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(02/9/25作成)

(02/12/10掲載)


スウィングル・シンガーズ(英:The Swingle Singers
 独身の男女だけで作った合唱団(シングル・シンガーズ)でも、クリスマスの時だけコンサートで日本全国をまわる合唱団(ジングル・シンガーズ)でもありません。もっとも、クリスマスというのはある意味当たっていて、今年も各地でこの合唱団のア・カペラが聴けるはずです。

 こういう名前の声楽アンサンブルが生まれたのは、今をさかのぼること40年前、1962年のことでした。パリで「ダブル・シックス・オブ・パリスLes Double Six」というジャズコーラスのメンバーだったアメリカ生まれのミュージシャン、ウォード・スウィングルという人が、ジャズのスキャットを用いてバッハの曲を演奏するというアイディアを実現するために結成した8人編成のヴォーカル・グループが、「Les Swingle Singers」です。1963年に発表した彼らのデビュー・アルバム「Jazz Sebastien Bach」は、ジャズのみならず、全てのジャンルの音楽に影響を与えた名盤です。ちなみに、このタイトルは、バッハのフランス語表記である「Jean Sébastien Bach」をもじったものであることは有名ですね。
 ワルター・ギーゼキングにも師事したというウォード・スウィングルは、しっかりとしたクラシックのベースを持っていました。彼のグループは、彼のアレンジによって、バッハのみならず、多くのクラシックの作曲家の作品を、小粋なジャズナンバーに生まれ変わらせるというコンセプトで、一世を風靡します。さらに、クラシックの作曲家、例えばイタリアのルチアーノ・ベリオなどにも素材としての興味を引かせ、1968年には、オーケストラとこのグループのための「シンフォニア」という曲を作らせることになります。これは、ベリオ自身の指揮によるニューヨーク・フィルが世界初演を行い、今までに300回以上も演奏されているという、現代音楽には有るまじき「ヒット曲」となっています。

 1973年、13枚目のアルバム「Bitter Ending」を録音して、パリのこのグループは解散します。メンバーだったソプラノのクリスチャンヌ・ルグラン(あのミシェル・ルグランの姉。映画「シェルブールの雨傘」にも、カトリーヌ・ドヌーヴが演じた主人公の母親役の声の吹き替えとして参加しています。ちなみに、ドヌーヴの吹き替えはダニエル・リカーリ。)は、このグループのジャズ的な側面を強調した「クワイアQuire」という4人編成のコーラスを結成しますが、これは76年にQUIREというアルバムを1枚出したきり、消滅してしまいます。
 一方、ウォード・スィングルはイギリスに渡り、「合唱王国」イギリスのフリーランスの歌手(後に「ヒリヤード・アンサンブル」のメンバーとなるジョン・ポッターなども含まれています。)を集めて、やはり8人編成の「Swingle II」というグループを結成します。これは、もはや単なるスキャットを駆使したジャズコーラスではなく、もっと幅広いジャンルのレパートリーを扱うヴォーカル・アンサンブルに変わっていました。74年の「Love Songs for Madrigals and Madriguys」というアルバム(「Madriguys」などという言葉はありませんが、これは「Madrigals」、「Madriguys」というダジャレですね)では、ルネッサンスのマドリガルをそのまま歌い、バックにシンセサイザーで伴奏をつけるという、まるで90年代の「エニグマ」にも通じるような斬新なこともやっていたのです。先述のルチアーノ・ベリオも、彼らのために新作を提供しています(正確には、別のアーティストのための曲を改訂したものですが)。先頃国内盤でもCDが再発された「ロンドンの呼び売りの声」(オリジナルは6人編成)と「ア・ロンネ」(オリジナルは5人編成)です。画像は、そのオリジナルLPのジャケットです。
 それ以後、「Swingle II」はメンバーチェンジに伴い1979年に「The New Swingle Singers」さらに「The Swingles」、「The Swingle Singers」と名前を変え、活動を続けます。そして1984年、ウォードはリーダーの座をメンバーのジョナサン・ラスボーンに譲って、みずからはミュージカル・アドヴァイザーという立場になり、アメリカへ戻ります。さらに、1999年にはメンバーが全員入れ替わり、創設者ウォード・スウィングルとは全く関係のなくなった新たなコーラス・グループとして、再出発することになるのです。
 かつて、「ダバダバダ」というスキャットでバッハを歌っていたグループは、いまやTAKE6ばりのヴォイス・パーカッションなども取り入れ、ステージ・アクションも見事なア・カペラグループとして、全世界のコーラス・ファンを魅了しているのです。
 ウォード・スウィングルは、グループを去った後はセミナーや、客演指揮者、あるいは自らの音楽出版社「Ward Music」での楽譜出版の仕事に従事しています。さらに、1994年からはパリ近郊に移り住み、夫人と共に悠々自適の生活を送っているということです。

(2019/3/17追記)
 ウォード・スウィングルは、2015年1月19日に、イギリスのイーストボーンでお亡くなりになりました。享年87歳でした。


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