「思考・表現・コンピュータ」【ことばこそ、最も根源的な思考と自己表現のための道具】


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私たちは、ことばによって世界を意識し、思考し、世界観を形作る。そしてそれを記述し、表現し、伝達していく。

■ことばで考える

 人間がものごとを認識する過程は、すべてその人が用いることばの形式(ことばとことばとの関係構造)によって決定される。したがってことばによって名づけられる前に、私たちには物や観念は存在しないことになる。


■表現の意味

 ことばは特殊なシンボルであり、シンボル自身には、意味を持たせることはできない。ことばが秩序だって並べられ、互いに結び付けられてシステム(表現システム)に組み立てられてはじめて、その表現システムが意味を決めるのである。このことは、私たちにあまりにも身近な言語(自然言語)からは見い出しにくいが、コンピュータに対する命令の体系をながめるとき、明らかとなる。
 言語とは、意味を作り出す場(表現システム)である。私たちは、その中でことばに「構造」として互いの関係を既定することにより、恣意的に意味を作り出し、「思考と自己表現のための道具」としてそれを使う。そして、私たちは作り上げた意味によって説明する「方法」を自身の外部に積み上げ、それらを別の人が持つ意味を作り出す場に再現(コピー)することによって、私たちの「意味」を相手に伝達するのである(シンボルによる記述/表現)。


■ことばによる区別と恣意性

 「分類」の基準は、予め分類されるものに備わっているものではなく、私たちがことばによって切り出してきたものである。「分類」は、ことばの本質に基づくために恣意的なものであり、そこには必ず例外が現れる。「分類」の公開(共通利用)には、恣意性の部分を共有するための、「標準化」の体系が必要となる。そのために「分類」による整理には、非常に多くのコストや労力を必要とするのだ。


■ことばと「モデル」(法則)

 ある「方法」の中で、問題世界を記述・表現している、シンボルの関係構造が「モデル」である。それはことばと、ことばに根差して機能する数学やイメージ(図形や音声、画像など)によって、記述と表現、そして伝達を容易にするために、「抽象化」ということばの特性が強く推し進められる中で発展してきた。
 「モデル」というものは恣意的なものであり、同じ対象(現実世界)に対しても、光の当て方(認識の仕方)によって、いくつもの像(写像)ができる。したがって「モデル」を共有するには、注意深い標準化が不可欠となってくる。
 「モデル」(法則)は、決して未来永劫安定しているわけではない。それらは動的(ダイナミック)に移り変わるものである。


■ことばと世界観の形成

 「モデル」の生み出し方(組み立て方)が、「世界観」である。
 十七世紀以降、科学という総合的な「方法」の体系における「世界観」の主流となり、輝かしい成果を積み上げてきたのが、「要素還元主義」の見方であった。それは問題世界をばらばらの要素に分解し、「部分の総和が全体である」とする、線形の「世界観」である。
 しかし、やがて邁進する要素還元主義では扱うことができず、無視せざるをえなかった、秩序や全体性などの要素間の関係が大きく影響する問題がクローズ・アップされるようになってきた。


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