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平成17年5月10日 (火)
社名変更について
ほぼ1年ぶりにサイトを更新しました。
長らく更新作業を怠り申し訳ございませんでした。

去る平成16年秋の大祭より、当神社規則変更に伴い社名を神柱神社・神楽神社(かぐらじんじゃ)・出雲大社(いずもおおやしろ)・出雲大神宮(いずもだいじんぐう)に変更致しました。

出雲大社ー出雲大社本殿に鎮まります大國主大神さまは広大無辺の御神徳・天下無双の大廈・日本大社といわれる御名にふさわしき御神徳の発揚と国家・宇宙万有の祖神・皇室の隆昌宝祚の無窮・国民の幸福を守護致します。

これより後は全国に分詞、分社、分院を置き神業を通じて一人一人が小国中国大国さんとなり展開して行きます。

平成16年4月18日 (日)
さくら
今年は入学式にも桜が舞いとても綺麗でした。

東京の基準の桜は靖国神社の桜だそうで今年は戦後3番目に長い11日間の開花だったそうです。開花が長いと景気が良いといわれ、戦後に3度好景気に恵まれたそうです。
前回の時はバブル最盛期の年だったそうです。今年は景気が良くなるのでしょうか?
桜が咲くとつい嬉しくなり浮かれてしまうのは私だけではないでしょう。

さて、3月24日、日本領土である沖縄県尖閣諸島魚釣島へ上陸した7名の1人は中国人で靖国神社の狛犬損壊(ペンキで死ねと書く)で実刑を受け執行猶予中の身分であったそうです。強制送還させられた北京の空港では「英雄の凱旋を歓迎する」旨の垂れ幕で迎えられたと聞きます。その後もいわゆる反日活動家として抗議活動等を続けているそうです。「靖国神社遊就館の展示に中国人として憤慨した」とか「日本軍国主義への抗議」という理由で行ったその姿勢は、靖国へ眠る英霊への冒涜であり強い憤りを感じます。

毎日毎日殺人事件は起こり、守るべき親が乳幼児を死なせ、子が親を殺すなど挙げれば限が無いのですが、この異常な状況は止めなければなりません。学校教育では勉強しか教えず、近隣の大人たちは子供が何をしていても口を出せず、親も自分の子供が何をしているのか分からない。どう接すれば良いのか分からない。個人主義、自由主義がいいと戦後教育で教えてきた歪がここに来て噴出しているのでは無いでしょうか。

一般に人々は家庭が幸せになるよう願います。しかし、地域が平和であり、国が平和でなければ家庭の平穏はままなりません。一人一人が少しずつ良い家庭、地域、国であるよう考えていけばこの混沌とした世の中がより良い世の中になるのではないでしょうか。我々神職は神社を通して地域住民との対話や子供たちへの情操教育などで問題解決に益々努めていきたいと思います。

平成16年2月9日 (月)
産霊(ムスヒ)
あけましておめでとうございます。瞬く間に節分も終わりいよいよ春ですね。

今日は「 国際派日本人養成講座」というサイトに
『ハイテクを生み出す産霊(ムスヒ)の力多くの日本企業がいまだに守り神を祀っている理由は?』
という特集がありましたので、皆様にも是非読んで頂こうと思い転載させて頂きました。


■1.グローバル・ビッグ・ビジネスの守り神■

 トヨタ自動車は2003年の世界の自動車販売台数で、ついにアメリカのフォード・モーターを抜いて、世界第2位に躍進した。今や、日本経済復活の旗手となった感があるが、このグローバル・ビッグ・ビジネスに守り神がいるのをご存じだろうか。

 「トヨタ神社」と呼ばれる愛知県豊田市の豊興(ほうこう) 神社で、鉄の神様である金山比売(かなやまひめ)、金山比古(かなやまひこ)を祀っている。トヨタ創業の大正14(1925)年に建立された。

 毎年、年頭にトヨタ自動車や関連グループの首脳、幹部役員が勢揃いして参列する前で、神主が祝詞を奏上し、参拝者全員がトヨタの繁栄と安全を祈る。この年頭神事は神社建立以来、毎年行われている。

 日本には、トヨタ同様に守り神を祀る企業が少なくない。三菱グループの守り神・土佐稲荷は一般に「三菱稲荷」と呼ばれ、東京三菱銀行・大阪西支店の屋上に社殿が建立されている。三井グループは東京の台東区牛島の隅田川畔に祀られた三囲(みめぐり)神社。そのほか日立製作所の熊野神社、東芝の出雲神社、出光興産の宗像神社、資生堂の成功稲荷、キッコーマンの琴平神社などなど、枚挙にいとまがない。

■2.企業が守り神を持つ意味■

 これら日本を代表する国際的な大企業が、揃いも揃って、それぞれの神様を祀っているというのは、どうした訳か? 一社だけならアナクロニズム(時代錯誤)と一笑に付すこともできようが、これだけ揃うと、そこには何か合理的な理由があると考えざるを得ない。

その理由は、各企業で年頭や創立記念日などに行われる神事に立ち会って見ると実感できるだろう。社長以下、幹部が打ち揃い、なかには従業員や家族、取引先や地域の人々も参加して、企業の繁栄を祈る。

日頃は利益競争や出世レースにしのぎを削っている人々も、この日ばかりは、その企業が歩んできた歴史を振り返り、自分たちはリレー走者の一人として、先輩から企業を受け継ぎ、さらに発展させて、次世代に渡す使命があることに思いを致す。同時に一同に会した人々が力を合わせて、その使命に向かわねばならない、という決意を新たにする。それによって自らの姿 勢を正し、明日への行動のエネルギーが生まれる。

こうして年に一度は、自分が企業という共同体の一員であることに思いをいたし、全体に対する責任と使命感を再確認する所に、各企業で守護神を戴き、神事を執り行う意味がある。それは深い意味での社員教育なのである。

■3.現代のハイテク社会を支える「祈り」■

守り神を持つのは企業ばかりではない。福井県敦賀市の日本原子力発電・敦賀発電所には、神棚が設けられ、地元の常宮(つねのみや)神社の神札が祀られている。毎年6月末には神社で「安全祈願祭」を行い、幹部関係者が参列して、安全と繁栄を祈る。

同県美浜町の関西電力・美浜原子力発電所には丹生(にう)稲荷神社が祀られている。新潟県柏崎市と刈羽村をまたぐ東京電力の柏崎刈羽原子力発電所では、7基の各発電機に神棚が設置され、伊勢神宮の天照大神が祀られている。

海上自衛隊の艦船には、任務の円滑な遂行と航海安全を祈って、神社の神札を奉安した神棚が祭られている。たとえば精鋭の主力艦である護衛艦「ひえい」には艦名にちなんで、東京・千代田区の日枝(ひえ)神社からいただいた神札が、神棚の白木の小さな宮に祭られている。参拝は乗組員の自由意志で行われる。

航空会社では、新鋭ジェット旅客機の導入にあたって、神官に来て貰って、機体を祓い清め、安全を祈る。パイロットたちは、航空安全を祈って神社に参拝し、操縦席に神札を貼る。

そう言えば、我々も車を買ったときに神社でお祓いを受けたり、安全運転のお守りを運転席に吊したりする。それと同じ事が、原子力発電所からジェット機まで行われているのである。

その意味合いは、我々が車にお守りを吊すのと同じである。神様にお祈りしただけで、安全が保証されると信ずる人はいない。神様に安全を祈る事を通じて、自分自身でも努力することを誓う、お守りが目に入るたびに、自分自身も安全運転をしなければと気を引き締める、そこにお守りの効用があると言えよう。

どんなにハイテクの設備を使っていても、それを使うのは人間である。その人間がときおりの祈りを通じて心を新たにして、安全運転に取り組む。原子力発電所から、空や海の安全まで、現代のハイテク社会はこうした「祈り」に支えられているのである。

■4.産霊(ムスヒ)の力■

原子力発電所からジェット機まで、現代日本の先端技術は古来からの神様と共存している。というより、神道の思想が先端技術を支えていると言うべきなのである。

そもそも神道では、稲作を通じて形成された「モノを生み出し、造り成す」という産霊(ムスヒ)の力への信仰がある。古事記・日本書紀の神話は、天地の始めに天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみ「むすひ」のかみ)、神産巣日神(かみ「むすひ」のかみ)の造化三神が天 地・山河・自然を創成したと伝えている。

産霊は生殖によって生命を産み出す力をも意味し、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は結婚して、日本の国土を産みなす「国生み」や、多くの神々を誕生させる「神生み」を行った。この二神から生まれた子供の中に、五穀を実らせる和久産巣日(わくむすひ)の神、火を産み出す火産巣日(ほむすひ)の神などがいる。

このように「産霊」の力は天地万物を創成し、人や作物を産み出し、豊穣と繁栄をもたらす。多産による子孫繁栄、豊作による五穀豊穣、生産と技術による企業の繁栄、さらには国と国との結びつきによる平和をもたらす。

「ムスヒ」とは「結び」であり、さまざまなものを結びつけて、そこから生命や活力を産み出していく力である。水素と酸素が結びついて水となり、男女が結びついて子供ができ、家々が結びついてムラやクニができる。現代流にネットワーキングと言ってもよいであろう。すべてのものは「結び」から生み出される、という自然観、社会観は、現代科学にも通ずる合理的な考え方である。

■5.「神人共働」■

冒頭でトヨタの守り神の話をしたが、自動車もまた「結び」の産物である。土の中に眠っていた鉄鉱石が精錬されて鋼板となり、それが成形されて車体となる。その車体に、ゴムのタイヤや、ガラスの窓、プラスチックの内装品、織物のシートなど、多種多様な材料からなる部品が数万点も組み付けられて、自動車が産み出されていくプロセスは、まさに現代版「結び」の力そのものである。

このようにモノを生み成し、造り出す「結び」の力への信仰は、モノづくりを尊ぶ姿勢につながる。天照大神も、田の神の姿をした祖霊・穀霊も、そして皇居では天皇も、人々と共に働き、豊かな秋の収穫を目指す。この「神人共働」の神道的意識は、売上げや利益に関わりなく、モノづくりそのものが尊いのだ、という信念を醸成する。モノづくりとは、今も時々刻々に宇宙をより豊かなものへと創造しつつある神々の大事業に、人として参画することなのである。

旧約聖書では、アダムとイブは知恵の木の実を食べた罰として、神から楽園を追放され、額に汗してパンを得なければならない境遇となった。労働は神に追放された人間が、パンを得るためにやむなく、なさねばならない苦行なのである。ヨーロッパでは16世紀前半の宗教改革によって、ようやく労働は神が人間に与えた使命である、という労働観が一般化して、日本古来からの考え方に近づくが、それまではこの「労働=苦行」という考え方が主流だった。

古代中国でも、漢字の「労」は「苦労して働く」という意味のほかに、「疲労」や「心労」などの意味をもっていた。つまり労働とは、すなわち苦労や疲労、心労である、という考え方である。

■6.高度産業社会発展の原動力■

労働とは生きていくための苦行であると考えると、カネさえ得られれば、苦労して働く必要などない、という事になる。地道に働くより、一攫千金の投機に乗り出した方が利口だ、とか、早くカネをためて楽隠居しよう、とか、ひどい場合にはコピー商品で手っ取り早く稼ごう、などいう方向に走りがちである。これでは技術革新を通じて産業を高度化していく事を本質とする近代産業社会はなかなか発展しない。

それに対して、労働自体が尊いという日本古来の考え方では、工場の作業者は現場で地道に技能を磨き、商店主は商品の仕入れや並べ方に工夫をこらし、一財産をなした企業のオーナーでも、熱心に技術革新に取り組む。一人一人のこうした働きが高度な産業社会を発展させる原動力となる。

幕末に日本を訪れたペリーの一行は、日本のモノづくりの技術力に驚嘆して、開国後の「日本は将来きっと機構製品の覇権争いで強力な競争国の一つとなるだろう」と正確な予言をしたが、その背景には労働と技術を尊ぶ神代からの伝統があったのである。

■7.不良・故障は「ケガレ」■

モノづくりとは、神々が宇宙を作り出す「むすび」の過程への人間の参画である、と考えると、不良品を作ることは、神の足を引っ張る罪悪であるという事になる。不良品とは「結び」の力や方法が不十分なために、本来発揮できたはずのモノの生命力が引き出せなかった、ということである。それはそのモノの「生命」を粗末にしてしまった、という、まことに申し訳ない事なのである。

不良を出すことに罪悪感を覚える日本人の感性は、製品にわずかなキズや欠陥があっても恥と感ずる。それゆえに不良ゼロ、欠陥ゼロ、故障ゼロを目指して、あくなき努力を続ける。

日本以外の国々では不良とは単なる「経済的損失」に過ぎない。だから百円の不良をなくすために、百万円のコストをかけても改善に取り組む日本人の執念は非合理的としか考えられない。

しかし、こうした取り組みで不良の生まれるメカニズムが解明されれば、製品の信頼性を飛躍的に高める事ができる。自動車や飛行機、医薬品、食料品などでは些細な不良が人命事故につながりかねない。また銀行のオンライン・ネットワーク、新幹線、原子力発電所などでは、設備の故障が大規模な災害をもたらす恐れがある。ハイテク社会になればなるほど、製品の信頼性への要求が高まる。不良ゼロ・故障ゼロへの執念を持つ日本のモノづくりは、こうした先端技術分野で強い競争力を持つのである。

一方、消費者の方も、ちょっとしたキズや汚れにも実に過敏である。見事な「むすび」によって生み出された製品は、美しく若々しい生命力に満ちあふれたものでなければならない。そう信ずる日本の消費者は、ちょっとでもキズや汚れがある製品には、生命力、すなわち「気」が十分入っていない、と不満を感ずる。「気」が枯れている状態が、「気枯れ」すなわちケガレである。日本の消費者は世界一、品質要求が厳しいと言われるが、その背景にはこのケガレを厭う心理がある。

さらに不良や故障を徹底的になくそうという取組みは、より高度な製品を生み出す技術革新につながる。本誌でも、血管の4分の一の細さの「痛くない注射針」や、100万分の1グラムの歯車を作り出した中小企業を紹介したが、こうした桁違いの技術力は、何よりも創造を喜びとする「むすび」の思想の賜である。

■8.モノづくりの国際競争力を支える神道的世界観■

かつての村落共同体では、人々は鎮守の森を抱く神社で、豊作を祈る祭りを執り行い、ムラとしての一体感・連帯感を養った。これも人々の間の「結び」である。

日本の生産現場では、不良ゼロを狙う小集団活動の発表大会が定期的に開かれ、良い成果をあげたグループを顕彰することを通じて、不良ゼロ・故障ゼロへの「祈り」を再確認する。これが、ムラの祭りと同様に、職場の連帯感を養う。

冒頭で述べた企業ごとの神事も、それぞれの神への繁栄と安全の祈りを通じて、連帯感を養うという意味で、ムラの祭りと本質的に同じである。

製品や技術が高度化すればするほど、多くの人々が連帯感で結ばれて、より緊密な連携を実現し、しかも一人ひとりがミスのない完璧な仕事をしなければならない。こうした人々の「結び」こそ、高度産業社会に不可欠な組織基盤である。

神道はキリスト教や、イスラム教、仏教のような明確な教義や戒律を持たない。我々自身も神道を宗教として信じているという自覚のある人は少ない。神道は宗教と言うより、一種の世界観であると言った方が良い。その世界観は「むすび」の思想にみられるとおり、最先端の科学技術ときわめて相性が良く、我が国のモノづくりの国際競争力の基盤を提供しているのである。こうした強みを、意識的に鍛え、発揮していくことが、我が国の産業競争力の強化に有効な道であろう。

2月11日は建国記念日。日本書紀によれば、辛酉の年(紀元前660年)の元日であるこの日、初代神武天皇が橿原の宮で即位された。企業の従業員が創業記念日に守り神への祈りをともにする事で、歴史を偲び、次代への使命感を新たにする。それと同じ事を国家レベルで行うのが、建国記念日の意義であろう。(文責:伊勢雅臣)

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平成15年12月29日 (月)
歳末の辞
今年も、残すところ2日となりました。年末に近づけば、今年の重大ニュース等といったかたちで今年を振り返ることになりますが、この「年末」という区切りの時期は、過去の出来事を「振り返る」大切な時です。

実際日常の中で、物事を「振り返る」局面が少なくなったのではないでしょうか。日常では、物事の「変化」に対応するのに精一杯で、「振り返る」ことはかえって妨げとなります。世相も、個人がおかれている状況も、めまぐるしく変化しているからです。

その変化は、「成長」・「進歩」という、より良い方向に向かう兆(きざ)しとして捉えられていた右肩上がりの高度成長時代と異なり、今は、現状そして将来の不安を増幅する方向に作用しているような気がします。

そのことを十分認識しながらも、やはり「苦難の今」から「より良い未来へ」と発想を転換し問題の解決を図らざるを得ないのです。それが果たされるためには、「今」から「未来」へ、というだけではなく、「今、ここにある」こと、そこに踏みとどまり、それがいかに成り立っているのか、その根拠を「振り返る」視座が、求められているのです。

今、日本社会は政治・外交・経済・教育・風紀・文化・治安・・・など大きな転換期に差し掛かっているといえます。戦後の日本社会を形づくってきたシステムが疲労を起こし、時代に適応できなくなっています。

この激変する時代に対応すべく、家族のあり方、社会問題の取り組み方など「今、ここ」に振り返りながら、より良い未来につなげていきたいものです。
来る年も良き年でありますように御祈念申し上げます。

平成15年12月9日 (火)
忘年会
12月(師走)
今月の花 ひいらぎ・南天
今月の魚 かき・たら・からすみ
今月の野菜 だいだい・小松菜
今月の二十四節気・雑節 大雪 12月7日頃。
冬本番を迎えて降雪量が多くなり、 北風も強く吹き渡る。
冬至12月22日〜23日頃。1年で最も昼が短く夜が長くなる日。

『忘年会』はもともと年の暮れにその年の労を忘れ、 無病息災を祝う宴会を「年忘れ」と呼んだことが始まりで、もともとは、先祖をまつり、神のご加護を得るという行事でした。今では職場や友人仲間で催す年末の酒宴の事を指しますね。
出来る限り盛大に、1年の無事を祝い合う。 それが「旧年中の厄を落とす」ことになります。 今年も、そんな時期になりました。飲み過ぎないようにしましょう!

平成15年12月2日 (火)
イラク
イラクで、日本人大使館員二人が乗った四輪駆動車が銃撃され、奥克彦参事官と井ノ上正盛三等書記官の死亡が確認されました。今のところテロに遭った可能性が高いそうです。

恐れられていたことが、不幸にも現実となってしまいました。とうとう日本人にも犠牲者がでてしまったのです。痛ましい犠牲です。御冥福をお祈り致します。

ですが、ひるんではいけません。自衛隊の派遣をはじめ、日本のイラク復興支援が後退することがあってはなりません。

小泉首相は、「テロには屈することなく、イラク支援活動に全力を挙げて取り組んで行く方針は不変」とする姿勢を、改めて強調しました。当然です。

日本は、イラク復興支援特措法で、人道復興と安全確保の支援活動を「適切かつ迅速に実施する」ことをうたい、自衛隊派遣の基本計画を近く閣議決定し、年内にも先遣隊を派遣する方向です。その実行は、国際的な責務といってよいでしょう。 今回の事件で、野党などからは、改めて反対論や慎重論が出ていますが、それではテロ勢力の術中に陥るだけです。

このところ外務省の体質や外交官の行動の評判といえば、芳しくない不祥事ばかり続き、外務省は「何事も荒立てない」を外交と心得るらしく、たとえば中国や北朝鮮に対しては主権国家として国益を踏まえた外交を展開できていません。内には機密費流用の混乱が、外にはキャリアの退廃が数々指摘され、海外勤務の外交官は優雅で華やかであると揶揄されました。

しかしイラクで死んだ二人の外交官の日常は決してそうではなかったそうです。水も電気もない生活を続け、砂嵐の下、最前線の底辺で日本の名誉を支え、不幸な悲劇によって初めてそうした苦闘が世に知らされることになったとすれば、これも不幸というほかはありません。

奥参事官の言葉が残されています。国連事務所のテロ現場で「これを見て(日本が)引くことができますか」と語り、テロで犠牲になった数々の尊い命から、テロに屈しないという強い決意を汲(く)み取らなくてはならない。「常に犠牲はつきものだが、断固としてテロとたたかう」と語っていたそうです。

日本が積極的な支援に動くことこそ、任務半ばで、無念の死を遂げた二人の外交官の遺志を継ぐことになります。


平成15年11月19日 (水)
衆議院総選挙2
総選挙が終わり、自民−10、民主+40となりました。
開票当日の午後8時の出口調査による議席予測では自民は220止まり、民主は200に達しましたが、終わってみれば237と177に首を傾げた方が多かったと思います。

選挙に詳しい人なら、あれは公明党票が原因であると考えているでしょう。不在者投票が簡略化されて大幅増になったことも加わり、当日の出口調査の信頼度が落ちてしまいました。いわゆる情勢調査のように生データを加工しないと、これからは現実を見誤ることになります。

ドイツなどでは出口調査の誤差は1%程度しかなく、メディアは早々に選挙結果を報じて、後は選管だけが粛々と開票するのだと聞きました。
日本では当分、実現しそうにありませんね。

選挙が終わったばかりですが、次の選挙時期を予測すると、イラクに派兵した自衛隊員の血が流れたり、自民党道路族の汚職が摘発されたりした場合は、04年の通常国会会期末に内閣不信任案が与党内の造反で可決されて、04年夏の参院選は衆・参同日選になるかもしれません。

同日選は投票率が上がるので、組織票頼みの公明党には不利でも、浮動票頼みの民主党には有利なので、一気に政権交代になるかもしれません。
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平成15年11月8日 (土)
衆議院総選挙
明日は衆議院総選挙です。この度の選挙は「マニフェスト」と「二大政党制」がキーワードの選挙です。
自民党と民主党という政権交代可能な二大政党から時期首相を選ぶ英国的な責任政党政治に向かう基盤ができたといえます。

英国では、選挙が近づくと各政党は自らが選挙に勝った後、実現させる公約を具体的に冊子にして国民に訴えかけます。その政党が練り上げた冊子が「マニフェスト」と呼ばれるものです。
したがって我国においても小選挙区の候補者は、同じように自党のマニフェストを忠実に宣伝することになります。候補者一人一人が少しずつ違った公約を掲げ分かりにくかった前回の選挙より分かり易くなりました。

民主党のマニフェストは万年野党に甘んじた旧社会党の公約と大差はないように思います。なぜなら国家の基本である安保や憲法問題を前面に掲げておらず、それでは明治維新、第二次大戦後に続く日本の大改革はなしえないと考えているからです。
民主党のマニフェストの内容は「小泉政権の最大の弱点は経済などの内政なので、マニフェストは内政に重点」。
これを見透かすように、自民党は「安保」「憲法」をマニフェストの主要項目に掲げています。国政の舞台で「マニフェスト」の先鞭をつけた民主党ですが、中身の真価は総選挙で問われることでしょう。

自分が持つ一票を単なる一票だと諦めてしまわず、投票所へ足を運びこれぞと思う人物に一票を投じるべきです。今日本は激動の時代に直面しています。この緊迫した世界情勢に太刀打ちしていくには、真に強靭な実力派議員の登場が不可欠です。間違っても棄権はすべきでないと思います。
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平成15年10月1日 (水)
10月(神無月)
半年以上更新できませんでしたことをお詫び致します。
今回は歳時記について。

今月の花 ・・・菊・りんどう・月桂樹
今月の魚 ・・・鮭・ししゃも・ぼら
今月の野菜 ・・・松茸・ゆず・銀杏
今月の二十四節気・雑節
寒露 10月9日頃・・・秋が深まり、野草には冷たい露が降りてくる。
霜降 10月24日頃・・・朝霜が降り、晩秋から初秋へと 季節が以降してゆくのが感じられる。

亥の子餅・・・10月は十二支に当てはめると亥の月。
そこでイノシシの多産にあやかって、亥の月の最初の亥の日の亥の刻に、 新穀でついた餅を食べて収穫を祝い、 無病息災と子孫繁栄を祈る行事が誕生したそうです。

恵比寿講(10月20日)・・・日本中の神が出雲大社に集まる神無月。
留守を守る恵比寿神を慰めたのが「恵比寿講」の始まで、商売繁盛を願う商家の祭りです。 小豆ごはんやそば、うどん、野菜の煮物などを供えたりするそうです。
東京、日本橋の恵比寿神社付近の「べったら市」は もとは恵比寿様のお供えを売る市であったそうです。
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平成15年2月23日 (日)
早いものであっという間に2月も終わりですね。2月は逃げる、3月は去ると申しますが、春はもうすぐです。
天候不順な日々が続いていますが一雨ごとに暖かくなるとこの時期によく言われるように、雨が降る度に暖かくなっていますね。

先日、静岡県の河津町の河津桜を見学にしに行って来ました。この桜は早く咲く種類のもので当日は満開(9分咲)でした。川沿いに数千本の河津桜が咲く姿はとても素晴らしかったです。
暖かく天気にも恵まれ人出も多くたいへん賑わっておりました。
河津桜は平成になってから植え始めここ二、三年で有名になってきたそうです。
まもなく春の観光シーズンとなりますが、各地はさらに人が増えてきます。賑わう前に、一足早く春を探しにお出かけになってはいかがでしょうか。
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平成15年1月25日
新春
平成になりすでに15年目を迎えました。
今の暦では1月1日が新年ですが、旧暦で考えますと2月の立春をもって新年としてきましたので、まだ初詣をされていない方は間に合いますね。
さて、新年を迎えその神の降誕、示顕などのあった日をご縁の日として縁日と呼ばれ祭典がおこなわれます。
先ず1月5日は初水天宮です。
水天宮は数え御とし8歳で、平家一門と壇之浦で御入水の安徳天皇を、水神としてお祀りしたものです。水神にも降雨や止雨に関するもの、飲料水や灌漑用水をつかさどるもの、火災予防するもの、水難や航海の安全を願うのもなどさまざまですが、水を生命の根源としてもっぱら“羊水(ようすい)”を守る安産の神となっておられます。

初天神1月25日はどこの天神様も時期からいって、合格祈願の参詣者で賑わいます。受験生のいる家庭ではいよいよ本番、周りの人も落ち着かないことでしょう。

道真が平安時代の文学者として、漢詩、漢文、和歌、和文をよくし、清和、陽成、光孝三天皇時代の事を記して、六国史のうちに数えられる「三代実録」以下多くの貴重な著作を残し、政治家としてもすぐれていたのは説明する必要は無いくらいです。その母も我が子の勉学を激励するなど、教育ママの走りであったそうです。しかし、学問の神にまつり上げられたのは、それだけの理由によってではありません。なによりもその心がけにあったのであって、神と尊ばれるにはも誠をもって人々を感動させるところにあったのです。

しかし、醍醐天皇のとき右大臣に信任されますが右大臣藤原時平に讒(ざん)ぜられ九州の太宰府に流され無念のうちに没しました。
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平成14年12月30日
歳末の辞
いよいよ今年も後1日になりました。ここ一ヶ月はサイトの更新も出来ず失礼致しました。来年は定期的に更新出来るよう頑張ります。

今年もいろいろな事が有りましたが、やはり一番の出来事は北朝鮮が日本人の拉致を認めたことでしょう。ついこの間までそんな事実はないといっていたのに、いよいよ北朝鮮も苦しくなったのでしょう。五人が帰国できて本当に良かったです。残された家族とその他の拉致された方々も早々の帰国を願っています。

さて、来年平成十五年の干支は「突未」(みづのとひつし)です。十二支では「未」は動物として、羊が当てられています。

羊について
 羊は偶蹄目ウシ科ヒツジ属に属する草食動物で、家畜として親しまれ、温暖な気候条件を好み広く世界中に分布しています。その用途は主に羊毛・羊肉・羊乳生産のためで、羊毛は毛糸としてサージ・ギヤバンなどの滑らかな布地や、メルトン・フラノなどの柔らかい布に織られ、粗い毛は絨毯の原料毛として利用されるそうです。

 羊肉のうち、生後一歳未満の子羊の肉をラム、生後二十ケ月以上の成熟した羊の肉をマトンと呼び、ラムはマトンに比べ柔らかく、臭気も少ないので、ステーキやジンギスカン料理に用いられています。

 羊乳は飲用のほかバター・チーズの原料として利用されています。フランスのロックフォールチーズは羊乳チーズの中でも特に知られています。また羊の皮は薄く柔らかいので、袋物や細工物に利用され、古くは羊皮紙として紙の代はりに用いられました。

 ユーラシア大陸において、羊は最も早く家畜化された動物で、アジア〜ヨーロッパの牧畜民にとって最も大切な食料でした。また信仰的にも神への供物として重要な動物とされました。旧約聖書には神より食べることを許された動物として記され、過越の祭というユダヤ教の聖日には、犠牲として子羊を神に捧げます。イスラム教では、神への供物として雄羊を捧げることが最善と考えられています。

 羊は他の家畜に比べて弱く臆病で、野獣に襲はれると四散してしまい、牧夫の引導がないと群れから外れやすい性格を持っています。このことから、キリスト教では、「牧夫」という言葉が、過ちを犯す民を誘導する「牧師」を指す言葉に転用されました。牧畜民にとって羊が大切で有用、かつ象徴的な動物であったことの一端が窺えます。

 古代中国では、神事に際しては生賛を捧げることが行われましたが、生贅に捧げる動物として、羊は牛と並んで重要な動物でした。青銅器の中には羊をデザインしたものもあり、神聖な動物とされていたことを示しています。

 このように、羊は信仰的にも人間生活と深い関わりを持ってきた動物でしたが、我が国においては原産動物ではないためか、信仰的・民俗的な関わりを見出すことは出来ません。

 すでに『魏志倭人伝」に「其地無牛馬虎豹羊鵲」といふ一節があり、『日本釋名』に「日本にもとより羊なし」、また『本草綱目譯義』にも「是ハ和産ナシ」と記されています。

 我が国に羊がもたらされた文献上の初見は 「日本書紀』推古天皇七年(五九九) 九月条で、百済から羊二頭が献上されたことが記されています。「廷喜大膳式」 には「羊肺(ひつじのほしじ)」(羊の干肉)が見えますが、天武天皇四年 (六七五) の殺生禁断の詔勅には 「牛馬犬猿鶏の宍を食ふことなかれ」とあり、この中に羊が入っていないことから、羊肉を食することは比較的遅かったのではないかと考えられます。

 我が国における牧羊業の始まりは明治になってからのことです。特に第一次世界大戦後、軍の要請から羊毛の国内自給が叫ばれ、飼育頭数が増加しました。戦後は食料・衣料の不足から農家が盛んに飼育し、昭和三十年代には百万頭の飼育数を数えたと云います。しかし国外からの安価な羊毛が輸入され、化学繊維が発達すると、飼育頭数は再び減少し、現在では北海道と東北地方を中心に約二万頭が飼育されているに過ぎないそうです。

 羊は古代イランにおいて、その角が三日月形であることから、これを月の動物と考え、聖樹の周りに対置させる意匠が好まれました。このデザインは唐朝を通じて我が国に伝来し、正倉院の 「羊木臈纈(ひつじきろうけち)屏風」 には樹下を堂々と闊歩する野生の羊が描かれているそうです。

 「説文通訓走聲」によると「未」の文字には 「木が年を経て枝葉が茂る意」とあります。
 平成十五年が「羊」の如く穏やかで、「未」の如く繁栄の年であるよう祈念したいと思います。

月刊若木2002/12/01羊のお話より抜粋
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平成14年11月7日 (木)
神について考えてみました
神の存在を考えてみたことはありますが、やはり難しいですね。できるだけ皆さんにも分かり易く記したつもりです。

神、神さまといいますと、ある人は賛美歌がひびく教会を思い浮かべる方もあるでしょう。
日本人の多くは、深閑としたきの間がくれに遠く社殿を望む情景が浮かぶでしょう。
これは日本中、どこでも見られることではないでしょうか。
それは、あまり大きくない社や、田舎道の人知れず静まりかえったところもあるでしょう。また、庭先にある屋敷神の小さな祠(ほこら)や町中の繁華街にもお稲荷さんや、ビルの屋上などにもお社はあります。賛美歌が流れる教会の神でも、社や祠の神でも、私たち人間を超越する存在や人などであることは変わりはないと思います。

神は目には見えません。(中には見えるという方もいらっしゃいますが特殊な能力をもった特別な方です)しかし、われわれ日本人には我が国の固有の神を身近に感じようとする考え方があります。
神道がそうです。
有名な歌に
「なにごとのお在(わ)しますかは知らねども 忝(かたじ)けなさに涙こぼるる」・・・西行法師
伊勢神宮で詠んだとされていますが、清浄な拝殿をおがむと自然と有難さが胸にこみあげ、随喜の涙がこぼれてくるという意味でしょう。このことからも、目には見えなくても神様がおいでになることは多くの方によって意識的、無意識的に信じているのではないでしょうか。このように見えなくても存在しているのです。

人間は不完全です。完全者であろう神の存在を知る上で難しくいったりする人がありますが、神を求めるときは、その人、またはその民族、またはその環境によっても、異なったものになってくることでしょう。例えば一年を通じて昼は灼熱の太陽が万物を焼き尽くし、夜は気温が極度に下がりあらゆる生物の生死をも脅かす地域だとすれば、そこに暮らす人間には、無にの等しい自分を見失わないよう、全知全能(宇宙を創造し、支配する唯一絶対)の神を求めるのは理解できます。

対して、気候が温暖で四季の変化に富み、単一の民族で構成される我が日本民族は当然違うでしょう。この国土を生成し加護する神聖な存在であったり、神として崇められる偉人の御霊であったり、太陽・月・海・川・山・野などの自然の現象であったり木や巨岩、獣などありとあらゆるものが神になり得るのです。このように各民族によって様々な表現があるのです。

これらの神が人間を超越した者で不思議な力を持ち、冥々のあいだに存在し、人間に福をもたらすと信じられたり、畏怖(いふ)される対象であるには変わりありません。それは、素朴な超自然の中に高度の神性をも含んでいるからではないでしょうか。それが、神の存在だと思います。

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平成14年9月9日 (月)
重陽
9月9日は陽数(奇数)の極である9が重なるめでたい日として、重陽の節句が行われます。奇数月に月の数字と日にちの数字が一致する日を良き日として、3月3日桃の節句、5月5日端午の節句、7月7日七夕、そして9月9日重陽(菊)の節句とされます。本来旧暦をもとに考え出されたため、現状では3月3日は桃、5月5日は菖蒲の季節には早く7月の星空は梅雨の雲に隠され、9月9日はまだ菊の花は咲いていません。このように季節感にそぐわない点もありますが、奇数月の数字が一致する日を祝うという考えにより、太陰暦から太陽暦に改めた後も、本来の季節とは離れても数字をもとにそれぞれの節句は祝われています。
もとは中国の行事で、人々は酒肴や茶菓を持って小高い丘に登り、茱萸(しゅゆ)を髪にさし、菊酒を飲んで邪気をはらいました。日本に伝わったのは685年(天武14年)。後に前日の夜、綿を菊の花にかぶせ、夜露に濡れて菊の香りがうつった綿で9日の朝、肌をぬぐって老いを捨てるという「菊綿」という慣習までできたそうで、重陽を「菊の節句」ともいうのは、このように菊と縁深い行事だからだそうです。


平成14年8月14日 (水)
57年前の終戦

8月6日に広島で9日に長崎で平和記念式典がありました。ご存じの通り57年前に広島に投下された原子爆弾の驚異を思い出し、憎しみや報復の連鎖を断ち切り「和解の道」を歩むという式典です。そして8月15日は終戦記念日・敗戦記念日・戦没者を追悼し平和を祈念する日を迎えます。8月は毎年戦争のことについて考えることが多くなる時期です。

1945(昭和20)年8月14日、政府はポツダム宣言を受諾し、翌15日の正午、昭和天皇による玉音放送によって日本が無条件降伏したことが国民に伝えられました。これで、1941(昭和16)年12月8日の真珠湾攻撃で開戦した大東亜戦争が終結し、満洲事変から15年間続いた戦争が終わりました。内務省の発表によれば、戦死者は約212万人、空襲による死者は約24万人でした。

しかし、57年も前のことですと、戦争体験者や犠牲者の遺族また原爆の被爆者は高齢化し、その体験は風化していきます。原爆の犠牲については特に訴えていかなければなりません。原爆はただの爆弾ではありません。たった1発で何十万人の人を虐殺することができる史上最悪の兵器です。核兵器保有国はその威力を確かめるために実験を繰り返しますが、その時、何を思っているのでしょうか。

そんな私のような若い世代が原爆のことを知るためには広島・長崎に行くべきです。

昔、広島平和公園の記念館に行きました。そこには被爆者の当時の様子を再現した模型や、当時の写真、遺品などが展示してありました。

内容はかなり衝撃的でした。いくつかの絵や写真には共通点があります。その共通点というのは、描かれている人間の色がたいてい赤か、黒なのです。そして決まって裸です。ただ淡々と被爆者の絵や写真をみたり体験談を聞くだけでしたが、背筋が凍る思いでした。

歴代の広島市長が各国の核実験の度に打った抗議電報は624本にのぼるそうです(市長レベルではなく首相自ら抗議をしてほしいものです)。現在地球上には地球を何回も破壊しつくすほどの核弾頭が残っています。ヒロシマとナガサキを最初で最後の被爆都市にするため、唯一の被爆国の日本こそが、核の脅威をなくす運動の先頭に立つ強い決意を持ち続け、歴史を風化させない為にも、焼け野原から再出発した苦難の歴史を後世に語り継ぐ使命を怠ってはなりません。

今社会は混迷の度を深めています。神職個人のレベルを上げ社会に訴えるべき理念をもう一度見つめ直して行けば、かかる状況を打破できるのではないかと思います。

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平成14年8月7日 (水)
雑感

毎日、毎日暑くて大変です・・・。
すでに、こんがり小麦色の私ですが、レジャーで焼けたわけではないところが寂しいのです。くっきりシャツの跡、日に日に濃くなっていきます。

大阪の人気テーマパーク、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の飲料用の水に工業用の水道管がつながれていたという報道が先日されましたが、その中でUSJ側は、「苦情がきていなかったので公表しなかった」と言っています。

さらに水を使うアトラクションの水から、大腸菌やレジオネラ菌が検出されたそうです。また、火薬を使うアトラクションでは火薬の量が届け出よりも多く使われたことで中止になったそうです。

子供じゃないのだから、被害がなかったから公表しなかっただとか、別に大丈夫だから賞味期限切れの食品を提供してもいいとか、サービス業として、絶対にあってはならないことだと思います。

悪いところが一つ二つあると、他にも出てきそうでなんだかガッカリです。ここ3ヶ月の間で、入場者数も25%減とのことですが、今後もUSJへの客足が遠のく様子が目に見えるようです。さすがにUSJは対応策を発表したそうですが、当たり前のことをいままでしていなかったので、このような結果になったのだと思います。なんだか更に集客が減りそうです。私はまだ行ったことがないのでこの調子だと9月頃には空いているかな? 問題が多いといっても一度行って見たいのです。

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平成14年7月6日 (土)
七夕

「笹の葉さらさら 軒端にゆれる  お星さまきらきら 金銀 砂子」

7月7日又は月遅れの8月7日、笹竹に願い事を書いた色とりどりの短冊や折り紙を飾り、子供達は口々に星にお願いをすることでしょう。
この夜、牽牛、織姫の二つの星が一年に一度の逢う瀬を楽しむというう恋物語の伝説と、織姫にあやかって技芸の上達を星に向かって祈る風習が一つになってこういう情緒の深い行事が成立したそうです。

しかし、笹竹を立てる風習は、我が国では元々、重要な祭事の一つの形でした。七夕飾りの形態はやはり一種の神まつりという観念がその下地にあったことを意味しています。
この日、縁側に棚を作ったりお膳を出したりして、オコワ、ナス、キュウリ、カボチャなど初物の野菜などをお供えするところもあります。

七夕には、中国から入ってきた二つの星の恋物語や乞巧奠(きつこうてん)(裁縫が上達するよう祈る祭り)によっては語りきれない奥深いものがあります。
我が国古代の信仰では、タナバタすなわち七夕に設けられた機(はた)によって神の来臨を待ち、一夜を神に待して過ごす聖なる乙女があり、これを棚機女(たなばたつめ)といいました。人里離れた水辺の機屋(はたや)にこもり、神を待つ神女はそこを祭場として神を斎(いわ)い祭り、神の帰るのを送る日には村人が禊ぎを行い、あるいは送り神に託して穢(けがれ)を祓う行事の前提として、棚機女が神を迎えて祀るということにもなります。

また、七夕祭は盆の祖霊祭タナバタの読みには盆の先祖棚のタナを飾るハタともいわれています。そのタナのハタのタナバタが、それが祖霊の依代(よりしろ)である笹飾りに移行したのでしょう。
この日を「ナヌカボン」と称してお墓の清掃などに出かけるところもありますが、あと7日で、来訪する祖霊達の祖霊祭(お盆)を迎えるわけですからそのための潔斎であったとも考えられます。

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平成14年6月30日 (日)
夏越しの祓 大祓神事とは…

 水無月晦日(六月三十日)と師走大晦日(十二月三十一日)にツミとケガレを祓う神事。

大祓式は吾が国に古来より伝わる独持の神事で、半年毎に知らず知らずに身についたつみ罪、けがれ穢をひとがた人形に託して納め、清新な心でつつがなく半年を暮らしてゆく願いをこめ、六月と十二月の末日に行う行事です。

人間の生活では知らず知らずのうちにツミを犯したりケガレに染まることがありがちです。ケガレとは、たんに心身が汚れることだけを言うのではありません。穢(ケガレ)とは褻(ケ)(日本の古い言い方で普段、日常をさす言葉)が枯れる状態をいい、普段ではない様、病気や困難・不浄などを表しています。ケ(気)が、カレル(枯れる)ことつまり気力が弱まったり、運気が去ることを言います。祓とは、このツミケガレを祓い清めて神々のご神気を授かることです。そして、清く明るく正しい人間生活をつづけようと言うのが美しい国土のうちに培われた日本人の伝統信仰であり、大祓の意義であります。つぎつぎに仕事に追われ、目まぐるしい生活をしている現代人にとって、なおさら大祓によって心身一新することが大切です。 

この意義深い大祓に「形代(かたしろ)」にご家族の氏名、年齢をそれぞれお書きになり、お一人ずつ体を撫で息を吹きかけて下さい。また、交通災害が起こらない様に車の形代もございますので番号をお書きになり車を撫でて下さい。人形・車かたしろ形代は当日ご持参下さるか、お送り頂いております。
御神威のまゝにツミ、ケガレを祓い清めてかぎりない発展を祈願いたしましょう。 
大祓神事への参加はご自由です。

尚、ご持参又は郵送された皆様に、魔除の茅の輪を授与致します。玄関・お車にお付け下さい。

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平成14年6月3日 (月)
日韓ワールドカップ開催

おそらく日本で開かれる最初で最後!?のワールドカップ(W杯)が始まりました。 韓国でのフランス対セネガル戦(フランスが負けてしまいましたね)を皮切りに、長い長い1カ月間の世界的熱狂が続きます。果たしてどんな1カ月になるか楽しみです。
 
同じ4年に1度の大会でも、W杯はオリンピックと格が違います。W杯は五輪と違って過去に大国が出場辞退した例はないそうです。ミュンヘン五輪で起きたようなテロもないです。出場辞退は国民を敵に回し、大会の妨害は世界を敵に回すことになるからです。それだけサッカーは、世界中で国民生活に根付いていて、その最高峰の舞台であるW杯は、まさに国の威信を懸けた戦いになるのです。まさに代理戦争みたいですね。米国や日本など一部の国でしかやっていない野球とは比べモノになりません。

今大会、予選に出場したのは国連加盟国(189)を上回る198チームで、全世界でのべ400億人がテレビ観戦するといわれています。そんな全世界注目の大会をサッカー文化が未成熟の日本で、しかも麻薬取締法の逮捕歴があるというだけで一時代を築いたマラドーナの入国を拒否したような役人体質の国でやるのは「おこがましい」「100年早い」という声は依然根強いそうで、案の定というか、やはり今度の大会は開幕前からたたられています。

優勝候補に挙げられる強豪国では主力選手にケガ人が続出しています。

現在、世界最高のプレーヤーで、フランスのMFジダンは、疲労による左太もも前部の肉離れを治療中。3カ国目の連覇がかかるフランスは、最初の2試合をエース抜きで戦う羽目になりました。

イングランドは主将のMFベッカムが、左足甲を骨折。初戦出場の望みは出てきましたが、トップフォームには程遠いそうです。
 
主将のMFトッティが3月27日のイングランド戦で右太ももを肉離れして万全ではないイタリアは、26日の鹿島戦でFWインザーギ(28)が古傷の左ヒザを痛めました。
 
ポルトガルのMFフィーゴも右足首を痛めていて、大会直前のマカオ合宿では別メニューで調整しています。

ほかにも故障持ちはドイツのMFバラック、カメルーンのFWエムボマ、スペインのFWモリエンテス、スウェーデンのMFリュングベリなどなど、数え上げたらキリがありません。

監督とケンカしたり内部対立で来ないスター選手も多いのです。アイルランドの精神的支柱ロイ・キーンは監督批判でチームを離れました。イタリアのバッジオやブラジルのロマーリオなど、国内に熱狂的なファンが多い選手も、監督の戦術やチームの和を乱すという理由で選出されませんでした。

日本でも数少ない“世界クラス”の小野が虫垂炎で出場が危ぶまれています。数百億円かけて誘致しながら、つまらない試合ばかりにならなければ良いのですが。


昨夜、フジテレビ系列のドラマで「神崎京子の巫女日記奮闘編」というのがありました。
珍しく神社をモデルにしたものだったので見入ってしまいました。

東京・巣鴨を舞台に、小さな神社で起きた殺人事件と、その事件にまつわる別の殺人事件の真相をみこが追う。京子(泉ピン子)はみこのせいか、四十を過ぎた今も独身。タウン誌の編集長でもある。ある日、老舗料亭の店主・和彦(加藤久雅)と美月(越智静香)が結婚する。三三九度のお神酒を飲んだ二人は倒れ、和彦が死んでしまう。通夜(仏式でした)の翌日、美月は京子に古里へ帰るつもりだと告げる。その夜、京子は事件の当日に社務所にいた千鶴子(八木小織)に出会うが、その千鶴子も殺される。というサスペンスでしたがどこにでもありそうな神社での事件というところが、このドラマの見どころだったのでしょうか。しかし京子役(泉ピン子)はチョットキビシイものがありました。

途中でニュースステーションを見たところ、たまたま神社が映っていたのでよく見てみると「サッカー日本代表必勝祈願」をしていました。其の神社は多分私の知っている横浜市鎮座の師岡熊野神社http://www.kumanojinja.or.jp/だったと思うのですが、最後にたしか御神札に刻印されていたとおもうのですが・・・神社がテレビに映ると何か嬉しいですね。私だけでしょうか?

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平成14年5月7日 (火)
新茶

楽しみにしていた連休も終わりました。本当、休みってあっという間に過ぎてしまいますね。
皆さんは連休、何をして過ごしたのでしょうか?私はご存知の通り?!『仕事=奉仕』に奮闘しておりました。
お仕事を頑張っていた方、お疲れ様です。どこかでゆっくりお休みとってください。

新茶が美味しい時期になりました。「八十八夜」は立春から数えて88日目です。この時期に新芽を摘んで作られる新茶は、香りが良く、味わい深いのが特徴です。いつもはコーヒー党の方も、美味しい新茶を味わってみてはいかがでしょうか?


平成14年4月29日 (月)
黄金週間

 ついにGW(ゴールデンウィーク)がやってきました。 まだ始まったばかりの連休、皆さんいかがお過ごしでしょうか? 普段忙しいと、連休の朝はゆっくりと過ごしたいものですよね。

夏休み、冬休みとともに長い休日を満喫できるゴールデンウィークのはじまりは戦後のことだそうです。昭和23年7月、「国民の祝日に関する法律」が制定され、天皇誕生日、憲法記念日、子供の日と3つの祝日がたまたま一時期に集中しました。それに加え、5月1日のメーデーが労働者の祭典として多くの企業で休日扱いになったことから成立しました。もっとも、「ゴールデンウィーク」という呼称は昭和26年、「お客さんをもっとも呼べる時期」という意味で映画会社が名付けたものが一般に広がったそうです。黄金週間と表記するのも何か味があって良いかもしれません。

私は休日に「もうこんな時間だ!」と、飛び起きる事がよくあります。根が勤勉なためでしょうか(??)。 しかも直前に見た夢では、仕事をしていたり・・、ですが、休みだと気付いた瞬間、無性に『得した気分』になったりします。損した気分になる人もいるようですが、私はとても嬉しくなります。なぜなら休日に早く起きれば、長い時間を自分のために使えるからです!よくある話で、気付いたら夕方まで寝ていた・・・とか。自分も何度かそれに近い経験はありますが、とても落ち込みました。(おおげさです。)でも寝るのが趣味という方には、幸せな過ごし方なのでしょうか。休みの前に「休みはこれをしたい、あれもしたいなぁ。」と、いろいろ想像していると、休日をムダには出来ない という感じで、休みの前の日が楽しみです。だからやっぱり、休みは朝から晩まで目一杯、使いきってしまうくらい、いろんな事をして過ごしたいものです。

家族旅行、小旅行、日帰りの旅、海外旅行、スポーツをめぐる旅、自分もGW何をしようか考えましたが、残念ながら私は仕事です。「インターネット上で旅」をしながら、今日も一日、終わって行きます。

皆さんはGWにどんな計画をたてたのでしょうか?旅行に行くと決めた方! ぜひ楽しんできてください。

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平成14年4月18日 (木)
新年度

 新年度が始まりましたね。みなさんはどのようにお過ごしでしょうか。入学に卒業、入社退社などなど忙しい時期ですが、体には気をつけて下さい。

学校週5日制になってどうやって過ごすか悩んでいる方は多いかと思います。学校では補習を行ったりといろいろ考えているようですね。そんなときは、取りあえず外に出ることが一番です。家の中でごろごろとしていないで山に出かけてみてはいかがでしょうか。今は関東より西ですと新緑、東北は今桜が満開のころではないでしょうか。お出かけの際はお近くの神社を散策してみるのも良いかもしれません。ひっそりとたたずむ誰もいない神社などもたまには参拝してみましょう。御利益があるかも。

飛騨・高山で14・15日の2日間にわたって行われた高山祭は、京都の祇園祭、秩父夜祭りとともに日本三大美祭の一つに数えられているそうです。そのゆえんは、「飛騨の匠」と呼ばれる名人たちによる彫刻、織物などの技術が一体となって作られた荘厳華麗な屋台です。「動く陽明門」ともたたえられるその屋台をのせた山車が、美しい飛騨の山並みを背景に、祭囃子とともに川筋や町並みを練り歩きます。高山祭は春・秋と年に2回あり、春の祭に参加する山車は12台。中には、からくり人形のついたものもあります。まだ実際に見たことがないので是非見に行きたいですね。

近くの田ではそろそろ田打ちが始まっています。稲作は春の田打ちから。田打ちとは秋に稲を刈ったあとそのままになっている田を掘り起こし、土をやわらかくすると同時に空気を入れて稲作に適した土壌を作るために欠かせない作業です。昔は鍬を使ってひと打ち、ひと打ち切り返していったので、そこからこの名もついたのでしょう。田打ちを行う前の田は、ゲンゲや菜の花が植えられることが多く、紅紫と黄色の花が入り乱れて咲き、油絵のような美しさがあったのですが、最近では残念ながら見られるところは少なくなったようです。

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平成14年3月20日 (水)

 いよいよ春ですね。花粉症の方は今が一番辛い季節ではないでしょうか。

今日は24節気のひとつ、春分。黄道(太陽の通り道)が赤道を横切る交点に太陽が到達する時が、まさに春分の瞬間です。そのため彼岸の中日でもあるこの日、太陽は真東から出て真西に沈み、昼夜の長さがほぼ同じになります。戦前は春期皇霊祭の日でしたが、戦後は「自然をたたえ、生物をいつくしむための日」として国民の祝日になっています。春分から4月上旬にかけての気温の上昇率は一年の中でも特に大きく、そろそろ汗ばむような天気に恵まれる日も多くなることでしょう。

春と云えば春風・雪解け・春雷などなどいろいろ思い浮かびますね。今回は春風・雪解け・春雷についてです。

春風といえば「春風駘蕩(たいとう)」というように、暖かくおだやかな風を指します。駘蕩とはのんびりした、のどかな様子のことです。春風はその暖かさで氷を溶かし、草花の香りを運び、木々の枝を揺らし、霞を流れ動かすものです。人の心にものんびりした心地よさをもたらし、まどろんでいるうちに居眠りしてしまいそうになることもありますね。しかし、春に吹く風はそんなやさしいものばかりではなく、ちりやほこりを巻き上げる「旋毛風(つむじかぜ)」や強風の「春疾風(はるはやて)」もあります。

暖かい陽射しと空気が広がって、雪が積もっていた地方でも、そろそろ雪解けが見られる季節。日陰にはまだ雪が残っていても、日なたでは水気を吸ってぬれた土の色が見えたりしています。雪の下で寒さに耐えていた植物も芽を出し、動物たちは目を覚まして活動を始めます。雪山から流れ出る川は雪解け水を集め、冬の間は涸れかけていた河原に勢いよく水が流れ、土手の若草を湿らせます。こうして、周囲の風景に矢継ぎ早に春が刻まれていくようです。

春雷とは春に鳴る雷のことです。啓蟄を迎える頃、その春はじめての雷が落ちることが多く、これは初雷といいます。また、雷鳴にびっくりして冬眠していた地中の虫たちが目覚めるという想像から「虫出しの雷」という言い方もあります。この時期の雷は、寒冷前線が通過するときに暖気団を急に押し上げて上昇気流を起こし、積乱雲を発達させることによって生まれます。春雷は昼夜かまわず鳴るので、地中の虫ならずとも、春眠の夜明けに突然の雷鳴でびっくりすることもあるでしょう。

最後に、おぼろ月について。「おぼろ」とはうす明るい中で、モノの輪郭がぼんやり見える様子のことです。もうろうとしたおぼろ月の姿は春、低気圧が頻繁に通過するために水蒸気やも
やが空を霞ませておこる現象です。春の夜、おぼろに見えるのは何も月ばかりではなく「海おぼろ」や「草おぼろ」など、さらに寄せる波や潮の匂い、そよ風で草がすれる音や春草の香りまで表現する言葉もあります。その意味では、おぼろに包まれるのは私たちの五感全体なのかもしれません。

このように、我々の使う日本語は四季を通じて簡単な言葉によって様々な味わいがあります。日本に生まれて良かったとつくづく感じます。

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平成14年2月2日 (土)
節分

 節分は一年を春、夏、秋、冬の季節に四等分して立春、立夏、立秋、立冬と次の季節に移るときのことをいうのですが、いまは立春の前夜だけに名が残っているのは、やはり春を待つ気持が強いからでしょう。毎年二月二、三日ごろにあたり、多くの行事がありますが、なかでも知られているのは追儺(ついな)です。追儺の儺は鬼に扮した人のことで、鬼遺(おにやらい)ともいい、鬼を払って福を呼びこもうとするものです。起こりは中国で、『論語』郷党篇には孔子が、

   郷人の儺(な)には、朝服して昨階(そがい)に立つ (郷人儺、朝服而立・・・)
 
すなわち、土地の人がする儺のようなことにも、わざわざ大夫の正服を着て、階段に立って応じたとあって、立つのは礼儀です。

わが国には文武天皇の時代に入ったとされ、神事としておこなわれて、その祝詞は
″儺の祭の詞″の題で『延書式』 にも伝えられています。

・・・穢悪(けがら)わしき疫(えやみ)の鬼の、処々村々に蔵(こも)り隠らうるをば、千里のほか、四方(よも)の堺(ほとり)、東の方は陸奥(みちのく)、西の方は遠つ値嘉(長崎県の五島)、南の方は土佐、北の方は佐渡より彼方(おち)の処を、汝等(なむたち)疫の鬼の住処と定めたまい・・・

 鬼は、『和名抄』によると隠(おぬ)のなまりだという、と辞典にあったりしていますが、『易経』繋辞伝の鬼神をあてはめたものなのでしょう。
 本来は山野の精霊か、すさぶる神の代表で見えないはずだったのが、いつか額に角を生やし、虎の皮のふんどしをつけたりして、邪悪の具体化となっていたのです。これを追い払うのに、大豆が使われるようになったのは、室町時代のおとぎ草子などからだそうです。
大豆は畑の肉といわれる栄養豊富なタンパク質のたべ物のうえ、化学製品の材料としても魔の豆とされるほど用途が多く、昔の人もその内在する特別の力を認識していたのでしょう。

 しかし、この豆まきの神事も、昔はともかく今日では、福は内、鬼は外はエゴの公言として、「福は内、鬼も内」といって、外の鬼より恐ろしいのは心の鬼とし、すべて世は共存の時代としているとかんがえられています。

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平成14年1月15日 (火)
小正月

1月15日は小正月です。3が日を重んじる正規の正月を大正月に見立てて、それに対応する呼び方です。

古くは正月を旧暦により15日の満月の日をお正月としていたそうで、1月15日を小正月と呼ぶのは、その名残です。したがって今日の正月では松飾りを外し、これで松の内は終わったとする7日正月も、小正月を中心に見るときは七草粥もそうですが、伝統的お正月の予行です。

また、この日はとんど焼き、左義長、あるいはどんどん焼きなどとも言う正月の火祭りも行われています。竹または木を円柱状、あるいは円錐型に組み、中心にお飾りや縁起物を付け、門松や正月飾り、すす払いの時に出た去年のお札と一緒に燃やす、子供や若者が中心になっておこなう行事です。この煙にのってお正月の神さまは帰っていくと考えられ、その火は神聖なものとされます。ですから、とんど焼きの火で餅やだんごを焼いて食べると無病息災になり、書き初めを燃やし高く舞い上がると「手が上がる(上達する)」しるしとして喜ばれるのです。

しかし残念ながら、今日では飾りや縁起物、門松や正月飾りなど不燃物が多く使われているため、環境のことを考え規模を縮小したり、又は取りやめたりするところが増えています。このような状況で伝統文化を存続させるために神社では、燃えない物を外してお持ちいただいたり、不燃物がついていない縁起物やお飾り等をお勧めしています。

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平成14年1月11日 (金)
鏡開

お正月のあいだ、神棚や床の間に飾っていたオカガミ(鏡餅)を下げ、雑煮やお汁粉に入れていただく直会(なおらい)です。

古くは1月20日に行われていましたが、江戸時代に三代将軍家光の忌日と重なるという理由で11日の行事となりました。鏡餅は刃物で切ってはならないとされ、手か槌で割るのがしきたりです。「切る」とか「割る」とは言わず「開く」という言葉を使うのも、めでたい正月ならではの配慮です。

これで正気分にひと区切りをつけて、新たな気持ちで仕事や勉強に臨もうとする行事でもあります。


平成14年1月7日 (月)
皇紀2662年

あけましておめでおうございます。

厳しい時代を語る言葉が多く眼につきますが、一つずつでも乗り越えてより良い年となりますよう御祈念いたしております。

本年もどうぞよろしくお願い致します。

今日は七草です。

「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これや七草」という歌があるように、この7つの草を春の七草と称し、正月7日にお粥に入れて食べる習慣があります。

しかし、七草の種類は地域によってかなり異なり、雪国では七草粥といっても栗、串柿、ニンジン、ゴボウ、タラの芽など正月用に貯蔵した食品を用いるところもあります。

お正月のごちそうを食べ続けた後の七草粥は、胃にも優しく疲れた体にとても良いそうです。7種全部が揃わなくとも、ぜひ食し鋭気を養ってください。

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平成13年12月24日
クリスマス・イブに思う

今年も残すところあとわずかとなりました。

 国内では長引く不況による景気低迷や外務省をはじめとする官僚の汚職や警察等の不祥事が幾つも明らかになったほか、大阪での小学校襲撃事件などの凶悪犯罪も起きました。国外では、米国内で起こった同時多発テロ事件、さらにイスラエルとパレスチナ暫定自治区との紛争悪化など、事件や紛争が後を絶ちません。

 そんな重く暗い一年でしたが、師走一日、皇太子妃雅子殿下は無事内親王殿下を御出産され、十二月七日、敬宮愛子内親王殿下と御名が定められました。御誕生奉祝行事は、各地でくりひろげられています。本年は、昭和天皇御誕生百年の節目の年でもあり、新宮様御誕生を通じ、国民は万世一系の天皇を仰ぐ我が国体のありがたさを実感したのではないでしょうか。謹んで、敬宮殿下のお健やかな御成長をお祈り申し上げます。

国内情勢のうち、政局を振り返ると、森首相の退陣、聖域なき改革を標榜する小泉内閣の発足など、波乱に満ちた一年でした。特に、「八月十五日は靖國神社に参拝する」「聖域なき構造改革」「痛みを伴ふ景気回復」と公約に掲げた小泉純一郎内閣が六月に発足しました。首相人気(八割を超える高い支持率)の世論を背景に、七月の参院選では、自民党も大幅に議席を伸ばす結果となりました。小泉首相は靖國神社に公約日より二日早く、八月十三日午後参拝しました。これに併せて「戦争犠牲者すべてに深い反省と哀悼の意をささげたい」とのこれまで以上に日本罪悪論に傾いた内容の談話を発表しました。

 小泉首相は「純粋な国民感情として」八月十五日の靖國神社への参拝を公言してきたものの、周辺諸国の執拗な攻撃や、反小泉勢力による妨害によって、その意向が阻止され、現在もその動きは続いています。我々神社人は今後、このような周辺の雑音に惑はされずに堂々と参拝できるように、努力を積み重ねていかねばなりません。
 一方、教育問題に関しては、「新しい歴史教科書をつくる会」主導で編集された中学校社会科の「歴史」「公民」教科書が、教科書検定に合格して発刊され、これら教科書は一般書店でも発売され、ベストセラーにもなりました。

 教育は、国家の将来を託す次世代への重要な贈り物です。偏向したイデオロギーに流されることなく、そして国内外からの不当な圧力などにも怯むことなく、我が国の伝統文化に即した教育制度確立に向け協力し合う必要があります。そうした期待が寄せられて編集が進められた「新しい教科書」は、残念ながら私立学校等を中心に、ごく少数の採用でした。しかし、結果としての数字は小さいものの、新しい動きとして今後大事にしていかねばなりません。また一連の動きを見るとき、この教科書を推薦する関係者に対して、放火や脅し電話等が発生したことも忘れてはなりません。

斯界を取り巻く現状は潔く重い課題が山積しています。天皇・皇后両陛下には、十一月末、皇祖をお祀りする伊勢の神宮に御参拝遊ばされました。混迷する社会に直面する今、敬神崇祖の範を示された大御手振りを拝し、皇室を戴くわが国の在り方を今一度自覚し、広い視野で来るべき新年を明るい希望のある年としていきたいものです。

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平成13年12月6日
祝内親王殿下のご誕生

この度の内親王殿下のご誕生は、明るい未来への希望を日本国民に与えてくださる慶事で誠におめでたく心からお喜びを申し上げます。お健やかなご成長を祈念申し上げるとともに、謹んで皇室のますますのご繁栄をお祈り申し上げます。

師走になりました。すっかりご無沙汰いたしております。
外はもう紅葉も終わり寒さが日毎に身に凍みます。

霜月は収穫の時期でもあり各地では五穀収穫の感謝の秋祭りが祭行されました。
天皇陛下には、11月23日24日にかけて皇居・神嘉殿で新嘗祭を御親祭遊ばされました。新嘗祭は今年の秋に収穫された新穀を、「夕の儀」「暁の儀」で皇祖をはじめ神々に御神供遊ばされ、神恩を感謝された後、陛下御親(みづか)らもお召し上がりになられる祭事です。

天皇陛下御親(みづか)らお示しになっているこの祭りの主としてのお姿に万古不易である日本の伝統文化の根源をうかがうことができるでしょう。

ところで、12月といえば「クリスマス」というくらいにクリスマスは今の日本になじんでいます。そこでクリスマスはどう思っているのかと質問がありました。難しい質問ですが、わかる範囲でお答えします。

そもそも、クリスマス(12月25日)は異教の太陽神の祝日で冬至には、日照時間が最短となり、以後日増しに太陽の恵みが強くなることを祝っていたそうです。
キリスト教がこれを吸収し、変容して義の太陽であるキリストを祝う日としたそうです(イエスの誕生日は不明)。

四週前から待降節(間をつなぐ期間)に入り、教会ではリースに4本のローソクを立て毎主日《毎日曜日=小復活日「ユダヤ教から出てきたキリスト教は最初のうちはユダヤ教の安息日土曜日(正確には金曜日の日没から土曜日の日没まで)を守っていましたが、復活の出来事が日曜日と関連していた為に、早くから日曜日を礼拝の時として安息日を守るようになりました)》一本ずつ点火するローソクの火をふやしっていって、クリスマスへの心の準備をするそうです。前夕にはイブ礼拝が行われます。クリスマスツリーや贈物交換の習慣は比較的新しいものだそうです。

以上がクリスマスに関する説明ですが、この意味を知っていてクリスマスを祝っている人たちは極々一部でしょう。私は、なんでも良いものは取り入れて、自分のものにしてしまうのが日本人だと思っていますので、クリスマスの「クリスマスツリーや贈物交換の習慣」だけが「何か良さそうだから」といった安易な理由でイベント化して流行しているのでしょう。

クリスマスについては、全然否定はしていませんし、逆にそれによって他宗教に触れることは良いことだとおもいます。

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平成13年10月25日
日本において宗教が日本の民主主義にどのように影響を与えるか

アメリカのクレアモント大学大学院アルフレッド・バリツッアー教授の研究室で政治思想を研究している方より質問がありましたのでお答えします。(博士論文作成のため日本において宗教が日本の民主主義にどのように影響を与えるかどうかについて研究しているそうです)

1. 憲法20条では国の宗教活動を禁止しています。(「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」第3項)内閣の閣僚が公人として靖国神社に参拝することはこの条項に反しているという意見がある一方で、国家として戦没者を慰霊するのは日本の習慣上、当然だという意見があります。あなたは政府の閣僚の靖国参拝に賛成しますか。(はい・いいえ・分らない)

はい。賛成です。

理由  我が国においては、国立墓地にあたる施設は靖国神社です。当然、内閣の閣僚が公人として靖国神社に参拝するべきです。さらに、天皇陛下が参拝されるべきです。陛下の参拝は戦後一度も実現しておりません。とても残念です。アメリカでも国の宗教活動は禁止されています。しかし、国のために犠牲になられた方々を国立の墓地にてキリストユダヤ方式にて慰霊しています。


2. 現天皇が1990年に即位式の後、神道の形式に則って大嘗祭(だいじょうさい)を行いました。憲法89条の原則(国家予算を宗教行事に使うことを禁じている)に反しているという意見もありますが、その一方で皇室行事は日本の伝統であり特別だと考える人もいます。あなたは大嘗祭は国家行事として行ったことは正しかったと考えますか。(はい・いいえ・分らない)

はい。正しいです。

理由  大嘗祭は神道の形式に則ってとありますが、大嘗祭はもともと神道が神道と呼ばれる前からの祀りです。仏教の伝来当時、皇室の作法も少しは影響されましたが、伝統的な形式(神道式)で今日まで数々の混乱を乗り越えて続いてきたことは周知の事実です。従ってこれは神道であって神道ではない。即ち伝統文化です。衣冠束帯が正式な服装ですが、これは千数百年以上も前から続く伝統のもので、それが神道の形式というなら今の神社神道も当然宗教ではなく伝統文化といえるでしょう。

国家予算を宗教行事に使うことを禁じているとありますが、天皇の諸行事は憲法上今まで通り行って良いことになっていますので当然国事行為として国内外に発表するべきです。


3. 日本は戦争放棄を示した憲法9条を改憲すべきだと思いますか?(はい・いいえ・分らない)

はい。改正するべきです。

理由 今のままの条項だと自衛隊は憲法違反です。存続させるには改正し自衛隊を日本軍とするべきです。海外では自衛隊に対する訳は軍隊(日本軍)だと聞いています。今のまま拡大解釈を続けると戦前のように歯止めが利かなくなります。何ができて何ができないのか、はっきり憲法に唱うべきです。


4. 1999年、国会では「君が代」を国歌とする法案を可決しました。あなたはこの可決が正しかったと考えますか? (はい・いいえ・分らない)

はい。

理由  国民の一部には「君が代」の君は天皇を指していて戦前の現人神を讃える詩などとんでもないとよく耳にします。「君が代」の君には二つの意味がありまして、一つには「日本国の象徴である現行天皇を中心として」という意味と「自分を含める皆の」です。その二重の意味を含めてその後の「千代に八千代に・・・」と続くのです。

そもそも、国家国旗が憲法に決まっていないことが問題なのです。明治憲法発布前から慣習として続いてきたものですから、GHQが占領時に作成した日本国憲法に入れ忘れていたのが原因です。慣習で100年以上も続いてきたのですから可決は当然です。


5. 同時に「日の丸」を国旗とすることになりました。あなたはこの可決が正しかったと考えますか? (はい・いいえ・分らない)

はい。

理由  問い4の理由に同じ


6. 2000年5月、森首相(当時)は「日本は天皇を中心とした神国である」と発言しました。あなたは森首相に賛成しますか? (はい・いいえ・分らない)

はい。賛成です。

理由 「天皇を中心」という所については天皇は象徴ですから国民の中心です。その天皇を中心として国民が統合し日本国を形成していますので間違い、問題はないと思います。

「神の国である」これは諸外国の宗教とくにユダヤ、キリスト、イスラムなどの一神教世界では理解しにくいことだと思います。日本では神様は誰ですかと聞いたら、聞く人聞く人によって実に様々な神様があがるでしょう。それほど、日本のなかでの神様は多種多様で様々な役割をおもちです。なぜなら、日本で云う神様は絶対ではないからです。人間と同じように得意不得意があってそれぞれ役割分担をしているのです。ですから、他宗教の神様も日本の神様と同じに考え、一番偉い神様がいないのです。キリスト様、マリア様、マホメット様も日本に来れば皆八百万の神々の一人なのです。


7. 宗教があなたの日常生活に重要な役割を果たしていますか? (はい・いいえ・分らない)

分かりません。

理由 宗教の定義がよく分からないのでうまく答えられませんが、神道は日本人の日常生活、文化伝統そのものですから神道が宗教なら日常生活そのものでしょう。


8. 宗教があなたの仕事に何らかの影響を与えていますか? (はい・いいえ・分らない)

はい。

理由  神社で奉仕をしている神職だからです。


9. あなたは宗教が日本の民主主義に役立っていると思いますか? (はい・いいえ・分らない)

はい。

理由  日本で云う民主主義は欧米で云うところの民主主義とは少し違うと思います。国会では1票差で勝ったら勝ちです。民主主義ではあたりまえですが、日本では全会一致、全員賛成か反対でないとなっとくいかないような気がします。それは欧米の民主主義が日本に馴染んでいないからだと思います。

聖徳太子の「和」の精神(当時の宗教を利用した日本型民主主義)がそのまま現代も生きていて、そういった意味では宗教が日本の民主主義に役立っていると言えるのではないでしょうか。

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平成13年10月1日
米国同時多発テロ

平成13年9月11日、米国で起きた同時多発テロ事件はほんとうに驚きました。映画のワンシーンを見ているかのようでした。

政府の対応で気になるのは、日本は「同盟国」をうんぬんする前に、このテロによって自国民が被害にあったという正当な「被害国」であるという認識です。自国民が被害にあったとするなら、日本は日本の国家として、その犯人を糾明しなくてはならないでしょう。

その犯人を裁きにかけなければならない。それが通常の警察力ではなく、軍事という国際協調によってしかなさらないのだとしたら、そのために、それを行うのである。

その立場を明確にせず、「同盟国」などを協調するから話はおかしくなる。例えば仮に、この戦闘が最悪の構図「イスラム教対キリスト教の戦争」には、日本は、アメリカの同盟国として参加すべきでは無い。それこそ、神道の教えに背きます。

日本は、無差別テロの被害者として、無差別テロ撲滅の為に、独立国の資格で、制裁を援助すべきだと思います。

何度も言いますが、日本はテロ被害国です。そして、日本人がアメリカ国内でテロにより犠牲になったとするなら、日本はアメリカに真相究明を求める権利すら有しているのです。
 
アメリカが、その真相究明、事件解決のために日本に協力を求めてきたならば、初めて、その時、対応策を決めればいいと思っています。

政府の発表です。
http://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/0919sourikaiken.html

(今回の程度の場合、自衛隊の派遣には、反対というマスコミが多いが、政治的アピール・情報・経済的援助でどんどん日本を表に出してほしい。世界から金だけ出して汗を流さないと言われないために)

犠牲となられた方々に哀悼の意を表すとともに、未だ行方不明の方々全員の無事救出を心より願い、併せてご家族等関係者に心よりのお見舞いを申し上げます。


平成13年9月14日
台風、テロル

東海から関東東北にかけて台風が直撃。各種交通機関がマヒしていました。
自然の前には人間の作ったものはかなう訳ないと分かってはいるのですが、
いざ直撃されるとなんとも不安になるものです。
天災の後には人災?とばかり、ニューヨークから悲しい事件のニュース。犠牲者の方々のご冥福をお祈り致します。
不安は絶えないものです。

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平成13年9月8日

「秋」と言えば松茸に栗にぶどうにサンマに…と、つい食べ物ばかり思い浮かんでしまいます。旬の味覚は、やっぱり旬のうちにおいしくいただきたいものですね。秋の実りといえばやっぱり稲穂!早くも新米が、いろんなお店で売り出されています。 

 稔りの秋を迎える頃、九月九日(陰暦)は重陽の節日に関係があるとみられる祭りにオクンチ(お九日)(くにち)があります。もともとは「お供日(くにち)」で、神に新穀を献供する日であるこの日を「オカリアゲ」と呼んでいるところもある。刈り上げ祭にほかなりません。現在は秋祭りの意で、十月から十一月にかけておこなはれています。

長崎をはじめ九州にはこの名の祭りが多い。一般の収穫祭にあたりますが、春の予祝の行事に豊穣を祈った田園が、風雨も順調に過ぎて収穫の秋を迎えたよろこびはひとしおです。神のコトヨサシによって労(いたづ)き励んで作った結果、この通り収穫できましたと、まず神のみ前に新穀を献げてお祭りをします。それが「供日」というものです。この新穀を食べる儀式にあたる新嘗祭はその後にありますが、山車が出たり、獅子舞や太鼓や花傘があるなど、各地でそれぞれ趣向をこらして展開しています。

 その中でも長崎諏訪神社の「くんち」(十月七〜九日)は、神輿の渡御(お下り)(おくだり)と神輿の還御(お上り)(おのぼり)の神事祭があり、また神前に「龍踊り」等の踊りを奉納することで有名です。諏訪神社の造営は寛永二年(一六二五)で、三年はじめて湯立神事がおこなわれましたが、大祭の最初は寛永十一年でこの年出島埋築が着工され、眼鏡橋が架けられました。

 それ以後、神社のおこなう祭典とともに町民の奉納する踊りが「くんち」を盛大にもりあげました。それには、唐蘭船の貿易に潤う長崎町民の豊かな経済力が、この豪華な祭りを維持してきたという事実も見逃せません。龍踊りは享保年間、唐人屋敷で上元の祭りにおこなっていたものを伝授してもらったということで、異国情緒を漂わせますが、長崎という土地柄をあらわして、絢爛たる見ものです。奉納の御朱印船、川船、傘鉾、鯨の潮吹き等さまざまの風流が町を練ります。

 唐津神社の唐津おくんち(十月二〜四日)も、豪華な曳山(十四台)が出ます。巨大な一閑張りの青丹難一対の獅子頭、兜・七宝丸・亀と浦島太郎等で、一閃張りは和紙を漆で重ね張りした紙漆器です。 文政二年(一入一九)石崎嘉兵衛という人物が伊勢詣りの帰途京都の祇園祭を観て思いたち、有志と謀って赤獅子を作ったのが唐津曳山のはじめと云われています。ここにも祇園山鉾の移入を見ることができます。山笠の方はそれより早く、宝暦十三年(一七六三)からあったそうです。宵山は提灯で飾って町内を練り神幸祭には賑やかな山獅子の競演があって、収穫の秋を祝うのです。

 このような盛大なお祭は、なかなかお近くに無いかもしれません。しかし、是非そうなるよう皆さん一人一人の力を合わせて地域の氏神様を盛大にしましょう。


平成13年8月14日
お盆と日本人

昔から「まるで盆と正月が一緒にきたようだ」とよく云います。それほど盆と正月は、我が国最大の年中行事です。今回は、このお盆についてです。

お盆は多くの方が仏教の行事と考えているようですが、元来は仏教と関係の無い日本固有の先祖祀りが元になっています。ところが、江戸時代に入り幕府の檀家制度により、庶民の先祖供養を仏式によるよう強制したため、お盆は仏教のみの行事として誤解されて現在に至っているのです。

ですから神道の家庭においても、お盆の期間中には、自宅の祖霊舎を清めて、季節の物などをお供えし、家族揃って御先祖さまをお祀りします。

我が国では、古くから神祭りと共に、御先祖さまの御霊を丁重にお祀りする祖霊祭祀がおこなわれ、人々は神と祖霊の加護により平安な生活を過ごしました。そして、この神とは唯一絶対の神でなく、自分と繋がりのある御先祖さまが徐々に昇華して神となった御存在であると信じてきました。

年中行事の中で、お盆とお正月が二大行事として重祝されるのも、お盆が御先祖さまを、お正月が神さまをお祀りする行事として、いずれも我々と繋がりのある祖霊や神々をお招きするという意味を持つからなのです。

ちなみに、仏教行事のお盆は、『盂蘭盆経』という経典によるものであり、仏弟子の日蓮が餓鬼道に落ちて苦しんでいる母親を救うために、釈迦の教えで、七月十五日に安居(あんご・修行)を終えた僧侶を百味の飲食(おんじき)を供えて供養したところ、その功徳により母親を含め、七世の父母(七代前の先祖)までを餓鬼道から救済することができたという孝行訳語に基づくものです。

仏教が我が国に伝来すると、こうした盂蘭盆会(うらぼんえ)の行事が諸寺院においておこなわれるようになりました。当初は僧侶の供養が中心だった「盂蘭盆会」は、その後、我が国の祖霊祭祀と結びついて、御先祖さまを祀る「お盆」となりました。

現在、地域や各家庭により新・旧暦を基準とし、七月十五日前後か、もしくは、八月十五日前後にお盆がおこなわれますが、いずれにしても、日本古来からの大切な「先祖まつり」の期間であることに変はりはありません。

歴史を通じて、浸透している仏教の、西方浄土や十万億土という遠い死者の教えにもかかわらず、日本人の大半は今も祖先がきわめて身近な場所から自分たちを見守ってくれると感じていることは、日本人に今なお潜在する民族古来の他界観念(=神道観念)によるものではないでしょうか。

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平成13年8月1日

今日から8月。夏本番!のこの時期こそエネルギーを放出させて思いっきり楽しみたいものです。でも、そろそろ夏の疲れが・・・なんて人も正直、多いのではないでしょうか?
特に暑さが厳しい今年の夏ですが、夏バテ防止はやっぱり食べること。疲れを吹き飛ばすメニューで精をつけましょう!


平成13年7月6日
七夕

明日は七夕祭です。

現在最も浸透している面を持つ行事は「乞巧奠(きこうでん)」という牽牛・織女の伝説に関連したもので、裁縫の上達を願う「女性の祭」として755年に宮中で始まったといわれています。これは、時代を経るにつれて、芸事・詩歌文学・書道の上達を祈願する行事として人々へ浸透してゆき、今日皆様のよく知るかたちになりました。

そして、一つには巡り合うべき異性の姿を占うといったり、男女の縁を占うという意味をまた別の側面に持ちえている例も伝えられています。

大神様のお力とお恵みをいただきながら皆様の心よりのご祈願がかないます様、ご祈念申し上げております。


平成13年7月5日
夏越しの大祓神事

水無月が終わりました。

水無月晦日、夏越しの大祓神事を執り行いました。
神事では、半年間人間が受けた穢れや病魔などの災いを人形(ひとがた)に負わせて(人形を体に押しつけたり息を吹き付けたりする)茅輪をくぐり、身体を清めました。

これで、暑い夏を無事に過ごせそうです。

(注)人形は川や海に流すかお焚き上げする

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平成13年6月15日
サイトリニューアル

サイト全体を少し変えました。

今日は水無月中望の日、月次祭の日です。
梅雨も本格的に始まり憂鬱な日々がつづいていますが、
水無月は大祓神事がございます(6月30日)。
この神事には茅で作成した輪をくぐることにより半年間の罪・汚れを祓い清めます。

平成13年3月23日

いよいよ春ですね。

神社としての忙しい時期は過ぎました。今は年度末の整理をしています。一応会社と同じように決算もあります。

新年度に向けてページを少し変えようと思っています。楽しみにしてください。


平成13年1月24日
新春

やっと、更新できました。

あけましておめでとうございます。今年もよろしくいねがい致します。

神社では正月の忙しさは一段落しましたが、こんどは節分祭の準備です。まだまだ、いそがしい日は続きます。


平成12年10月16日
雑感

秋も深まってまいりました。今神社では、七五三の準備に追われています。お参りに見える方もちらほらいらっしゃいます。七五三は男女3歳、男児5歳、女児7歳の年齢に達する男女児が盛装して、11月15日に神社へ参拝し、神の御加護によりこれまで成育したことを感謝します。

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