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渋皮栄一。
![]() そして、テクニックも卓越したものがあります。ここで演奏している3つのフルート協奏曲は、いずれもかなりの技巧と、さらには現代曲に使われる特殊な奏法も要求されますが、それらがいとも簡単にクリアされているのですからね。 なんでも、彼女は、ドレスデン・シュターツカペレの首席奏者だったエッカルト・ハウプトの教えを受けているのだそうです。ハウプトは大好きなフルーティストでしたから、その流れが感じられて、とても親しみがわいてきます。 ここでは、タイトルのように、彼女が生まれたかつての「東ドイツ」の作曲家たちによって作られた3つのフルート協奏曲が演奏されています。これらがすべて世界初録音となるという、とても意欲的なアルバムです。 まずは、ギュンター・コハン(1931-2009)が1964年に作ったフルート協奏曲です。古典的な3つの楽章から出来ていますが、第1楽章の序奏の頭の音からして、なんとも刺激的、というか、とてもファンタスティックな響きが聴こえてきましたからね。それが、主部に入ると、俄然軽めの音楽に変わります。終楽章は、ちょっとコミカル。でも、技巧的なパッセージが頻出しますから、彼女の名人芸を心行くまで堪能できます。 2曲目の協奏曲は、ギースベルト・ネーター(1948-2021)が、すでに東西ドイツが統一されていた2007年に作っています。これは、シュタインからの委嘱を受けて作られたのだそうです。それは、翌年の1月に、彼女自身によって初演されています。その時のオーケストラも、この録音と同じフランクルト・ブランデンブルク州立管弦楽団でした。 この曲では、まさに、21世紀ならではの、「現代音楽」の様相が反映されています。かなり難解な音楽ではあっても、聴き手に対するサービスは欠かさない、といったスタンスでしょうか。ですから、ソリストの演奏でも、グリッサンドとか微分音が普通に使われていて、とても新鮮な味わいがあります。ですから、そこにフラッター・タンギングや循環呼吸が出てきたりしても、それはもう当たり前の表現として受け取れてしまいます。バックのオーケストラも、幻想的なハーモニーを醸し出していて、そこでのソリストも、それに絡みつくフルートを演出しています。楽章の切れ目もあまりはっきりはしていません。最後の部分では、突然7拍子などが加わった変拍子の嵐が始まり、なんとも心躍る展開になっています。 最後の協奏曲は、ジークフリート・マトゥス(1934-2021)の作品です。作られたのは1978年で、翌年マズア指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団をバックに、ツェラーが初演したのだそうです。今回は、この曲が最も面白く感じられました。かなり難解でハードなのですが、それが、なんとも言えない「重み」をもって迫ってきたのですね。 これも、5つの部分が連続して演奏されているようです。とにかく、オーケストラのサウンドがとてもエネルギーにあふれていて、ギンギンの色彩感が発散されています。特に打楽器が派手に活躍していますね。ですから、ある時にはクセナキス、またある時にはリゲティといった感じで、当時のスターたちの音楽の片鱗が聴こえてきたりします。 そんな中で、フルートもあらん限りのテクニックを駆使して存在感をアピールしています。それが、最後から2番目の部分になったら、楽器をアルト・フルートに持ち替えていました。この楽器特有の暗い音色が、それまでの音楽とのものすごいギャップとなって、楽しめましたよ。 CD Artwork © Naxos Rights(Europe) Ltd |
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ここでは、そんなホルン奏者たちの要望に応えて曲を作った4人の作曲家の作品が、アメリカのバッファロー・フィルの首席奏者と副首席奏者の2人のソロによって演奏されています。バックを務めているのは、彼らの所属しているオーケストラ、指揮は、1998年からこのオーケストラの音楽監督を務めている、ジョアン・ファレッタです。彼女は、「初めてアメリカのメジャー・オーケストラの音楽監督になった女性指揮者」と呼ばれていましたね。 ですから、オーケストラもソリストも、モダン楽器を使って演奏している、ということになりますね。 1曲目は、ここでは最も遅い時代に活躍したフリードリヒ・ヴィットの作品です。この人は、生まれた年が1770年と、あのベートーヴェンと同じなのですね。ですから、かつては彼の作った交響曲が、「若いころのベートーヴェンの習作」として世に出ていたこともありました。なんでも、1909年にイエナ大学の音楽科の主任だったフリッツ・シュタインという人が、大学の図書館で、「ベートーヴェンの」という書き込みのあるハ長調の交響曲のパート譜を発見したそうなのです。タイトルなどには作曲家の名前はなかったものの、あまりあてにならないベートーヴェンの伝記には、「ハイドンの交響曲をモデルに、ハ長調の交響曲を作った」とあったというので、シュタインは1911年には、それをなんとブライトコプフから出版してしまいます。 ![]() ここでのヴィットの協奏曲は、例えば、第1楽章で長調だったものが突然短調に変わって、そのまま転調する、と言ったようなところがあるのですが、それが「イエナ」の第1楽章の序奏でも、同じようなことをやっていたのが、面白いですね。2人のホルンの役割分担もとても的確ですし、第2楽章のテーマの美しさは感動ものです。 2曲目は、フランツ・アントン・ホフマイスターの作品です。彼は、あの「ペータース」という現在も存続している楽譜出版社を作った人でもある作曲家ですね。このアルバム中最長の長さを誇るこの曲は、この2人の名手にしてもかなり手こずっているようなところがあって、かなりの難曲に仕上がっているようです。確かに、彼はモーツァルトのオーボエ四重奏曲をフルート用に編曲した楽譜を作っていますが、それはオリジナルより難度が高かったような。 3曲目は、なんとレオポルド・モーツァルト、あのモーツァルトのお父さんの曲ですね。こちらは、第1楽章はとてもチャーミングな作風でちょっと意外な気がしますが、第2楽章などは、まるで息子の「レクイエム」の「Rex tremendae」を思わせるようなくそ真面目な音楽です。でも、終楽章は、ホルンではお得意の「狩」のイメージ満載で、和みます。 最後のフランティシェク・クサヴァー・ポコルニーという人は、全く知らない方です。マンションにはありますけどね(それは「バルコニー」)。マンハイムで活躍した人で、50曲以上の交響曲を作っているそうです。この協奏曲にはオーケストラに2本のフルートが加わっていて、それがホルンのソロに寄り添っているのが、なかなか素敵です。なんと、カデンツァにまでフルートが入っていますからね。 2人のソリストの名人芸は、とても見事なのですが、高い音などでは苦労しているなあ、というところがないわけではありません。これを、当時の人がナチュラルホルンで演奏していたなんて、すご過ぎます CD Artwork © Naxos Rights(Europe) Ltd |
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彼は、フランスのオーケストラ、ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団の音楽監督に、今年の秋、9月に就任したばかりです。このアルバムは、その就任直前の4月にボルドーで行われたコンサートのライブ録音です。そして、その曲目はというと、全曲演奏するのに2時間以上もかかる「リング・オデュッセイ」という作品です。 とは言っても、それは、それよりももっと長い、全曲で16時間もかかる、ワーグナーの「ニーベルンクの指環」、いわゆる「リング」を、スウェンセン自身の手によってこんなに短くしたものなのですね。もちろん、それは「ラインの黄金」、「ワルキューレ」、「ジークフリート」、「神々の黄昏」という4つの楽章から出来ています。 ブックレットの彼のエッセイによると、彼は指揮者としては、これまではもっぱらマーラーを得意としてきたそうです。ただ、そのマーラーが敬愛していたワーグナーに関しては、なにかアグレッシブなところばかりが目について、どうしてもその世界に入り切ることが出来なかったのだそうです。ところが、ある時、アメリカの小さな町で行われた、素人も混じっているような歌劇団が、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を上演した時に、それを見た彼は、そこで涙が出んばかりに感動したのですね。今まで気が付かなかったワーグナーの本質を、その拙い上演の中に発見して、それ以降はワーグナーを心から愛するようになったのだそうです。 そして、その最大の作品である「リング」を、より多くの人に聴いてもらいたい、ということで、このような編曲を行って、それを演奏したのですね。もっとも、彼以前にそのような「ハイライト」を作った人は何人かいました。たとえば、このサイトでも、ヤルヴィ盤、マゼール盤、ジョルダン盤などを聴いていました。 ただ、これらのバージョンでは、ジョルダン盤では最後にだけソプラノのソロが入っていますが、それ以外は全てオーケストラだけで演奏されるようになっています。それは、スウェンセンに言わせると「ソロ・ヴァイオリニストのいないヴァイオリン協奏曲」みたいなものなのだ、というのですね。ですから、ここでのハイライト版では、しっかりソプラノ、テノール、バリトンの3人の歌手が参加して、「原曲通り」に演奏している部分がたくさん設けられています。 ただ、そんなことを言っておいて、「ラインの黄金」の最初の部分で、前奏曲が終わってラインの乙女たちが登場するシーンで、彼女たちの声が全く聴こえてこなかったのは、どういうことなのでしょうね。 でも、そんな些細なことにはこだわらずに、どんどん聴き進んでいくと、この指揮者がワーグナーに対して抱いている情感が、ストレートに伝わってくるような気がしてきます。彼が感じているであろう、この曲の素晴らしい部分を、惜しげもなく聴いているものと分かち合いたい、という、「愛」がとても強烈に感じられるのですね。 それは、おそらく、普通のオーケストラ版ではまず聴くことができない、「ワルキューレ」のジークムントとジークリンデの二重唱とか、「神々の黄昏」のジークフリートとブリュンヒルデの二重唱にたっぷり時間をとって歌わせているあたりですね。 それとともに、ソリストだけでなく、「神々の黄昏」だけに登場する合唱も、きちんと入っていて、素敵な男声合唱を聴かせてくれています。その中にはソロを歌う部分もあるのですが、それも合唱団のメンバーが歌っています。彼らは、ボルドーのオペラハウスの合唱団だったのですね。ですから、中にはソリストも加わっているのでした。 もちろん、オーケストラだけで演奏される有名どころからも、「アグレッシブではないワーグナー」がしっかりと聴こえてきました。 CD Artwork © Alpha Classics / Outhere Music |
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そして、それぞれの物語は、シェエラザードというとても聡明な女性が、国王の前で彼女が知っている物語を語る、という設定で綴られています。その辺のシチュエーションはご存知でしょうが、妻に裏切られて女性不信に陥った国王が、女性全体に対して復讐を企てるために、毎日若い女性と結婚し、初夜を迎えた日の翌日には殺してしまう、というとんでもないことを続けている、という所業が背景になっています。 そんな悪行をやめさせようと立ち上がったのが、実際にその殺戮を指示している大臣の娘のシェーラザードでした。彼女は、国王と結婚して、型通りに夜を迎えると、自分の知っている面白い物語を話し始めます。その話に夢中になった国王は、その続きを聴きたいために彼女を殺すことを先延ばしにします。そんなことが1001日も続いて、国王はもう妻を殺すことはやめることにして、悪行はなくなった、というお話です。 ですから、この「アラビアンナイト」を元に大編成のオーケストラのための音楽を作ったリムスキー=コルサコフは、そのタイトルを、その語り部である「シェエラザード」としたのですね。 今回のアルバムでは、そんな有名な作品を、まずは大オーケストラではなく、たった14人の演奏家で演奏する、という試みを敢行していました。 それだけではなく、その中にナレーションを挿入したのです。それを語っているのが2人の女性のキャラクターなのです。もちろん、そのうちの1人は先ほどのシェエラザードその人ですが、もう一人は、「ディナルザード」という名前の人なのですね。 きちんとこの物語のオリジナルを読んだことはないので、「だれ、それ?」となってしまいましたよ。調べてみると、そのディナルザードさんというのは、シェエラザードの妹だったのですよ。彼女は、姉の命によって、王の寝室の中で、姉の足元で眠ることを許されていました。そして、夜が明ける1時間前に、姉に「眠れないので、なにかお話をしてください」と頼んで、その話を王にも聞かせる、という役目を担っていたのですね。 ![]() ここでのナレーションでは、そんな経緯とともに、王の気持ちが変わって行くこと、そして、1001日目を迎えた時には、王は、尊敬できる人格を取り戻していた、といったようなことが語られているのではないでしょうか。それは同時に、自由な未来へのメッセージにもなっているのでしょう。そのテキストを作ったのは、指揮者のシモーネ・メネセスと、サイモン・スカーディフィールドそしてリン・サーファティの3人です。 音楽面では、ヴァンサン・ポーレという作曲家の監修のもとに、何人かの編曲者がそれぞれの楽章のトランスクリプションを担当しているようです。彼らの仕事は、ほぼオリジナルに忠実に、オーケストラのそれぞれのパートが1人しかいないというアンサンブルのために楽譜を作る、ということでした。聴く前は、さぞかしスカスカのサウンドだろうな、と思っていたのですが、実際に聴いてみると予想に反してかなりオリジナルに肉薄していたのには驚きました。というか、この曲は、この編成でも十分に満足できるものが得られるのですね。世の中には、大人数でないと演奏出来ない曲というものがあるのだそうですが、本当はそんなことはないのかもしれません。でも、それだと、多くのオーケストラの、ほとんどの弦楽器奏者は失業してしまいますけどね。 ただ一つ残念なのは、ハープのパートがピアノに置き換わっていたことです。これで、魅力が半減してしまいました(それは「ハーフ」)。 CD Artwork © Alpha Classics / Outhere Music |
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彼女の名前はヨハンナ・デメテル、確かに目がくっきりしていますね(それは「目出てる」)。ハンガリー人の両親のもとに生まれ、ドイツで活躍しています。気になるお年は、分かりません。 彼女は、まずはブダペストのベラ・バルトーク音楽院でフルートを習い始めますが、やがてシュトゥットガルトでジャン=クロード・ジェラールとダヴィデ・フォルミザーノ、ハノーファーでアンドレア・リーバークネヒトに師事し、24歳の時にはバーゼル交響楽団の首席奏者に就任します。そしてその2年後には、リンツのアントン・ブルックナー私立大学の木管楽器部門の教授に就任します。なんでも、彼女は、その部門では最も若い教授の一人なのだそうですね。 そして、演奏家としても、こんな、シュトゥットガルト室内オーケストラとともに、デビュー・アルバムを録音していました。ここでは4人の作曲家の、フルートと弦楽合奏のための作品を演奏していますが、そのうちの3曲はこれが世界初録音となるのだそうです。 その作曲家たちは、イーゴル・ストラヴィンスキー、アーサー・ベンジャミン、マルコム・アーノルド、ドミトリー・ショスタコーヴィチです。いずれも、クラシック音楽とともに、映画音楽のジャンルでも活躍していた作曲家たちですね。 演奏順に、まずはストラヴィンスキーの「イタリア組曲」です。これは、彼のバレエ音楽「プルチネッラ」からの曲を抜粋して作られたものです。「プルチネッラ」自体は、ペルゴレージなどのイタリアの作曲家の作品からモティーフを使って作られたものですから、この組曲も同じスタイルになっています。最初はチェロとピアノのための5つの曲でしたが、後にヴァイオリンとピアノのための6曲の組曲も作られます。 ここで演奏しているのは、そのどちらとも異なっていて、7曲の構成、さらに、エイドリアン・ウィリアムズとマーティン・ブラウンの2人によって、オーケストレーションとフルートのためのアダプテーションが行われています。ですから、その形での世界初録音となるのですね。 曲自体は聴き馴れたものですが、それがフルートによって演奏されると、また一味違う魅力が生まれています。デメテルのフルートは、とてもきっちりとしたフォルムで、音色もかっちりと締まっています。このあたりに、リーバークネヒトの影響が感じられます。 続いて、オーストラリア出身で、イギリスで活躍した作曲家、アーサー・ベンジャミンが1946年に作った「ドメニコ・スカルラッティによる、フルートと弦楽合奏のための組曲」です。これも世界初録音のようですね。タイトルのように、D・スカルラッティのピアノソナタから5曲を選んで、その右手をフルート、左手を弦楽合奏に置き換えた作品です。軽やかで親しみやすい曲調ですから、デメテルのフルートもキラキラと輝いています。 そして、こちらはオリジナルで、すでに何種類かの録音もある、イギリスの作曲家マルコム・アーノルドの「フルート協奏曲第1番」です。こちらは、これまでの2曲とはガラリと変わった曲調ですが、そのテーマ自体はとてもキャッチーですから、すぐに楽しめるようになる曲ですね。伝統的な3つの楽章で出来ていますが、真ん中のアンダンテを、とても丁寧に歌いこんでいるのがうれしいですね。 そして最後が、ショスタコーヴィチの「フルート、ヴァイオリンと弦楽合奏のための5つの小品」です。オリジナルは、トルクマンの作曲家、レヴォン・アトミヤンという人が、1970年にショスタコーヴィチの許しを得て、彼の舞台音楽などを集めて、2つのヴァイオリンとピアノのために作ったものです。それを、今回は、先ほどのマーティン・ブラウンが、この編成に作り替えています。最後の「ポルカ」などは、運動会のBGMにでも使えそうな軽快さ、とても楽しい曲です。 このフルーティスト、とても気に入りました。次のアルバムが楽しみです。 CD Artwork © Ars Produktion |
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彼がここで選んだのは、交響曲第4番の第2稿(1878/80年稿)という、おそらく彼の交響曲の中では最も演奏頻度の高い作品の、やはり演奏頻度の高いバージョンでした。このバージョンは、最近ベンヤミン・グンナー=コールスや、ベンジャミン・コーストヴェットなどによって新しく校訂された楽譜が登場していますが、エラス=カサドはそこまでのマニアックなアプローチではなく、1953年という大昔に出版されたレオポルド・ノヴァークの校訂によるオーソドックスな楽譜を使っています。 そして、オーケストラが、1987年にジョス・ファン・インマゼールによって創設され、2021年までは彼の手兵だったピリオド・アンサンブル、アニマ・エテルナです。もちろん、彼らにとっても、これは初めてのブルックナーなのではなかったでしょうか。そして、彼らの、この交響曲をメインにしたツアーの中で、今年1月のコンサート会場で録音されたものが、今回リリースされたCDです。 このCDでは、リスナーにとってはちょっとありがたい配慮がなされています。ブルックナーの交響曲の場合、普通は楽章ごとにトラックを分けるのでしょうが、ここでは、第1楽章では5つ、第2楽章と第3楽所では3つずつ、フィナーレは7つと、全部で18のトラックになっているのです。ベートーヴェンの「第9」だと、フィナーレを細かく分ける、というのはよくあることですが、ブルックナーでそれをやっているのには初めてお目にかかりました。でも、確かにこれは親切な配慮ですね。ブックレットではきちんと、切れ目の小節番号まで書いてありますからね。 ところが、なんと、第1楽章の第2主題が始まるトラック2の頭の小節番号が間違っています。そこは「67」からとなっているのですが、楽譜では「75」なんですよ。それ以外は大丈夫なんですけどね。 ブックレットにはメンバー表もありますが、その人数は写真と一致しているので、間違いはないはずです。それによると、弦楽器は12.10.8.7.7という、低弦が増員された12型になっています。管楽器はほぼ楽譜の指定通りの人数ですが、ホルンだけはアシスタントが1人加わって5人になっています。 ですから、普通のモダン・オーケストラに比べると、弦楽器がかなり少ない編成になっているのですが、この録音を聴く限りでは、そんな人数とは思えないほど、弦楽器の音がしっかり聴こえてきます。逆に、ホルン以外の金管楽器がとても控えめ、ですから、ここでは、ブルックナーにありがちな「金管の咆哮」は全く聴こえては来ません。そうではなく、オーケストラに溶け込んだ、まるでコラールのような響きを目指すという方向性なのでしょうか。 そんな響きに支えられて、弦楽器はとてもピュアな響きで存在感を示していますし、木管とホルンのパートは、美しいソロをふんだんに提供してくれています。こんな極上のサウンドでブルックナーを聴くことができるのは、ある意味奇跡。 ですから、指揮者はそんなサウンドに乗って、全体の流れをきっちり作って行けば、さぞかし素晴らしい演奏が出来たのではないか、と思うのですが、彼の音楽は、いつもながらの無表情なたたずまいに終始しているのでした。ここからは、ブルックナーの「息遣い」が、全く聴こえてこないのですよ。そこに、それこそマルクス・ポシュナーのような不自然でチマチマした表現が顔を出したりしているので、なんとも薄っぺらなブルックナーになっているのです。 彼らは、現在はブルックナーの交響曲第3番がメインのコンサート・ツアーを行っています。おそらく、その録音も同じレーベルからリリースされることでしょう。 CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s. |
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この難解な演出のプロダクションでは、トゥーランドット役が、これまで何回も見てきた歌手たちの印象からは程遠い清楚ないでたちで、今までのこのロールの典型的な容貌と体形とは正反対の、スマートな美人のアスミク・グリゴリアンがキャスティングされていました。 すごかったのは、そこでカラフを演じていたカウフマンが、有名なアリア「Nessun dorma」を歌い終わった時の拍手でした。おそらくスタンディングオベーションになっていたのでしょうが、オペラの中の拍手としてはあり得ないほどの長い時間続いていましたね。確かに、それはカウフマンでしか歌えないような、素晴らしいものでした。 そんな、まさに「世界一」のテノールとなったカウフマンが作ったアルバムは、「たくさんの浮気」という、なんとも衝撃的なタイトルでした。今年は、プッチーニの没後100年という記念の年なので、ここではプッチーニの数々のオペラから、テノールとソプラノの二重唱が集められているのですが、その6つのオペラでのソプラノが、それぞれ別の人なのですよ。まさに「浮気」ですね。 その中には、もちろん、先ほどのグリゴリアンの名前もありましたし、アンナ・ネトレプコなどという超有名な人も入っています。その他には、ソーニャ・ヨンチェヴァという人は知っていましたが、それ以外のプリティ・イェンデ、マリン・ビストレム、マリア・アグレスタという名前には、全くなじみがありませんでした。最近のオペラ界では、どんどん新人が活躍するようになっていますから、それに追いつくのは大変です。 そんな中で、「マノン・レスコー」のマノンを歌っていたネトレプコは、本当に久しぶりに聴いたような気がするのですが、そこからはかつての輝きは全く消え失せていましたね。デビューの時の印象があまりに強すぎたので、ここまで衰えてしまったのはとても残念です。 この中で最も感心したのは、「蝶々夫人」のタイトルトールを歌っていたマリア・アグレスタでした。とても落ち着いた声で、表情も豊かでしたね。 そしてもちろん、「外套」で、沖仲仕役のカウフマンと不倫関係にある、船長の若い妻ジョルジェッタを歌っているグリゴリアンも最高でした。まさに、アルバムタイトルの設定どおりですね。 そのアルバムでは、リブレット付きの分厚いブックレットがジャケットに貼り付けられているのですが、その中ではそれらのソプラノの写真やバイオなどは全く掲載されていません。その代わりということでしょうか、その裏表紙に、こんな写真がありました。 ![]() ![]() もちろん、ブックレットには確かにこれらの写真のクレジットだけはありましたが、コメントは、どこにもありません。 そうなると、一つの疑問が湧いてきます。この録音は2024年の2月9日から11日までに行われた、とありますが、こんな世界中で活躍しているソプラノたちのスケジュールをすべてこの3日間に収めるなどということが可能なのでしょうか。セッションの時の写真が1枚もない、というのも不思議です。おそらく、それぞれのソプラノの声は、別のスタジオで録音されたものが「コピペ」されていたのではないでしょうか。 そんな些細なことよりも、カウフマンの声からは、その2ヶ月前の「Nessun dorma」では確かに聴くことが出来た伸びのある高音が全く失われていたことの方が、大問題です。 CD Artwork © Sony Music Entertainment |
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ですから、彼女の歌は、本当に安定感のある素晴らしいものでした。そこからは強烈に心に響く歌を感じることが出来ましたね。 ところが、彼女はそれに飽き足らず、指揮者としても活躍を始めていたのですね。ただ、指揮者になりたての頃に聴いたアルバムでは、とてもこんなんでは指揮者を続けるのは困難なのではないだろうか、と思っていました。それが、最近になって、オペラの映像などでピットでの彼女の堂々たる指揮ぶりを見て、それは杞憂だったことに気づかされました。なんたって、今では彼女はバイロイトでも指揮を任されるほどのランクの指揮者になってしまっているのですからね。 そして、彼女は、2022年にはアトランタ交響楽団というアメリカのメジャー・オーケストラの音楽監督にも就任しました。これはもう間違いなく、それまでの彼女のフィールドだったオペラの指揮者というだけではなく、シンフォニーもきちんとできるオールマイティな指揮者の誕生ですね。つまり、これは、シンフォニー指揮者としてのシュトゥッツマンのデビューアルバムなのです。 彼女がそのために選んだ曲は、アメリカのオーケストラに敬意を表したのでしょうか、ドヴォルジャークのアメリカ時代に作られた「新世界」交響曲と、あまり演奏されることのない「アメリカ組曲」でした。 アトランタ交響楽団と言えば、かつてはTELARCから数多くの優秀な録音を提供してきたオーケストラですね。今回の録音では、プロデューサーがREFERENCE RECORDINGSでおなじみのサウンド・ミラーのディルク・ソボトカですが、エンジニアはこれまで多くのシュトゥッツマンのアルバムを手掛けてきたミシェル・ピエールというクレジットがありました。 ライブ録音のようですが、その模様の映像を見ると、指揮台の周りに何本ものマイクスタンドを立てて、ほとんどセッション録音と変わらないような、お客さんにとってはちょっと邪魔に感じられるのでは、と思ってしまうようなマイクアレンジで録音されていました。 そんな、客席からの視界よりは音質を優先したような設定のおかげでしょうか、その音はとても素晴らしいものでした。全体のバランスが完璧で、それでいてそれぞれのパートがくっきりと聴こえてきますから、聴き馴れた「新世界」なのに、今までほとんど気が付かなかったようなフレーズがあちこちから聴こえてくるという新鮮な体験を味わうことが出来ました。 この曲では、テンポも少し早めにとって、全体をすっきりとまとめる、という感じに作り上げていたように感じられました。それぞれの管楽器のソロも、見事でしたね。シュトゥッツマンがブックレットに書いていましたが、この曲の中に出てくるテーマはアメリカの民謡から直接取り上げたわけではなく、あくまでドヴォルジャークの故郷の民謡がベースになっていて、それと似たテイストをアメリカの民族音楽の中にも感じていた、ということのようですね。 「アメリカ組曲」は、これが2度目の体験となりましたが、やはりその中にはチェコの音楽のエキスが満載でした。それぞれの曲で特徴のあるキャッチーなテーマが使われているうえに、同じ曲の中でも様々な場面が用意されていて、聴いていて飽きることのない秀作です。シュトゥッツマンは、それぞれのテーマを、まさに「歌い手」として存分に歌い上げて聴かせてくれていましたね。 この曲の録音はチェコのネイティブの指揮者のものがほとんどのようですが、フランス人の指揮者がアメリカのオーケストラで演奏すると、こんなチャーミングなものに仕上がるのですね。もっと聴かれてもよい曲です。 CD Artwork © Parlophone Records Limited |
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このシリーズの中には、ベートーヴェンやブラームスの交響曲ツィクルスといった「お堅い」曲の中に、アメリカのオーケストラらしくガーシュウィンの曲を集めたアルバムもありました。それは、「パリのアメリカ人」と「ポーギーとベス」だったのですが、後者はもちろん全曲ではなく、オーケストラ用に編曲されたハイライトでした。それは「交響的絵画『ポーギーとベス』」というタイトルなのですが、それを作った人がアメリカで映画音楽なども手掛けていた作曲家、ロバート・ラッセル・ベネットだったのです。それは、1942年に、当時はピッツバーグ交響楽団の音楽監督だったフリッツ・ライナーからの委嘱で作られたものでした。 ですから、スタインバーグは、このオーケストラのレパートリーとなっているこの曲を取り上げたのでしょうね。さらに、おそらくベネットに、同じようなミュージカル・ナンバーのオーケストラ用の編曲(交響的絵画Symphonic Pictures)を委嘱したのではないでしょうか。誰にでも聴いてもらえるという願いを込めて(それは「公共的」)。これは確証はありませんが、アルバムのジャケットにでかでかと「World Premiere」とありますから、もしかしたらCOMMANDからの要請だったのかもしれませんね。 ということで、それは1968年4月に録音され、その年にCOMMAND/CC 11041という品番でLPがリリースされました。もちろん、録音エンジニアはロバート・ファインです。 ここで選ばれたミュージカルは、いずれも当時は映画版も公開されて大ヒットを放っていた「マイ・フェア・レディ」と「サウンド・オブ・ミュージック」です。どちらの作品も、オリジナルのミュージカルではロバート・ラッセル・ベネット自身がオーケストレーターとして参加していましたから、もう、そのナンバーは自家薬籠中のものだったのではないでしょうか。 というか、つい先日ご紹介したこちらのアルバムでは、ミュージカルのスコアをそのまま使っていたようで、彼の名前がしっかりクレジットされていましたね。 ですから、ここでも、そのミュージカル版を踏襲した音楽が聴こえてくるのだろうと思って「マイ・フェア・レディ」から聴き始めたら、弦のトレモロに続いていきなりおそらく休符で始まる木管のパルスが聴こえて来たので、一瞬ビート感を失ってしまいましたよ。なんという斬新なアレンジでしょう。そんな複雑なビートに乗って聴こえて来たのは「踊り明かそう」でした。そのテーマはとても贅沢なサウンドでストリングスが歌っていました。間違いなく派手に劣化した音源なのですが、それでも重厚なオーケストレーションがきっちり聴こえてくるのは、さすがです。そんな感じで、もうサプライズだらけ、ひと時も聴き逃せないようなアレンジが飛び交います。ベネットは、意地でもミュージカル版とは違うことをやってやるというスタンスで、この仕事を引き受けたのではないか、と思われるほどでしたね。後半の「大使館でのワルツ」もびっくりです。もう、おなか一杯になりましたよ。 それに比べると、「サウンド・オブ・ミュージック」の方は、ただナンバーを並べただけのような、ありふれたアレンジのように感じられてしまいます。個人的には、このミュージカルの音楽は駄作だと思っているので、それはそれで結構なこと、と思っていたら、エンディングでやっぱりすごいことをやってくれました。聴いたことのないアルペジオが流れてきて、これは何だろうと思っていたら、それが「エーデルワイス」に変わったのですよ。やはりすごい人でした。 ロバート・ラッセル・ベネットは、「R・R・ベネット」と表記されることもありますが、彼の40年後に生まれたイギリスの作曲家で、これと全く同じ表記になるリチャード・ロドニー・ベネットという人がいます。紛らわしいですね。 Album Artwork © Grand Award Record Co., Inc. |
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ですから、シューベルトがこれらの歌曲集のために使った歌詞は、書籍として出版されていた詩集の中から見つけたものだったのですね。「水車小屋」の場合は、「旅するヴァルトホルン吹きの遺稿からの七十七の詩(Sieben und siebzig Gedichte aus den hinterlassenen Papieren eines reisenden Waldhornisten)」というタイトルの、カルロ・マリア・フォン・ウェーバーに献呈された、彼の最初の詩集の巻頭に掲載されていました。それは、「プロローグ」と「エピローグ」を含む25の部分から成っていましたが、その2つと3つの詩をカットして、20の詩に曲を付けたのが、シューベルトの「美しき水車小屋の娘」なのでした。これがそのタイトルページです。 ![]() ところで、日本では「美しき水車小屋の娘」というタイトルがほぼ定着していますが、これについては、「美しい」のは、「水車小屋」なのか「娘」なのか、というアホな論争がありましたね(娘に決まってるじゃないですか)。ですが、そもそもの「Die schöne Müllerin」というタイトルの中には、「水車小屋」に相当する言葉はありません。確かに歌詞の中には実際に「水車小屋」という意味の「Muhlenräder」という言葉は出てきますが、タイトルの「Müllerin」には、「粉屋の妻、もしくは娘」という意味しかないのですよ。ですから、最初から「美しき粉屋の娘」としておけば、そんな論争も起きなかったはずですね。 そんな「粉屋」の最新アルバムでは、ユリアン・プレガルディエンとクリスティアン・ベザイデンホウトという、2人の才能豊かなミュージシャンが共演していました。これは、とても衝撃的な演奏でした。というか、これまでの演奏家が決してやらなかったような「反則技」を駆使して、まるで別の音楽のようなものを作り上げていたのです。 まず、普通はこの曲の伴奏にはピアノが使われますが、ここではその前の形、フォルテピアノが使われています。この楽器が使われている演奏はほかにもありますが、ここでのベザイデンホウトは、この楽器に付けられている「モデラート」という、ハンマーと弦の間にフェルトを挟んで、音色を変える機能を駆使して、モダンピアノでは決して出せないとても豊かな表情を醸し出しているのです。 そこには、プレガルディエンの歌い方をサポートする、という意図がありました。なんせ、このテノールは、まさに「七色の声」を駆使して、それぞれの歌曲のキャラクターを的確に、というか、時には大げさに伝えようとしていたのですね。普通に張ったフル・ヴォイスは、本当にたまにしか出てきません。ほとんどの場合は、ソット・ヴォーチェで、まるでそっとささやくように歌っています。 さらに、彼はシューベルトが書いた音符までも、大胆に改変してその歌詞の世界をよりリアルに届けようとしています。これは、最初のうちはびっくりしますが、慣れてくるとまさにそのあまりの的確さに納得するようになってきます。 そんな「技」の連続で若者の心情の吐露、その、希望、儚い願い、嫉妬、そして諦観と絶望といったものが迫ってくるさまは、もはや音楽を超えた、脳に直接伝わってくる刺激のように感じられます。「奇跡」と言っても過言ではありません。 CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s. |
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おとといのおやぢに会える、か。
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