大、お茶の水女子大など全学連約350人は午後2時すぎから日比谷公園内で「不当弾圧反対」「安保改定阻止」の集会を開き、警官隊の警備の裏をかいて、日比谷公園前から都電に分乗、1区間の警視庁前桜田門停留所で下車。安全地帯に勢揃いしたうえ声をそろえて三幹部の即時釈放を要求しながらスクラムを組んで警官隊の中に突入した。警官隊は学生を上回る数で学生ほ包囲、道路をへだてた東京地裁側へ押し返したが、双方とも殺気だち、怒号が入り乱れ、激しいもみ合いが続いた。この衝突で読売新聞カメラマンが負傷したのを初め、第三機動隊田端端徳小隊長ら警察側6人、学生数人がケガをした。学生側は日比谷公園付近まで押し返され有楽町駅構内で気勢を上げ5時半解散した。

衆参両議院で国会乱入事件に対する緊急質問
《岸首相・・27日の「国会不法占拠」は国民が等しく憂慮している。民主政治を守るため一切の暴力を排除するよう努めてきた。国会周辺のデモを取り締まり、真に民主政治における国会運営ができることを念じてやまない。》
《石原国家公安委員長・・チャペルセンタ−前の集会の総指揮者は浅沼氏であり、このほか陳情責任者として江田三郎、山花秀雄、赤松勇氏が指揮にあたっていた。8万人という人員と国民会議の行動は事前にわかっており、一部過激なものの行動は予測していたが、社会党の幹部が出るとは思わなかった。》

警視庁公安部は午後5時35分、都労連本部を都公安条例違反の疑いで家宅捜索。
《都労連は27日当日参加団体で最高の都教組、東交、都職労など傘下組合員8000人を動員、チャペルセンタ−前から無届デモを強行、国会構内に突入した。》

全日本学生連盟主催の「安保改定促進学生総決起大会」が新橋駅前ステ−ジで開かれ、中央、法政、日本、学習院、東洋大学生約100人が参加。
1959.12.1 警視庁公安部は午前6時、都学連組織部長(21)(東大文3年)、東大法学部緑会委員長(23)(東大法4年)自宅を都公安条例違反で家宅捜索。林を逮捕した。葉山は当局の逮捕をキャッチした緑会員が守って東大構内にかくまわれているため、張り込みを続けている。

警視庁公安一課は午前11時、共産主義者同盟書記局を都公安条例違反で家宅捜索。

《警視庁公安部は国会構内乱入事件を「建造物進入事件」として追及する方針を固め、学生、労組員など構内になだれ込んだもののなかから3、40人を逮捕することを決めた。》

全学連は東京大学教養学部自治会室で20人の委員を集め第八回中央執行委員会を開催、声明を発表。
    《1.れわれは弁解しない。11月27日の成果を生かしさらに支配階級に一撃をくわえる。》
    《2.総評、社会、共産両党は動揺し、われわれを安保阻止国民会議から除名しようとしているが、それは無駄な試みに終わるだろう。《
    《3.デモ規制法に対しては徹底的に戦い、12月10日は前回を上回る勢力で国会を再包囲する。》
    《4.中央委員が何人捕まっても抗議デモなどで戦い、幹部全員が捕まれば新たに第二、第三の委員を選ぶ。》

全学連の唐牛委員長、清水書記長が記者会見し、12月10日の戦術を発表。
《1.全学連は東京地評が10日の統一デモで7万人を動員するのに合流して、全国から2万人が参加する。このデモに社会、共産党などから切り崩しの手がのびているが、もし、地評が国会デモに参加しなかった場合、全学連は独自で行う。》
《2.統一デモには東京周辺の大学は9日から授業放棄ストを行い、夜行列車で上京して統一行動に参加する。全国各大学からも自治会5人が参加する。》
《3.統一デモは全国大学の授業放棄ストを基礎として行う。《
《4.全学連では東京の主要な労組に参加を呼びかけるとともに、3日総評の岩井事務局長に共闘を呼びかける。》
《5.4日に東大、早大などを中心とした約2000人が警視庁にデモをかける。》

清水書記長談話
《10日の統一デモで再び全学連幹部逮捕という弾圧の手がのびてくることが予想されるが、その後も地方の中央執行委員を呼び寄せ新しい全学連幹部をきめる体制を整えている。どんなに弾圧されても全学連は最後までがっちりと一つになって戦い続けていく。》

加藤衆議院議長記者会見
    《1.乱入責任者の処置については、何人の意見に拘束されず独自の判断で処理する。》
    《2.デモ規制法より処分問題がさきに解決されることになるのは当然である。》

加藤衆議院議長は各党派代表を招いて懇談会を開き、混乱の速やかな処理と立法措置を検討するように要請。
1959.12.2 加藤衆議院議長は議長室に自民、社会、社ク、民社クの代表を呼び、「27日の乱入事件は国会として悲しむべきことであり、将来かかる不祥事を再び起こさぬよう国会周辺デモ規制の立法化が必要であると思うので相談してほしい」と要請。

社会党中央執行委員会で第九次統一行動を協議
《第八次統一行動でデモ隊の国会乱入という不測の事態を招いたことを反省し、第九次統一行動では職場を中心に行い、国会周辺のデモは避ける。全学連は青年学生共闘会議として国民会議に参加しているので、まず共闘会議から全学連の参加を辞退するよう要請する。もし辞退しない場合は青年部の引き上げを要請し、さらに共闘会議が現在の形のまま参加する態度を決めた場合は、国民会議に改めて断固たる措置を申し入れる。》

自民、社会、社ク、民社クは午後1時から国会対策委員長会議。
《自民党はデモ規制法の制定を強く主張、社会党は偶発的事件に対して恒久立法を行うのは筋が通らないと反対、社ク、民社クも集団的陳情は衆議院面会規則第6条、衆議院集団陳情取締要領で十分取り締まれるとして社会党に同調した。》
【衆議院面会規則第6条・・集団をなして陳情しようとする面会人に対してはその員数、行動その他の事情から 判断して議院に対し示威運動となる恐れがあると認めたときは、院内への入場を禁止する。】
【衆議院集団陳情取締要領第5項・・集団陳情の員数、行動その他の事情から判断して議院に示威運動がある恐れがあると認めた時はその構内への入場を禁止する。】

加藤衆院議長、記者会見で「事態は一歩づつ解決に向かっている」と語る

加藤衆院議長、松野参院議長午後2時55分会談

日教組緊急中央執行委員会は10日の統一行動日には全員が休暇届けを出して市町村で集会を開くことを決定。直ちに都道府県教組に指令。
1959.12.3 加藤衆議院議長、四派国会対策委員長に国会周辺デモ規制に関してA、B二案を提示。
【A案】・・・・「国会議員の登院及び議事堂周辺の静穏の確保に関する要領試案」
《1.議事堂周辺区域の道路等の公共の場所でおいては議事堂周辺の静穏を確保するため両院議長 において必要と認め要請した時は最小限度において通行等を制限できるようにすること。》
《2.国会の審議を確保するため議院の登院が妨害されまたは議院会館と議事堂との間の通行が妨げられる恐れあると認められたときは両院議長はそのものを制限、排除することができるものとすること。》
《3.議事堂及びその構内に不法侵入した者に対しては制裁措置を講ずるようにすること。》
《4.請願、陳情などの名においてする集団示威運動についても員数を制限するなどの適当な措置を講ずること。》
《5.議員に対して公然誹謗、侮辱または暴行を行い、あるいは脅迫または恐喝したものは制裁する特別措置を講ずること。》
【B案】・・・・「議事堂周辺における集団示威運動等の規制に関する要領試案」
《1.議事堂周辺区域の道路等の公共の場所においては最小限度において集団示威運動等を制限限できるようにすること。《
《2.集団示威運動等のため議員の登院が妨害され、または議員会館と議事堂との間の通行が妨げられないよう特別の措置を講ずること。》
《3.議事堂及びその構内に不法侵入したものに対しては制裁措置を講ずるようにすること。》   
《4.請願、陳情等の名においてする集団示威運動等についても員数を制限するなどの適当な措置を講ずること。》

東大学部長会議は国会デモで指名手配されながら東大構内に篭城している全学連書記長と前東大緑会委員長に対して学外に退去するよう説得を行うことを決定。

小倉警視総監記者会見
《1.逮捕状の出ている2人の学生に対しては茅東大学長に逮捕協力を申し入れる。当局としては学園を荒らしてまで逮捕しようと考えていないが、これ以上長引くと犯人隠匿という問題もでてくる。》  
《2.早大の警官軟禁事件は公務執行妨害の疑いもあるので詳細を検討中である。》
《3.10日の統一行動では東京地評が第八次を上回る動員を行うというので推移を注意している。全学連は激しい行動に出ることが予想され、また右翼も微妙な動きがあるので、出方に沿った警備体制をとる。》
《4.27日の国会デモは憲法で定められた平和な請願デモとは認められない。全体の指揮者グループに対しては今後の捜査で必要があれば参考人の事情聴取、逮捕もある。》
《5.国会警備は外周で制止して解散させる、構内の近くで進入を防ぐ、建物自体を守り進入を防ぐの三段階あるが、多数の場合構内近くまで来てしまったら制止するのが難しい。今の状態では再びこのような事態がないとは保証できず、警備関係者の間で検討中である。》
1959.12.4 警察庁は午前9時から全国都道府県警察本部警備課長会議
柏原警察庁長官訓辞
《国会デモによる不祥事は国会の尊厳を傷つけたもので遺憾である。安保闘争が急激な高まりを見せているのは、国民会議をはじめこれに結している総評、社会党、共産党などの革新勢力が、これまで長期にわたって大衆の意識作りと組織作りにきわめて精力的に積み重ねてきたことが原因だ。とくに全学連や一部労組内の過激分子が一つの行動勢力となって大衆運動を混乱に引きずり込んでいる。とくに共産党が平和の装いにかくれて安保闘争をはじめ各種の大衆行動に積極的に参加し、労働者大衆にその思想と政策を浸透させ、これを通じて意識と階級性を労組の下部から高め、上部を突き上げる戦術をとっているので注目してもらいたい。労働争議その他の大衆運動については警察はあくまで厳正中立の立場を堅持すべきだが、違法行為に対しては断固たる方針で臨んでもらいたい。》

閣議で法務大臣が「東大内にかくまわれている全学連幹部については大学当局に対して引き渡すよう厳重な申し入れを行っているが、もし引き渡されない場合は学内に踏み込んで逮捕する方針である。」と報告。

小倉警視総監は茅東大学長に「2学生に対する警視庁の逮捕に協力してくれるよう」に文書で要望。

茅東大学長
《大学の方針は今までと変わらない。文書について改めて会議を開く必要もない。われわれとしては唯一の武器である゛口゛を使って学生の説得を続ける。もし説得が失敗に終わったら、そのときの情勢によって柔軟性のある対策を考える。自治会室と学生寮に2人が寝泊まりしているのは学内では違法行為だから、この点はスジを通させなければならない。》

社会党の緊急代議士会で「第九次統一行動に対する盛り上がりはむしろ高まっている。第八次を上回る最大のデモをかけるべきである」と左派系議員が突き上げる。

社会党の緊急中央執行委員会は小倉警視総監の記者会見発言に抗議。
1959.12.5 社会党は午後1時半から日比谷公会堂で約2500人を集め「安保改定阻止、交渉打ち切り要求演説会」
    《1.安保改定の批准承認には院内外をあげて戦う。》
    《2.岸首相の調印のための渡米には強力な闘争を展開する。》
    《3.国会デモ規制に関する法制化には反対する。》
    《4.運動には秩序と規律が必要であることを確認する。》

安保改定阻止中央青年学生会議(総評、全学連、社会党青年部、共産党、民主青年同盟、日農青年部)幹事会声明
《1.第八次統一行動は安保改定、ベトナム賠償を国民世論を無視して強行しようとする政府・自民党に対する国民の怒りの現れで高く評価する。したがって、国会構内に突入したことは正しかった。ただ引き揚げの指示を無視した点などに誤りがあった。》
《2.全学連を共闘会議から排除しようという社会党の決定には絶対反対で、今後とも国民会議構成団の一員として共闘を強化する。》
《3.第九次統一行動において全国の青年は先頭に立って戦い、国会への請願行動を行うよう上部機関に要請する。》
《4.現在行われている捜査、逮捕はきわめて不当で、弾圧には徹底的に戦い、実力行使の盛り上げでこれに応える。》
《5.岸首相が調印のため渡米するならば実力行使を含め全力をあげてこれを阻止する体制をとる。このため青年学生共闘全国代表者会議を年内に開く。》

安保改定阻止法律家会議結成大会が霞山会館で開かれる。約1500人が参加。
【発起人】・恒藤恭大阪市大名誉教授、海野普吉弁護士、戒能通孝都立大教授、佐伯千靭立命館大教授、末川博立命館大総長、萩山虎雄弁護士、長野国助ら。
1959.12.6 東京大学学生自治会中央委員会総会が午後1時半から工学部を除く各学部自治会の中央委員約60人を集めて声明発表。
《1.逮捕状の出ている全学連書記長(経済)、緑会自治会委員長(法)はそれぞれ教養学部駒場寮、本郷の各学部自治会室で無条件で守り、一指も触れさせない。》
《2.自治会室の使用を学生の日常活動に制限しようとする大学側の態度は言語道断である。学園の自治は2人を学外に出すことでは守れない。逮捕にはバリケ−ドを作り、篭城して戦う。》
《3.10日の第九次統一行動には全学ストを行い、国会包囲デモを行う。》
《4.例年学長が出席する8日の反戦のつどいへの出席を拒否する。》

三井警視庁公安一課長談話
    もし自治会が隠匿を続けるなら、学内に入ってでも逮捕する。
1959.12.7 安保改定阻止国民会議幹事会は「第九次統一行動は各労組のの実力行使を中心とし、その実力行使の支援体制をとるが、国会への請願デモは行わない」ことを決定。
    《1.国会請願デモを中止し、生産点での実力行使を中核とする。》
    《2.社会党は院内で「安保条約改定交渉即時打ち切りを要求する決議案」を提出して闘う。》

東大は午後5時50分、各学部掲示板、正門、赤門など20数カ所に告示。
    《構内篭城につき学生諸君の全面的協力を熱望する。》

茅東大学長談話
《一般学生の間には大学の真の自治を理解した動きが出てきているが、これを生かすキッカケをつくれるかどうか8日がヤマだと思う。警察に踏み込まれればわれわれにこれを止める権限はない。そのときは逮捕者が増えないようムダな摩擦を避けたい。》
1959.12.8
  
警視庁公安部は午前10時、鈴木本富士署長を通じ、斯波東大学生部長に最後通告
《学園の自治を尊重して学内逮捕はなるべく避け、大学当局の説得で逮捕出来るよう先に文書で要請してきたが、大学当局の熱心な説得にもかかわらず2学生はこれに応じようとしない。警視庁としてはこれ以上逮捕を引き延ばすことはできないから独自の行動をする。》

斯波東大学生部長は午前10時半返答
《大学としても現在説得を続けているが、その結果についての自信はもてない。《

松田文相談話
《全学連は先の国会乱入事件で国民の指弾を受けたにもかかわらず、10日には再度国会に不法デモを強行しようとしている。学生諸君は全学連が学生自治会の自主的な連合組織であると称しながら実際には極左的な少数の指導者に引き回され非合法活動に学生を巻き込んできたことを十分に承知していることと思う。その動機がいかに純粋であっても、この運動の危険性を見極めないで同調することは民主政治の正しい発展を願うもののとるべき道ではない。学生諸君が良識ある行動をとるよう期待するとともに大学当局も一部学生の無反省な行動が全学生に悪影響を及ぼし大学に対する社会の批判を呼び起こさないようお願いする。》

東大法学部緑会臨時学生大会が正午から法文経31番教室で開かれ、約500人余りが参加。葉山緑会委員長を学外に出すことを457対69の圧倒的多数で可決。

東大農学部、工学部、薬学部が学生大会を開き、葉山退去を決議

葉山前委員長は「緑会の決議は全学生の意志ではない。中央委員会総会の決定に従う」と述べる。

東大自治会中央委員会声明
《当局は10日の国会デモの前に学内逮捕をしようとしている。法学部の一部に動揺があったのは残念だが9日再び学生大会をひらいて話し合う。8日夕からバリケ−ドを築いて警官の立ち入りを阻止する。》

電電公社は全電通労組に対し、10日に予定している職場大会に参加したものは訓告以上の処分すると警告
1959.12.9 東大教養学部駒場寮全寮生大会は午前0時、同寮委員会が提出した「警官隊と正面衝突する場合は清水君に退去を求める」との案を反対372賛成356で否決、寮委員会は総辞職し直ちに3人からなる実行委員会をつくり、三棟の寮の各入り口にげた箱やイスなどでバリケ−ドを築く。

川口篤教養学部長告示
《逮捕状の出ている学生を守り警官隊の立ち入り拒否をする寮の決議は刑法上の罪にあたる行為を学生に強要することになるから学部として認めるわけにはいかない。このため流血の惨を招くが如き行動に反対している学部は学生諸君の良識と勇気をもって事態を処理するよう要請する。》

小倉警視総監談話
《もう結論を出すべき段階だと思う。大学当局の説得にあくまで期待していたが、学生がそれに応じなければどんな手段でも逮捕しなければならない。》

東大理学部、経済学部、文学部、医学部、教育学部がそれぞれ臨時学生大会
    《教育・・10日まで葉山を守る。》
    《文学・・10日まで守り適当な時期に退去を求める。》
    《理学・・賛否過半数にみたず。当局の事なかれ主義抗議のみ決議。》

東大より警視庁に「逮捕は10日まで待って欲しい」との正式申し入れ。警視庁も「考慮する」と回答

茅東大学長談話
《とびらに手がかけらたという切迫した事態だが、この問題は学生達自らの手で解決すべきだという根本方は変わらない。その意味で学生たちの自治意識を高めるきっかけになればこの事件も不幸中の幸いだある。》

衆議院地方行政委員会で「東大生学内逮捕」問題を審議。
《緒方文部省大学学術局長・・学園の自治は制度として治外法権化しているわけではない。教育の場として社会的に尊重されているだけだ。》
《柏村警察庁長官・・一般のまじめな学生が勇気をもって独自の判断に出ることを臨む。》
《小倉警視総監・・最後の瞬間まで学校当局と一般学生の健全な判断に期待している。》

全学連は10日の第九次統一行動について発表。
《加盟各大学は午前中授業を放棄し、学生大会または集会を開き、午後1時日比谷野外音楽堂に集結、「安保改定阻止、デモ規制法粉砕、岸内閣打倒全国学生総決起大会」を開いたのち、国会に請願デモを敢行する。動員予定は5000人である。》

唐牛全学連委員長談
《9日開かれた国民共闘会議に出席したが、共産党の代表から全学連の行動予定に反対する意見が出されただけで、まだ国民会議の名前ではデモ中止などの正式な要請は受けていない。先に決まった国民会議の行動計画には具体的なものがないからわれわれは独自でも予定通り戦う。》

安保批判の会(中島健蔵世話人代表)拡大世話人会。10日午後2時東条会館に集合、国会へ請願デモを行うことを決定。

10日の勤務時間内職場大会を前に山田国労書記長記者会見。
《8日夜から闘争に参加する乗務員は旅館に缶詰にしているので10日は国労始まって以来の大闘争となることが必至である。》

10日に予定された始発から1−3時間の勤務時間内職場大会を前に国鉄労組は機関車、電車乗務員の缶詰作戦をとったため、当局側と激しい乗務員争奪戦となり、全国各地で公安職員と労組員の小競り合いが行われた。
《下十條電車区・・・・・国労東京地方本部上野支部の就労拒否闘争の拠点職場だけに、当局側も組合側も乗務員の奪い合いに徹夜体制で激しい攻防戦を展開。午後3時すぎから電車区長室で上野駐在運輸長、東鉄局運転部総務課長、電車区長と組合側本部中闘、上野地本副委員長らが乗務員の争奪について交渉したが決裂し、公安職員と激しいもみ合いとなった。組合側は女子組合員による救護班も繰り出しスクラムを組んで事務所を取り囲み、当局はフライヤ−をたいて現場証拠集めのための写真班を動員、双方とも徹夜の体制をとった。》
《午後9時すぎから組合員約210人と公安職員ら約120が激しくもみ合い、また東十條駅では組合の青年行動隊約40人と公安職員約40人が殴り合いの乱闘を行った。》
《三鷹駅・・・・・・・・労組員と鉄道公安職員が200人ほど詰めかけ、乗務員の引き抜き合戦を展開。》
《蒲田電車区・・・・・・新橋支部から約150人の応援労組員がきてホ−ムなどに待機。公安職員も約80人が事務室などで待機。》
《東神奈川電車区・・・・野間国労東京地本委員長ら約100人を動員、公安職員約90人と小競り合いを演じた。》
1959.12.10 安保改定阻止第九次統一行動
《公労協》・・・・・・国労は都内電車区をはじめ全国の主要幹線で始発から1−3時間の勤務時間内職場大会。(実際は年末手当など経済要求が妥結したため午前5時50分勤務時間内職場大会を中止、休憩時間の職場大会に戦術転換)、全電通は2時間(時間外に転換)、全逓、動力車労組(経済要求妥結により午前8時職場大会中止)、アルコール専売、全林野、全造幣、全印刷は1時間、全専売は30分以上の職場大会。
《公務員労組》・・日教組、日高教は午後2時半授業打ち切って市町村ごとに集会。自治労は始発から1時間の職場集会。自治労のうち都労連は5割休暇により5万人を動員、後楽園競輪場で大会を開いたあと大塚公園など三方向へデモ。都市交通、全水連は始発から2時間(1時間に変更)の職場大会。全農林が始業時から2時間の職場大会。全司法は勤務時間に30分食い込むビラまき、署名運動(職場大会と集団交渉)。全労働は1時間半の職場大会。全海事は1時間の職場大会。全国税は始業時から30分の職場大会と全員(分会代表に転換)すわり込み。税関は30分の職場大会。全運輸は午後から半日の職場大会(時間外に転換)。全建労は2時間(時間外に転換)の職場大会。全商工は3割休暇 (5割休暇)、その他は休憩時間中の職場集会。
《民間労組》・・・・・炭労24時間スト。私鉄総連2割の指名休暇。(北海道、北陸地本は始業時から午前7時までの時限スト、東京ではバス10台で都内パレード)、全国金属、化学同盟半日スト。全鉱、全港湾、全印総連、電済労、全国一般労組2時間スト。合化労連1時間スト。鉄鋼労連、全日通、全日自労などは1時間から半日食い込みの職場大会。国際電電などが休憩時間中の職場大会。

《東鉄管内の国電は京浜東北線で108本が運休、朝のラッシュには通常の3分の1程度しか運転できなかった。》
《蕨駅では一時約5000人の乗客がホ−ムや駅前にあふれた。また桜木町駅では30人、蒲田電車区では100人のピケ隊が線路やホ−ムに座りこみ国電ダイヤが正常に戻ったのは正午ごろだった。総武線は4時−5時の間両国がピケ隊に占拠され4本が運休、横浜線でも24本が運休した。全国では列車の遅れは旅客3、貨物34本(国鉄本社への報告)》

  《全国430万人が参加、約600カ所で決起大会(総評調べ)》

安保阻止国民会議は岸首相し加藤衆議院議長に「デモ規制法の撤回と浅沼社会党書記長らの懲罰を行わなこと」を要求する抗議文を渡し、声明発表
《第九次統一行動にあたって今後労働者の実力行使体制をさらに強化し、農民、市民など国民各階層の力を数倍にも高め、きたる22日の第十次統一行動を組織し安保改定阻止と弾圧粉砕のため断固戦う。》

東大法学部緑会前委員長(22)は午前10時50分、約400人の学生とともにデモの先頭に立って東大正門か出てきたところを同11時7分本郷3丁目電停付近で鈴木本富士署長から逮捕を申し渡され、逮捕された。同君は黒い学生服に黒いオ−バ−、薄青格子縞のマフラ−で身を固め、「学友諸君、11日間にわたって戦えたのは学友諸君の支援のおかげです。私は今日デモの先頭に立つ」と挨拶。学生たちは「学生の歌声に・・」と学生歌を歌いながら空色の自治会旗を先頭に正門から約300メ−トル行進したところで警視庁機動隊に半円形に取り囲まれた。代表者が約10分押し問答をしたあと警官隊は葉山君を守っていた学生をごぼう抜きにし逮捕した。

全学連書記長(21)も学内集会で演説したあと約1200人の学生と学外に出、12時50分逮捕された。 
  
東大生約150人が警視庁に抗議デモ。都学連中央執行委員、社学同副委員長(21)(東大経3年)が逮捕された。

全学連は午後2時45分から日比谷野外音楽堂で「全日本学生総決起大会」。東大本郷、駒場、東京教育、早稲 田、明治、法政、中央、お茶の水など約20大学8500人(全学連発表)が集まり会場は校旗やプラカ−ドで埋まった。大会は唐牛全学連委員長はじめ全国各大学の代表が挨拶、「安保改定阻止、岸内閣打倒、デモ規制法反対、砂川判決支持、松田文相抗議」を満場一致で決議した。この間、各大学自治会代表の間で大会後のデモ行進について、国会デモ派と中止派との間で激しいやりとりがあったが、結局国会デモは中止され、日比谷公園から新橋駅近くの土橋までデモ行進。途中内幸町から警官隊の警告を無視してジグザグ行進などを行ったため一体の交通は一時ストップした。警視庁では国会周辺に警官隊約5000人を配備、ヘリコプタ−を初出動させるなど厳しい警戒体制をしいた。

大日本愛国党や防共青年隊約20人が日比谷野外音楽堂の後方柵を破り全学連の集会に乱入。棒やプラカ−ドをもって学生達の中におどり込み、石や棒を投げるなど乱暴を働いたがまもなく駆けつけた丸の内署員によって排除された。この事件で愛国党員2人が逮捕された。

安保批判の会、国会請願デモ。
1959.12.11 社会党中央執行委員会。
《調印のための全権団出発に際して、羽田空港に至る道筋に大規模な動員を行い、調印阻止の統一行動を組織する。羽田動員には東京、神奈川などから大量動員を行うとともに、全国から共闘代表の参加 を求める。全国ではこの日に無数の抗議集会を組織し、これを中心に統一行動を行う。》
1959.12.19 安保改定阻止国民会議幹事会。
《羽田空港に至る沿道に大規模な動員を行って、断固とした闘いを展開する。さらに全国的にはできるだけ1月16日以前に抗議の決起大会などを組織し、その上で代表団を東京に集中する。》
1959.12.20 安保改定阻止国民会議、羽田付近を現地調査
1959.12.22 安保改定阻止第十次全国統一行動
    《総評傘下及び中立系組合約60単産が時間外職場大会。》

日共東京都委員会主催総決起大会が午後5時40分、九段会館で開かれ、日共各地区委員会、全電通、全国税、共同印刷、主婦と生活、中大、教育大、東大の各生協約2000人が参加。7時50分水道橋駅までデモ行進。
1959.12.25 安保改定阻止国民会議第3回全国代表者会議。
    《1.1月16日以前に全国各地で集会その他をもって闘いを盛り上げる。》
    《2.10日以降14日までの間に生産点の実力行使を行う。》
    《3.14日、全国の代表者を東京に集め集会。《
    《4.16日、全国代表者を含めて羽田に送る。(反対意見あり)》
    《5.国民会議幹事会でさらに具体的打ち合わせを行い、下部に流す。》
1959.12.2 安保改定阻止国民会議幹事会。
《1月14日、全国的に抗議集会を行い、中央では全国の代表者と中央における民主諸団体の参加のもとに全国集会を日比谷野外音楽堂(予定)において午後1時から開催する。国民会議はこの全国集会に各県代表の参加を要請する。代表者会議の結論のなかで方針としてうたわれた「羽田デモ」(反対意見の但し書きがあったとしても)は、たった1日の間に消されてしまった。これは総評と共産党の強い反対があったからであった。それは11.27のように統制がきかないまま事態が混乱するのを危惧したからだった。(「安保闘争」P66》

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