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ブリッコリー。
彼は、2008年に自らドイツ各地のオーケストラからシーズンオフに優秀なプレーヤーを集めて、「フィルハーモニー・フェスティヴァ」というオーケストラを結成して、ブルックナーの交響曲の録音を始めたのです。彼のプロジェクトは、やはり「BRUCKNER2024」というタイトルで、ゴールも全く同じ、ブルックナーの生誕200年を目指しての全交響曲の全バージョン制覇です。 ポシュナーが最初にブルックナーの交響曲の録音を行ったのは2018年でしたから、シャラーはその10年前には、すでに同じ仕事を始めていたのでした。しかし、その後は、ポシュナーはあり得ないほどの早業でレコーディングを敢行し、最終的にはシャラーの仕事を「追い抜いて」しまったのですね。おそらく、シャラーも今年中には同じだけのタイトルをリリースすることはできるのでしょうが、結局「2番」になってしまったのです。かわいそうに。 ですから、PROFILレーベルでも、まだ全部はそろっていないのだけれど、という感じで「パイロットボックス」というCD20枚の全集を2022年にとりあえずリリースしていましたね。ここで、「うちの方が先に始めていたのだぞ」とアピールしておきたかったのでしょう。 ただ、その中には、例えば交響曲第4番では第2稿しか収録されておらず、第1稿と第3稿はまだ録音されていませんでした。もっとも、交響曲だけではなく、ミサ曲やオルガン曲なども入っていましたけどね。 その「ボックス」以降に、「4番」の異稿もリリースされました。第1稿は2021年7月に録音されたものが2022年に、そして第3稿は2023年8月に録音されたものが今年になってリリースされています。 この「交響曲第4番第3稿」のアルバムのレビューは、すでにネットで見ることが出来ました。その中に、こんなのがありました。Ralph Mooreという人が書いたものです。 1年ほど前に、マルクス・ポシュナーのブルックナーの交響曲の全曲プロジェクトの中の「4番」の同じバージョンの録音で好意的なレビューを書いていたが、これは、ゲルト・シャラーによる別の全曲録音プロジェクトの一部となるライブ録音だ。ポシュナーの録音の大多数のものは成功してきたとは思えるが、いくつかのものは(録音スケジュールが)あまりに性急に過ぎたために、うまくいっていないものもある。私にはマエストロ・シャラーのアプローチの方が一貫して曲にふさわしい解釈で、納得できるようなものに思える。まあ、ポシュナーの録音にはいい加減なところがあるというのは、さんざん経験していたので、全面的に同意したいレビューですね。 この「第3稿」、つまり「1888年稿」は、2004年まではブルックナーの作品とは認められてはいませんでした。いや、作ったのは確かにブルックナーなのですが、それは彼の弟子たちが師を思うあまりに、手を入れすぎていた、「捏造」の産物だ、とされていたのですね。それでも1889年には出版され、古の巨匠たちの録音も残っています。しかし、原典版であるハース版やノヴァーク版が出てからは、この楽譜はほぼ抹殺されていました。それを、ベンジャミン・コーストヴェットという人が、この稿には確かにブルックナー自身の意思が反映されているという主張のもとに、国際ブルックナー協会公認の楽譜として出版したのですよ。 ![]() CD Artwork © Profil Medien GmbH |
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そこで、数日前に新登場していたのが、このアルバムです。「ヴォクテット・ハノーファー」という、全く初めて聞く名前のコーラスグループが歌っている、クリスマス・アルバムです。日本でCDが発売されたのは2023年の1月だそうですから、かなり間抜けなリリースになっていましたね。まだ、クリスマスまでには11ヶ月あるじゃないですか。ですから、今回のように7月に聴く方がよりクリスマスには近づいている、ということになりますね。 メンバーは8人ということで、「ヴォーカル」と「オクテット」を合わせて作られたのが、「ヴォクテット」というグループ名なのでしょう。このグループは、ハノーファー音楽演劇大学の学生だった8人が2021年に結成したものなのだそうです。それ以来、ハノーファーを本拠地として活躍しているのでしょう。 メンバーは混声のカルテット×2という、ソプラノ、アルト、テナー、ベースがそれぞれ2人ずつという編成です。同じような編成のグループでは、イギリスに「VOCES8」というのがありますね。実際、この2つのグループは、共演したこともあるのだそうです。さらにもっと昔だと、「スウィングル・シンガーズ」というのもありましたね。 このアルバムでは、バロックあたりから現代までの多くの作曲家のクリスマスに関係した作品が集められています。最初に聴こえてくるのが、メンデルスゾーンのモテットですが、まずはその響きに魅了されてしまいます。おそらく、録音会場は教会のような豊かな残響があるところなのでしょう。彼らの声は、適度のエコーでふくらみをもって響いていました。それを捕えた録音もかなりのクオリティだったようで、その響きには一切の濁りは感じられません。 なにしろ、まだ結成されてそれほどの年月は経っていないので、メンバーそれぞれの声がとてもなめらかでキラキラしています。若いって、素晴らしいな、と、思わずにはいられません。 もちろん、それぞれの声が醸し出すハーモニーも、絶妙の味を出しています。和音の中できっちりと響きが作られるポイントが完全に把握されていて、もう何の迷いもなく正確なハーモニーが出来上がっているのには、感服させられます。 そんな、ひたすら美しい響きに酔いしれている中にも、ちょっと尖がったものが聴こえてくるようなものがありました。それは、Sebastian Knappe(セバスティアン・クナッペ)という人が作った「Kommet, ihr Hirten」という曲です。これは、ポリフォニーの体裁を取っているのですが、それぞれのパートの独自性がとことん追求されていて、ちょっと聴いただけでは付いていけないような前衛さがありました。ただ、それに慣れてくると、そんな複雑さが快感に変わってきます。 彼の作品はもう1曲歌われていて、そのタイトルの「Tidings of Comfort and Joy」が、アルバム全体のタイトルにも使われているように、彼らにとっても意味のある作品なのでしょう。これは、それまでの曲で聴いてきた美しいハーモニーをまず全否定するところから始まって、とてもかっこいいテンション・コードを多用した尖がったハーモニーによる曲です。 このクナッペという人は、このグループのベースのメンバー、この2曲を聴けたのが、最大の収穫でした。 そして、エンディングの3曲になって、初めて「クリスマス・ソング」が登場します。もちろん、それらには、「期待通り」の、足元をすくわれるようなサプライズが込められていましたよ。最後の「White Christmas」では、まず聴くことのないヴァースから歌い始められているのですからね。 CD Artwork © Rondeau Production GmbH |
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これは、1960年代末に一世を風靡したミュージカル「ヘアー」の、ブロードウェイのオリジナル・キャスト盤です。つまり、ブロードウェイでロングラン公演が行われるのに先立って、1968年にスタジオで録音されたものなのですね。ブロードウェイでは、新作のミュージカルが始まるときには、そのようにしっかり録音されたものが購入できるようなシステムが出来上がっていました。そして、そのレコードを買って帰って、それを聴いてさっきまでのステージの余韻に浸ることが出来たのですね。なんたって、そのステージと同じキャストが歌っているのですからね。 そして、そのレコードにはしっかりと「4チャンネル盤」も用意されていたのですよ。このシステムが広がるのは1970年に入ってからのことなのですが、それに先立ってすでに録音は始められていたのですね。ですから、それから半世紀以上経っても、それをハイブリッドSACDによって聴くことが出来るのです。 当時は、ミュージカルと同時に、フィフス・ディメンションというR&Bのコーラスグループが、この中の最初と最後のナンバーをつなぎ合わせて「Aquarius/Let the Sunshine In」というタイトルでカバーしていて、それが大ヒットしていましたから、ミュージカルを知らない人でも、これだけは日本中の誰もが知っている曲になっていました(これは、比喩ではなく、現実にそのようなことが起きていたのです。現在のように、ある年代を超えた人には全く聴かれない曲が、ヒットチャートを賑わすようなことは決してありませんでした)。 ですから、その頃仙台のNHKの専属だった合唱団などは、作曲家でもあった指揮者がこの曲だけではなく、オリジナルのミュージカルのナンバーまで含めて、合唱のために編曲してラジオのために録音を行っていました。それだけではなく、それらの曲はその合唱団の定期演奏会でも、歌われていたのです。ですから、その時の団員たちは、「フランク・ミルズ」や「グッドモーニング・スターシャイン」などというナンバーまで、しっかり記憶にとどめるようになっていたのです。 そんな「思い出」の追体験という意味で、このSACDを聴いてみました。ミュージカルとは言っても、音楽自体は「ロック」ですから、ピットに入っていたのは、ここでの音楽を作っていたガルト・マクダーモットのキーボードを中心にしたロックバンドでした。そのほかにトランペットが2人と、マルチリード(ピッコロ、クラリネット、サックス)が1人、そして、パーカッション(マリンバ)も入っています。チェンバロやリュートはありません(それは「バロック・バンド」)。 オープニングでは、ギターのノイズや、もしかしたらシンセサイザーも使われていたのでしょうか、なにか幻想的な雰囲気が、周りを取り囲むように湧き上がってきます。そして「Aquarius」が始まるのですが、それはフィフス・ディメンションのような洗練されたコーラスではなく、もっと雑然とした荒々しいものでした。改めて、このミュージカルが、当時のヴェトナム戦争などの社会の情勢を反映させたものであったことに気づかされます。 その中で、ドラッグ中毒者のような雰囲気が伝わってくる「Walking in Space」というナンバーでは、ギターのリフが4つのスピーカーから順々に巡ってくる、という「4チャンネル」ならではのエフェクトが使われていて、うれしくなります。 エンディングの「Let the Sunshine In」では、ベースのリフがフィフス・ディメンションのものとは全然違っていることに気づかされます。というか、これが合唱の時には使われていたのですね。指揮者の方は、しっかりオリジナルをコピーしていたのです。こんなリフです。 ![]() SACD Artwork © Vocalion Ltd |
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まず、そのブックレットにあった、この曲のタイトルに注目です。 ![]() さらに、同じブックレットには、このように「ヨハネ受難曲の第1稿は、それが世に出て300年後に、初めてCDとしてリリースされた」という、このアルバムのセールスポイントが掲げられています。 ![]() とは言っても、「1724年に演奏された楽譜」というものは現在ではもはや存在していないので、実際に演奏するときには復元作業が必要になり、そこには校訂者の主観も入ってきますから、先ほどの2つの録音の場合も、微妙に別の音符が聴こえてくる個所が数多くありました。 今回の演奏にあたっては、先ほどのBWW3の校訂にもかかわっていたペーター・ヴォルニーたちと指揮者のライゼとの共同作業で楽譜が作られたようですね。 不思議なのは、そのヴォルニーが監修したヨハネ受難曲のスコアに掲載されている各稿の差異を比較した表での記述と、今回の録音との間にもまた差異があったりすることです(具体的には33番のレシタティーヴォの小節数)。 ということで、ちょっと胡散臭いところのあるこのアルバムではありますが、その演奏はなかなか刺激的なところがあって、とても楽しめました。まず、以前の「ロ短調」ではモダン・オーケストラでしたが、ここではベルリン古楽アカデミーというピリオド・オケが演奏しています。さらに、ソリストもバッハの時代の慣習に従って、ソプラノやアルトはトマス教会合唱団のメンバーの少年が歌っています。もちろん、その合唱も全員男性ですね。 そして、指揮者のライゼは、あのアーノンクールにも師事していたということで、ちょっとびっくりするようなアイディアを次々に繰り出して、驚かせてくれています。特に目立って聴こえてくるのが、通奏低音の自由さです。特に、オルガンが、曲の途中で即興的なフレーズを演奏したりしているのは、驚き以外の何物でもありません。ペダルの超低音も積極的に使って、スペクタクルなサウンドを作り上げていましたね。チェンバロも、コラールの中でさえ、かなり派手に自己主張をしていたようです。 合唱も、最初は遅いテンポで始まったものが、次第にテンポを上げていくというこの時代にはまだなかったはずの「アッチェレランド」がかけられているのが、ユニークですね。あっけにとられてしまいます。 ただ、やはり、ソリストの少年には、ちょっと荷が重かったような気がします。特にアルトの2人は、どちらも悲惨でしたね。 CD Artwork © Rondeau Produktion GmbH |
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ブラウンシュタインは、ベルリン・フィルを退団した後はソリストとして大活躍です。今回のアルバムは、なんと、彼自身が編曲を行ったザ・ビートルズの「アビー・ロード」というアルバムのカバーです。つまり、この中の、それぞれジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人によって作られた曲たちを、オーケストラとヴァイオリン・ソロという「ヴァイオリン協奏曲」に仕上げたのですね。 もちろん、オリジナルはロックですから、その編曲のプランは、おおむねそのメロディだけを主にオーケストラに演奏させ、それをソロ・ヴァイオリンが華麗なフレーズで彩る、といったパターンが多くなっていたような気がします。 それはもう、見事なヴァイオリンのパートでした。ブラウンシュタインの華麗なテクニックで紡がれる細かい音符たちは、とてもゴージャスにオリジナルのメロディを飾り立てています。こんな贅沢な扱いを受けると、ちょっと恥ずかしくなってしまうようなところもありましたが、それらは完璧に「クラシック」の語法で新たな生命を与えられた曲として、再スタートを切っていたかのように思えたほどです。 ただ、その過程、つまり「ロック」から「クラシック」への変換を行うプロセスで、ブラウンシュタインは「ロック」としては決して譲ることのできない要素である「リズム」を、大幅にクラシック寄りのものに変えてしまっていました。つまり、ロックのリズムはあくまでインテンポが基本なのですが、ここでは、まさにクラシック音楽の極意である「テンポ・ルバート」の手法を駆使して、そのリズムを台無しにしてしまっているのですよ。例えば、個人的にはこのアルバム中のベストだと思っているジョージ・ハリスンの「Something」では、この曲の、というか、彼のトレードマークでもある「3+3+3+3+2+2」というシンコペーションが、完全に無視されていたのですよ。これには悲しくなりました。 さらに許しがたいことに、ここではオリジナルの曲順が大幅に変更されているのです。このアルバムのタイトル「Abby Road」というのは、曲のタイトルではなく、アルバム全体のタイトルです。そして、ご存じのように、ザ・ビートルズが1969年に製作したこの彼らの最後のアルバムは、トータルでとても完成度の高いものでした。曲の構成なども考え抜かれています。特に、LPだったころには、A面が「I Want You」のクレッシェンドがいきなりカットされて終わるのですが、そこで盤をひっくり返してB面を聴き始めると、なんとも清々しいジョージの「Here Comes the Sun」が始まって、心底癒されるのですよね。そして、2トラック以降からはジョンとポールの怒涛の「B面メドレー」が始まるのです。 そのような、決して変えてはいけない不動の曲順が、今回はかなり変更されているのですよね。あろうことか、カットされてしまったナンバーまであります。そういうものに「Abbey Road」というタイトルを付けて販売するのは、ほとんど詐欺です。 ですから、全体の尺も、大幅に短くなっています。それを補うために、ヴォーン・ウィリアムズの「揚げひばり」と、ディーリアスの「ヴァイオリン協奏曲」が演奏されています。こちらの方が、どれほど共感に満ちた音楽だったことでしょう。 CD Artwork © Alpha Classics / Outhere Music France |
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なにしろ、最近のこのレーベルでは、それまで頻繁に行っていたSONYレーベル(現在は、冨田のアルバムのRCAも含まれています)のハイブリッドSACD化がばったりと途絶えてしまっていて、もはやその音源は使い切ってしまったのかな、と思っていたところだったので、これは朗報でした。 ただ、その情報を知ったのは、DUTTON/VOCALIONのサイトからでした。そこで、日本のショップでも発売予告があるのではないかとチェックしていたのですが、それはなかなか出てきません。結局、他にも興味深いSACDが2枚あったので、それと一緒に直接DUTTON/VOCALIONから購入することにしました。価格はそれぞれ12.99ポンド、今のレートだと2600円ぐらいなので、送料を合わせても日本で買うより安くなっていますから、即注文です。それが6月9日のこと、そしてそれは6月21日には届いてしまいました。 その頃には、日本のショップでもやっと案内が出るようになっていました。でも、そこでの発売予定は6月30日だったのですね。ですから、ここではだれよりも早く新装なったアルバムを聴くことが出来ましたよ。 このアルバムが制作されたのは1978年で、翌年にはリリースされています。それは、その前の2つのアルバム、「惑星」(1976年)と「宇宙幻想」(1977年)とのセットとして扱われて「宇宙三部作」のような呼び方をされていますね。 そして、ここでは冨田は日本盤のジャケットにシンボルとして用いたピラミッドになぞらえて、「ピラミッド・サウンド」というものを提唱していました。それは、平面的な4チャンネルの音場に、上からの音を加えた「5チャンネル」の立体音響でした。今となっては、それは「ドルビー・アトモス」のような最先端のイマーシヴ・サウンドとして実用化されていますが、当時はごく限られた人しか、その、冨田が意図したサウンドを体験できた人はいなかったのでしょうね。もう少しすると、屋外で、ヘリコプターにスピーカーを乗せて、上からの音場を確保する、などというとてつもないことをやっていましたけどね。 ですから、4チャンネルのミックスの際も、そんな音場が期待できるような細工がしてあったのだ、というようなこともどこかで見たことがありました。それが、実際にこのSACDを聴いてみると、オープニングのシーンが、確かに、まるで上の方から巨大なホワイトノイズが降りかかって来るような錯覚に陥ったような気がしたのですね。いずれにしても、そのサウンドに度肝を抜かれてしまいましたよ。これこそは、ハイブリッドSACDでなければ聴けない世界でした。 そんな感じで、このアルバムでは、これまでの、他の作曲家の曲をシンセサイザーに置き換えたものではなく、冨田のオリジナルの音源、というか、サウンド・エフェクトが大活躍しています。そんな中で、まさにこれが制作されていた年に公開された、スピルバーグの「未知との遭遇」の中の5つの音でUFOと交信するというシーンがそのまま再現されているのは、かなりすごいことだったのではないでしょうか。 既存の曲のカバーも、プロコフィエフの「交響曲第5番」の第2楽章の軽快なテーマなどは、かなりキャッチーで効果的でしたね。そして、シベリウスの「悲しきワルツ」が、全体の中ではかなり異色な「癒し」のテイストを醸し出していましたね。クレジットはありませんが、第1作のドビュッシーの中で登場した「ゴリウォグのケークウォーク」の断片が登場していたのも、ユーモラスです。 残りのアルバムも、引き続きSACD化されることを、切に願っています。 SACD Artwork © Vocalion Ltd |
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このオーケストラが、創設者によって解散され、その後名前を変えて活動を再開したのは1964年ですから、それはおかしいですよね。そこで、ちゃんと調べてみたら、「騎行」は1960年に、そして、それ以外の部分は1969年から1970年にかけて録音されていたことが分かりました。 ワーグナーを得意にしていたクレンペラーですが、EMIへの録音としては、1960年の2月と3月、そして1961年の10月の3回のセッションによる序曲などの小曲と、1968年のセッションでの「さまよえるオランダ人」全曲、そして1969年から1970年にかけてのセッションでの「ワルキューレ」の第1幕全曲と、エンディングの「ヴォータンの別れ」しかありませんでした。 そのうちの小曲集は、1960年に「Klemperer Conducts Wagner」というタイトルで、2枚組ボックスでリリースされています。 ![]() ![]() ![]() ↑UK盤(His Master's Voice) ![]() ↑フランス盤( La Voix De Son Maître) クレンペラーとフィルハーモニア、さらにはニュー・フィルハーモニアとのセッションは、大半はキングズウェイ・ホールで行われています。そして、ほんの少し、例えば「オランダ人」などはアビーロード・スタジオズのスタジオ1でも行っています。余談ですが、その中には1967年に行われたものもありますから、この年にスタジオ2で「Sgt. Pepper」を製作していたビートルズが、同じ日に向かい側の部屋で録音していた、なんてことがあったかもしれませんね。 そんな中で、唯一この「ワルキューレ」だけはオール・セインツ教会が使われているのです。そのアコースティックスの違いは、ここでカップリングされているキングズウェイ・ホールでの「ワルキューレの騎行」と比べてみると一目瞭然です。まずは、前奏曲の低弦が、左のチャンネルから聴こえてきますが、その深い響きには圧倒されます。地の底から響くような低い重心の音のエネルギーが、もう体全体に伝わってきます。 そして、歌手が歌い始めると、そこに豊かな残響が付いています。特にフンディンク役のハンス・ゾーティンの声は、古い録音にありがちなテープの劣化がほとんど見られないピュアな声ですから、その残響にも一切の歪みが感じられません。まるできれいな雑巾で拭いたよう。 そして、クレンペラーの演奏も、そんな、ある意味重苦しいサウンドを存分に生かした、とても重厚な音楽を作り出しているものでした。こういう演奏は、聴き馴れたショルティの録音が、ただ勢いに任せただけの薄っぺらいものに感じられてしまうほどの存在感がありました。 最後のヴォータン役のノーマン・ベイリーは、この役にしては軽めの声ですが、クレンペラーの音楽に包まれて十分な貫禄と、そして悲しみが伝わってきます。 それにしても、ここで出てくるテーマがきゃりーぱみゅぱみゅの「もったいないとらんど」に聴こえてしまうのは、複雑な心境です。そんなことを言ったら、「指環」の最後などは「ウェストサイド・ストーリー」なんですけどね。 Album Artwork © Parlophone Records Limited |
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そして、その2人よりもさらに若い、2000年生まれ、まだ24歳のタルモ・ペルトコスキという日本の芸人みたいな名前(それは「タモリ」)の指揮者が、なんとドイツ・グラモフォンというメジャー・レーベルからソロデビューしたというニュースが入ってきました。 ペルトコスキは、2000年にフィンランド人の父親と、フィリピン人の母親との間に生まれました。彼は8歳の時からピアノの勉強を始め、14歳の時からは、父親のつながりがあったフィンランドの指揮界の長老、ヨルマ・パヌラのもとで4年間指揮の個人レッスンを受けました。その後、シベリウス・アカデミーに進んだペルトコスキは、サカリ・オラモやハンヌ・リントゥの指導を受けることになります。 2020年の末には(20歳の時、分かりやすいですね)、ペッカ・クーシストの進言により、ブレーメン・ドイツ・カンマーフィルから客演指揮者としての招待を受け、2022年1月に正式にそのオーケストラとしては初めての首席客演指揮者に就任しました。そして、2022年1月に初めてラトヴィア国立交響楽団に客演した後は、2022-2022年のシーズンから音楽監督に就任することになります。さらに、2022年5月に客演したロッテルダム・フィルとも、2023-2024年のシーズンから4年間の首席客演指揮者としての契約を結ぶのです。 彼の快進撃は続きます。2022年の9月と10月に客演したトゥールーズ・キャピトル・管弦楽団とは、2024-2025年のシーズンから5年間の音楽監督としての契約を結びました。そして、2023年にはドイツ・グラモフォンとのアーティスト契約を果たすのです。 彼のファーストアルバムは、ブレーメン・ドイツ・カンマーフィルと録音したモーツァルトの35、36、40番という3つの交響曲でした。CDでは、その3曲しか収録されていませんが、ストリーミングとダウンロードのアルバムでは、それぞれの曲をテーマにして彼がピアノの即興演奏を行ったものが加えられています。彼は、ピアニストとしても活躍していたのでした。 まずは、このジャケットの写真に注目です。真ん中にいるのはもちろんペルトコスキ本人ですが、そのバックに貼り付けられている顔写真は、おそらくオーケストラのメンバーなのでしょう。なんか、指揮者とメンバーとの緊密な関係が見えるようですね。このオーケストラには何人かの日本人のプレーヤーがいますが、2015年からファゴットの首席のポストにいるのは小山莉絵さん、やはりファゴット奏者の小山昭雄さんの娘さんですね。 その演奏は、いかにも若者らしい自由奔放なものでした。まずは、アレグロの楽章でティンパニが入っている楽章では、意図的にそのティンパニを強調させて、思いっきり開放的な音楽に仕上げています。テンポもかなり速め、短調の交響曲でも、暗さなどはみじんも感じられない、生きのよい音楽になっています。 フレーズの歌わせ方もとても納得がいくもの、普段は目立たない対旋律なども、ここぞという時には思いっきり目立たせていて、とても立体的に聴こえてきます。びっくりするようなゲネラル・パウゼが、ちょっとした切れ目で出てきているのも、とても効果的ですね。 何よりも、緩徐楽章とかメヌエットのトリオなどで頻出する、豊かな装飾が魅力的です。管楽器のソロなどは、とても自由なメロディになっていて、遊び心満載ですからね。 まあ、こういったやり方は、過去にはアーノンクールなどが良くやっていたことですが、その精神は今回のものとは全くの別物、アーノンクールは偽物ですが、ペルトコスキは紛れもない本物です。 今回はサブスクで聴いたので、ペルトコスキの即興演奏も満喫できました。時にはピアノだけではなく、パンパイプなども駆使して、その楽器が登場する「魔笛」の一節まで披露してくれています。いつか、彼の指揮で、この「魔笛」の全曲を聴いてみたいものです。 とんでもない才能が出てきましたね。 Album Artwork © Deutsche Grammophon GmbH |
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これは、1986年、正確には、その年の5月13、14、16の3日間にロンドンで録音されたものなのですが、それは普通にアルバムとして製作されたのではなく、そのバレエの映画のサウンドトラックとして録音されていたものなのですね。 その映画は、同じ年の11月26日にアメリカで公開されました。そこでは、シアトルにある「パシフィック・ノースウェスト・バレエ」というカンパニーが出演しています。そのバレエ団の芸術監督だった振付師のケント・ストウウェルという人は、「Where the Wild Things Are」(邦題は「かいじゅうたちのいるところ」という、しょうもないもの)という絵本で多くの人に知られている絵本作家のモーリス・センダックが関わった「魔笛」の評判を同じカンパニーのスタッフの彼の妻から教えられ、センダックと一緒に「くるみ割り人形」を作ろうとしたのですね。その共同制作が始まったのが1979年のことでした。彼らは、これまでの伝統的な「くるみ割り人形」ではなく、その原作であるE.T.A.ホフマンの物語のテーマに近づけるというコンセプトで、製作を進めます。そこには、センダックの著作のテイストも加味されていたようですね。クリーンになったとか(それは「洗濯機」)。 そして、1983年の12月13日に、その初舞台が披露されたのでした。それは大好評で迎えられ、結局このプロダクションは、それから31年間、2014年まで公演を続けることになるのです。 その人気に目を付けたのが映画会社でした。キャロル・バラードが監督となり、「Nutcracker: The Motion Picture」というタイトルで製作が行われました。なんでも、撮影自体は10日間で終わってしまったのだそうですね。音楽は5月には録音が終わっていたので、11月の公開までには楽々間に合っていたのでしょう。というか、公開と同時にこのサントラ盤もリリースされています。日本でのリリースは翌年の4月でしたけどね。 ![]() そこでは、もちろん当時のTELARCのエンジニアのジャック・レナーによって録音が行われていましたから、出来上がったものはとてもナチュラルなバランスで聴こえてきます。さらに、トラック8の「戦争」のシーンでは、なんと本物の銃と大砲の音が使われていました。このレーベルは、以前は同じチャイコフスキーの「1812年序曲」で、やはり本物の大砲の音を使って評判になっていましたね。ここでも「Caution!」という表示がありましたが、そんなに衝撃的な音ではなく、もっとズシンと深く響いてくるような音でしたね。 全曲版などはなかなか聴く機会がないのですが、改めて聴きなおしてみると、メロディ・メーカーとしてのチャイコフスキーの面目躍如といった感じで、次から次へとキャッチーなメロディが出てくるのですから、すごいものです。きっと、このバックを聴きながら映画を見たら、さらにそのすごさは際立つのでしょうね。 オーケストレーションのすごさにも、圧倒されます。トラック11の「魔法の宮殿」では、その美しいテーマを飾るときにフルートとピッコロが高いHまでの上行スケールを何度も繰り返すのが印象的、これはプレーヤーにとっても大変なようで、ピッコロがいつも急ぎ過ぎていますね。 そして、このテーマが、最後の曲で「回想」として聴こえてくるのには、鳥肌が立ちましたね。最初に「関係している」というバージョンでは、そのトラック11をカットしているのですけど、残念ことをしましたね。 そして、最後のトラックには、映画のエンディングのために収録されたのでしょうか、チャイコフスキーのオペラ「スペードの女王」から劇中劇で歌われる「ダフニスとクロエの二重唱」が入っています。それは、まるで「魔笛」のパパゲーノの歌のような明るい曲でした。あの暗いオペラに、こんなナンバーがあったなんて。 CD Artwork © Telarc International |
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おとといのおやぢに会える、か。
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