「――何をやっとるか」
部屋の扉をあけた馬車の第一声は、この人型の黒猫が住みついてから何度言ったか、すでに数える気にもなれない一言であった。
「見てわかりませんか?」
「わからんから聞いとるぜよ」
「ボーリングです」
「…………ボーリングぅ?」
「はいv」
大量のガラス瓶が倒れる音に、すでに疲労を感じつつ扉を開けてみれば、綺麗に洗われたビール瓶が折り重なって倒れた上で、びろーんと銀次が伸びている。
その様子をしばらく観察した馬車は、ややあって歎息とともに、もう一度同じ台詞を、今度は銀次に向けた。
「何をやっとるか、雷小僧」
「――オレに言われても……」
たれたままいつものように、しくしくと泣いている銀次を、赤屍は空恐ろしいほどのマイペースでひょい、と掴み上げた。
「銀次クン、もう一回丸まってくださいな」
「オレはボールじゃありません……」
「銀次クン?」
やらないと昔懐かしいクイズ番組みたく16分割しちゃいますよ、とにこやかかつ凶悪な微笑に無言で語られ、銀次はしくしく泣きながら手足を丸める。
そうなるとなるほどボールのようだ。
「……あのなぁ」
「端の一本がうまく倒れないんです」
熱心にビール瓶を立ててみせて説明する赤屍に、
「家が湿気るきに小僧を泣かすな、ちうたぜよ」
「私が泣かせているんじゃありません、銀次クンが勝手に泣いているんです」
ゴーイングマイウェイまっさかりの反論。さすがにその腕の中のボールが哀れになりかける。
しかし、両手に抱かれていつのまにか泣き止み、けっこう機嫌良くその胸にすり寄っているたれボールを見た瞬間、同情は綺麗に霧散した。
「わかったわかった、好き放題転がすがええ」
「ま、馬車さん????」
「家賃だと思えば安いもんぜよ。遊ばれたれ」
何やら泣き言を言っているらしいたれ銀次をさっぱりと無視して、馬車は居間に戻った。一家の主として、また唯一の常識人として、家を管理しないといけない馬車には、けっこう仕事が多いのだ。
実にしあわせそうにいじめられているどこぞのたれ系生物などに、かまっている暇はないのであった。
飯ができたぞ、と呼びかけようとして、扉の外でふと馬車は耳をすませた。
さっきまで、派手に瓶の倒れる音が繰り返していたというのに、今はやけに静かだ。
気づかれないように、ごつい手からは意外なほどの繊細さで、そっと扉を細く開ける。
「――赤屍さん、寝ちゃったんですかぁ?」
スラックスにカジュアルシャツという気軽な格好の赤屍が、たれ銀次を腹の上に乗せて、その名の通りの色の瞳を静かに閉じている。
寝息さえたてない静けさだが、長いつきあいの馬車には、彼が眠っているのだということがわかった。
どうやら遊ぶのに飽きて、湯たんぽがわりに腹の上に銀次を乗せたまま、喋っているうちに眠ってしまったらしい。
「あ・か・ば・ね・さん?」
たれ銀次が腹の上でべろんと伸びたまま、恐る恐る、もう一度呼びかけている。
返事はない。
不意に「きゅぴーん♪」とでも音のしそうな表情になったたれ銀次の、考えていることが馬車には手に取るようにわかった。
ずり、ずり、とたれたまま赤屍の腹の上を前進したたれ銀次が――ちょっと人外な動きでぐぐ、と首を伸ばす。――赤屍の唇めざして。
「起きないと、キスしちゃいますよー?」
やっぱりな、と肩をすくめた馬車は、音も立てずに部屋に身体をすべり込ませると、その長い腕を伸ばしてひょい、と銀次の襟首を掴んだ。
「!!!!!!」
気の毒に、声も出ないほど驚いて縮こまったたれ銀次を片手に、もう片手で赤屍のうなじに手を差し入れてぐ、と身体を起こさせる。
殺気を放たない限り決して起きない赤屍は、至極無害げに頭を預けたままだ。
「まままままま馬車さん?」
その呼びかけは無視して、馬車は赤屍の頭の下に、怯える銀次をぽて、と据えた。
頭を降ろしてやると、たれ銀次は格好の枕に早変わりである。
「そうしときゃ手も足も出まい。しばらくそうやって反省しとれ」
ご満悦の態ですやすやと眠る赤屍と、千載一遇のチャンスを逃した銀次を置いて、馬車はひとり、先に食事をすべく部屋を後にした。
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