ヨーロッパ研修

ベルリン編

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写真集



1999.6.8‐8.28





99年6月、ベルリンのフンボルト大学の Neuhaus教授のもとで移植外科の研修をした。 フンボルト大学では年間約100例の肝移植があり、ドイツ国内はもとよりヨーロッパでもトップクラスである。 膵腎同時移植はいままでの症例数が60例程だが、近年急速に増え今年だけですでに30例やっているそうである。 私のいた間には肝移植が6例、膵腎同時移植が2例あった。
フンボルトの外科は毎日15件位の手術がある。 手術時間は圧倒的に早く、食道癌や肝切除なども縦で2件やって5時には帰るというのが日常だ。
ヨーロッパ移植学会で一人しか移植医がいないときに、肝移植が2件あったが、何と同じ術者が午前1件、 午後1件それぞれ3−4時間でやってしまっ たのには驚いた。スピードが全てではないが、手術は上手というのが正直な感想だ。


フンボルト大学の人工肝臓の研究室も見学した。
ここでは豚から肝臓を摘出しバイオリアクターをという装置に入れ、そこに血液を流して肝不全の治療に使うという研究をしている。
豚の手術から入り一連の作業を手伝った。豚の手術は人間にも十分使えるような立派な手術室でおこない、看護婦も麻酔医もいる。 人工呼吸器やモニターもあり、機械も人間のオペに使うものと全く変わらない。この辺は、日本の施設よりはるかに進んでいる。 バイオリアクターの容器は一個1000ドル近いが使い捨てだそうだ。これは企業がバックについていないと出来ないプロジェクトである。
実際に何人かの患者ですでに使用しており、免疫反応に関しては、数日間の使用では問題ないとのこと。 胆汁流出については、肝不全ではビリルビン自体がクリティカルではないので、これまた問題ないそうである。 あくまで、肝移植待ち患者などの短期間の使用を年頭においた補助的な装置らしい。



週末はベルリン観光をした。
まず、ブランデンブルグ門。その日は子供のための催しでステージが建てられていた。ゲートを超えて旧西側にでる。 ティアーガルテンの間の道を戦勝記念塔ジーゲスゾイレまで歩いていった。これは19世紀後半に建てられたそうで、かなり派手である。 中に入るのに2マルク。せっかくだから上まで登る。建物のなかは落書きだらけ。 上から見ると、四方に道が伸び、ティアーガルテンの緑が広がってなかなかの眺めだ。 遠くに旧東ドイツの中心であったテレビ塔が見え、次の目標はここにした。Unter den Linden を東に向かう。 再びブランデンブルグ門を超えさらに進むとフンボルト大学本校、ベルリン国立歌劇場を超えてベルリン大聖堂に着いた。 ここは旧東ドイツの中心地であり、マルクスエンゲルス広場がそれを物語っていた。ここで雨がふってきたので、 テレビ塔にいくのは止めて、旧博物館に入った。入館料8マルク。英語の解説用の携帯機器を貸してくれた。
その後、旧西ドイツの中心Zoologisher Gartenに行った。 観光名所のカイザーウィルヘルム記念教会あたりには、バイエルンミュンヘンの赤いサポーターと、 ウェルダーブレーメンの緑のサポーター達が入り乱れて大騒ぎしていた。
その日は土曜日、ドイツカップの決勝戦であったのだ。試合はなんと大方の予想を裏切って、 ブレーメンがミュンヘンに勝った。その後のブレーメンサポーターの大騒ぎぶりは言うまでもない。



ベルリンから日帰りでポツダムに行った。
まず、世界遺産にもなっているメインのサンスーシ宮殿に行った。 ここはフリードリッヒ大王が作らせた宮殿で、宮殿前は段段になる庭園となっている。 宮殿自体は小さいが回りの装飾品にはやはり当時の贅沢さを感じさせるものがある。 そこから、風車小屋、オランジェリーと見に行って再び、宮殿に戻り、宮殿ツアーに参加した。 内部はスリッパで入った。書斎、ゲストルーム、コンサートルーム、観客の間、ゲスト用の寝室3つを見た。 いずれも当時の絵画やら装飾品がふんだんに使われている。
そこを出て、次に中国茶館へ。 ここは金綺羅で西洋人の感覚を疑ってしまう。中国風の飾りはあるが、中国のものとも違う別物である。
そこから、新宮殿へ行く。ここはサンスーシ宮殿よりはるかに大きく、重厚なつくりである。 内部はギリシャ神話の内容の大きな絵画がところ狭しと飾ってあり、貝で装飾された壁などもあった。 中ではコンサートもできるらしく、かなり広い。2階もありプリンス、プリンセスの部屋などを見る。 シャルロッテンホフ宮殿(と言っても小さな噴水のある建物)とローマ風浴場をみて終わり。
次に、ツェツェーリンホフ宮殿に行った。ここはかの有名なポツダム会談をやった場所であり、 宮殿自体はさほどでないが、ポツダムのある意味ではメインである。入り口には会談の際植えられた花壇がある。 入るとチャーチル、スターリン、トルーマンらの写真の飾ってある場所を抜け、スターリンの書斎を通り、 会議の行われた場所に着く。いまだに米英ソの旗がはためいている。その後、トルーマンの書斎、 チャーチルの書斎を通り終了。途中一緒になった日本人団体のガイドの話によると、 彼らはそれぞればらばらの入り口から建物に入ったそうである。
いまだにここはホテルとして使われており、全体として落ち着いたムードがある。 ここも新庭園よばれる大きな庭園を持ち、その中にオランジェリ、ピラミッド、など小規模な建物があった。