チリ〜イースター島
チリ〜イースター島
(イースター島)
2002.9.14-23
今回の旅行は、初めから色々あった。
今回の出発は9月14日。連休初日の土曜日ということで、成田空港は大混雑。
それでいていつもの如く出発一時間前に着いたので、手続きがぎりぎりとなった。
アメリカン航空のカウンターでチェックインしたのが出発の30分前であり、
しかも席は決まらず搭乗口で座席票を出すとのことである。
これではまだ席が確保されていない状況なので、とにかく出国手続きに行くが、
こちらも大混雑であり、セキュリティーチェックの列が入り口から外にまでのびている状態で、
しかも出国手続きの列も大変なものだった。
結局搭乗口についたのが、出発5分前になった。
そこで、ようやく座席が決まったのだが、ここでラッキーなことに、ビジネスクラスの席をゲットする
ことになった。
おそらくエコノミーの席が満杯となったためだと思われるが、
後からきた二人とあわせ3席分がエコノミーから振り返られたようで、
その時点で満席となり出発となった。
これは狙ってできるものではないが、オーバーブッキングとなったら逆に悲惨であるので、
とにかくラッキーということである。
今までもラッキー振替のビジネスクラスは何度かあるが、アメリカ線のような長距離路線では初であるので、乗り心地を十分堪能した。
食事はガラスのコップと陶器の皿であったが、9.11の影響か、ナイフ、フォークはプラスティックであった。
アメリカン航空なだけに、おそらくそうなのだろう。
シカゴに到着し、降機するが、財布をここで機内に忘れてしまったのに気付いた。
トランジットの時間が短いので、ちょっとあせるが、そこはさすがアメリカ。
きちんとしており、無事財布も見つかり幸い事なきを得た。
シカゴでトランジットし、マイアミにいくので、一旦米国入国となったが、セキュリティーはあきらかに以前よりあがっていた。
国内線のときでもパスポートの提示をさせられたり、荷物チェックも厳重であった。
マイアミでも、厳重チェックをうけた。特にlap top computerは別にして機械に通させられた。
怪しまれたせいか、金属探知機の音が鳴らないにもかかわらず、細かいボディチェックをうけ、
バックルが反応したため、ベルトまで取らされた。
9.11以降相当厳しくなったようだ。
サンチアゴ
翌朝サンティアゴ到着。本来7時頃に着くはずの飛行機が遅れたため到着は9時過ぎになった。
空港からバスで旧市街のlos heroesターミナルまで行く、片道1000ペソ。(1US$=700ペソ)
そこから観光を開始した。まず、旧市街を東方向に歩いていき、モネダ宮殿に到着。
そこから、アルマス広場に行く。大聖堂の中に入って見るが、この日は丁度日曜であり、礼拝の最中であった。
旧市街も日曜のためかほとんどの店は閉まっている。
することもないので、仕方がないので、地下鉄に乗って新市街に行くことにした。
Plaza de armasからmanuel montへ(片道290ペソ)。
新市街のメインストリートであるプロビデンシャル通りを東に歩いていくが、こちらも店は閉まり人通りがない。
日曜の午前中だったのが悪かったようで、ショッピングセンターがあるものの、店も午前中は休みのようであった。
しばらく時間をつぶして、ようやく開いたショッピングセンターで買い物をした。
こちらは南半球で、冬であるので、夏使用の日本から来た身としては、少し、準備をする必要がある。
まず、靴とズボンを新しいものにするため、新しいものを買って即その場で着替えた。
雨期といわれるイースター島であるが、防寒具や雨具については、必要がどうか微妙なので、やめておいた。
少なくとも昼間に関してはさほど寒くなく長袖があれば十分であったからである。
その後、また地下鉄にのってsanta luciaに戻り、サンタルシアの丘に登った。
ここは、階段が多く、いい運動になったが、上からは市内が一望でき、その眺めはなかなかである。
飛行機の出発は16:35なので、2時前には市街から空港に戻ることとし、またlos heroesに戻って空港バスで空港に戻った。
イースター島行きの飛行機は経由してパペーテまで行くものだったが、日本人の姿もちらほら見かけ、さすが観光地だけのことはある。
ほぼ時間通りに20時過ぎにイースター島に到着した。
空港の中にホテル関係者のコーナーがあり、そこで多くの宿泊客を取り合っていたが、何軒かあたってみて、
素泊まり一泊15ドルの民宿に決めた。
決め手は安さのみである。
宿の車ですぐ宿に向かって、その日はすぐ寝た。
イースター島
モアイ
朝10時くらいに出歩いて見たが、どこも閉まっていて具合が悪い。戻ってきて聞いてみると、サンチアゴと時差が2時間あるとのこと。
実際は8時ということになる。大抵どこも9-10時ころに店が開くので、ちょっと早かったようである。
昨日、一昨日と雨だったと言うが、究極の晴れ男である私のパワーで完全に晴れた。全くの観光日和である。
9月はまだチリは雨期であるから、こういう日は逃さず観光をし切らないといけない。
再び出かけて、朝食を食べ、レンタカーを借りた。国際免許なんていう面倒なことは言わない。
日本の免許証を出せと言われたが、それもないと言うと、パスポートの番号を紙に書いてそれで終わりとなった。
いい加減なものである。
レンタカーはスズキの軽の四駆のサムライで、一日35US$であった。これで、一日走りまくることにした。
まず、ハンガロア村から出て、南側を進んだ。
アフアカハンガを目指すが、なんだかはっきりしない遺跡ばかりで、気が付くとラノララクに着いてしまった。
というのも、このあたりの遺跡はみなモアイは倒れていて、ちょっと見ただけでは分からないからである。

ラノララクには、おそらく今日いの一番の到着のようでありあたりには全く人影がなかった。
ここラノララクは、モアイの切り出しをした場所で、あちこちに作りかけのモアイが運ばれないまま残っている。
山に登っていくと、上には大きな火口湖がありそのすり鉢上の斜面にもモアイが並んでいると言う不思議な光景(写真)が広がる。
頂上から海側は切り立った崖になっており、迫力の光景である。
この日は、天気が良くて眺めは最高であった。ここから海岸線にあるアフトンガリキのモアイの並んでいる様子も見えた。
その後、山から降りてきて、次にはアフトンガリキの15体のモアイを見に行った。
ここは日本の援助で復元されたモアイで15体というのは島内最多の数である。
モアイもかなり大きい。ここに限らず、立っているモアイは少なく、ほとんどが倒れたモアイを後に復元したものである。
と言うのもフリモアイという戦争のモアイの霊力を恐れた戦士がモアイをうつ伏せに倒したと言うことから来ている。
観光の流れから、南海岸を進むとこのコースになるのだが、時間的な問題でこの日は私が一番乗りだったようである。
どこに行っても全く一人での観光なので、これだけの遺跡を独り占めできた。全く贅沢なことである。
そのままさらに行くと、テピトクラに行った。ここには不思議なパワーを持つとされる丸い石がある。
そして、アナケナ海岸の5体あるモアイの前で昼食となる。
ここは、きれいなビーチであり、ビーチを背にしてモアイが立っている。ここのモアイは他のモアイと違い、
プカオという帽子をかぶっているのが特徴である。
プカオとモアイの石は切り出されたところが違って、モアイはラノララクであるが、
プカオはプナパウと言うところから切り出されていて、赤色凝灰岩であり色合いが違うのが特徴である。
この後午後は、アフアキビという島内中央部に向かった。
途中から前日の雨でぬかるんだ道を走ることになり、かなりのオフロードトライアルとなった。
このドライブだけでも十分楽しめたが、なんとかアフアキビに到着。7体のモアイと対面した。
ここからは、海のほうに島を横断し、アフテペウ、アナテパフを通り、海岸線に出た。
ここも十分オフロードであったが、何とかクリアして、アフタハイまで到着。
もう、ハンガロアの村の程近い場所に戻った。
ここのモアイで島内主要なモアイを見たことになった。
この後、もう終わりにしても良かったが、この際なので、オロンゴのほうまで行くことにした。
ここまで行けば、島内観光はほぼ終了となる。
オロンゴに行く途中、アナカイタンガタという鳥人儀礼の食人をしたといわれる洞穴をみて、ラノカウの火口湖周囲にある、
オロンゴの儀式村跡に行った。写真は、洞穴と、洞穴のなかにある、鳥人儀礼の壁画である。
ラノカウの頂上からの眺めは良く、ラノララクよりも火口湖に迫力がある。
海には写真にあるような、モトゥカオカオ、モトゥヌイ、モトゥイティの3つの島があり、モトゥヌイにあるグンカン鳥の卵を泳いで取りに行ったのが、
鳥人儀礼であるらしい。
ここは、ツアー初日の観光場所らしく、午後には多くのグループが訪れていた。
他の島内観光ではグループには会わなかったので、ツアーグループに巻き込まれたくない人は、
さっさとラノララクなどのメインの場所に行ってしまうほうがよいかもしれない。
この時点で4時過ぎであり、後は南海岸もう一度行き、アフヴィナプを捜したのだが、なかなか見つからず、
朝に通過したアフアカハンガ、アフハンガテーに行って終了した。
帰りにはガソリン13gで5300ペソを払ってレンタカーを返す。
結構疲れたのでその日は爆睡して終わった。
このように、車を駆使して急げば、一日でほぼすべてのモアイを見ることは可能である。
ダイビング
朝からscuba divingの手配をした。ORCA diving centerというショップに行くと、その日、他には予定がないようで、
1ダイブ50US$、2ダイブで90US$ということ。2ダイブをすることにした。
10時に集合ということで、一旦宿に戻り、準備をして朝食を近くのレストラン?で食べ(1000ペソ)diving centerに戻った。
手続きをしてから、スペイン語のブリーフィング。説明もいい加減であり、こちらも適当に理解した。
そして早速船が出た。
行くのはショップの人を合わせて3人である。
10分程度で、Pointに到着。早速潜った。
しかし、潜行時にすでにその海の透明度に驚愕した。
50mという透明度は真っ青に透き通った水の中で果てしなく遠くまで見えた。
間違いなく今までのdivingのなかで一番の透明度であると思う。
季節は冬と言うこともあり、魚の数は少ないものの、この透明度だけで十分潜る価値はあった。
水温は21度であるが、5mmのウェットで寒さも問題ない。

初めのポイント名はpyramideであり、ここはその名のとおりピラミッド型の岩とその間にアーチがあり、
そこの一面にサンゴがあるというポイントである。
海底にはウニがたくさんいて、チリでウニが安いのも分る。
インストラクターが一匹のウニを切り刻むとそこに一斉に魚が群がってきて大変な状況になった。
これはやっていいことかどうかは知らないが、なかなかの見物である。
一本目をあがってきて、大して休憩のないまま、2本目に突入した。
今度はハンガロアという村のすぐ沖にあるポイントである。ここの透明度も一本目同様であり、幻想の世界を再び堪能した。
短時間での2ダイブであったが、問題はなく、午前中に終了した。
これは十分満足であった。

戻ってきて、シャワーを浴びたりしながら、1時には終了した。
タヒチはダイビングでも有名な場所だが、イースター島もタヒチとおそらく同じような海なのだと思う。
モアイのイメージが強く、行きにくいこともあって、ダイビングではマイナーだが、ここもそのうち有名になるかもしれない。
午後は食事の後、村の中を歩いて回る。天気は最高。風が吹いていて、厚さもしのげる。
アフタハイの前でしばし昼寝をした後、博物館に行こうとしたが、独立記念日からみの休みだそうで、
なかには入れず、しかたがないので宿に戻った。
その日の夜はラパヌイのダンスのショーがあったのだが、疲れのせいか、時差のせいか、またも夕方から爆睡して行けなかった。
結局そのまま朝まで寝てしまった。
独立記念日
朝起きて、いつものところで朝食、聞くと今日はチリの独立記念日だそうである。朝から太鼓の音がして、なにやらイベントがあるらしい。
島内観光もすでに済んでいるということで、今日はハンガロア村の中でのんびりすることととした。
11時過ぎになにやら独立記念日のイベントが始まった。
軍隊が整列したところに、村長だかが来てチリの国旗掲揚をしている。
その後式典が始まり、なにやらスピーチが終わったところで、イベントが始まった。
まず、子供達の踊り。これはラパヌイのものではなく、チリの踊りのようだ。
そして、パレードが始まった。チリ風、もしくはポリネシアン風な踊りと、軍隊の行進などがあり、程なくパレードは終わる。
たいしたものではなかったが、地元の人たちは大喜びで、身内の晴れ姿をカメラに収めていた。
全体にたいした準備をしている風ではなかったが、この島の人たちは騒いで盛り上がればよいようで、その意味では大盛況であった。
ただし、地元の人たちは、これはあくまで「チリ」の独立記念日であり、「ラパヌイ」のものではない。というように強調する。
この辺、チリ本国とは一線を画す、ラパヌイの人々の思いは複雑である。
パレードが終わったのが1時過ぎ。雲の子を散らすように人々がいなくなり、することもなく宿に帰る。
観光が終わった今、この島にいるのは3日が限度だろう。
明日にはサンチアゴに戻ることとなる。
サンチアゴ (再び)
昨日も爆睡にて、夜は何もしなかった。
朝8時過ぎに起きて、出発の支度をする。ベッドにシーツがなかったとの件にて本日の朝食はタダで食べれることになった。
ということで本来5ドルの朝食をタダで食べた。といってもたいしたことはない。トーストと、紅茶とジュースとオムレツである。
トーストにアボガドとマンゴ-のマーマレ−ドをつけるくらいがラパヌイ的なだけである。
4泊分の部屋代60ドルを払い、空港に行った。
宿のお姉さんはすかさず次の客をつかまえに行った。
飛行機は4時間半であるが、時差があるので、10時50分の出発でサンチアゴに着いたのが17時半。
バスで旧市街に来ると、なにやら道沿いに人だかりがしている。何かと思ってみると、パレードが来るようだ。ちょっと待ってみた。
すると、ブラスバンドの演奏につづいて軍隊の行進が続いてきた。
そう言えば今日は陸軍記念日であり、昨日の独立記念日に続いての休日である。そのためのパレードだと思われた。
ということで図らずも突然観光となり、パレードをしばし眺めてから、チリ大学の近くのサントドミンゴ教会近辺にある安宿を探した。
Hotel Parisという宿に行き、シングル8000ペソということで宿泊決定。
時に7時過ぎ。市内は店も閉まっていて人通りも少ない。しかも、旧市街は治安も悪い。やることもないので今日も終了である。
翌朝は起きたのが、8時過ぎ。今日は海岸線の町である、ビーニャデルマルに行くか、サンチアゴでうだうだするか、
どうしようかと思っていたが、移動するのも面倒なので、後二日サンチアゴにいることにした。
ビーニャデルマルに行ったって、シーズンオフのビーチに何があるわけでも無し、疲れるだけ損だと言う判断である。
ということで、近くの店で朝食をとり、10時にあわせてモネダ宮殿に行く。目的は衛兵交代の儀式を見るためである。
衛兵交代はあちこちで見てきたが、台湾やブダペストのようにマイナーなものから、バッキンガム宮殿のようなものまであるが、
サンチアゴの衛兵交代は、かなり派手なものであった。
ブラスバンドを先頭に騎馬の先導のもと、衛兵が整列してやってきて、門の前でパフォーマンスを繰り広げる。
チリではこの手の軍がらみのパフォーマンスが多いように感じるが、またこれを喜んで見物する人たちも多い。
もちろん私もその一人であるが。
その後、町をぶらついて、インターネットカフェがあったので、そこで日本情報を入れた。
リアルタイムで日本情報が地球の裏側にいても入るようになったと言うのは、全く便利な世の中である。
その後、昼食を食べに、旧市街の中にある、金太郎という日本料理屋に行ってみることにした。
この手の日本食屋は、海外にあちこちあるのだが、中にはとんでもないものも多い。
しかし、ここの日本料理屋は、かなり本格的で、寿司としょうが焼き定食を食べたが、そちらもそれなりにまともだった。
すしは、ややべたついていたが、これは米が違うのでかたまりにくいため、わざとやわらかく炊いているのかもしれない。
握っていたのはチリ人の板前であったが、中には日本人と思われる人もいたので、やはり日本人の指導の賜物らしい。
ネタは新鮮なので、味はまあまあ。サーモン握りとカリフォルニア巻き(これは普通の海苔巻きのご飯とのりが逆になっている)
が日本では珍しいかもしれない。
午後は、例によって、床屋に行ったが、「ポキート(少し)」という私の指示に対し、「私はちょっとだけ切って」もらうはずだったのだが、
向こうは、「ちょっとにする」と判断したらしく、思いのほか短くされてしまった。
まあ、そんなこともあるだろう。
翌日は、朝からメルカドに行った。メルカドとはスペイン語で市場(英語ならマーケット)のことで、文字通り、
生鮮食料品の市場である。
海に面しているチリなだけあって、海の幸は豊富であり、しかも、メルカド内にあるレストランで新鮮なシーフードが食べられる。
私は、ここで、皿一杯の生ウニとビールを飲んで、なんと4500ペソ(約6.5US$)という安さであった。
その後、旧市街にある、博物館群(国立歴史博物館、サンチアゴ博物館)を回り、ぶらぶらして最終日も終了した。
チリは、スペイン植民地であり、そういう意味ではサンチアゴも、ほかの南米の国と同様で、さほど目新しいわけではない。
あと、チリとしては、南部のパタゴニア、北部のアタカマ砂漠、そして、アンデス、特にアコンカグア(これはアルゼンチンになるが)
あたりは面白そうだ。
また、イースター島はなかなか楽しめた。モアイ自体はすぐ飽きるが、ポリネシアの独特ののんびりムードはくつろげる。
そして、海の美しさは珠玉である。