ハイホー・キネン・オーケストラ(7人編成).... 佐久間學

(14/8/6-14/8/24)

Blog Version


8月24日

HERZOGENBERG
Totenfeier・Requiem
Franziska Bobe(Sop), Barbara Bräckelmann(Alt)
Maximilian Argmann(Ten), Jens Hamann(Bas)
Matthias Beckert/
Monteverdichor Würzburg
Thüringen Philharmonie Gotha
CPO/777 755-2(hybrid SACD)


この前のヘルツォーゲンベルクの合唱曲に続いて、彼の「葬送」がらみの作品が全て収められている2枚組SACDです。それは、1890年に作られた「レクイエム」、1892年に作られた「葬礼」、そして、1895年に作られた「埋葬の歌」の3曲です。それぞれに、作られた動機も、そして用いられているテキストも全く異なるものが、彼の晩年に2〜3年ずつの間隔をおいて作られたというのは、なんとも不思議な因縁です。
おそらく、「死者を悼む」という意味からは最も重要なものは、1892年の「葬礼」ではないでしょうか。それは、この年の1月に、44歳の若さで亡くなってしまった彼の妻のエリザベートのために作られたものなのですからね。ブラームスの弟子でもあったエリザベートは、夫の作曲活動にも多大の協力を惜しみませんでした。そんな大切な伴侶の突然の死に臨んで、ヘルツォーゲンベルクはいたずらに嘆き悲しむようなことはなかったそうなのです。そうではなく、彼女の想い出を、しっかり音楽の形にして、永遠の生命を持たせるように、と考えたのですね。なかなかできることではありません。そこで彼は、まず、彼女の助言を受けて作っていた作品を仕上げたり、彼女自身が作曲したピアノ作品のスケッチを校訂したりします。
そして、彼女の一周忌を迎えるまでに、と、この「ソリスト、合唱、管弦楽とオルガンのための『葬礼』」の作曲に着手するのです。これは、彼が聖書から選んだドイツ語のテキストが用いられ、音楽はバッハの大規模なカンタータ(全体が2部に分かれています)のスタイルを取り入れています。最初は「葬送行進曲」と題された合唱、それに続いてバス独唱によるレシタティーヴォとアリア、といった具合ですね。そのあとに、ボーイ・アルトのソロと合唱の応答という、ちょっとユニークなものが挟まり、第1部の最後を飾るソプラノ・ソロと合唱になります。その時の歌詞が「私は復活であり、生命である」というもの、ここには、確かに彼の妻に対する思いがしっかりと表れています。
続く第2部でも、合唱ではなくソリストの四重唱で歌われるちょっと民謡っぽい曲のバックにトランペットで静かにコラールが流れたり、ソプラノのアリアでは伴奏で小鳥のさえずりが聴こえてきたりと、最後までのどかで穏やかな風情、まさに天国で過ごしている妻の幸せな姿を思い浮かべているような音楽です。
その2年後に心不全で急死したのは、まだ52歳だったヘルツォーゲンベルクの盟友(ライプツィヒのバッハ協会をともに創設)フィリップ・シュピッタでした。その翌年に墓石を建立するにあたって、その屋外でのセレモニーのために作ったのが、「テノール・ソロ、男声合唱とブラス・バンドのための『埋葬の歌』」でした。ほんの5分程度の短い曲で、テキストはヘルツォーゲンベルク自身が書いています。それも彼の心がしっかりと込められたものでした。
お目当ての「レクイエム」は、実はそのような追悼の対象のないところで作られています。モーツァルトなどの先人にならって、あくまで「シンフォニックな宗教曲」を作りたい、という欲求を満たすためだけに作られた曲ですから、ラテン語の典礼文をテキストに用い、型どおりの手続きは踏んでいても(それにしてもオーケストラのイントロは長すぎ)なにか心に迫るものがほとんど感じられません。それを助長しているのが、ここで歌っている合唱団のあまりの無気力さ。正直、こんな型どおりの音楽を、こんな退屈な演奏で聴き通すには、かなりの忍耐力が必要なのではないか、という気がします。ソリストが入っていれば、多少のアクセントになったはずなのに、合唱とオーケストラだけで演奏するスコアですからどうにもなりません。
確か、これはSACDだったはずですが、録音会場の教会のアコースティックスのせいか、そのメリットも全く味わうことはできません。

SACD Artwork © Classic Produktion Osnabrück

8月22日

WAGNER
Orchestral Works and Arias
Heidi Melton(Sop)
Paul Daniel/
Orchestre National Bordeaux Aquitaine
ACTES SUD/ASM 22


おそらく、勘違いだったのでしょう。このアルバムのレーベルと品番を見たときに、これはあのロトとレ・シエクルの新しい録音か何かだ、と思い込んでしまったのですね。そこで中身も確かめずに注文したら、こんな予想もしないものが届いてしまった、というわけです。
それは、B6版のハードカバーの書籍そのものでした。AVではありません(それは「ハードコア」)。なんだか、絵本か写真集のようですね。確かに「写真」はたくさん載っています。でも、それは楽器を持ったオーケストラのメンバーの写真。最後の方のページには、そのオーケストラのメンバー表らしきものがありますから、やはりこれは本のような体裁で作られたCDのジャケットなのでしょう。
その「容れ物」があまりに立派なので、もしかしたらCDなんかは入っていないのではないか、とさえ思ってしまうぐらいですが、それは一番あとのページに「袋とじ」になって入っていましたから、ご安心ください。
しかし、このフランスのレーベルによる「CD」は、完璧に全編フランス語で押し通していますから、いったいどのような意図でこんなCDを制作したのか、というようなことが、そのライナーノーツからは殆ど読みとれないのが悔しいところです。ドイツ語だったら半分、英語ならもちろん全部分かるのですが(え?)。
どうやらこれは、昨シーズンから音楽監督となったポール・ダニエルにひきいられたフランス国立ボルドー・アキテーヌ管弦楽団(2008年に、「ラ・フォル・ジュルネ」で来日してるそうです)が、ソプラノのハイディ・メルトンを迎えてワーグナーの作品を演奏したコンサートのライブ録音のようでした。取り上げているのは「タンホイザー」、「トリスタン」そして「神々のたそがれ」で、それぞれオケだけの曲を1曲と、エリーザベト、イゾルデ、ブリュンヒルデのソロを歌うという趣向です。
さらに、たくさんの写真は高名な写真家の作品なのだそうで、リハーサルの合間のオーケストラのメンバーの「打ち解けた」様子がとてもリアルに撮られています。というか、それらは「音楽家」というよりは、その辺のただのおじさん、おばさんというノリで談笑しているところを不覚にも撮られてしまった、というような気さえするものでした。
そんな中に、日本人らしい人を発見。写真に写っているのはチェロ、ヴァイオリン、チューバですが、メンバー表によるともう一人ヴィオラにもいるようです。特に、チューバの「ミズナカ」さんというのはかなり有名な方で、佐渡裕の番組でも紹介されていたようですね。
ライブ録音のせいでしょうか、なにか弦楽器が引っ込んでいるような録音状態が気になりますが、最初の「タンホイザー」ではもちろん「パリ版」を使用、序曲に続いて「バッカナール」が演奏されています。こういうものこそ、このオーケストラだったら嬉々としてやりそうなものですが、なんだか乗りが悪いのはどういうわけでしょう。しかし、メルトンの「殿堂のアリア」が始まったとたん、まわりの空気がグッと引き締まります。なんという存在感のある声。これは間違いなくワーグナーには最も適した声です。それが、適度に力を抜いて、肝心のところでは思いきりヘビーに迫るという「賢い」歌い方をしてくれるのですから、たまりません。もちろん、イゾルデもブリュンヒルデも、今までになかったようなキャラクターで絶妙に迫ってくれました。これが聴ければ、多少オケがへなちょこでも大丈夫です。
いや、このオケ、盛り上げてほしいところで各セクションがバラバラの方を向いているものですから、ワーグナーらしいクライマックスが作れないんですよね。ただ、さっきの「ミズナカ」さんのチューバだけは、「黄昏」の「葬送行進曲」ではバリバリ聴こえてきますから、とても気持ちがいいのですけど。

CD Artwork c Actes Sud/Opéra Nationl de Bordeaux

8月20日

LASSUS
Passio secundum Matthaeum
Nicholas Mulroy(Ev)
Greg Skidmore(Je)
Jeffrey Skidmore/
Ex Cathedra
SOMM/SOMMCD 0106


バッハの受難曲、たとえば「マタイ受難曲」などは、演奏時間が3時間近くもかかろうかという大作ですし編成も大がかり、内容も合唱あり、アリアあり、といったバラエティに富んでいて、まさにこの分野の「最高傑作」といった様相を呈しています。しかし、このようなスタイルの「オラトリオ(風)受難曲」は17世紀後半になってやっと現れたもので、例えば1666年に作られたハインリッヒ・シュッツの「マタイ受難曲」あたりは、もっとシンプルな形を取っていました。伴奏の楽器はなく、エヴァンゲリストやイエスなどのソリストに合唱が加わるというだけの編成、その合唱がポリフォニックに群衆の声などを演奏するほかは、まるでお経のように単調で抑揚の少ないソロが延々と続くというものです。このような受難曲は「応唱受難曲」と呼ばれ、その起源は15世紀までさかのぼることが出来るそうです。
シュッツもバッハもプロテスタントの教会のために受難曲を作ったので、その聖書の言葉はドイツ語で歌われていますが、もちろん「応唱受難曲」は最初はカトリック教会仕様のラテン語によるものでした。それを聴いてみたいと思っていたら、未聴CDの山の中にちょっと前に録音されたラッススの「マタイ受難曲」がありました。シュッツよりほぼ1世紀前、1575年に出版されたという、オルランド・ド・ラッススの「マタイ受難曲」です。
もちろん、ここでもソリストと合唱は最初から最後まで無伴奏で演奏しています。シュッツと違うのは、まずラテン語で歌われていること。ただ、もちろん元のストーリーは全く同じものですから、対訳をたどって行けば聴きなれたあのお話し、ミュージカルにまでなったキリストの受難の物語をきっちりと味わうことが出来ます。そして、もう一つ違うのは、その「物語」の中では、エヴァンゲリストの「地のセリフ」と、イエスの言葉以外の、全てのキャストの話していることが全部合唱になっていることです。これはかなりショッキング、それまでプレーン・チャントのように淡々とテノールの声が続いていた中で、「セリフ」の部分で突然ポリフォニーのカラフルな合唱が始まるのですからね。このコントラストこそが、「応唱」の醍醐味なのでしょう。
歌っているエクス・カテドラ(ラテン語ですから、そのように読むのでしょうね。「エクス・カシードラ」みたいに英語読みにするのは、おかしーどら?)というイギリスの団体は、こういうものにかけてはまさにお手の物、特に女声の伸びやかなトーンに支えられたポリフォニーは、極上の味わいです。ただ、たまに男声だけでこういう部分が歌われることがあるのですが、そこでちょっと耳触りな声が聴こえてくるのは残念、混声でバックにまわっているときは別にわからないのですが、裸でパートが出てくるともろ目立ってしまいます。
エヴァンゲリストのニコラス・ムルロイは、多くのCDでおなじみの人ですが、彼はこの単調な「語り」の中から、とても豊かな情感を引き出しています。おそらく、この曲が最初にミュンヘンの教会で演奏された時には、それこそ「お経」のように退屈なものだったのかもしれませんが、ここでは現代ならではの「熱い」語りを聴くことが出来ます。特に最後の「Eli, Eli, lama sabachthani?」のくだりでは、イエス役のグレッグ・スキッドモアとともに、ほとんど涙を誘うほどの熱演が繰り広げられています。
そして、最後には原曲にはないはずの「Ave verum corpus」が合唱で歌われています。
そのあと、さらにラッススの最晩年のモテットが2曲演奏されていますが、それまではかなりリアルに生々しく迫ってきたものが、なんともおとなしい音に変わってしまいました。クレジットを見ると、この2曲だけはだいぶ前の別のレーベルへの録音、エンジニアもアンソニー・ハウエルという、しっとり目の音の人、それに対して「マタイ」はサイモン・イードンですから、音が違って当たり前です。

CD Artwork © Somm Recordings

8月18日

音楽史と音楽論
柴田南雄著
岩波書店刊(岩波現代文庫
G310
ISBN978-4-00-600310-4

柴田南雄の「音楽史と音楽論」が、ついに「文庫化」されました。この事実は、そもそもは「教科書」として書かれたものが、一つの卓越した音楽書として、古典的な意味を持つようになったことを意味します。
それは、1980年に旺文社(という名前を見るだけで、すでに「教科書」あるいは「学参」の雰囲気が漂います)から放送大学の教科書として出版されました。その装丁はまさに「教科書」そのもの、絹目のエンボスが入った薄っぺらな表紙は、それこそ高校時代に使った山川出版の日本史の教科書そっくりです。
それ以後に本書がたどった道は知る由もありませんでしたが、今回の文庫のクレジットによれば、これはその放送大学のテキストとして講義に用いられ、年度ごとの改訂を繰り返し、1992年に閉講になるまで実地に使われたそうです。その頃には、出版元は放送大学教育振興会に変わっていました。テキストとしての用途が終わった後も増刷は繰り返され、この文庫本の底本となったものは2004年の第3刷なのだそうです。つまり、教科書としての使途がなくなった後にも、一般書籍として流通していたのですね。
そうなのですよ。これが発売された時には、放送大学を受講している人たち以外に「一般の」音楽愛好家が、こぞって購入していたのです。そんな最近までオリジナルが流通していたのも、そんな需要が継続的にあったためなのでしょう。そう、これはまさに「教科書にしておくには惜しい」ほどの、革新的な「音楽史」あるいは「音楽論」だったのです。この文庫ではもうなくなっていますが、旺文社の初版にはサブタイトルとして「日本の音楽に世界の音楽を投影する」という一文が加わっています。これこそが、本書の最もユニークなところ、それまでの「音楽史」の中心であった西洋クラシック音楽を、地理的にも、また時代的にもごく限られたものとした視点の広さには、だれしもが驚かされたものです。
柴田南雄という人は、生前はテレビやラジオでよく「解説者」として登場していましたから、その辺の「音楽評論家」なのではないか、と見られていた節もありますが、彼の本職は作曲家でした。それも、ひたすら自身の作曲技法を練り上げて推し進めるという、「ベートーヴェン型」ではなく、時代に合わせて柔軟に作風を変化させていく「ストラヴィンスキー型」あるいは「ペンデレツキ型」の作曲家だったようです。それは、もちろんこの世代の日本の作曲家であれば避けては通れない必然だったわけですが(一柳彗とか)、彼の場合はその振れ幅がけた外れに大きかったことが、注目されます。最初は型どおりにロマンティックな西洋音楽の模倣から始まったものが、当時の「最先端」であった「12音」、「セリー・アンテグラル」を徹底的に極めた後には、別の面で「最先端」であった「偶然性」に向かいます。そして、晩年にたどり着いたのが、日本古来の音素材を用いた「シアター・ピース」というわけです。その「シアター・ピース」も、後期の「修二會讃」あたりになると、忠実に東大寺のお水取りの様子を模写した、「音楽」というよりは「記録」に近いものになっています。これを「作曲」したのが1978年、この本には、そこまでの「作曲家」としての膨大な蓄積が確実に反映されています。
本書の最後には未来の音楽はどのようなものになるのか、という「予言」めいた言及もうかがえます。それは、文化までをも含めた歴史上の事象が、ある一定の法則に従って変化しているという学説が裏付けになっています。しかし、このような世界がそんな法則に忠実に従うわけもなく、その30年以上前の「予言」は、少なくとも作曲界に於いては実現する事はありませんでした。
そういえば、最近は「シアター・ピース」を手掛けるような作曲家など絶えてなくなってしあたーような気がするのは、単なる錯覚でしょうか。

Book Artwork © Iwanami Shoten, Publishers

8月16日

LECLAIR
The Complete Sonatas for Two Violins
Greg Ewer, Adam Lamotte(Vn)
DORIAN SONO LUMINUS/DSL-92176(CD, BA)


例えば、某ネット通販サイトの「ブルーレイ・オーディオ」のページには最近は紹介されてはいませんが、このSONO LUMINUSというレーベルの新譜はすべてCDBAが同梱されているという形でリリースされています。いともさりげなく、もうこういうやり方が当たり前、という感じで、ハイレゾのBAが付いてくるというのは、うれしいものです。
今回のルクレールという、なんだかおいしそうな響きの名前(それは「エクレール」)のフランスのバロック期の作曲家の「2つのヴァイオリンのためのソナタ全集」は、CDでは2枚組になりますが、BDでは当然ながらそれが全曲1枚に収まります。そのスペックは24/192という最高位のもの、それがLPCMで2チャンネルステレオ、さらに、同じスペックのDTS HD MA7.05.0のサラウンドと、3種類のモードがすべて含まれているというのですから、なんとも豪華なパッケージです。
ヴァイオリンの演奏技術の向上にも大きな貢献のあったルクレールは、ヴァイオリン2本だけというシンプルな編成によるソナタを、Op.3Op.12という2つの形で、それぞれ6曲ずつ、計12曲残しています。バロックの時代には「低音」の存在が欠かせませんが、メロディ楽器であるヴァイオリンだけで、その「低音」までも演奏しようという試みは、この時代の多くの作曲家が行っていたものです。ここでは、その12曲がすべて演奏されています。
演奏しているのは、2人のアメリカのヴァイオリニスト、「1番」を弾いているのが、カンニング竹山似のグレッグ・イーワー、「2番」がオードリー春日似のアダム・ラモッテです。それぞれ、普段は主にモダン楽器のオーケストラやアンサンブルでの活動を行っていますが、ここではピリオド楽器を使用、もちろんピリオド・ボウ、ピリオド・ピッチ、演奏スタイルも、繰り返しでの自由な装飾などごく当たり前に行っていて、完璧に「バロック」に迫ります。
まずは、BDの音のチェックです。録音会場はスタジオで、そんなに残響がなく、楽器の音がくっきり聴こえてくる環境、そんな中で彼らの音は、「ピリオド楽器」という言葉からくる鄙びたイメージからは程遠い、とても生々しいものでした。ビブラートをかけずに、弓で表情を付けているのが、とてもよく分かります。ところが、同じものをCDで聴くと、まず、音像が変に膨らんで、焦点がぼやけてしまいます。さらに、なんだか安物の楽器で演奏しているような、なんとも貧しい響きが伝わってきます。もしかしたら、これがCDの限界だったのかもしれません。CDで再生する限り、ピリオド楽器の本当の音は聴こえてはこないのでは、という思いにかられます。
ですから、BDのハイレゾで聴く彼らの楽器は、なんと新鮮な魅力にあふれていることでしょう。そんな生命力あふれる音に包まれて、いつの間にか全曲を聴きとおしていました。
たった2つの楽器なのに、ルクレールが施した絶妙な役割分担は、とても豊かなバラエティを見せています。時にはフレーズを互いに受け渡すバトル、時には相方のアリアに合わせての控えめな伴奏、さらには全く独立した声部を主張するフーガと、ありとあらゆるテクが繰り出され、退屈することなど許されません。
その間に、この二人の個性もはっきり聴き取れるようになりました。おそらく、芸人、いや、プレイヤーとしては「竹山」の方がワンランク上、自信をもって音楽をリードしています。「春日」の方はしっかり相手に合わせるという、まさにツッコミ、いや、「2番」タイプ、ですから、Op.12の2曲目の第3楽章メヌエットのトリオで、「春日」がソロのメロディを弾くような場面でも、「竹山」の伴奏の方がキャラが立ちすぎていてかわいそうになってしまいます。この曲全体が、構成もしっかりしていて一番聴きごたえがありました。
もちろん、どの曲でも文句なしに楽しめますよ。

CD & BA Artwork © Sono Luminus LLC

8月14日

BRAHMS
Ein deutsches Requiem
Donna Brown(Sop)
Gilles Cachemaille(Bar)
Helmuth Rilling/
Gächinger Kantorei Stuttgart
Bach-Collegium Stuttgart
HÄNSSLER/98.038


ピリオド楽器界の重鎮、フランス・ブリュッヘンが亡くなりましたね。1934年生まれ、誕生日前だったので享年79歳だそうです。同じ世代の指揮者、こちらはあくまでモダン楽器にこだわって、世界初のバッハの教会カンタータ全集を完成させたヘルムート・リリンクは、1933年生まれです。それぞれに全く別の道でバッハなどを極めた巨匠ですが、その結果出来上がった音楽には、何か共通した穏やかさのようなものが感じられないでしょうか。
いや、リリンクはまだご存命でした。ところで、この方の日本語表記は圧倒的に「リリング」という柔軟剤みたいな(それは「ハミング」)方が多いのですが、なんかなじめません。そもそも、この方の名前を初めて耳にしたときが「リリンクさん」だったので、それが刷り込まれているのもありますが、なんと言っても、ドイツに留学してこの方の「バンド」に加わってしまい、カンタータの録音にも参加されたオーボエ奏者、茂木大輔さんが、その著作の中で「リリンク」と書いているのですから、こちらの方がよりオーセンティックなのではないかと思うのですけど、どうでしょう?
そのリリンクは、このCDでも演奏している合唱団「ゲヒンガー・カントライ」を1954年に創設、さらに1965年にはその伴奏を担当する「シュトゥットガルト・バッハ・コレギウム」も作ります(これが、茂木さんの言う「リリンク・バンド」)。その両団体が中心になって、1981年には「バッハ・アカデミー・シュトゥットガルト」という組織を設立して、バッハに関した広範な活動を展開します。たとえば、モーツァルトの「レクイエム」のロバート・レヴィンによる修復稿などは、この活動の中から生まれたものです。ところが、リリンクは、2013年5月29日の80歳の誕生日をもって、「アカデミー」の音楽監督など、全ての関係機関の要職を辞任してしまいました。「アカデミー」の後任には、RIAS室内合唱団などの指揮者、ハンス・クリストフ・ラーデマンが就任したようですね。
そんな節目を迎えたリリンクの、これまでにHÄNSSLERに残された録音がまとめてリイシューされたので、まだ聴いたことのなかった「ドイツ・レクイエム」を入手してみました。おそらく、ブックレットも初出と同じものなのでしょう、その中にはリリンク自らが執筆したライナーノーツが掲載されていました。その冒頭には、「ブラームスは、『ドイツ・レクイエム』のタイトルから『ドイツ』を外して、『人類のレクイエム』としてもいいかもしれない、と言っていた」と書かれています。
リリンクの演奏は、確かにそんな「人類のレクイエム」にふさわしい、「ドイツ」や「ブラームス」から連想されるようなある種鈍重なものとは無縁の、スマートさを持っていました。特に合唱が、とてもクリアな発声と表現に徹していたのが、そう感じられた最大の要因でしょう。ただ、女声のちょっと硬めの声によって、ロマンティックなテイストまでがはねのけられていたのは、ちょっと残念です。
バリトンのソリストは、包容力のある声で、やはり大きな世界を感じさせてくれていますが、ソプラノのソリストはちょっと視野が狭く感じられるかも。
このCDは、1991年に録音されたものです。エンジニアは、カンタータなども手掛けているテイエ・ファン・ギースト、あらゆる分野で活躍している人ですが、ナチュラルなバランスの音が魅力的な多くの録音を残していますね。ゴールウェイがバッハを演奏したアルバムも、この人の録音ではなかったでしょうか。この「ドイツ・レクイエム」も、華やかさこそないものの、その堅実な音には惹かれます。特に、オーケストラの中でハープの音をかなりはっきりと浮き出させているのは、とても気持ちがいいものです。ただ、やはり大人数の合唱はかなり録音が難しいものですから、ここでもちょっと破綻が見られます。

CD Artwork © hänssler CLASSIC im SCM-Verlag GmbH & Co. KG

8月12日

”Si suona, a Napoli"
18th Century Neapolitan Flute Music
Renata Cataldi(Fl)
Egidio Mastrominico/
Le Musiche da Camera
DYNAMIC/CDS 7674


このCDのタイトルは、「ナポリでは、なんていい音楽が聴けるんだ!」といったほどの意味です。なんでも、コレッリがナポリで演奏した時に、その街の音楽家の腕にとても満足して放った言葉なのだそうです。多分におべんちゃらの意味が含まれてはいるものの、これは当時のナポリの音楽的な水準の高さを後世に伝えるものとなっています。なんたって、和声法の教科書には「ナポリの6」という言葉まで登場するのですからね(これは、由紀さおりの「手紙」のBメロ、「二人で育てた 小鳥を逃がし」の「小鳥を逃が」の部分で現れるカッコいいコードのことです)。
そのナポリで、18世紀に活躍した5人の作曲家のフルート協奏曲が、ここでは紹介されています。しかし、当時こそ一世を風靡していた作曲家たちも、今となっては完璧に忘れ去られていますから、ここに並ぶ5人の名前はいずれも初めて耳にするものばかりです。そのうちの3人の作品は、これが世界初録音となるのだそうです。
演奏しているのは、ピリオド楽器のオーケストラとソリストです。1曲目は1698年生まれのニコラ・ログロスチーノの「5声の協奏曲ト長調」。ソロ・フルート+第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、低音という「5声部」から出来ています。低音にはチェロ、コントラバス、チェンバロの他に、ここではリュート(曲によってはバロック・ギター)が加わっています。このレーベルならではの素人っぽい録音のせいでしょうか、あるいはソリストのカタルディの、ちょっとあか抜けない演奏のせいでしょうか(写真では、ちょっと美しさからは隔たった容姿のぽっちゃり系、それが丸出しのドレスなのでいかにも鈍重に見えます)、それとも、華麗さには程遠いこの曲の作風からでしょうか、なんとも重苦しいものに聴こえてしまいます。短調になる第2楽章では、もっと装飾を付けて技巧をひけらかした方が、より味が出るのではと、余計な心配もしてしまいます。
2曲目は1711年生まれのダヴィッド・ペレスの、今度はヴィオラが抜けた「4声の協奏曲ト長調」です。これ以降の曲はすべてこの編成になります。この曲は通常の3楽章形式の協奏曲の前に、もう一つ「カンタービレ」という楽章が加わった4楽章形式ですが、緩徐楽章である第3楽章が、伝バッハの「シチリアーノ」という、かつて「フルート・ソナタ第2番変ホ長調」と呼ばれていた作品の第2楽章と、微妙に似ています。「元ネタ」の真の作曲者であるエマニュエル・バッハはペレスのまさに同時代人ですから、何らかの形で「参考にした」のかもしれませんね。あるいはその逆だとか。
3曲目以降が世界初録音。その3曲目を作ったアニエッロ・サンタンジェロという人は、生年の記録がどこにもないそうですが、1737年に初めてヴァイオリニストとして文献に登場しているので、ほかの人たちと同じ時期に活躍した作曲家です。これも、第2楽章に注目です。そこでは、なんとも斬新なコード進行が聴こえてきて、ちょっとびっくりさせられますが、良く聴いてみるとそれは「ナポリの6」ではなく「ドッペル・ドミナント」でした。
4曲目はジュゼッペ・セリット(1700年生まれ)の協奏曲。これは、今までのものとはガラリと様子が変わって、かなり華やかな技巧が表面に出てきています。ソリストも、まるで別人のように生き生きとした演奏を聴かせてくれますよ。正直、退屈なアルバムだと思っていたのに、ここまで聴いてやっと楽しめるものが出てきました。
そして、最後のアントニオ・ペレッラ(1692年生まれ)の作品も、そんなわくわくするような曲でした。ここでは第2楽章がトリオ・ソナタになっていて、フルートとヴァイオリンのソロのやり取りが楽しめます。ほんとに、最後まで聴かないと良さが分からないということはあるものですね。

CD Artwork © Dynamic S.r.l.

8月10日

HERZOGENBERG
Weltliche Chormusik, Vol. II
Marcus Utz/
Ensemble Cantissmo
CARUS/83.452


ロマン派後期の作曲家、ハインリッヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルクは、いかにもドイツ−オーストリア系の角ばった名前の持ち主ですが、その先祖はフランスの貴族だったのだそうです。それがオーストリアに移住し、1811年にはこの「ドイツ的」な名前に改名、その後1843年にグラーツでハインリッヒは生まれます。
彼はウィーンで法律と音楽を学びますが、最終的に音楽家への道を選択、3つの交響曲を始め、協奏曲、室内楽曲など、オペラ以外の一通りの「古典的」な作品のほかに、多くの合唱曲も残しました。彼の作品は、100曲以上に作品番号が付けられています。このアルバムはその中の世俗合唱曲を集めたものの第2集、無伴奏の混声合唱のための作品が集められています。このCARUSレーベルからは、その「第1集」である、女声合唱と四重唱のアルバムと、宗教曲のアルバムが1枚リリースされているはずです。もちろん、それらはすべてレーベルの親会社である出版社から楽譜が出版されています。
このアルバムでは、作曲家の活躍拠点が変わった折に、それぞれの機会で作られたものが集められています。最初の「6つの歌(Lieder)」作品10は、1870年に彼の合唱曲としては初めて出版されたもの、この頃彼は故郷のグラーツで合唱やオーケストラの作曲家として認められるようになるのですが、これは彼自身と、彼の妻となるエリザベート・フォン・シュトックハウゼンも所属していた「グラーツ・ジングフェライン」という合唱団のために作られました。エリザベートというのは、実はあのブラームスのピアノのお弟子さん、後に、ブラームスに私淑していたヘルツォーゲンベルクは、「嫁」とともにブラームスとの間に多くの手紙をやり取りするようになるのです。
1872年に、彼はライプツィヒに移り住み、そこで友人たちと「バッハ協会」を創設、1876年にはその指揮者に就任します。そこで、合唱曲のレパートリーを探しているうちに巡り合ったのが、1877年にマグヌス・ベーメというドレスデンの音楽学者によって編纂された「古いドイツの歌の本」という、12世紀から17世紀までの660曲にも及ぶ歌を集めたアンソロジーです。この中の曲を素材にして作られたのが、「12のドイツの宗教的民謡」作品28と、「151617世紀の12のドイツ民謡」作品35です。それらからの抜粋がこのアルバムに収録されていますが、これは世界初録音となります。この曲集は彼の友人たちには好評を博しますが、ブラームスはあまり気に入らなかったようですね。
さらに1885年には、ヘルツォーゲンベルクはベルリン高等音楽院の作曲家の教授に就任します。その1年後に無伴奏の混声合唱のために作られたのが、「6つの歌(Gesänge)」作品57です。
例えば作品10と作品57の間には、作曲技法上に大きな変化が見られますが、全体的に彼の合唱曲はオーソドックスなスタイルを逸脱することはなく、心地よい和声と、それほど複雑ではない対位法に彩られたとても聴きやすい、あるいは演奏しやすい曲ばかりなのではないでしょうか。
ここで演奏している、1994年にプロの歌手たちによって設立された20人ほどの合唱団「アンサンブル・カンティッシモ」は、そんなある意味キャッチーな作品を、まさにあるがままに深い共感をもって歌っています。何よりも、それぞれのメンバーがとても慈しみ深い声で暖かい音楽を届けてくれていますし、合唱としてのハーモニーやフレージングも完璧、その、まさに「オーストリアの魂」に触れるような優しさは、ストレートに心に響きます。こんな、無抵抗に受け入れられる合唱を聴いたのは久しぶりのような気がします。中でも、作品10の4曲目、「夜の歌」のようなしっとりした曲などはまさに至福です。
指揮者はマルクス・ウツという人、こんな素敵な合唱団を相手にしていれば、病にかかることもないでしょう。

CD Artwork © Carus-Verlag

8月8日

Alone
Vincent Lucas(Fl)
INDÉSENS/INDE057


パリ管の首席フルート奏者、ヴァンサン・リュカのソロ・アルバムです。いや、これは文字通りの「ソロ・アルバム」、登場するのはフルーティストだけという、「フルート1本だけの曲」を集めたものです。
リュカは1966年(たぶん)生まれ、理科はあまり得意ではなく、幼少から音楽家を目指し、なんと14歳でパリの高等音楽院(コンセルヴァトワール)に入学したという「神童」です。卒業後は1984年から1989年まではトゥールーズ国立管、そして1989年から1994年まではベルリン・フィルに在籍していました。しかし、これらは首席奏者としてではなく、2番奏者としての契約だったようですね。ベルリン・フィルの首席は、この時期はツェラー、ブラウ、パユ以外にはいなかったはずですから。晴れて首席となったのは、パリ管に入団した1994年のことでした。それ以来、このオーケストラで活躍するかたわら、母校でも教壇に立っています。
このジャケット写真を見ると、普通のフルーティストとは違って、リッププレートをかなり内向きにセットしていることが分かります。まあ人それぞれですが、そうなると楽器全体を外側に回すことになり、右手などは手首が完全に楽器の上に来るという、見るからに吹きずらそうな形になってしまいます。でも、本人としてはこの方が吹きやすいのでしょうから、文句は言えません。そういえば、ベルリン・フィルのライブ映像を見た時に、そんな窮屈な格好で演奏しているフルーティストがいたような気がします。
フルート・ソロの曲で1枚のCDを作る時の、ひとつの見本のような曲目が、ここには並んでいます。まず外せないのはバッハの「無伴奏パルティータ」でしょうが、これを最初に持ってきて、さらに一番最後にバッハ・ジュニア(カール・フィリップ・エマニュエル)の「無伴奏フルート・ソナタ」を置くという、両端を18世紀に作られた曲で挟む趣向が、まず粋ですね。もちろん、その間はまさに「フルートの黄金時代」というべき20世紀の作品が並びます。
このバッハが、なんとものびのびとしたスタイルであるのには、なごみます。これがフランス人のエスプリというものなのでしょうが、堅苦しいと思われているバッハの音楽が、なんか、間に潤滑油でも垂らしたようにとても滑らかに聴こえます。彼、というか彼の国の人が大切にしているのが、垂直方向ではなく、水平方向の動きだという点も、とてもはっきり分かります。もちろん、そういうバッハに不満な人もたくさんいるでしょうから、あまりお勧めはできませんが、その流れの良さにはついそそられてしまいます。ただ、時折聞こえるトリルが、なんだか聴覚の限界を超えるほど早いのが、かなり耳触りではあります。これは、彼の楽器の構え方に関係しているのでしょうか。正直、この時代の音楽には全くふさわしいものではありません。
20世紀の部では、さぞやフランスものが集まっているだろうという予想を裏切って、ヒンデミットと、カルク・エラートというドイツ勢が幅をきかせていました。となると、さっきのバッハでの不満がやはり同じように襲ってくるのが分かります。ヒンデミットの「8つの小品」あたりは、やはりもうちょっとストイックな表現で迫ってほしいと思いますし、カルク・エラートの「ソナタ・アパッショナータ」も、この、ちょっと癖のある音列がここまであっさり吹かれていると、あまりに爽快すぎて物足りません。
となると、やはりイベールの「小品」とか、フェルーの「3つの小品」あたりが、まさに本領発揮ということになるのでしょう。豊かなビブラートに支えられて、「流れる」ように飛びまわる音たち、これぞ「おフランス」です。
そのフェルーの3曲目、「端陽」(12トラック)の冒頭で、ハムのようなノイズが入っています。これは明らかにエンジニアのミス、録音そのものも、演奏ノイズが変に強調されていて、とてもプロの仕事とは思えません。

CD Artwork © Indésens Records

8月6日

おわらない音楽
私の履歴書
小澤征爾著
日本経済新聞出版社刊
ISBN978-4-532-16933-6

小澤征爾さんの「自伝」と言えば、かなり若い時に著した「ボクの音楽武者修行」(発行されたのは1962年)が有名ですね。ただ、あれは本当に若い頃、まだニューヨーク・フィルの副指揮者に就任したあたりの、まさに「シンデレラ・ストーリー」の主人公として各方面から注目を集めていたあたりに書かれたものですから、小澤さんの生涯全体からしたら本当にわずかな一部分でしかないのはしょうがいないことです。実は、あの本以後に、彼はとんでもない問題にたち向かわなければならなくなり、それこそ「ストーリー」としては山あり谷ありの面白さが始まるのですがね。
その本は、現在でも文庫本で簡単に入手できますが、1980年に文庫化された時に「解説」を執筆した萩元晴彦が最後に書いた「『ボクの音楽武者修行』から20年、その後の物語は、いずれ小澤征爾自身か、或いは誰かによって書かれるだろう」という「予言」が実現するまでには、それからさらに30年以上も待たなければなりませんでした。
その待望の「物語」は、今年の1月1日から31日まで、日本経済新聞の朝刊に連載されました。それを一冊の本にまとめたものが、本書です。掲載日ごとに一つのテーマ、それが全部で30編しかないのは、1月2日が新聞休刊日だったためなのでしょうね。それは、おそらく「武者修行」のように小澤さんが自らペンを取ったものではなく、インタビューを受けて語ったことを誰かが本の体裁に整えた、という、昨今の「自叙伝」では当たり前になった手法が取られているのではないでしょうか。もちろん、そのあたりの技術は、このような分野だけではなく、各方面で長足の進歩を遂げていますから、そのような読みやすい文体の中からは小澤さんの「生の声」が的確に伝わってきます。それは、もしかしたら本人が書くよりもストレートに伝わる仕上がりになっているのでは、と思えるほどです。同じような手法ですが、小澤さんの言葉をそのまま本にした先日の村上春樹の著作に対して、こちらは充分に手をかけてあくまで簡潔な物言いの中から、本質的なことを浮きだたせるという、高度な操作が加わっているような気がします。
そんな文体ですから、非常に短い言葉でも激しく心を揺り動かされることがあります。中でも印象深いのが、「N響のボイコット」ではないでしょうか。この件については、今まで多くの人がそれぞれの立場から様々な見解を表明してきているはずですが、その最大の「当事者」である小澤さんの「真意」がここで語られているのには、ぜひ注目すべきです。どんな問題に直面しても、明るく前向きに臨んでいるという印象の非常に強い小澤さんが、ここでは「精神的にめちゃくちゃにやられた。泣いたし、悔しかった」とまで言っているのですから、やはりこれは彼にとっては未曽有の事態だったのでしょう。「スラヴァの説得」の章では、そんなダメージを負わされたオーケストラとの「和解」の模様が語られています。しかし、なにかそれは単に事象を淡々と述べているだけ、という印象しか受けません。
同じように「世間を騒がせた」天皇直訴事件についても、そのあたりの経緯がきちんと語られているのも、なにかほっとさせられます。
武満徹の出世作「ノヴェンバー・ステップス」が、文字通り世に出るために果たした小澤さんの絶大な貢献に関しても、詳細に事実関係が述べられています。ニューヨーク・フィルの委嘱作品として、そもそもは黛敏郎にと考えていたバーンスタインに武満を進言したのが小澤さんだということは、初めて知りました。もちろん、後に武満が公にする「こんな俗物の指揮者と仕事をしていたことを後悔している」という小澤批判については一切触れられていないのは、まさに小澤さんのおおらかさ、つまり人間としての器の大きさを物語るものに違いありません。

Book Artwork © Nikkei Publishing Inc.

おとといのおやぢに会える、か。


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