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読書記録2003年2月
(2003年9月に再読しての感想)


『討論 三島由紀夫vs東大全共闘−《美と共同体と東大闘争》』
三島由紀夫・東大全共闘(全共闘A=木村修・全共闘C=芥正彦・全共闘H=小阪修平)(新潮社)1969.6/★★★★★

−断片的要約ノート−

−感想−

まず最初に。三島さんはもとい、学生発言者の実存の深さ、過剰なまでに
観念的な、難解なターミノロジーを駆使するその知力、論理操作能力に度肝
を抜かれて圧倒される。そこで前もって逃げ口上を打っておくが、僕にこの
議論を読み解く能力はない。だから以下に書くことは、
聴衆に間違って紛れ込んだ愚か者の戯言である。

三島由紀夫の「時間の持続」という軸に対して、全共闘側は「空間の開放」
を軸に迎え撃ち、それぞれ論戦を挑むのだが、両者共にいわゆる戦後民主主義、
なあなあの事なかれ主義や安全地帯からの偽善的な言いっ放しといった、
無責任が蔓延するぬるま湯のようなムードを揺るがしてやりたいという苛立ち
と気概があって、その点では一致している。それをキャッチフレーズ的に
言うならば、三島さんは反俗の美学、全共闘は自由の極限形態への希求、
といったところか。動機の核に共通点があるゆえに「天皇と一言いって
くれたら君たちと一緒に戦う」といった台詞も出てくるわけで。

さて、全共闘らは既成のあらゆる全ての秩序、制度や文化への破壊の意思
ばかりが目立って、究極の自由を追求するウルトラアナキズムといった印象
を受けた。特に全共闘Cこと芥正彦さんが最も徹底してその志向を持っている。
仲間からも「観念世界のお遊びにすぎないんじゃないか」と横槍が入るが、僕
もそのようにしか思えない。そこで司会役を務める全共闘Aこと木村修さんが
「厳然としてある実在的諸関係を"あえて拒否"するかしないかが分水嶺だ」
といったことを言うのだが、そんなの無理だよ。そういう極限的な自由の
考え方は現実には存在し得ない理念にすぎないわけで、そこまで突き詰めて
先鋭化させてしまうことによって逆に自由という概念の核を殺すことになる。

徹底した一切の破壊で得られる自由は自由ではない。
あらゆる全てを一気にひっくり返し自由を実現するが如き革命はあり得ない。
自由はそれを支える現実的な基盤があってこそ、そのための秩序を根気強く
合目的的に整備してこそ成り立つものだ。より高次の自由を実現するためには、
たとえ遠い道のりであろうとも、より多くの人々を納得せしめるような
合理的で公正な関係のあり方を模索し、かつそのための秩序を提示する、
そういった言論による地味で地道なルール闘争しかない。
とまあこのように僕は考えている。

こうした次第だから、最初芥さんが何を言いたいのかイメージすら
掴めなかった。関係性や時間性、規定性を一切拒否しなければ自由ではない、
今あるそれを認めるとはその時点で敗者になることだ、って無茶苦茶だよ。
もっともこれは現在だからこそ言い得ることであろうし、芥さんはあの
橋爪大三郎さんをして「芥さんには一対一では誰も敵わない」と言わしめる
ほどの突出した論客だ、僕ごときの知能じゃ間違いなくボコボコに
言い負かされるのは確実。つうか理解できないのは正直知能不足ゆえ。
決定的に。わからないのが口惜しや。芥さんの思想が演劇として芸術の領域
でその理念を生かされている、それはどういう演劇なのだろう…。

三島さんはあらゆる関係性や規定性を完全に逃れた自由はあり得ないと
論証するために、ソシュール言語学のラングの概念(もしかすると
ウィトゲンシュタインの言語ゲームがヒント?)を持ち出すが、
こうした発想はまったくもって正しいだろう。

天皇に関しては全共闘Hこと小坂修平さんの論の展開が際立っている。
観念と名辞を混同する曖昧さや関係性に固執するがゆえの転倒、
こうしたことによる美の不徹底さや見るに耐えない三島さんの行動など、
完全に三島さんを論破しているように思える。

一方で三島さんの「不条理ゆえに我信ず」といった、キルケゴール的飛躍
というか、不合理で不明瞭なものが常に人間を突き動かす動機となるのだし、
人々の文化や生活様式というのはそういうものの上に成立するんだ、
それに自分は賭けるんだ、という主張も凄くよくわかるんだよなあ。
ただやはりそれに天皇の二字を冠したり、革命の手段云々言い出すと、
異様な響きを帯びてくるわけで。

最後の小阪さんの言葉はニーチェの超人思想を念頭において喋っている
のだろう、見事な正論に聞こえる。三島さんの天皇を主軸とする社会論は、
これと、大嫌いだったであろう市民社会的原理に包摂されるんじゃなかろうか?

総合的な感想としては、とにかく熱い!まあ、論じられる事柄によっては
やはり時代の制約と、そこに生きる人間の限界というものを感じた。
例えば、今では口にするのがかなり恥ずかしい革命という言葉を皆が輝きを
持たせて肯定的に熱く語っていたり、あの小阪さんが国家の廃絶などと
大真面目に口にしたり。それで、なにやら僕は感激のような感情すら覚えた
のだが、それは内容にというよりも、いやもちろん内容にもだがそれ以上に、
この場そのものや発言者の熱気や活力に強烈な印象と刺激、気力を与えて
もらった、ということだろう。


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