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読書記録2000年11月


『新撰組血風録』
司馬遼太郎(角川書店)/歴史小説/★★★

新微組徴募、そして新撰組結成後のエピソード十五編。

斬り合いの描写など大袈裟すぎず淡々とした文章、それが逆にリアルで、非日常的であるはずの人斬りの生活を日常的に感じさせられる。

今の平和な世の中では考えられない厳しい規律…新撰組の強さの秘密がわかった気がする。その一方で治安を守るのに他藩への政治的な配慮もしなくてはいけない…斬りまくりゃいいってもんじゃない、近藤勇も大変だ。

副長の土方歳三…NO.2として抜け目なく隊を正確に把握し統率するその姿勢は冷酷だが、私利私欲の為ではない、いや、それも入り交じった組織への、近藤への想い…複雑。だから嫌悪を感じることなく、むしろ尊敬や憧れ、人間味を感じるのだと思う。土方に関しては、いずれ著者の『燃えよ剣』も読んでみたくなった。

エピソードひとつひとつ、司馬さんの作品は人物が実に魅力的に描かれている。この間読んだ『幕末』もそうだったが、知識不足から今ひとつ楽しめなかった。新撰組は多少知っていたから、魅力的に描かれた隊士の活躍や悲劇がとても楽しめた。


『声の狩人』
開高健(文藝春秋・『叫びと囁き』開高健全ノンフィクションvol-U)/ノンフィクション/★★★★

1960年代初期、激動する各国のルポ。

メモリながらの雑感。

イスラエル、ようやく持てた自分たちの国、その国造り真っ最中の時期。集団農場、キブーツの人々の「国」への強烈な意志、情熱、希望…これ読むと、私は平和ボケしている、完全に、と痛切に感じる。

アイヒマン裁判…死刑にしたらそれで終わってしまう、忘れられてしまう…「彼の額に鉤十字を焼き付けて釈放するべきだった」。筆者の考察とこの結論は重い…けれど…難しすぎることだ、理想が高すぎる。釈放なんて、それこそアイヒマンを喜ばせるだけではないか?こういう人間の良心に期待することが、罪を意識させることができるだろうか?このことには区切りをつけなくては、しかし死刑以外の区切りのつけ方がそれか?これでイスラエル人に同意を求められるか?確かに忘れてはいけない、でも…。今の私に同意することはできないが、機会がある度考えようと思う。

フルシチョフ政権下のソビエト連邦。人々は公的な意見と私的な意見を持つという。日本人の本音と建て前どころではない、命が関わる問題だったのだから。社会主義の怖さ…そんな中でも、劇場では社会風刺も可能。東西冷戦の緩和…この時代ではさすがの開高さんも、ああいう結末になるとは夢にも思わなかったろうな。

フランス…ド・ゴール、OAS、FLN、そしてフランスの民衆…アルジェリア独立時のフランスの混乱ぶりを知った。

サルトルとの対談、その後の著者の考察には考えさせられた。私は、共産主義に近い資本主義、富裕層と貧困層の距離を可能な限り近づけた社会、が理想だと思っている。税金が非常に高い福祉国家、そしてそれが一国家という単位に終わらず国と国の関係も、世界という単位で。今はそこへ向かう途中、エゴやバランスのせめぎ合いで、悪戦苦闘しているのだと思う。遠い将来そうなって欲しい、きっとそうなる、と思っている。しかしサルトルは、それでは「個」の問題は解決しないし、だいいちそんなの無理だ、と言う。そうだろうか…。ここで解決のヒントとして出てくる、トリアッチの多数中心主義、というのはどういう思想だろう?それにしても、サルトルはこんなにもコミュニストだったのか、知らなかった。

…そういえば私は『嘔吐』におもいっきり低評価つけたな。しょうがない、確かに強烈だったけど面白くはなかった。それまでの頭さ、所詮。

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2001/3 追記
富の平等など不可能だし、過剰に重要視するようなものでないことに気付いた。

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2001/4 追記
サルトルの思想に関しては『実存主義とは何か』茅野良男著『実存主義入門』を読んで(勘違いが多々あるだろうが)知ることができた。


『過去と未来の国々』
開高健(文藝春秋・『叫びと囁き』開高健全ノンフィクションvol-U)/ノンフィクション/★★★

1960年、戦後生まれて十数年経った社会主義国の実状。まだ情熱に燃える中国、見方によっては沈滞、しかし安定している東欧諸国…どこも重すぎる歴史を持つ国…。

ひとつひとつの国を実際に状況を見てまわった著者の行動力、先見性ある考察には驚かされる。この人は凄い人だ、とてもこの年に書いたとは思えないようなものもある。

1960年は安保闘争が最高潮に達した年だそうで。この出来事が、どれほど世界に衝撃を与えたか、社会主義国からどう見られていたか知った。特に中国、いかに日本国民が好意を持たれ、激励されていたか!そんな状況下での毛沢東との対談、彼曰く、今の反面教師はアメリカ、かつては日本。李志綏著『毛沢東の私生活』でも、それと同じような記述があった。我々を踏みにじった日本に感謝する、と。悲しいことだね…。

今考えれば社会主義は失敗に終わった(と思う)。しかしこの頃、中国の人々は熱烈に、東欧諸国の人々はなんの不満も持たずそれを受け入れていた。価値観は、真理は、永遠不変のものではない、いくつもあるものなんだ。私も普段よく感じる、マスコミは事実のみを伝えているのではない、しっかり解釈を付け加えた事実を伝えている、ということ、これはもう間違いないようだ。

著者の語る、文学については知識不足でよくわからなかった。チェーホフ…冷静で客観的、冷たいが温かい眼、「否定」した作家、ニヒリスト、ペシミスト。そういう文学者だったのか。はぁ、本を読んでも、結局私はなにも読みとれていないんだな…。『桜の園』以外の作品も読みたくなった。


『世界の教科書は日本をどう教えているか』
別技篤彦(白水社)/社会・教育/★★★

世界の教育制度や社会科の教科書紹介。

序章、教科書とは。
オランダのインドネシア植民地統治の愚民政策下、大人が抱く文字への憧れ…文字が読めたら、書けたら、どんなに素晴らしいだろう!学校へ通うのが強制的でありそれが当然、という現代日本の子は、こんなこと考えたこともないだろう。私も考えなかった。

一章、教科書教育の変遷。
1980年以前の教科書や一般書の、日本に対する誤った記述紹介、それによる外国人の誤解の認識事例。まさに噴飯モノ、ページをめくる度に大笑い。でもそれは、裏を返せば私がどれだけ正確に外国を理解しているのか疑わしい、ということだ。

二、三章は主に1980年以降の教科書を、日本記述を中心に紹介。
この時期になってもまだ多少の誤りがあるが、なかなか正確で細やかな記述が多い。発展途上国の記述には、日本の急速な経済成長への羨望の眼差しを感じる。当時その教育を受けた生徒は、日本へ憧れを抱く者が多いに違いない。ヨーロッパは意外と誤解が多い気がする。記述も少なく、正確には日本の姿を伝えていない国も多い。これでは生徒は日本に好感を持てないだろう。そんな中でもドイツ、ギナジウムの教科書は記述も正確、そして未来への展望、と素晴らしい。旧共産圏は、階級闘争の歴史、という視点で独特。オーストラリア、ニュージーランドの教材(ここではいわゆる教科書、はない。他でもいくつもそういう国がある)は、読み物のように楽しく面白い。

四章、「社会科」を生んだ国アメリカ。
地理、歴史、公民などを統一して「人間」を見て考える科目、それが社会科。さすがアメリカ、過去はともかく、教材も教育方針も大したものだ。グローバルな視点…。

アメリカ、ヨーロッパ、中近東、発展途上国、共産圏…国によって教育の理念や目的、立場は様々だ。日本への見方も実に各国様々。

終章、国を教えるとはなにか。
歴史は人名や年号、地理は地名や産物、など分離して、語句の丸暗記で終わってはいけない。総合的に「人」の過去、そして現在を見て、これからのモデルを考える、これが重要。全くそのとおり!

どこの社会科教科書も、生徒が興味を持てるように、楽しく学べるように、と工夫してある。日本ほどつまらない教科書はないんじゃないか?文部省の検定、どうにかならないものか…。

この本が書かれたのは1992年…二十一世紀にはさらに相互理解が深まるといいな。どの国が、文化が、人種が、「善」「悪」「優」「劣」ということはない、と思う。お互いを正確に、偏見を持たず理解して対話すれば、共存の道も開けるのではないだろうか。


『銀のしずく降る降る』
知里幸恵,訳:知里むつみ,絵:横山孝雄(星の環会)/絵本・伝承/★★★

絵本でアイヌ神謡のひとつを。自然の全てに存在する神、カムイ。これはフクロウのカムイ、コタンコルカムイの物語。絵を描いた横山さんは漫画家の赤塚さんのブレーンだったそうで、そういうタッチの絵。

アイヌの信仰は、自然に畏敬の念と感謝の気持ちを持つ、ということ…その他独特の宗教観が、絵本といえどとてもよく伝わってくる。あとアイヌの風習も少々。意地悪な金持ちと心の清い貧乏人、その逆転…この両者は大和民族とアイヌ民族の姿をも反映している…。ラストは共存の道への示唆。

アイヌは文字を持たない。アイヌの口伝を日本語に訳したものだが、ローマ字でアイヌの言葉も併記してある。どんなものなのか全然知らなかったが、こんな感じか、と知った。

同じ国の民族のことなのに、私はあまりに無知すぎる。なぜかTVでは全然やらないし…いずれそれ関連の詳しい本も読んでみたい。


『「相対性理論」を楽しむ本』
佐藤勝彦(PHP研究所)/科学・物理学/★★★★

タイトルのまんま。一章でサラッと、こんなものだよ、とその世界を見せてくれる。二章は伝記風にアインシュタインの生涯を振り返る。三章から六章は特殊相対性理論、七、八章は一般相対性理論、九、十章は相対性理論を軸に生まれた宇宙論、について。特殊、一般相対性理論の違い、そもそも「相対」とはどういう意味か、など超初歩的なことから始めてくれる、とっても優しい本。

相対性理論…高速で動くと時間の進み方が変わる、タイムマシン、ビッグバンとか凄いことが考えられるらしい…この程度しか知らなかった。けど、それは何故なのか?どんなものか知りたかったが手に負えそうな本はない、そこへ出会ったのがこれ。

今回はほとんど超個人的メモに終始する。

光の特殊性…最速、波でもあり粒でもある、質量がない、そしてこれが一番重要、どんな状態の観測者が見ても速度が絶対一定。これを前提に考えると、時間と空間をひとつの概念でまとめられる!時空という概念…。あぁ、昔の哲学者が熱心に議論しあったことはなんだったんだろう…ちょっと寂しい気もする。

加速度を増せば質量が増える。しかし光は質量がゼロ、だからこの世の最高速度が実現できる。このことから質量とエネルギー同じもの!と考えられる。これは原子爆弾の原理でもある…。

等価原理…重力と加速度は等しい価値を持つ。時空が歪むから重力が働く、その逆もしかり。時空と物質は密接に影響しあう…このふたつを統一したのが一般相対性理論。

双子のパラドックス…地球と宇宙船、比較してどちらが加速度運動しているのか。相対的な正しさからくる矛盾を解決。

ビッグバン理論では答えられなかった、特異点、平坦性問題、地平線問題に解を与えたインフレーション理論。アインシュタインが捨てた、斥力によって初期宇宙は急激に膨張した…真空の相異点後にビッグバンが始まった。

ワームホール…我々がいる宇宙はいくつもある宇宙のひとつ。最初の宇宙は無から、虚数の時間から生まれた…もうダメだ、最後はついていけない。

これでメモは終わり、と。

これだけ相対性理論をわかりやすく、しかも楽しく解説してくれる本はないのではないだろうか。図、挿し絵も誰が見ても理解できる。簡単な公式も少しあるが、こだわらず読み進めても問題ない。物理の知識が皆無の私が読んでこう思えるのだから、興味はあるけど難しそうで…という方にお勧めの一冊。

著者は親切にも?これを読んで皆さんに理解できるようなものではない、と言ってくれている。まぁ確かにそうだろうが、大まかな概念がわかっただけでも…最先端の世界観が知れて良かった。

この後、立花隆著『脳を鍛える』のチンプンカンプンだった関連部分を読んで、少しは理解できた…かな?


『後世への最大遺物 デンマルク国の話』
内村鑑三(岩波書店)/キリスト教/★★★

明治から昭和初期の、クリスチャン思想家の著作。

まず、後世への最大遺物について。

この世になにを遺すか?「金」「事業」「思想」を例に出して話が展開される。著者はわかりやすく「この世のものはこの世に、プラス、自分が神からこの世に生を受けた分を遺す」と説いている、と私は解釈。イエスの言葉、神のものは神に、カイザルのものはカイザルに、を思い出す。

前記みっつ、どれも遺せなくともまだある、「勇ましい高尚なる生涯」が。そしてそれこそ最大遺物。これは『夜と霧』でフランクルが見出した普遍の真理のひとつ「ひとつの決断」「人生になにを期待するかではなく、人生が我々になにを期待するか」と同じことだ。著者は「誰でも遺せる」と言うが、真摯に受け止めればこれが一番難しいことではなかろうか…と思うが、真摯な信仰を持つ人は可能なんだろう。なんとか信仰に頼らずできないものか。

いきなり「神のため」ではビックリして受け入れがたい。それを「世のため人のため」からやんわりと「神」へ…。信仰を持たない人にも受け入れやすい言葉で語られる。エゴイズムからの転換、強い精神、そして真剣に生きること。

次、デンマルク国の話について。

デンマークはキルケゴールの国…彼も著者も教会への批判的態度で知られるクリスチャンの思想家だ。小国デンマーク、ユグノー党のダルガスの戦後復興を例に、信仰の重要性、平和な国造りの道が説かれる。時代は違えど、しばしば本当の豊かさを問われる今の日本にも、彼の言葉には重いものがある。

さて…ちょっとキリスト教を考えてみる。イエスの大きな教えのひとつ「共に在る」こと。これは全面的に支持するが、ここに神への信仰を持ってこられると話は別。信仰に頼らずとも、人間に辿り着くことはできないだろうか?確かに人間は弱い生き物だ。私はまだ自分を含めた人間の救いようのない弱さ、汚さ、愚かさを、わかっていないのかもしれない、だけど…。

ニーチェはキリスト教を「ルサンチマン」、弱者の恨み、嫉妬、反感と批判していた。さすがにこれにはどうにも同意できない。上を目指せばなにかしら、決して外界に左右されない、内的な拠り所を持つのはやはり必要に違いない。それがキリスト教の説く神であってもいいんじゃないか?けれど私はひとつの思想にのめり込むのは嫌だ。多くのものに触れて自分なりに動じざるものを見出し、組み立て、積み上げていけばいい、現時点ではそう思っている。あまりにいかがわしい宗教が多い現代だが、だからといって全てに対して偏見を持ってはいけないと思う。おかしいところは見抜いて、それを崩せる強さを身につけたいものだ。独断、傲慢に陥らないように…。


『マーフィーの法則』
アーサー・ブロック,訳:倉骨彰(アスキー出版)/格言集/★★

宇宙の法則…は大袈裟だろう?政治、社会、仕事、医療等々、様々な分野のブラックユーモアに富んだ格言集。

なるほど、あるあるとニヤリ笑ってしまうものもあれば、え?と首を傾げるもの、自分に突きつけられた言葉のようでドキッとするもの…。

明るい未来を信じて努力するのは肩が凝って疲れる。ダークな法則が多いが、それを頭に入れて「世の中こんなものさ」くらいに生きれば楽だろう。人生を気楽に送るための心構え、と解釈した。基本的に私もそういうスタイルでありたい。ところが「楽観主義者が、予期せぬ幸運に驚くことはできない。」なんてものもあったりして…どうすればいいの?

最初は楽しかったが途中で飽きてしまった。苦労の多いサラリーマンには楽しめるんじゃないかな?


『イスラーム生誕』
井筒俊彦(中央公論社)/イスラム教/★★★★

ムハンマド伝、イスラームとはなにか、の二部構成。スンニ派、シーア派など別れる以前の、大元のイスラームについての解説。

メモと雑感を。

第一部。

ジャーヒリーヤ(無道時代)のベドウィンのスンナ(慣行)、部族絶対、血の復讐などによる戦いの日々…。現世の儚さ、そこから来る享楽主義に陥っていた社会…ここへ神に使わされた予言者として警告を与えたのがムハンマド。メッカのクライシュ族を裏切ってメディナへ移ったヒジュラ(遷行)、そこでユダヤ教徒、キリスト教徒をも組み込もうとする(これは失敗するが)など、様々な意味で政治家としての頭角を現す。ジハード(聖戦)、キブラ(礼拝する方角)などの思想が生まれ、宗教として確立されてゆく。アブラハムの旧い、純粋無垢な、永遠の宗教へ帰そうとした試み。そしてメッカへの凱旋…。

思想ももちろん、伝記を読むように楽しめた。

第二部。

まずジャーヒリーヤの宗教的次元の概念の説明。そしてイスラーム。宗教的実存、神への絶対的帰属、実存的飛躍…。ここらは言葉がそっくりでキルケゴールの思想と間違えそうだが、キルケゴールは「神の前にただ一人、単独者として立つ」で、イスラームは「神の思うがまま、為すがまま」ということで全然違う。同じセム系一神教でも、やっぱりキリスト教とは根本的に違うみたい。この後の説明でも違いがよりよくわかってくる。

「主」と「奴隷」の関係、唯一絶対の神の前での人間の平等。優劣があるとすれば、それは信仰の深さのみで決まる。怒りと慈愛の神、それに感謝と怖れで応える。イスラム独特のウンマ(宗教共同体)、それまで部族や民族単位、血でまとまっていたものを信仰でまとめる。シャリーア(法律)で明るい現世作りの試み。それまで最高神だったアッラーを絶対の唯一神へ。シャーイル(詩人)でもカーヒン(巫者)でも神の御子でもない、ない、預言者で使徒の「人間」のムハンマド。

イスラムの本を読んだのは初めてなのだが、社会、時代背景など、非常にわかりやすい説明で、なんだか凄〜くわかったような気にさせてくれてしまった。これって危険。それだけ良い本だった、ということ。キリスト教(こっちもたいして知っちゃいないが)と比較しながら読んでみて、とても楽しかった。


『車いすでアジア』
山之内俊夫(小学館)/紀行・アジア/★★★★

沢木耕太郎著『深夜特急』の感想で「健康ならこういう貧乏旅行もいいかも…」なんて書いたが、著者は車椅子でそれをやってしまった!車椅子の障害者である著者と十七歳のネパール人少年が、ネパールを出発点に、インド、スリランカ、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、中国、そしてチベット自治区を九ヶ月かけてまわった旅の記録。

まず最初に、私はいわゆる「障害者の本」は嫌いだ。勧められて嫌々何冊か読んではきたが…辛い体験、それをこうして乗り越えた…いかにも健常者が喜びそうな感動。ひねくれていて悪いが、こう感じる本が多い。見方によってはこれもそうだが、一般のそれとは違う気がする。自分と同じ障害頸椎損傷、しかも知り合いが書いた、ということで素直な気持ちで読んだからかもしれないが…。

ちなみに以前ベストセラーになった『五体不満足』の感想。「周囲に恵まれてもいたし、いや、むしろ君が強い人間だからこそ周囲も普通に接することができたのだろうね。強い=ある意味鈍感であること、かも?へ〜、そう。楽しんでるねぇ…。」この程度で共感はなかった。彼は先天性だし性格も私とは正反対、共感できないのも当然か。

で、『車いすでアジア』、紀行としてももちろん面白いが、著者はあえて「障害者であること、介助者との関係」を前面に出して内面の葛藤を綴っているので、そちらに重点を置いて感想を。

介護をする側とされる側の確執…これは最も大変な問題だ。私も語ればキリがないが、猛烈な自己嫌悪に陥るのでやめておく。日常ですら大変な問題なのに、二人一緒で九ヶ月の長旅という極度にストレスがたまる状態ではそれはもう…。しかも相手は十七歳の異国の少年。

で、その少年介助者ジュカライ。まだ甘えん坊のガキ。困ったヤツだが、でも憎めない可愛いヤツ。いじけたり、ストレートに感情を表に出しながらも、介護者の絶対的優位の立場によって一線を越えない(これやったらそこで破綻)し、純粋な優しさがある。旅の成功に、彼のこの性格は大きい。介助者に、ジュカライを選んで大正解。

スリランカで出会うジョージの言葉…反論できない。あの後なにを諭されたかは大体想像がつく。それは私も常に自覚して自問自答していること。受傷後数年経って開き直ったつもりでも、いまだにジョージの価値観から抜け出せない、だから次の一歩が踏み出せない。罪悪感が先に立ってしまって行動が起こせない。著者も改めて衝撃を受け悩むが、これに対してのひとつの答えは旅が終了した後の、著者とジュカライの交流に表れていると思う。

さらっとした、日本の医療施設、社会での体験談は「そうそう、あるある」とニヤニヤしながら共感。健常者は笑えないかな?

障害者になって初めて持てる「眼」…とてもよくわかるが、これは同等の「眼」を持つ健常者は、ホントごく僅かではないだろうか?そんなことないかな?中途障害者でこそ持てるもののような気もする。

介助者への気遣い、ここは妥協できない、様々な葛藤、などなど、語られることひとつひとつに全面的に共感。そして私にとっての大きなものも教えてくれた。障害関係の本でこう思えるのは初めてだ。ただ、それを実際活かせるかどうか、となると別問題で。自信ない。

まだまだ全然書き足りないがこの辺で。とにかく自然体のいい内容だった。

最後に著者、山之内さんに幾度か直接お会いした印象を。前向きな明るい楽天家。会話が巧みで人を惹きつける不思議な魅力がある。そして「大人」、しっかりした人。あの人にもこんなブルーな気持ちになることがあるんだぁ、エッ、こんなことしちゃうの?などと意外で、少々驚いたが、人間だもの、当然か。


『桜の園』
チェーホフ,訳:湯浅芳子(岩波書店)/戯曲・ロシア/★★

当時のロシア社会を風刺した?戯曲。

戯曲を読むのは初めてなので慣れなかった。(作者によれば)コメディだから、滑稽で可笑しいことは可笑しいが、富豪の没落の様子がとても寂しく哀しく感じる。登場する商人のようには全く現実が見えていない富豪…。

他のなにかの本で引用されていた、自然の美しさに注意して読んだが…う〜ん、想像力の欠如か。第一幕の春の生命の息吹と第二幕の黄昏の哀愁、確かにその場景を思い浮かべると美しいのはわかるが…台詞などから想像するのだが、いまひとつ感動には到らなかった。

内容は簡単、だが自分の力不足を感じた作品だった。情けない。それなりに面白かったけど正直な話、これ、どういうとこが凄い傑作?理解できない。


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