第3楽章の場合

[第1楽章の場合] [第2楽章の場合]

(99/3/2掲載)


  作品表を見ていただくと分かりますが、マーラーが生涯に作曲したのはほとんど交響曲と歌曲だけだと言うことができるでしょう。さらに、マーラーの中では、同じ楽想・モチーフをこの2つの異なった形態で別々に表現することがごく日常的に行われていたのです。
 交響曲第1番の場合はどうでしょうか。多くの人が指摘しているように、第1、第3楽章には「さすらう若人の歌」、第2楽章は「若き日の歌」と同じ楽想が用いられています。そこでまず今回は、最もわかりやすい第3楽章を比較してみましょう。

 このサウンドは、「さすらう若人の歌」の第4曲目"Die zwei blauen Augen"の後半(38小節〜)"Auf der Strasse stand ein Lindenbaum" という歌詞で始まる部分です。お聴きになってお分かりのように、これは第3楽章の中間部、練習番号10(Sehr einfach und schlicht wie eine Volksweise)から13番までを全音低く移調しただけで、メロディーも伴奏のパターンも小節数も全く同じものです。
 この2つの曲は、構想から作曲、改訂までを考えると、ほぼ同じ時期に並行して作られたものであるとされています。マーラーにとっては、歌曲も交響曲も本質的な違いはなかったのでしょう。
 ところで、歌曲の場合には「歌詞」というものが付きます。「さすらう若人の歌」の歌詞はマーラー自身が書いていますから、どのような言葉をあてはめているのかをみてみれば、モチーフに対するイメージを得る手助けにはなるかも知れないというわけで、日本語に訳してみました。
 この部分はこういう歌詞です。

道のそばに1本の菩提樹が立っていた。
その菩提樹の下で、私は初めて安らかな眠りについた。
花びらが私の上に降りそそいでいた。
そこで私は今までの人生のなせるわざも忘れ、
すべてのものは元のように素晴らしく感じられるようになった。
すべてのものが!同情も苦しみも!そして世界も夢も!

 ここで主人公は安らかな気持ちになれるのですが、じつは、これには前の部分があって、そこの歌詞はこういうものです。この部分は後奏にフルートであらわれる葬送行進曲のようなモチーフに支配されています。

私が愛した人の2つの青い瞳。
それは私を遠い世界へと旅立たせてしまった。
だから私は一番好きだった場所から離れなければならなかった。
おお、青い瞳よ!なぜ私を見つめたのだ。
今や私は永遠の悲しみと、心の傷とともに生きてゆく。

私は静かな夜に暗い荒れ地を越えて出ていった。
だれも私に別れの言葉をかけてはくれなかった。
さようなら!私は同情と悲しみとともに旅立ったのだ。

 このようにとことん落ち込んだ境地から「菩提樹」で束の間の安らぎを得るものの、フルートの後奏でまた現実に引き戻されるというのが歌曲のシナリオです。一方、交響曲の場合は、この後に待っているものは例のアイロニカルな本物の葬送行進曲なのです。