ブルネイ

2002.8.23-26
短期の旅行でブルネイに行ってきた。
今回ブルネイを目的地に選んだ理由は単純で、東アジアで行ったことの無い国だからである。 他に、特に思い入れがあるわけでもない
ほぼ東アジアの国を行きつくした今、短期でいけるという条件を満たすのは、 ブルネイと北朝鮮位しかなくなっていたこと。 そして、北朝鮮は短期のツアーもあったが、日程が合わなかったこと。 近場でも、チベットとか、ブータンとかは、入るのが面倒で、1週間くらいは必要だし、 極東ロシアは夏に行くのは寂しいし、パプアニューギニアは、もっと時間をかけて行きたいという事情もある。
しかしながら、せっかく行くのなら、なにか意味のあることをしようと思い、 ボルネオのダイビングをするという計画で渡航することにした。
チケットはマニラ経由のバンダルスリブガワン行き。ブルネイは正味2日間であった。

フィリピン―マニラ



成田を9:30に出発し、マニラに12:30に到着。マニラからブルネイ行きのフライトは22:15発なので、 ストップオーバーして、マニラ市内観光をすることにした。
といっても、過ごせるのはわずか数時間である。
マニラ空港から市内には、タクシーで行くが、マニラのタクシーは評判がわるく、 日本人と見るやいなや法外な金額を要求する場合が多い。
そこで、空港の到着ロビーから、上の階の出発ロビーにエレベーターで上がり、 出発客を送ってきたタクシーをそのままつかまえて市内まで乗っていった。 本来、出発ゲートのほうでは客待ちをしてはいけないことになってるそうだが、タクシーとしても、 到着ゲートに車を回送する手間がはぶけるので、さっさと載せてくれて、メーターで行ってくれた。 市内マカティ地区まで30分くらいで75ptであった。(1US$=50pt)

マカティ地区は、ビジネスの中心地であり、オフィスビルが立ち並び、大きなショッピングセンターもある。 特に目的もなかったが、前回来ていないエリアなので行ってみた。
マニラの空港に、荷物を預けることが出来なかったので、バックパック持参で市内にきたが、 観光をするのにバックパックは邪魔であるので、近くのホテルに行き、出発まで部屋を使うことにして、 1500ptの部屋を1000ptにしてもらってチェックイン。居場所を確保し、その後、市内観光に行った。
マニラ市内には、前回行ったときも撮ったが、写真左のような派手な乗り合いタクシーであるジプニーが市民の足として、 活躍しており、やたら、渋滞しているマニラ市内の顔ともいえる。

マカティ周辺を散策した後、せっかくなのでマラカニアン宮殿に行くことにした。 しかし、街中の渋滞はひどいものがあり、ちょっとした距離を移動するにも非常に時間がかかる。 タクシーも、足元をみて値段を吊り上げてくる。 結局マカティからマラカニアン宮殿まで8kmくらいの距離を、130ptで1時間くらいかかって到着した。
マラカニアン宮殿はかつてマルコス大統領とイメルダ夫人が住んでいて、贅沢三昧をしていた有名な宮殿である。 現在も大統領官邸であり、アキノ大統領時代公開されていたのだが、残念ながら現在は公開されていなかった。 ということで外から眺めて終了となる。(写真右)
帰りは、バスに乗り20ptで戻ったが、やはり1時間以上かかった。 時間が無く、たいしたことは出来なかったが、もとより期待していなかったので、こんなものだろう。
ちなみに、市内から空港まで、夜8時過ぎに乗ったタクシーは200ptかかった。所要は45分。 もちろんメーターではなく、渋滞時の時価である。

帰国時にも、マニラで4時間、時間があったので、ストップオーバーし、 空港から近いバクラランのマーケットに行った。 タクシーでは50pt程で行けた。
ここは、マニラ市民の御用達ショッピング地域であり、日用雑貨、衣類など、 多くの物が安く売っている。 トランジットの短い時間をつぶすのには、まあまあの場所であった。


ブルネイ


ブルネイは、ボルネオ島の一部で、周囲をマレーシアに囲まれており、日本の三重県くらいの大きさの国である。 石油と天然ガスで潤っている国であり、ブルネイのボルキア国王は資産3兆円という、世界一の金持ちであるという話である。
首都はバンダル スリ ブガワン。舌をかみそうな名前である。 ブルネイの首都でありながら知っている人は少ないだろう。
ちなみに航空券をアレンジしてもらったHISの担当者も、成田空港の係員も 「バンダルスリブガワン」といっても国名がわからないし、ブルネイといっても首都名を知らないというマイナーさである。
(しかし、東南アジア担当の航空券を手配している旅行代理店の職員が、知らないというのはちょっと恥ずかしいような気もする。 HISは大抵その程度の知識の若い職員が多い。)




マニラから2時間程度のフライトで、バンダルスリブガワンの空港には夜11時過ぎに到着した。 例によってホテルは決めてなかったが、安宿の無い国であり、 ちゃんとしたホテルに行くしかないそうである。
そこで、地球の歩き方に載っていたホテル(Capital Hotel)にいくことにした。 幸い治安のよい国であり、タクシーでぼられることも無く、35B$でホテルに到着。(1US$=1.7B$) 当然のように、部屋は空いており、シングル一泊50B$でチェックインした。
さすが、熱帯雨林気候であり、結構暑いが、ホテル内はエアコンはきいていた。 人口30万人の小さな国は、周囲をマレーシアに囲まれていることもあり、マレーシアの影響が強い。 マレーシア同様ムスリムの国であり、言語もマレー語。テレビの番組もほとんどマレーシアのものであった。 ただし、イギリス植民地時代があったため、英語はよく通用し、旅行するには問題ない。
ホテルの天井には写真右のように、メッカの方向が印してあり、この国がムスリムの国であることを実感させてくれる。
初日は深夜に到着したこともあり、早々に就寝した。


カンポンアイル





翌日は、朝から市内観光をした。ホテルは街中にあり、町は小さいので歩いて回れた。
町はきれいで、高級車も走っており、一般に生活レベルは高いようである。
物価もso soである。  

ホテルを出て、歩いていくと水路にそってマーケットがあった。

マーケット自体は、まさに東南アジアそのもので、確かにここが東南アジアであることを確認したという感じである。
ビルの立ち並ぶ町並みとそぐわない。
水路には、モーターボートが縦横無尽に走り回り、市民の足となっている。

ちょっと行くと、ブルネイ川に出て、その対岸にはカンポンアイルという水上集落があった。
ここは、ブルネイ観光の目玉であり、川の上に高床式に家を作っている集落である。 中にはマーケットや、学校もあり、 多くの市民が住んでいる。


ちなみに、写真左のように、水上にシェルのガソリンスタンドもあり、 縦横無尽に走り回るモーターボートが次々と給油にくる奇妙な光景である。
川沿いを歩いていると、モーターの船頭から声がかかり、20B$でボートで周遊することにした。 カンポンアイルは、見た目は汚いが、人々の生活レベルは高く、中は普通の家で、テレビもビデオもあるという生活である。 もともと、ブルネイの生活レベルは高いので、やや、見た目とそぐわないが、歴史があるので、人々は陸地にはすまないそうである。 もちろん、普通の陸地に住んでいる人も沢山いる。 この辺、以前いったガンビエの水上集落とは、事情が違う。



カンポンアイルを回ったあと、オマールアリサイフディンモスクという、市内の中心にある モスクに行った。ここは、1958年につくられたそうで、歴史は無いが、バンダル スリ ブガワンの象徴である。
きれいなモスクであるが、モスクは何度も行ったことがあり、中には基本的には何も無いので、さほど時間をつぶすことは出来なかった。

ブルネイはムスリムの国であるが、町を歩いている若い女性は、髪を出しているものやGパンをはいていたりするので、 さほど敬虔なムスリムという感じはない。 このあたり、マレー人が70%だが、他に中国人、インド系などの人たちもいるからかもしれない。
その後も町歩きを続けた。 しかし、さすが赤道直下のボルネオ島であるので、日が高くなってから歩き回るのはつらい。
ということで、昼前には、ホテルに戻り、一休みをした。 それから、ダイビングのアレンジをしようとしたが、ここで、問題が勃発した。

ホテルのロビーには、熱帯雨林ツアーやら、ダイビングツアーなどのパンフレットがおいてあり、 このあたりのアレンジは全く問題ないと思っていたら、なんとその日は土曜日。 ツアーのアレンジをしている旅行代理店の営業は午前中で終わりなのだそうだ。
いろいろ当たってみて、市内の店にも直接行ってみたが、代理店はどこも閉まっており、 この時点からダイビングをアレンジするのは不可能であった。
「そんなもの、日本からちゃんと予約して行け」という人もいるかもしれないが、 私の経験では、こういったアレンジが現地で出来ないことは無く、大抵前日でも何とかなってきたので、私にしては予想外であった。
しかし、こういったトラブルも旅行のうち。 あきらめは早いほうなので、これは何もせずのんびり過ごせということなのだろうと考えることにした。

その日の午後は、ホテルの近くにある、ロイヤル博物館に行った(写真)。
ここでは、ボルキア国王の財宝、各国からの贈り物などが展示してあり、即位パレードの様子が再現されていたりする。 十分見ごたえのある博物館であるが、入場料は、なんと無料。国王の気前のよさがよく分かる。
その後も市内をぶらぶらしていたが、夕方から、急に天気が悪くなり、そのうちにスコールになった。 さすが熱帯雨林であるが、傘も何もないので、ホテルに帰るのが大変であった。
雨が降ったこともあって、この日もおしまいとなる。

次の日は、一日あったが、全くの観光予定はなし。 とりあえず、市内のヤヤサンコンプレックスに行った。ここは、大きなスーパーマーケットで、建物の規模も日本と遜色ない。 品揃えも豊富であり、質もそれなりである。
ここで、家電コーナーに行ってみた。すると、家電コーナーでは、中国製品が山積みされており、売れ筋であることを示していた。 値段は圧倒的に安い。それよりも驚いたのは中国製品が、質も高くなっていることである。
以前だったら、東南アジアの家電では日本製品が圧倒的に高品質で、中国製などのものは、値段は安いが、 見た目で明らかに質が悪く、売れそうも無いものであった。 しかし、いまや、見た目は日本製品と全く遜色が無い。 しかも値段は安い。当然のことながら、ヤヤサンの家電コーナーは中国製品で席巻されていた。
さすがに、テレビやオーディオコーナーでは、日本製が、優勢だったがこの調子では、そのうちどうなるか分からない。 日本の経済崩壊の現場を目撃したという感じである。
日本人の大部分は、いまは景気が悪くとも日本には実力があるから、いつかそのうち、 また元のように景気がよくなると思っているのではないかと思うが、もしかしたら、そういう日はもう来ないのかもしれない。 家電は中国、車は韓国がどんどん伸びている。 少なくとも、以前のように、日本1人勝ちというような、状況が来るとは思えない。 我々日本人はもっと謙虚に、やり直す必要があるような気がする。


バンダルスリブガワンで見るべきものは、カンポンアイル、ロイヤル博物館、オマールモスクなどなのだが、それだけである。 何日もバンダルスリブガワンにいる意味はない。
本来、ボルネオ周遊をしていて、疲れたときにふと立ち寄るというのが、ブルネイという国の位置付けではないかと思われる。 もともと、ブルネイは最終目的地として、来る場所ではないのだということが分かった。
今回はもともとは、ダイビングするつもり出来ていたのだが、土日になり、現地の旅行代理店が休みであるという事情があり、 予定がくるってしまった。ムスリムの国のくせに、土日休むとはふざけた話なのだが、金曜も休みのようで、 単なる怠け者なのかもしれない。
このあたり、所得税なし、教育、医療はタダというように、国として豊かであるので、他の東南アジアの国とちがい、 人々はがめつくない。あまり観光化もされていないし、観光客目当て物売りもいない。不思議な国である。 しかし、おそらく、もう行くことはないだろう。