香港-シンセン(ShenZhen)

1997.7.19-21


香港は93年に引き続いて二回目。今回は中国に返還された直後であり、 以前とどう変わったかというのも興味の一つであった。
今回は中国の深せんに行くのがメインの目的であった。

香港

例によって空港からバスにのって尖沙阻に行き、重慶大履で降り、安宿にチェックインした。 ゲストハウスの値段も値上がりしており、kowloon guest houseというところに、2泊330H$で泊まった。
今回は、時間がなかったから、交渉が甘くなったようであり、もっと時間があれば安くなったと思う。 ちなみに、93年のときは、一泊ドミトリーで50H$であった。 (東南アジア編へ)
しかし、ちょうど返還時期にいった人はとんでもなく値上がりしていて、大変だったらしい。 重慶大履の中のゲストハウスでさえ、一泊3-400H$というボリようだったそうだ。 まさに、香港人のしたたかさである。
しかし、そのおかげで返還後はさっぱり旅行者が来ないとのことであるが。
尖沙阻では、まず床屋に行き、足裏マッサージに行った。 この足裏マッサージは古来中国の伝統があり、全身マッサージと並ぶようにきちんと資格がある。 足の裏に全身とつながるツボがあるそうで、全身と関連するという理論である。 真偽、効果のほど走らないが、結構気持ちよかった。 これは、中国独自のものであり、香港では結構目にする。

シンセン-深せん(ShenZhen)

シンセンは漢字で深+土辺に川と書く。ワープロ上、漢字が出ないので、ここでは深せんと書くことにする。
深せんは香港から列車で行き、中国に入った国境の町である。経済特区になっていて、 中国でありながら、経済の自由化がなされており、香港からはその物価の安さから、 買い物に来る香港人が絶えない。しかし、逆に中国人が香港側に行くことは厳しく制限されている。
深せんには電車でいくことができる。しかし、切符を買うのが一苦労だった。 というのは当たり前なのだが、窓口で「シンセン」までといってもまったく理解されない。 日本人には盲点なのなのだが、漢字に引きづられて発音してしまう。 中国語では「ShenZhen」とよみ、発音も難しい。しかも大変な行列であり、 周囲の人間も自分が切符を買うことに集中していて助けてくれない。 窓口の係員も、ガイドブックを出したりしても、めんどくさそうにいやな顔をする。
戦いであった。
列車を降りると、深せんへの入国手続きで大変な行列となり、かなりの時間を取られた。 すでに、統一後であり、香港も中国の一部なのだが、 深せんに行くには入国審査があるという妙な具合になっている。 しかし、香港人にとっては手続きは簡単でほとんど素通り状態である。
他の外国人はビザが必要だが、 深せんに限って入国できる日帰り用のビザが5元でもらえるようになっている。 入国手続きの前に、ビザ用のコーナーがあるので、そこで必要事項を書けば15分ほどで取得できた。
日本人なだけに、少々面倒な手続きがあったものの、何とか入国に成功。深せんの町に入った。
中国には良くありがちな話なのだが、特に深せんは異様に人工的な町である。 もともと、何もなかったところに、町を作ったようで、妙に近代的なビルが建つかと思えば、 ちょっと離れたところは全くの野原である。また、そのビルの形が芸術的というか、 近代的というか、変わっている。中国政府の考えで、国家の威信をかけて特徴のあるビルにしたのだろうが、 妙に浮いているのだ。こういった、ミスマッチ感というのは、中国特有のもので、 前に広州に行ったときに感じたのと同じであった。

香港

再び香港にもどり、 前回、いけなかったヴィクトリアピークに行くことにした。
ピークに行くには、ピークトラムで8分。往復23H$ 。日曜であったこともあり、非常に混んでいた。
ピークにはピークタワーがあり、そこから香港が一望できる。狭い範囲に高層ビルが乱立しており、 港との対比が特徴のある景色である。ピークトラム以外にも、ミニバスなどでもいけるらしいので、 時間のある人は試してみるといいかも。
その後、香港島の中環にいくと、そこらじゅうに若い女性が座り込んでいる。その数、数百人くらいいる。 一体なにが始まるのかと思ったら、どうもこの人たちは、フィリピンからの出稼ぎの人たちであり、 週末に集まって、仲間で過ごしているらしい。彼らを相手にして、パフォーマンスなども行われている。 日本にもアジアから、出稼ぎ労働者が沢山きているが、あまり公共の場で目にすることはない。 同じアジア間でも、こんな関係があるか思うと複雑である。