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ボーイソープランド。.... 渋谷塔一

(03/3/15-03/4/4)


4月4日

TAKIMITSU
And Then I Knew 'Twas Wind
Robert Aitken(Fl)
New Music Concerts Ensemble
NAXOS/8.555859J
好評のNAXOSの「日本作曲家選輯」も、ついに武満徹が登場です。1996年に没した武満徹、この並はずれて有名な現代作曲家は、最近になってさらにその人気が広範なものになってきているようです。その象徴的な現象は、レコード会社ではなく小学館という書籍の出版社からの個人全集の発行。かつて一家に一セット百科事典or美術全集という時代がありましたが、そんなノリで応接間の本棚が「ノヴェンバー・ステップス」や「カトレーン」で飾られる日が来ようとは。
このアルバムには、ロバート・エイトケンというカナダ(四国のエヒメケンではありません)で活躍しているフルーティストが中心になった室内楽作品が主に収録されています。武満がフルートという楽器を好んでいたことはよく知られていますが、中でも、ここで「ヴォイス」、「巡り」、「エア」という、フルート1本だけのための作品3曲を並べて聴けるのは、武満の作風の変化を実際に耳で味わえる点で、非常に興味深いものがあります。1971年の作品である「ヴォイス」は、今でこそ多くの演奏家によってリサイタルのレパートリーとして取り上げられることが多くなっていますが、作られた当時は、初演者のオーレル・ニコレという、そのころの現代音楽のスペシャリスト以外には演奏不可能とさえ思われた、超難曲だったのです。楽譜には見慣れた普通の音符などは一切書かれておらず、しかもフルート奏者は楽器の音だけではなく、自分の声で叫んだりつぶやいたりすることが求められるという、まさに「アヴァン・ギャルド」そのものでした。それが、1989年の「巡り」になると、確かに重音(同時にいくつかの音を出す奏法)やホイッスル・トーンといった、特集奏法の名残はありますが、曲自体は普通に歌うことの出来るリリカルなメロディーを持つようになります。これは、ポーラ・ロビソンという、ロマンティックが信条のフルーティストからの委嘱という事情もあるのでしょうが、確実に武満自身の作風の変化として、遺作となった1995年の「エア」への道へとつながっていくのです(実際、「巡り」と「エア」というこの2曲、どこか1カ所を取り出して聴いてみると、即座にはどちらかとは答えられないほど、よく似ています。そんなことを言ったら、彼の作品は全部同じではないか、などとは、分かっていても決して言ってはなりません・・・)。
演奏しているエイトケンという人は、生前の武満とはかなりの親交があって、古くは「MUSIC TODAY」、晩年には「八ヶ岳高原音楽祭」という、武満のプロデュースした企画の常連として、日本にもよく招かれていました。このアルバムが、作曲家と演奏家の信頼関係が生んだ、とても暖かい肌触りの仕上がりとなったのは、ひとえにエイトケンの共感に満ちた演奏のおかげでしょう。ただ、内輪だけのなれ合いが時としてぬるま湯的な物足りなさを生むように、武満の作品から、より実りのあるメッセージを受け取りたいと思っている人たちには、あるいは不満の残るものになってしまっているのかも知れませんが。

4月2日

MESSIAEN
Vingt Regards sur l'Enfant-Jésus
Martin Zehn(Pf)
ARTE NOVA/74321 85292 2
今回はメシアン「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」です。日頃からピアノ曲を聴くのは好きですが、なかでもこの曲は格別です。
ここで思い出話を一つ。幼い私の宝物は近くのレンズ工場で拾ってきたプリズムでした。ちょっとでも傷があると製品にはならないのでしょうね。工場の裏手に山のように出来損ないのプリズムがあってよく学校の帰り道に拾いに行ったものです。これを手に取って透かしてみるとどうでしょう!変幻極まりない光の乱舞が目の前に広がります。何の変哲もないガラスのかけらなのに、なぜ光を通すとこんなに美しく輝くのだろう?本当に不思議で、何時間眺めていても飽きることはありませんでした。
さて、初めてメシアンのこの曲を聴いたのはもう少し大きくなった時。お約束のベロフの演奏でしたが、何の予備知識もなく聴き始めたのに、閉じた眼の前にいきなり同じ光の乱舞が現れたような気がしました。「美しい」だけではなく、もっと違った気持ちを伴って。恐らくそれは畏怖だったのだと思います。それまで知っていたショパンやベートーヴェンなどのある意味規則がしっかりしていて、頭で聴く作品とは全く違った感覚に直接訴えかけてくる曲の数々。もちろんドビュッシーやラヴェルとも違う不思議な威圧感。確かにメシアンの持つ宗教性は良く論じられますね。もちろん意識的に表現している部分もあるでしょうし、特にこの曲には、1曲毎に表題も付いていますから、宗教と音楽を結びつける事は容易なのかも知れません。しかし、そんな「わかりやすさ」を超えた何かが宿っているような気がして、私はこの曲を聴き続けます。
しかし、今回のツェーンの演奏からは、残念ながら「何か」を感じることはできまつぇーんでした。あまりにもそっけなく淡々と楽譜を音にしている感じで、少し寂しい思いすらします。私が一番好きな、第15曲目の最初の3つの音・・・。たっぷりと響かせ、一つ一つ色を変えていくようなロリオ。あたりを伺うように静かに忍び寄るベロフ。冒頭から疲れてしまったかのようなオグドン。それらに比べると、ツェーンはただただ音を鳴らしている感じ。もちろん、それが「新しいメシアン演奏」と言われれば頷く他ありません。でも、もう少し祈りながら弾いて欲しいな・・・、と思ったのは事実。「あなたの思い入れが強すぎるんだ」と言われるかもしれませんが、それが許される世界なのだ、と一人で納得するおやぢでありました。

3月31日

POLENC
Les Mamelles de Tirésias
Ed Spanjaard/
Opera Trionfo
Nieuw Ensemble
BRILLIANT/92056
良く言われる話ですが、「オペラって一番最初は何から観ればよいですか?」と訊かれた場合、あなただったらどう答えますか?もちろん相手にもよりますね。かねてから目をつけていたカワイイおねえちゃんなら、いきなり「トリスタン」なんかに誘って、その気にさせるのも手でしょう。もちろん、帰りには「牛タン」で食事です。(エレクトラあたりで目覚めた人もいますね。)しかし、まあ一般的には「蝶々夫人」や「トスカ」、さもなければ「アイーダ」「椿姫」「魔笛」といったところでしょうか。来日公演も多いですしね。でも、こういうオペラは、一度聴いたら大好きになるか、はたまた大嫌いになるかのどちらかです。何しろ大掛かりでチケットも高い。なんと言っても長い!
もっと気楽にオペラを楽しむには、まず1幕物の気楽な演目がいいんじゃないかと思うのです。せっかちな現代人には1時間半くらいの拘束時間も魅力ですし。そんな条件にぴったりなのが、このプーランクの「ティレジアスの乳房」です。96年、サイトウキネンの名演が記憶に残ってますが、荒唐無稽なあらすじと、軽妙な音楽、そしておもちゃ箱をひっくりかえしたような演出は、まるでミュージカルをみているような楽しさを感じたものです。「オペラって結構楽しいじゃん」と思ってもらえるには絶好の演目ではないでしょうか。
そんな「ティレジアス」の新録音が、あの廉価盤レーベルBRILLIANTから発売されました。これはヴィスマンによる「室内楽ヴァージョン」による演奏でとても軽やかな響き。編成も響きも、あのシュトラウスの「ナクソス島のアリアドネ」に共通するものがあります。何しろこのOpera Trionfoというのは、マーラーユーゲントのような若手演奏家の団体で、それだからこそ既成の概念に捉われない、新しい方向性を探るプロジェクトが実現したのかも知れません。もちろん歌手達はまだ日本では全く無名ですが、この中からいずれ大歌手が出現するかもしれませんし。
オーケストラの短い序奏の後、ディレクターによってこのオペラのテーマが歌われます。ちょっと一本調子でどことなく芝居がかっているのは、歌い手が緊張しているのでしょうか?それともそういう演出なのでしょうか?息つく暇もなく、第1幕、ティレジアスの登場です。やはり多少の固さがあるとは言え、なかなかの歌いっぷりです。「私だって大統領になりたい」という気の強さ(ではなく、当たり前の主張だ)をかわいく表現しています。乳房が風船となってからは、本当にドタバタ騒ぎが始まりますが、ここからのテンポのよさは特筆すべきものでしょう。
本来はこのオペラから何か教訓めいたものを感じないといけないのでしょうが、このアルバムに関しては、ただただ楽しめば良いのではないでしょうか。それほどまでに楽しい56分間でした。指揮はあのボンファデッリの“椿姫”でおなじみ、スパンヤールです。

3月28日

Under the Stars
Renée Fleming(Sop)
Bryn Terfel(Bar)
Paul Gemignani/
Orchestra of Welsh National Opera
DECCA/473 250-2
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCD-1074(国内盤)
ブロードウェイ・ミュージカルを映画化した「シカゴ」がアメリカで大ヒット、しかも、アカデミー賞で作品賞など6部門を制覇してしまいました。もう少ししたら、この超大型エンタテインメント話題映画が日本でも公開されますから、今年は世間のミュージカルに対する認識が大きく変わる年になることでしょう。世の中には「オペラとミュージカルは違うからねぇ・・・」と、ミュージカルを軽くみているオペラ・ファンは多いものですが、これを契機に誰よりも“歌もの”を愛するオペラ・ファンが、ミュージカルの魅力に気がつくようになることは、果たしてあるのでしょうか。
そんなときにタイミングよく届けられたのが、このアルバムです。オペラ界を代表するスター、ルネ・フレミングとブリン・ターフェルが、オーケストラをバックにミュージカル・ナンバーを歌っているというものです。しかし、同じ“歌もの”とは言っても、オペラとミュージカルの間には厳然とした違いがあることも事実です。そのもっとも大きなものは、発声法と言葉。オペラ歌手が深く考えずにミュージカルに挑戦して見事に嘲笑の的となったケースを、私たちは何度体験してきたことでしょう。そのもっとも顕著な例が、たびたび引き合いに出される、○セ・カレーラスによる「ウェスト・サイド・ストーリー」です。英語もまともにしゃべれないスペイン人が、ベル・カント丸出しでミュージカルを歌って世間の顰蹙を買ってしまった醜い姿が、ここにはありました。
フレミングとターフェルというこの二人は、元々英語圏の住人ですから、そのような言葉の障害は何もありません。リブレットなどを見なくても、その美しい発音から、歌詞の内容がきちんと伝わってきます。特に、「76本のトロンボーン」(これって、ミュージカルナンバーだったんですね。初めて知りました。)の導入部でのターフェルの地のせりふは、迫力があります。発声にしても、立派にミュージカルとして通用する地声に近い発声を取り入れているのはさすがです。フレミングの最初の声が聞こえてきたときなどは、まるで別人と思ってしまいましたから。
ただ、それだけの配慮にもかかわらず、「オペラ座の怪人」の二重唱「オール・アイ・アスク・オブ・ユー」などは、オリジナル・キャストのサラ・ブライトマンとスティーブ・バートンの方が数段感銘深いものがあるのは、どういう訳なのでしょう。フレミングとターフェルの二人に染みついてしまっているオペラ的な表現法、もしかしたら真のミュージカル・ファンには鼻持ちならないものとして感じられてしまうものなのかも知れません。オペラ・ファンのみならず、ミュージカル・ファンからもそっぽを向かれかねない、そんなアルバムだと感じるのは、私だけでしょうか。さて、どうするミュージカル・ファン。

3月26日

BARTÓK
Bluebeard's Castle
Cornelia Kallisch(MS)
Péter Fried(Bar)
Peter Eötvös/
Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR
HÄNSSLER/CD 93.070
バルトークの作品が、この「おやぢの部屋」ではほとんど紹介されていないのは、酸っぱいから担当者がバルトークを嫌っているというわけでは決してありません(それはバルサミコ)。かつてはその精緻な作曲技法(黄金分割とか)に魅了されて「寝ても明けてもバルトーク」という時代が確かにあったのです。ただ、最近はもっとほかに聴きたいものが出てきたので、少し遠ざかっていたというだけのことです。そんな、バルトーク漬けの日々に聴いたのが、ブーレーズの「青ひげ」でした。ユディット役のタチアーナ・トロヤノスの抑制された表現と、もちろん、ブーレーズの冷徹なオケの響きに魅了されて、それこそ擦り切れるほど(LPでした)聴き込んだものです。最近になって、ブーレーズはジェシー・ノーマンと再録音を行いました。ノーマンの歌は元来とてつもなくドラマティックなものなのでしょうが、ここではブーレーズの趣味に合わせてかなり抑制された仕上がり、これもなかなか魅力的なアルバムでした。
だから、最新録音の、このエトヴェシュ盤を聴いたときには、軽いとまどいを覚えざるを得ませんでした。カリッシュのユディットのなんと「クサイ」ことでしょう。まるでイタリアオペラのようなむき出しの感情表現、これにはいささか引いてしまいます。しかし、よく考えてみれば、このバルトークの作品は紛れもない「オペラ」なのですから、このように直接的にお客さんにアピールするような歌い方だってあっても構わないわけです。そう、これは、ブーレーズのような醒めた「歌物語」ではなく、紛う方無き「オペラ」としての演奏だったのです。しかも、聴衆を前にしたライブ録音、訴えかけの多いものになるのは当然のことでしょう。
そのような聴き方のスタンスになってくると、今まであまり感じることの出来なかったこの曲のスペクタクルな側面がよく見えてきます。城に入ってきたユディットのバックで流れる無機質なオスティナートにさえ、ある種不気味な雰囲気が漂っていることに気づくことでしょう。そして、禁断の扉のそれぞれの場面につけられた音楽の、リアリティにあふれていることにも、今さらながら驚かされます。「拷問部屋」での、凍り付くようなシロフォンのアルペジオ、「武器の部屋」での、何ともノーテンキなトランペット、「宝石部屋」でのチェレスタの煌めくような輝き、「秘密の庭園」でののどかなホルン、そして、圧巻はもちろん「青ひげの領地」での、トゥッティによる長三和音攻撃です。それに続く、「涙の湖」、そして青ひげの過去の愛人が登場する場面でも、この華やかさは続きます。実は、このオーケストラはつい最近ノリントンの「第9」で禁欲的なサウンドを堪能したばかり。そのキャパシティの大きさには、驚異的なものを感じないではいられません。青ひげ役のフリートは、ちょっと技術的に不安定なのが、惜しまれますが。

3月24日

Voyage de Chopin
高橋多佳子(Pf)
TRITON/DICC-28015
今年のアカデミー賞では監督賞、主演男優賞、そして脚色賞を獲得した、かの「戦場のピアニスト」はご覧になりましたか?あくまでも「ポランスキーの映像美」を堪能すること。そして廃墟と化したポーランドの町並みのセットを鑑賞すること。さらに、原作より幾分ドラマチックに脚色された、シュピルマンの演奏シーンを心行くまで味わうこと。この3点に絞れば、ほんとに素晴らしい映画(らしいの)です。実は・・・・へそ曲がりな私は原作を読んだだけで映画を見ていないので大きなことが言えないのですが。なんでも、サバイバル生活で垢にまみれた主人公の入浴シーンが感動的だとか(それは「銭湯のピアニスト」)。
さて、現在の日本で、ショパンとこの映画について語らせたら右に出る者はいないであろう、高橋多佳子さんの新譜を入手しました。何しろ彼女は1990年のショパン・コンクールでの入賞を始め、様々なコンクールの入賞歴を持ち、既にショパンのCDも4枚リリースしている実力派です。その上、この「戦場のピアニスト」のプロモーション活動もされているとの事。最初は「ポーランドに住んだことがあるからというだけで担ぎ出されているのか」と思ったものですが、ひょんな事から、彼女と実際にお逢いする機会を持つ事ができ、そんな不躾な考えはキレイさっぱりと消し飛んでしまいました。シュピルマンとも一方ならぬ縁で結ばれている彼女のお話は、全く説得力のあるもので、まさに「ショパンの語り部」と言っても過言でないと申し上げておきます。
さて、その彼女の新譜「ショパンの旅路V 霊感の泉」です。ショパンの決して長くない生涯を追いながら、年代別に曲を集め録音していくシリーズで、先日ご紹介したエル=バシャも同じやり方でしたっけ。今回のアルバムは、184244年の作品。バラード、スケルツォの第4番。即興曲の第3番、そして英雄ポロネーズなど、まさにショパンのおいしいとこ取りと言った感じの選曲になってます。曲自体が持つ芸術性の高さは、もう言わずと知れたこと。演奏の難易度も高く、まさに究極のピアノ曲集と言っても良いでしょう。彼女の演奏は、とにかくどの曲にも細やかな表情が溢れていて、それが言葉に尽くせないほど素晴らしいのです。これは、若手にありがちな技術と力で押しまくるものとは全く違います。そして、もしかしたら聴き手も一緒になって、ショパンの気持ちを推し量る事が要求されるかもしれません。例えばバラード第4番を聴いていて、とても耳に残った部分があったのですが彼女の話によると、まさにそこが大好きな部分だったそうで、「それがストレートに伝わって来ましたよ」と伝えたときの高橋さんのうれしそうな顔が、この場でお伝えできないのが残念でなりません。かくの如く、「ああ、この人は本当に楽しんでピアノを演奏しているな」と聴き手が思わず頷いてしまうような説得力は、恐らく彼女が完璧に演奏する対象を見極めているからこそ出てくるものでしょう。
自分の思いを伝えること・・・これが演奏家の必須条件の一つなのだとしたら、彼女は完璧にそれをクリアしています。

3月21日

BEETHOVEN
Symphony No.9
Roger Norrington/
Gächinger Kantorei Stuttgart
Radio-Sinfonieorchester Stuttgart des SWR
HÄNSSLER/CD 93.088
(輸入盤)
キングレコード
/KKCC-4366(国内盤)
かつて、オリジナル楽器の指揮者として、手兵のオリジナル系オーケストラ、ロンドン・クラシカル・プレイヤーズを率いて数々の録音を残していたロジャー・ノリントンは、今ではシュトゥットガルト放送交響楽団のシェフとして、モダンオーケストラ市場に新鮮な息吹を与え続けています。同じような経歴を持つ指揮者に、少し前にやはりベートーヴェンのピアノ協奏曲の新盤をご紹介したニコラウス・アーノンクールがいますが、出自は似ていてもその音楽の目指すところは全く別のものになっていることに気づいている人は、果たしてどのぐらいいることでしょう。アーノンクールがやっているのはどんな作曲家の作品でも、すべて自分の型に押し込めること。好きな人はたまらないでしょうが、少なくとも、演奏を通して作曲家のメッセージを受け取りたいと思っている真摯なリスナーにとっては、その姿勢は作曲家に対する冒涜以外の何者でもありません。それに対して、ノリントンの場合は、ある種奇異な表現は須く音楽を緊張を持って聴いてもらうための方法、彼の根底にあるのは、どんな場合でも作品に対する畏敬の念なのです。
この最新の「第9」、彼はその独特な解釈で、今まで見えにくかった新たなベートーヴェン像を見事に浮き上がらせることに成功しています。特に興味を惹くのが、第2楽章と第3楽章のキャラクター設定です。第1楽章での、オリジナル系特有のとてつもなく速いテンポと、スタッカートを多用した鋭角的な音楽から期待されるものを見事に裏切った、極端にモッサリした第2楽章。しかし、このテンポによって、重なり合った楽器のそれぞれの役割が、実に見事に描き出されていることに、誰しも気づくはずです。そして、たっぷりした味わいのトリオからは、あたかも第3楽章を先取りしたかのような、安らかな音楽を聴くことができるでしょう。ですから、第3楽章では、もはや、今までの指揮者がやっていたようなベタベタした歌い回しは全く必要なくなるのです。その代わり、私たちが気づかされるのが、この楽章の変奏曲としての性格。ノン・ビブラートの弦楽器によってほとんど素っ気なく歌われる2つの主題が、回を重ねるごとに劇的に変貌を遂げてゆく様を、これほどまでに生々しく体験させてくれる演奏が、かつて存在したでしょうか。
第4楽章で登場する合唱団は、あのゲヒンガー・カントライ。バッハの作品を日常的に演奏していて、このレーベルの「バッハ全集」での重要なメンバーとして世界にその名を知られた団体です。ここではノリントンの指揮の下、過剰な思い入れを廃した、とてもクールな合唱を聴かせてくれています。何よりも、バッハで鍛えたテキストを的確に読む力で、必要以上に誇張されていないメッセージを伝えることに成功しているのではないでしょうか。曲の最後では、まさにどんでん返しとでも言っていい意表をついた表現が見られます。普通は勢いに乗ってただただ突き進むだけのこの部分、これほどまでに面白く味わうことができるのは、ほとんど奇跡に近いものがあります。こんな面白さ、アーノンクールから味わうことなどできますか?

3月19日

BEETHOVEN
Piano Sonatas Nos.22,23,24,27
Maurizio Pollini(Pf)
DG/474 451-2
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCG-1143(国内盤 3月26日発売予定)
昨年話題になった「ポリーニ・プロジェクト」はかなり好評だったと聞いてます。現代曲と馴染みのある曲を絶妙に組み合わせ、新しい響きも自然と耳に馴染ませるという趣向。たしかに、面白そうなプログラムもたくさんあって、実際に聴きに行きたかったのですが、なかなか時間が取れません。知り合いが「今日は熱情を聴きに行くんだ」と言っているのを聞いても、「そんなまがい物(それは捏造)なんていいやい」と、うらやましいくせに負け惜しみを言う私。
因みに、その1113日のプログラムです。もちろんピアノはポリーニ。
ブラームス : 幻想曲集 Op.116
ウェーベルン : ピアノのための変奏曲 Op.27
シュトックハウゼン : ピアノ曲 V、ピアノ曲 IX
ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ 第24番 嬰ヘ長調 Op.78
ベートーヴェン : ピアノ・ソナタ 第23番 へ短調 Op.57 「熱情」
これを見れば、ファンならずとも会場に足を運びたくなってしまうことでしょう。
で、実演を聴いた人も聴かなかった人も、待ちに待っていたが、今回のアルバムです。これにはソナタの23番も24番も収録されています。その上期間限定で、この2曲の別テイクがボーナスCDとしてついてくる!という、まさに至れり尽せりの2枚組み。この演奏については、もうじきいろんなところで取り上げられるでしょうから、私の拙い感想は差し控えることにしましょう。
私は「へそ曲がり」と言われるかもしれませんが、一番楽しみにしていたのが第27番でした。この曲はたった2楽章の短い曲ですが、ベートーヴェン後期特有の深い精神性と、美しいメロディが散りばめられた佳品です。この一見何気ない曲をポリーニが弾いたらどうなるか・・・。第1楽章の第1主題。問いと答えの繰り返しのような冒頭。ここの対比が素晴らしいです。しかしながら、やはりポリーニの演奏は昔と随分変わりましたね。以前、シューマンを聴いた時も感じたのですが、昔のポリーニ、そうあの伝説のショパンのエチュードの頃だったら絶対にありえなかったようなテンポの微妙な揺れ。これが至るところに散見します。聴き進むにつれ、もっと驚いたことに「鼻歌らしきもの」まで聞こえてくるではありませんか!そして、穏やかな第2楽章。この味わい深さは言葉では語り尽くせません。ポリーニを聴いて幸せな気分になることなどあり得ない、と思っていた私。すっかりその考えが変わったのでありました。やはりこれはスゴイ1枚です。

3月17日

DAMASE,UEBAYASHI
Works for Flute
清水信貴(Fl)
Jean-Michel Damase(Pf)
LIVE NOTES/WWCC-7434
(3月25日発売予定)
今年75歳を迎えたフランスの作曲家ジャン・ミシェル・ダマーズという人の名前は、あるいはそれほど耳にしたことはないかも知れません。「そんなこと言って、まただまーすのね」などと言わないでください。日本ではごく一部の人以外にはほとんど知られてはいませんが、オペラから交響曲、協奏曲、室内楽曲と膨大な数の作品を世に送っている、れっきとした作曲家なのですから。その「一部」というのは、フルートなどの管楽器やハープの愛好家。フランス印象派の流れを今に伝えるこれらの楽器のために作られた多くの作品は、これらの分野では欠かせないレパートリーとして、多くのファンを持っているのです。特に、ランパルとラスキーヌという、かつてのフルートとハープの第一人者のために作られた「フルートとハープのためのソナタ」は、ランパルたちのERATOへの録音で、広く聴かれています。
コルトーの弟子であるダマーズは、ピアニストとしても活躍しています(あるいは、こちらの方が本業と言っても構わないでしょう)。そんなダマーズと、京都市交響楽団の首席フルート奏者清水信貴さんが共演した自作自演のアルバムが発売されました。この二人は、最近フランスや日本で多くのコンサートを開いている、年は離れていますが「気心の知れた」相手同士。息の合った演奏を聴かせてくれています。さらに、ダマーズ自身の録音などほとんど存在していませんでしたから、その意味でも大変貴重なアルバムとなります。そのダマーズのピアノ、一聴して大変繊細なタッチであることがわかります。しかも、煌めくようなエスプリに満ちたパッセージ、同じく繊細で伸びのある清水さんのフルートと相まって、理想的なダマーズの世界が繰り広げられています。「ソナタ」の品の良さ、「変奏曲」の超絶技巧と、聴き応えは十分です。
カップリングとして収録されているのは、京都出身でパリ在住の若手作曲家、上林裕子さんの、やはりフルートとピアノのための作品集、ここで演奏している二人のために作られたもので、初演も、もちろん彼らが行っています(時間的にはこちらの方が長いので、あるいはダマーズではなくこちらがメインにも思えるほど)。上林さんの曲は、ダマーズの音楽と並べても全く違和感のない、やはりフランス印象派のテイストにあふれた魅力的なもの。その上に、まるで映画音楽のような親しみやすさと、ほんの少しミニマル・ミュージックの要素が入っているでしょうか。たとえば、1998年の作品「オルシアの物語」という曲は、4つの楽章から成るフルートソナタのような構成を持っていますが、それらの要素が楽章ごとに盛り込まれていてとても聴きやすい仕上がりになっています。最後の曲など、シンコペーションを多用した浮き立つような曲想、実際に生の演奏に立ち会えば、印象的なフレーズがしばらくの間は耳から離れず、心地よい後味となって残ることでしょう。

3月15日

BRAHMS
Ein Deutsches Requiem
Karl-Friedrich Beringer/
Windsbacher Knabenchor
Deutsches Symphonie-Orchester Berlin
RONDEAU ROP2020
「少年合唱」というジャンルは、とりわけ日本で大切にされていると申せましょう。大御所であるウィーン少年合唱団を始め、テルツ少年合唱団、最近では、ボーイズ・エア・クワイアなど、一瞬の美を永遠に閉じ込めた感のある彼らの透明な歌声を愛好する人(特に若い女性たち)は後を絶ちません。しかし、訊いた話によると、欧米では「ボーイソプラノ」は一種の通過点としか認識されていないのだとか。彼らは、声変わりも当然の事として受け止めるため、日本のインタヴュアーがことさら「一瞬のはかない美」を強調したところで、「?」の反応しか戻ってこないそうです。
さて、ウィンズバッハ少年合唱団です。この合唱団は最近立て続けに良いアルバムを発表していて、好事家の間で話題になっている団体で、ここでも2年程前に「モテット集」を取り上げましたっけ。(あのブルックナーは良かった!)それからも、別のモテット集(これも面白かった)をリリースしたかと思えば、次には何とストラヴィンスキーの「詩篇交響曲」をボーイソプラノで演奏するという、少々無謀な試みまで。さすがにストラヴィンスキーはあまりにもミスマッチだったので、(私は好きですが)次こそはと、期待していたのです。そうしたところ、今回はブラームスの「ドイツ・レクイエム」というのだから、この合唱団のチャレンジ精神には、思わず感嘆の声をあげずにはいられません。
さて、肝心の演奏です。少年合唱と言えども、もちろんOBも参加しているので低音の響きは全く申し分ありません。とは言え、聴きなれた音とはかなり異質な響きです。例えば、手元に名演で知られるコルボ、デンマーク放送響&合唱団の音がありますが、冒頭の柔らかい響きで導かれる「悲しんでいる人たちはさいわいである」からその違いは明らかです。コルボの演奏が、ひたすら柔和で暖かく包み込むのに対して、こちらはただただ清冽で、少し人を寄せ付けない高貴ささえ感じられます。「ボーイソプラノって天使の声ね」と若きおねえちゃんが大騒ぎする気持ちが少しだけわかる一瞬です。
このアルバムで嬉しいのは、私の好きなユリアーネ・バンゼもソロとして参加していること。いつものことながら、落ち着いた美声で「このように、あなたがたも今は不安があるが・・・」と歌われると、「はいはい、仰せの通り」と頷いてしまいますよ。
しかし、某雑誌に載っていた通り、シュテファン・ゲンツだけはちょっといただけません。声は美しいのですが、なんだか表面上を軽くなぞっているだけ。メンツをかなぐり捨てて、もう少し悲しみや苦悩にのた打ち回ることができれば、彼ももっと評価されるでしょうに。
なにはともあれ、「ドイツ・レクイエム」は渋すぎて。と敬遠している方に、ぜひオススメしたい1枚です。

おとといのおやぢに会える、か。


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