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腸内会長。
![]() フルスコア ![]() CD ただ、ラッター自身は、精力的に作曲活動は行っていて、それらは、このチームだけではなく、多くの合唱団によって歌われ、録音もされています。 とは言っても、なんせラッターはすでに80歳を超えたお年になっていますから、最近はその活動があまり聞かれなくなっていました。そんな時に、なんと、ほぼ10年ぶりの、自作自演のアルバムがリリースされました。タイトルは「詩人の庭の中で」というものですが、それはここで演奏されている曲のタイトルではありません。ここでは、最近作られた曲が取り上げられているのですが、それらは、以前の作品のように、先に曲が出来ていて、テキストはそれに合ったものを探す、というのではなく、先に気に入ったテキストがあり、音楽はそれに合わせて作られているのだそうです。「詞先(しせん)」ですね。そういう意味が込められている、アルバム・タイトルだったのです。 最初の曲は、メゾ・ソプラノとバリトンのソロも加わって、オーケストラをバックに歌うという、大規模な作品「I'll Make Me a World」です。ここでのテキストは、1938年に亡くなったカリブ人を祖先に持つアメリカの詩人であり、人権活動家でもあった、ジェイムズ・ウェルドン・ジョンソンが作ったものです。それは、旧約聖書の「創世記」をモティーフにしたもので、まずは「神」がこの世を作る、というところから始まるのですが、それは聖書のような堅苦しいものではなく、もっとハッピーなもの、いろいろ作っていたものの、「神」はもう寂しくてしょうがなくなったので、「人間」を作った、というのですからね。 ですから、それに付けられた音楽も、とことんハッピーなものでした。ここでラッターが行ったのは、テキストを書いたジョンソンが日常的に聴いていたであろう1920年代ごろのアメリカの音楽、ブルース、ゴスペル、ジャズ、ブロードウェイのミュージカルなどを、惜しげもなく使うことでした。 ですから、曲はまずミュージカルのような華やかさで始まります。そして、「神」の言葉はバリトンのソロによって歌われます。物語を進めるのはメゾ・ソプラノのソロと合唱ですが、スウィングのリズムに乗ってブルーノートがらみのメロディを歌うのは、まさにジャズそのものです。そして最後などはディキシーランド・ジャズの伴奏の中、まさにノリノリのゴスペルの合唱で盛り上がります。そのバックをロイヤル・フィルが演奏しているのですから、ちょっとすごいですね。 次の「London Town」というのは、同じ編成に児童合唱が加わっていて、6つの小さな曲が演奏されます。児童合唱のかわいらしさが聴きどころでしょう。 次も小さな曲の集まった「Dancing Tree」ですが、ここではケンブリッジ・シンガーズにハープが加わった編成です。いずれも民謡のようなシンプルなメロディで楽しい曲ばかりです。 残りの曲も、いかにもラッターらしいキャッチーな曲でした。 この合唱団は、もしかしたらかなり高齢のメンバーになってしまったのでしょうか。なにか、とても目立つ張り切った個人の声が聴こえたりしてきます。 CD Artwork © Collegium Records |
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そして、今回のヤノフスキもそんな一人です。彼の場合は、その中でも4部作「ニーベルンクの指環」だけは2回も全曲録音しているというのですから、かなりすごいことなのではないでしょうか。その甲斐あってか、最近ではバイロイトデビューという快挙も成し遂げましたし。 しかも、1回目の「指環」は、これがこの曲の世界初のデジタル録音だというのですから、それはもはやヤノフスキ自身にしかなしえなかったことになりますね。そこでは、ドレスデン・シュターツカペレを指揮して、1980年から1983年までの間に教会でのセッション録音で完成させています。この時期は、確かにデジタル録音は行われていましたが、まだCDは出来ていませんでしたね。そして、その録音はDEUTSCHE SCHALLPLATTENによって行われたのですが、デジタル録音の機材はすでに多くのデジタル録音のアルバムを作っていた日本のDENONが提供していましたね。ですから、国内盤アルバムもDENONレーベル(日本コロムビア)からも1984年までにリリースされていました。 そして、それから30年以上経って、ヤノフスキはこの「指環」を含む10曲のオペラの録音をPENTATONEレーベルに集中的に行いました。それは、2010年から2015年にかけてベルリンのフィルハーモニーで行われたコンサート形式の演奏を、ライブ録音したものでした。そして、それらはすべてマルチトラック対応のハイブリッドSACDとしてリリースされたのです。つまり、それは「サラウンド」で録音された、初めての「指環」だったのではないでしょうか。またもやヤノフスキはエポックメイキングなことをやっていたのでした。 とは言っても、今となってはこのレーベルはSACDから撤退してしまったようで、もはやSACD「など」を出しているのはBISレーベルのみになってしまいました。少なくともフィジカル面ではもはや「サラウンド」は完全に見捨てられてしまったのです。 今回のアルバムは、2016年に、そのオペラの録音の中からピックアップされたものが、2枚組のSACDとしてリリースされていました。それが配信モードになった時には、フィジカルのジャケットにあったSACDのロゴ(↓)は消えていましたね。 ![]() ただ、逆にピアニシモのしっとりとした場面では、なにか物足りないものが感じられてしまいます。 その端的な例が、おそらくオペラを録っている時に「ついでに」録音されたであろう「ジークフリート牧歌」です。これは、もちろんオペラの「ジークフリート」の中で演奏される曲ではありませんからね。たぶん、弦楽器の人数も少なめになっているのでしょう。なんとも弱々しい音で始まるのですが、しばらく経ってフルートやオーボエのソロが出てくると、それが殆ど聴き取れないほどのレベルになっていました。もしかしたら、これは、サラウンド用の録音からのミキシングで、なにかのミスがあったのかもしれません。以前、このレーベルのオペラのSACDで、ソリストの声だけがとても低レベルになっているものにさんざんお目にかかりましたからね。 それと、ローエングリンの第3幕の前奏曲は、全曲盤では最後はそのまま「結婚行進曲」につながるのですが、ここではわざわざ別のエンディングで演奏していましたね。これも「ついでに」録っていたのでしょう。 こうして、オーケストラ曲だけ聴いてみると、ヤノフスキはその「ローエングリン」のようなイケイケの音楽は、とても華やかに演出しているのですが、「トリスタン」の前奏曲などは「なんだこれ?」と思ってしまうほどスカスカな音楽でした。 Album Artwork © Pentatone Music BV |
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しかし、その曲の新しい録音が2023年に行われ、それが2024年にリリースされた時には、彼の名前は、冒頭に掲げた、ポーランド人としての表記に変わっていました。これは、単に指揮者がロシア人からオーストリア人に変わっていたということ以上に、大きな意味を持っています。 作曲家のコズウォフスキは、1757年と言いますから、あのモーツァルトが生まれた1年後に当時のポーランド・リトアニア共和国の首都ワルシャワで生まれました。そこで、基礎的な音楽教育を受け、さる公爵家の音楽教師となっていましたが、その頃にはポーランド・リトアニア共和国は事実上の帝政ロシアの属国となっていたので、彼は1786年、27歳の時にサンクトペテルブルクに移住します。 そこで彼は、まずロシア軍に入隊しますが、やがて音楽の才能を認められて、宮廷音楽家となるのです。 彼がこの曲を作ったのは、1795年のハプスブルク帝国、プロイセン王国、ロシア帝国による第三次ポーランド分割によって事実上ポーランドという国が消滅し、「最後の国王」となってしまったスタニスワフ2世から、自らの葬儀のための「レクイエム」の作曲を依頼されたからです。元国王は1798年の2月に亡くなりましたが、それ以前に曲は完成していたのでしょう、その2週間後の葬儀には演奏されていたのでした。 つまり、この曲は、スタニスワフ2世のためのものであると同時に、ポーランドという国家への「レクイエム」という意味も持っていたのです。 しかし、事態はそれだけでは済みませんでした。それから27年後の1825年には、ロシア皇帝アレクサンドル1世の葬儀でもこの曲が演奏されることになったのです。そしてそれに際して、コズウォフスキは、純粋なローマ・カトリックの典礼のために作られたこの曲に大幅に手を入れて、ロシア風の典礼の味付けを施したのですね。具体的には、オーケストレーションを分厚くし、最後には「Marche Funèbre」と「Salve Regina」の2つの楽章を付け加えたのです。 そして、それが印刷された「初版」となっています。冒頭のMELODYA盤は、まさにこの楽譜を使って録音されていたのですね。ですから、作曲家の名前も、ロシア語表記となっていたのでした。 そして、今回の録音です。シンガポール交響楽団では、おそらくスタッフがこの録音を聴いたのでしょう、2018年にこれを演奏するという企画がスタートしていたようです。しかし、演奏が予定されていたのはコロナ禍の真っ最中で、しかもこの中で指揮者がコロナでお亡くなりになってしまったために、実現できませんでした。 そして、次にハンス・グラーフが指揮をすることになった時には、初演の際の資料などもきちんと調べて、改訂稿ではなく、初稿の形で演奏するための楽譜が、グラーフの手によって作られました。 それによって、この曲の姿はガラリと変わりました。以前MELODYA盤を聴いた時には、「『西欧』の曲を、無理やり『ロシア』風に捻じ曲げた恣意さえ感じられる」と書いていましたが、ここにはもはや「ロシア」の影は全く見出せません。そこにあるのは、まさにドイツ・オーストリアの「古典音楽」そのもの姿でした。何よりも、初演の7年前に作られていたモーツァルトの「レクイエム」と共通した部分が数多く見られます。オーケストラからはフルートが削除され、暗めの音色が演出されていますし、なんと言ってもモーツァルトの周辺の音楽家が好んで使っていたフレーズが頻繁に現れるのには、心が和みます。 演奏も、とても素晴らしいものでした。合唱も、ロシアの合唱団のようなヘビーさなど微塵もなく、繊細そのものでしたし。そう、これは、紛れもなく、「クラシック音楽」の王道を行く作品だったのです。 CD Artwork © Pentatone Music BV |
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おとといのおやぢに会える、か。
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