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読書記録2003年8月


『赤と黒』
スタンダール・訳:小林正(新潮世界文学5)1830.10/★★★

−雑感−

このジュリヤンの異常な出世欲と虚栄心の旺盛さは、強固な身分制秩序や
価値階層、世間の産物であって、世間が崩壊しあらゆる価値の相対化が
進行した現在の地点から眺めるに、まったく呆れるばかりだ。

ジュリヤンはレーナル夫人に恋愛感情を抱き、彼女の自分への思いを欲する。
しかし彼はその欲望をそのまま素直に受け入れず、彼女の愛を得るのを"義務"
と感じる。上流階級の洗練された教養を持つ一端の紳士として認められたい
という虚栄心と、富裕者であるレーナル町長から受けた侮蔑と叱責の屈辱から
くる復讐心、ゆえに。上昇志向、コントロール志向に魅了されたジュリヤンの
心の変化が見所だ。

一方レーナル夫人のジュリアンへの素朴でひたむきな想い、これぞまさしく
情熱恋愛の神髄!性愛が解放され、欲望を阻む強固な社会的障壁のない
現代では、まず持続不可能な感情だろう。

ジュリヤンの屈折したレーナル夫人への恋心は、彼女の我が身を省みない
犠牲的な愛を向けられ、その至上の喜びに打たれて変容を遂げる。
ただ相手の美貌に惹かれ讃美し、それを得た一時的な栄誉に酔いしれる
気分から、自らの心も献身的な愛に満ちあふれた真心へ、と。
スタンダールの用意した、これが冷める契機とは、忙殺される群衆、
都会の喧騒…。そして自身の新たな夢の可能性。

マチルダのジュリヤンに対する恋心。
地位、名声、美貌、三拍子揃っているにもかかわらず、日常や未来が
退屈に感ぜられ心が満たされない、それで高慢で気位が高い貴族令嬢が、
割に合わない恋愛の対象を見出して、波瀾万丈の「恋の狂気」ならぬ
「狂気の恋」に歓喜したがる。障害多き不幸な恋の道程、これぞ我が運命、
とでっち上げた自身の身上に酔うわけだ。これが「狂気の恋」
でなくて何であろう?いい加減にしろと叱ってやりたいくらいだ。
愛されたら愛せない、とは、高みに設定した自己像に対する意識が強すぎる。

ジュリアンのマチルダに対する想いもやはり自意識が強く働きすぎていて、
どちらにとっても不幸な恋だ。

ラストは衝撃の事件後、余命を覚悟したジュリアンの心はレーナル夫人へと
帰還するが、これがスタンダールの考える「ほんとうの恋愛」のかたち、
と理解しておく。しかし自意識の檻を壊し、それ…「愛」に気付き心から喜びを
享受するために、ここまで突き詰めなくてはならないとは…。
頭の良い、理性の発達した方はさぞかしご苦労なことで。
過剰な自意識は恋愛においては邪魔にしかならない、ということだ。

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05/02追記・竹田青嗣著『恋愛論』より

――スタンダールの“恋愛理論”の核心点…
 あえてひとことで言うなら、それはこうなる。
恋愛が虚栄や趣味や肉体のうちに滅びるか、
それとも個人の生にとって重要なものとして生きつづけるか
(つまり「不滅の昂揚」にまで至るか)は、
その恋愛を生きる人間の「自尊心」のありようによって決まる、と。−p.224

――…スタンダールはこう主張している。恋愛は…絶対的なものではない。
しかし、恋愛の情熱はもしそれが人間の自己愛や虚栄を乗り越えるときには、
『不滅にまで昂揚する』可能性がある。−p.236

 あーこう言語化するのかーと感嘆。プロは、つうか竹田青嗣さんは凄い。
本当に。この他も『恋愛論』、なにかと納得させられ感嘆させられ、イイです。


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