ただしい飼い主のしつけ方――2



風呂からあがり、今のソファにジャージ姿でだらしなく寝転んでいる馬車は、ぱたぱた、ぱたぱた、と行き来する赤屍の姿を、薄目を開けて見送っていた。
どうということはない。服が白いだけで、何が変わっているわけでもない。ただひどく機嫌が良いだけだ。――ひどく。
ソファの背には、フェイクレザーのジャケットが無造作に放り出されていて。寝転がったままそれを手に持って、広げてみた。
明らかに赤屍の趣味ではない。これもその誰ぞやに買ってもらったのだろうか。
「――おい、」
意を決して声をかけて、「はい」と赤屍が振り返った瞬間に気づく。普段ならテーブルに放り出している携帯を、ジーンズの後ろポケットに入れたりなぞして、なぜか今日は持ち歩いていることに。
……他愛もないのだ、非常に。ひとつひとつの事象を手にとって見れば。しかし。
「……この上着、」
「そんな素材があるなんて、面白いですよね」
「いや――そうではなくてな」
「ポリウレタン加工なんだそうです」
「聞け」
「はい?」
「この上着、誰の上着じゃ」
「私のですよ」
不思議そうに、赤屍は寝転がる馬車の傍らに立ち。
「今日は様子が変ですね。近頃、こっちから話しかけても話しかけても上の空だったくせに」
「――この際それは謝る」
深く深く溜息をついて、馬車は寝転がったまま物憂くつぶやく。
「とても謝っている態度には見えませんが」
「とにかく。今日は誰に遊んでもらった」
「それは――」
驚いたことに、赤屍は一瞬言いよどんだ。
思わず凝視すると、細い眉を寄せて言い返す。
「――そんな。別にいちいち報告しなきゃいけないことでもないでしょう」
「なぜ答えられん?」
「答えられないんじゃなくて、答えたくないだけです」
「やましいところでも?」
言ってから自分でその台詞に呆然とする。これではまるで、恋人の浮気を追求する男の台詞回しではないか。あるいは午前様の娘を詰問する父親だ。
果たして赤屍は、そんな、普段とはあまりに違う馬車の様子に、怒る以前にまず心配になったらしい。
「――疲れてるんじゃないですか、馬車?」
もう寝た方が、と珍しく体を気遣う。たしかに疲れているのかもしれない、とこちらも珍しく弱気になりつつも、馬車は敢えて問いを繰り返した。
「話を逸らすな。――誰とおった?」
どうにも何かがおかしい、と頭の片隅が訴える。
「……もしかして、そのジャケットに何か仕掛でもありましたか?」
見当違いの方向に緊張した赤屍に脱力しつつ、忍耐強くもう一度、「そういうわけではないが、言うてもよかろう」と答えを促した。
今宵のこの死神は、微妙な部分でことごとく普段と違う。
誰かに服を買ってもらうという行動がまず常軌を逸しているし、血の色の目立つ白ずくめを敢えて着るのも理解しがたいし、何より、ここ数日の行動パターンなら、絶対なにがあっても、今日あったことを事細かに聞かせたがるに違いないのに。
――大体買ってもらう前に着とった服はどこへやった。洗濯に出した様子もないぜよ。
そこまで考えてから、無意識の内に洗濯籠をチェックしていた自分に、暗澹たる気分になった。
「……言いたくないです」
ぷい、と赤屍は顔をそむけ。そんなところで寝るんならさっさとベッドに行きなさい、と言い捨ててテレビの前に戻ろうとした。
「おい」
「――馬車?」
とっさに手を伸ばして、去りかけた手を掴む。
しばし、微妙な力関係のもと、にらみ合いとなった。
「変ですよ、今日は」
「変なのはおまえじゃき」
「……私が変かどうかなんて、あなたにわかるはずがないでしょう」
「なして」
「私なんていてもいなくても一緒のくせに」
「そんなことな――」
「あります」
ぴしゃりと言いきって赤屍は、手を自分の元に引っ張ろうとした。
それをぐい、と引っ張り返し、よろけた身体、その肩を掴んでソファの脇、自分の目の前に座り込ませる。
「何を――」
「なして、おまえがおってもおらんでも同じなどと、俺が思うかよ?」
「――だって全然相手にしてくれないじゃないですか」
むぅ、と眉のあたりに不機嫌を漂わせた赤屍に、もう一度溜息をついて、ぐしゃぐしゃと髪をかきまわして。
「疲れとる時は、どうしても、相手をするのがおっくうになるだけぜよ。おらんでも一緒などと、思うわけがなかろう」
仕事が楽になったら、いくらでも遊んでやるきに、とぐしゃぐしゃ撫でながら言葉を継ぐと、気持ち良さそうに、ソファの上の馬車の腹に頭を乗せて撫でるに任せてくる。
髪を結んでいたリボンが、撫でられるにつれてほどけ、はらりと床に落ちるのを見て、そのまま、髪を手で梳いてやった。
整った容貌が心地よく瞳を閉じて、じっとされるがままでいるのを見て、やはり、多少疲れていても、このぐらいはしてやるべきだったかもしれない――などと思ってから。
――いかん。いつのまにか懐柔されとる。しかも悪い気がせん。こりゃ末期症状じゃ。
どうあっても赤屍には勝てない――どころか、なんとなく進んで負けている自分に、思わず、天井をあおいで歎息した。