浮かんでは消えてゆく思考のかけら
-明日の僕への手紙-


《明朗な心と、清新な感覚と、率直な清らかな情熱…これら全てのものを保つことが、年老いてからも自分の美しさを失わないたった一つの方法である。》…ドストエフスキー著『罪と罰』より


●全読書履歴とその雑感
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●Book Review タイトル別あいうえお順 INDEX


●雑記帳
最近の断片的想念・思念・妄念は以下のような感じ。

3月>厄日
※けっこう深刻かもしれないうつ病で壊れ中、卑近な日常の断片的記録。

2月下旬>奴隷?/竹田青嗣著『恋愛論』に励起されつつ今月上旬の心情を振り返る/学校にも秩序の番人って必要でしょ/校内の秩序の番人=スクールポリスに関して記述しての翌日談/膨張しすぎの治安上の社会不安/今日もダメダメ・要意識改革/社会不安についてのプチ続き/愚生。


●日記−明日の僕への手紙
2003年6月から2004年2月までの日記。

自意識に固執して堂々巡りをすることほど無益で愚かしい滑稽な行為もない、と自覚はしつつも基本的にはそれ。でありつつも、雑多な対象に関する考察・記述も多く、これホントに吾輩が書いたわけ?信じられん。つうか他人の言葉の受け売りもところどころ目立つから、こういう場合参考文献や元ネタを適時記しておくべきであってすいません。もう整理できません。その時期の読書記録を参照。まさに浮かんでは消えてしまった思考のかけら集。

03/11までは複数の語り部による形式をとっており、現時点(05/02)に読み返す限りなかなかユニーク。って自画自賛。が、その月下旬辺りから徐々にアパシーが進行、キーボード打ちも進まず、そして終わる。


以下、現時点(05/2)で読み返すと、あちゃあ。といった拙い若気の至り。

●2003年春に記した小論文調エッセイ群−明日の僕への手紙
これが"充実"した生活だって?/"認識"と虚無感の関係−自由は苦痛でもある/第二次湾岸戦争前夜にあれこれ考える/カテゴリー重視の他者把握批判/安易に周囲に合わせたくはない−環境適応マニュアル批判/俯瞰的視座や構造的認識の獲得は自由へ向けて/僕の観念的な虚しさの原因/二十五歳の誕生日/自己嫌悪を克服しよう/自己嫌悪の克服を再考−人間関係にからめて/僕の思い描く社会像/"民主主義"を失った社会はどこへ向かうのか/心理学の癒しは歪んだ社会構造を強化する/井上揚水の『灰色の指先』を聞いて/自覚なき実存的弱者−"旧友"M/自己を省みないマスコミ批判はNGだよ/飼いウサギの大往生

●過去の一時期に気紛れで記した小論文
ポスト大量消費社会は情報消費社会か?/移りゆく街とそこに住む私/「世間体」についての考察/「恩」からの解放が進む社会/宗教の信者とそれを茶化す人の共通点/無駄な消費は生きる喜び−労働の苦痛抜きの消費の喜びも許容する社会が望ましい/必要不可欠を創り出す社会に豊かさは感じられない/勤労より自由な怠け者がいいね/労働からの解放は消費からの解放−金銭的消費によるアイデンティティ批判/幸せになるには成功者になる必要があるか−優劣意識を考える