東南アジア周遊の旅
1993.7.17‐8.14
シンガポール
7.17 17:30頃、20分おくれで成田発、シンガポールに23:00着。空港より390番のバスで市内まで来る。
夜遅いので、少し心配だったが、そんな遅い時間でも女性が外を歩いているのが見えたので、治安はさほど心配なさそうで一安心。
Bencoolen St.を目指していった。4-5件回ったが、フルで断れて、途方にくれているところを、Peony mantionの人に声をかけられた。
半信半疑で付いていくも、ドミトリー7S$(1S$=68.6円)で納得。バックパッカー宿なので、泊まることにした。
ドミトリーは男女兼用で二段ベッドが5つ。他はシングルが12室ある。その日は遅いので即寝た。
翌日午前中は歩いて、マーライオンや戦没者記念碑などを見る。マーライオンは小さくてちょっとがっかりである。
午後はチャイナタウンに行く。
どこのチャイナタウンもそうだろうが、このときはチャイナタウンが初めてだったので、東南アジアの熱気を感じることが出来で興奮した。
ここには地下鉄で行くことができる。シンガポールの地下鉄はきれいである。治安も問題ない。
夜はマリーナベイ近くの公園の屋台で食べた。丁度独立フェスティバル中で花火などもやっていて、にぎわっていた。
食事のオーダーは簡単である。ミー(mee)が麺、ナシ(nasi)が米。
ゴーレン(goreng)が揚げる、クワ(kuah)がスープ。この4つの組み合わせで、4種類の食事をオーダーできる。
ミーゴーレンが焼きそば、ナシゴーレンはチャーハン。ナシクワは雑炊、ミークワがスープ麺になる。
7.19 トラベルエージェンシーを探して、クアラプンプール行きのバスをアレンジした。
片道25S$。ややぼられ気味。通常は18S$だそうだ。昼の食事をとっていると、老人が日本語で話し掛けてきた。
昔軍隊でメカニックをやっておりその時教わったらしい。やはり、太平洋戦争の爪あとはまだ残っている。
バスターミナルノ近くの公園でぶらぶらしていると競技用ボートを漕いでいる人がいた。
現役ボート部の私としては見過ごせない。近くで見てみると、なんと日本製のボートだった。一人で大興奮。
その後、夜行バスに乗りクアラプンプールに出発した。
クアラルンプール (マレーシア)
7.20 朝3時にクアラルンプール着。バスターミナルの中で睡眠。6時過ぎに鉄道駅方面に向かう。
そこで、ターバンをまいたインド人風の人を目撃する。しばし見ているとおもむろに懐から携帯電話を出した。
ターバンと携帯電話の組み合わせがおかしい。しかし、これが現実なんだなと思った。
駅のインフォメーションで地図を買い、新聞で日本の総選挙結果を聞く.自民党が負けたらしい。
そこから、宿探し。Lee Mum Guest House に行った。初め聞くとシングルしかないという。
しかし、どう見ても部屋は空き放題。粘りに粘ってドミトリーを8M$(1M$は約2/3S$)
で確保した。ここで、韓国人のJoeng(男性)、イギリス人のJulie(女性)と会う。
Joengはソウル大学の学生で年代も近く話しが合う。
Julieはマンチェスター出身で昨年の10月からインド、ネパール、スリランカ、タイと回ってきたというつわもの。
これからシンガポール、オーストラリアといって来年の1月に帰るとのこと。
髪の毛はレゲエで、鼻ピアスやら、足の指輪やらジャラジャラしてる。すごい感じ。
この日は、JeongとNational Mosqueに行く。短パン、Tシャツの我々は上に羽織る長い服を着せられたが中に入ることが出来た。
写真もOK。その後Hindu templeにも行く。今度は派手派手の寺院に驚く。宗教によってこんなにも違うものかと驚いた。
この時点で一つ心配だったのは、タイは陸路で入るときにはビザが必要であるといううわさである。
ガイドブックに書いてあったりするが、実際は必要ないという情報がある。日本大使館に電話しても、良く分からないとのこと。
だめもとで行ってみることにした。
翌日はJeongと一緒に Batu caveに行く。バスを乗り継いで(0.60M$x2)で到着。
長い階段を上っていき、Caveにつく。中は上から漏れてくる光が幻想的な雰囲気を創っている。
そこから、バスで戻って、Paki houseというマレーシアの旧家に行く。賽銭1ドル。
夜はJeongと一緒にチャイナタウンに行き、食事をしてビールを飲んだ。12M$は安いと思った。
このまま夜行バス(20M$)でペナンに行く。Jeongとは一端ここで分かれるが、バンコクのBonny Guest Houseで会うことを約束した。
ペナン (マレーシア)
7.22ペナンにも早朝着く。日が昇るまで近くの店で食事。中国茶、スープ、ライスで6M$だった。
そこから安宿街であるLebuh Chuliaに行く。Guest Houseを捜してPlaza Hostelにチェックイン。
一泊ドミトリーで6M$。日本人にもここで初めて会った。
宿のオヤジは情報通であった。
タイのビザは15日以内なら陸路でも必要ないとのこと。一安心
落ち着いてから早速観光に行く。初めはバスを乗り継ぎ(1.1M$x2)Snake Templeに行く。
ここは名前のごとく蛇のいる寺である。賽銭1M$.
そこからすこし町をぶらつきながら帰った。
ここで、この旅、初めてのトラブルあり。
財布ごとお金を無くした。なかには50M$くらい入っていた。しょうがないので、財布を買いに行く。
しかし、大きなお金は首からつるしていたので助かった。
その後ゲストハウスの近くにあるKapitan Kling Mosqueに行く。ここは中には入れなかった。
そこからYimTempleに行った。ここは古い中国寺院であり、古い彫刻が見どころである。
ゲストハウスのドミトリーは2段ベッドの上に寝たが、その下にいたアメリカ人のChrisと話をした。
彼はタイのほうからシンガポールを目指しているという反対のルートをとっていた。
ペナンの前はKrabiから船にのってRai Lay Beachに行ったとのこと。非常に美しかったと絶賛していた。
自分はプーケットに行くつもりだと言うと、プーケットはツーリスティックでよくない、是非Rai Lay Beachに行けという。
これだけ言うならと、予定を変更してRai Layにいくことにした。
こういう情報交換ができるのがドミトリーのメリットであり、自由旅行の醍醐味である。
Chrisと彼のともだちのカナダ人と食事に行った。3人での会話は私に話をふるときにはslow downし、
彼らの間ではすばやいという変な会話。だが、まだついていけた。
しかし、その後ビールを飲みに行こうということになり、行ったらそこにオーストラリア人とニュージーランド人の二人組がいて、
ネイティブ4人に囲まれてしまう。こうなるともう駄目。酒も入っているし、会話もスピードアップし完全にフォローできなくなった。
しかし、彼らも私に気を使って時々話を振ってくる。しかし、全く分からないという厳しい英会話レッスンとなった。
いかさま英語でそこそこ用を足せていたので、少し自信がついていただけに、自分の実力を思い知って少し落ち込んだ。
翌日朝起きて、Krabi行きのバスをブッキングする。23M$。朝食は近くの店でカレーを食べる(2M$)。
うわさでは聞いていたが、現地の人間は手で食べていたのを実際に目にして驚いた。
その後、バス(1.1M$)でビーチに行った。行った先はリゾートホテルの立ち並ぶ場所。
近代化されているビーチで、パラセイリングやらバナナボートやらで楽しむらしい。
しかし、私が求めていたものとは違った。
まあ、リゾートツアーはこういうところに来ているんだということが分かったのは収穫かもしれない。
日本人ということで、プライベートビーチに勝手に入り込んで、寝ていたが何もいわれなかった。
そこで、ムスリムの服を来たマレーシア人の男に会い、ちょっと話をした。
彼は13人兄弟で16人家族。結婚はしてないが日本人の女性旅行者との間に子供が出来たとのこと。
彼女の実家は四国だなど。
本当かどうか分からないけど、ビーチボーイと親密になる日本人旅行者の話は聞いたことがあるので、もしかしたら本当かもしれない。
その後、Chayamangkalaramに行き、全長32mのReclining Buddaを見た。
Reclining Buddaはタイのほうで一般的だそうで、ここは元タイの寺院だったらしい。
全体に派手派手なカラーリングで日本人にとってはなかなか慣れない。
ライレイビーチ (マレーシア)
7.24早朝4:00に出発。ミニバスに乗ってそのままハジャイまで行く。タイに入国。入国税10B(バーツ)。
(1B=4.2円)そこからバスを乗り換えて、Krabiに向かった。マレーシアとタイは時差1時間。
ひたすら走って午後2時半にKrabiに到着した。Krabiからさらにボート(45B)でRai Layに向かう。
途中大雨が降ってきた。そう、この時期タイの西海岸は雨期になる。時期的には悪い時期に当たってしまった。
Rai Lay Beachに着いて、Sunrise Bay Bungalowsというバンガローに宿泊することにした。(一泊100B)
バンガローはヤモリが這ってるものの、蚊取り線香が必要だった。翌日はのんびり過ごす。
午前中はあいにくの雨だったが、午後には晴れて、付近を散策した。食事は受付の小屋で食べる。
大体一食50バーツほどである。因みに二泊目は80Bに割引となった。夜は野外で映画鑑賞。
英語バージョンのタイ語字幕スーパーで、良く分からなかった。
7.26、朝10:00発のボートでKrabiに戻った(40B)。
Krabiで食事をすると、19Bでカレーとコーラが食べれた。どうもRai Layは観光料金で物価が高かったらしい。
Krabiを午後4:00にでるバスでバンコクへ向かった。(Krabi-バンコクが350B。)
東南アジアのバスは基本的に冷房が効いているがこのバンコク行きのバスは寒いくらいの冷房がきいており、長袖が必要であった。
外は暑いので極端である。これがステイタスなのかもしれない。
翌早朝にバンコクに着いた。
バンコク (タイ)

7.27 バスは直接カオサンに着いた。
そのままクアラルンプールで約束したBonny Guest Houseに行った。ドミトリー一泊50バーツ。Jeongとも無事再会を果たした。
その後、カオサンで少し買い物をして、Jeongと一緒にバスに乗ってSiam Squareに行った(3.5B)。
バンコクそごうに行き、入口でタイ舞踊を見た。
そこからバスでLumphini Parkへ行き、Patpong通りに行って食事をした。その後Jeongと分かれて、Wat Phoを見学。
(入場料10B)派手派手の寺は印象的であった。
その後チャオプラヤ川の対岸にあるWat Arunにボートでわたる。ボート1B、入場料10B。
Wat Arunはピラミッド型の寺で石段を上まで登るとバンコク市内が見渡せる。
丁度雨が上がったばかりで虹がでていた。チャオプラヤ川にかかる虹は絵になった。
トゥクトゥクというバイクタクシーは便利だが、夕方の渋滞時には値段が跳ね上がる。
通常10-20Bのところを80Bなどと吹っかけてきた。
バンコクの渋滞はひどく、車は全く動かなくなるので、早く行きたいときは車の間をすり抜けて行くトゥクトゥクは確かに便利ではある。
こちらの足元をみているので、向こうもなかなか値切りに応じない。料金交渉の末、結局60Bで手を打った。
しかしいかさまな話である。
7.28 朝起きると同室にデンマーク人のAllanが来た。彼は大学院生でマレーシアでstudyをしてきたあと旅行をしているらしい。
こういったドミトリーでは次々に新しい旅行者が入ってきては去っていく。いろんな人と友達になれるというのが、いいところである。
朝食はJeongと一緒に近くの飯屋で39Bで食べた。ここカオサンは旅行者が必要なものは何でもそろっている。
食事も安いし、旅行代理店は沢山ある。みやげ物も安く、服も安く買える。
近くのクリーニング屋でクリーニングも20B程でやってくれた。
とても快適なので、思わず観光もせずぶらぶらしている旅行者も多い。
しかし、我々は精力的に観光をした。
午前中はタマサート大学へ行った。ここはタイの名門大学である。
学食で食事を食べたが、10Bで食事が食べれた。やはり安い。しかし、夏のバンコクは暑く、外に長時間いるのは厳しい。
またカオサンに戻ってきて、近くのカフェで映画をみながら水を飲み、涼んだ。
翌日にはバンコクを出て、コパンガン(パンガン島)に行くために、バスを予約した。
丁度フェスティバルの前であることもあり、値段はかなり高く350Bしたが、無事予約完了。その後宿に帰り少し寝た。
夕食時になると、中国から回ってきた京大の吉矢君が同室に入ってきたので、彼とJeongと3人で夕食を食べに行った。(32B)
ゲストハウスにはいろんな人がいる。
そのときに泊まっていた人は、タイでムエタイを練習している日女体大空手部出身の子や、
初めての海外旅行で沖縄から船に乗って、台湾、中国、ベトナム、ラオスと回ってきたというツワモノの日本人の女の子達、
インドを回ってきた韓国人二人組(Lim&Ha)にJeongと吉矢君などで、日韓の皆でいろんな旅の話で盛り上がった。
翌日7.29、洗濯ものを取りに行って、朝食を食べ、チェックアウトする。荷物を宿に預かってもらい、カオサンで少し買い物をした。
昼食後、宿の皆で近くにあるムエタイの練習場に行った。ジムで練習を見学。
練習は見ているだけでもなかなかハードなのが分る。カオサンから近いこともあり、旅行者と思われる白人も練習をしていた。
ムエタイのチャンピオンもいるとのことで、結構レベルの高いジムだそうだ。
一時間ほど見学して、時間となり、5:30発のバスに乗るために待ち合わせの場所に行った。
ここで、日本人旅行者の学生、横田君とNTT社員の田中君にあった。そこで、バスを待っているといつまでたってもなかなかこない。
結局来たのは9:00であり、しかも2階建てもバスにおそらく定員以上の人数を詰め込んで出発した。
我々は下の階のサロンに入ってしまい、地獄のような状態。身動きも取れないような状態でスラーターニーまで行った。
コパンガン (タイ)
スラーターニーに早朝着いて、バスステーションの近くで25Bの朝食を食べた。
その後、コパンガン(パンガン島)から次にペナンに行くために400Bでペナン行きのバスチケットを買った。
一旦バスで港まで行くが、出発が午後2:30であったため、町に戻った。その後、9Bで日本に絵葉書を出し、床屋に行った(100B)。
床屋のやり方は日本と違いほとんどを電動のバリカンで行った。髭剃りもしてくれたが、お湯ではなく水であった。
しかし、出来栄えはさほど悪くなかった。
その後25Bでチャーハンを食べ、トゥクトゥクでバス乗り場まで行った。(二人で10B)物価はやはりバンコクより安い。
フェリーに乗ると、フェリー内でコパンガンのバンガローの壮絶な予約争奪戦が展開された。
沢山の客引きがフェリーに乗り込んでいて、次から次へと勧誘に来た。
結局、二人で50Bのシャワー、トイレ付きの部屋をシェアして、タクシー代込みという条件で決定した。
このあたり、安い宿だが、タクシー代は別とか、いろんな手を使って、金をふんだくるので、気をつけたほうが良い。
フェリーを降りてタクシーに乗る。と言っても単なる軽トラの荷台で、しかも雨が降ってきてとさんざんである。
タダのタクシーはこんなものなのだろう。このタクシーでカナダ人の姉妹にあった。
バンガローは島の西北の静かな海岸にあった。でバンガローは行ってみると、ベッドが一つしかない。
男二人にはきついし、話が違うので、同じ部屋を40Bにまけさせて、一人で泊まることになった。
しかし、よく考えると、うまくだまされたのかもしれない。
このバンガローは離れているので、食事は敷地内にある店で食べる。一食35Bとかだが、後払い。
この辺もしっかり自分でつけておかないと、最後になって余計に取られていても分らない。
あの手この手でボろうとしているのが分るので、大変である。
7.31、朝起きて、食事をして、午前中はLake Laemonnsonという近くの湖に行った。
午後は少し勉強して、その後海で泳いだ。しかし、水はそんなにきれいではない。
遠浅なので、泳げるところまで行くのが大変である。
買い物はバイクの後ろに乗ってトンサラという町まで行く。しかし、ここにもたいしたものは売っていなかった。
翌日早朝4:50にバンガローを出て、港に行く。朝一番のフェリー、コサムイ経由でスラターニについた。
そこから、マイクロバスでハジャイまで行き、そこで別のマイクロバスに乗り換えて、マレーシア入国。
バスを乗り換えて、ペナンに行った。
New China Hotelのドミトリーに6.8M$で泊まった。
メダン (インドネシア)

8.2、朝から大変だった。この日はペナンから船に乗って、インドネシアのスマトラ島に船で渡ることにした。
まずホテルで船の予約をした。ペナン―メダン間の船の所要時間は4時間。値段は96M$である。
ホテルをチェックアウトして博物館に行き、インドネシアルピーに両替をした。(1000Rp=1M$=10B)
そして、港に行き船に乗った。しかし、これは大変だった。
船が出るまでは何も考えてなかったが、一旦出発して、20分ほどしてから、大変なことになった。
海が大荒れなのである。座っていてもお尻がシートから浮きそうなくらいの状態である。
もちろん4時間の航海をするくらいの船であるから、かなり大きな船である。それでも常にジェットコースター状態である。
初めは30分位でおさまるかと思っていたが、いつまでたってもおさまらない。
本来私は船に弱い方ではないが、だんだん波が大きくなり、しかもいつまでもおさまらない様子なので、次第に気持ち悪くなってきた。
ふと後ろを見ると、トイレは大混雑状態である。
周囲の皆が船酔いしているようだ。これは、何とか対処方法を思いつかないと大変なことになると思い、いろいろやってみた。
まず、バスでもそうであるが、できるだけゆれない場所に座るのが重要である。
横揺れ(ローリング)と前後のゆれ(ピッチング)対策には当然中央の席が良いわけで、座る席を船の中央の席に変えてみた。
また、内臓が上下にゆれるのがよくないので、体の姿勢をできるだけ横に近いポジション、尻を前にずらして、
後ろによっかかった状態にしてみた。つまり、行儀の悪い不良のポジションである。
これで、上下方向の力を体に直接かからないように出来た。ここまででも、いくらか効果があったが、しかし、まだ不十分だった。
そこで、内臓がゆれるのがいけないんだから、手でお腹を押えてみた。しかし、そんなのでは埒があかない。
それでは腹筋に力をいれて、内臓をおさえてやればいいのではないかと考え、お腹に力を入れてみた。
すると、結構効果的である。しかし、疲れるので、長く続かない。
どうもやってみると、上にあがって、降りる瞬間には内臓がゆれるが、それ以外の時はさほどでもない。
すると、内臓をおさえるのは、上にあがって下に下りる瞬間だけでいいようである。
そして、そのタイミングをみはからって腹筋に力をいれ、降りるときには力を抜くという繰り返しをしてみたら、
これはかなり効果的であった。
ということで、図らずも、船酔防止のための対策を自らあみ出したのであった。
これをお読みの方には是非お試しいただきたい。しかし、効果がなくとも私は責任は持たないので、そのつもりで。
そんなこんなで、かなり消耗したが、無事吐くこともなく、パダンに到着した。
メダンに着いたのはすでに6:00過ぎ。Gekko Guesthouseに泊まる。一泊ドミトリーで2700Rp。
夕食はトゥクトゥク(200Rp)に乗ってカレー屋に行く。高級そうなカレー屋にもかかわらず、カレーとナンで2000Rp。
帰りにビスケットを700Rpで買う。このように、インドネシアの物価は、タイ、マレーシア等と比較してもさらに安い。
パングルーラン (インドネシア)
翌日、トバ湖に行くことにして、メダンのAmplusのバスターミナルに行き、トバ湖行きのバスを捜す。
観光用のバスもあるはずなのだが、そこにいたバスは現地の人が使うバスであった。トバ湖の入り口パラパト行きのバスに乗る。
片道350Rpのところを、おつりが無いので300Rp。
しかし、このバス、勝手に物売りの人間が乗り込んできて、いろいろ売りつけに来るので鬱陶しい。
メダンからバスで4時間で、パラパト到着。初めアンバリータというサモシル島の町に行こうとしてマタマタ行きの船に乗った。
(片道700Rp)。
しかし、船に乗り合わせたトラベルエージェンシーに勤めているという男が、
アンバリータよりパングルーランのほうが温泉があるので良いというので、急遽予定変更して、パングルーランに行くことにした。
マタマタからミニバスでアンバリータに行きそこから、乗り換えてさらにパングルーランまで行く。すごく面倒な工程であった。
しかし、パングルーランに行く途中、初めたまたま乗り合わせただけの親切な人と思っていた男が、
だんだん客引きまがいな感じになってきて、パングルーランの宿をしつこく勧めはじめた。
なるほど、こういうのが手だったのかと思ったが、仕方なく、そのままパングルーランに行き、男の勧める宿に行く。
とりあえず見て回ると、きれいなホテルなのだが、誰も泊まっていない。値段も結構高い。
何のためらいもなく、拒否して、勝手に自分で宿を探し始めた。
しかし、パングルーランには他の宿が見当たらない。
一瞬、出てきたのを後悔したが、ようやくBarat Accomodationというところを一軒だけ見つけた。
入ってみるが、宿は現地の人間の泊まるようなところで、店番している女の人は英語を喋れない。見振り手振りも通じない。
困っていると、そこの子供が帰ってきた。そしてなんと子供は英語を喋れる。結局子供を相手に宿のチェックインをした。
(一泊4000Rp)聞くところによると、インドネシアでは今は小学校から英語教育があるとのこと。
私よりははるかにうまい英語を喋るのもうなずけた。
夕方はうわさの温泉に行く。露天風呂である。
いくつか場所があり、囲いで覆われていて個室のようになっている。
欧米人はプール感覚で水着で騒いでいるが、日本人と現地の人は風呂として使っているようだ。
しかし、これは快適であった。日本人ならではの幸せを感じた。
しかも、この温泉の入浴料は300Rpなのだが、時間が遅いらしく、いくらお金を渡そうとしても受け取らない。
インドネシアに来て、お金を騙し取られることはあっても、受け取ってもらえないとは思っていなかった。
田舎の人間はどこでもいい人が多いようだ。
しかし、帰るときになって困った。来るときは歩いてきたが、帰り道は街灯もなく、田舎道であるため何も見えない。
このまま歩くと迷うのは必至であり、物騒である。タクシーは5000Rp とのこと。
そこで、売店でコーラを飲んで卵を食いながら、そこにいた人にバイクの後ろに乗っけて町まで行ってもらえないかと交渉し、
日本語を教えてあげたりした結果、3500Rpで食べたものとバイク代込みで交渉終了。無事帰ることが出来た。
しかし、この町は平和である。世の中give and takeである。ここはいいところだ。
インドネシアにはスマトラ島とジャワ島がある。トバ湖のあるのはスマトラ島である。
そのスマトラ島にはトバ湖という湖があり、トバ湖にはサモシル島という島がある。
さらにサモシル島にはLake Sidohriという湖がある。
まるで開けても開けても箱の出てくるような話である。
翌日8.4はそのLake Sidohriに行こうとしたが、バスの時間が遅く、断念した。
その後、ぶらぶら湖の周囲を歩いていると、現地の高校生と知り合り、インドネシア語を教えてもらった。
インドネシア語は動詞の活用もなく、日本人には覚えやすい。
インドネシア語の「こんにちは」はSeramat Pagiだが、スマトラのバタック語ではHolas lae(ito)である。
現地の人達にHolasで挨拶すると大うけして、盛り上がる。
宿に帰ると、日本人旅行者の姫野君にあう。
神戸から来ていて、会社を辞めて半年位の予定でインドネシア、インドと回るとのこと。
アジアを旅行してるとこういう人にしょっちゅう会うが、日本ではめったに会わない。不思議なことである。
彼と一緒にまた、温泉に行った。今度は入浴料を払う。(300Rp)
こちらの物価はとっても安く、コーラが650Rp、財布が650Rp、石鹸が400Rp、一食チャーハンが1300Rp、
日本までの絵葉書の切手が700Rpなどである。
宿に帰ってぶらぶらしていると、昼間あった高校生に会い、彼の友達たちに紹介してもらい片言のインドネシア語と英語で盛り上がった。
そこで、もう一人の日本人旅行者のエイイチさんに会う。
この人は旅行会社でツアコンをやっていたが、やめて旅行に出たと言う人で、ツアコン時代にきて楽しかったということで、
ここパングルーランに滞在しているとのことだった。やはり隠れた穴場だったようである。
その日の宿は姫野君とシェアして宿泊。よって一泊2000Rpとなった。
8.5、宿をチェックアウトし、バスでTarjingに向かい(4500Rp)、そこでバスを乗り換えてペカンバルを目指した。
ペカンバル (インドネシア)
パングルーランからバスに乗ってスマトラ島を横断する形で、スマトラ島の北東の町、ペカンバルに向かった。
バス代は14000Rp。しかし、このバスの移動はつらかった。
まず、バスに乗るのに席が足りなくて、しっちゃかめっちゃかになる。
幸いなことに、私は旅行者料金でかなりぼられていたらしく、優先して乗せてくれた。
バスは観光バスではなく、現地の人間が主に使っているローカルバスであり、中はまさしくスシ詰状態。
座席が埋まると、通路に荷物を置き、そのうえに座っていく。
屋根に乗らない荷物は車内に持ち込まれ、鶏だの、子豚だのまで入ってきて阿鼻叫喚の状態である。
3時出発が1時間遅れて4時に出発。身動き一つ取れない状態で、およそ12時間のバスの旅は大変だった。
ペカンバルからは、ボートで川を下ってパダンまで行き、海を渡ってシンガポールに入るというルートがあるのでその予定でいた。
ペカンバル市内には翌朝9時ころに到着。
市内に入ると、車内にトラベルエージェンシーと名乗る男が入ってきて、ボートをアレンジするとのこと。
胡散臭かったが、面倒だから頼むことにした。しかし、後になって思うと、これが間違いの元であった。
バスを途中で降り、その男の案内でミニバスに乗る。これで、オフィスまで行くとのこと。
乗合のバスで初めは他にも客は居たのだが、次第に客が降り、私とその男とその身内らしき連中だけになる。
そうこうするうち、両替は大丈夫か?と聞いてきた。
確かにボートに乗るためには現金が居るので、トラベラーズチェックを替える必要があった。
幸いにも、そのときには他の客がいなくなったので、ミニバスが私のために銀行まで行ってくれた。
しかし、初めの銀行はレートが悪くて断念。一緒にいた男がレートのいい銀行を教えてくれて、そこに移動した。
そして、しばらく待ってもらいトラベラーズチェックを現金化。そうこうするうち、トラベルエージェンシーに着く。
さて、ボートのアレンジをと言うと、タクシー代を払えと言ってきた。
首をひねっていると、実は彼らはトラベルエージェンシーの人間でもなんでもなく、ミニバスの運転手とグルで、
知らない間にミニバスがタクシーになっていたらしい。
私はトラベルエージェンシーの人間と思っているから、自分のところに連れてくるために、他の客がいなくなったのだと思っていた。
つまり、体よくだまされた訳である。
実際、自分の両替のためにバスを待たせて銀行をはしごさせたり、トラベルエージェンシーに直接乗り付けたりしているので、立場が弱い。
一方、トラベルエージェンシーの人間も、自分達とは関係ないから、勝手に話をつけてくれとのこと。
さんざんいろいろ騙されてきたので、警戒していたにもかかわらず、こんな形でだまされるとは思っていなかった。
悔しくて、文句をいったが多勢に無勢。四面楚歌の中で泣く泣くタクシー代を払う。しかも15000Rp。やられたと言う感じであった。
トラベルエージェンシーで翌日のボートのアレンジをする。37500Rpであった。
午後5:00に乗船。このクルーズはまさにジャングルクルーズと言う感じ。面白い。
ただし、この船も現地の人で一杯で、旅行者用ではない。
しかし、Deckは快適でゆれも少なかった。船旅に関しては、メダンの時に思い知ったので、これには助かった。
スマトラ島は基本的に観光地は少なく、今までの東南アジアの諸国と比較して、非常に旅行しにくい。
逆にいえば観光客ズレしていないともいえるのだが、中には前述のように騙してくる輩もいるので油断ならない。
翌日5:30、Serat Panjangに到着。
そこで、3時間くらい待ち時間があり、食事を食べ新聞を買う。
丁度ここで、日本の首相が細川首相に代わったという歴史的ニュースを知る。
さすが、これほどのニュースは現地の新聞でも大きく報道していた。8:30にバタム行きのボートに乗る。
バタムーシンガポール
ボートでバタムに到着すると、また、例によってうるさい連中が沢山近寄ってきた。
本当は、バタムに一泊してからシンガポールに戻るはずだったのだが、バタムからシンガポール行きのボートの時間があやしいのと、
ペカンバルで騙された記憶も生々しく、うるさい連中の相手をするのが面倒で、そのままシンガポールに行ってしまうことにした。
ボート代、24000Rp。シンガポールに到着。ここには日経新聞の海外版があり、細川首相のニュースを日本語で再度読み直した。
しかし、新聞代は5S$もした。
インドネシアRpをシンガポール$に両替。29500Rp=22.7S$。やはりシンガポールは物価が高い。
その後、初めに泊まったPeony Mantionゲストハウスに再び泊まった。(7S$)
洗濯サービスがあり、上着二枚で1S$。夕食を4S$で食べてその日は終了。
8.8、この日でシンガポールは最終。しかも17.8S$しかないので、おとなしくしていた。
とりあえず、オーチャードロードのあたりで、ぶらついてフィルムの現像を頼んだ。
というのは即日現像できるという看板があったからである。しかも6.20S$で1セットとのこと。
しかし、その後出来てから取りに行ったら、はめられていた。
1本5S$の現像代と一枚あたり0.5S$かかり、計70S$近くになった。
というのは6.20S$セットというのは、即日現像のものではなく、3日かかるものとのこと。
私の英語力がなかったのか、単に騙されたのかわからないが、見事にはまってしまった。
現金がないので、カードで払ったが、どうせ日本で現像するなら物価の安いシンガポールでなどど、余計なことを考えたおかげで、
結局日本で現像するのと変わらない金額になってしまった。
あとで空港などでみたら、一枚の値段が30分で0.30S$、1時間で25S$、4時間で20S$というところだったので、やはりぼられていた。
やはりカードが使えるような店は高い。
その後、Fort Canning Parkに行ってぶらつき、シンガポールそごうに行って涼み、
Middle RdとVictora RdのあたりのChina Townっぽいエリアに行きぶらついた。
翌日の香港行きの飛行機は7:35発であり、朝早くはバスもないので、前日のうちに空港に行き、泊まることにした。
空港には夜8時過ぎに到着。ベンチで就寝。
香港
空港の冷房はききすぎていて、朝4時頃に起きる。
7:35にシンガポール出発。香港に11:10頃到着した。香港の空港からはバスで九龍に向かった(9H$)。
宿は安宿が集まっている重慶マンションにとった。
ここは沢木耕太郎の深夜特急でも有名だが、16‐7階建てのビルの中に小さな安宿がひしめいているというところで、
エレベーターが複数あるが、それぞれのエレベーターからいける階は違っている。
重慶マンション前でバスを降りるや否や、客引きが群がってきて強引にひっぱって行く。
とりあえずついていくも、宿泊代の相場がわからないとぼられても分らないので、とりあえず値段だけを聞くとシングル100H$というので、
結局自分でいくつか回った後に、New World Guesthouse、ドミトリーで50H$(1H$=14円)の宿にチェックインした。
香港にきた理由は、中国に行くためであり、中国は香港からは広州に船で入れるルートがある。
ビザも香港では簡単に取れるそうなので、夜行のボートで広州に行く予定にした。
16階にあるトラベルエージェンシーで中国ビザを頼んだ。ビザ代は180H$。
その夜は香港観光で、男人街に行く。
食事、チャーハン、野菜、コーラと頼み、代金は70H$。まだ物価が把握できてない状態で、払ったあとで考えると、
えらいぼられていると思われた。大抵大きく騙されるのは物価と通貨が把握できてない移動初日である。
気をつけないといけない。
8.10、まず本屋で広東語の本を買う。その後船の予約をしに行った。82H$。そこで、荷物を預けて町歩きに行く。
尖沙岨からフェリーに乗って銅羅湾まで行く。1.5H$。そこから中環をぶらついた。
その後、重慶マンションに戻って、中国ビザを手に入れる。ぶらぶらした後、フェリーターミナルに行き船に乗った。
広州 (中国)

広州には早朝に着いた。自分にとって初めての社会主義国であったが、中国の入国は印象的であった。
入国まではいいかげんであっという間だったが、両替は長蛇の列が出来ているにもかかわらず、係官が一向に急ぐ気配はない。
しかも、だらだら休みをとったり、ちょっと別の用事が入るとストップする。まさに官僚主義の極みであり、非効率この上ない。
ちなみにTC5000円=270.97元であった。
中国人はどの国でも働き者で、その潜在能力はすごいものがある。
実際香港のパワーはすごく、日本もうかうかしていると追い抜かれるように感じた。
しかし、中国については国家体制が変わらない限り、真の発展はないなと感じた。
歩いていってユースホステルを探す。着くとウェイティングということで、31番の整理券をもらう。
1時のまた来いとのこと。そのユースで帰りのマカオ行きのフェリーのチケットを買う。82元。
そして一元で荷物を預けて、町に行く。
広州の市場は、まさにアニマルランドであり、鶏やブタだけでなく、ウサギ、カエル、ナマズ、亀、ビーバー、
猫などが生きたまま売られている。
そこらに置いてある袋のなかにはセミの抜け殻とか、蚕の幼虫、芋虫の干物、蜂とかが詰まっていたりする。
また、とぐろを巻いた蛇の干物とか、干したムカデの束、角、カエルの干物、とうもろこしの芯、なども売られているなど、
食料品の一つであることは間違いないのだろうが、一体何に使うのか不明である。
そこらで食事。ラーメンが2.2元。安い。1.2元で水を買う。そこから、文化公園に行く(入場料1元)。
ここは遊園地であり、観覧車などがあった。
その後宿に帰ってチェックイン。
60元とられた。宿は3人部屋で、一見西洋風のきれい部屋なのだけれども、テレビがつかないとか、
シャワーの水回りが駄目とか、あちこちにボロがある。Key Depositを50元とられる。
宿に近くの貸し自転車屋で自転車を4元で借りた。そして中国名物とも見える自転車軍団に加わることにした。
自転車で走って中山記念館まで行く。入場料3元。こういった記念館はまさに共産圏ならではであり、
祖国の英雄を国家をあげて祭りあげているのがひしひしと伝わる。
帰りに人民公園に寄る。
入場5角(1元=10角)しかし、角が使われるのは通常はほとんど無い。その後宿にかえってこの日は終わり。
翌日、広州の動物園に行く。
入場料3元。サル山、ゾウ、キリンの他にパンダがいたが、こちらでの一番人気はサル山であり、パンダは一頭のみで人気がない。
中国の若い女性は、一見きれいな格好をしているのだが、何かが違う。
言って見れば、妙な派手さで、とても日本では普段着ないようなお姫様のような格好をしている子が、
日本では大昔にあったような鉄製のごつい自転車に乗っていたり、清楚な格好をした若い娘がリアカーを引いていたりする。
しかもこういったかわいい若い女の子が、路上に痰をペッと吐いていったりする。
その後、南方大厦というデパートに行ってみた。デパートではありが日本とは大分違いセキュリティが厳しい。
また、ボールペンなどの雑貨まで全ての品物がウィンドウに入っていて、手に持つことが出来ない。
また、輸入物と国産物の価格差が激しい。全体的に日本では流行遅れになっているのは仕方が無いかもしれない。
なんか、ちぐはぐな感じであった。
そのうち雨が降りそうになってきたんので、早々にフェリーターミナルに向かった。
香港行きと同様、マカオ行きの夜行の船にのり、マカオに向かった。
船は行きとは違って小さな船だったが、二等の4人部屋を一人で占領できたので、快適だった。
マカオ
マカオに早朝7:00過ぎに到着。西の内港ターミナルに着いた。
マカオは小さな島であり、まず、高台に上がり、ペルシャ教会に行くが、時間が早すぎて開いてなかった。
マカオ全体を把握する。
その後、両替をするために、繁華街であるアルメイダリベイロ通りに行くが、店もまだしまっていたので、
外港桟橋に行き荷物を預けて、市内観光を始めた。まず、Mente Fortの砲台に行った。
その後聖ポール天主堂に行く。ここがいわゆるマカオのメインである。
聖ポール天主堂は、教会の壁しか残ってないが、それが逆に全体を想像させて、面白い。
そこから、またアルメイダリベイロ通り周辺を徘徊。郵便局を見つけて、絵葉書を出す。
そして、松山燈台に行く。途中雨に降られる。昼食の後、外港桟橋に行って、デパートに入り買い物。
最後、14:00発のフェリー(72H$)で香港に帰る。
港から二階立てトラムにのって(1.0H$)、国内フェリーターミナルに行きスターフェリー(1.5H$)にのって、九龍に戻った。
宿は再び重慶マンションの同じNew World Guesthouseゲストハウス。おばちゃんは覚えていてくれた。
翌8.14、香港より帰国。長い東南アジア周遊だったが、非常に楽しかった。
かなり切り詰めた旅行であったが、航空運賃を含めて、一ヶ月の旅行で10万であがった。さすが、アジアは安い。
