ただしい飼い主のしつけ方――3



いつのまにか揃ってまどろんでいたらしい。携帯の音にはっと目を覚ます。
「あ……」
ぱち、と目をみはった赤屍が、待ってました、といった様子でいそいそと携帯を取り出す。
やはり薄目を開けて、じろじろと監視していると、はい、はい、ああそうですか、と、心なしか弾んだ声で応答している。
そのうち、「え?」と不思議そうに――なぜか馬車をまっすぐに見た。
「――なぜわかるんですか?」
「……何を話しとる?」
「いえ……」
首を傾げつつ耳を離し、「あなたに代わって欲しいと」と、携帯を差し出す。
「――誰からじゃ」
「絵師です」
「絵師ぃ?」
「あの、歌舞伎町の情報屋――ですけど。裸婦画をよく描いてる」
「……」
ぴん、と思い当たる。
「――服を買ってくれたのは絵師か?」
携帯を受け取りながら尋ねると、「よくわかりましたね」とまばたきされた。
それには答えず、
「――おう」
心なしか低い声を通話口の向こうにかける。
<やァ、ブレーキ知らずの旦那>
「おまえが男に服を買う酔狂人とは、知らんかったぜよ」
<似合ってござンしょう?>
向こうでくくく、とおかしげに含み笑う声が聞こえた。この搦め手の底の読めない絵師が、存外に人当たりもよく、気配りが聞き、憎めない人物であることを知っているがゆえに、馬車は嫌いではない。嫌いではないが、こういう時には扱いに困る相手であることも、また熟知していた。
「どういう風の吹き回しじゃ」
<やきもきしましたかァ>
「――」
先ほどの、赤屍の「なぜわかるんです?」が何に対してのものであったかを悟る。「ブレーキ知らずの旦那ァ、随分と不機嫌だっただろゥ?」とでも聞いたのだろう。
「――ああやきもきしたぜよ。それはもう盛大に妬いたぜよ」
ほとんど自棄っぱちで言い返す。
<そりゃァよかった。ジャッカルもさぞかし機嫌を直したこッたろうヨ>
「で、なぜじゃ」
<絵サ>
「絵?」
<仕事帰りのジャッカルの絵を、描かせてくれと頼んだンですよゥ。デッサン取らせてもらったお礼に、血まみれのまま帰しちゃ旦那も困ろうてェンで、服を買って着せてやったさァ>
「――…………まさか」
<――一応言うが、ヌードじゃねェゼ?>
なぜこっちの言いたいことがわかったのだろう、と思いながら「そりゃ重畳」と素直に答える。
<マ、そういうわけで、明日は一緒に来てみちゃァどうです?>
「明日は俺ぁ仕事じゃき。――って、どこに来いと」
<決まってらァね。あたしンとこサ。ジャッカルには段取りついたら電話すると、言っておいたんですよ>


「……明日もモデルに行くんか?」
携帯を受け取ってテーブルに放り出しながら、赤屍はその問いに首を傾げた。
「ええ。しかしおかしな男ですね」
「ん?」
「ちょっとワケありで、馬車には秘密に――などと言っていたくせに、自分からばらしてしまったんですから」
「――ひょっとして――口止めされてたから、言わなんだのか」
「そうですよ。他に理由がありますか?」
「――してやられた……」
「???」
「おまえ、絵師に何を愚痴りよった」
「いや、あなたがちっとも相手をしてくれないから、退屈でしょうがないと」
その言葉にがっくりと、片手で目を覆う。
おそらく絵師は、何も知らない赤屍に、モデルをさせ、お礼代わりにと服のひとつも買ってやり、アトリエを珍しがれば案内してやり、そうやって気分転換させてやったに違いない。そりゃ、赤屍も上機嫌にもなろうというものだ。
その上でさりげなく――「馬車にはナイショだゼ、次にモデルに来てもらう日は、携帯に連絡を入れるからよゥ」と釘をさす。
服を替え、上機嫌で携帯からの連絡をうきうきと待つ赤屍に、馬車は絵師の狙い通り、まんまと引っかき回され、やきもきし、結果として――赤屍をかまいまくって喜ばせてしまったのだ。
「しかしさすがは、歌舞伎町の情報網の中心にいるだけありますね。モデルになってくれたら、すぐに、馬車が相手にしてくれるようになるさって、断言しただけのことはありますよ。どういう手品なんですか、馬車?」
何一つ気づいた様子のない赤屍が、腹の上に頭を乗せたまま、じぃ、と赫の瞳で見つめてくる。
ぽんぽん、と頭を叩いてみると、調子に乗っていそいそとソファの上――つまり馬車の上に寝そべってきた。
まさしく猫の仕草である。のし、とかけられるやわい体重がくすぐったい。
「――明日の仕事じゃが、」
「はい?」
「危険が多いきに、おまえも来んか」
「いいんですか?」
「報酬はさほど高くないがよ。護り屋をひとり雇うことになっとった」
「ああ、荒事師がいるわけですね」
「そう。おまえでもよかろと思うてな」
「それは楽しそうですね。――あ、でも、絵師と約束が」
「モデルは明日じゃなくてもできゅうぜよ」
「それもそうですね。では明日、電話を入れておきましょう……」


薄暗い部屋の一室で、裸の女を前に据えて。絵師はくわえ煙草で絵筆を走らせていた。
不意に、画架にぶらさげた携帯が、ベートーヴェンの「月光」を遠慮がちに奏ではじめる。
「休憩しなァ」
女に毛布を放ってやると、携帯の画面にちらりと目を走らせ。
「どしたァい、ジャッカルさん。旦那が『急に仕事でおまえが必要になったから、あのいけ好かん絵師のところなんぞ行かず俺と来い』とでも言ったかよゥ」
漏れ聞こえる声は、ものやわらかなテノール。服と毛布を羽織りながら、女が興味の視線を向ける。
「ハハハ、そうかそうか、なら行っといで。こっちァ、やれることやっとくさァ」
ぴ、と通話を切った絵師に、女が声をかける。
「ねぇ、今日も来るんでしょ、あの綺麗なお兄さん」
「いィや、あれァ、今日は旦那といちゃいちゃ、旅の空サ」
「――旦那さんがいるの?」
「あ、」
しまった、その「旦那」のつもりで言ったわけじゃないんだが、と一瞬頭の片隅を、ちらりとよぎった後悔は。
――マ、似たようなもンさネ
一瞬で消え去り、
「今度、旦那も一緒に来るよう言っといたさァ。いかにも土佐人な、無骨でごつい男ですよ」
「嘘、なんだか似合わなーい」
「それが並んでみりゃそうでもないのサ」
煙草の灰を、灰皿にとんと落とし。
ちらりと視線を、傍にたてかけた別の画架に移した。
そこには殺戮の余韻に上気する、黒ずくめの妖艶な死神がいて。
「――旦那も苦労するねェ」
気のせいか、その言葉にクス、と、絵が笑い返したような気がした。




Fin