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パンダグラフ。
それから半世紀以上も経ってそれぞれ70歳を超えても、まだデュオとして第一線で活躍しているのですから、これはもしかしたらギネスブックに登録されるかもしれませんね。 二人とも、あの叶姉妹を思わせるとびきりの美女、ただ、勝手な想像ですが、カティアは奔放で妖艶、マリエルは堅実で質素といった、全く異なる性格なのではないでしょうか。実際、カティアはギタリストのジョン・マクラクリンなど、多くの男を手玉にとっていたようですが、マリエルはセミヨン・ビシュコフという、はっきり言って不細工なクラシックの指揮者と結婚していますからね。 その2人は、2018年に2人のギタリストと一緒に「Dream House Quartet」というユニットを結成しました。その相手は、ブライス・デスナーという、アメリカのロックバンド「The National」の創設メンバーと、ダヴィッド・シャルマンというプロデューサーで作曲家でもあるギタリストです。このシャルマンとは、姉妹はこちらとこちらで共演していましたから、気心が知れた間柄だったのでしょう。もしかしたらアベック? このユニットのポリシーは、「クラシック音楽と現代音楽との融合」ということだそうなので、ここではそのようなことを目指している9人の作曲家による10作品が演奏されています。 1曲目は、共演しているプライス・デスナーの「ノクターン」です。ピアノとギターがそれぞれ全く別のリズムを演奏するポリリズムの作品、時折シンセ・ベースのような音が聴こえてきますが、下の写真のように、おそらくシャルマンが演奏しているのでしょう ![]() 3曲目はデスナーのもう一つの曲、「ノーノ・スパイラル」。タイトルは、イタリアの現代作曲家ルイジ・ノーノからとられているのでしょう。これはピアノだけで始まりますが、いかにもノーノらしい無調感がただよう、一昔前の「現代音楽」の世界が広がります。最後には、サンプリングでしょうか、女声ヴォーカルの断片が聴こえます。このアルバムの中で、これが一番ウケました。 4曲目はキャロライン・ショウの「ヴァレンシア」。ギターが活躍しますが、何となくライヒ風の音楽、原始的で、様々な要素が詰まっています。 5曲目は、そのライヒの名曲「エレクトリック・カウンターポイント」です。これは、2人のギターだけの演奏ですが、おそらく前もって録音したトラックと同期しているのでしょう。初演者のパット・メセニーのようなストイックさは皆無の、痛快な演奏です。第3部ではシンセ・ベースが入ります。 6曲目はダヴィッド・シャルマンの「7つの小片」という作品から「6」と「7」です。「6」の方は、まるでホラー映画のサントラのようなおどろおどろしい音楽、そして、シャルマン自身の中性的なヴォーカルがフィーチャーされた「7」は、まるでプログレの「イエス」みたいな雰囲気のキャッチーな曲です。 7曲目は、ティーモ・アンドレスの「アウト・オブ・シェイプ」。これは、基本ミニマルなのですが、おそらくインプロヴィゼーションなのでしょう。あまり起伏のない、ダラダラとしたヒーリングです。 8曲目は、ライヒに次いで有名なデイヴィッド・ラングの「エヴァー・プレゼント」。パッサカリアの形式でしょうか、様々な変奏が聴かれます。 9曲目はアンナ・ソルヴァルドスドッティルという、アイスランドでは有名な女性作曲家の「ホワット・シングズ・ビカム」です。これは、プリペアド・ピアノが使われていて、まるでジョン・ケージのような音楽です。 最後は大御所フィリップ・グラスの「クロージング」です。穏やかでさわやかな曲です。 CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH |
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ですから、その前の6人の作曲家の曲も、オリジナルは別の楽器のものだったのを、ここで演奏しているフルーティストのマルティナ・クルプシ=ラドニと、オルガニストのトマシュ・グウホフスキたちによって自分たちの楽器のために編曲されたものです。 録音は、ワルシャワの国立音楽フォーラムという2015年に建設された施設の中の大ホールで行われました。1800人収容のシューボックス・タイプの大ホールですが、そこに設置されている大オルガンの本体はホールの舞台の後ろにあって、録音の時には、ステージ上にコンソールを運んで、そこで演奏していたようですね。 少し話題はそれますが、このように最近作られたコンサートホールには、例外なく大きなパイプオルガンが設置されています。逆に、オルガンのないコンサートホールなど、まずありません。ところが、仙台市が建設を予定している2000人収容の大コンサートホールには、今のところオルガンを設置する計画はないようなのですね。そんな内容では、とてもコンサートホールとは呼べないので、各方面から反対の声が上がっているようですね。 それはともかく、そのような大きなホールで、この4段手鍵盤の大きなオルガンと一緒にフルートを演奏するというのは、かなり大変なことなのではないでしょうか。おそらく、2人ともステージでは近くに寄って演奏していたのでしょうが、オルガンの音自体はかなり離れたところから出てきますから、時差も発生するでしょうし、かなりの困難があったことは間違いないはずです。 ですから、最初にその音が聴こえて来た時には、オルガンの音響にフルートが完全に消されてしまっていましたね。なんせ、編曲したのはオルガニスト自身ですから、それはもう、めいっぱい数々のストップを駆使しての大音響で迫るように作られていて、さぞやフルーティストは大変だったことでしょう。 そんなサウンドで、最初の1866年生まれのミエチスワフ・スジンスキが作った「エレジー」という曲が始まりました。これは、まるでフォーレの「シチリアーノ」のような雰囲気で、フルートは伸び伸びと演奏していましたが、オルガンの、特にパイプの音が強烈でした。 そして、有名なカロル・シマノフスキ(1882年生まれ)のピアノのためのエチュードを編曲したものは、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」のような雰囲気がありました。途中でオルガンがグロテスクなパッセージを弾くときに、オルガンのスウェルが大活躍でしたね。 1900年生まれのカジミエージュ・ヴィウコミルスキが作った「アリア」という曲は、まさにバロック風のアリア、それこそ、アルビノーニの「アダージョ」とかカッチーニの「アヴェ・マリア」のような偽作感満載の曲です。 そして、1913年生まれの有名なヴィトルト・ルトスワフスキが作った「3つの断章」です。急・緩・急という構成ですが、親しみやすい曲です。ただ、やはりフルートはほとんど聴こえません。 次の、1937年生まれのマリアン・サヴァという人が作った「アリア」は、フルートのジョリヴェ風のフレーズが悲しげ。オルガンもあまり主張せずに、良いバランスでした。 1936年生まれでまだご存命のイェジー・バウエルの「ラメンタツィオーニ・エ・アレグレッツァ」は、全音階的な和声が新しさを感じさせます。最後にフルートとオルガンが一緒に演奏するカデンツァが素敵。 そして、ウカシュ・ヴォシ(1967生まれ)の「ポエム」、アダム・ポレンブスキ(1990生まれ)の「T・レインズ」、クシシュトフ・グジェシュチャク(1965生まれ)の「ビトウィーン…」という、3人の現代作曲家の委嘱作は、さすがにフルートの熱演が光ります。このアルバムの中では、この「ポエム」が最も心に沁みました。 CD Artwork © Dux Recording Producers |
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![]() ガーディナーたちは以前はDGのアーティストとだったのでDGのサブレーベルの「ARCHIV」でこの「クリスマス・オラトリオ」も録音していました。ですから、今回はそれから35年後の再録音ということになるのでしょう。 今回のアルバムは、ロンドンにあるセント・マーティン・イン・ザ・フィールズという、その名を冠したアンサンブル(ネヴィル・マリナーが指揮をしていました)で有名な教会で行われたコンサートのライブ録音です。このパッケージではCDだけでなく、BDも同梱されていて、それは24bit/96kHzのハイレゾで、5.1サラウンド(そして、ドルビー・アトモスも)というフォーマットで聴くことができるので、迷わずそのボックスを購入しました。 そしてそのBDでは、2チャンネルステレオでも同じハイレゾのフォーマットで聴けたので、それをサラウンドと聴き比べてみたのですが、その差は歴然としていました。単に定位が立体的だというだけでなく、音そのものの繊細さが全く違うのですよ。これには大感激、そんな素晴らしいサウンドのせいで、この長大なオラトリオを、一気に聴いてしまうことができましたよ。 「長大」と言いましたが、確かにこの作品を全曲演奏すれば2時間半ほどかかってしまいますが、そもそもは、クリスマスとお正月にかけて6回に分けて演奏するために作られています。つまり、「全曲」を聴くには6日間通ってちょうだい、ということになるのですよ。もちろん、現代にコンサートで聴く時には、その全曲をまとめて1回に演奏することもありますし。前半と後半に分けてそれぞれ3つの部分を2日かけて演奏する、ということもあります。今回のガーディナーの演奏は、2022年の12月13日と15日の2日に分けて行われました。 そして、それぞれの部分は、楽器の編成が少しずつ違っているのですよね。オーケストラの基本の編成は、弦楽器と通奏低音にオーボエ2本(それぞれ、オーボエ・ダモーレ持ち替え)というものですが、それ以外に加わる楽器は次の通りです(〇:あり、●:なし)。
それぞれの部分の中では、受難曲のようにエヴァンゲリストが聖書の福音書のテキストをレシタティーヴォ・セッコで歌う曲、ソリストによるレシタティーヴォ・アッコンパニャータとアリア、そして合唱によるコラールといった、様々な形の曲が演奏されます。それが、ぜんぶで64曲あります。ただ、第3部の最後に、その第1曲を繰り返す、という指示がありますから、実際は65曲が演奏されることになります。 今回のガーディナーの演奏は、画像もあったのでプレーヤーも指揮者も本当に楽しんで演奏していることがよく分かります。エヴァンゲリストのニック・プリッチャードは、レシタティーヴォは全て暗譜で歌っていましたね。もう一人目立っていたのが、カウンターテノールのヒュー・カッティング。中村倫也によく似たキュートな顔立ちで、素晴らしい声でしたね。 ガーディナーは、第6部の最後から2つ目のコラールを、35年前の録音とは違って、ア・カペラで、しかもその半分ほどの遅さで歌わせて、驚かせてくれましたね。その最後のコラールと、第1部の最初に登場するコラールが、「マタイ」で何度も使われたあのコラールと同じ物だったことに、初めて気づきました。 CDでは聴けませんが、BDでは2日目のアンコールまで収録されていました。それは、1日目の最初の曲だったので、フルートはこの日は降り番だったのですが、しっかり楽器と譜面台を持って、拍手の間に入場していましたね。 ![]() CD, BD Artwork © Monteverdi Choir and Orchestra Limited |
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しかし、ここでは現代のように「ピリオド楽器を使う、オーセンティックな演奏」などというものは、その概念すらもありませんでしたから、メンデルスゾーンは時代に合わせて、大幅にこの曲のスコアに手を入れなければいけませんでした。 ですから、はっきり言ってそれは「ゲテモノ」以外の何物でもないのでしょうが、それを「現代」から見た時には、まさにロマン派の時代におけるバロック音楽の受容の実態を知る格好のサンプルとして、その存在に価値を見出されることになったのです。 そして、1992年には、それがクリストフ・シュペリングによって録音され、そこで初めて、この「作品」の全容が知られるようになりました。 ![]() ![]() ![]() そのタイミングで、この、「ベーレンライター版による初録音」と銘打ったアルバムがリリースされました。録音されたのは楽譜が出版された直後、2023年の11月でした。この合唱団の本拠地、アメリカのペンシルベニア州のベスレヘムの教会での、ライブ録音です。 基本的に、やっていることはこれまでの2枚と変わりませんが、今回はスコアが手元にあったのでそれを見ながら聴いていると、いろいろ面白いことが分かりました。 まずは、この楽譜のミスプリント。巻末に「付録」として、メンデルスゾーンがカットした部分が表記されているのですが、その「コラール」の中に、実際にカットされている40番(Bin ich gleich von dir gewichen)と46番(Wie wunderbarlich ist doch diese Strafe)が抜けています。 ![]() そして、メンデルスゾーンが行ったのが、楽器の変更です。例えば、バッハが好んで使っていたオーボエ族の低音楽器、オーボエ・ダモーレとか、オーボエ・ダ・カッチャといった楽器は、もうその時代には全く使われないようになっていたんだっちゃ。ですから、そのパートはクラリネットで演奏されています。ただ、オーボエ・ダ・カッチャから進化した「コールアングレ」は、すでにこの時代にはあったはずなのに、使われてはいません。 ですから、例えばオリジナルの49番、メンデルスゾーン版では28番後半(レシタティーヴォとアリアで「1曲」と数えられています)のソプラノのアリア「Aus Liebe will mein Heiland sterben」のオブリガートでは、フルート・ソロを2本のオーボエ・ダ・カッチャで伴奏するものをクラリネットで代用していますが、ここはコールアングレでやってほしかったですね。 今回の録音では、通奏低音をピアノで弾いていました。これまでの録音だと、楽譜通りにチェロが弾いていたのに、これはかなり違和感がありました。 ![]() CD Artwork © Outhere Music |
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今回のアルバムでは、そのクイーン・カレッジでの毎年の恒例行事、夏のコンサートでかつて初演されていた作品が2曲取り上げられています。それは、ケネス・レイトンと、レイフ・ヴォーン・ウィリアムズという2人の作曲家の作品です。 1951年に演奏されたのは、1929年に生まれたレイトンの「Veris gratia(ラテン語で「春の恵み)」という曲です。その時は、彼はまだこのカレッジの学生でした。そして、翌年に演奏されたのが、1872年に生まれた大御所、ヴォーン・ウィリアムズの「オクスフォード・エレジー」です。この初演の時には、彼は79歳になっていました。 レイトンの「春の恵み」は、全部で10曲から出来ている40分ほどのカンタータです。メインは合唱ですが、テノールのソロのナンバーや、オーケストラだけの曲もあります。特徴的なのが、すべての曲にフルート・ソロが入っている、ということです。バックのオーケストラには弦楽器だけ、ごく一部にティンパニが入りますが、管楽器はこのフルートしかありません。その活躍ぶりは目覚ましく、それぞれの曲のキャラクターを様々なフレーズで彩ってくれています。 これを演奏しているのが、デイヴィッド・カットバードという人です。絆創膏は貼ってません(それは「カットバン」)。 彼は、特定のオーケストラに所属することはなく、今回のブリテン・シンフォニア同様、イギリス中の名だたるオーケストラやアンサンブルからゲスト首席奏者、あるいはゲストピッコロ奏者として呼ばれています。さらに、スタジオ・ミュージシャンとして、映画やCMの音楽などにも参加しています。なんでも、「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」とか「アベンジャーズ/エンドゲーム」といったヒット作でもサントラにも参加されていたそうです。 そんな、ある意味ヴァーサタイルなフルーティストですが、ここでの演奏はレイトンの曲にとてもマッチしたものになっています。最初のうちは、ちょっと朴訥な感じがしていたものが、曲が進むにつれて次第にその存在感が増していって、ヒバリの鳴き声を模倣したようなフレーズが出てきたあたりでは、そのスマートさにうっとりさせられるようになってきます。最後の曲でも、長大なカデンツァを吹いていて、圧倒されますね。 そんなバックに支えられて、合唱もとても良い味を出していました。いかにも若いメンバーらしく、ソプラノの声はあくまで伸びやかで、癒されます。男声パートもとても透明感があって、女声と良く溶け合っています。 そんな彼らが演奏しているのが、まさにオルフの「カルミナ・ブラーナ」を下敷きにした音楽なのですから、楽しくなります。中には、そのオルフと同じ歌詞かな? と思われるような賑やかな曲もありましたね。そんな時は、カットバードはピッコロに持ち替え、オーケストラにもティンパニが加わって、盛り上がります。最後の曲、フルートのカデンツァの後のア・カペラが、とても美しかったですね。 ヴォーン・ウィリアムズの「オクスフォード・エレジー」は20分ちょっとの作品です。こちらは、牧歌的で郷愁に満ちたマシュー・アーノルドの詩をオーケストラをバックに「朗読」する、というものです。そのナレーションを、ここではあのローワン・アトキンソン、つまり「ミスター・ビーン」が担当しているのですね。もちろん、至極真面目に朗読しているのですが、なんか落差が激しく、あまり曲に入っていけませんでした。オーケストラは、しっかり木管とホルンが加わっていましたが、合唱の扱いはかなり地味でしたね。 CD Artwork © Signum Records Ltd |
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そして、今年の10月にリリースされたのが、今回のアルバムです。ここでは、彼らと日常的に共演を行っている「ソニック・アート・サクソフォン四重奏団」が加わっています。演奏されているのはウェールズ出身の作曲家、ポール・ミーラーに委嘱した「The Light of Paradise(楽園の光)」という作品、もちろん、これが世界初録音でしょう。 このサイトでも何度か取り上げていたミーラーは、クラシックだけでなくポップスでもヒット曲を放っている人気作曲家です。今回彼がこの合唱曲のために用いたテキストは、文学史上最も古く、しかも女性によって書かれた最初の自伝とされている、「マージェリー・ケンプの書」から採られています。この、尋常ではない神秘的な物語を題材として、ミーラーは宗教曲というよりは、もっと世俗的で深みのあるドラマとしての音楽を作り上げました。それはある意味、「合唱によるオペラ」とも呼べるものなのでしょう。 曲全体は小一時間の演奏時間。それは14のシーンに分かれていて、それぞれに特徴的な音楽を聴くことができます。そこで、合唱のバックで活躍している4人(ソプラノ、アルト、テナー、バリトン)のサキソフォン奏者による信じられないほど繊細な演奏に、まず注目です。これらの楽器は、近年になって、基本的にクラシック音楽のために発明されたものですが、なかなかそのジャンルにはなじむことが出来ず、例えばオーケストラの中の楽器としては非常に稀にしか登場してはいません。その代わり、ジャズやポップス、そしてブラスバンドの世界では、その派手なキャラクターが重宝されて、スター的な楽器となっています。 ところが、ここで演奏されているサキソフォンたちは、そのキャラクターを産んでいるビブラートを完全に封印して、なんとも静謐なサウンドを醸し出していたのです。正直、1曲目がこの楽器のアンサンブルで始まった時には、パイプオルガンではないか、と思ったくらいですからね。確かに、リードに空気を吹き込んだものを、金属のパイプで増幅する、という原理は全く同じです。バリトン・サックスの立ち上がりの音などは、オルガンのペダルの音そっくりでしたよ。この楽器でもこんなことができることを、初めて知りました。 ですから、それは、この卓越した合唱とは、見事なマッチングを果たしています。別に、歩き回ったりはしませんが(それは「マーチング」)。この作品は、音楽的にはそれほど複雑なものではなく、伝統的な和声を大切にしたものですから、合唱のコラールが純正調でハモっている時にも、しっかりそのピッチを合わせてくれていましたね。 合唱は、そのようなコラール風のものから、まるでカール・オルフのような、無機的なパターンを繰り返すようなものまで、異なるキャラクターのナンバーが次々に繰り出されています。あるいは、最初は女声だけのカノンが爽やかに歌われていたと思っていたら、やがてそこに男声も加わって、もっと重量感のあるコーラスを聴かせるといったシーンもあります。 主役はもちろん合唱ですが、それ以外にも、メンバーのソロによるアリア風の曲もあります。その時には、例えばソプラノのソロの時にはソプラノ・サックスが、そしてバスのソロの時はバリトン・サックスがそれぞれ寄り添う、といった配慮もあります。 曲の最後の方になってくると、最初の頃に出てきたパッセージが再び登場して、全体のまとまりを感じさせてくれます。そして、最後の曲では、おそらく合唱団のメンバーが演奏しているのでしょう、膨大な数のツリーチャイムが一斉に鳴り出します。そこには、圧倒的な感動が産まれている瞬間がありました。 CD Artwork © Berlin Classics |
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マーラーから一変して、フィッシャーがこのアルバムのために選んだのが、シューベルトの交響曲第1番と、ドヴォルジャークの交響曲第9番でした。音源はライブ演奏の時に録音されたものですが、それぞれ別の日に演奏されたものです。つまり、このカップリングはあくまで、彼なりのコンセプトによって作られた、このアルバムだけのものなのです。確かに、この2曲がカップリングされたアルバムなどは、もしかしたらこれが世界で初めてのものなのかもしれませんね。「新世界」はともかく、シューベルトの交響曲第1番などは、それこそ「シューベルトの交響曲全集」ぐらいにしか収録されてはいませんからね。 もちろん、そんなレアな組み合わせにしたのには、ちゃんとした理由がありました。このジャケットの半分を占めているのは、アメリカで発行されていた雑誌の表紙なのですが、この中に、当時アメリカにいたドヴォルジャーク自身が執筆したエッセイが掲載されているのです。それは、「The Century Illustrated Magazine」という月刊の総合雑誌で、1881年から1930年まで刊行されていました。そこには、文学、歴史、時事問題、地理、テクノロジー、文化など、 幅広いテーマの連載記事が掲載されていました。中でも、最初の頃には、音楽というカテゴリーの特集で、現存している有名作曲家が、過去の大作曲家について語るというエッセイが定期的に掲載されていました。たとえば、サン=サーンスがリストについて書いていたり、グリーグがベルリオーズについて書いていたりしていたのでした。その中の、1894年の7月号に、このドヴォルジャークがシューベルトについて書いたものがあったのですね。 ![]() ![]() シューベルトの交響曲についても、私は非常に熱狂的な崇拝者であり、ためらわず彼をベートーベンと同列に置く。さらに、メンデルスゾーンやシューマンよりもはるかに上位に置く。メンデルスゾーンはモーツァルトのような楽器編成と形式に対する天賦の才能をいくらか持っていたが、彼の作品の多くは必ずしも真にオーケストラ的というわけではなかった。形式が作曲家の邪魔をしているようで、楽器編成も必ずしも満足のいくものではない。シューベルトの場合は決してそうではない。彼は時々不注意に、またあまりにも散漫な書き方をしたが、表現方法に誤りはなく、形式は自然に身に付いた。独創的なハーモニーと転調、そして管弦楽の色彩の才能において、シューベルトに勝るものはなかった。 と、シューベルトを彼と同時代の作曲家と比較していたり、 彼が20歳になる前に書いた5つの初期交響曲を研究すればするほど、驚きに出会う。ハイドンやモーツァルトの影響は明らかだが、旋律の性格、和声進行、そして多くの絶妙なオーケストレーションにおいて、シューベルトの音楽的個性は紛れもなく明らかだ。 と、具体的な曲にまで言及したりしています。 こちらにその現物がありますので、興味のある方はお読みになってみてください。 ここでフィッシャーが取り上げたシューベルトの「1番」には、まさにそんなドヴォルジャークのシューベルト愛がまざまざと感じられないでしょうか。そして、彼の「新世界」も、なんとも繊細で、まさにシューベルトのテイストが満々なのも感じられることでしょう。 Album Artwork © Deutsche Grammophon GmbH |
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録音されたものも多く、そんな中でよく聴かれていたものは、例えばディートリヒ・フィッシャー=ディースカウとかハンス・ホッターといった、バリトンやバスの低い声で歌われるものがほとんどでした。それらは、確かに感動を誘う演奏なのでしょうが、そもそもシューベルト自身が書いた楽譜は高い声の人が歌うためのキーで作られていました。ただ、それを出版する際に、声域にかかわらず、広く歌われるように、つまり楽譜がたくさん売れるように、いくつかのキーチェンジを行ったものが作られていたのですね。結果的に、キーを下げて歌われたものの方が、より哀愁が漂うと思われて、バリトンのための曲、みたいな「風習」が残ってしまっていたのでしょうね。もちろん、今ではしっかり作曲家が書いた通りの楽譜、いわゆる「原典版」も出版されていますから、高い声の人、つまりテノールでも、そしてソプラノでも堂々と歌うことが出来るようになっています。 もっとも、これを女性が歌うということになると、さすがに抵抗はあったようで、これまでに録音も、これぐらいしか聴いたことはありません。 そして、このアルバムの登場です。ここで歌っている女性は、イギリスで生まれ、カナダの西海岸で育ち、現在はベルリンを拠点に活躍している、レイチェエル・フェンロンという方です。彼女はソプラノの歌手として、オペラなどにも出演していますが、それだけではなく作曲家、あるいはピアニストとしても活躍しているマルチ・タレントです。 そんな、ソプラノ歌手としても、ピアニストとしてもそれぞれが自分のアイデンティティとなっている彼女ですから、シューベルトの歌曲などを自分でピアノを演奏しながら歌う、というのは、ごく当然の発想だったようですね。 ただ、それは、彼女が「女性」であったこと以上の抵抗があったことでしょう。「歌曲」というのはなんたって「芸術」ですから、ここでは歌い手と番奏者という2人の「芸術家」が、それぞれの技量を持ち寄って、より高いものを目指す、ということが要求されるはずでしょう。フィッシャー=ディースカウの場合は、ジェラルド・ムーアという卓越した伴奏者がいたからこそ、芸術性の高い演奏が生まれたのだ、という思想ですね。 ですから、彼女も、自分で伴奏を弾きながら歌う、というパフォーマンスを自信を持って聴いてもらえるようになるには、思い立ってから10年の歳月が必要だったようですね。そして、コンサートだけではなく、特にシューベルトに関して、それをレコーディングしてアルバムを作りたい、と考えるようになりました。 どの曲を録音しようか考えていた頃に起きたのが、あのパンデミック。彼女は、その間に「冬の旅」の楽譜(もちろん、原典版でしょう)と出会い、その中に自分自身の姿を感じます。そして、2年をかけて勉強し、2022年にベルリンでそれを始めて演奏しました。それからは、フェスティバルなどで何度も演奏を行い、満を持して2023年5月に、このアルバムの録音を行ったのです。 確かに、当たり前のことですが、それは、これまでにはなかったような緊密は「アンサンブル」が実現されていました。2人で演奏している時には、いくら「阿吽の呼吸」とか言ってみても、どこかには合わんところが出てくるものですが、ここにはそれが全くありません。 どちらかというと、感心したのはピアノのパートでした。歌の方は、確かに立派な声なのですが、それはかなりドラマティックで起伏が激しく、個人的にはもっと抑制のきいた歌い方の方が、この作品の魅力がもっと伝わるのではないか、と、強く思えてしまいました。 CD Artwork © Orchid Music Limited |
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とは言っても、彼女が生まれたのは1977年ですから、このアルバムがリリースされた2021年には、44歳になっていたはずで、もはやこんな風貌は残ってはいなかったはずでしょう。 実際、さっきのお名前の表記を確かめるために、本人がしゃべっている映像を探してみたのですが、その時のお姿は、まず年相応のものでしたね。 そんなお洒落なジャケットでは、そのタイトルもお洒落でした。ここで演奏しているのはモーツァルトの4曲のフルート四重奏曲+αなのですが、ここではそんなダサいタイトルではなく、「フルートの情熱」という、あえて曲目を避けて、コンセプトを前面に出すという、流行りのコピーになっています。 そのコンセプトというのは、おそらく「モーツァルトによる癒し」なのではないでしょうか。彼女は、次のように語っています。 私が幼い頃から、モーツァルトはいつも私のそばにいました。彼の音楽を聴いたり、演奏したりすると、そこは私にとって幸せな場所に変わります。 この言葉のように、この録音を聴くと、彼女は、他の3人のメンバーとともに、本当にモーツァルトの音楽を慈しみながら演奏していることが、とてもよく伝わってきます。これを聴く前に、先ほどの映像を何種類か聴いてみたのですが、その中にはジャズ・ミュージシャンと一緒にクロード・ボランの「ジャズ組曲」を演奏しているものもありました。そこでの彼女のフルートは、アクロバティックなインプロヴィゼーション(たぶん、記譜されています)を躍動感を持って小気味よく吹いていて、とてもカッコいい、という感じでした。 ところが、今回のモーツァルトでは、まるで別人のように落ち着いた演奏を見せているのですね。まず、音色がとてもまろやかで、なにか包み込まれるような温かさがあります。そして、そんなトーンで彼女が奏でるメロディラインも、ちょっとした凸凹はまるで鉋をかけたかのように見事にすべすべな肌触りを見せてるかんな。もちろん、他のメンバーも同じようなテイストで見事なアンサンブルを見せていますから、そこからは、まさにモーツァルトの音楽が持っている「優しさ、希望、喜び」、言い換えれば「癒し」がストレートに伝わってくるのですね。 いや、それは、もしかしたらかなり時代遅れな感覚で、現代ではもっと複雑なモーツァルト像を求める人も多いかもしれませんが、彼女たちの音楽はそんなことを超越した、もっと普遍的な「癒し」の感覚を届けてくれていることは間違いありません。騙されたと思ってそこに身を任せているだけで、あなたは「幸せ」になることができるはずです。 それは、最も遅い時期に作られたイ長調の四重奏曲で、とくに際立っています。アンダンテによる主題と変奏、メヌエット、そして同じテーマが繰り返されるロンドという、いずれも穏やかなテンポの3つの楽章から出来ているこの曲では、最後の楽章には、 ![]() (ふざけたロンド、優雅な動きで、しかし早すぎてもいけないし、またゆっくりしてもいけない。 まさにそのとおり そのとおり 熱情と表情をこめて。) このような、ちょっとふざけたタイトルをつけています。そんな和やかなセンスが、この演奏にも満ちています。 CD Artwork © Outhere Music |
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そのダナキーさんは1993年生まれですから、今年は31歳になったのでしょうか。彼がこのグループに参加したのは2016年ですから8年前、まだ23歳のことだったのですね。 このグループは、もう半世紀以上、56年も活躍している団体ですが、その間にはメンバーは頻繁に変わっていました。具体的には、ほぼ2、3年のスパンで、どこかのパートが入れ替わっているのですね。 それぞれのメンバーも、在籍年数はそんなに長くはないようですね。中には、指揮者、ある人は作曲家と、グループを去った後も別のステージで活躍する人もいます。 そんな中で、かなり長く在籍していた人もいましたね。創立メンバーであるセカンド・カウンターテナーのアラステア・ヒュームなどは、25年間もメンバーで居続けました。さらに、ヒュームの最後の4年間を一緒に過ごしたファースト・カウンターテナーのデイヴィッド・ハーレイは、それより1年長い26年間、メンバーであり続けていました。グループを「卒業」したのは54歳の時、声は決して衰えてはいませんでしたが、外観的には周りの「若者」からはかなり浮いていましたね。 その点、現在の6人は、みな若く、それほど年齢差もないようなので、コーラスとしては理想的な形になっているのではないでしょうか。現在のメンバーは2010年からずっとメンバーチェンジがありませんでしたから、全く同じメンバーでもう14年も続いているのですね。つまり、今の彼らは、グループ史上最長のアンサンブルを保っているのということになります。 今回の2枚組のアルバムは、彼らの重要なレパートリーである、「クロース・ハーモニー」を集めたものです。これは、難しいので苦労するのではなく、本来は「密集和声」を表す言葉です。男声だけのように音域の狭い合唱の場合、その和声は狭い音域の中に詰め込まれることになります。そこから生まれるタイトなハーモニーが、とても魅力的なんですよね。彼らは、それを、レパートリーの一つのジャンルとして、主にポップスのカバーなどを行っています。そんな堅苦しくない曲ですので、コンサートでは大いに盛り上がります。 彼らは、2019年から、そんなレパートリーを集めた「The Library」というEPを4枚作っていました。今回のアルバムは、その中の曲と、さらに今年になって新しく録音したものを加えて30曲が収められています。 それらをまとめて聴いていると、やはり彼らは、今が絶好調なのではないか、という気がしてきます。何よりも、リズム感が素晴らしいんですね。ア・カペラの場合、どうしてもビートがあいまいになりがちですが、彼らはまさに長年培ってきた阿吽の呼吸で、見事なグルーヴを出しています。それは、メトロノームのように正しいのではなく、全員の「呼吸」もぴったり合ったタイミングで動き出すようにしていますから、ほんの少しずれているのですが、そこまで含めて全員のリズム感が統一されているのですね。 そこに、彼らの身上である、完璧なハーモニーが加わります。そこでは、どんな時にでも正確なピッチでハーモニーが決まるということが日常的に行われているグループですから、爽快そのものです。 前に聴いたことのあるものでも、今回はとても気持ちよく聴けましたし、新しい曲も素敵でした。昔のビートルズ・アルバムではビル・アイヴスが編曲していた「オブラディ・オブラダ」が、ここでは全く別のスタイルの、ダリル・ランズウィックの編曲になっていて、その、ロシア民謡まで巻き込んだハチャメチャさが、高度のエンターテインメントに昇華されていました。 CD Artwork © Signum Records Ltd |
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さきおとといのおやぢに会える、か。
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