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散弾銃のおせち。
このレーベルは2005年に発足していますが、その時にある「ポリシー」を掲げていました。それは、すべてのアルバムのジャケットに、ロンドン・フィルのロゴについている星マーク(★)を入れる、という、楽しいものでした。こちらに、そのサンプルがありますが、その★は簡単に見つかるものもありましたが、中にはかなりしっかり探さないと見つからないものもあって、苦労してそれを見つけた時にはかなりの達成感が得られる、という、非常に興味深いポリシーでした。 ところが、しばらくぶりにこのレーベルのジャケットを見てみると、どこを探しても★がないのですよね。最近の他のジャケットも調べてみたら、やはり見当たりません。どうやら、もうそのポリシーの展開は終わってしまったようですね。 そこで、それがいつまで続いていたかを調べてみましたが、2019年までにリリースされたものにはまだ★がありましたが、どうやら2020年からのものにはなくなっていたようです。まるで「だまし絵」のような楽しい企画でしたが、やはり作る方のアイディアが枯渇してしまったのでしょうね。ご苦労様でした。 ![]() 2019年(★あり) 2020年(★なし) このレーベルは、そんな楽しみはあるものの、録音のクオリティはそれほど高くないな、という印象がずっとありました。単に演奏会の記録のためのライブ録音、ぐらいの熱意しかないような気がしていました。でも、今回のものは、そんな先入観を払拭してくれる、素晴らしい録音でしたね。それぞれの楽器もきっちりクオリティの高い音で聴こえてきますし、全体の響きもとても開放感があって心地よく感じられます。 今回は、交響曲が2曲ですからCDでは2枚組になっていましたね。ですから、定価だと5000円近くになっています。そんなものを買う人がいるのでしょうかね。もちろん、ここではサブスクで聴いています。 「5番」は2023年の3月の録音です。彼女が首席客演指揮者に就任したのが2021年ですから、もうすっかりこのオーケストラを自由に操れるようになっていたのでしょう、それはもう、彼女の感性がそのままオーケストラに伝わって、まさに思い通りの音楽が作れているように感じられます。思いもかけないようなところできっちり歌いこんでいるのに驚かされたりしますし、なにより音楽が全く停滞せずに軽やかに進んでいっているのが、とても心地よく感じられます。 例えば、終楽章の最後の、「ドラえもん」のテーマの後に出てくる重々しい部分でも、某日本人指揮者のような、個人の思い入れをたっぷり注ぎ込んだ暑苦しい音楽ではなく、もっと爽やかな、何もしなくても心に響く音楽を作っています。 「6番」の方は2024年11月の録音です。ここでは、まさにオーケストラとの息もぴったりという感じでしょうか。カネラキスは、この「悲愴」というタイトルを皮相的ではなく、しっかり聴くものに伝えるための、かなりスリリングなアプローチを行っているのですが、それにオーケストラはしっかり応えているような手ごたえが感じられます。彼女は、終楽章に向けての「悲愴感」の伏線を、その前の楽章までに綿密に張り巡らせていたのではないでしょうか。第3楽章などはかなり速いテンポでのイケイケの音楽にしていましたね。 そして、終楽章のテーマ、ファースト・ヴァイオリンとセカンド・ヴァイオリンが交互にメロディを歌い継ぐ、というトリッキーな部分で、それぞれのパートによる頭の部分を思い切り「泣かせて」いたのです。そしてエンディングでは、すべてのスフォルツァンドの部分で、「泣き」を入れています。ここまでやられて、胸が熱くならない人などいるわけがありません。 CD Artwork © London Philharmonic Orchestra Ltd |
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演奏しているのが、「ロンドン・キングズ・カレッジ合唱団」という、どこかで聴いたことがあるような名前の団体ですが、有名なケンブリッジ大学の「キングズ・カレッジ合唱団」という、あの「キングズ・シンガーズ」のオリジナルメンバーが所属していた合唱団とは全く別の合唱団です。 つまり、イギリスには名門大学としてすぐに名前があげられるケンブリッジ大学とオクスフォード大学の他に、ロンドンにも大学があるのですね。まあ、日本でいえば東北大学、京都大学、東京大学みたいなものでしょうか。あ、この順番に意味は全くありません。 ただ、「ロンドンの大学」というのはちょっと複雑で、一応「ロンドン大学」という範疇でいくつかのカレッジが独立して存在していて、さらにそれ以外のカレッジもある、という状態のようですね。そして、その中に「ロンドン・キングズ・カレッジ」という名前の「大学」もあって、そこの学生たちで結成されているのが、この合唱団ということになるのです。 ということですから、メンバーは全て大学生、ケンブリッジの合唱団のような少年による「トレブル」のパートは存在せず、普通の男声と女声が集まった混声合唱の形態をとっています。2025年4月のレコーディング時に参加していたのは、ソプラノ11人、アルト5人、テナー6人、ベース8人という30人のメンバーです。 まずは、ア・カペラで「Echo (from Seascapes)」という曲が演奏されています。思っていた通り、成人だけの合唱ならではの充実した響きが聴こえてきます。ソプラノパートは、いくらか儚げなところがありますが、合唱全体の中ではまず理想的なバランスを保っているようです。男声のパートはとても若々しい声で、ハーモニーもクリアに決まっていて、安心して聴いていられます。 この作品自体は、ちょっとひねくれたハーモニーが使われていて、斬新な響きが聴こえてきます。それは、例えばメシアンあたりのものとはちょっと異なった、不思議な和音なのですが、そのあたりはもしかしたらアルメニアあたりのテイストが入っているのかもしれません。 そして、ここでは録音の素晴らしさが光ります。メンバーの伸びやかな声がストレートに聴こえてきて、そこには一点の濁りもありません。どんなに複雑な和声でも、それぞれのパートがくっきり聴こえてくる上に、全体的な響きもとても心地よいものに仕上がっていて、まさに極上のサウンドを堪能することが出来ます。 曲が進んでいくにつれて、この和声にもなじみが出てきて、落ち着いて聴けるようになっていきます。2曲目の「O Adonai」では、作曲家自身のピアノが加わりますが、そのパートは全く合唱を邪魔しない、なんとも微妙な味のある距離感をもっていました。 その後に3曲ばかりア・カペラの小品が続いた後、アルバムタイトルである「Christmas Offering」が始まります。全部で11曲から出来ていて、まずはグレゴリオ聖歌から始まります。シンプルなメロディが女声→男声→混声というユニゾンで進んでいきます。 2曲目以降は合唱にハープが加わります。となってくると、この作品はブリテンの「キャロルの祭典」ととてもよく似たテイストを持つことに気づきます。実際、作曲家はブリテンの作品をかなり意識していたようですね。この中に「There is no rose」という伝承歌が使われてもいますし。メロディは全く異なりますが。 8曲目になると「Out of the East」という曲になるのですが、これはハープの前奏から、5音階による、それこそクリスマスを通り越した日本のお正月の定番「春の海」のような、まるで日本の「箏」みたいな響きが聴こえてきます。ただ、その後のソプラノとアルトのソリストの歌い交わしや、それに続く合唱は、もっと大陸的な音楽のような雰囲気がありました。 この作品の後は、ピアノ伴奏が入った、割と親しみやすいメロディとハーモニーの曲が4曲続いて、アルバムは幕を下ろします。とても爽やかな印象が残りました。 CD Artwork © Signum Records |
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そして、その後を継いだのが、セナゴーでした。 今回、そのチームが2024年9月に、本拠地のミネアポリスのオーケストラ・ホールでライブ録音したのは、イギリスの作曲家トーマス・アデスの作品でした。この名前は聞いたことがありますが、実際のその音楽を聴いたのはこれが初めてのような気がします。なんでも、イギリスでは「ブリテンの再来」と言われている作曲家なのだそうですね。 そして、指揮者のノアゴーは、2005年にこのアデスの2番目のオペラ「テンペスト」を演奏した時に、彼の音楽にはとてもシンパシーを持つようになったのですね。 ここで演奏されている2つの作品の最初の「『皆殺し』の交響曲(The Exterminating Angel Symphony)」というのも、もとはオペラだったものです。それは、ザルツブルク音楽祭からの委嘱で、1962年に公開されたルイス・ブニュエル監督の不条理映画「皆殺し」を元に作られたもので、2016年のザルツブルク音楽祭で初演されています。その後、2017年にニューヨークのMETで上演されたものは、ビデオ・パッケージにもなっています。 ![]() 彼の音楽は、それこそブリテンのように、聴いてすぐ楽しめるようなものではありませんでした。基本的に調性は維持されていますし、「前衛」からは程遠いところにはあるのですが、そこからは最近の「現代音楽」にはありがちなエンタテインメントの要素は、ほとんど感じることはできません。 第1楽章はハバネラ風のリズムで始まります。オペラの舞台はスペイン? ただ、それは金管楽器によって、とてもグロテスクに変容されていました。木管楽器や弦楽器は、何とか優しい音楽を目指そうとしているようですが、それも、この、とてもいやらしくうねる波に完全に飲み込まれてしまいます。まあ、最後近くでは次第に穏やかにはなるものの、それは重苦しいものであることに変わりはありません。そのままフェイド・アウトで、この楽章は終わります。 第2楽章は「マーチ」というタイトルが付けられています。その名の通り、終始スネアドラムが同じリズムと叩き続けています。それは、なんとも威圧感のあるマーチでした。それが、空虚でアホな音楽に聴こえるのは、狙ってのことだったのでしょうか。 第3楽章は「子守歌」ですって。確かに静かな音楽であるのは間違いないのですが、移しいメロディなどは全く出てくることはなく、雰囲気だけが醸し出されています。それが、最後にはとても激しい音楽になって、目が覚めてしまうのでしょう 終楽章は「ワルツ」です。これも、メロディは断片的に表れるだけ、なんともグロテスクなワルツです。 カップリングで、同じ時にライブ録音された「ヴァイオリン協奏曲」は、2005年に作られていました。当初は「同心軌道(Concentric Paths)」というタイトルが付いていたようですが、現在はそれがなくなっています。これは、ひたすら、ソリストのジョセフォヴィッツの超絶技巧が堪能できる曲です。正直、ついていけませんが。 CD Artwork © Pentatone Music BV |
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この合唱団が結成されたのは1670年代だそうですが、彼らが最初にレコードを作ったのは、ステレオのLPレコードが発売された直後の1959年のことですから、やはりかなりの歴史はあります。その時の指揮者はジョージ・ゲストでしたが、それ以来、このポストはクリストファー・ロビンソン、デイヴィッド・ヒル、アンドルー・ネスシンガ、スティーヴン・ダーリントンと継続され、2023年に現在のクリストファー・グレイに引き継がれています。 その間に、レーベルもDECCAからNIMBUS、CHANDOS、NAXOSなどを経て、2016年からはSIGNUMの専属となり、ここではすでに20枚以上のアルバムを作っています。 それらは、同じデザインのジャケットで飾られていて、それを集めてみるとかなりの壮観さとなります。 ![]() 正直、この合唱団の実力にはちょっと疑問を抱いていたことがありました。彼らは、モーリス・デュリュフレの「レクイエム」を、過去に2回録音しています。1974年にはゲストの指揮でのDECCA盤、そして1998年にはロビンソンの指揮によるNIMBUS盤なのですが、そのいずれも合唱が水準にはとても達していない、という印象だったのですね。この合唱団の編成は、トレブルが児童、そしてアルト、テナー、ベースが成人男声という典型的なイギリスの聖歌隊の姿なのですが、肝心のトレブルがなんとも心もとない歌い方だったので、完全に引いてしまいました。 それ以来、この合唱団とは距離を置いていたのですが、ほんの気まぐれでこのクリスマス・アルバムを見つけた時に聴いてみました。そんなことは、CDを買っていた頃には出来なかったのでしょうが、これがサブスクの良いところですね。そして、それは、本当に素晴らしいアルバムでした。 まず、オープニングの「O holy night」が絶品でした。ここでは、モンタギュー・タトネルというトレブルのメンバーがソロを歌っていて、その姿もブックレットで見ることが出来るのですが、かなり大人びた女の子のように見えます。そして、その声も、まだ若干の幼さは残りますが、ほとんど大人のシンガーと変わらないほどの力のある声なのです。さらに、表現力も、普通のトレブルとはけた外れのものがあります。 そして、その後に合唱が続くのですが、それも、かつてデュリュフレで聴いていたものとは雲泥の差の素晴らしさでした。トレブルのパートはとてもしっかりとした響きですし、合唱団全体のハーモニーも完璧です。何のトラブルもありません。 彼女のソロはこの曲だけ、それは、2024年7月のテイクでしたが、その時のものはそれ以外にはあまりなく、ほとんどのトラックは2025年7月のテイクの時のものなのです。そして、この間では、合唱団のメンバーがかなり変わっていて、タトネルはもういなくなっています。それでも、その違いは全く分からないほどの、いずれも卓越したレベルを保っていました。いつの間にか、この合唱団の力はとてつもないものになっていたのですね。 その2025年のテイクの中には、1985年にこの合唱団がジョン・ラッターに委嘱して作られた「There is a flower」という曲も入っていました。これも、とても共感に満ちた素晴らしい演奏でした。 ただ、このアルバムの「目玉」ともなっているプーランクの「クリスマスのための4つのモテット」は、何しろ1曲目のテーマが同じ作曲家のフルート・ソナタの第2楽章のテーマと酷似しているということで、愛聴しているのですが、ここでの指揮者のグレイのフレージングには、ちょっと違和感がありました。ハーモニーなどは完璧なのですがそれがかなりブツブツした歌い方になっているので、ちょっとドライに感じられてしまいました。まあ、これはこれで面白い解釈だとは思いますが。というか、この合唱団だったら、何をやっても許されるような気がします。 CD Artwork © Signum Records Ltd |
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そんな、年上の方のアムランは、このHYPERIONレーベルをメインに、数多くのアルバムを作っていました。今回のニュー・アルバムでは、新旧の「現代作曲家」の作品を、自作も含めて披露してくれています。中には、おそらくこれまでに録音はしていないはずのジョン・ケージの作品もあるので、かなり興味深いアルバムです。 ケージ以外の作曲家は、フランク・ザッパというロック畑のアーティスト以外は、全く知らない人ばかりです。 そのザッパでは、本来はシンクラヴィアという電子楽器のために作った「Ruth is Sleeping」という曲を、ピアノのために編曲したものが演奏されています。そもそも彼のルーツは「現代音楽」だったそうですから、ここから聴こえるのはまさに古の「現代音楽」でした。おそらく12音技法が使われているのでしょう。それは、一つの歴史的な遺産として受け止めるべき音楽なのかもしれません。 それに続いて演奏されているのが、サルヴァトーレ・マルティラーノという、1927年に生まれた作曲家の「Stuck on Stella」という曲です。これは、かなりすんなりと聴くことが出来る不思議な曲で、かなりロマンティックな表現も感じられます。 その次はジョン・オズワルドという人が作った「Tip」という曲です。このタイトルはいろんな意味のある「チップ」のことですが、ここでは「サービスに対する代償」ではなく、「小片」のような意味なのではないでしょうか。そう思うのは、ここでは、もう、数えきれないほどの「よく知られた」メロディの「断片」が次々と登場してくるからです。それを当てる、というゲームがあるはずですが、これはもう聴き手の音楽知識がジャンルを問わずもろに問われる作品です。ベートーヴェンと同列でサティが使われている、などというあたりが、かなりマニアック。 そして、ケージの「The Perilous Night(危険な夜)」です」。これは、ケージが発明した「プリペアド・ピアノ」のための作品です。彼が、ピアノの弦の間に異物を挟んで、変わった音程と音色を持つ「楽器」を作ったのは、ダンスのバックで多くの打楽器が必要だった時に、ステージにはそんなスペースがなかったので、その代用品としてこのやり方を思いついた、という「伝説」は、かなり説得力を持つものですが、ここでのアムランの演奏を聴くと、もろ、打ち込みの音源と同じものではないか、という気になってしまいます。そういう意味で、ケージの音楽が今の時代まで生き残っていたというのは、やはりすごいことです。 1902年という、この中では最も早く生まれていたシュテファン・ヴォルペの「4 Studies on Basic Rows: No. 4. Passacaglia」は、まさに典型的な「難解な現代音楽」のように聴こえます。 1929年に生まれてまだご存命のユーディ・ワイナーの「Refrain」は、個人的にはこのアルバムの中で最も共感が得られる作品でした。曲全体を覆うのは、心の底から暖かいものが湧いてくるような感覚です。はっきりしているメロディが現れるわけではないのに、とても心地よい気分にしてくれるフラグメントとそれを飾るハーモニー、そこには、真の意味での「癒し」があるのではないでしょうか。曲の中間部あたりでは、いくらか硬質なテイストも現れますが、それが曲全体の中では確かなアクセントにもなっています。 最後のアムラン自身の「Hexensabbat(魔女のサバト)」は、文字通り、ベルリオーズの「幻想交響曲の最後の楽章の中の「サバトのロンド」に影響を受けて作られたそうですが、印象としてはムソルグスキーの「展覧会の絵」の中の「バーバ・ヤーガの小屋」での「魔女」のように感じられる曲です。でも、後半にはきちんと「Dies irae」のモチーフも登場して、盛り上がります。 CD Artwork © Hyperion Records Ltd |
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まず、アルバムのジャケットにすでにインパクトがありますね。 ![]() そして、今回のニュー・アルバムでは、なんと11人もの作曲家の、おそらく彼女が委嘱したであろう作品が演奏されています。それらは、いずれもとても個性的で、かなりの刺激を与えてくれるものばかりでした。 このアルバムの録音は2023年の10月から11月にかけての5回と、2025年5月に1回のセッションで行われていますが、それぞれのセッションには、「セッション・プロデューサー」として、リンジー自身と、それぞれの作曲者が立ち会っています。 1曲目はマシュー・ケネディの「Miniatures for One, LXXXIII. Pickerington, OH」。たった48秒で終わってしまいますが、そこにはかつての「現代音楽」が満載です。 2曲目はジョン・フィールダーの「G.A.T.E. Drills」。ちょっとメシアン風の曲。ダイナミクスの変化がすごいです。ここまでは、フルートだけのソロ。 3曲目はトム・ビールの「Slovakia」。ここからは、おそらく作曲家が別に作った電子音のトラックが加わります。リズミカルなトラックに乗って、リンジーの「ヘイ、ヤ!」という掛け声とともに楽しげに進みます。 4曲目はエヴァン・ウィリアムズの「if/else」。「if/else」、「switch」、「while」、「break」、「else/if」という5つの曲で出来ています。それぞれにキャラクターが異なるトラックに乗って、フルートにも変調がかけられて、かなりノイジーに迫ります。 5曲目はロバート・マクルーアの「prowl」。ここではアルト・フルートを吹いています。やはり、トラックの他に、ソロのダビングなども行われて、かなりマッシブで激しい曲です。猛獣の鳴き声のようなものも聴こえてきます。 6曲目はマシュー・ジャックハートの「Caffiend」。かなりシンプルなソロを聴くことが出来ます。もちろん、変調やダビングは行われていますが、メロディはまとも。最後は、早いパルスに乗ったダンスです。 7曲目はジェニファー・バーナード・マーコヴィッツの「Old Soul」。このアルバムの中でのイチオシです。この前の曲と同じように、次に何が出てくるかが全く分からない進行で、それがとてもスリリング。3声のダビングで、2声のシンプルなハーモニーに乗ってのメロディという部分は、とても美しく感じられます。最後は変調されたアルト・フルートで、ノリノリのリズム、ワルツまで登場。 8曲目はナンシー・ガルブレイスの「'A something in a summer's Day' from Four Nature Canticles」。この曲と次の曲では、ロバート・フランケンベリーのピアノ伴奏が加わります。シンプルで民謡風のメロディが素敵。怪物は出てきません(それは「フランケンシュタイン)」。 9曲目はそのフランケンベリーの「Memory, echoed」。フランス風の静かな曲ですが、だんだん盛り上がった後になぜかグルックの「精霊の踊り」が挿入されます。 10曲目は、フルート4重奏で、トニー・ジリンシクの「It's Pandemonium!」。リズミカルで楽しい曲です。さらに、リンジー自身のメゾ・ソプラノのソロもフィーチャーされています。 そして、最後の11曲目も同じメンバーによるリンダ・カーノハンの「My Compass Still To Guide Me」。フルートとアルト・フルートと、もしかしたらピッコロも入った、とても楽しく美しい曲です。 それぞれに、かつての「現代音楽」とは全く異なる様相が広がっています。このアルバムを聴くと、デジタル技術の多様化で、PC1台で容易に複雑なサウンドを作ることが可能になったのだなあ、という感慨が湧いてきます。。 Album Artwork © Navona Records LLC. |
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このタイトルは、ここで歌われているジャン・イヴ・ダニエル=ルシュールの「雅歌(Le Cantique des cantiques)」という合唱曲の中の2曲目のフランス語のタイトル「La voix du bien-aime」の英訳です。最近のアルバムでは、このように、直接的に例えば「合唱曲集」といったようなタイトルではなく、一ひねりしたものがよく使われるようになっていますね。ただ、サブスク(NML)では、わざわざ「現代フランスアカペラ合唱曲集」という、無粋なサブタイトルを付けています。ここで演奏されている作曲者は全て物故者なのですから、「現代」というのはちょっと的外れなのではないでしょうか。せめて「フランス・・・」とでもしてくれたら、納得できるのですが。 つまり、ここで演奏されている3つの作品、マルタンの「二重合唱のためのミサ」、ダニエル=ルシュールの「雅歌」、そしてメシアンの「おお、聖なる饗宴」も、もはや「現代の音楽」と言うようなカテゴリーとしてはとらえられずに、普通のレパートリーとして広く歌われているものでしょうからね。特に、マルタンの曲などは、アマチュアの合唱団でもたびたび取り上げられているはずです。 今回のオランダ放送合唱団は、オランダの放送局専属のプロの合唱団です。創設されたのは第二次世界大戦後だそうですが、ブックレットを見ると、現在のメンバーは60人ほどですから、プロとしてはかなりの大人数の団体なのではないでしょうか。この編成だと、この合唱団だけでオーケストラとの共演も出来てしまいます。実際、オーケストラのバックで歌っている録音はたくさんあります。 イギリス生まれの指揮者のグッドソンは2020年にこの合唱団の首席指揮者に就任していますが、その時にはまだ28歳だったそうで、かなりの「若手」ですね。その実力が認められ、多くの有名な合唱団との共演も果たしていて、2028年には、SWRヴォーカルアンサンブルの首席指揮者に就任することが決まっているそうです。まさに、期待の新人、要チェックですね。 まずは、1曲目のマルタンから聴いてみます。これはもう、大人数を武器にした、余裕たっぷりの演奏です。それぞれのパートの声がそれぞれに個性を持っていて、それが合唱になった時には、とても振幅の広い音楽を提供してくれています。その、包み込むようなハーモニーはまさに別格ですね。安心して、この音楽に浸ることができます。 次のダニエル=ルシュールという人は、正直ほとんどなじみのない作曲家でした。実際、録音で聴ける作品は、かなり限られたものしかありません。なんでも、次のメシアンと同じ年で、そのメシアンやジョリヴェなどと、あの「La jeune France(若きフランス)」のメンバーだった人なのですね。ただ、作風はメシアンとも、そしてジョリヴェともかなり異なっていて、どちらかと言うと少し前の時代のラヴェルやドビュッシーのような「印象派」っぽい感じがします。ちょっとオリエンタルな旋法とか、独特の浮遊感のあるハーモニーですね。お金持ちの音楽(それは「富裕層」)。 そういう曲になってくると、なにか「エスプリ」っぽいものがあればいいな、という気になるものですが、ここでの演奏は何かそれとは違うのではないか、という気になってしまいます。以前こちらでこの「雅歌」の中の曲を、別のもっとコンパクトな編成の合唱団での演奏で聴いたことがあったので、それと比較してみたのですが、やはり、それとくらべると、なにかどんくさい感じがしましたね。そもそも、録音のレベルが違いますし。 そして、最後は、もう何度も聴いているメシアンの「O sacrum convivium(おお、聖なる饗宴)」です。これも、大人数のせいでしょうか。メシアン特有の和声の変わり目が、なにかすっきりしないんですね。まるで、昔からいる団員のおっさんが、若い指揮者の足を引っ張っているように聴こえてしまいます。 CD Artwork © Pentatone Music BV |
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パリを中心に活躍しているこのアンサンブルは、フランスの様々な場所での録音を行っていますが、今回は別の時期にそれぞれ別の場所で録音されたものがカップリングされています。3曲の中で、「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲」はパリ近郊のソワソンにある「シテ・ド・ラ・ミュジーク・エ・ド・ラ・ダンス」という、2つのコンサートホールとダンスステージがある施設ですが、「コジ・ファン・トゥッテ序曲」と、「曙光交響曲」が録音されたのは、なんと、あのルーブル美術館の中にあるオーディトリアムなのです。こちらは450席ぐらいの多目的ホールで、有名な「ピラミッド」の真下というロケーションなんですね。 ![]() ![]() いずれにしても、どちらの録音場所でもかなり近いところにマイクがあるようで、場所による音の変化は感じられませんでした。 1曲目の「コジ」は、「魔笛」や「フィガロ」に比べると演奏頻度はかなり低くなっているようですが、とてもシンプルで可愛らしく、魅力のある曲なのではないでしょうか。というか、運よくこの曲を実際に演奏する機会があったので、木管楽器の軽やかなやり取りに魅了されましたね。ここでも、そんな魅力をたっぷりと伝えてくれる、とても親密で、生き生きとした演奏を堪能できました。 2曲目は、ヴィオラにベルリン・フィルの首席奏者、アミハイ・グロスを迎えての、協奏交響曲です。正直、同じ名前のソリストが管楽器たちの曲の方をもっぱら聴いているので(レヴィン版も)、この曲はあまり親近感がなかったのですが、この演奏を聴いて、すっかりその虜になってしまいましたね。何よりも、2人のソリストの息がぴったり合っているのが、ほとんど奇跡のように感じられます。それぞれの楽器の受け答えのようなところでは、まるで1つの楽器のような気がしてしまいます。真ん中の楽章などは、ピリオド楽器では「禁止」されているはずのビブラートもたっぷりかけて、思う存分歌いまくっていましたからね。終楽章の軽やかなテーマも、まさに心躍るものでした。このロンド主題をもっと聴いていたいな、という気持ちにすらなってしまいましたね。もうすっかりこの曲のファンですよ。というか、他の人が演奏してつまらなかったらいやなので、しばらくはこの録音の余韻に浸っていることにしましょうか。 ただ、最後の交響曲では、冒頭の序奏が、まさに「曙光」というインパクトがありましたし、それ以降も細かい「仕掛け」がたくさんあって、それぞれはとても魅力的なのですが、ちょっと全体の流れがどこかに行ってしまっていたような気にはなりましたね。終楽章などは途中でテンポが急に変わったりしていたので、ちょっと、繰り返し聴くには辛い仕上がりだったようです。 CD Artwork © Alpha Classics / Outhere Music France |
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ただ、「珍しい」とは言っても、これが作られた時にはもう世界中でとてもたくさんのお客さんが聴きに来たという、まさにもう一つの「ヒット曲」だったのだそうです。 そもそも、この曲が出来るきっかけを作ったのは、チャールズ・ブレイク・コクランというイギリスの興行師でした。プロポーズは苦手(それは「告らん」)。彼は、演出家のマックス・ラインハルトに「中世のミステリー劇を上演してほしい」と提案した時に、考古学者、言語学者にして、作詞家、劇作家というマルチタレントのカール・グスタフ・フォルメラーの紹介状を受け取り、彼に台本を依頼します。それに応えて、フォルメラーは1911年に「Das Mirakel(奇跡)」というパントマイムのための台本を書き上げたので、そこにデザイナーのエルンスト・シュテルンと、作曲家のフンパーディンクを加えたチームで、製作を始めます。 そして、1911年12月23日に、このようなキャパ1万人の「アリーナ」で「奇跡」は上演されました。 ![]() その公演は、1912年3月までのロングランとなりました。さらに、1912年から1914年にかけてドイツおよびヨーロッパ各地を巡るツアーが行われ、アメリカのブロードウェイでも、フンパーディンクが関与しない改訂版での1年間のロングランが行われました。その後、1924年から1931年には、イギリスでの再演が行われます。この間に、映画も2本(!)作られています。 ライン川沿いにある大きな修道院の、ゴシック様式の大聖堂には、聖母マリアの有名な聖像が立っています。主人公は、そこにいるメギルディス修道女。この物語では彼女がここを訪れた騎士にそそのかされて、修道院を脱出し、各地でみだらな体験を繰り返すのですが、クリスマスの日にまた戻ってきて、聖母マリアの像によって「奇跡」が起こり救済されるまでが描かれています。 フンパーディンクが作ったのは、その中で歌われる合唱と、劇のバックで流れる、劇伴(BGM)です。これはパントマイムなので、その中でアリアが歌われたりセリフが語られることはありません。 演奏時間は1時間半、それは3つの部分に分かれていて、最初と最後の部分(第1幕と第2幕)に時折合唱が登場しますが、真ん中の部分(間奏曲)はオーケストラだけで演奏されます。それらは細かい部分に分かれていて、それぞれにタイトルが付いていますから、どのようなシチュエーションでのBGMかは分かるようになっています。 最初の曲は、オルガンと合唱だけで始まります。オルガン奏者のクレジットはありません。合唱は、それこそ「ヘンゼルとグレーテル」に出てくる素朴なメロディの、ドイツ民謡のような曲ですが、それと同時にラテン語の聖歌も歌われています。 やがて、オーケストラも加わり、ダンスのようなものが始まりますが、その中で児童合唱が「ちょうちょ ちょうちょ なのはにとまれ」という日本の唱歌の元となったドイツ民謡が歌われるのに、ちょっと驚かされます。 オーケストラだけの部分では、とてもドラマティックな音楽が流れています。それは、やはりワーグナー風の、後期ロマン派の香りが満載の充実した響きの音楽です。そんな中でも、「ヘンゼル」的なシンプルなメロディが頻繁に表れるのも和みます。 第2幕では、「神の御子は・・・」というクリスマス・キャロルも歌われます。そして、エンディングでは最高潮を迎え、合唱とオルガン、そしてハープも加わって、まるでマーラーの8番のような壮大なサウンドが広がります。 せっかくなので、これで、もっとコンパクトな「組曲」でも作っていたら、結構「売れた」のではないでしょうか。こんな安直なものではなく。 CD Artwork © CAPRICCIO |
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そして、この10年ほどの間に、その製品の流通はCDなどのフィジカル媒体から、ネット配信によるデジタル・アルバムへとシフトされています。おそらく、現在ではもはやCDでのリリースは行っていないのではないでしょうか。昔からのファンは「背信だ!」と憤っていることでしょう。 そんな、最新のデジタル・アルバムでは、モーツァルトのピアノ協奏曲第27番という、とても有名な彼の最後のピアノ協奏曲を、本来の形とジャズによる演奏を交互に聴かせるという試みを行っていました。 ここでピアノを弾いているのは、1990年生まれ、ハンガリーを代表するジャズ・ピアニストのアーロン・ターラシュです。彼は、ドラマーとしても活躍しているそうですが、クラシックのピアニストの経歴はほとんどなかったようですね。まあ、例えばチック・コリアなどというジャズの大御所でも、普通にクラシックのオーケストラをバックにコンチェルトを弾いたりしていましたから、おそらく彼もそのようなスキルはしっかりとそなえているのでしょう。 今回の共演は、オーブダ・ダヌビア管弦楽団という、全く初めて聞いた名前のオーケストラです。「オーブダ」というのは、ブダペストの昔の呼び名、そして、「ダヌビア」というのはドナウ川のことなのだそうですね。1992年に、若い演奏家が集まって作られたオーケストラですが、2013年からはここで指揮をしているマーテー・ハーモリが芸術監督を務めています。その2人の顔写真がジャケット写真になっています(帽子のないのがターラシュ)。 演奏は、普通にクラシック・バージョンから始まります。オーケストラの弦のメンバーは少ないようですが、特にピリオド的なことはやらず、「伝統的」な演奏を行っていましたね。フルート奏者がとても上手で、目立っています。そして、ピアノ・ソロも、至極まっとうな演奏に終始しています。ただ、ところどころで、軽く装飾を入れたりしていますが、それは普通のクラシックのピアニストでもよくやることです。 それが、提示部が終わったところで、いきなりジャズのモードに変わります。ピアニストにコントラバスとドラムスが加わったトリオで、これまでのモーツァルトのテーマをモティーフにしたインプロヴィゼーションが始まります。リズムはちょっとラテンっぽいカリプソのような軽快なもので、モーツァルトとの違和感は全くありません。このトリオのパーソネルは明記されていませんが、ドラムスの人のセンスがすごいですね。 その後にまたクラシックの部分に戻るときも、いともすんなりとモードが変わっているので、それが全く自然に感じられますね。 そんな感じで展開部と再現部でもクラシックとジャズが交互に演奏され、最後の、モーツァルト自身のカデンツァが始まると、最初の12小節の部分は、全くのジャズのコードでのソロに変わりますが、そのあとは、楽譜に忠実に演奏して第1楽章が終わります。 第2楽章になると、テンポが、最近の演奏で聴けるようなものよりもかなりゆったりとした、かつての「巨匠」風のものになっていました。ですから、それに呼応して、ジャズのパートでも、ゆったりとしたおおらかで情緒深いものになっています。何より、コードが完全にナインスとかイレブンスといったジャズのコードにすっかり変わりますから、とても新鮮な感覚を味わえます。 終楽章はロンドなので、曲想が変わるたびにジャズと交代して、目まぐるしく様子が変わります。そんなのを聴いていると、もしかしたらモーツァルト自身の中にも、すでにジャズの要素があったのではないか、といった思いさえ浮かんでくるほどでした。 エンディングはオーケストラの演奏にコントラバスとドラムスが加わって、なんとも楽しいセッションとなっています。 Album Artwork © Fotexnet Kft. |
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おとといのおやぢに会える、か。
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