奪われし未来:10年後
ジョン・ピータソン・マイヤーズ、ダイアン・ダマノスキ、テオ・コルボーン

情報源:in press, in San Francisco Medicine, December 2005
Our Stolen Future: A Decade Later
John Peterson Myers, Dianne Dumanoski and Theo Colborn
http://healthandenvironment.org/?module=uploads&func=download&fileId=163

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会
掲載日:2006年4月30日

訳注: この小文は Collaborative on Health and the Environment (CHE)のウェブサイトで定期的に行っている特集  ”CHE Partnership Call(パートナーへの電話インタビュー)” の 2006年3月22日分、 ”Endocrine Disruption and Environmental Health: Ten Years After Our Stolen Future” での背景資料として紹介された記事を翻訳したものです。この2006年3月22日分の電話インタビュー(ジョン・ピータソン・マイヤーズ、ダイアン・ダマノスキ、テオ・コルボーン)は別途、翻訳して紹介する予定です。

 誰が10年前に次のようなことを予測していたであろうか:
  • 環境汚染物質であるビスフェノールAを、米疾病管理予防センターのテストで得られた、事実上、全てのアメリカ人の体内組織と尿中に見出される濃度に匹敵する濃度(Calafat et al.2006)で、成マウスに投与するとわずか4日後にインスリン耐性を引き起こす(Alonso-Magdalena et al., in press)。
    訳注1:ビスフェノールAのエストロゲン様効果が生体条件で膵臓 β 細胞機能をかく乱しインスリン耐性を誘引する(当研究会訳)

  • この同じ分子(ビスフェノールA)が試験管(インビトロ)実験において 1ppb 以下の濃度でカルシウム流入を活性化し脳下垂体腫瘍細胞中に黄体刺激ホルモン(プロラクチン)を放出するというエストラジオール様の作用を示す(Wozniak et al. 2005)。カルシウムの増大は様々な細胞変化をもたらす信号伝達連鎖を引き起こすことができる。
    訳注2:(参考)ビスフェノールAと脳(EHP 2006年4月号 フォーラム)(当研究会訳)

  • ラットを生後直ぐに環境中と同等レベルの鉛に曝露させると正常に成長するにもかかわらず年老いてからアミロイド前駆たんぱく質を生成する遺伝子(アルツハイマー病の原因遺伝子)が作用する。成ラットに同レベルの鉛を暴露させてもそのような影響は出ない(Basha et al.2005)。
    訳注3:(参考)神経系発達に関する新たな考察/鉛(EHP 2006年2月号 フォーカス)(当研究会訳)
 我々は1996年に『奪われし未来(Our Stolen Future)』を出版し、いくつかの汚染物質が非常に低用量でホルモンの信号伝達を妨げ、その結果、胎児の発達に変更を加えるという科学的な発見を発表し、広く人々の注目を集めた。

 我々が『奪われし未来』を書いた時、動物実験からの、及び野生生物の研究からの強い証拠が存在したが、当時は動物での研究で予測したことがヒトに起きるということを確認できるヒトを対象とした研究はほとんどなかった。動物での研究が提起した問題は非常に深刻であったので、アジア、北アメリカ、及びヨーロッパの各国政府はその後の10年間、環境中の内分泌かく乱化学物質(EDCs)に関する研究に数億ドル(数百億円)を投資した。

 これらの研究への投資の結果、上述したような新たな化学的発見が科学論文として現在どっと押し寄せている(Myers 2005))。数千人の科学者らが、大学から政府の研究機関まで世界中で内分泌かく乱に関する研究に参加し、数千の研究論文が発表された。動物実験による研究及び細胞培養を用いた機械論的研究(mechanistic studies)は我々が『奪われし未来』の中で検証した科学的結果を強く確認し、さらには、ほんの10年前には認識することもなかった多くの懸念を提起した。さらにいくつかのヒト研究で、我々が動物研究に基づき予測したことと一貫したパターンを現在、発見しつつある。

 これらの研究はそれぞれ公衆の健康に重大な意味合いを持つ科学的革命の基礎的要素である。この革命には多くの要素がある。
  • 非常に低用量のいくつかの汚染物質はホルモン信号伝達を変更し、そのことにより遺伝子の発現を変えることがある。これらの変更は発達に広範な影響を与えることがある。特定の影響は遺伝子、組織及び暴露のタイミングに依存する(.g., Munoz de Toro et al. 2005, Timms et al. 2005, Zsarnovszky et al. 2005)。

  • 内分泌かく乱に脆弱なホルモン信号伝達系の範囲は劇的に広がり、当初、注目されていたエストロゲンのようなステロイド・ホルモンの範囲をはるかに越えた。注意深く研究された内分泌系のどのような要素も影響されることが示された。特定の汚染物質は、エストロゲン(女性ホルモン)、アンドロゲン(男性ホルモン)、糖質コルチコイド(糖新生を増加させる副腎皮質ホルモン)、甲状腺、プロゲステロン(黄体ホルモン)、インスリン、レチノイド(ビタミン A に類似し, 体内で同様の機能を果たす物質)などによって制御される信号伝達経路変える。

  • 最近の研究は細胞膜に関連する受容体の新しいクラスがエストロゲン様汚染物質によってかく乱されることを示した。ビスフェノールAのような汚染物質分子はこの経路を通じて細胞信号伝達を変える時にヒトのエストロゲンの天然の形であるエストラジオールと同じように強力になるので(Quesada 2002, Wozniak et al. 2005)、このことは特に重要である。この脈絡において、これらの汚染物質は、内分泌かく乱のあらさがしをする批判家が断言したような弱い単なるエストロゲンではない。それらは内因性のエストラジオールやエストロゲン様薬剤のように強力である。

  • 動物及び細胞研究で繰り返し起こるパターンは、非単調の用量−反応曲線、すなわちU字型、又は逆U字型の曲線である。このことは低用量は高用量よりも質的に異なる影響を持ち、その低用量影響は高用量の結果からは予測できないことを示している(Welshons et al. 2003)。

  • 懸念の健康評価項目の範囲は、当初注目された生殖及び不妊の範囲を劇的に超えた。知的発達、行動、疾病耐性、自己免疫疾患、そして現在は肥満ですら EDCs の影響に関する研究領域である。

  • 従来、例えばアスベストが中皮腫を引き起こすというように、ひとつの汚染物質は比較的少数の健康評価項目に影響を与えているように見えた。現在ではこれは明らかに間違った仮定である。ある内分泌かく乱成分は広範な遺伝子発現に影響を与えるので、ヒト遺伝子研究により関連づけられた遺伝子が疾病評価項目の原因要素として現れるのを見ても意外ではない。例えば、ビスフェノールAの研究で、この化学物質が多様な生物化学的経路に関与する多くの異なる遺伝子の発現を変更することを示している(e.g.,Singleton et al. 2006)。遺伝子研究がこれらの遺伝子のあるものと、不妊、行動異常、記憶障害、老化、肥満など、広範な人間の健康問題との関連を明確にした。

  • 胎児の発達期は、生涯で最も脆弱な期間であり、胎児への影響はその後、全生涯を通じて影響を及ぼし、ある場合にはその影響は成人するまで目に見えない。”胎児起源の成人病”と呼ばれる新たな研究領域が出現している。精巣がんがひとつの例であり、子宮中でのホルモンの不均衡が胎児の睾丸内の細胞の発達異常を引き起こしているように見える。これらの異常な細胞が成人してからがんになる。

  • 多くの証拠が精巣がんは、精巣発育不全症候群(testicular dysgenesis syndrome (TDS))と呼ばれる男性生殖障害の一部であることを示している(Skakkebak et al. 2001)。TDS の他の要素は、精子質の低下、停留睾丸、尿道下裂などである。動物実験で、ヒトの TDS が、オスのげっ歯類の胎児にフタル酸エステル類と呼ばれるプラスチック添加剤−男性ホルモンの一種であるテストステロンの合成を抑制し胎児の停留睾丸に関係する遺伝子に影響を与える−を暴露させると発症する症候群と非常に類似していることを示している。最近の疫学的研究が、動物実験から得られた結果に基づきヒトについて予測するよう設計した技術を用いて、子宮中でフタル酸エステル類に暴露した男の赤ちゃんにおける関連性を確認している(Swan et al. 2005)。

  • 環境ホルモンの化学的混合物はいたるところに存在し、それらは単独での汚染物質よりもはるかに大きな影響をもたらすことがあり得る。いくつかの注意深い実験室での研究が、汚染物質の混合物は、個々の物質は検出できるほとの影響を起こさないレベルの濃度であっても、組み合わされると大きな影響を引き起こすことを示している(ajapakse et al. 2002, Brian et al. 2005)。典型的には同時に12種までの汚染物質について実施されたこれらの実験が、人々が同時に数百の化学物質に同時に暴露するということがどのような意味を持つのかということについて探求することを始めている。例えば、ヒトのへその緒の血液中の汚染物質をテストした最近研究で、測定された413種の汚染物質のうち、287種類の化学物質が検出された(Environmental Working Group 2005)。
 実験室での研究から得られたひとつの教訓は、環境ホルモンの影響をテストするほとんどのヒト研究は、その影響を見出す能力を弱めるようなやり方で不注意に設計されているということである。上述の概要に示す科学的視点を取り込んだ疫学的な研究はほとんどない。特に、胎児の暴露が及ぼす成人疾病への可能性ある影響、多くの化学物質への同時暴露、高レベルでの暴露影響とは質的に異なる低レベルでの暴露影響、などである。しばしば、暴露に感受性の高い集団内で大きな相違を示すヒトと動物データは無視されるが、これはその後の疫学的研究の力を弱めることになる。これらの研究設計の不備のために、疫学的論文は統計学者が言うところの”誤った否定(false negatives)”−すなわち、その成分は本当は安全ではないのに、安全であるとする−に満ちているようである。法的規制を行う前にヒト研究による決定的な証拠が存在すべきと主張することは人々を高い危険にさらすことになる。

 ある疫学者らは、動物科学での進歩を反映するためにその研究設計を変更することにより、この課題に対応している。これらの新たな研究は人々への強い影響を示し始めている。

 これらの科学的結果は、今日、広範に使用されている多くの製品の安全性についての疑問を提起する一方で、それらはまた希望の源でもある。つまり、曝露を減らす方向に歩み出せば、最近まで多くの人々が防止できるなどとは想像もしなかった疾病を防ぐ可能性があるという未来があり得ることを指し示している。


References


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Brian, JV, CA Harris, M Scholze, T Backhaus, P Booy, M Lamoree, G Pojana, N Jonkers, T Runnalls, A Bonf, A Marcomini, and JP Sumpter. 2005. Accurate Prediction of the Response of Freshwater Fish to a Mixture of Estrogenic Chemicals. Environmental Health Perspectives 113: 721-728

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Swan, SH, KM Main, F Liu, SL Stewart, RL Kruse, AM Calafat, CS Mao, JB Redmon, CL Ternand, S Sullivan, JL Teague, EZ Drobnis, BS Carter, D Kelly, TM Simmons, C Wang, L Lumbreras, S Villanueva, M Diaz-Romero, MB Lomeli, E Otero-Salazar, C Hobel, B Brock, C Kwong, A Muehlen, A Sparks, A Wolk, J Whitham, M Hatterman-Zogg, M Maifield and The Study for Future Families Research Group 2005. Decrease in Anogenital Distance Among Male Infants with Prenatal Phthalate Exposure. Environmental Health Perspectives 113:1056-1061.

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