プライドチキン。

(24/1/4-24/1/25

Blog Version

1月25日

MOZART
Requiem KV 626
Howard Arman(comp. and edit.)
CARUS/51.652(Full Score)


以前、こちらでご紹介していた、モーツァルトの「レクイエム」の「アーマン版」のスコアが、入手できました。小さいお子様には人気がありますね(それは「アンパンマン」)。
というか、出版元のドイツのCARUSに発注した時には、まだ「準備中」だったので、予約しかできませんでした。それからしばらくして「出版されました!」という英語のメールが届いたので、早速購入、2週間ぐらいしたら手元に届きましたね。まだ、日本の楽譜屋さんの店頭にはないようです。
ソフトカバーのフルスコアですが、その装丁が、以前買ったオシュトリーガ版のスコア(BÄRENREITER)に酷似しているのが笑えますね。これは絶対に「偶然」ではないと思っています。CARUSというのは、主に声楽が入った曲の楽譜を幅広く出版している会社ですが、このモーツァルトとか、バッハなどの声楽曲では、もろにかぶっていて、それぞれが相手をライバル視しているのが見え見えです。バッハの原典版などは以前はBÄRENREITERの牙城だったのですが、CARUSの追い上げは激しく、「ヨハネ受難曲」ではしっかりバージョン別のスコアを上梓して、一歩先を行っていますからね。
ですから、モーツァルトの「レクイエム」も、BÄRENREITERがオシュトリーガ版で大々的に「新しい」バージョンを提唱していたのに対抗して、CARUSはこのアーマン版を出したのではないか、というような気がするのですが、どうでしょうね。
いや、実際、このスコアで先ほどのアーマン自身が指揮をした音源を聴きなおしてみようと思って、楽譜を追いながら聴いていたら、なんだか、全然違う音が聴こえて来たので、もしかしたら、この録音後にさらに改訂したのかな、と思ってしまいましたからね。そう、お気づきでしょうが、その時はオシュトリーガ版のスコアを見ていたのですよ。
それほど、似ているということですね。ただ、楽譜が音源と違っていたのは本当です。例えば、「Dies irae」のティンパニとトランペットのパートでは、
赤枠の中が演奏音源。このように、かなりの個所で楽譜とは異なる音が聴こえてきました。
これは、ジュスマイヤー版です。
音源が録音されたのは2020年の1月、このスコアが発売されたのは2024年1月ですから、その間にアーマンの気が変わっていたのでしょうね。別にどうでもいいことですけど。
この音源を聴いた時に、曲によってはジュスマイヤー版と全く同じものがあったことには気づいていましたが、それについてはこのスコアでも、1曲目(Introitus)から10曲目(Hostias)アーマンが新たに修復と校訂を行い、11曲目(Sanctus)以降はジュスマイヤー版をそのまま流用して校訂だけを行ったと表記されています。アーマンが修復を行った部分には、かぎカッコが付けられています。もちろん、1曲目だけはすでに完成していますから、かぎカッコはありませんでした。
その「修復」の最たるものが、「Lacrimosa」の後半部分ですね。その、なんとも美しくないフレーズを聴くと、逆にジュスマイヤーには確かな才能があったということが分かってしまいます。その後に、やはり「アーメン・フーガ」が加えられているのですが、それも含めてこの曲がちょうど100小節になっているというのには、何か意味があったのでしょうか。
後半の、ジュスマイヤーの仕事を温存したものの中には、これまで誰も気が付かなかったことが指摘されていました。それは、「Benedictus」に続く「Osanna」の部分です。
このように、今までの楽譜ではここから、それまでのソリストたちの重唱から合唱に変わっている、つまり「tutti」という表記があるのですが、この楽譜では「solo」のままなのですよ。もちろん音源もそうなっていますから、ちょっとびっくりします。
ただ、これは、ジュスマイヤーの自筆稿には、「solo」の表記はありますが、「tutti」はないので、そのままソリストたちが歌い続ける、という方が正解だ、ということなのですね。

(↑Benedictusの始まり)

(↑Osannaの始まり)

どうやら、最初に出版された時に、ここに「tutti」が書き加えられていたようですね。
それ以来、合唱で歌うのが当たり前になったのでしょう。ただ、ランドン版では「(tutti)」と、カッコつきになっていましたね。こんな「発見」こそが、アーマン版の最大のセールスポイントなのでは。

Score Artwork © Carus-Verlag


1月23日

ADAMS
Chamber Symphony
Gil Rose/
Boston Modern Orchestra Project
BMOP/1078(hybrid SACD)


最近は、とんとSACDによるリリースが少なくなっているな、と思いながらレーベルのリストを漁っていたら、こんな、大量にSACDのカタログを持っているところが見つかりました。全く聞いたことのない指揮者と、演奏団体ですし、何しろそのレパートリーも、今回取り上げるジョン・アダムズ以外はほとんど知らない名前の作曲家ばかりです。それでも、ハイブリッドSACDでオーケストラがサラウンドで聴けるということだけで、入手してみました。
現物が手元に届いた時には、ちょっと失敗したかな、と後悔しました。確かにジャケットには「SACD」のロゴは入っていますが、普通は入っている「Multi Channel」の表記がどこにもないのですよ。ということは、シングルレイヤーのSACDなのでしょうか。まあ、それでもハイレゾの音は聴けるのだからいいやー、というわけにはいきません。サラウンドでなければ意味がありませんからね。
ということで、しばらく聴くのをためらっていたのですが、まあ、せっかく買ったのだから、音だけでも聴いてみようと再生してみたら、きっちりと「5.0」というトラック数が表示されたではありませんか。これは立派なマルチチャンネル対応のハイブリッドSACDだったのですよ。間抜けですね。
その音像は、確かにサラウンド感のあるものでした。それも、いかにもマルチチャンネルによる録音をミキシングで定位させた、というのではなく、もっとナチュラルな、あたかも演奏者のすぐそばで聴いているかのような、奥行きと広がりのある聴こえ方でした。それぞれの楽器もあまりオンマイクで録音されてはいないような、適当な距離感を持っていました。
ただ、ブックレットの写真では、演奏しているのはフルオーケストラなのですが、聴こえてきたのは室内楽のようなショボいサウンドでした。このタイトル曲、「Chamber Symphony」というのは、Symphonyとは言っても、その名前でもわかる通りの、シェーンベルクの「室内交響曲」からインスパイアされて1992年に作られたもので、楽器編成もほぼそれと同じ小さな編成だったのですね。正確には、フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、トランペット、トロンボーン、打楽器、キーボード、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスがそれぞれ1人ずつという、シェーンベルクよりも小さな編成でした。
その元ネタでは、楽章は別れてはいませんが、一応ソナタ形式の提示部、展開部、再現部の3つのセクションの間にスケルツォとアダージョのセクションが挟まっているという5つの部分に分かれています。それを、アダムズはもっとシンプルな急・緩・急という3つの楽章にしています。もちろん、音楽自体も、シェーンベルクのベタベタなロマンティシズムからは遠く隔たった、あくまで彼の守備範囲のミニマルのリズム感を基本にした、もっと現代的なものに変わっています。第1楽章はスウィング、第2楽章はバラードで、なんとシンセサイザーまで登場、そして第3楽章はシンコペーションを多用した、まるで祭囃子のような生き生きとしたリズムです。
そして、アルバムの後半ではこの続編ともいえる「Son of Chamber Symphony」も演奏されています。こちらは2007年に作られたもので、さらに音楽はキャッチーなものに変わります。真ん中のバラード楽章などは、まるでヒーリング・ミュージック、オーボエ、フルート、そしてヴァイオリンなどが、とても甘ったるいメロディを奏でていますよ。
その2曲に挟まれているのが、この中ではもっとも初期の作品、1979年に作られた「Common Tones in Simple Time」です。ここでは、音場設定が「Symphony」とはガラリと変わっていました。完全に360°に広がった、まさに「イマーシヴ」な音場だったのですね。
作品は、この時代ですからもろスティーヴ・ライヒのエピゴーネンですが、本家のような「冷たさ」はなく、もっと温かみのあるハーモニーに包まれているという心地よさがあります。それはまさに音の海に浸っているような感じ、最後にイ長調の響きがフェイドアウトしていくあたりは、何か崇高な雰囲気すら漂っていましたね。

SACD Artwork © BMOP/sound


1月20日

Clair de lune
Selected French Musid for 2 Pianos
ウルトラ・ピアノデュオ
田中正也
佐藤卓史
LIVENOTES/WWCC-7996


まずは、このジャケットに惹かれました。ここには、フランスの作曲家の似顔絵が8人分集められています。右上から時計回りに、ドビュッシー、ラヴェル、ミヨー、プーランク、ジョリヴェ、デュティユー、サン=サーンス、そして真ん中が紅一点、シャミナードです。こういっては何ですが、へたくそですね。まあ、味がある、ということでしょうか。
この8人は、このアルバムに登場する作曲家たちです。とは言っても、デュティユーだけは、ドビュッシーの作品をピアノ2台のために編曲した人としての登場ですけどね。
タイトルにあるように、この7人の作曲家の作品が、すべて2台のピアノによって演奏されています。それは、田中正也さんと佐藤卓史(たかし)さんという、ソリストとしても大活躍されている2人のピアニストが組んだユニット、「ウルトラ・ピアノデュエット」によって演奏されています。これまでに、このレーベルで2枚のアルバムをリリースしていますが、今回は「フランスの2台ピアノ音楽の多様さと色彩感の豊かさに惹かれ」、こんな選曲になったのだそうです。
田中さんは、福岡で生まれ、15歳の時に単身ロシアに赴いて、ピアノの修行をなさった方です。なお、先ほどのジャケットのイラストは、田中さんの事務所の代表、關谷範子さん(やはりピアニスト)が描かれたものなのだそうです。
佐藤さんの方は、個人的にはかなり前に所属するアマチュアオーケストラのソリストとして共演した、という縁があります。それは、2012年の演奏会、もう20年以上前のことですが、まだ東京藝術大学の学生さんだった田中さんは、ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」を演奏してくださいました。その時の写真がこれです。
出身が秋田県だというので、かなり素朴な方、という印象があったのですが、現在ではこんな立派な方に変貌されていました。なんでも、作曲や編曲などでも活躍されているそうですね。
まずは、サン=サーンスの有名な「死の舞踏」を、作曲家自身が2台ピアノ用に作ったバージョンです。その編曲が、ぶっ飛んだものだったのに、まず驚かされました。ピアノの高音をとてもエキセントリックに使っていて、オーケストラ版よりももっと不気味な味を出しているんですね。もしかしたら、田中さんあたりが少し手を入れているのかもしれません。
次の、シャミナードの作品、「アンダンテとスケルツェッティーノ」と「ヴァルス・カルナヴァレスク(謝肉祭のワルツ)」は、いずれもとても上品でキャッチーな曲、ここまでで、彼らの表現力の幅の広さが如実に伝わってきます。
そして、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。これも作曲家自身の編曲ですが、オーケストラ以上に透明感を漂わせているのが、すごいですね。
ラヴェルの「ラ・ヴァルス」と、ミヨーの「スカラムーシュ」は、この編成の定番ですね。特にミヨーの方は、終曲のリズム感がとてもモダンに感じられます。
続くプーランクの「シテール島への船出」というのは、初めて聴きましたが、すんなりと心に入ってくる、粋な曲ですね。
その後に、ガラリと雰囲気の変わったジョリヴェの「パチンコ」が続きます。タイトルからしてすごいですが、もちろんこれは日本の「パチンコ」のことです。来日した作曲家はパチンコがとても気に入ったそうで、こんな曲まで作ってしまっていたのですね。いったいどこがパチンコなのかという、不協和音と大音響の連続ですが、このアルバムの中でも最もインパクトをもった曲でしょう。
その後に、デュティユーはが編曲した、ドビュッシーの「月の光」です。オリジナルはもちろんピア・ソロですが、その味をそのまま2台ピアノに移植したすばらしい編曲です。そもそも、「F」と「A♭」という、短3度の2つの音だけで始まった時に、一瞬で淡い光が眼前に広がる、という、まさに奇跡的な作品ですが、その味が、そのままこの編曲にも受け継がれていることにも驚かされます。

CD Art Work © NAMI RECORDS Co., Ltd.


1月18日

BACH
Kantaten No45
Ulrike Hofbauer(Sop/74), Julia Doyle(Sop/41)
Benjamin Williamson(Alt/74), Terry Wey(Alt/86), Antonia Frey(Alt/41)
Jakob Pilgram(Ten/74), Johannes Kaleschke(Ten/86),
Florian Sievers(Ten/41)
Matthias Helm(Bas/74), Markus Volpert(Bas/86),
Stephan MacLeod(Bas/41)
Rudolf Lutz/
Chor und Orchester der J. S. Bach-Stiftung
J. S. Bach-Stiftung/C279


ルドルフ・ルッツが指揮を務めて、バッハのカンタータをすべて録音するというプロジェクトが始まったのは、確か2006年のことだったはずです。それから18年目に入った現在、リリースされているカンタータは、世俗カンタータも含めて131曲となっています。
確か、このシリーズを初めて紹介したのは、2014年の11月でしたが、その時点で「現在までにおよそ三分の一のカンタータが演奏されていますから、あと10年もすれば完成してしまうことでしょう」と言っていたのですが、その「10年」が経っても、まだほぼ6割しか達成されていませんから、さらにもう10年ぐらいは必要なのでしょうね。
それを考えると、最初に教会カンタータの全曲録音を完成させたヘルムート・リリンクは、1970年から1984年までの「たった」15年でその仕事を成し遂げたのですから、大したものですね。
かと思うと、オランダのピーター・ヤン・ルーシンクなどは、BRILLIANTレーベルに、1999年の1年間だけで全曲を録音してたりしますから、不思議ですね。
今回の第45集には、2023年3月に録音されたBWV74、2014年3月に録音されたBWV86、そして2022年に録音されたBWV41の3曲が収められています。このように、だいぶ前の録音が入っているということは、もしかしたらまだリリースされていないストックはかなりたまっているということなのかもしれません。だとしたら、録音自体はすでにほぼ完成しているという可能性もありますね。
BWV 74「Wer mich liebet, der wird mein Wort halten(私を愛する人は、私の言葉を守りなさい)」は、1725年の聖霊降臨祭のために作られました。オープニングは、トランペットとティンパニによって、祝典的な雰囲気が盛り上がります。続くソプラノのアリアでは、バッハではおなじみの楽器、オーボエ・ダ・カッチャによるオブリガートが聴こえるんだっちゃ(しつこい!)。この楽器は、モダン・オーケストラではコール・アングレ(イングリッシュ・ホルン)に置き換えられますが、ここではもちろん本来のピリオド楽器の渋い音色が味わえます。
この楽器は最後のアルトのアリアの時も、2本のオーボエとともに登場します。そこにはソロ・ヴァイオリンも加わって、華やかなコロラトゥーラを披露するソリストを盛り上げています。最後のコラールが、とてもしめやかに終わるのも、印象的です。
BWV 86「Wahrlich, wahrlich, ich sage euch(ほんとに、ほんとに、私はあなたたちに語ります」は、1724年の5月14日、復活祭後の第5日曜日のために作られました。この曲には合唱が使われていないので、オープニングはバスによるアリオーソです。伴奏は弦楽器と、オーボエ・ダモーレという、普通のオーボエよりも低い音域の楽器が使われています。それ以外の高音管楽器はありません。ここで歌っているソリストは、曲の穏やかさにマッチした心地よく軽い声でした。
続くアルトのアリアでは、ソロ・ヴァイオリンがとても技巧的なオブリガートを演奏しています。それに応えて、通奏低音のオルガンも、細かい音符で応酬しているのがスリリングです。
真ん中に入っているコラールは、ここだけに登場するソプラノだけの4人のコーラスが歌っています。おそらく、バッハの時代にはソプラノのソロだったのでしょうね。
その後のテノールのアリアは、弦楽器が伴奏、なにか、諭されるような温かみのある音楽です。最後のコラールは、ソリストだけで歌われます。
BWV 41「Jesu, nun sei gepreiset(イエスよ、今こそ称えられよ)は、1725年の新年、1月1日に演奏されました。この曲のオープニングも、ティンパニとトランペットが加わって華やかに始まります。ここではオーボエも3本入っているので、途中で穏やかな部分を担っています。それに続くのが、意外なフーガです。
そのオーボエたちが加わったソプラノのアリアは、とてもかわいらしい曲でした。その次のアルトのレシタティーヴォが、とてもへたくそなドイツ語だったのがちょっと残念ですね。その後は、ピッコロ・チェロという楽器のオブリガートでテノールのアリア、バスにコーラスが加わったレシタティーヴォを経て、力強い合唱のコラールで終わります。

CD Artwork © J.S. Bach-Stiftung, St.Gallen


1月16日

TCHAIKOVSKY
1812 Overture etc.
Yuri Simonov/
The Royal Philharmonic Orchestra
MEMBRAN/222885-203(hybrid SACD)


このアルバムは、大昔に一度こちらで取り上げていたのですが、その頃はまだオーディオ・システムは2トラックのピュア・オーディオを目指すというポリシーで聴いていたものですから、SACDは単なるハイビット録音を味わうためだけで聴いていました。
それ以降、サラウンド再生の面白さに目覚めてやっと、SACDのマルチチャンネルを聴き始めたということです。ただ、なんせ、一応ロイヤル・フィルが演奏しているとは言っても、何とも怪しげなセールスで、ほとんど「投げ売り」の形で市場に出ていたものですから、それほど期待もしていなかったのですよね。「サラウンド・サウンド」とは書いてありますが、それもどうせ後で残響成分を付け加えて、いかにもサラウンドっぽい音場をでっち上げたものなのでは、と思っていましたね。
ところが、改めてサラウンド対応のオーディオで聴いてみたら、これはそんないい加減なものではありませんでした。しっかり、弦楽器はフロントにファースト・ヴァイオリンからコントラバスまでが左から右に順に並んでいますし、管楽器はリアから、トランペットは右、ホルンは左といった感じで聴こえてきます。打楽器もリアからでしたね。
これが録音されたのは1994年でしたから、映画などではすでにサラウンドというものは開発されていましたが、音楽ではまだそういうものはなかったはずです。というか、それ以前、1970年代に起こった「4チャンネル」というフォーマットが、再生装置が乱立して規格の統一が出来なかったために完全に頓挫してしまったという歴史があったために、オーディオの世界でサラウンドがまた息を吹き返したのは、2000年ごろにSACDが開発されたときなのでしょうね
つまり、この録音が行われたころは、おそらく、マルチトラックでの録音は行われていたのでしょうが、それはあくまでの2チャンネルのステレオにミックスされて流通していたのではないでしょうか。ブックレットによると、ここでの録音では48本のマイクが使われていたのだそうです。ですから、SACDの時代が来たときに、そのマルチチャンネルの音源から、サラウンド用にミキシングを行っていたのではないでしょうか。
ブックレットには、ロイヤル・フィルは、まず1993年から、親しみやすい曲をマルチトラックで録音を始めて、150枚にも及ぶコレクションを作り上げていたと書かれています。
ですから、SACDが華々しくデビューしたのに合わせて、そのマルチトラックからサラウンドのミキシングを行ったものを、新たにSACDのシリーズとして2000年代の初頭にバジェット・プライスで販売していたのでしょうね。
このアルバムでの指揮者は、ユーリ・シモノフでした。現在ではもう80歳を超えていますが、まだ指揮活動を続けているそうですね。この録音が行われたころは、まさにその「変態」さを表に出して、とてもエキサイティングな演奏を繰り広げていましたね。
演奏曲目は、すべてチャイコフスキーの作品で、幻想序曲「ロメオとジュリエット」、イタリア奇想曲、「エウゲニ・オネーギン」からワルツとポロネーズ、そして最後が「1812年序曲」と、まさにオーディオ映えのするものばかりです。
今回、改めて聴き直してみると、まず、その演奏の水準の高さに驚かされます。弦楽器の早いパッセージなどは、とても見事、一糸乱れぬトゥッティは見事としか言いようがありません。ただ、その音自体は、なにかカサカサしていてちょっと潤いにかけるような気がします。もしかしたら、メンバーの人数があまり多くなかったのかもしれませんね。
ですから、金管が、まさにド派手なサウンドで迫ってくると、弦楽器はちょっと聴こえずらくなってしまっているでしょうか。
なんて言っても、一番の聴きどころは、最後の「1812年」でしょうね。最後のあたりの大砲の音などは、もうやりたい放題で収拾がつかないほどです。勢いあまって「花火」まで上がっていますからね。
とにかく、スカッとしたサウンドが味わいたいときにはうってつけの音でした。こういうものが、現在では滅びかかっている、というのは、ゆゆしき事態です。

SACD Artwork © Membran Music Ltd.


1月13日

MAHLER
Symphonie Nr. 1 D-Dur inklusive "Blumine"
佐渡 裕/
Tonkünstler Orchester
TONKÜNSTLER ORCHESTER/TON2014


佐渡裕がウィーンのトーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督に就任したのは2015年でしたが、その関係も来年、2025年には解消され、新しくフランス人の指揮者、ファビアン・ガベルが後任者となることが決まったそうですね。最近のこの業界では、そもそも一人の指揮者が10年も同じオーケストラの音楽監督を務めるのはかなり珍しいことになっているようですから、これはごく一般的な人事異動なのでしょう。
それにしても、かつてはオーマンディのように、42年間もフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督を務めた人もいるのですから、時代は変わったということですね。小澤征爾がボストン交響楽団の音楽監督を29年も続けていたなんて、今ではとても信じられません。余談ですが、年末のテレビで見せられた彼の変わりようには、驚きましたね。
トーンキュンストラー管弦楽団は2016年からプライベート・レーベルを発足させました。そのジャケットでは佐渡の顔写真が大きくフィーチャーされていましたから、まさに彼はこのオーケストラの「顔」として、君臨していたことになりますね。このジャケットを見て「買おう!」と思った人も少なくないのではないでしょうか。
このレーベルは、年に3〜4枚というペースでアルバムをリリースしてきています。そして、いつの間にか、佐渡の指揮によるマーラーの交響曲も1番から5番までが揃ってしまっていました。まあ、あと1年で残りの4曲を録音するのは無理でしょうが、これはこれでなかなかのコレクションにはなっています。
その中の「交響曲第1番」は昨年の3月にウィーンのムジークフェラインザールでライブ録音されたものが、12月にリリースされたばかり、それがもうサブスクで聴けるようになりました。
そのブックレットの中で、佐渡はこの曲に対する思いを語っています。彼が自分のお金で買った最初のレコードがこの曲だったのだそうです。指揮者はバーンスタインということですから、おそらく1966年に録音されたCBS盤でしょう。
そういう貴重なレコードですから、おそらく彼はこれを擦り切れるぐらい聴き込んでいたのでしょうね。今回の録音を聴いてみると、たしかにこの頃のバーンスタインのテンポ感に近いものがありましたし、よく似た歌い方みたいなものも発見することが出来ました。
とは言っても、今ではもはやバーンスタインと同格に並んでいる世界的な指揮者、となったからには、それだけで終わるわけはなく、もちろん彼ならではの表現が前面に出ているのは、当然のことでしょう。
そして、バーンスタインとは決定的に異なっているのが、「花の章」の挿入です。ご存じのように、この交響曲は何度も改訂を繰り返していて、最初に作ったものと現在普通に演奏されるものとは、はかなり姿が異なっています。そんな中で、この「花の章」というのは、当初は「第2楽章」として作られました。その頃は、他の楽章にも、このような「表題」が付けられていたのですね。しかし、最終的にマーラーは、その「花の章」の楽章を削除、楽章ごとの表題も削除して、4楽章形式の今の形に改めたのです。そして、その時には、交響曲全体の表題でもあった「巨人」というタイトルも削除されています。
そういう出自ですから、現在ではこの「花の章」はもはや「交響曲第1番」のコンテンツではなくなっているために、もし演奏することがあってもそれは交響曲とは別のところで演奏されるのが普通です。
それを、佐渡は、マーラーが最初に考えた第2楽章の位置に置いて、全5楽章から成る交響曲として演奏しているのですね。
もちろん、そのようなことは、現在では何の意味もなく、マーラーの意志にも背くものであることは明白です。ただ、「花の章」に使われているテーマは、実際は他の楽章にも形を変えて登場していますから、そういう意味では一概に切り捨てられるものでもありません。ですから、佐渡はそのメロディをぜひ聴いてほしかったのでしょうね。
その結果、どういうことになったのか、それは実際に聴いていただくしかありません。

CD Artwork © Niederösterreische Tonkünstler Betriebsgesellschaft m.b.H.


1月11日

ALTER EGO/Music for Flute & Piano
Rebecca Taio(Fl)
Marco Grisanti(Pf)
BRILLIANT/BC96977


1996年生まれのイタリアの若いフルーティスト、レベッカ・タイオの、BRILLIANTレーベルへの2枚目のアルバムです。1枚目は2022年にリリースされた「UNDINE」(BC96695)という、もちろんカール・ライネッケの同名のフルート・ソナタをフィーチャーしたアルバムですが、録音されたのは2021年だったので、まだ彼女は20代半ばでした。その時点で、彼女はマリオ・タイオという、クラシック・ギタリストで録音エンジニアの方と結婚していました。ですから、これらのアルバムの録音は、そのご主人が担当しているのですね。さらに、このアルバムのジャケットやブックレットに使われている彼女のポートレートも、マリオさんが撮影したものなのだそうです。夫の愛がぎっしり詰まったアルバムなんでしょうね。というか、彼はすでに1990年代にはギタリストとしてのアルバムを出していますから、妻とはかなりの年の差があるはずです。
彼女の経歴は、ラファエル・トレヴィザーニとパトリック・ガロワに師事したというところから始まっています。さらに、バルトルト・クイケンとジェームズ・ゴールウェイのマスタークラスも受講しているのだそうです。なかなか幅広いジャンルでの研鑽を積んできた方なのですね。さらに、彼女はチェロも学んでいるのだそうです。
今回のアルバムのタイトルは、ラテン語で「ALTER EGO」、「もう一人の私」という意味ですね。つまり、彼女がここで取り上げた作品は、すべてオリジナルはヴァイオリンとピアノのために作られた曲なのです。そのヴァイオリンのパートをフルートに置き換えて、新しいもう一人の人格を与えた、という意味が込められているのでしょう。
ここでは3つの作品が演奏されていますが、2番目と3番目のフォーレとフランクのソナタは、すでに「フルート・ソナタ」としてもごく普通に演奏されていますし、その楽譜もきちんと出回っていますから、多くのフルーティストがレパートリーとして取り上げています。ただ、最初に演奏されるレスピーギの「5つの小品」というのは、そもそもオリジナルのヴァイオリン曲も聴いたことがありませんから、それをフルートで演奏するのはこれが初めてのことなのではないでしょうか。
これは、文字通り5つの、それぞれにキャラクターの異なる軽めの音楽を集めたものです。1曲目は「ロマンツァ」で、伸び伸びとした歌が聴こえます。2曲目は「オーバード(朝の歌)」、軽やかな2拍子の曲です。3曲目は「マドリガル」、3拍子の優雅なダンスです。4曲目は「子守歌」、文字通り、子供を寝かしつけるための優しい曲ですね。そして最後の「ユモレスク」は、この中では演奏時間が一番長く、技巧的なパッセージも登場する大曲です。いずれの曲もキャッチーなメロディで、サロン的な雰囲気が感じられます。
これはネットにあった楽譜を見ながら聴いたのですが、フルートでは出ないB♭以下の音が使われているところは、適宜1オクターブ高く書き換えられていましたね。それが、この曲に対する「トランスクリプション」のすべてなのではないでしょうか。
ここでのフルートの音は、まさにエンジニアの腕の見せ所と、徹底的に目立つようになっていましたから、彼女の音はとてもパワフルに聴こえてきます。そして、その中からは、確かな歌心が聴こえてきました。
次のフォーレのソナタ第1番は、パユの演奏で聴いたことがあり、いかにもおフランス的な瀟洒なイメージがありましたが、今回は全く別のイメージで演奏してくれていました。彼女の強靭な音を前面に出した、ハードなイメージですね。
そして、最後は完全にフルート・ソナタとして定着しているフランクです。有楽町で流れていますね(それは「フランク永井」)。この曲は、それこそゴールウェイとアルゲリッチによる名演がありますから、それがスタンダードになるとちょっと辛い面があります。レベッカ・タイオの演奏は、とてもきちんとしていて何の不安もないのですが、もっと音色を変えるような工夫とか、テーマの細やかなニュアンスなどに目が向くようになっていれば、もうワンランク高いものになっていたことでしょう。

CD Artwork © Brilliant Classics


1月9日

RACHMANINOV
Symphony No. 2
William Steinberg/
Pittsburgh Symphony Orchestra
DG/00028948652167


前回の、スタインバーグとピッツバーグ交響楽団が、35mmマグネティック・フィルムによってコマンド・レーベルに録音した一連の録音のシリーズは、1961年から1968年までの間に作られています。最後の方になると、バランス・エンジニアはロバート・ファインではなくなっているようですね。
それでも、このシリーズが高音質を提供してくれていることには、間違いがありません。特に、ホール全体の響きがたっぷり取り入れられていて、音が切れた時に聴こえる残響がとても味のある雰囲気を演出してくれています。
ただ、やはりマグネティック・フィルムとは言っても、磁性体自体の劣化は避けられないようで、初期のものは、後期のものに比べると明らかに劣化していることがはっきりわかります。
これらは、日本でも国内盤がキングレコードによってリリースされていたようですが、そのLPの製造にあたっては、キングがDECCAの製品を作るときと同じように、カッティングはレーベルで行っていて、そこから作ったメタルマザー(メタルマスター?)を送ってもらい、そこから日本でスタンパーを作ってプレスをしていたようですね。ですから、当時は国内盤でもかなりのハイレベルが保たれていたでしょうから、これらの音源をLPで堪能していた人はたくさんいたのでしょうね。
今回聴いてみたのは、ラフマニノフの交響曲第2番です。録音されたのが1961年、たしか、この35mmシリーズとして最初にリリースされていたレコードだったはずです。ですから、正直、かなりの劣化にさらされているな、という感じはしました。とは言っても、その素性の良さはよく分かるので、ある程度補正をして、「かつてはこんなのだったのだろう」という音を想像しながら聴くことが出来ました。
何よりも、この曲での主人公は間違いなく弦楽器でしょうから、そのパートがきっちりと存在感を誇っていたのは、とてもうれしいことでした。なんせ、この曲のオーケストレーションときたら、もう訳が分からないほど入り組んでいて、とんでもない混沌が生まれているのですが、そんな中をかいくぐってどんな時にも他のパートに消されるということはありませんでした。
ただ、この音源の演奏時間がトータルで46:20しかないというのが気になります。普通、この曲は1時間近くかかるはずなのに。
そこで、はたと思いだしたのが、この曲は以前は、本来のスコアを少しカットした版で演奏されていた、ということです。
これは、1973年にアンドレ・プレヴィンがロンドン交響楽団と録音した、彼にとってはこの曲の2度目の録音なのですが、その1回目の1966年には、世の中には「カット版」による楽譜しかなかったので、それで演奏していたそうですね。それを、ラフマニノフが本来書いた形で初めて録音した、というのが、このアルバムだったのです。ですから、スタインバーグがこの録音を行った時点では、その「カット版」以外の選択肢はなかったのですね。
話には聴いていましたが、その現物は初めてなので、この際ですからどの程度のカットが行われているのか、確かめてみることにしました。

第1楽章
・71小節と72小節まで2小節間(これだけは、ラフマニノフ自身が指示をしたのだそうです)
・189小節から194小節まで6小節間
・カッコ1(2小節)を飛び越える。つまりリピートは行わない
・285小節から298小節まで14小節間
・363小節から378小節まで16小節間
・405小節から412小節まで8小節間
・496小節から505小節まで10小節間
・510小節から513小節まで4小節間
・526小節から545小節まで20小節間(さすがに、これは違和感があります)
   計80/570(14.0%)

第2楽章
・370小節から437小節まで68小節
   計68/532(12.8%)

第3楽章
・57小節から64小節まで8小節間
・67小節から74小節まで8小節間
・109小節から131小節まで23小節間
   計39/170(22.9%)

第4楽章
・85小節から106小節まで22小節間
・344小節から419小節まで75小節間
   計97/573(16.9%)

全曲
   計284/1,845(15.4%)

ということでした。確かに、この曲は長すぎると感じる人は多いでしょうが、作曲家にしてみれば必要だからここまで長くしたのでしょうから(繰り返しにも、意味があります)、やはりこのカットは暴挙というほかはありません。つまり、これが行われたころには、まだブルックナーなども短縮版でも楽しく演奏されていたはずですから、そんな時代だった、ということなのでしょう。

CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH


1月6日

TCHAIKOVSKY
Symphony No.4, Nutcracker Suite
William Steinberg/
Pittsburgh Symphony Orchestra
DG/486 4442


オールド・ファンには懐かしい、「コマンド」レーベルによって録音されたウィリアム・スタインバーグ指揮のピッツバーグ交響楽団の全アルバムが、ボックスCDとして発売されるという、とんでもないことが起こりました。その発売元がドイツ・グラモフォンだというのも驚きです。「ソーラン渡り鳥」じゃないですよ(それは「こまんどり姉妹」)。そのボックスがリリースされるのは3月になりますが、それに先立って一部のアイテムがネット配信されていますから、その中からこれを聴いてみることにしました。
ここで演奏されているのはチャイコフスキーの「交響曲第4番」(初出LP:CC-11021/1963年録音)と、「くるみ割り人形組曲」(CC-11027/1964年録音、カップリングはヴェルディ/スタインバーグ編曲の「弦楽四重奏曲ホ短調」)です。
なんと言っても、このレーベルの特徴は、その音の良さでした。(*)そこで録音に使われていたのは、普通の磁気テープではなく、「35mm・マグネティック・フィルム」というものだったのです。磁気テープというのは、いわゆる「オープンリール・テープ」という、6.3o幅の薄っぺらなテープです。それの代わりに、映画で使われていた35mm幅のフィルムに磁性体を塗布したものが、「35mm・マグネティック・フィルム」です。(**)
この映画用フィルムを短く切って使っていたのが、かつてのアナログ・カメラ(フイルム・カメラ)です。
こんな風に、カメラの中では、35mm幅でフィルム(フイルム?)がセットされるようになっていますね。
(*)これは、幅が広いだけでなく、走行スピードも速いので、より多くのデータを録音できますから、周波数特性も高音まで伸び、解像度も増しているはずです。さらに、厚みも磁気テープの3倍以上あるので、巻き取った時に上下のテープからの磁気が転写されるという現象も軽減できるようになっていました。
そのフィルムを使って1959年に最初に録音を行ったのは、「エヴェレスト」というレーベルでした。それに続いたのが、「マーキュリー」という、現在でも復刻版がたくさん出ている素晴らしい録音のレーベル、そして、同じころにやはりこの方式を採用したのが、この「コマンド」レーベルでした。ここでは、録音エンジニアとして、マーキュリーのロバート・ファインが起用されていますから、音が良いのは当然です。
ただ、この録音はフィルムと、それに録音して再生する機器との双方に専用のものが必要ですので、その後、テープレコーダーの性能が上がってくると、この方式は廃れてしまいました。(**)ですから、今回の初CD化にあたっては、この「35mm・マグネティック・フィルム」から直接デジタル化したとは考えにくいでしょうね。案内では「オリジナル・マスターテープからリマスタリングされた」とありますから、すでに磁気テープにトランスファーされたものがマスターになっているのではないでしょうか。
とは言っても、これを配信で聴いた限りでも、かなりオリジナルの高音質が維持できているのではないか、という気はします。「交響曲第4番」では、わずかに経年劣化のようなものが感じられるものの、弦楽器の艶やかさと、金管楽器の華やかさには、最新のデジタル録音にも負けないほどの高いクオリティを感じることができます。
そんな音の中からは、スタインバーグのとても堅実な音楽が伝わってきました。音は華やかでも、音楽の作り方はとても謙虚なものを感じます。特に、第4楽章のかなり遅めのテンポ設定には、なにか彼のポリシーのようなものも伝わってきます。いたずらに煽るのではなく、しっかり作曲家の書いたものを聴いてもらいたい、みたいな。
その1年後に録音された「くるみ割り人形」になると、俄然音に透明性が増してきました。これは、もしかしたら劣化の状態がそれほど進んでいなかったのかもしれません。チェレスタの音など、本当にリアル感がありましたね。
録音の技術的なことではなく、例えばフルート奏者などは別の人に代わっていたのかもしれません。交響曲ではかなり目立っていた縮緬ビブラートが、ここでは全く聴こえませんでしたから。

*から**の部分は、岡俊雄著/マイクログルーヴからデジタルへ 下巻(1981年/ラジオ技術社刊)を参考にしました。

CD Artwork © Deutsche Grammophon GmbH


1月4日

WONDERLAND
The King's Singers
SIGNUM/SIGCD739


1968年に結成されたキングズ・シンガーズは、もう半世紀以上も活躍しているコーラスグループです。もちろん、現在のメンバーには、そんなオリジナル・メンバーは一人も残ってはいません。彼らは、定期的にそれぞれのパートのメンバーを新しくすることによって、いつまで経っても高いスキルを持つグループとして生き続けているのですね。
ですから、その新しいメンバーを選ぶためのオーディションには、世界中から応募が殺到するのだそうですね。そんな中から選ばれたメンバーですから、その高いレベルも維持することが出来るのでしょう。
このグループの公式サイトは、そんなメンバーの変遷が丁寧に語られていますが、久しぶりにそのページを見に行ったら、こんな写真が掲載されていました。
最近、こんな「同窓会」が開かれたのでしょうね。最前列の真ん中には、最高のテナーだったビル・アイヴスがいますね。その2人右にいるのは、オリジナル・メンバーのアラステア・ヒュームでしょうか。最後列には、作曲家として大活躍のボブ・チルコットがいますし。彼以外にも、作曲家や指揮者、あるいはプロデューサーなどになっている人もいますから、今さらながら、そのメンバーたちの才能の豊かさが再認識できます。それにしても、最初のベースだったブライアン・ケイなどは、すでに鬼籍に入っているのは残念です。「クイーン」じゃないですよ(それは「ブライアン・メイ」)。
こんなに頻繁にメンバーが替わっているというのに、グループ全体のテイストが全く変わっていない、というのも、驚異的なことですね。どの時代の彼らを聴いても、その独特なスタイルと音楽性は、はっきり伝わってきます。
そんな彼らのレパートリーは、時代とジャンルを超えた、とても幅広いもので、その曲数は何千曲とも言われています。さらに、既存の曲だけでは飽き足らず、同時代の作曲家たちに新しい曲の委嘱も頻繁に行っています。そんな中で、ジェルジ・リゲティというビッグネームに委嘱した「Nonsence Madrigals」という組曲は、1988年にベルリン音楽祭で最初の4曲だけが作られて演奏され、その後翌年に5曲目がロンドンで、さらに1993年に6曲目がハダースフィールドで初演されました。それらは6曲まとまってSHOTTから出版されています。そして、1995年に、SONYのリゲティ・エディションのために録音されました。
キングズ・シンガーズが「Wonderland(不思議の国)」というコンセプトでこのアルバムを作ったのは2022年から2023年にかけてでした。その2023年というのは、リゲティの生誕100年にあたるので、この曲を中心にして、その間に彼らがこれまでに委嘱してきた、このコンセプトに合致する曲を、リゲティの前後と曲の間、7ヵ所に挿入する、という形のアルバムが出来上がったのです。
以前、こちらの「リゲティの全合唱曲集」というアルバムを取り上げた時に、この曲が入っていなかったことに苦言を呈していましたが、こういう事情だったので、そちらに録音できなかったのでしょう。というか、この曲は、確かに楽譜は出ていますが、キングズシンガーズ以外のアーティストが演奏することは、極めて難しいのではないでしょうか。いわば、彼らの「持ち歌」なので、彼らが歌えないことが分かった時点で、「全曲録音」は諦めたのでしょうね。
確かに、今回の録音をSONYの初録音と比べてみると、メンバーは全て替わっているにもかかわらず、その細かいニュアンスなどはまさに彼らにしか出せない「味」に仕上がっていましたからね。
その間の曲の中には、ごく最近の日本でのツアーのために作られた日本人作曲家の作品が2曲ありました。いずれも、日本語をきちんとテキストに入れてある、とても美しい曲でした。
それよりも、最後に入っているポール・パターソンの「Time Piece」という1972年に作られた曲が聴こえてきたときには、これは確か生で聴いたはずだ、という思いに駆られてしまいました。調べてみたら、1979年と1981年にキングズ・シンガーズのコンサートに行っているのですが、そのどちらでもこの曲が演奏されていたのですよ。懐かしかったですね。

CD Artwork © Signum Records Ltd.


おとといのおやぢに会える、か。



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