世界連帯声明
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水俣を敬う
水俣被害者団体を支援する国際連帯声明
この声明は、2011 年1 月に千葉で開催された政府間交渉委員会第2 回会合で、国際POPs 廃絶ネットワーク(IPEN)により発表された。
- 水俣病はメチル水銀によって引き起こされた深刻でしばしば死にいたる病気である。その名前は、1950 年代の初期にこの病気が熊本県の水俣湾で最初に発生したことに因んで付けられた。
- 水俣湾の周辺に住む人々は、メチル水銀で汚染された魚介類を食べた後に、この病気にかかった。
- このメチル水銀は、チッソのプラントから放出された排水により水俣湾に入り込んだ。このプラントは水銀触媒を使用するプロセスでアセトアルデヒドを製造していた。この病気の原因は1959 年に初めて突き止められたが、チッソはプラントからのメチル水銀を1968 年まで水俣湾に流し続けた。
- 第二の水俣病は1960 年代の中頃、新潟県の阿賀野川流域で発生した。異なる化学会社、昭和電工が同様なプロセスを用いてアセトアルデヒドを製造し、その排水を阿賀野川に放出した。
- チッソは、最初はそのプラントからの排水が水俣病を発生させたということを否定した。チッソは、完全な責任と大きな補償請求を回避するために、数十人の患者に解決金を支払った。
- 数千人の人々が水俣病で大被害を受け、多くの人が死亡した。数万人がこの汚染による被害者として報告された。
- しかし、水俣病被害者の総数はもっと多い。水俣被害者であることについての差別と偏見が広がっているので、自分たちが被害者であることを公にすることを望まない人が多い。また水俣病として公式に認定されることさえなく、死んだ多くの人々もいる。
- 1977 年、日本政府は水俣病の被害者であると認定するための基準を確立した。これらの基準は、ある症状があるものだけしか水俣病として認めず、補償の対象となるのはこの限られた被害者だけなので、水俣被害者団体らに批判された。後に2010 年、大阪地裁は、この基準には合理的な医学的根拠がないとして批判した。
- 2004年、最高裁は、政府と熊本県の被害拡大の防止に対する不作為を指弾し、彼らの責任を認めた。
- 2009 年、日本政府は水俣病救済特別措置法を制定した。この法律は、水俣病に対する責任を限定できるようにするためにチッソを二つの会社に分社することを許した。この新たな法律は、被害者団体やその他の団体がこれらの基準は狭く不適切であると結論付けていたにも関わらず、水俣病認定基準の見直しを求めなかった。またこの法律は汚染地域の住民の健康をきちんと調査するための実施計画を確立しなかった。
- 2010年、日本の鳩山由紀夫首相(当時)は第54年目の水俣病慰霊式に参列し、日本の最悪の産業汚染における被害拡大を防止できなかった政府の不作為責任を認めて謝罪した。彼はこのような水銀中毒を防止するための国際条約を作るために日本は積極的に貢献したいとの希望を述べ、この条約を「水俣条約」と名付けることを提案した。この提案は、発表される前に水俣の被害者らに相談されることはなかった。
- 2010 年、水銀に関する世界的に法的拘束力のある文書を準備するための政府間交渉委員会第1 回会合がスウェーデンのストックホルムで開催された。日本政府の代表は、世界水銀規制条約を水俣条約と呼ぶことを公式に提案し、日本は同条約が採択されることになる2013 年の外交会議を主催したいと述べた。
- 2011 年、政府間交渉委員会第2 回会合が日本の千葉で開催される。患者団体は水俣病の恐ろしい悲劇に対する日本政府とチッソの対応にはまだ満足していない。
水俣病が初めて公式に診断されてから50 年以上経過したが、患者団体はこの悲劇への日本政府とチッソの対応にはまだ満足していない。患者団体は、全ての被害者が認定され補償されることを望んでいる。彼らは影響を受けた地域の人々の包括的な健康調査を望んでいる。彼らは、汚染者負担原則が完全にそして適切に実施されることを希望している。彼らは、大量の水銀汚染が未だに無視されている場所で、条約署名儀式が行なわれることがないよう水俣湾周辺の汚染地域が浄化されることを望んでいる。
最後に、水俣の患者団体は安全に暮らせるよう医療や福祉の仕組みが確立されることを望んでいる。
IPEN と世界の全ての地域からのNGOs は患者団体のこの正当な要求を支持する。
決議
- 我々は、世界水銀規制条約を水俣条約と命名することは、水俣の悲劇を、人の健康と環境を水銀汚染から守るための世界の取り組みに直接的に結びつけることであるということに同意する。したがって、もし条約が水俣という名前を持つことになるなら、被害者と彼らの法的要求には敬意が払われ、水俣の悲劇の教訓は条約に反映されなくてはならない。
- 我々は、条約を水俣条約と命名する前に日本政府とチッソが現在も続く悲劇に対して適切にそして完全に対応するよう主張する水俣の患者団体に連帯する。このことは、未解決の問題の真の解決に向けての公約と具体的な措置が2013 年の外交会議までに取られるべきであることを意味する。
- 水俣は単に地名だけのこと、場所だけのこと、あるいは病名だけのことではない。それ以上のことである。それは、苦痛について、企業の無責任について、被害について、そして差別について語るものである。水俣は地域の人々のことである。それは被害者が生き残るための戦いについて、そして生きることを決意することについて物語るものである。これが真の水俣である。我々は、このことに同意して水俣の被害者団体に連帯する。
更なる決議
我々は、政府、非政府組織、民間分野、政府間組織、その他を含んで全ての利害関係者は、水俣の悲劇が二度と起こらぬようにするために、魚や海産物が再び安全に食べることができるよう、水銀の人間に由来する全ての汚染源を効果的に最小にし廃絶する強い世界条約とすることを協議して一緒に活動することを要請する。
オルガ・スペランスカヤ(IPEN共同議長) マリアン・ロイドスミス(IPEN共同議長)
Olga Speranskaya, IPEN Co-Chair Mariann Lloyd-Smith, IPEN Co-Chair
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