ナノテク研究プロジェクト
厚生労働省労働基準局
検討会報告書
概要と分析

ヒトに対する有害性が明らかでない化学物質に対する労働者ばく露の
予防的対策に関する検討会 (ナノマテリアルについて) 報告書

安間 武(化学物質問題市民研究会)
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/
掲載日:2009年12月22日
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http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/project/nano_mhlw_report.html

1.ナノ物質に関わる安全対策の各省の検討と報告書

 2008年に多層カーボン・ナノチューブがマウス(MCNTs)に中皮腫を引き起こす可能性を示す二つの研究報告が発表されました。ひとつは2008年2月に『ジャーナル・オブ・トキシコロジカル・サイエンス』[1]に発表された日本の国立医薬品食品衛生研究所の研究チームの研究、もうひとつは2008年5月に『ネイチャー・ナノテクノロジー』[2]に発表された英エジンバラ大学の研究チームの研究です。

 日本では、これらの研究が発表されるまでは、ナノ物質の安全管理/対策についての方針をほとんど示してこなかった厚労省/環境省/経産省は、急遽、ナノ物質の健康、安全、環境(HSE)に及ぼす影響と対策についての検討会を各省個別に開催し、それぞれが報告書やガイドラインを年度末の2009年3月31日までに発表しました[3] [4] [5] [6]。

 本稿では、厚労省2008年11月26日発表「ヒトに対する有害性が明らかでない化学物質に対する労働者ばく露の予防的対策に関する検討会報告書(ナノマテリアルについて)」[3](以降、厚労省報告書)の概要を紹介するとともに、現行の労働安全衛生法の下でのナノ管理の大きな問題点を提起し、その改善のための提案を示します。


2.ヒトに対する有害性が明らかでない化学物質に対する労働者ばく露の予防的対策に関する検討会報告書(2008年11月26日)の概要
 (引用部は、項目又は引用符号""で示す)

2.1 ばく露防止対策の検討の視点、範囲等
(1) 予防的アプローチ
"ナノマテリアルについては、いわゆる許容濃度等のばく露管理の目安となる数値が存在しないため、ばく露量やばく露濃度に基づいて管理を行うという従来の手法を採用することができない。したがって「予防的アプローチ」に基づいて対策を検討する。"

(2) ナノマテリアル全般へのアプローチ
 "ナノマテリアル毎の有害性も明確になっていないことから、ナノマテリアルの当面のばく露防止対策としては、個別の物質毎に固有の対策を検討するのではなく、ナノマテリアル全般に対するばく露防止対策について検討することとした。"

(3) 対象とするナノマテリアル
 "自然界には人工的に製造されたもの以外にも様々なナノサイズの物質が存在しているが、現在、このような物質による労働衛生上の懸念は生じていないことから、自然界に存在するナノレベルのサイズの物質は対象外として差し支えないと判断する。また、通常の製造等の過程で非意図的にナノサイズの物質が発生する可能性はあるが、これについても、現在、労働衛生上の懸念は生じていないことから、対策の対象外として差し支えないと判断する。"

(4) 対象とするナノマテリアルのサイズ
 "対策の対象とするナノマテリアルの大きさについては、2008年2月7日の通知では上限のみを定義しているが、諸外国では大きさの下限として1nmと定めている場合が多いこと、下限を定めない場合は原子まで対象となってしまうことから、現行の定義を、「大きさを示す3次元のうち少なくとも一つの次元が約1nm〜100nmであるナノ物質(nano-objects)及びナノ物質により構成されるナノ構造体(内部にナノスケールの構造を持つ物体、ナノ物質の凝集したものを含む。)であること」とすることが適切である。"
 "凝集したナノ構造体の大きさが100nmを超えていても、それを構成する内部のナノ物質の大きさが100nmより小さい場合には、対象に含めることが適切である。"

(5) 対象とする労働者
 "ナノマテリアルを製造し、又は取り扱う作業に加えナノマテリアルを含む製品の廃棄やリサイクル作業に従事する労働者等も対象とすることが適切である"。

(6)ナノマテリアルの想定する暴露経路
 ・吸入による肺等の呼吸器へのばく露
 ・鼻腔の神経末端からの体内への侵入
 ・皮膚を通しての体内への侵入
 ・目の粘膜からの体内への侵入
 ・経口摂取による体内への侵入

(7)ナノマテリアルに関する製造・取扱作業に該当する作業の例
 ・製造 ・荷受け ・原材料や製品の秤量 ・装置への投入(樹脂等との混練や原材料の投入等) ・製造・加工装置からの回収、容器等の移し替え・装置や容器の清掃・メンテナンス ・その他(ナノマテリアル含有製品の廃棄、リサイクル等)

(8) 暴露の可能性
 "ナノマテリアルが液体中に分散した状態であり、かつ、液体の蒸発等に伴い気中に放出される可能性を抑えた場合や、樹脂等に練り込まれ、バルク材料に固定化された状態では、その取扱いにおけるばく露の可能性は極めて小さくなるものと考えられる。逆に、粉体の取扱いの場合は、ばく露の可能性は高くなると考えられる。"

2.2 個別対策
(1) 作業環境管理
 ・ばく露状況の計測評価(ばく露評価)
 ・密閉構造とすべき箇所
 ・局所排気装置等を設置すべき場所
 ・排気における除じん措置の方法
(2) 作業管理
 ・床等の清掃方法
 ・ナノマテリアル作業場所と外部との汚染防止等
 ・呼吸用保護具を使用すべき場合
 ・呼吸用保護具に求められる性能要件及び使用上の留意事項
 ・保護手袋の要件及び使用上の留意事項
 ・ゴーグル型保護眼鏡を使用すべき場合
 ・作業衣の使用及び使用上の留意事項
(3) 健康管理
(4) 労働安全衛生教育
(5) 廃棄物処理等における対応
 "ナノマテリアルの製造・取扱事業場で生ずる、ナノマテリアルの飛散のおそれがある廃棄物は不浸透性の破れにくい袋に入れる等によりナノマテリアルが発散しないようにした上で適切に処理する必要がある。"
 "また、廃棄物処理を専ら行う事業場あるいはリサイクル処理を行う事業場においては、製品にナノマテリアルが使用されている状況や処理過程でナノマテリアルが作業環境中に発散する可能性を検討し、ばく露の可能性がある場合には、労働者がナノマテリアルにばく露しないよう設備対策を含めて適切な対策を講ずる必要がある。"
 "なお、ナノマテリアルの処理については、その性状、物性に適った方法や条件で行う必要がある。例えば、カーボン・ナノチューブについては750〜850℃で熱分解することが判明している。"



3.ナノマテリアルに対するばく露防止等のための予防的対応について(2009年3月31日)

 カーボン・ナノチューブの有害性研究が公式発表される直前、厚労省は2008年2月7日に厚生労働省労働基準局長名で都道府県労働局長宛てに「ナノマテリアル製造・取扱い作業現場における当面のばく露防止のための予防的対応について」[7]を発出しました。
 その後、前述報告書(2008年11月26日)が発表されると、上記2月7日の文書を廃止し、新たに「ナノマテリアルに対するばく露防止等のための予防的対応について」[8]を2009年3月31日に発出しました。その内容は前述報告書(2008年11月26日)に基づくものです。

4.厚労省報告書の特記すべき点

4.1 予防的アプローチ
 ナノ物質のヒト健康や環境に及ぼす有害影響についてはまだ十分な知見は得られていませんが、懸念するに足る多くの研究が報告されています[9]。したがって、”予防原則”に基づく対策が求められますが、厚労省報告書の”第1部 はじめに−経緯”の部分で、下記のように「予防的アプローチ」を明示したことは特記すべきことです。

 ”ナノマテリアルの生体影響に関する研究は世界各地で行われているものの、未だ十分な知見が得られていない。・・・厚生労働省では、当該労働者の健康障害を未然に防止する観点から、現在、化学物質管理に関する基本的な考え方として国際的に広く知られている「予防的アプローチ」に基づき、労働現場におけるナノマテリアルに対する当面のばく露防止のための予防的対応について取りまとめ、・・・”。

4.2 労働安全衛生法下でのナノ物質管理の問題
4.2.1 厚労省報告書の重要な指摘
 厚労省報告書は次のように指摘しています。
(1) 新しく開発されたナノマテリアルが既存の化学物質からなるナノサイズのものである場合、現行の労働安全衛生法では化学物質の形状や大きさに着目して化学物質を区分していないことから、ナノサイズのものであっても、あくまでも既存化学物質としか取り扱われず、労働安全衛生法第57条の3に基づく届出の対象とはならない。

(2) しかし、物質がナノサイズになるとナノ特有の性質を示すことが知られており、生体影響についてもそれまでとは異なる可能性があることから、現行のナノマテリアルの取扱いについては検討の余地があると思われる。

4.2.2 サイズは新規化学物質の要件ではない
(1) 厚労省報告書の指摘は重要
 現行の労働安全衛生法(安衛法)の下ではカーボン・ナノチューブ、二酸化チタン、酸化亜鉛、銀、鉄など、「既存化学物質」からなるナノ物質は有害性が報告されているのに、労働安全衛生法第57条の3に基づく、新規化学物質としての届出と有害性の調査の実施が求められません。
 化審法においても同様に、「既存化学物質」と定義されるナノ物質は新たな届出/審査が求められません。これはナノ物質の可能性ある有害性から人の健康環境を守る上で大きな問題であり、21世紀の新規技術を管理できない現行法体系の大きな欠陥です。

(2) 安衛法と化審法の既存化学物質
 化審法と安衛法では既存化学物質を下記のように定義しており、既存化学物質でないものが基本的に新規化学物となります。

■安衛法の既存化学物質の定義
(1) 政令で定める既存化学物質
 ・元素(一種類の原子で同位体の区別を問わない )
 ・天然に産出される化学物質
 ・放射性物質
 ・公表化学物質(昭和54年6月29 日までに製造、輸入された物質)
(2) 厚生労働大臣が名称を公表した新規化学物質
(3) 既存化学物質扱いとなる特定の化学物質(昭和54年3月23日付け基発第132号)

■化審法の既存化学物質の定義
 ・既存化学物質名簿に記載の化学物質(昭和48年10月16日)
 ・白公示化学物質(法第4条第3項に基づき公示された物質)
 ・化審法規制物質(第1種、第2種特定化学物質、指定化学物質)
5.提案
5.1 ナノ物質は全て新規化学物質とする
 安衛法及び化審法の下でナノ物質を管理する場合、すでに市場に出ているナノ物質を含んで、全てのナノ物質は新規化学物質と同様に扱い、製造量に関わらず、データの提出と安全性の審査を受けることを義務付けることを提案します。

5.2 ナノ物質管理の包括的な枠組み
 当研究会は、新たな「ナノ物質管理の包括的な枠組み」の構築と、その段階的な実施を提唱しています。詳細は当研究会の下記ウェブページをご覧ください。
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/nano_kanri/nano_kanri.html


参照

[1] p53+/-マウスにおける多層カーボンナノチューブ腹腔内投与による中皮腫の発生
日本トキシiコロジー学会『ジャーナル・オブ・トキシコロジカル・サイエンス』 2008年2月号
http://www.jniosh.go.jp/joho/nano/files/takagi2008/takagi2008jp.pdf

[2] Carbon nanotubes introduced into the abdominal cavity of mice show asbestos-like pathogenicity in a pilot study
http://www.nature.com/nnano/journal/v3/n7/abs/nnano.2008.111.html
ウッドロー・ウィルソン国際学術センターPEN ニュース 2008年5月19日 アスベストに似たカーボン・ナノチューブはアスベストのように作用する
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/PEN/080519_Nanotubes_Asbestos.html

[3] ヒトに対する有害性が明らかでない化学物質に対する 労働者ばく露の予防的対策に関する検討会 (ナノマテリアルについて) 報告書 平成20年11月/厚生労働省労働基準局
http://www.mhlw.go.jp/shingi/2008/11/dl/s1126-6a.pdf

[4] ナノマテリアルの安全対策に関する検討会報告書 平成21年3月31日/厚生労働省医薬食品局
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2009/03/dl/h0331-17c.pdf

[5] 工業用ナノ材料に関する環境影響防止ガイドライン 平成21年3月 ナノ材料環境影響基礎調査検討会/環境省総合環境政策局環境保健部
http://www.env.go.jp/press/file_view.php?serial=13177&hou_id=10899

[6] ナノマテリアル製造事業者等における安全対策のあり方研究会 報告書 平成21年3月/経済産業省製造産業局 http://www.meti.go.jp/committee/kenkyukai/seisan/nanomaterial_kanri/001_s02_01.pdf

[7] ナノマテリアル製造・取扱い作業現場における当面のばく露防止のための予防的対応について(平成21年3月31日基発第0331013号により廃止)
http://www.jaish.gr.jp/anzen/hor/hombun/hor1-49/hor1-49-4-1-0.htm

[8] 基発第0331013号 平成21年3月31日 都道府県労働局長 殿 厚生労働省労働基準局長 (公印省略) ナノマテリアルに対するばく露防止等のための予防的対応について
http://wwwhourei.mhlw.go.jp/hourei/doc/tsuchi/2001K210331013.pdf

[9] 化学物質問題市民研究会が紹介したナノ物質の有害性を報告する論文リスト
http://www.ne.jp/asahi/kagaku/pico/nano/project/Nano_EHS_Paper_List.html



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