Piece1 飲み会における男女の法則(4−3)

 “エル・ド・ラド”は、NW学園都市を東西に貫く、NEW通り−−−通称N.Stの、雑居ビルの地下にあった。
 鏡張りの室内に、作り物の植物が、ジャングルさながらにディスプレイされている。オリエント風の装飾品が、あらゆるところに置いてあり、雑然とした印象のある店だった。
 ティアナが、嫌がるヒサトを連れてその店に入ったときは、既に7時を20分ほど過ぎていた。
 店内は、学生たちでひしめき合っている。どうりで瑠耶が、会費を半額でいいと言ったはずだ。店の収容人数を、越えているのではなかろうか。恐らくは、お調子者の瑠耶が、あちこちに声をかけまくった結果なのだろう。
 「やっぱりオレ、帰る」
「待ちなさいよ。あたしに一人で行けって言うの。こんないい女が、たった一人で」
 入口で、背を向けようとしたヒサトの襟首を、すかさずティアナが掴んだ。そのまま、有無を言わさずに、店の中へと入っていく。
 あちこちのテーブルは、ほぼ満席状態だった。なかには、早々にカップルになり、いい雰囲気になっている者すらいる。緋披瑠耶も、そんな一人だった。
「ハイ、リュウ」
 ティアナは、ヒサトの襟首を掴んだまま、カウンターで女性に顔を近付けて話している瑠耶に声をかける。振り返って二人を確認した彼は、いつもの軽い笑顔を浮かべると、
「ティアナ、どうしたの。遅いお出ましで。桃山ちゃんと平成なんか、早々に来て、大騒ぎしてるぜ」
瑠耶の肩越しに、たった今まで彼と話し込んでいた女性が、敵意に満ちた視線を投げていた。それだけで、ヒサトは身が縮む思いなのだが、とうのティアナには、全く気にした様子はない。
「そう。なんだか、聞いてたよりもずいぶんメンツが違うんじゃない。体育学部なんて、どこにいるのよ」
 そんな彼女の台詞に、瑠耶は苦笑して親指で奥を指し示す。ティアナが訝しげな顔をすると、
「行けば解るって。じゃ」
 そう告げて、再び女性の方へと向き直ってしまった。そのとき、彼の左手が、さりげなく彼女の腰に回っていたのを、ティアナは見逃さなかった。が、いつものことなので気にも止めず、ヒサトの襟を引っ張ると、
「行くわよ」
 ずんずんと奥へ進んで行った。

 奥のテーブルは、瑠耶の言った通り、体育学部の連中でいっぱいだった。どういうわけか、女性の姿が見当たらない。体育学部の九割が体育学部寮暮しで、それゆえ、こういった飲み会の席で“食い”に走るという話は有名だが、どうもそんな雰囲気ではない。問答無用でヒサトを連れ歩いていたティアナは、そのテーブルの中心に座っている女性が目に入ると、思わず足を止めた。
 援やかな、ハニーブロンドの髪。エメラルドをイメージさせる、緑の透明な瞳。中近東辺りの民族衣装であろうか、鮮やかな青の長衣を身に付けている。端正で穏やかな、柔らかいその容姿。人形のような西洋的な顔立ちだが、どこかオリエンタル的なものを感じさせる。
 「ナーディヤ」
 ティアナは、迷わず彼女の名を呼んだ。金の髪の彼女は顔を上げると、二人に向かって微笑みかける。純真無垢とでもいうのだろうか。汚れを知らない、聖牲すら感じさせられる微笑だ。
「ティアナ様、ヒサト様。お二方も、いらっしゃってたんですね」
 ティアナは笑みで応じると、ヒサトとともにナーディヤの隣りに腰を下ろす。体育学部の車中から、羨望と嫉妬とが入り交じった視線が、ヒサトに集中する。その矢のように突き刺さるそれらに、ヒサトは居心地の悪さは感じてはいるものの、意味するところが理解できずに、ただ肩をすぼめているだけであった。ティアナはといえば、さりげなく足を組んで、ビールの入ったグラス片手に、周囲に悩ましげな視線を投げている。大胆なスリットの入ったスカートから、魅力的な足がのぞく。
「ヒサト様は、お飲みにならないんですの」
 ナーディヤがビール瓶を手にして、そう彼に尋ねる。途端に周囲から、非難の声が上がる。
「ナーディヤさん、こんな野郎のためにそんなことする必要ありませんよ」
「そんなもの、持たないで」
「あ、ジュースでもお注ぎしましょうか」
「おい、お前。ナーディヤさんに気を使わせるんじゃねぇ」
 ただでさえ体育会系のごつい男たちだけに、凄むと生半可ではない迫力がある。ヒサトは、口もきけずに、ただおろおろとするばかりだ。その様子を見かねたナーディヤが、間に入る。
「あ、あの、皆様。そのようなことをおっしゃっては、ヒサト様にご迷惑がかかりますわ。それに、私は好きでやっていることですし」
「いいえ、いけません」
「何をおっしゃっちゃってるんですか、ナーディヤさん」
「そんなこと、気にしないでください」
「はら、お前がモタモタしてっからなんだよっ。さっさと、自分でビールぐらい注げっ」
「は、はい」
 周囲の迫力に気押されて、ヒサトは仕方なしにビールを手酌する。そんな彼を、申し訳なさそうに見ているのは、ナーディヤだ。二人の様子を視界の隅に捕らえながらも、ティアナは我関せずを決め込んで、無視し続けていた。

 数十分後。所在なげに、グラス片手にうろうろしているティアナを見つけたのは、平成であった。
「ティアナ、なにしてるんだ、こんなところで」
 台詞に笑い声が重なる。完全に酔っぱらっているだろうことは、その目を見れば明らかだ。
「平成、あんたの保護者はどこよ」
「保護者ぁ」
「桃ちゃんよ。桃山ちゃん」
「桃山なら、あっち」
 なにがおかしいのか、そのまま平成は大声で笑い出す。巷では、“七色の平成”と呼ばれ、毎度毎度違う酔い方をすることで有名である。どうやら今日は、笑い上戸になっているらしい。どちらにしろ酒グセは、あまり良くない。
 ティアナは平成の手を掴むと、人の波をかき分け、先刻彼が示したボックス席へと向かう。途中目に入ったカウンターに、瑠耶の姿は既になかった。察するに、口説いてい
た女性と、一緒にどこかへ消えたのだろう。相変わらず手の早い男だ。
 ボックス席では、数人の男女が歓談していた。その中心に、桃山冴子がいた。同性に反感をかいやすいティアナとは違い、桃山は異性にも同性にも人気があった。
「桃ちゃん、平成がうろうろしていたわよ」
 少し離れたところでそう声をかけたティアナに、桃山は手を振ると、
「ティアナ。そんなの放っといていいからさ。ね、一緒に飲も」
「いいのかしら、お邪魔しちゃって」
 めずらしく、ティアナが殊勝な台詞を放つ。この場にヒサトがいたら、鳥肌ものである。
「どうぞ、どうぞ。美人は大歓迎ですよ」
「あら、おだててもなにも出ないわよ」
 ティアナはそう応じながら、桃山の隣りに腰かける。周りの男子学生たちが、グラスやおつまみやらを彼女に勧める。
 実際、学内において、桃山冴子、ティアナ・フィシスの二人は、理系の二大美女として評判で、人気もかなり高い。昼間の瑠耶の台詞は、あながち嘘というわけではなく、二人が揃うと、自然と周囲の注目を集めることになるのだ。
「ティアナ、一人なの。ヒサトは」
「ナーディヤと一緒に、奥の席よ」
 桃山の聞いに、ティアナはにこやかに応じる。平成はというと、隅の席で、男子学生たちとビールをかけ合っている。ティアナの台詞を聞いた途端、桃山は同情に満ちた瞳を彼女へと向ける。
「なによ」
「それって、地獄じゃないの。ナーディヤって、体育会系のアイドルじゃなかったっけ」
「そうだったかしら」
 ティアナに悪びれた様子は、全くない。こと男女関俵には、敏感すぎるほど敏感な彼女である。知らないわけがないのだが、相手がヒサト・シグリットとなると、話は別である。ケンカ友達というか、悪友というか、彼に関しては、ティアナはいじめて楽しんでいるかのようなフシすらあるのだ。とはいえ、積極的にヒサトを庇う気にもなれず、傍から見ている分には楽しいので、桃山はそれ以上の言及を避けた。
「それより、ねぇ、ティアナ」
 話題を変えようと、改めてティアナに声をかけた桃山が見たものは、なかなかの二枚目の男子学生と、いい雰囲気になっているティアナの姿であった。持って行き場のない視線と言葉に、彼女が戸惑っていると、ティアナが気づいたように、
「あ、桃ちゃん。あたし、帰るわ。西原君が送ってくれるって言うから」
「あ、ああ、そう」
 桃山の返答も待たずに立ち上がるティアナに、彼女はただ呆然とするしかなかった。そしてそのまま西原という学生と、仲睦まじくその場を去って行ってしまった。桃山はしばらくの間、困ったような顔をしていたが、ビールをかけ合ってはしゃいでいる平成を見つけると、
「あんたが、悪い」
「へ」
 呆然とする平成に、桃山は手近にあったビールを浴びせかけた。
 その後、“エル・ド・ラド”で大ビールかけ大会が行われたのは、言うまでもない。


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